コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


ホーリージョークアワー

 ヨハネ・ミケーレがその避けたいと願わずにはいられない仕事をするはめになったのは他でもない。彼の上司という人間が、とある書類にヨハネの名前を書き付けたからだった。
 何故そんな事をと問われても仕方がない。
 食事前に面倒な書類を片づけてしまおうとしていた時、偶々昼の説教で聖ヨハネの話をしたのを思い出したのか‥‥はたまたリアルのヨハネに理由もなく糞むかついていたのか。
 神はいつも通りに何も語らない。
 それもまた運命であり、試練なのだとでも言うかのようにだ。
 OK。神様、愛してるよ。だから、ケツにキスをしてくれ。
 ちょっとばかり、ひねた奴ならそんな事を考えたかも知れないが、残念ながらヨハネはそんな不心得なことは想いもしなかった。
 ただ、聖堂の奥、世の中の不幸全部を背負ったみたいな陰気な顔で十字架にかけられている男の像の前で、上司に頭を下げて言うのである。
「わかりました。この幼稚園に行って、神についてお話をしてくれば良いんですね?」
 書類を手に持ったヨハネに、上司は重々しく言った。
「神の御心のままに」
 以上。お終い。
 正直に『任せたから、さっさと行ってこい』と言わない辺りが修行が出来ている、崇高な人物の証と言えよう。
 これが凡人ならば、『ケツを蹴飛ばされたいのか?』位の事は言ってしまうだろう。さすがは、神に仕える人の心は広い。
 断る理由も権限もないヨハネは、もう一度渡された書類を見る。
 アメリカンスクールの幼稚園。くそったれなプロテスタントの牙城であるアメリカ人が、高尚なカトリックの説教を聞こうだなんて珍しい‥‥大方、神に無頓着なジャップが『どっちでも同じだろう』などと罰当たりな事を考えて、間に合わせで話を持ってきたのだろう。
 だが、もちろんの事ながらヨハネはそんなくだらない理由には気付くこともなく、ただ子供達に神の話をするという使命に静かに燃えていた。
「人前で話をするのは苦手なんですが‥‥頑張ってみましょう」
 言ってからヨハネは、十字架にぶら下がる男に祈りを捧げる。
「イエスよ。私をお導き下さい」
 真摯な祈りの言葉。だが、2000年前にくたばった男は、何一つ答える事はなかった。

 そして数日後‥‥
 ヨハネは、幼稚園に来ていた。
 予定では、皆に聖書を読み聞かせた後、さらに聖書を使ってお勉強会‥‥と言う事になっている。
「よし‥‥始めましょうか」
 ヨハネは自らに気合いを入れて奮い立たせつつ、講堂に集まった人種バラバラな子供達の前に立った。
 子供達は、これから何が始まるのかを楽しみに、目を輝かせてヨハネを見ている。
 ヨハネは軽く咳払いをすると、子供達に精一杯の笑顔を向けて話を始めた。
「皆さん、はじめまして。僕はヨハネ・ミケーレと言います。今日は聖書のお話をするために来ました」
 多少緊張しながらのぎこちない挨拶‥‥だが、それが終わるや、子供達の間から甲高い口笛が鳴る。
「ウェルカム!」
「一発、ぶちかましてくれ!」
 口々に叫ぶ子供達。どうにも、良くはわからないが歓迎はされているらしい。
 反応に戸惑いながらヨハネは、聖書を取り出して、読もうと決めていた場所を開く。
 ヨハネによる福音書第1章‥‥
「ピリポはナタニエルを見つけて、こう言った。『モーゼの律法にあり、預言者達も記した人、ヨセフの息子、ナザレのイエスに出会った』。ナタニエルは言った。『ナザレに良い物なんてあるのか?』」
「いぇーっ」
 子供達の中から軽い笑いが起こる。同時に、「おーぅ」という、感嘆とも何ともつかない声も挙がる。
 だからといって、何か邪魔をするつもりもないらしい‥‥ヨハネは戸惑いながら先を続ける。
「ピリポは言った。『行って見てみよう』」
「わぁお」
「やるじゃんピリポ」
 ちょっとした茶々。
 別に目を輝かせて聞き入る様な反応を望んでいたわけではない‥‥むしろ、つまらない思いをさせてしまうのではとさえヨハネは思っていた。
 結果から言えば、喜んでもらえている‥‥しかし、どうにも反応が変だ。
 だが、今のヨハネには何も理解が出来ぬままに話を進めていく以外に無い。
「イエスはナタニエルが自分に向かってくるのを見てこう言った。『待て、偽り無きイスラエル人よ』」
 ヨハネが言う‥‥直後、隠しようもなく、笑い声が講堂に響いた。
「あーっはっはっは!」
「そんな奴いねーっ」
「いや、居るね。こないだ正直者のユダヤ人が見たって言っていた」
 笑い声に混じり、子供達の声が響く。
 何を言っているのか良くはわからない。良くはわからないが‥‥ヨハネの話は、子供達にとって相当に面白い物らしい。
「あ、あの‥‥続けても良いですか?」
「おーぅ。失礼」
「OK、先続けて」
 問いかけたヨハネに、子供達からそんな声が返された。ヨハネは軽く咳払いし、静かになった子供達に言う。
「ナタニエルは言った。『何故、私をご存じなのですか?』イエスは答えた。『ピリポが貴方に声をかける前に、昨日、貴方がイチジクの木の下に立っているのを見た』。ナタニエルは興奮して言った。『ラビよ、貴方はイスラエルの王です!』イエスは答えた。『イチジクの木の下に立っている貴方を見たと言ったから、私を信じるのか?』」
 次の瞬間。笑い声が爆発した。
「クール!」
「ナイスジョーク!」
「おいおい、神父さんは俺達を笑わせ殺すつもりだぜ」
 腹を抱えながらゲラゲラと笑い続ける子供達。
 もはや、それを止めることも出来ず‥‥ヨハネは呆然としながら先を読み続ける。
「『それよりも大きな物を見るであろう』そして言った。『よくよく言っておくが、貴方は天国の扉が開き主の天使が人の子の上を上ったり下りたりするところを見ることだろう』」
「あーっはっはっは!」
「本気かよ!」
「いやもう、勘弁して下さい」
 笑いすぎで呼吸困難におちいった子供が、苦しい息の中から言う。それでようやくヨハネは聖書を読むのを止めた。
「あの‥‥いったい、何なんでしょう? それほど、面白いことがありました?」
 未だ笑い転げる者も居る子供達に、ヨハネは恐る恐る聞く。
 全く、理由がわからない。聖書なんて、こんなに大笑いしながら読む物じゃない。
 だが、子供達の内の一人は未だ転げ回りながら言った。
「神父さん。聖書って奴は、ジョークの効いた読み物だね」
「‥‥‥‥‥‥つ、次に行きます。聖書の勉強で‥‥」
 聖書にジョーク? ヨハネは首を傾げながらも、これ以上の朗読は無理だと諦める。
 実際、講堂の中は、笑い転げる子供達で死屍累々といった有様だった。

