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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


パ=ドゥの眼

■序■

「三下くんは今原稿で忙しいらしいわ」
 麗香に原稿のリテイクを命じられた三下が「原稿で忙しい」のは当たり前だ。それを心得ているからなのか、麗香はデスクで奮闘している三下に見向きもしない。
「三下くんの代わりに、取材に行ってきて頂戴。『西欧文化博物館』よ」
 いまこの手の世界で密やかな噂を生み出している博物館だ。最近ヨーロッパ某国で発見された古城『黒い城』、現在はそこから回収された物品の数々を展示中。
 貴重な古書や調度品に混じり――第三者によって殺されたと思しき人物の、ミイラ化した遺体まで人々の目に晒されている。
 世界各地の博物館をたらい回しにされてきた『黒い城』の遺産たちは、あちこちにぞっとしない噂を置き土産にしながら、ついに日本に上陸したというわけだ。
「博物館の宿直警備員が夜中にミイラのそばで死んでたなんて話は当たり前のように聞くわ。中には都市伝説化した話もあるでしょう。でも実際にミイラのそばで死んだ人間は確かにいるのよ。この件は今月の特集で組むつもりだから、今すぐ真相を探ってきてほしいの。まあ、噂をまとめるだけでも構わないわ。記事として使えるレポートを期待しているからそのつもりで」
 麗香はすらすらとほぼ一息でそう言い渡してきた。まるで目の前にスピーチ原稿でもあるかのような抑揚の無さだった。
 ミイラというのは要するに死体だ。しかも今回噂を呼んでいる『死体』は、誰かに殺されたものだ。暗い噂を呼ぶのは当たり前と言えるのではないか。
 そうだ、いま三下がデスクで原稿と格闘しているのと同じように。


■錆びた黴■

 そもそも『黒い城』という名がついた理由は――内場邦彦が思っていたほど末恐ろしいものではなかった。少なくとも、邦彦は理由を知った直後はそう拍子抜けしたほどだ。
 石造りの古城は、得体の知れない黒い黴(または苔)で覆われていたらしい。なるほど。
 だがその暗い外観とは裏腹に、古城には拷問部屋どころか牢の一つさえも見出せなかったようだった。古城に遺されていたものは、黴と膨大な量の蔵書、質素な16世紀頃の調度品、そして身元不明の死人ひとり。
 しかしながらこの死人は、状態からみて、近代の人間ではないこともわかっていた。衣服は鼠と虫と時の流れに食われてぼろぼろだったが、ゆったりとしたローブの類のものであるらしいことは辛うじて憶測できる。
「……かわいそうだな」
 資料をあさるまでもなく、かの者の死因は見ればわかった。邦彦はガラスケースの中に収められて見世物にされているミイラを直視できなかった。
 ミイラは錆びた槍に貫かれていたのだ。
 鞄を心持ち強く抱えて振り向いた邦彦は、男と目が合った。
 灰色の髪、灰色の眼、灰色のスーツ、異国の顔立ちを持った男だった。男はしばらくの間、無言で興味深げに邦彦を見つめていた。
 奇妙だ。デジャ・ヴュを感じる。この男を自分は知っている――気がする。邦彦はそのはっきりしない靄のような予感がもどかしかった。
 あの、何か?
 邦彦の喉元までその呼びかけはこみ上げた。その男の灰の眼に見つめられるのは、どうにもたまらなかったのだ。男の瞳は澄んでいたが、底の無い深淵のようだったから。幸い今男の目は邦彦ではなく、ガラスケースの中のミイラに向けられていた。
「これにご興味が?」
 邦彦が声をかける前に、男の方が口を開いた。邦彦の声が無垢な雀のものであるとしたら、男の声は思慮深い梟のものだった。不思議と心を落ち着かせる、心地いい声だ。
 多少の英語訛りはあったが、充分流暢だと言える日本語であった。
「雑誌記事のために取材をしてるんです」
 正直に答えると、男はツと邦彦の顔を覗きこんだ。
「……貴方が? そうですか。レイカさんの雑誌ですね」
「碇さんを知ってるんですか?」
「ええ。リチャード・レイと申します」
「あ!」
 邦彦の声は静かな博物館の展示室の中に響き渡った。男は別段驚いてもいない様子で突っ立っていた。自分の声の大きさと男の名に驚いていたのは邦彦ばかり。思わず男を指差していることに気がついた邦彦は、赤面しつつ慌てて手を引っ込めた。
「『夢を辿る者』とか読みました!」
「ああ」
 リチャードはそっと微笑み、邦彦から展示物に目を移す。
「光栄です」
「道理で見覚えがあったと思ったんだ。……こうして作家さんと実際会うのって初めてです。でもどうして日本なんかに?」
 リチャード・レイはイギリス在住のオカルティストであるはずだ。書斎の中で魔術書をめくりながら怪奇小説を執筆しているべき男だった。
「このミイラを追ってきました」
 彼はするどくガラスケースを指差した。
「これ以上晒しものにしてはならない。これは危険だ」
 邦彦が5時間で読破したレイの短編小説は確かに、奇怪で幻想的なものだった。――しかし作者そのものが、ここまで奇怪で幻想的な人物だったとは。


