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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


悩める誓願夜想曲(ノクターン)

「人事って、簡単に言うわけにはいきませんからねぇ。いえ、私も一応、これでも聖職者ですから……それに後輩が今ちょっと、」
「……長話はやめて頂戴、ユリウスさん。私は今忙しいのよ……あのバカ三下がまだ原稿を上げてくれないものだから」
 紅茶を優雅に、一口、二口とするユリウスの向こう側に、慌てて原稿を書き殴る三下の姿を見つけ。
 碇は深い――深い溜息をついていた。
「ったく……」
 この前の事件だって、まだ記事にできてない、って言うのに……。
「用が無いなら帰って頂きますけれど」
 考えれば考えるほど、イライラは募り来る。
 椅子の背もたれに体重を任せながら、碇はふぅ、と、大きく1つ息をついた。
「いえ、用事はありますよ。あー、でも、碇さんの入れる紅茶って美味しいですね。何かコツでもおありで――」
「やっぱり帰ってもらおうかしら」
「……まぁまぁ、そんな冷たい事は仰らないで下さいよ」
 そろそろ怒りも頂点に達しようとしている碇の言葉に、ユリウスは軽く微笑んでみせる。
 そうしてティーカップを近くにあった机の上に置くと、ようやく、懐から1枚の写真を引っ張り出した。
「これは?」
 ――そこには、ごく普通の、ロザリオが写り込んでいるのみであった。
「えぇと、十字架とセンターメダイは銀製で、天使祝詞の石は……えぇと、日本ではメートル単位を使うんでしたから、6ミリのローズクォーツ、あと、結びの4ミリ玉はブルームーンストーン、それから、8ミリ玉は全てムーンストーンでできている――見ての通り、ロザリオですか」
「誰がそういう趣旨で聞いたのよ! やっぱり帰ってもらおうかしら?!」
「……あら、違いました?」
「……もう良い……で、それがどーしたのよ」
 碇はその写真を、無造作にユリウスから取り上げて見つめてはみるが、やはり、何の変哲も無いロザリオにしか見てとることはできない。
 もう何かを諦めたかのように、ぶつぶつ何かを言っている碇に、
「それ、実はかなり昔のロザリオで、当時としてはかなり高級なものなんですけれども……えぇと、とある修道院のシスターの物だったそうなんですね。で、ワケあって私の所に渡ってきたんですけれど、その」
 手元にもう1度、ティーカップを引き寄せながら、ユリウスは一瞬、言葉を濁してしまう。
 だが、
「その修道女って言うのは、終生誓願、まぁ、つまりはずっとシスターとして神にお仕えします、っていう誓いのすぐ後に、亡くなってしまったんですね。それだけなら良いんですけど、彼女は実は……」
 碇が紅茶を一口するユリウスに、視線を移す。
「彼女は、とある良い所のご子息に、恋をしていたらしいんですね。それで彼女に、ちょっと話を聞いてみたんですけれど、どーも帰天できない、って夜な夜な泣くんですよ。それで私、最近睡眠不足でしてね。それでどーにかしてほしくて」
「……自分で払えば良いじゃない。原因はロザリオ(コレ)なんでしょ?」
「まぁ、そうなんですけどね……。どちらかと言うと、やっぱり自分の意思で帰天させてあげたいじゃないですか。それでどなたか良い人はいないものかと思って来たんですよ。いけませんでした?」
「いや、いけませんでした?って……」
 ……やっぱり変な人だわ、この人――。
 本気で心配そうに問うユリウスに、碇は思わず、目を細めてしまうのであった。



