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<PCシナリオノベル(シングル)>


生きている者と死んでいる者

「咲ちゃん、今幸せ?」
相も変わらぬ革のコートに円いサングラスの黒尽くめスタイル、気軽な声と笑顔とでそうアイスコーヒーを乾杯よろしく掲げて見せたピュン・フーに、久喜坂咲は強張ったように動きを止めた。
 通勤・通学に掛かる朝の忙しい時間、オープンカフェで優雅に雑誌を広げてモーニングまだ寒いのにアイスコーヒー、と洒落込む黒衣の青年の所行に呆れたからではない。
 心霊テロ組織『虚無の境界』と称する悪趣味な団体活動に従事していた彼と…相対したのはつい昨日の事ではなかったろうか。
 そのテロ活動を阻止すべく動く、『IO2』に絡んで流れてきた情報を礎に動いただけに、その報告に手間取り…何せ秘密裏に構成された組織とはいえ、お役所仕事は何処も変わらず時間がかかるらしく、担当者に会うまでにかなり待たされた。
 会ってからは早かったのだが…何故か、神父と彼との…名前を告げる気にならず、ただ相対し、術を阻んだら逃げたとだけぼかした。
 通された応接らしき部屋で、ヒゲのオジサンとしか称しようのないその人物は、咲の報告に二、三の質問を重ねて、んー、と首を捻った。
「…もし、その黒い服の方の彼?に会ったら」
あぁ、どっちも黒いか。失敬失敬と一人で勝手に納得し、自身も黒一色に統一された服装で警告とも、忠告とも取れる言を吐く。
「何も構わないで、逃げた方がいいね…アブナイから」
「神父の方でなく、ですか?」
そ知らぬ振りを通すには、それ以上に深い問いを重ねる事は出来ず、咲は興味本位に聞こえるギリギリのラインで聞き質した。
「うん、そっちはね…邪魔が入ると、今使ってる手段はぱったり止めて、次の手段に移るから…しばらく、動かないんじゃないかなぁ」
眠たそうに目を瞬かせて。
「黒い方…神父じゃない方はね、アブナイから」
もう一度繰り返す。
「元々はウチの構成員だったんだけどね…あっちに寝返っちゃって。その時に、殺してるんだよね………同僚を、15人ばかし」
だから。
 見掛けたら、迷いなく逃げなさい、と咲がテーブルの上で握った拳をぽんぽんと宥めるように叩くのに、会話を筆記していた若い事務員が諫める。
「西尾さん、若い子だからって気軽に触っちゃダメですよ。奥さんに叱られますよー」
「…………………………どうしよう」
心底困った風で西尾、が己が片手を凝視するに、事務員は「知りませんよ」と素っ気なく答えた。
 そんな経緯を経てここに居る咲が、昨夜一晩どんな思いでいたかも知らず、ピュン・フーはいつもの人好きのする笑顔で「おーい」と手など振ってみてたりする。
「…知らないッ」
ぷいと咲は横を向く…けれど、足は動かない。
 そのまま立ち去ってしまえば、きっと追っても来ないだろう。友人だと思っていたのは自分ばかり、簡単に敵対出来る関係でしかなかったのだと、考えあぐねた末の結論に去来した寂しさを現実として思い知らされる気がして。
「なんだよ咲ちゃん、そんなとんがるなって…」
怒りも明確な咲にピュン・フーは席を立ち、通と店との境界に並べられた植木鉢を跨いで越そうとする。
「ちょっとピュン君、まだお金払ってないじゃない!」
咲は慌ててピュン・フーの胸をぐいぐいと胸を押して、店舗の敷地に戻す。
「構わねーって」
「構うわよ…」
あっけらかんとしたピュン・フーの…あまりの変わりのなさに、暖簾に腕押し、の格言が脳裏を過ぎるに肩から力が抜けた。自分ばかり気負っているのが馬鹿らしい。
「んじゃ、金払ってくっからちょっとコレ持ってて」
 差し出す手…指に挟まれるのは、印刷された濃いブルー。
 無数の気泡、それを遮る影…の片隅に水中から顔を出したアシカが「みんなで来てね♪」と手を振っている。
「水族館……?」
しかもペアチケット。
「今日は俺、オフなんだよ…暇だったら一緒しねぇ?」
ピュン・フーの思いも寄らぬ誘いに、咲は目を丸め…苦笑した。
 こちらの意を汲まないにも程がある。
 明確に敵対し、過去の所業を知ったというのに、眼前に「ダメ?」と首を傾げている青年を前にすると憎めない…憎ませない。
