|
龍姫
■ はじまり ■
少女は、厳かに告げる。静謐に、一言一言を噛み締めるように、のっぺりとした笑顔を貼り付けたまま。
ざァァァァァ……という不愉快なノイズに、少女の声はかき消されることなく、鼓膜へと滑り込んでくる。
いっそ耳が無ければ、貴方はそう思いながらも、動くことができないでいる。
始まりは一本のビデオテープから。ポストに投函してあった、宛先すら書かれていない小包。
その夜は、雨が降っていた。雨音に耳を傾けながら、ビデオデッキにセットする。
その時に気付いていれば良かったのだ。これはおかしい、と……。
だが遅く、どこかで見たような……そうあれは映画の、呪いのビデオのように、微少を浮かべた画面の中の少女は告げる。
「……龍が生まれる」
その意味がわからずに、ただ潜在的な恐怖から視線を外すことですら躊躇われる。
湿った空気に錆び鉄の匂いが混ざり、やがて歯の根がカチカチと音を立てだした。
----次の日、貴方は不可解なビデオの相談を持ちかけるべく、知人の草間のところへと出向いた。
【闇の中で】
どれほどの悔恨を重ねたら辿り着けるのか、その少年の放つ見果てぬ闇に、江戸崎満はじっとりした汗を片手でぬぐった。
微かに----------ささやかと表現するには足りぬ月光が、恐ろしく精緻に舗装された石畳を淡く照らし出している。それは、およそ"現代にはあり得ない"ほどに奇妙な紋様を幾重に描いているにも関わらず、破損や欠損、ひいては人が踏みしめれば必ずあるべき泥の汚れですら見当たらなかった。鏡面のように滑らかな断面は、上に立つ者の姿を忠実に映し出している。
「------貴方も"龍"だね」
韻、と響く、まだ声変わりすらしていないソプラノ。その指弾が自分の胸に向けられたというだけなのに、ほとんど衝動的に、江戸崎は背後へと飛びのいた。
少年の外見は12、13歳にも見る。風すらない静寂であるにもかかわらず、少年の髪の毛は豊に青く輝き、そして波打っていた。夜色の長套は、淡い月光を呑み込んでいるように錯覚してしまうほど、暗鬱な色合いを持ってして、少年のしなやかな肢体を包み込む。
そして、見る者を魅了せずにはいられない、その美貌。こっくり首をかしげて思案するその可愛らしい様に、思わず見惚れてしまうのは、江戸崎だけではあるまい。
だが、その外見と精神が比例していない証拠とでも言うかのように、浮かんだ笑みはひどく酷薄なものだった。
クス、クス。
クス。
クス。クス、クス、
クス、
三日月に割れた唇から、声が洩れる。それはまるで無邪気であり、いっそ天気の声ですらあるというのに、聞く者を本能的に恐怖させる響きがあった。
「龍は、殺すよ?」
突如、江戸崎の頭上に影がさす。
飛びかかってきたのは、巨大な<<竜>>だった。その鋭利な爪が、江戸崎の頭上目がけて振り下ろされる。理想的な軌跡を描くそれに、一切の容赦も迷いも無い。ただ主人の命を受けて実行する機械仕掛けの人形のような動きに、だが江戸崎が対抗したのは、右手の一本だけだった。
右手の指一本、たったそれだけで、鉄すらも切り裂けそうな<<竜>>の爪が、ヒタリと静止した。音もなく、力もなく、それはただ自然に右手を持ち上げているようにも見える。
「…………へぇ」
少年は興味深そうに男を見つめた。
<<竜>>は動かないというよりも、むしろ微動だに出来ないかのように、江戸崎の指先を凝視している。
しばし、沈痛とも言えるほどの静寂が闇を支配し----------脆弱なそれを砕いたのは、少年だった。
「珍しいね、貴方は<<龍>>なのに、同時に<<人>>でもあるんだ」
興味深い、というふうに少年は嗤った。三日月だった唇が更に吊り上がり、白い肌に醜悪な亀裂を生じさせる。なまじ整った美貌であるだけに、その微笑みはひどく薄気味悪かった。
「関係ないな。------何故、龍を殺そうとする」
戦闘態勢は解かぬままに、江戸崎は問いかける。
少年は大仰に手を振り仰いで、言った。
「わからないかなぁ…?」
闇が、濃度を増した。音もなく、臭いもなく、厳密に言うならばそこは存在さえしていない。だが”認識”が生み出した意識の闇は、確実に滔々と揺らいでいる。
「貴方は<<龍>>なのに、<<人>>であるからわからないんだね。貴方は<<仲介者>>でありながら、同時に<<裁く者>>でもある。<<追憶者>>でありながら、同時に<<駆ける者>>でもある。どちらでも無く狭間で揺れる、孤独で気高い<<狭間の王>>----------」
抽象的で意味深な言葉に、江戸崎は眉をひそめた。
「意味がわからないな。質問に答えてもらおうか」
江戸崎は、ぐっと腕に力を込めた。たったそれだけの動作で、今まで微動だにしなかった<<竜>>の巨体が、どぉっと横凪ぎに倒れ込む。そしてそのまま、沈黙した。
それに何の感心も示さずに、少年は訥々と言葉を続けた。
「……貴方には、”その望みが叶うのなら世界が崩壊してもかまわない”と思える願いは無い?」
「………………?」
「僕にはあるよ……」
「---------!!」
突如、闇が揺らいだ。否、それは闇ではなく、膨大な光の奔流だ。視界を塗りつぶす閃光が、粘着質であるかのように江戸崎の身体を覆い尽くしていく。