■灰の男■

「……まだ何か?」
 どこか冷めた目で海原みそのを見上げる麗香、うっすらと大人びた笑みを口の端に浮かべて碇麗香を見下ろすみそのとは、実に1分間もの長きに渡ってそう見詰め合っていた。麗香は依頼の内容を詳しく洗いざらいみそのに話したばかり。しかしみそのはこうして1分間、微笑んだまま麗香のデスクの前に立って動こうとしていなかった。
「他に何かご存知なのではありませんか? 碇様のことです」
「他に何もわかっていないからあなたたちに取材を頼んでるんでしょう」
「わたくしは目が悪うございます。皆様が目で得られた情報はこうして前もってお聞きしておきたいのです。特に、その噂の犠牲者の死因ですね」
 透き通った声でそう主張されてしまっては、さしもの麗香も嘆息を漏らすしかなかった。
「死因ね。詳しいことは……ちょっと待って」
 言いながら麗香は胸元から携帯を出し、誰かと連絡を取ろうとしていたが――やがて眉をひそめて、携帯をしまった。
「やっぱり駄目ね」
「どちら様にご連絡を?」
「ミイラの解剖に立ち会ったオカルティスト。彼が今まで情報をくれてたんだけれど、最近連絡が取れないのよ」
「……おかるてぃすと」
「ま、平たく言えば怪奇現象の研究家ね。こう言ったらあの人たちは怒るでしょうけど。彼はオカルティストと言うよりは、小説家で名前を売っているわ」
 麗香はオカルティストについて正しく述べることも出来たが、みそのにも理解出来るよう、珍しく気を使ったようだ。「陰秘学」「探求」「真理の追究」といった言葉を用いても話がややこしくなるだけだ。麗香は実はみそのがその道の知識を無意識に吸い込んでいることを知らなかったから、こういった幼稚な説明になってしまった。
「そのお方のお名前は?」
「リチャード・レイよ」
 ちくりと流れを乱すようなその感覚に、みそのはその日初めて微笑みを消した。目は白くぼやけた世界しか映していないが、意識は流れを乱す映像を捉える。
 流れを乱すつま弾きはふたつ。
 灰の髪、灰の眼、灰のスーツを身に纏った男だ。堰き止められた流れの中で、男はみそのをツと見つめ――ぱちん、と弾けて流れに消えた。
 そして、愛しい御神の持つものに似た、狂気と恐怖の黒。しかし、みそのを愛でるあの御神とは違い、その暗黒はあぎとにあたる部位をぐわッと広げて、流れを見守るみそのを食らおうとした。
 ――ぱちん。
 みそのが笑みを失ったのはほぼ一瞬であった。彼女は麗香に礼を言うと、月刊アトラス編集部を後にした。
 向かったのは、都内某所の西欧博物館だ。