† プレリュード †

「面白そうな話ですね? ――と、自己紹介がまだでしたか。俺は斎 悠也(いつき ゆうや)と申します。いつもいとこの瑠璃花が、お世話になっております」
 突然、ユリウスの後ろに現れた気配があった。
 ユリウスは振り返るなり、慌てて立ち上がり、どうもどうもと頭を下げる。
 ――そこに、立っていたのは。
 年の頃なら20代前半、といった所だろうか。漆黒の髪に、金の瞳がどこかミスマッチな、白い肌の美しい、1人の美青年であった。
「碇さん、今日は瑠璃花の代わりに、あいつのレポートを届けに来ました」
「ああ、わざわざごめんなさいね、斎さん。瑠璃花ちゃんも、きちんとしてるんだから……1日2日くらい、遅れても良いって言ってあったのに」
 言葉とは裏腹に嬉しそうに微笑むと、碇は受取った桃色の封筒を、手近な机に大切そうに置き添えた。
 その間にも、少しばかり話を立ち聞きしていた斎とユリウスの会話が始められている。
「随分と綺麗なロザリオなんですね」
「はあ、でも、夜な夜な泣かれますと……ねえ、」
「いえ――ですが、たとえ幽霊とは雖(いえど)も、女性の方を泣かせておくことは忍びありませんからね……そうですね、今回の件は、お手伝いさせていただいても宜しかったでしょうか」
 写真を手に取るなり、寂し気に微笑んだ斎の姿に、
「……相変わらずだね。まさか、悠也がここにいるとは思わなかった」
 突如として、かけられた声があった。
 だが、悠也はあわてる事も無く、ゆっくりと、振り返る。
 ――聞き覚えのある声だった。
「おや、あなたこそ……どうしたんですか? こんな所にいらっしゃるだなんて」
「編集部に、忘れ物しちゃって……取りに来たら、キミが、」
 目の前に立つその少女は、齢18の、悠也の良く見知った女子高生であった。長く青みがかったやわらかな銀髪に、深い光を灯した緑の瞳。毅然とした美しい顔立ちに、白い肌がとても似つかわしかった。
 けれども、悪戯に笑っているその微笑は、とても愛らしいもので、
「私も実は、そこから話を聞いていたんですけれど。確か、ユリウスさん、でしたっけ」
「ええ、始めまして。私、ユリウス・アレッサンドロと申します」
「私は光月 羽澄(こうづき はずみ)です。こちらこそ、はじめまして」
 丁寧に頭を下げると、羽澄は手近な椅子を引き出し、そこに腰掛ける。
 そのまま悠也から写真をひったくると、少々難しい顔で、そのロザリオを、覗き込んだ。
「――なるほど、ね。ちょっと、面白そうじゃない」



† 第1楽章 †

「おかえりなさいませ、猊下」
「ええ、ただいま帰りましたよ、シスター。お留守番、お疲れ様でした」
 聖堂の扉を開けるなり声をあげたのは、1人のシスターであった。
 彼女はユリウスの後ろに2人の人影を確認すると、さらに丁寧に頭を下げる。
「どうも、はじめまして。私は星月 麗花(ほしづく れいか)と申します」
「私は光月 羽澄です。どうも、はじめまして」
「俺は斎 悠也と申します――お会いできて、光栄に思います」
 悠也は立ち止まるなり、ふと、麗花に向かって何かを差し出した。
 愛らしい包装紙にリボン。刹那、聖堂内に甘い花の香りが生まれていた――ミニブーケー。
 先ほど1度解散した後に買って来たそれを、丁寧に手渡しながら、
「お近づきの印に、と思いまして」
「あ、ありがとうございます――」
「悠也、キミ、この辺の事は予め調べておいたんでしょ? 全く、気が抜けないってゆーか……。駄目ですよ、星月さん。コイツ、ホストなんかやってて、女を口説くのがすっごく上手――」
「折角の女性との出会いを無駄にしてはなりませんよ。どうぞ、宜しくお願い致します」
 呆れる羽澄の横で、悠也は麗花に向かって、丁寧に頭を下げた。
 そのまま突然の事にか、呆然と立ち尽くす麗花の横を通り過ぎ、先を行っていたユリウスの後に続く。
 そうして、
「ロザリオはこれです。どうぞ、お好きなように見て下さって構いません――呼べば彼女も出てくると思います。Pronto<もしもし>? シスター?」
 棚の上から取り出したロザリオケースを開きながら、ユリウスは早速、手元に向かって問いかけた。
 その、途端。
 す……と、白いもやのようなものが、ケースの中から細く、流れ出てき始めていた。
 それは見る見る内に人の形を取ってゆき、
「あら――」
 羽澄は思わず、声を上げていた。目の前に現れたのは、まだ若い、修道服に身を包んだ――蒼い瞳の、1人の女性であった。
 これが、噂のシスター?
(猊下……何か御用ですの……?)
「いえ、今日は人を連れてきたんですよ。あなたと、お話がしたいそうです」
 ユリウスに言われ、慌ててシスターは、羽澄と悠也の方へと視線をめぐらせた。
 そのまま、言葉を失ってしまう。
 俯いてしまったシスターに、
「こんばんは、はじめまして。私は光月 羽澄です。宜しければ、お名前の方を教えてもらえませんか?」
 羽澄が、まずは丁寧に声をかけた。
 下からシスターを覗き込む羽澄の真っ直ぐな視線に、彼女は多少、戸惑いの感情を覚えてしまう。
 それでも、
(ヨハンナと申します)
「ヨハンナさん、ですか。素敵なお名前ですね」
 間髪入れず言葉を発したのは、無論、羽澄の横で事の流れを見守っていた、悠也であった。
 少々むっとした表情で睨みつけてくる羽澄に微笑みかけた後、
「折角ですから、まずはお茶にしませんか? ゆっくりお話しましょう」
 続けながら、悠也は懐に手を入れる。
(お、茶、ですの?)
 そんなもの、私(わたくし)、できませんでしてよ……?
 無論、ヨハンナは霊体だ。肉体が無い以上、飲む事も食べる事も、場合によっては、他人に話を聞かせる事も、姿を見せる事すらもできるはずがない――。
 だが。
 続けようとしたヨハンナの言葉は、だが、次の瞬間暗転した意識に、紡がれる事を、許されはしなかった。
 ……あ、あれ――?