 もし計算尽くであるのなら、これほどにずる賢い者は居ないだろう。
 咲は小さく肩を竦めた。
「いいわ…待っててあげるから」
その応意を得た途端、ピュン・フーは喜色を浮かべると、咲の気が変わっては大変、とばかりに支払いを済ませる為に踵を返した。


 そんなこんなで、また唐突に且つ強引に、咲は水族館へ向かう運びに自主休講と相成った…制服姿が咎められぬは、年中黒革のコート姿であろう事が想像に容易な連れのアヤシサが担う所も多いだろう。
 水族館に着いた時刻にタイムリーに開催されていたイルカやアシカのショーに先に足を向け、最初から順路を回ろうと入り口に戻る道の途中、とりどりに並ぶ貝殻に、咲は思わず水族館内の売店の店先で足を止めた。
 艶やかなピンクの桜貝、ころころとした宝貝、壊れそうに薄い殻の蛸船、真珠光沢に磨かれた白蝶貝…手書きのカードに価格の表記され種類毎に籠に入れられたそれ等は、おもちゃ箱のとりとめなさに目を引く。
「ね、ピュン君見て。可愛い♪」
エスコートよろしく組んだ腕を引いて示すに、黒衣の青年は「ピュン君ゆーな」といつもの苦情を飽きずに申し立て、首を傾げた。
「何に使うんだ、そんなモン?」
「オブジェとか…でも、見てるだけでも楽しくない?」
ピュン・フーが一般的な男性の思考に同意しかねる風で首を傾げるに、咲は手近な巻き貝をひとつ、手に取る。
「買ってやろーか?」
「特に欲しいワケじゃないんだけど…」
突起の多い象牙色に乾いたそれは存外に軽く、ふと思い立って、その口を耳に当てて目を閉じた。
 右の耳を塞ぐに、貝の内の虚ろに籠もる音に意識を傾ける…其処から微かに、聞こえる音。
「海の響きを懐かしむ、か?」
貝を押さえる手に、笑みを含んだ声でコクトーの詩を引用したピュン・フーの手が、包み込むように重ねられる。
「こーした方が、よく聞こえねぇ?」
邪魔をせぬ気遣いに落とした声音の囁きが告げる通り、音が増すのに咲は目を開いて微笑んだ。
「いーわね、ピュン君。手がおっきくて」
絶え間ない響き、それは血脈に流れる音が密閉された空間に増幅されてのものだというが、それを潮騒だと感じるのは生命の起源が海にあると知るからだろうか。
 ひんやりとした手に、けれど確かに流れる血脈の流れが重なるが何故か嬉しく、二人分の響きに耳を澄まして微笑む咲に、ピュン・フーは空いた方の手で壁の一画を示した。
「あ、すげーぜ咲ちゃん、山の響きも懐かしめる!」
山?とついその示す先を見るに何故か法螺貝。
 山伏が使うような、しかもちゃんと吹けるように口のついた代物が鎮座坐すに脳裏に「ボオエェ〜、ボォエェェ〜」と独特の響きが思い起こされる。
「買ってやろーか?」
「…別に欲しくないから」
妙にわくわくとしたピュン・フーの言に、思わず歎息しながら咲はそう答えた。
「なんか面白ェじゃん。俺、一個買って帰ろっかなー」
それこそ。
「何に使うの…」
呆れる程雰囲気もぶち壊しな青年は、実際は何も考えていないのかも知れない。



 実寸大のペンギンのぬいぐるみなどもあったのだが、結局、何も買わずに売店を後にし、順路の続きを回る。
 意外に魚類だけでなく、海洋哺乳類も充実した水族館は込みそうなものだが、平日ともあってか人の姿はあまりなく、社会見学らしい小学生が駆け回っているのを転がさないように気を付けさえすれば、のんびりと巡る事が出来る。
 水を生きる数多の生き物達、鮮やかな極彩色や透明な体を持つものなど、環境に適した進化に多様に、思いも寄らぬ生態を持つ者も居る。
 だが、咲にとって今それ以上に不思議なのは、眼前に立つ青年である。
「ねぇ」
咲は首を傾げるに、長いウェーブの茶の髪が肩にかかるのを手で梳き払った。
「ピュン君、どうして私を誘ってくれたの?」
「そりゃ…」
ピュン・フーが即答しようとするのを遮る。
「たまたま目の前に居たから、は却下よ?」
半眼に指を立てての宣言に、黒衣の肩を竦め、ピュン・フーは口の端を上げた。
「レディーに対してそんな失礼するわきゃねーだろ?」
初対面の折の主張を未だ覚えているとは…妙なところで律儀な青年である。
「チケット手に入れて、誰か一緒するヤツ居ねーかなと思ってたら其処に咲ちゃんが」
…人は、それをたまたまという。