■眠り■

 黄昏だ。
 刻限もそうだ。そして大覚寺次郎が抱えている幻覚もそうだ。すっかり黄昏ている。
 こんな黄昏た時に、あまりにも漠然とした依頼を受けてしまったと少しばかり後悔した。博物館前に横たわる警備員らしき男の姿を見て、次郎は即座に踵を返そうしたのだが――やめた。
 あれは幻覚にちがいない。例えこの先、この幻が現実になろうとも、少なくとも今のところは『幻』であるはずだ。
 気づけば次郎は、警備員に呼びとめられていた。これも幻覚なのかもしれないが。疑りつつ、次郎は顎に手をやり似合わない無精髭を撫でてみた。髭は朝方よりも確かに伸びている。これは、現実だ。時間を伴っているものは現実であるはずだ。
「もう閉館するよ。ちょっとあんた聞いてるのかい?」
「あっ……ええ」
 それは真っ赤な嘘だった。次郎はそれまで一切現実の音を聞いてはいなかった。
「月刊アトラス編集部の者です。展示されているミイラについて取材を」
「あんたが?」
 初老の警備員は次郎の頭の頂からつま先まで、しばらく舐めるように見つめていた。どうにも説得に骨が折れそうだったため、次郎は麗香の名刺を差し出した。警備員は、ああ、と生返事をしながら名刺を何度もひっくり返す。
「話は聞いてるよ。他にも二人来たなあ。中のレストランに行ってみて」
「ありがとうございます」
 と、会釈をした途端の出来事だった。
 初老の警備員がばたりと倒れた。次郎には、それが見えた。警備員の倒れた姿は、先ほど次郎が見た幻そのままだった。
 その顔は恐怖に歪み、ねじれていた。これほどひどい形相の死体などは、映画の中、次郎の幻覚以外で、なかなか見る機会もあるまい。
 これが死因か。恐怖と狂気だ。
 しかし黄昏はそれ以上のことを教えてはくれなかった。
 さて、とっとと退散するべきか、それとも仕事を続けるべきか。次郎は博物館の入り口を見上げて、再び死体を見下ろそうとした。
 恐怖で歪んだ死体はそこになかった。次郎が振り返ると、初老の警備員はてくてくと駐車場の方角へと歩いているところだった。
 ――だが、あの恐怖は、いずれ現実になるのだろう。
 次郎はそんな悲観的な思いを抱かずにはいられなかった。
 黄昏は何も警告してくれない。今日の黄昏も、役立たずに終わるのか。
 次郎は博物館に入り、案内に従ってレストランに向かった。


■夜を待て■

 こうして4人の探求者たちは午後6時、西欧博物館のレストランに集結した。
 レストランは(他に客が全くいないという事実も含んだ上で)静かで落ち着いていた。世間でまことしやかに囁かれている呪われた噂とは無縁の安らぎがそこにあった。博物館は午後5時で閉館している。レストランの従業員は、遅すぎる来客に迷惑しているかもしれない。あまりにしょっちゅう従業員が様子を見に来るので、見かねた邦彦は、食器は自分たちで片付けると口約束をしてしまった。
「よく食べるねえ」
 邦彦が思わず感心してしまうほど、みそのはまくまくと食事を平らげている。仕草はしとやかで大人びていた。が、13歳にしては多い量の料理を平気な顔で片付けていた。
「夜に備えなければいけませんから」
「髪が口の中に入ってますよ」
 早々にステーキ定食を片付けた次郎が指摘すると、みそのは微笑みながら料理もろとも咀嚼していた黒髪を、口中より引き出した。
「ところで、レイ様。碇様は、貴方様と連絡がつかないことを心配していらっしゃいましたよ」
「あの人が『心配』ですか」
「わたくしは、そのように見受けましたわ」
「……ああ」
 レイは無髯の顎を撫でた。
「慌てて日本に来たものですから、携帯の充電器を自宅に忘れてきてしまったのです。ひどい方向音痴なので編集部に顔を出すこともままならず……この博物館に着くにも一日がかりでした」
 どうやらこの男、冷静沈着な外見にたがって、意外とそこつ者らしい。彼は顎から手を離すと、持っていた鞄を開けて書類を取り出した。
「ミイラに関する情報をお望みでしたね。こちらをどうぞ」
 それはびっしりと手書きの文字で埋め尽くされたレポートであり、また、新聞記事のスクラップでもあった。……当然、英文だ。しかも達筆な筆記体ときている。
「す、すみません。僕、英文科じゃないので……」
「わたくしは目が悪うございます」
「読めないこともないでしょうが、半年はかかるでしょうね」
 3人の日本人の反応はすこぶる悪かった。
 レイは二度ほど瞬きをした後、特に迷惑そうな素振りも見せず、資料を手元に引き戻した。
「わかりました。かいつまんで説明します」