 ――懐から取り出したのは、1枚の和紙であった。
 人の形を模った、純白の、和紙。
 悠也は1息の後に、落ち着いた心で、その人型に、息を吹きかけ――そうして、空(ちゅう)へと向かって手を、離した。
 その、刹那の事であった。
 ヨハンナの霊体がその紙に吸収されたと思うや否や、気がつけば目の前に、彼女が現れて≠「たのは。

「流石」
 簡単な拍手と共に、羽澄が呟きを洩らした。
 悠也は一礼すると、早速、先ほどとは打って変わって、床へと座り込んでしまっているシスターへと、手を差し伸べる。
「大丈夫です、触れられるはずです――久々の5感は、なかなかに強烈かもしれませんね。けれども大丈夫です。すぐに、慣れます」
「あ、あの、私……」
 冷たい床にへたり込みながら、ヨハンナは微笑む悠也の瞳を見上げていた。
 ――床が、冷たい。
 体が、重い。
 先ほどまでは全く感じられなかった感覚に、目眩が、する。
 ああ、私……
「さあ、早速お茶にしましょう? 込み入った話は、ゆっくりとした方が良いですからね――それから、ヨハンナさんにもこれを。つたないものですが、お近づきの印、です」
 思い出したかのように、悠也はどこからともなくブーケーを取り出すと、やわらかな微笑みと共に、ヨハンナに向かってそれを差し出していたのだった。
 


