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<PCシナリオノベル(シングル)>


解放

 都内、某所の薄汚…基、古びた風情のビルの一室にある、草間興信所。
 ここには、出る。
 何がと問われれば幽霊が。
 だがそれだけではない。
 奇人、変人、陰陽師、天狗、妖怪、魑魅魍魎。
 生きている者からそうでないモノまで、世の中の有象無象の怪奇が自然発生的に集う其処、関係者が一同に介すればそりゃもうとんでもない事になるのは請け合いだ…怪奇探偵、の名がたとえ所長である草間武彦の望む所でなくとも。
 とはいえ興信所に出入りするに、その程度の事象に驚いていてはやって行けよう筈がない。
 けれども、母里廉は驚く程のそれに遭った試しがない…その、弱い霊ならば寄せ付けず、場を浄化さえしてしまう体質も然ながら、それに抗する強さを持つ霊、例えば矢鴨ならぬ矢武士とか、でろんと濁った目をした生首とかにも朗らかに朝の挨拶をかませてしまう明るさが一因である。
「こんにちはーッ」
廉は部活帰りに学生服のまま、最近、調査員として登録したばかりの事務所の扉を開いた。
 すると、いつもなら上座のデスクに行儀悪く足をかけて調査員を迎える−不思議と彼は依頼人が来訪する際にその姿勢で居た事はほとんどない−草間が一人、応接用のテーブルの古い地図と何冊かの文献を広げ、現在の地図とを照らし合わせて居る最中だった。
「母里か。茶なら好きに入れて飲め。珈琲は今切らしてな、買いに出てる」
調査員=茶を飲みに来た、図式が成立していてしまうが悲しい。
 とはいえ、廉もたまたま足を向けただけなのでお茶を飲んで帰る以上の用事があるでない。
「草間さん、なんか疲れてる?」
袱紗を肩に置いて廉が問うに、草間は遠い目をした。
「あぁ…また出てな」
フィルターぎりぎりまで吸った煙草を、既に吸い殻が山となった灰皿に押し込むと机上の煙草に手を伸ばし、その軽さに舌打ってくしゃりと握りつぶす。
 新顔の霊…墨染めの衣に髪を肩で揃えた僧形の青年、と思しき外見の霊は余程に古い時代の魂か。
 ゆら、と。
 輪郭をぼかしてたゆたう彼の存在感は弱々しく、自分の意を告げる…自らの命を懸けて封じた鬼、その封印が解けようとしているのだと。
 人が容易に闇に踏み込めてしまった時代に、鬼に堕ちるを選んだ友人の魂を、自らに力が足りずに適わなかったが…出来うるならば救って欲しいと草間に告げ、力尽きたかのようにそのまま消える。
「またタダ働きか…」
自らの説明に頭痛を覚えたのか、こめかみを押してそう呟く背に哀愁が漂う。
 そんな依頼とも呼べない代物、無視してしまえばいいのだが、それをしない草間だからこそ人が集まるのだろうが。
「俺が行くよ」
ソファの背に凭れて背後から地図を覗き込む廉を肩越しに見上げ、草間は何とも複雑な表情を浮かべた。
「…一人で大丈夫か?」
「大丈夫」
僅かに胸を張り、廉は肩に置いた袱紗の上部を解いて見せた。
「これは飾りじゃない。鬼に説教かませる刀だからさ♪」
黒に朱色を菱形に覗かせる柄糸を巻いた、日本刀の頭が覗く。
「それに」
草間が赤く記した古い地図の横書きに『塚ツ二』と表記されるが現在の地図にその地名は残っておらず、位置関係で割り出した現在の地図には広く取られた空間に『文』と記された場所を指差す。
「俺が通ってる高校なんだよね、ここ」