 口を噤んでしまった咲に、ピュン・フーは懐から出した二つ折りの携帯を開いて送信履歴を見せた。
「違うって、ホラ」
バックライトに光る画面、最上部に表示される見慣れた番号。
 慌てて鞄を探ると、電車に乗るにあたってマナーモードにしていた為に気付かなかった携帯の着信、履歴には紛う方なき、ピュン・フーの名があった。
「女のコって好きだろ?こーゆートコ」
謝罪のつもり、というのでもないだろう。多分。
 言葉の意味そのままに、好きそうだから、理由はそれだけで…取り繕おうなどとは微塵も思っていない、そんな風に。
「嫌いだったらどーするつもりだったの?」
「キライだったか?」
目を遮光グラスの黒に遮られて、表情が曖昧になりそうなものだが、ピュン・フーの真っ直ぐに向ける感情は違えようがない。
 思いも及ばなかったと、子供のようにきょとんと問う様子に、咲は微苦笑を浮かべて大水槽を見上げた。
「きれいね」
魚影が落とす影が水面の反射に揺らぐに、硝子に手を突く…ひやりと冷たい感触は、先に重ねられた掌にの温度に近い。
「咲ちゃん、今幸せ?」
ピュン・フーはいつもの問いを口にした。
 向けられた視線、黒い遮光グラスに隠されているだけに、その瞳の真紅さを思わせる…血の色に染まった月のような。
「プラスでもマイナスでもなく、ゼロなのよね」
咲はピュン・フーの問いに対して、でなく己の裡にふと閃いて納得の行く答えを声にした。
 何も残らない、変わりに縛られない。
 純粋である、と称してしまうには微妙な…人を傷つけるを厭わない、それが罪とすら感じない心の有り様は、あまりに危ういバランスを保つ。
 その比重、を担うのは…。
「ねぇピュン君。答えのヒントは見つかったの?」
幸か、不幸か。
 ピュン・フーは否定も肯定もせず、薄い笑みを口許に履いたまま、軽く肩を竦めた。
「生と死とを決定的に分ける要素ってなんだと思う?」
指が水槽を叩く…波紋を生みそうな錯覚を覚えるが、それは固い音を立てるのみだ。
「今まで空気ン中で生きてたのが、この水ん中でしか生きれねぇヤツらみたいに変わっちまう…いきなりあっち側のモンになっちまうのって乱暴なシステムだと思わねぇ?」
下から見上げれば、水面が光を弾いてきらめく様が見て取れ、それを見上げるピュン・フーの顔に波紋の影が揺れた。
「けど、『虚無の境界』のヤツってそれを得るのが『幸せ』らしい」
微かな笑みを刻んだままの横顔、サングラスの合間から僅かに覗く瞳の鋭さに暗い真紅さが目を引く。
「咲ちゃん、今幸せ?」
一体、どれ程の問いを重ねれば、その答えが得られるのか。
 咲はほんの少しだけ表情を曇らせた。
 たとえ今、その問いに答えたとしても…きっと彼の心に届く事はない。
「ピュン君は…」
反対に問いを返そうと名を呼ぶが、それだけ彼が得ようとしている答えから遠ざかる気がして、咲は途中で言い注した。
「泳ぐ魚みたいじゃなくても…きっと私達も同じように、生きてる」
流されても、見失っても、其処に生きるしかないのならば。
「それでも泳ぐの。きっと」
生きる者の為の道が必ずある筈だから。
 上手く言葉に出来ぬのがもどかしく、咲はシュル、と髪の一束を纏める濃紅のリボンを解いた。
「ピュン・フー、手を貸して」
咲の要求に何の疑問もなく差し出された右の手に、リボンを巻き付ける。
 護身の術を織り込んだ特製の品だ。
 咲の目の届かぬ、手の届かぬ場所でも、彼に寄せた心がせめてその身の護りとなるように。
 過去に何があったかは、関係ない。今、眼前に居るピュン・フーの力になりたいと願うのは、何に左右されるでない咲自身の意志。
「なにしてんだ?」
大人しく手首にリボンを巻かれつつ、首を傾げるピュン・フーを見上げ、咲は微笑む。
「だって親友じゃない」
黒革の重量感が醸すハードなスタイルに、蝶々結びに愛らしく、違和感に似た異彩を放つリボンを巻いた手首を軽くポン、と叩いた。
「今日のお礼」
「ふうん?」
しげしげと手首を眺め、ピュン・フーは片頬に笑みを浮かべる。
「親友、ねぇ…すっげ新鮮な響き」
くつくつと笑って続ける。
「んじゃ、俺からも親友の証にアレどーよ。法螺貝」
進んで来たのと逆方向、売店のある方向を指差すに、
「要らないから」
咲は即座に却下した。