●ミスカトニック大学考古学科3月広報
イギリスのディーラー考古学博士、ルーマニア・パナト地方の森林地帯にて古城を発見
近日中に調査隊を派遣か
『古城は黒い苔に覆われていたが、保存状態は悪くない』

●デイリー・ジャーナル誌
ルーマニアの遺跡調査始まる
ミイラを大書庫の窓際で発見
触れても組織が崩れることはなく、保存状態は極めて良好
『放置されていたにも関わらずこの状態はほぼ奇跡に近い』――ディーラー博士談

●大英ゴシップ誌 3月4週号
ディーラー博士、研究室にて変死
ヨーロッパ産ミイラの呪いか

●ミスカトニック大学陰秘学科4月広報
『黒い城』の蔵書の中に「エイボンの書」「無銘祭祀書(写し)」「ネクロノミコン(写し)」等発見
城主は「黒き目録」152ページ目記載のパ=ド=ドゥ=ララか
ミイラ胸部の入墨の形状は「イヘェの護符」に酷似

●デイリー・ジャーナル誌
『黒い城』から回収された物品・ミイラの展示始まる
オックスフォード市内神秘博物館にて今月末まで

●オックスフォードタイムス 4月6日付
神秘博物館の警備員2名変死

●オックスフォードタイムス 4月8日付
神秘博物館にて展示中のミイラ、盗難未遂
実行犯と思しき男性2名変死
『ガラスケースは内側から割れていた』

●大英ゴシップ誌 4月1週号
ヨーロッパ産ミイラの呪い猛威を振るう

●デイリー・ジャーナル誌
『黒い城』展、日本の西欧文化博物館にて開催決定


「なんですか、そのパ=ド……って」
 メモをしつつも、邦彦は眉をひそめた。
「魔術師です」
 レイが簡潔に答える。
 あまりに答えが簡潔すぎたので、邦彦・みその・次郎の視線は、レイを見つめたまま動かなかった。
「……15世紀後半、ペストの元凶とされて魔女狩りに遭ったという記録が残されています。『黒い城』の持ち主ではないかという説が有力ですね」
「あのミイラがその魔術師であるという可能性は?」
「高いです。まあ、確定することも難しいでしょうが」
「これまでに変死した方々の死因をお聞かせ願えますか」
 みそのがそう切り出すと、レイは少しだけ戸惑ったような顔色になった。手元のファイルをめくって顎を撫でる。
「ショック死です」
 レイは死体写真のコピーをちらりと見せてきた。尤も、長いこと正視するべきものではないことを自覚していたようで、すぐにファイルにしまったが。
 みそのには、ぼんやりとした灰色の画面しか見えなかった。邦彦はぞっとして、今晩夢に出るのではないかと危惧した。次郎は――その表情に見覚えがあったし、そういった類のものは見慣れているので、大した感想も持たなかった。
 死体の顔は恐怖で歪んでいた。
「なるほど。わかりました」
 手帳に情報を書き留めて、次郎は立ち上がった。
「俺はこれで失礼します」
「だ、大覚寺さん?」
 邦彦は呼び止めてから気がついた。……次郎が正しいのかもしれない。これ以上ここにいる必要はないだろう。そもそもレイが見つかった時点で、麗香からの依頼は無効になったも同然だ。
「俺たちが受けた依頼は、ミイラに関するレポートをまとめることでしょう。これ以上俺たちがやることはありませんよ」
「そうだけど……」
 いまいち釈然としないものがある。次郎の言う通りだ。ここで席を立っても、依頼主の麗香は咎めるまい。記事になりそうなレポートを出せばすむことなのだ。邦彦は当初の望み通り、さっさと家に帰ることが出来る。
 だが、この胸を締めつける靄は?
 たとえば知らない子供が10メートル先で転んでいても、自分には関係のないことだ。次郎は無視できるのかもしれない。だが、邦彦は――
「わたくしは、まだ残ります。人を死なせているのがミイラさんだとしたら、なぜそういったことをなさるのか、尋ねてみたいのです。それに、今回の件は良いお土産話になりましょう」
「だ、誰にするの? こんな怖い話」
 みそのは笑うだけで答えない。
 次郎は3人を残して、ミイラを見ることもないまま博物館を出た。


