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<PCシナリオノベル(シングル)>


生きている者と死んでいる者

「やっほーピュン・フー君♪」
阿雲紅緒は陽気な呼び掛けに、その青年の前に立った。
「いいもの飲んでるね♪」
相も変わらぬ黒尽くめに浮きまくったピュン・フーは、突如、眼前に顕れた紅緒に動じる事なく、濃い黒に目元を隠す円いサングラスをかけたまま、読んでいた雑誌から目を上げた。
「よぉ、紅緒。今幸せ?」
動揺の欠片もないいつもの問いに、前に据えたアイスコーヒーを勧めるように紅緒の方へ滑らせる。
「勿論幸せだよ?」
即答過ぎて、本意かどうかも分からない…楽しげな笑みに紅緒は遠慮無くストローに口をつけて厚意を一口だけ貰い、ピュン・フーの向かいの席の椅子を引いた。
 燻したようなスチールの黒に天板と座に目を活かした木を使う、素材はシンプルに、背もたれや足の曲線に個性を持たせたテーブルセットに、朝の忙しさと無縁な彼等に、足早に道を急ぐ人が視線を向ける…最も、羨望だけではないが。
 この寒空の下、オープンカフェで男二人、アイスコーヒーを分け合うの図は…何処か薄ら寒い。
「今日は仕事はいいのかな?」
店内のウェイターに向かって片手を上げ、オーダーを呼びながらに問うに、ピュン・フーは円い遮光グラス越しに視線を上げた。
「だって今日俺、オフだもん…そーゆー紅緒は?」
「奇遇な事にボクも今ちょうど時間が空いている」
空いてない日があったのか。
 有閑富豪の朗らかな答えに、ピュン・フーは栞代わりに挟まれていたチケットを雑誌から抜き取って示した。
「暇だったら一緒しねぇ?」
 印刷された濃いブルー。
 無数の気泡、それを遮る影…の片隅に水中から顔を出したアシカが「みんなで来てね♪」と手を振っている。
「水族館……?」
しかもペアチケット。
「そのチケット虚無の境界が回してくれたのかい?」
だとしたら結構お茶目なテロ組織。と、呑気な紅緒にピュン・フーは苦笑する。
「そう、下見に…ってワケねーじゃん、コレは俺の趣味」
指の間に挟んでチケットをヒラヒラと振ってみせるに、「行く?行かない?」ともう一度問うた。
「いや、入手経路なんてどうでもいいんだけれどね♪」
君が僕を誘ってくれたという事実があれば。
 紅緒はその思いをそのまま口にすると嫌がるだろうな、という珍しく気遣ってみる事にし…それでも嬉しい気持ちを隠す事なく、表情に出した。
「ご一緒しよう、可愛い子」
花が綻び開くような笑みが零れる。
 それを目の当たりに、ピュン・フーは一旦動きを止め…大きく息を吐き出して肩を落とした。
「だから、可愛いはねーだろーが、可愛いは…」
気遣いに関係なくダメージは大きかったらしい。
「だいたいそーいった顔は栖ちゃんとやらに見せてやれ。一発でオチるぞ」
「何、ピュン・フー君オチた?」
「オチねーよ…」
会話を続けながら、紅緒が寒そうに首を竦めて店外へ出て来たウェイターにメニューを見ずにそのまま渡すに、ピュン・フーは過去、眼前の麗人が行った全メニューオーダーの荒技を思い出すに懸念が生じたか、それを制するように声をかけた。
「おい、紅緒」
「何になさいますか?」
「彼をひとつ」
さらりと言って紅緒が手で示す…先の黒衣の青年に一瞬目を遣り、ウェイターは伝票を取り上げた。
「473円になります」
「じゃ、テイクアウトで」
「どっから出た値段だよ!?」
会話に割り込んで声を大にしたピュン・フーの至極最もな疑問に、ウェイターはずいと伝票を突き出した。
「アイスコーヒー450円に消費税をおつけしました価格です…お包みしますか?」
「リボンは黒で♪」
「包むな!」
ピュン・フーの主張は最もだった。


 ガンちゃんの趣味は散歩である。
 この水族館のヌシである事を自認するガンちゃん、日課である縄張りの見回りを忘れる日はない…水槽の中の魚達も自分に庇護を求めて住んでる者なのでどんなに美味しそうでも我慢する、そんな男気にも溢れている。
「居ないと思ったらまたガンちゃん、抜け出して…!」