† 第2楽章 †

 夜。
 本日営業終了≠フ聖堂に陣取って、5人はテーブルを囲んでいた。
「師匠、お茶持ってきました〜。ええと、5人分で良かったんですよね?」
「おや、君は一緒にお話しないんですか? 折角の機会ですし、」
「すみません、僕はちょっと、先日の依頼の後始末が忙しくて――」
 突然奥の方から現れた青年神父が、ユリウスに目礼しながら、5人に紅茶を配って歩く。
 紅茶独特の香りにほんのり混じるのは、林檎の香り――林檎紅茶(アップルティー)だった。
 羽澄は神父から紅茶を受取るなり、颯爽と話を切り出すことにする。
 テーブルの上には、所狭しとお菓子が並べられていた。羽澄が調理実習で作ってきたクッキーに、悠也が持参してきた愛らしいお菓子。そうして、教会の方から、どうしてこんなにごっそりと出てくるのか、大量に持ってこられた市販のお菓子など、内容も様々であった。
 その中から、悠也の持ってきたシュークリームを手に取りながら、
「早速ですけど……でしたらどうして、誓いを立てたんですか?」
 なかなかダイレクトな問いかけだけど……これを聞かないと話にならないのよね。
 シュークリームの中の苺の香りが、辺りにふんわりと漂っていた。
 さらにもう1口し、ヨハンナの答えを、待つ。
 ――言わずもがな、ヨハンナの好きだったという男の魂を呼ぶ事は、到底不可能な事であった。
 例え悠也の力を使ったとしても……果して、どうなる事か……。
 黙りこみ、始まるであろう話に耳を傾けようとする悠也に視線をちらりと流すと、羽澄は小さく、溜息をついていた。
 そうしてようやく、先ほどの神父が奥に引っ込み、ユリウスが振り返ったところで。
 颯爽と紅茶を口にしていたヨハンナが、ふ、と、顔を上げる。
「逃げた、んですよ」
 自嘲の笑みと共に、ソーサーに、カップを置いた。
 久しぶりの、甘い紅茶。もう幾世紀も前の話に――なかなか、実感が、湧かない。
 けれど。
「私は逃げたんです。そうすればエンリコ、あなたの事を少しでも忘れられると、そう、思っていたんです」
 溜息混じりに呟けば、思い出されるのは、過去の事ばかりで。
 ……心優しいエンリコ。あなたはそのご身分にも関わらず、自分で入れた紅茶を……私の手に、渡して下さった。
 檸檬の甘酸っぱい香りに、あなたは他愛の無いお話を、聞かせて下さった。
 それももう、遠い過去の事だと、そう言うのですね。
 エンリコ、
「彼に婚約者がいる事も知っていました。事実、彼女と私とは、仲も良かったのでございます――3人で良くお外にも出かけましたわ。私は立場上、院の外に出ることは可能でしたの。今思えば、不真面目なシスターですことね」
 いよいよあなたの笑顔に耐えられなくなって、丁度その時向かえたのが、有期誓願の終わりでした。
 これが最後、これが最後と言い聞かせ、3人で、紅茶の甘い香りを嗜んだあの日の事、私は決して、忘れません。
 それから――駆け込むようにして終生誓願を立てて――死ぬまで一歩も、院の外には出ませんでしたのよ……エンリコ、ヴィクトワール。
 あなたがた2人の幸せは、心から望んでおりました。
「神を愛する事で、彼を忘れたかった……後悔はしておりません。ですが、」
 気持ちとは裏腹に、この地に縛られる。
 2人の幸せを祈る為に唱えたロザリオ。その祈りの強さだけ、この場所を、離れる事ができない。
「ですが――」
 ごめんなさい、いつまで経っても身勝手で。わかっているつもりでも、全くわかっておりませんの。私、もう、本当は、
「本当は……どうすれば良いのか、わからなかったんです――」
 祈るようにして、瞳を、閉ざす。
 蘇る様々な思い出に心を委ねれば、けれども胸の詰まるような想いに、息が、苦しくなる。
 ねえ、
 私のこの選択は、果して間違っていたと言うのでしょうか。
 それとも、
「いけませんことね、本当。全く、死んでからもこんなに他人に迷惑かけてしまって……修道女としてはあるまじき、ですわね……ね、麗花さん?」
「え……あ、いえ、べ、別にそうとは……思いませんけれど……」