■殻■

 あのレイという男は、奇妙だった。
 今日の黄昏がそれを感じさせていた。
 次郎は違和感のようなものを感じたのだ。それはたとえるならば、「硫酸」というラベルを貼られた瓶の中に、塩酸が入っていたような……見ただけ、触っただけではわからない、小さな歪みだった。
 しかし自分には関係のない話だ。レイという男とも、もう会うこともあるまい。人間の死という現実と、次郎が見た幻もまた死であった以上、今回の件が穏便には済みそうにないことは明白だ。危険手当を貰っているわけでもなし、次郎は巻き込まれるのはごめんだった。
 幸い帰り道で幻覚や幻聴に襲われることもなく、次郎は無事に自宅に帰りついた。
 深夜0時には、床に入った――はずであった。
 次郎は覚えている。何の変哲もない時計が0時を指した頃、自分は確かに布団をかぶったことを。
 これは幻なのか、現実なのか。それとも幻が次郎を突き動かしたのか、幻が次郎を惑わせたのか。
 午前2時。次郎は西欧博物館の前で横たわり、死の夢を見ていた。
 その夢の夢の中なのか。黒い、翼のようなエイのような影が、博物館を中心にして肥大化し、東京はおろか地球すべてを飲み込む映像を次郎は見た。それでも、自分には関係のないことのような気がする。関係があったところで、この強大な恐怖の影を止めることが出来るだろうか? 無意味で無駄だ。
 尤も、死ぬのはまだごめんだが。


■黒い翼■

「パ=ド=ドゥ=ララ、呪われし者。ヨグ=ソトースが球霊、第五なる、<ドゥルソン>を召還す。されどもかの魔導師、唯一つ印を誤りけり。其は<ドゥルソン>なる霊を束縛せし印なれば、解放されし悪霊<ドゥルソン>、数多の魂を喰らう。魔導師パ=ドゥ、<ドゥルソン>をその身に封じ、償いをせん。球霊<ドゥルソン>、恨みを以ってかの魔導師より、命の刻限を奪わん」
 みそのはミイラの前でとうとうと言葉を紡いだ。レイと邦彦は驚き、みそのの横顔を見つめた。
「それを、どこで?」
「死の夢の中でございましょう」
 みそのは微笑んだ。深淵のような漆黒の瞳は、ミイラを見つめてはいるものの、それを映し出してはいないのだろう。
「『黒き目録』の、パ=ドゥを説明しているくだりです」
 レイは自分と邦彦に説明した。みそのが閲覧も容易に出来ない魔術書の記述を何故そらんじることが出来たのかは――まさに、神のみぞ知る。
「でも……」
 みそのは困ったように形のいい眉をひそめた。
「このミイラさんからは、ヒトの魂の『流れ』を感じませんわ。どれほど集中しても、みえるのは……」
 黒い深淵だ。
 時計は深夜2時を示した。

