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<PCシナリオノベル(シングル)>


雪が舞う

「義雅様、少し失礼します」
その赤く染めた髪とレザーを主としたハードなファッションからは想像も付かないが、護衛から秘書の真似事までこなす青年が、振動を繰り返す携帯を手に中座するに頷いてみせ、久我義雅は窓の外の風景に視線を戻した。
 手の込んだ日本庭園、砂州を表す白い砂利に松の緑の濃さが映え、苔が柔らかく岩を覆う…久我邸の前庭は池までを有する広大な物だが、事務所的に奥に構えた洋間から見える裏庭の一画は、義雅の趣味で枯山水に仕立ててある。
 池もなくやり水もなき所に石たつる事、と言われるそれは岩や石が島を、水を表すに禅的思想を込めた物だ。
 洋間から見るにはアンバランスかも知れないが…重厚に明度を落とした内装との対比は、落ち着いた雰囲気を醸していた。
 その部屋は主の…久我一族の当主の雰囲気を映したかのようだ。
 生来に色の薄い髪を丁寧に撫でつけ、柔和な表情が印象づける黒い瞳の穏やかさは、影で次代に比べて覇気がない、存在感が薄いと評されるが、家を担う者として過不足のない働きに、それを公明正大に口にする者も少なくなった。
 本日の予定を告げる筈の青年は、電話が終わらないのかまだ戻らない。
 義雅は室内に視線を転じてふと、彼が置いていったノートパソコンのサイドが緑の点滅を繰り返しているのに気付いた。
 窓を背にしたデスクを回り込んで、画面を覗き込む…スケジュールを表示した下方、封書を簡素に図式化したアイコンが回りながら、メールの着信を告げている。
 青年はまだ戻らない。
 義雅は、きょろと周囲を見回すと、そのアイコンをクリックした…あまりパソコンという物に触れる機会がない為、物珍しかったというのもある。
「草間さんからでしたか」
遥か年下の青年の名を丁寧に尊称をつけて呼ぶに律儀な義雅は、ざっとその内容に目を通す…また怪奇事件の解決を求める依頼だ。
 地方の村、そこに奉られた社に白い人影を見るという。それを見た者は数日中に必ず死ぬと。ただ、その対象は妊娠中の女性に限られ、依頼人の知人がそれを見てしまった為に早急な解決を求める、と明記された後に、こう付け加えてあった。
「暇なヤツが行けたら行ってくれ」
と。
「あの子は忙しい身だからね…」
青年に宛ててのメールだが…スケジュールを見るに、義雅自身より、カメラマンのバイトまで掛け持つ青年の方が倍以上は忙しい。
 その合間にこうした依頼もこなしているのだから、たいしたものだ。
 義雅はしばし悩むように画面に見入ると、些か危なっかしい様子でキーを打ち始めた。
「御依頼の件、了承しました 久我義雅」
それだけ打つのに五分はかかっている。
 どうにか送信までを終え、義雅はふと気付く…草間からのメールをこのまま残しておいて青年の目については、彼も共に動きかねない。
「消去、しておいた方がいいか」
聞きかじりにデータを消すのをそう言うのだと、最近知った用語を呟き、義雅はまたキーボードに挑み…。

「義雅様、お待たせしました…?」
漸く部屋に戻った青年は、雇い主の姿が室内に見えないのに、語尾に疑問符をつけた…部屋に残された痕跡は僅かに開いた窓、そして、画面がブラックアウトしたノートパソコン。
 電源を入れようとしてもうんともすんとも反応しないそれに、青年の血の気が引く。
 主が時折見せる…子供のような好奇心を失念していた。
 けれど優秀な彼は、差し当たって各所に本日の予定を延期する旨を連絡する為、切ったばかりの携帯を取り上げた。
 理由は当主急病、それが最も妥当だろう。
「河豚にあたった事にしましょうか…」
データが破損している可能性を考えると、あまりにもささやかすぎる報復だった。