 突然振られた話に、麗花は素直に驚いていた。
 ……思わず、じっと聞き入ってしまっていた。
 胸の前で組んでいた両の手を、慌てて紅茶の方へと伸ばし、
「そんな事ありませんよ、ね、猊下?」
「いや、それにしても美味しいですよ、羽澄さん。このクッキー、調理実習で作ったんですって? それにしては、素晴らしいお味ですね……いやぁ、本当、参りました。悠也さんもこれ、とっても美味しいです。形も可愛いですしね、程よい甘さがこう、何と申しますか、」
「あの、猊下」
 ヨハンナの真面目な話の一方で、羽澄と悠也の持参した手作りのお菓子をむさぼっていたユリウスが、あまりにも場外れな発言で、周りに笑顔を振りまいている。
 苦笑して適当に流す羽澄と悠也の目の前で、唯一ユリウスを叱咤するのは、麗花のみであった。
「猊下、人のお話はきちんと……」
「あ、はいはい、聞いていますよ? いえでもほら、他人の恋人に――ぃっ?!」
 やおら口を開くなり、なにやらデリカシーの無い理論を並べ始めた枢機卿の足を、見えない所で思い切り蹴飛ばしてやる。
 ああ、猊下(この男)に聞いた私が馬鹿だった。
「斎さんは、そう思いますよね?」
「ええ、そうですよ、ヨハンナさん。あなたはきっと、間違ってなんか、いません」
 横で涙を浮かべるユリウスに、手元の熱い紅茶をかけてやりたい衝動を堪えながら、麗花は慌てて、悠也に向かって話を振っていた。
 悠也は悩まし気についていた頬杖をとき、ヨハンナへと向けてやわらかな視線を送る。
 陽だまりのように、暖かく微笑みかけ、
「愛は、難しいものですよ。どんな制約があっても、愛してしまう時には、愛してしまうものなんです――自分でどうにかできるものであれば、この世の誰も、愛について、悩んだりなんかしません」
「悠也……キミが愛について語るだなんて、私、なんだかとっても違和――」
「けれども、ね、」
 横から茶々を入れる羽澄を無言のままに制して、悠也は長椅子に腰掛けなおす。
 静まり返った聖堂の中、軽く1つ、息を吐き、
「呼ばれているんですよ、ヨハンナさんは。きっと、神様があなたに恋をなさったのでしょう――ね、」
 あまりにも意外な言葉に、ヨハンナは蒼い瞳を見開いた。
 それでもなおも、悠也は言葉を続ける。
「早く来て欲しいのに、あなたがその方のことを想って残っていらっしゃるものですから……もしかしたら、地団駄を踏んでいらっしゃるかもしれませんよ? 神様も、あなたと同じです。あなたの事を諦める事ができなくて、ずっとあなたを、想って、いらっしゃる」
 言葉合間の程よい感覚。巧みな言葉に、聖堂内の沈黙は、更に、更に深くなってゆく。
 今にも泣き出しそうな瞳に、ヨハンナが慌てて、修道服の袖をあてた。
 ……まさか。
 そんな言葉をかけられるとは、全くもって、考えてもいなかった。
 ずっと、いけないのではないかと、そうとばかり、思っていた。
 終生誓願の中にも、そうしてこの想いの中にも、中途半端に残る後悔に、抱える矛盾に、どうすれば良いのか、わからなくなっていた。
 何が正しくて、何が間違っているのか。
 考えても考えても、行き止まりばかりであった――確かに、確かに悠也の言葉を、そのまんま素直に受け入れる事は、できないのだけれど。
 悠也のたった、一言で。
「ありがとうございます――」
 幾ばかりかの束縛が、するりするりと、解けてゆく。
 ヨハンナを縛り付けていたこの世の未練(いと)が、少しでも緩まってゆくのを、感じていた。
 心の中に、一筋の光。
 すかさず羽澄が、口を開いた。
「そうだ、今から遊びに行きましょう! 昔の事は良くわからないけど、今と昔だったらかなり街並みも違うはず――かなり楽しめるんじゃない?」
「それは名案ですね。ヨハンナさん、これからしばし、デートなどいかがでしょう? よろしければお相手させて下さい――現代の夜景は綺麗でしてね。光の海を見つめながら、紅茶などいかがでしょう。良い場所を、知っているんですよ」
 身を乗り出す羽澄。微笑を深くする悠也。
 やがてヨハンナは、小さく、だがしっかりと、縦に首を振っていた。