「みえるのは、黒い翼ばかりです」

ガラスケースは内側から砕けた。
 黒い暗い影がミイラの傷口が飛び出し、探求者たちの前で身構える――そう、身構えたのだ、影だというのに。
≪恐怖を紡げ、我に力を与えよ≫
 黒い影は鳥のようにも見え、守宮のようにも見え、猟犬のようにも見えた。影は刻々と姿を変え、ただのひとときも形をひとつに留めておこうとはしていない。
≪恐怖は――美味だ≫
 みそのは一瞬息を呑んだ。この影は流れを超越している。命、血、果ては時の流れすら持ち合わせてはいない。だが、だからこそ、みそのには影の形や居場所がわかった。この影は、河の流れの中の水泡だ。周囲に流れがあるからこそ、流れを堰き止めるものを認識出来る。
 そしてこの異質さは、みそのが愛してやまないあの御神のものに似通っていた。
≪あの忌まわしき術師は――ふふ、居るようだ。さあ、償いをさせてやろう。我は充分、恐怖を食った。この力、とても我が総てには満たぬが、うぬを殺めるには事足りる≫
「<ドゥルソン>」
 レイは呆然としたように呟いた。一歩、後ずさりもした。影はレイを睨み、くつくつと笑っている。
 全身を立てた剃刀の刃で撫ぜられているかのようだ。邦彦は影から目を逸らしたかったが、それも叶わなかった。ただ、今頃になって、強く抱きかかえていた鞄の存在を思い出した。
 影は翼で這いずり、耳障りな哄笑をあげながら、じりじりと近づいてきた。
 ちりちりと肌を灼くような、恐怖を纏っている。
 ――な、何かない?! 何か、何か何か何か何か……!
 影から目を逸らせないまま、邦彦は後ずさりながら汗みずくになった腕で古びた肩掛け鞄を開いた。
 鞄の中に突っ込んだ手は、何か冷たく固い物を掴み、引っ張り出した。一度ならずとも、こういった状況で何も出てこなかった例がある。そのため邦彦は今回「何か」を掴めたことに安堵した。安堵のおかげか、ようやく目が動いた。
邦彦は、青黒い曲刀の柄を握りしめていた。刃に見たこともない記号(或いは、文字)が刻み込まれている。
「な、なんだこれ?!」
「バルザイの偃月刀か! 有り難いが、何ゆえそなたが持っておる?!」
 不意に、ぎらりとレイの瞳が紫色に光ったのを、邦彦は見た。彼の口調ががらりと変わったのを聴きとることは出来たが、認識することは出来なかった。


■詠唱■

 次郎はむくりと起き上がった。やれやれ。パジャマのままだ。
 ここは外、しかも黄昏どきに訪れた博物館の前ではないか。
「……勘弁してほしいな」
 その愚痴は、裸足で外に出てきてしまったことに対するものなのか、
 はたまた今見ている幻に対するものなのか。
 博物館の窓という窓が内側から開き、出入り口も大音響とともに開け放たれた。中から、黒い影と靄と黴が飛び出してくる。
 その中で――
 海原みそのと言ったか、あの不可思議な黒衣の少女は。
 黒い影の奔流の中で踊る髪。
 光を失った瞳。
 ちいさな手に、曲刀を持っていた。
『カルドゥレク ダルマレイ カダト ――そしてコスの印にて封じるべし』
 ああ、もう大丈夫だ。
 次郎は安堵した。
 これは現実だ。もしくは、いずれ現実になる。

 そう確信したとき、次郎は自宅の布団の中で目を覚ましていた。


■沈む眼■

 みそのはそのとき、邦彦の手から偃月刀を受け取り――
 偃月刀の光に悲鳴を上げた影をみつめ、微笑んだ。小さな唇が、夢見心地で言葉を紡いだ。
 世にもおぞましい断末魔は、博物館の中を疾走した。窓という窓が開き、風が荒れ狂った。邦彦は鳥肌の立った手で耳を塞いだ。その上、自分も悲鳴を上げてみた。だが影の悲鳴は脳に直接届いているかのようだった。あまりにきつく目を閉じたためと、あまりにも異質な恐怖のために、邦彦は涙を流した。無垢な涙は頬を伝う前に、風が拭い取ってしまった。
 ミイラと古びた槍とは、風を浴びてたちまち風化し、砕け散った。荒れ狂う風は、その渇いた破片をもどこかへさらっていった。