 さて、自分の息子よりも年下の青年から逃げ…基、彼に変わって依頼を解決する為に、メールに記載されていた依頼人の住所へ赴いた義雅は、5時間かけて行き着いた駅のホームに立った。
 東京では春の便りを聞こうというのに、山間の空はどんよりとした冬の重さに今にも降り出しそうな雪催いの色である。
「…これは妙だな」
ほとんど身一つで…それでもカードは忘れずに出た義雅は、思わぬ冷気に迎えられるに鳥肌を立たせた。
 最も、それは気温の低さだけでない。
 村と言うより、集落と呼んだが相応しいような…一睨に田畑が圧倒的に多いそこに満ちる奇妙な雰囲気。
 現実感のない、夢に足を踏み入れたような。
 白い影を見ただけで死ぬとは…前後の脈絡のない、出来の悪い怪談のような話に何とも眉唾だと思っていたのだが、必死の依頼人にしてみればただ単なる噂で済まされないだろうと思って即時に現地に来たのだが。
 決してパソコンを壊したからではない、と現実から目を背けつつな義隆が無人駅の切符入れに使用済みの切符を入れるに、待合室の隅のベンチに座っていた少女が立ち上がった。
「久我さんですね?」
断定的な口調で少女が見上げて来るに、義雅は穏やかに問うた。
「失礼、お嬢さんは?」
頬を上気させた少女は慌ててぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい、私、お電話させて頂いた百瀬です」
中学生ぐらいだろうか。肩にかかる黒髪を二つに分けてくくり、セーラー服に少し大きなコート−学校指定の代物か、少々やぼったい−を着た彼女に義雅は微笑む。
「百瀬さんですか。草間興信所より調査員として参りました、久我義雅と申します」
久我家当主を調査員として使っているなどと、草間が知れば卒倒したろうが、全くの善意のつもりだからこそ最も厄介な男は、息子より年下の青年より更に下な少女を相手にしても、その丁寧な物腰を崩さない。
 その態度に、少女は意外なものを見る心持ちでしげしげと義雅を見上げ…はっと気付いた風に手を打った。
「そうだ、所長さんからお電話があって…『甲斐怒る。すぐ戻れ』って伝言されてたんですけど…」
申し訳なさそうに、上目遣いになる。
「田舎なもので、今の列車が最終なんです……」
漸く陽が落ちようという時刻なのに。
 思わず振り返ってしまった義雅だが、列車の姿はとうにない。
「まぁ丁度いいか」
ぽつりとした呟きが僅かに笑いを含んでいるのに百瀬が訝しむ前に、義雅は問うた。
「なら、次の便まで出来得る調査を進めておきましょう。とりあえず、宿を決めたいのですが、ホテルか旅館か…何処かご紹介頂けますか?」
対した百瀬はますます申し訳なさそうに肩を縮めた。
「すいません…村に宿はないんです」
田舎なもので、恐縮して縮こまる少女に、義雅は穏やかな笑みの下で別の意味で難題な事件だと、そう思った。



 元々そのつもりであったのだと、百瀬は自宅を宿に提供すると申し出に一安心した所で、義雅はその白い影を見てしまったという女性の元へ案内を請うた。
 小さな村は戸数が少ない為か全体が顔見知りで、地域社会の人の距離の近さを感じさせる。
 百瀬に噂のあらましを聞きながら歩いての移動の間に出会う人々…圧倒的に老人が多い、は「ももちゃん本当に呼んで来たんだねぇ」や「またご飯を食べにおいでももちゃん」など必ず声が掛けられる。
「子供が少ないから…とても大切にしてくれるんです」
両親を亡くして天涯孤独だという百瀬は、一人で残された家を守る事が出来るのも、村の人達のお陰なんです、と笑う。
 白い影を見るのは20代後半から30代前半の、妊娠中の女性。
 段々と眠りの周期が長くなり、医者に診せても原因は不明のまま、急激に衰弱して死に至るのだという…母子共々。
「見た人が死んでしまうまで…白い影を見る人は出ないんです。だから皆、お社に近付くのを嫌がって」
「百瀬さんの家は社のある山の麓なのでしょう…怖くはないですか?」
並んで歩く義雅に、百瀬はくすくすと少女らしい笑いを漏らした。
「久我さん、先生みたい…だって私、まだ子供だし。それに、お母さんがお社の巫女だったから。私も大きくなったらそうなるつもりです」
其処の家です、と少女が示すに田舎の農家としては平均的な…都会の住宅事情から見れば贅沢な土地の使い方をした一軒を示す。
 広い田の中に建つ為か、風除けに敷地の周囲をぐるりと巡る常緑樹、だが広い庭に日当たりはよさそうだ。
「ごめんください」
鍵のかかっていない表玄関を開くと、百瀬は薄暗い奥に向かって声をかけた。
「あらまぁ、ももちゃん。お見舞いに来てくれたの」
そう言いながら出てきたのは、大きなお腹を抱えるようにした女性…これが例の。
 義雅は僅かに目を細めて彼女を視た。
「ももちゃん、こちらは?」
膝を折るも大儀そうな女性を制して、百瀬がスリッパを取った。
「言ってたでしょ?東京から来てくれたのよ」
「まぁ、東京」
まるで異国から来た人間を見るように目を見張った女性は、上から下までじっくりと義雅を眺める。
「久我と申します」
穏やかに名を告げる義雅に、女性は朱の上った頬を押さえた。
「まぁごめんなさい…やっぱり東京の人はおじさんでも垢抜けてるんだねぇ」
正直過ぎる感想を彼の息子が聞けば爆笑したろうが、義雅自身は相変わらぬ穏やかさにそれをやり過ごした。