職員がガンちゃんの姿を拝して魚の入ったバケツを取り落とすのに、ガンちゃんは当然とばかりに鷹揚に頷いてみせた…なんと言っても、ガンちゃんは体は黒くて腹は白くて目は赤くて眉は黄色くて足はオレンジだ。
 青くて黒くて肌色い、ニンゲンが思わず崇拝しても仕方がない…そんなガンちゃんは、水族館内で唯一の、孤高のイワトビペンギンである。
 どんな手段を使ってか、毎日ペンギン舎を抜け出しては館内を闊歩し、気の済むまで歩かせないと、つつく、つつく、蹴る!の攻撃に血を見ずに済まない賢く強い、ある意味有名になりつつあるお散歩ペンギンである。
 チケットのモデルに採用されたアシカのマルガリータちゃんに追いつこうかという勢いに、人気は鰻登りだが、邪魔する者は屍を踏み越えて行く決意の凶暴さに、いつ来館者に襲いかからないかと気が気でないのが実情である。
 今まではSPの如くガンちゃんを守るふりで、うっかりその行く手を阻まないように実は来館者を守っていた職員の尽力で事なきを得ていたのだが…。
 散歩の時間を決めて外に出すようにしていた為、最近はしなくなっていた脱走を。
 社会見学の小学生が多数来館している今日という日に。
 ガンちゃんが決行した理由は分からないが、してしまった。
 他職員を呼びに行こうともガンちゃんが目を離すワケにも行かず、にっちもさっちも行かない飼育員、せめてガンちゃんの行く手を阻む者が出ない事を天に祈る…が虚しく、ガンちゃんの前に黒い影が立ち塞がった。
  アイスコーヒー一杯の価格で、別の意味で落とされそうになり、危うい所で自らで支払い済ませて事なきを得たピュン・フーである。
 黒尽くめにアヤシイ風体のピュン・フーをガンちゃんは下から掬い上げるように見上げ、鮮やかな黄色の眉の下に燃える瞳でガンをつけた…喧嘩の基本である。そしてガンちゃんの厚意でもある…これで退くなら許してやろう、そんな解りにくい優しさも、ガンちゃんはちゃんと持っている。
 なんだか妙なニンゲンだが、ガンちゃんの方が勝っている。だって黒くて白くしかない。
 ガンちゃんは更に黄色くて赤くてオレンジだ。
 何が勝敗の基準かは、余人に掴みにくいが、ガンちゃんは自信満々だった。
 ピュン・フーは屋内でも顔に乗せたままの円いサングラス越しにその尊大なペンギンを見下ろし指で示す。
「おい、紅緒見ろよホラ。パンフに載ってたイワトビペンギンってこいつだろ」
「あぁ、ガンちゃんだね。お散歩の時間には少し早いんじゃないかな?」
売店で買った亀のぬいぐるみ…甲羅の上でちょこんとリボンの結ばれたご贈答仕様、を小脇に抱えた紅緒は、ピュン・フーの視線がぬいぐるみに向くに声色を作った。
「タイマイくんですよろしくー♪」
黒と黄に不規則な細班のあるひれを振る…にも、固定されているのでそれらしく体全体を揺らして挨拶に変える。
 よろしくされてしまったピュン・フーは首を傾げる。
「栖ちゃんとやらに土産?」
ううん、と紅緒は首を横に振る。
「ピュン・フー君がどんなラッピングにされるか見てみたかったのに…」
残念そうな紅緒…テイクアウトを却下された為、まだ諦めきれなさをぬいぐるみに向けてみた。ちなみに税込み3150円。
 ピュン・フーより高価い。
「そんな両生類と同格にするなよ」
「いや、爬虫類だし」
にっこりと若人のアヤマチを訂正し、更につけ加える。
「そーだね…今日の記念に、君にはピュン・フーと名付けよう♪」
「それを栖ちゃんとやらにやるつもりか?やめろって!」
 ガンちゃんの足を止めたまま、二人のニンゲンは和やかに話し込むのに、忘れられた…というか自己主張しようにも二人の視界に入れないガンちゃんは紅緒を見て、内心に冷や汗をかいていた。
 灰色で白くて黄色くて赤くて黒い…ちょっと、苦戦するかも知れない。
「喜ぶと思うんだけどな。ホラ、ガンちゃんにもよろしくー」
しゃがみ込んで、硬直するガンちゃんの前でタイマイのぬいぐるみの鼻先とガンちゃんの嘴とを付き合わせる紅緒。
 けれど、ガンちゃんは衝撃にそれ所ではなかった。
 タイマイの背に結ばれたリボンが…ピンク!
