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<東京怪談ノベル(シングル)>


枕は我の頭下に

 人間は一体一生の内にどれだけの時間、睡眠を取るのであろうか。ただ、眠るという行為だけなのに、一日の大半を占める事もあれば、全く行われない事もある。眠っている間に、夢と呼ばれる現象が起こったりもする。そして、寝ている様を現した言葉まで存在しているのである。
 寝相。
 ここに、その寝相が素晴らしく芸術的な……もとい、すこぶる活発な少年がいる。守崎・北斗(もりさき ほくと)は茶色の髪をライオンの鬣のように布団の上に靡かせ、仁王立ちを布団の上でしているのである。
(ん……)
 北斗は、青い目をうっすらと開けた。未だ、辺りはは暗い。
(頭が……低い)
 北斗の頭の下に、寝る時はあった筈の枕が無かった。それもその筈、北斗の体は寝た時とは天地逆になっているのだ。睡眠を求める脳で、確かな認識は不可能だ。隣で寝ている筈の兄の顔が見えない事も、ぼんやりとした認識でしかない。
(兄貴……気配、あるからいる……)
 そして、ある一つの決定を体が下した。
(大丈夫)
 何が大丈夫なのか、これも確かな認識はない。足に布団ではなく畳の感触があるのも、大した問題ではなかった。確固とした意識など、眠りを求める北斗の脳は許さない。
(それよりも……枕)
 北斗にとっては、現在枕が無い事が最大の悩みとなっていた。枕が無いと、心地よく眠れないのだと本能で言っている。青い目は再び閉じられ、手探りで枕を探る。目は、視力を使う事を拒否していたからだ。瞼は重く、上下は直ぐに閉じてしまう。
(……あった)
 枕を発見し、北斗はそれに頭を乗っけた。よいしょ、と体を動かし。枕をこちらに引き寄せれば良いという考えは、その時の北斗には全く無かった。枕がある、ならば頭を乗っければ良いというだけで。
(これで……寝れる……)
 頭が丁度良い高さに固定されたのをきっかけに、再び北斗の意識は深く深く落ちていく。暗闇よりも暗く、深い深い場所に……。

――北斗。
(兄貴が、呼んでる……)
 北斗は何とはなく認識する。兄の呼んでいる声が耳の奥に響く。
(起こしている?……いつもだもんな)
 どろりと体が溶けたような感触。眠りが体を支配する。
(早起きなんだよ、兄貴は)
 いつもそうだった。朝は必ず早く起きる兄、どうしても起きられない自分。そんな自分を兄は叱咤する。早く起きる事は、大事な事なのだと。
(そうは言ってもさ、眠いんだって。凄く)
 毎朝恒例の儀式。起きられない自分を、兄が怒る。怒られて仕方なく起きる。だらりと。その様子に、兄は苦笑しながら挨拶をする。怒っていた顔を少しだけ和らげながら。眠りと覚醒の狭間にいる自分の意識には、その兄の複雑そうな表情が焼きついていた。それが毎日恒例の、朝の儀式。
(兄貴がいなかったら、絶対に起きられてないな。絶対……)
 北斗はそう考え、くすりと笑った。今頃、兄は自分を怒っている事だろう。起こしに来る、いつものように。
(……来ない?)
 ぼんやりとした意識の中、北斗は小さな不安を生じさせた。ならば自力で起きるまで。
(……起きられない?)
 体が鉛のように動かなかった。何故かは分からない。意識はこんなにもはっきりしているのに、体は全く動かない。特に、右足が。北斗は右足を見る。……重石だ。重石が乗っかっている。長い間そこに乗せられていたかのように、いっちょ前に苔まで生えている。それがふわふわと北斗の足をなで、くすぐったさを感じる。だが、それよりも思うことは一つ。
(重い……!)
 ずずず、と重石は自分の右足に食い込んでいく。足と一体化するかのように、ゆっくりと、だが確実に。動かない体。静かな恐怖。
(何故?)
 どうして自分がこのようなことになっているのか、それすらも分からない。ただ事実として認識するのは、どんどん入り込んでゆく重石と、めり込まれてゆく自らの右足。現実には在り得ない出来事も、恐怖の前には常識すらも超越する。静かに、だが確実にめり込んでゆく重石。ずずずず……。

 北斗は青い目を大きく見開いた。それから寝たまま大きく深呼吸をする。現実を確かめるかのように。そして枕を引き寄せようとし、その枕の手触りに違和感を覚えた。
(ん?)
 いつもの枕とは違う感触だった。それは、足だった。紛れもなく、人の足。
(へ?)
 その足を辿っていくと、それは隣で枕を並べて寝たはずの兄がいた。
(俺は兄貴と並んで寝た筈なのに……兄貴が反対になったのか?)
 まさか、と苦笑しながら身を起こそうとする。が、動かない。右足が、重石に乗っかられているように重い。よぎる悪夢。
(まさか……)
 が、それは単なる取り越し苦労で終わった。何とか体を起こすと、自分の足に乗っかっている頭が見えた。兄の頭だ。自分が兄の足を枕代わりにしていたように、兄もまた自分の足を枕代わりにしていたのだ。分かった瞬間、北斗の中で安心と拍子抜けが、同時に起こる。
「やれやれ……」
 北斗はそう呟きながら、ぼりぼりと頭を掻いた。
(早起きの兄貴が起きていないという事は……まだ朝、早いのか?)
 そう北斗は考え、自分が兄よりも早く起きられた事に小さく笑みを漏らしながら、目覚し時計を見る。その瞬間、一瞬だけ時が止まる。思考が静止する。
「……ああ!」
 正午だった。長針と短針がぴったりと重なっている。慌ててカレンダーを見る。勿論休日でもなかった。北斗は暫く考え、それからまた布団に寝転ぶ。今度は兄の足を枕にしないように気を付けながら。
「こんな事もあるんだなぁ」
 いつもは早起きの兄が起きなかった。それどころか、いつもは起きない自分を怒る兄がまだ寝ている。そうして、いつもならば学校にいる時間に家にいる。いつもならばとっくの昔に収められている筈の布団の上で、いつもならば得る事の無い惰眠を貪っている。
「まあ、いっか。こういう日だってあるよなぁ」
 くくく、と北斗は笑う。もう今から学校に行っても、仕方の無いような気がしていた。ただ、今はこのまま眠っているのも悪くない。そうして決定する今日。
(今日は欠席!学校を欠席すればいいや)
「でも、枕の役目は枕に任せるからな」
 北斗はそう言って、自分の足をすっとのけて兄の頭が敷布団に到達する前に枕を差し込む。一瞬の出来事で、眠っている兄は枕が入れ替わったのも気付かないだろう。
「朝飯でも作ろうかなぁ」
 ふあ、と欠伸をしながら北斗は立ち上がった。すると、先ほどまで兄の頭が乗っていた右足が、じんと痺れを伝えた。
(兄貴の足も、同じ事になってるんだろうな)
 北斗はそう考え、痺れに眉を顰める兄を想像して小さく笑った。寝ている兄を起こさぬように、そっと。

<右足の痺れは取れないまま・了>