『別にもうね、それがあたしの寿命だったんだ、と諦めているんですよ…』
夜、義雅は寝室にと宛われた百瀬家の客間から庭を眺めつつ、昼間の女性の言葉を思い出していた。
『まぁこの子には気の毒するかも知れませんが…母無し子になるよりは、一緒に黄泉路を辿った方が、ねぇ?』
大きなお腹をさすりながら…遅くにようやく授かった子だったんですけどねぇ、と33だと言う女性は諦めに笑った。
 それを力づける意味もあって、わざと大仰に術を行使して周囲に結界を張った。
「どうも…妙だな」
死を前にした人間…死した後も生に執着する者を多く見て来たが、命を生み出す母が子の未来が絶たれようというのに穏やか過ぎるのだ。
 この村の、空気のように。
 社に放った式神は確たる異常は伝えて来ない。
 ただただ、時が流れるを待つだけの…老いと死がなければ、極楽とはこのような場所を言うのだろう、この村に均一に流れる空気がおかしいと、そう訴えるのみ。
 少女が一人で切り回す台所で作られた心尽くし夕食は土地の野菜がふんだんに使われ、素朴なもてなしは、義雅に居心地の悪さを微塵と感じさせない。
 だが、義雅は、寝間着にと貸し与えられた糊の効いた浴衣に袖を通さず、延べられた床に横にもならず、雲の上の月光を含んで奇妙に明るい雪雲を見上げた。
「さて、何が出て来るのかな?」
呟く…瞼の裏に浮かぶ山の中の社へ向かう石段。
 配した式神が、白い影が社へと上っていく様を伝えて来る。
 義雅は部屋を出、玄関へと向かった。