 ガンちゃんは、出来ていたならニヒルに笑ったろう。ぺったぺったと後退し、道を譲る…引き際を弁えたガンちゃん、男である。
 ピュン・フーと紅緒はそんなガンちゃんの心意気を知らぬまま、順路に沿って歩き始めるに…ガンちゃんの多分肩、あたりに一部始終を見ていた飼育員が手を置いた。
「ガンちゃん…」
慰めてくれるな。
 ガンちゃんはその手を払うようにまた、縄張りの見回りを始めた…哀愁漂う背、ガンちゃん1歳8ヶ月にして。
 初めて知った敗北の味であった。


「うわ、もしかしてガンちゃん凶暴なんじゃねー?」
入館の際に渡されたパンフレット、イベントの項目に目を通していたピュン・フーは赤字で『ガンちゃんの進路を妨げないで下さい。つつかれます』と注意書きがあるのに今更ながら気付く。
「気性の優しそうないい子だったけどね」
何も知らない紅緒が…否、何も知らないからこその印象を述べるに、「ご機嫌だったのかもなー」と、こちらも無責任に受ける。
「しかし、水族館も色んなイベントやってんだな。そうでもしねーと客が集まらねーかね」
妙な心配をしてみているピュン・フーに紅緒は笑った。
「上野動物園のうおのぞきから考えれば、随分進歩したものだと思うけどね」
それは明治15年に日本で水族館の先駆けとなった初めての施設である。
「次に見たのが、大日本水産博覧会の水族館でね。あの時は海底の風景がパノラマで描いてあって…それが今は実際の魚を使ってしまうんだから、人は、本当に目まぐるしく変わって行くね」
常に何かに飢えたように、次へ、次へと新しい何かを求めて闇雲に進んで行く様を、長く見つめ続けて来た深紅の瞳が愛しげに細められて、大水槽の硝子に触れた。
「水族館は嫌いじゃないんだ、なんとなく、死の匂いが漂っている気がする。ボクの主観だけどね」
青に透過された光線が、魚影が過ぎる影を揺らめかせる。
「…ピュン・フー君はどうなのかな、水族館は?」
紅緒の笑みに乗せられた問いに、ピュン・フーは肩を竦めて視線を紅緒の手の向こうへ向けた。
 奥深く広がる水槽の中…閉じられた空間は岩を模し、水を満たし、生命を維持に満たされる酸素がコポと気泡となって天へ昇る。
「生と死とを決定的に分ける要素ってなんだと思う?」
指が水槽を叩く…波紋を生みそうな錯覚を覚えるが、それは固い音を立てるのみだ。
「今まで空気ン中で生きてたのが、この水ん中でしか生きれねぇヤツらみたいに変わっちまう…いきなりあっち側のモンになっちまうのって乱暴なシステムだと思わねぇ?」
下から見上げれば、水面が光を弾いてきらめく様が見て取れ、それを見上げるピュン・フーの顔に波紋の影が揺れた。
「けど、『虚無の境界』のヤツってそれを得るのが『幸せ』らしい」
微かに笑みを刻んだ横顔が、続ける。
「紅緒は、今幸せ?」
 青い水に満たされた空間、其処を優美に全身を使って周遊する魚の群れ…だが、その水に満たされた世界は地上を生きる者にとっては死の世界と言える…紅緒が死の匂いが漂うという、この場で。
「どうだろうね…誰もが必ずひとつは持ってるそれがない、のは僕には寂しい事だけど」
果ての見えない長命、区切りなく続く生、朝露の儚さに喩えられる…輝きはどれだけ望んでも掴む事すら出来ずに。
「きれいだと思うよ、生も、死もね」
「…やっぱ謎の人は一味違う」
くつくつと喉の奥に笑い、水槽の硝子の背を預けコートのポケットに両手を入れる。
 僅かに伏せた横顔に楽しげな表情を見せ、その円い遮光グラスの脇から覗く真紅に、紅緒は不意にそのサングラスを取り上げた。
「何だよ?」
身長差に見上げる真紅に微笑みかける。
「こないだはキミの眼を見られなかったんで、今日はじっくり見ておこうかな」
ピュン・フーの顔の横の硝子に肘をつき、体重を支える。
「まあ、人相読みが出来るほどじゃないけど…目は口ほどにものを言う…ってね」
「変なヤツだな…口で言う以上の何が知りたいってんだよ?」
「君の全てが♪」
「馬っ鹿みてー」
軽口めいた応酬に、堪えきれない笑いに顔を逸らしたピュン・フーの頬に手を寄せて、紅緒は正面を向かせる。
「いいから黙って」
向けられた微笑み吐息のような小さな声に「しゃーねーから付き合ってやるか」の意を込め、ピュン・フーは楽しげな色を浮かべたまま、紅緒の目を見上げた。
 同じ色合いの眼差しでも生を見つめる深さに濃い紅と、死に翳る暗さに色を増した紅とに色を違え…けれど、両者共に人の持つ瞳でないその一点だけに共通を持って至近に交わる視線の紅さ。
 …不意にピュン・フーの手両手迅雷の速さで動いて紅緒の肩を掴んだ。
「てめー、それ以上顔寄せんな!」
「いや、だってそんな見つめられたらキスしちゃうじゃない?ねぇ?」
本来の目的を見失ってもみ合う両者の後ろ、主としての誇りに赤い眼光に少し弱者の立場を知った優しさを混じらせて、短い足で巡るには広くて長い見回りを終えたガンちゃんが、お供を引き連れてぺったぺったと歩いていった。