 廉がまた母校に取って返した頃、合いもよい日暮れに校内に人の姿はない。
「丁度いいか」
校門を乗り越え、教室の自席に鞄を置くと、彼は袱紗から日本刀を取り出した。
 ある日親からほいと気軽に譲り渡された退魔刀…名を『鬼宵』という。
 それまでそんな物騒な代物が自宅にあるとは露知らず、勧められるままに居合いの道場に通っていたのがえらく気の長い伏線であったのに驚くばかり…依頼、親友に巻き込まれる形で幾つもの怪異に遭遇して来たが、単身で事にあたる、というのはごく珍しい。
「んー…でもまぁなんとかなるか」
くん、と鼻を鳴らして、空気を嗅ぎ分ける…実際の臭気として感じるのではないが、自身が放つ気…と、正反対の気配が校舎内に満ちているのが分かる。
 退魔の血筋として陰陽の術に長ける友人達は、空気の澱みにことさら気を払う為、多分これが邪気と呼ばれるものなのだろう、と経験からあたりをつけるしかないのは、友人曰く「人間お守り」の自分に害が及んだ事がない為だ。
 ちなみに邪気と鬼気と瘴気の区別はつかない…ちなみに今、ある一定の距離をおいて彼に触れる事適わずに周囲に渦を巻くは障気だったりする。
 部活を終えて学校を出た時からここまでの間、何がここまで空気を濁らせたのか見当も付かない…友人達ならば、即座に判じてみせるのだろうが。
「ま、言っても仕方ないよな」
今この場は一人でやると、そう決めた。
 廉はことさらにゆっくりと…『鬼宵』を最上段に構える。
 彼の目には、人が居ないだけのいつも通りの教室にしか見えない。ただ、そこは闇の薄い膜を被せたように現実感を逸している。
「さっておっぱじめよっかー」
気軽な言葉は、宣告。
 最上段から踏み出す足の勢いにそのまま振り下ろされた刃が空気を、そこに濃密な障気を切り裂いた。
「隠れてないで出て来いよ」
表情が鋭く引き締まる。
「目は覚めてんだろ?」
両断された障気は一瞬、動きを止め…鋭く裂かれた箇所から下方に落ち、黒い流れを作った。
 其処でようやく、廉の目でも捉えられる、強さを得る。
「さて…どう、出てくるかな」
緊張に乾く唇を舌で湿し、形を為した障気が流れる先…足下を浸す流れが、ひたすらに下へ、下へと向かうのに、校庭に視線を向け、呟いた。
「………早まったかな?」
其処は湖と化していた。
 水に似て流動的に濃い障気は何故か敷地の内に蟠り、周囲に流出する様子はないが、それだけに行き場を失って逆巻く流れを作る、闇。
 それが不意に法則を得…渦を作る校庭の中央に人の輪郭が立ち上がった。
 闇自体が人を真似たように、のっぺりとして黒さでいて…目鼻立ちはそれと分かる曖昧さを持つ。