「待て----------!!!!」
闇が切り払われ、目映い白刃に身体すら----自己という存在すらも、薄れ消滅していく。
「…………」
ふと、少年の唇が言葉を紡いだ。
だが、聞こえない----届かないまま、意識が遠のいていく。
深淵に沈んでいく意識の端に、少年の言葉が聞こえたような気がした。
「……僕は、彼女を取り戻すために----」
【覚醒】
「おいっ、どうした!?江戸崎!」
ばんっ!と乱暴に頬をひっぱたかれて、江戸崎は覚醒した。
身体に残る倦怠感を頭を振ることでなんとか片隅に追いやりながら、ゆっくりと身体を起こしていく。視神経に異常は見られない、内臓や筋肉に致命的なダメージを負っているわけでもないだろう。
いつものように、感覚で自分の身体をチェックしてから、江戸崎は完全に立ち上がった。
「俺はどうしたんだ…?」
前後の記憶が曖昧だった。
夢というのは本来、覚醒すれば忘れてしまうものだというが、それでもあの奇妙な夢は鮮明に覚えている。少年の粘つくような声、猟奇的な笑み、巨躯を持つ<<竜>>に、淡い月光と鏡面のような石畳。そして、闇。
それらを思い出し今更ながらにぞっとして、彼はようやく気が付いた。
ここは草間興信所で、龍について一連の事件の事情と、海原みなも嬢についての相談に来たのだ。そして-----そして?
「いきなり倒れるんだ、何事かと思ったぞ」
草間が安堵の混じったような、呆れたようななんとも言えない声で苦笑する。
促されるままにソファーに座り直して、江戸崎は奇妙な夢について、草間に切り出した。
「実はな--------------」
話は30分ほどに及んだ。
何故かダンボールで塞いでる割れた窓ガラスの隙間から、少し肌寒い風が滑り込んでいる。日も傾きかけた夕暮れ時を、訳もなく意識した。
「と、いうわけだ」
肩を竦めて事の顛末を告げると、草間は何とも言えぬ奇妙な表情で返した。
「疑問が多すぎるな」
「だろうな、正直俺も戸惑ってる」
分からないことが多く、分かっていることは限りなく少ない。もし限られた選択肢の中で行動を起こさなければいけないというのならば、今の状況はむしろ選択肢すら見つからないといえる。
だが、確実に分かっていることが一つだけあった。
「龍という種族はな、仲間同士の強い思念を知覚できるんだ。<<夢視>>と言われる能力で」
それが?と視線で投げかけてくる草間に、江戸崎は何か覚悟を決めるような気持ちで、告げる。
「【ドラゴンス・フロウ】の黒幕も、龍だ」
一瞬、自分でも馬鹿馬鹿しいと思いながら-----実際、草間も同じようなことを思ったようだった。
「そんなバカなことがあるか。それじゃあ同種殺しか?」
「何でもかんでも俺に聞くな。そんなことわかるかよ」
だが恐らく、間違いないと江戸崎は確信している。
少年は言ったのだ。
”貴方も龍だね”と。
そして、龍が行使できる<<幻視>>という術、認識上での<<竜>>を生み出す禁術を使い、更に<<夢視>>----あまりにも強烈な思念に引きずり込まれてしまったが、相手は龍だと確信できる。自分が同じ龍であるのだから、それは尚更だ。
「ふと思ったんだが」
「なんだ?」
「相手に、江戸崎は龍だということを知られてしまった、ということか?」
思念というのは常に行き来している、テレビのようなものだ。チャンネルを切り替える必要のない、常に新しい情報を送り続ける電波。
おそらくは、そう呟き、江戸崎は溜息をついた。
「なら、オマエも相手の標的になったってことか…」
厄介事が山のように積み重なっていくのを確かに感じながら、男二人はひたすら陰鬱に呻いた。
「「もう嫌だ……」」
完
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【1300 / 江戸崎・満 / 男 / 800 / 陶芸家】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
はじめまして、大鷹カズイです。
この度はご依頼のほう、真にありがとうございました(ぺこぺこ
えーっと…もー相変わらずの未消化っぷり。
この後江戸崎さんは敵の襲撃を受けたり傷ついたり戦ったりと大立ち回りを繰り広げる予定だったのですが、全部書き終わってから確認したら、文字数が8000越えてまいました…(ふっ…
泣く泣く、戦闘場面および過去の邂逅を削り、夢の中での出来事を削り色々削って…。
そしたら全然意味がわからなくっ!!(ガンッ
江戸崎さんは「最強の龍」ということで、色々と格好いい戦い方を思いついたのですが、それが描写できなかったのが心残りと言えば心残りです。
みなも嬢の持っている黄金龍と江戸崎さんの龍形態の外見が同じのようですので、リンクさせてもいいかなぁとか思っていたのですが…やはり、詰め込みすぎるもんじゃありませんね……。
何はともあれ、書いていてとても楽しかったです!
もともと龍などといった生物が大好きですのでv
ではでは、また機会があればお会いしましょう!
大鷹カズイ 拝
|
|
|