「それじゃ、お勉強を始めましょうか。聖書を、書き写してみましょうね」
 ヨハネは、小一時間笑った後に何とか落ち着いた子供達に聖書を配り、紙と鉛筆を渡して言った。
 しかし‥‥早くも子供達はクスクス笑いを上げ始める。そして、それは一気に大爆笑となった。
 ヨハネは恐る恐る、一番にけたたましく笑い声を上げている子供に近寄る。
「あの‥‥何処を読んでるのかな?」
 覗き込むヨハネに、子供達は満面の笑顔で聖書を見せた。
「サムエル記上の4章。見てよここ‥‥もう、最高」
 言う子供は、そのまま聖書を読み上げ始める。
「街中で恐ろしい事が起こった‥‥死んでいない人はことごとく『痔』にまみれていた。そして街中の嘆きが天にまで届いた」
「そいつは、ひでえ。この世の地獄だ。神様って奴は、時に随分と無慈悲をやるもんだな」
 読んでいた子供の脇で、苦笑しながら天を仰ぐ子供。そこに、読んでいた子供がニヤリと笑って言う。
「待てよ。そう決めつけたもんじゃない。続きがある」
 軽く肩を一竦め。そして、子供は先に続けた。
「いったいどうしたら良いのかと聖職者に尋ねると、『贈り物』と一緒にヘブライ人に契約の箱を返しなさいとの答えが返ってきました。どういう贈り物ですか? と尋ねると、答は、『五人のペリシテ人の王の一人あたり五つの黄金の痔と黄金の鼠』と言う物だった」
「ひゃっほー! そいつは最高にクールな贈り物だ。神様も許そうっていうものさ」
 壮大に沸き上がる笑い声‥‥
 ヨハネは苦笑しながら呟く。
「確かに原文は『痔』とも読めますが‥‥」
 おできと読むのが普通ではある。
 しかし、確かに痔とも読めるのだ。
 ジョークの説明なんて無粋なことを始めるヨハネ。当然、子供達はそんなくだらない話に耳を貸すことはなく、ヨハネの言葉は子供達には届かない。
 子供達は、何時までもゲラゲラと笑い続けていた。ヨハネ一人、置いてきぼりで‥‥
 だが、ヨハネ自身はまんざら嫌ではないようだった。
「まあ、良いです。どんな形でも神様に興味を持ってくれるなら‥‥」
 ヨハネは、ニッコリ笑って聖書を見る。
 聖書‥‥しかめっ面で読まなければならない物の代表格の書物だが、良く読み返してみれば面白い物なのかも知れないと、ヨハネは改めて聖書の奥深さに思いを馳せるのであった。
 ともかく、笑いが講堂中に伝染したらしく目の前で笑い転げる子供達をどうしようかという問題に目を背けてみたままで‥‥