−お前か。

声はなくただ心に、響くというよりは貫く強さの…殺意。
 廉は咄嗟、窓から離れ、廊下に出た。
 途端に教室という教室の窓は外からの力に千々に砕け、幾千、幾万の硝子の破片が室内に降り注ぐ。
「あっぶねぇなぁ、踏んだら痛いだろ!」
まだ教室内に居ればそんな可愛い被害では済まなかったろう。
 文句だけはきっかりと述べておいて、次に廉は駆け出した。
 重力を無視する水の動きで、窓から入り込む障気がその後を追って迫るに走り、先回りに天井から滴る物は『鬼宵』で切り払い…何を思ってか屋上へ疾駆する。
 階段を駆け上がり、金属製の扉を体当たりの勢いで開くと、動かない空気が彼を迎えた。
 まだ障気はここまで至っていない。
 廉は荒い息に肩を揺らしながら『鬼宵』の切っ先を地に向け、丹田…臍の下に力を込める。
 誰に教わったでなく、剣術に親しむに自然と身についた、それは『鬼宵』の剣気に己が気配を合わせて一定の範囲内を浄する…結界、のような物。
 飽くまでも我流なので結界と呼んでしまうにおこがましく、集中を必要とする為使用頻度は低い。
「だって恥ずかしいし…」
それを道として進む者の前では、拙くてとてもじゃないけど見せられない。
 などと逼迫した現況にしてはいささか呑気な恥じらいに僅か頬を染め、廉は『鬼宵』の柄頭に重ねた両手の甲から視線を前に据える。
 廉を中心にした円を除き、水に似た障気がひたと階下から押し寄せ、足下に拡がる。
 その障気を足首までを沈め、歩み来る人影。
 廉は首だけで後顧し、その姿を認めた。
 純和風の顔立ちにしっくりと来る単衣の白に、黒い袴。太刀に脇差しの古めかしい拵え、そして両の額に明確な角…否、片方の角は断ち切られた断面を見せるにある意味独角の…鬼。
「妙な人も、居たものだ」
先の曖昧さと違い、確たる姿を取り戻した為か、その意は今度は声として届く。
「息をするだけで肺が腐る程の障気だというのに」
淡々と、紡ぐ言葉に感情は籠もっていない。
「理由は分からないけどこーいったのと相性が悪いみたいでね、残念だけど。あんたも太刀を履くなら、こんな卑怯めいた技でなく剣で勝負して欲しーんだけど?」
鬼の眉間へ向けて『鬼宵』の切っ先を上げる…退魔の太刀は喜びを示すようにチリリと鍔鳴りに身を震わせた。
「笑止」
瞳は笑わないまま、鬼はくつ、口の端を上げる。
「人を斬った事があるか、小僧」
「ないよ」
廉は即答する。
「『鬼宵』を憎しみで振るうような、弱い心は持つなと言われた」
「ならば、死ぬ」
断定の口調で鬼が自らの太刀に手をかけるを止めるように、廉は五指を広げて突き出した。
「50年」
その意を鬼が汲めぬまま、廉は言を続ける。
「あんたの友達が、寿命が尽きるまであんたと…障気を封じ続けた年月」
「知らぬな、封じ続けられた長の年月に比べれば…」
その鬼の言に、廉は苛立ちに強くコンクリートを蹴りつけた。
「いいか!あんたの友達は、何に寄るでなく身の内に封じ続けたんだ!その意味が分かるか!」
呼吸にすら、肺を腐らせるそれを生きる者が抱え続けるその意味が。
「あんたが鬼になった経緯は何の文献にも載ってなかったそうだよ…ただ、200年程昔、何処からか流れて来た僧がここに庵を結んで、橋を直したり、子供に文字を教えたり、人の暮らしに尽力した、そういう話は残ってる」
 信頼出来る筋が調べてくれたから、偽りはないはず、と律儀な断りを入れて続ける。
「そしてこの身はひとつでないから塚は二つ、作ってくれって言い遺したって…そのひとつには僧が」
言葉を切る。
 鬼は、動かない。静寂に耳を澄ましたままのように。
「………もう一つには、彼がずっと肌身離さなかったお守りが、埋められたそうだよ。黒い、石だったって」
廉は自分の右の額を指し。
「角だろ?あんたの」
鬼は動かない。
「封じの眠りは辛かったか?そうじゃない筈だろ、力を削る封印なら、あんたが起き抜けでこんなに元気な筈ないし」
それもある意味、迷惑な話だが。心の内にその意見はしまっておいて、廉は語調を強めた。
「いいかげん目を醒ませ。あんたの友達は最期迄あんたを案じてたのにあんたがそれでいい筈ないだろ」
己に巣食う闇に逃げ…鬼に堕ちた友を封じるしか出来なかった者の心も見ずに。
「見ろよ、ちゃんと。そして…」
鬼は凍り付いて動きを止めたまま、開かれた瞳は廉を見てはいない。
「とっととあの世に逝って謝って来いよ」
一閃。
 擦り足に踏み出す一歩、右の肘を曲げる動きを追う形に左の腕を押し出すに、『鬼宵』は遣い手の気を乗せて障気を断ち…鬼に残されたもう一角を、斬り落とした。
 鬼が目を上げた…闇だけを映していた眼に、廉の笑顔が映り込む。
「友達は大事にするもんだぜ」
それに泣きたいような、笑いたいような表情を浮かべ、彼を異形たらしめた角を失った…鬼は、気化して上る障気、彼の身を構成していたそれと共に、天へと消えた。


「なんだ、友達なら先に逝ったぜ?」
廉から少し距離を置いて現れた僧形の青年は、深く頭を下げた。
『ありがとうございました』
身を半ば、風景に透かした依頼人は真っ直ぐに廉を見る。
『貴方のように強くあったら…もっと早く、解放して、やれたのでしょうが』
命の限りに…否、命尽きても友の傍らに在り続ける事を選んだ魂は、寂寥とした思いに表情を曇らせた。
『力が足りないばかりに、長く苦しめてしまいました』
「別に俺が強かったんじゃないよ。あいつは俺の友人じゃなかった…だから、斬っても平気だった」
廉は『鬼宵』の峰を肩で支え、苦笑する。
「あんたにとっては友人だった、だから斬れなかった…トドメを刺せなかった、そうだろ?」
欠けた角を生涯抱き続けた、それの意味する所を察するは容易だ。
「…例えば、俺の友達が鬼になる道を選んで力が及ばなかったら。あんたみたいに、護ってしまうと思うよ、50年でも100年でも」
そんな誇りを失う真似を、自らに許す友ではないが。
「まだ一緒に居てやるつもりなんだろ?」
早く行ってやんなよ、と促す廉に、僧形の青年はもう一度深々と頭を下げると天を仰いだ…友の後を追う為に。