 しんと冷えた空気、冬の大気。
 山間の冬は長く、雪も多く、根雪は山肌を白く彩ったまま更に冷気を放ち、その上に更にひら、ひらと花が散る様を思わせて新たな雪が積もる。
 その、霜ついて凍る石段を上る素足の一歩一歩を見つめ、百瀬は鳥居を潜った。
 うっすらと白い雪に覆われた人気のない境内が、明るい雲の仄かな灯りに浮かぶ。
 それを見回す百瀬の…背から声がかけられた。
「まぁ、ももちゃん」
ビクリと肩を強張らせて振り向くと、身重の女性が息を切らせながら石段を登りきる所だった。
「どう…したの?」
目を瞬かせる百瀬に女性は笑いかける。
「いやね。身重の不浄の身で…あの日は本当になんとなくだったんだけど、社に上った神罰かと思ってねぇ…一度神様にちゃんと謝っておいた方がこの子と一緒にいい所に行けるかと…おや、裸足じゃないかい。それにそんな薄着で寒いだろうに」
女性が言いながら百瀬に近付くのに、彼女は脅えたように身を引いた。
「どうして…どうして…」
涙を浮かべた百瀬に、困ったように女性は首を傾げる。
「どうしてって、どうしたんだい?ももちゃん」
両手を広げたまま、戸惑って止まる女性に、百瀬は涙を零して叫んだ。
「私が殺してしまうのに、どうして優しいの!」
ぺたりとその場に座り込んで泣き出す…百瀬を見る女性はす、と姿勢を正した。
「それは、君が優しいからだよ」
声が、口調が違う。
 顔を上げた百瀬の眼前に…佇む、壮年の陰陽師。
「久我、さ…」
嗚咽に声を詰まらせた百瀬に、陰陽師は穏やかな微笑みを向けた。
「百瀬さん…君の名前を聞いてもいいかな?」
返る沈黙。
「名前はない筈だね…君には戸籍が存在しない。家の者に頼んで調べておいて貰ったんだ、社と…依頼人の事をね」
社は、山間にありがちな山神を信仰してのもの…それを奉る神官、百瀬の家系は、14年前に最後の巫女が夭逝した事で絶えた。
 お産に、弱い体が耐えられなかったのだという。
 それを告げる青年の…甲斐の声の冷静さが、怒りの深度を示していたが、お小言は義雅が戻ってからのつもりらしく、用件のみを告げ、通話は向こうから切れた。帰るのがちょっと怖い。
 そんな内部事情はお首にも出さず、義雅は続ける。
「自分が原因だと知ってて…興信所に連絡をしたのは止めて欲しかったからだろう、もう誰も殺したくなかったからだろう」
義雅は百瀬の…名を持たぬ少女の前に膝をついた。
「私は君の願いに喚ばれて来た…さぁ、どうしたい?」
「寂し、かったの…誰も、誰も居なくて、寂しかっただけなの…!」
嗚咽に感情を吐露する少女…生を知る事なく徒に重ねた14という歳月は、人に近しくありたかった寂しさが罪であるのだと少女が自ら知るに十分な。
「それが悪い事だと知ったのは…君が人に近しくありたかった為じゃないかな」
無知は罪であるという。
 が、幼子が知らずに犯したそれを…許して時に変わりに担うのは、大人の役目だ。
「私は女性ではないからね、母親の気持ちは分からない。けど、子を思う親の気持ちは知っているよ?」
義雅はそっと、少女の…姿を風景を透かし始めた、哀れにも魂だけが育ってしまった霊を抱く形に腕を回した。
「お母、さ…」
 枯山水…池もなくやり水もなき所に石たつる事、と言われるそれは岩や石が島を、水を表す。
 何を捉えるも、人の心が映すもの。
 自らの胸に額を預けて泣きじゃくる少女の髪を撫で、義雅は小さく呟いた。
「ゆっくりとおやすみ」
言葉に。
 境内を覆う雪、降りしきる雪、一片、一片が光を帯びて地でなく…天に向かって舞い上がる、幻想のような、風景。
 少女は涙に濡れた目を見張り…光が上るを視線で追うに自身も光の粒子となって、天に、召された。


 翌朝。
 人が住まぬに荒れ果て、半ば崩れたような百瀬家に入り込んで夜を明かした義雅を待ち受けていたのは、黒光りする車のボンネットに体重を預けて立つ、赤い髪の青年だった。
「お疲れ様でした」
嫌味か?と問いたいように慇懃な口調で…片手で助手席を開けて車内を示す。
「お迎えに上がりました」
鈍行でなければ止まらないこの村の駅…確かに最も早い移動をと思えば車しかないだろう。
 けれど、高速を使っても二時間はかかる、動く密室に二人きり、が図る意は容易に掴める。
 義雅は無言に助手席に乗り込む、かに見せておもむろに青年に抱き付くと、ぽんぽんとその背を軽く叩いた。
「………義雅様?」
主の予想のつかないない行動には慣れたつもりだったが…突拍子のない行動までは及んでいなかった青年は、硬直して名を呼ぶ以上の行動に移れない。
「いや…今更ながら、息子達にしてやった事がなかったと思ってね」
その言に表面は冷静さを装いながら…沈黙に動揺を示して運転席に向かう青年に、義雅は常の穏やかさで呼び掛けた。
「さて、いい息抜きにもなったし…戻ろうか、甲斐」
 帰路は静かすぎる道中だったが…穏やかな微笑みの下に己を隠した策士は、もう一人のターゲットがどんな反応を返すかに思いを馳せ、退屈はしなかったらしい。