† 第3楽章 †

 3人で、様々な場所へと、遊びに行った。
 デパートに、夜の公園。映画を見て、ナンパ男を追い払い――
 そうして。
 最後の、到達地点。
「驚きましたわ。世界は、これだけ変わってしまっていたんですね」
 カフェラ・トゥール
 つい最近リニューアルオープンした東京タワー大展望台1階にあるカフェテラスからは、夜の大都市の街並みが、心落ち着くまで一望できてしまう。
 ゆったりとした音楽の流れる中、注文した紅茶を飲みながら、ヨハンナは小声で小さく呟きを洩らしていた。
 本当に、
「本当に驚きました――」
 まるで、鮮明な夢から、はたと目を、覚ましたその瞬間であるかのような心地であった。
 昔はあれだけ暗かった宵闇。きららに輝く星を愛でながら、3人で語り合ったあの時はもう遠い過去なのだと、言われなくとも突きつけられてしまう、事実。
 それでも、
 決して悪い気分はしなかった。
 賑やかな都会に、人々の営みを、生活を……命を、感じたような気がして。
「不思議なものも、沢山見させて頂きましたわ。えべれーたーですとか、えすかれいたぁ、ですとか、何でしたっけ、良くわからないものもありましたけれど」
「エレベーターに、エスカレーター、です」
 悠也におごらせたパフェをつつきながら、羽澄が訂正をしてよこす。
 ヨハンナは思わず苦笑しながら、そうでしたわね、と軽くつけたし、真横にはめ込まれた、大きな硝子の向こう側へと視線をやった。
 大きな窓の向こうには、文字通り、光の海がある。
 そういえば、あの枢機卿に聞いた話によれば、ここはヨハンナの生まれた土地からは、遠く離れた場所に位置しているのだと言う。
 コウヅキに、イツキ。確かにあまり、聞きなれない音の名前では、ある。
 そう。
 遠く、遠く、離れた――。
「やっぱり、綺麗ですね。夜景は――」
「そうだね。ここは静かだし、本当に、良い場所(ところ)……」
「おや、どうやらあなたにも、そんな乙女染みた部分があったみたいですね」
「――後でどうなっても知らないんだからね、悠也」
 エンリコ、ヴィクトワール。
 私は遠く離れたこの地で、いいえ、時間さえこんなにも遠く離れたこの地で、
「本当に、ありがとうございました」
 私今は、不思議な時間を、享受しています。
 ねえ、正直。
「なんだか、今なら行けそうな気がします」
 あなた方の事を、疎んだ事が無いわけじゃあありませんの。
 そうしてそんな自分が嫌になる事だって、無かったわけじゃない。
 けれど、
「それは、良かった」
 久々にこうしてね、悩みを忘れて、はしゃいで歩いたら。
 少しは気が、楽になりましてよ。
 だから、今なら、
「ええ、本当に良かったですね、ヨハンナさん」
 全ての悩みが晴れたわけじゃあなくとも、行くべき場所へ、帰れるような気がする。
 解けた未練の糸を、置き去りにして。
 きっと、行けるわ――主の御許(みもと)へ……そうして、あなた方の、元へ。
 泣き笑いのような表情でお礼を述べたシスターに向かって、2人も丁寧に言葉を返す。
 羽澄と悠也は顔を見合わせ、2人一緒に微笑みあった。
 ――これなれば、
 きっと、大丈夫。
「私の方も、今日は楽しかったです」
 悠也に沢山、おごらせる事もできたしね。
「まぁ、少々邪魔者がいたような気もしますが、あなたとのデート、とても、楽しかったですよ、ヨハンナさん」
 それに、これで少しでも楽しんでいただけたのなれば、俺としても、本望ですからね――。

 ここからの夜景は、本当に素晴らしくて。
 まるで夢の世界を、眺めているかのよう。
 ……全てが全て、夢心地の今日でした。
 ええ、本当に――
 本当に、

「さて、それじゃあ、そろそろ帰りましょうか……って、あ、あなた、いつの間にパフェ追加してたんですか」
「いいじゃない、別に。キミ、お金には困ってないでしょ?」
 伝票を見るなり苦笑した悠也のわき腹を小突いて、羽澄は悪戯に微笑んだ。
 ヨハンナは、そんな2人の事を、やわらかく、見守りながら。
 ……ねぇ、2人とも。
 向こうで会えたら――そう、あの時のように。
 こんな風に、3人で又、一緒に遊べたらきっと、私、
「本当に、楽しそうですわね」
「「誰がっ?!」」
 屈託無く微笑むヨハンナの言葉に、羽澄と悠也はもの見事に声をハモらせたのであった。