 風が止み、影は消えた。

「……まったく、何たる偶然の数々が、ヒトと流れを救うのか」
 邦彦は何を勘違いしたのか――レイの眼は灰色だ。紫色の眼など有り得ないはずだ。しかし、……レイの口調の変化は、邦彦の聞き違いではなかったようだ。
「礼を言おう。儂は魔力を失った。<ドゥルソン>を止めたは、そなたらの力よ」
「あ、あの、レイさん?」
「……女にはしかと報告せい。今宵起きたことを一文違わずな。あの女も満足するだろう。儂は寿命が縮む思いをした。英吉利に戻って寝るとする」
 レイはさきの書類を邦彦に押しつけた。
 みそのはすべてを察しているかのような――いや、察しているのだろう――微笑みを浮かべて、バルザイの偃月刀をレイに差し出した。
「これは、貴方様が持つべきです。これは神を屠る刀。わたくしが振るうことを、神は今宵咎めるでしょう」
「否。その小僧が取り出したものだ。あやつに返せ」
「またお会いできますか、魔術師様」
「己が神に尋ねるがよかろう、巫女」
 灰の男はふわりと微笑んだ。きらりと瞳が紫に光る。
 彼は背を向けて、それきり振り返らなかった。
「ね、ねえ、みその……ちゃん」
「はい?」
 邦彦は英字で埋め尽くされた書類をぎゅうと抱き締めて、こわごわとみそのを見下ろした。
「あ、あのひとは……あのひとは、ひょっとして……」
「レイというお方は、残念ながらもうこの世におりません。遺っているのは、そのお身体と――知識と記録だけでしょう」
 みそのはにっこりと笑みを大きくし、不意に邦彦の鞄を開けた。
 邦彦が慌てても、彼の両手はレイの書類を抱えることで塞がっていた。みそのはバルザイの偃月刀を元あった場所に戻し、邦彦を見上げてまた笑った。
 邦彦はこの書類の山もしまおうかと考えたが、やめておいた。大事な資料だ。この鞄にしまっても、すぐまた取り出せるとは限らない。
 今晩のような偶然が、いつでも起きるとは限らない――当たり前のことだが。

 ファイルの適当なページを開いて、邦彦は少し驚いた。
 『黒い城』調査隊の写真がある。どうやらリチャード・レイは、少なくともこのときまでは生きていたらしい。
 灰色の男は、無愛想な無表情で突っ立っていた。

 そうだ、まずはレストランの食器を片付けなければ。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【 0264 / 内場・邦彦 / 男 / 20 / 大学生】
【 1352 / 大覚寺・次郎 / 男 / 25 / 会社員 】
【 1388 / 海原・みその / 女 / 13 / 深淵の巫女 】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、モロクっちです。
 このたびはご参加ありがとうございました。
 これがOMCでの初仕事となりましたが……
 い、いかがでしたでしょうか。
 これからもこういった感じでクトゥルフ系中心に、
 依頼やゲームノベルを提供していきたいと考えております。
 クトゥルフは登場人物が狂ったりして終わるのが常ですが、
 それはゲームとして……ですので、
 その辺はソフトに処理していきます。ご安心下さい。

 それでは、またご縁がありましたらお会い致しましょう!


■内場邦彦PL様
終始怖がりっぱなしという結果になってしまってすみません。
執筆にあたって、過去の参加依頼も参考にさせていただきました。
今回、ご期待に添えたものになったのであれば幸いです。
ところでこの鞄、ペンなどを入れてしまったらすぐに取り出せるのでしょうか?
それが出来ないならば、実生活ではあまり役に立たな……
す、すみません。