† 第4楽章 †

「お別れ、になるんですね」
 既に眠っていたはずの麗花も、だが、最後の――否、最期の別れの時だけあってか、ネグリジェ姿のままで、聖堂に姿を現していた。
 短い間ではあったが、今日まで麗花とヨハンナの間にも、交流が無かったわけではない。
 別れは、辛い――。
「ええ、ホシヅクさんも、本当にありがとうございました」
 本当は麗花も一緒に出かけられれば良かったのだが、霊媒体質の彼女にとっては、夜に出歩く、という事は、あまり好ましい事ではない上に、教会関係の雑務も、怠慢な上司(ユリウス)の所為でまだ残ってしまっていたのだ。
「コウヅキさん、クッキー、美味しかったです」
「悠也に教えてもらったから……コイツ、お菓子作りに関してはプロ並なんですよ」
「イツキさんも、本当にありがとうございました。ブーケーも、お菓子も美味しかったですし……」
「いえ――俺もあなたに出会えて、本当に、良かったです」
 悠也はそのまま跪くと、ヨハンナの手の甲に厳粛なるキスを贈る。
 そのまま、顔を真っ赤に染め上げたシスターに向かって微笑みかけると、羽澄の蹴りを軽くかわして優雅に立ち上がる。
 ――と、
 席をはずしていたユリウスが、突然ドアを開けて、聖堂へと戻ってきた。
「ごめんなさいね、ヨハンナさん。彼の事、思わず無理やり寝かしつけてきちゃいました――どうやら相当疲れているようでしてね。空になった栄養ドリンクが4、5本部屋に落ちているだなんて、尋常じゃあありませんし……」
「いえ、そんな」
 どうやら先ほど、2人がちらりと見かけただけの、あの神父の話をしているらしい。
 ユリウスは、ヨハンナの目の前まで歩み寄ると、そっとその肩に、手を置いた。
「けれども、伝言です。Buon viaggio<どうか良い旅を>、だそうですよ。それから、これは私から――つたない言葉ですが、向こうでも頑張って下さいね」
「ありがとうございます、猊下……それから、どうか彼にも、ありがとうございましたとお伝え下さいまし」
「ええ、わかっていますよ」
 同じ色の瞳に目礼すると、一歩、身を引く。
 思わず麗花が、足を踏み出していた。
「――シスター……!」
「羽澄、」
「わかってる」
 麗花の声を合図にしたかのようにして、悠也は横に立つ羽澄の背を、ぽん、と軽く、叩いてやる。
 そうして。
 軽く頷き、大きく息を吸い込んだ少女の口から、麗しき旋律が流れ始めたのは、もう間もなくの、事であった。
「♪――Requiem aeternam dona eis Domine...<主よ、永遠のやすらぎを彼らに与え給え……>♪」



† ポストリュード †

「素晴らしい歌でしたよ、本当……」
 ヨハンナのいなくなった聖堂。羽澄の歌の余韻に漂っていた沈黙を打ち破ったのは、ユリウスの1言であった。
 ……それも、そのはず。
「いえ、そんな」
 はずはあるだろう。
 何せ、今人気の歌手lirva(リルバ)――ただし、プロフィールは全非公開だったが――の正体こそが、光月 羽澄なのだから。
 内緒だけど。
 心の中で付け足すと、しかし、その声が、浄化作用を伴う波動を帯びていた事に、少なくとも、ユリウスは感づいていたのであろう――と、羽澄は大きく息を吐いた。
 意外と凄腕らしいからね……あの人。瑠璃花ちゃんが、本当に微妙だったけど、褒めちぎってたし。
 そうは全然見えないんだけど。
「どうやら、無事に逝かれたようですね」
 ちらりとユリウスを盗み見る羽澄の横で、悠也が微笑と共に、その場にゆっくりと、屈み込んだ。
 良く磨かれた床の上に、1枚の紙が、落ちている。
 それはあの時、悠也がヨハンナを実体化させる為に使った――和紙でできた、人型の紙であった。
 花を抱えた、彼女の微笑み。
 ……きちんと、燃やしてさしあげませんとね。
「けれども、これで無事に事態は解決、ですね。皆さん、お疲れ様でした」
 大切に大切に人型を折りたたむと、懐の中へとしまいなおす。
 斎の丁寧な言葉に答えたのは、相変わらず暢気な、ユリウスのお礼の言葉であった。
「いえいえ、斎さんに、光月さんこそ、本当にありがとうございました。これで私も、良く眠れます」
「何をおっしゃってるんですか、猊下。眠れなかったのはむしろ、猊下じゃなくてあの神父様じゃないですか! 毎日毎日、夜な夜なずっと、猊下の代わりにシスターのお話し相手になってたんですから、」
「まぁまぁ、今となっては過去のお話ではありませんか」
「猊下――」
 麗花は手近な長椅子に座ると、重い、重い溜息をついた。
 目の前に立つユリウスの笑顔が、今は、いや、今だけではなくいつも、であるような気はするが――かなり、腹立たしい。
 嗚呼、主よ。
 こんな上司の下で、私、自分が不幸になっていくのを、日々切々と感じなくてはならないのですね――。
「……所で、」
「はい、何でしょう? 光月さん?」
 麗花が不幸に浸る一方で、凛とした声を発したのは、羽澄であった。
 羽澄は説教壇の上に置いてあるロザリオを、ふ、と見つめると、
「――あれは、どうするんです?」
 単純に、そうとだけ問うた。
 しばしの沈黙が、聖堂を支配した。
 羽澄は勿論、悠也も、麗花も。
 ユリウスの返答に、皆が注目を、浴びせる中。
「ああ、」
 何かを思いついたかのように、軽い声で、ユリウスが眼鏡のブリッジを押し上げた。
 ケースごと、ロザリオを手に取る。
 ……そうですね、これは、
「彼女の故郷なら、確か私の後輩が知っているはずです。そこに……送って差し上げましょうか。それが一番、良いと思います」
 満面の笑みで、そう告げた。


Fine



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      登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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★光月 羽澄 〈Hazumi Kohzuki〉
整理番号:1282 性別:女 年齢:18歳
クラス:高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員

★斎 悠也 〈Yuuya Itsuki〉
整理番号:0164 性別:男 年齢:21歳
クラス:大学生・バイトでホスト


(お申し込み順にて失礼致します)



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               ライター通信
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 まず初めに、お疲れ様でございました。
 今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。
 実はこのお話、書き始めてから6、7時間、ずっとPCの前に座りっぱなしで書いてしまいました。かなり書いていて楽しかったです。
 そういえばこのお話は、実は全員イタリア語が話せそうな雰囲気でございました(笑)一番わかっていないのは、あたしでございます(汗)もしかしたらこのお話、台詞は全部、日本語翻訳バージョンなのかもしれません。
 光月さんと斎さんは仲が宜しいようでしたので、思わず漫才(?)の方をやらせていただいてしまいました。どちらかと言いますと、向きになる光月さんの攻撃を、斎さんがかわす、という形になると思うのですが……いかがでしたでしょうか。

 光月さん、とっても素敵でございました。上手く表現できていたのかどうかはわかりませんが、まず青みかかった銀髪がさらさら、という時点であたし、ノックアウト寸前でございます(笑)銀髪大好きなんですよね〜。
 今回はあまり、lirvaさんとしての活躍はありませんでしたが、実は歌っていただいた曲は、モーツァルトのレクイエムの一部だったりします。ついでに、になってしまいますが――どこぞで明かされている事実なのですが、実は猊下はカラオケの機械を破壊するほどのオンチですので、そのコントラストが自分の中で鮮やかでして、1人で笑っておりました(爆)そこら辺の事実も書きたかったのですが、これ以上文字が増殖しますと収集がつかなくなってしまいそうでしたので……(汗)

 では、かなり乱文となってしまいましたが、失礼致します。
 今後とも素敵な光月さんのご活躍をお祈り致しております。

21 aprile 2003
Lina Umizuki