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<PCシナリオノベル(シングル)>


夜の呼び声

 …眠いのに。
 呼ぶなよ、誰も…俺の名前を。
 とても安心出来て、今は誰よりも近しく傍に有る、その声で…心地よい眠りの底から、現世に引き戻さないでくれ。

「あれは…誰なんだろ」
ぽかりと目を開くと、横向きな世界に机が幾つも並ぶ違和感に、目を瞬かせた。
「ここ…何処だ?」
「ここは霧里学院高校、放課後の2−Bの教室、ついでに貴方は朏棗」
ここが何処かと今がいつかと自分が誰かまでを網羅して、背後からかかった声は更にダメ押した。
「そして私は蒼梨花。委員長よ、忘れてない?」
「わり、忘れてた」
チャッと片手を上げた朏の後頭部に、ズゴリと英和辞典の角がめり込む。
「目は覚めた?」
「クリティカルヒット…」
ジャカジャカジャカジャン!とどっかのRPGの戦闘終了時のテーマ音楽を口ずさみ、朏は再度机に懐いた。
「な〜つ〜め〜クン?」
下から見上げるに威圧感を増して見える梨花が振り上げた広辞苑が、本気な殺意を告げている。
「冗談!生きてます!起きてます!」
トドメは不要です!と飛び起きた朏は、緩めていた学生服の襟元をパチンと止めると、猫的な印象でくわぁと大きな欠伸と伸びにどうにか意識を覚醒させようとする。
 学生生活は常に眠気との戦いだ。
 こと授業中などは禁忌の甘さを伴って、単調な講義は天上の調べの如く朏を夢の世界へ誘う、刺激のない平和な高校生活…だったのだが。
 学院内で、既に三人の行方不明者が出るに、校内には不穏な空気が流れている。
 誰にも知られず、いきなり姿を消すのだ。
 一人はバケツの水を捨てに行って戻らず、もう一人は授業中に職員室に資料を取りに行って、そして最後の一人は寮で喋っていたルームメイトが一瞬テレビに注意を向けた瞬間に。
 霧里学院高校は全寮制の為、当然の如く実家に戻った可能性もあるが彼等はそこにもいない…て敷地の中にある本校舎、寮、体育館その他の施設に大がかりな捜索が行われたが、何処にも、何も見つからなかった。
 今も夜間の見回り等の警戒が続いているが、原因も状況も不明な現状は続いて何一つ進展はない上、工事によって半壊した旧校舎は厳重に封鎖されて入り込む事が出来ない上に危険とされて工事は中断され、視覚的に荒んだ雰囲気を醸す
 それでなくとも改築工事中は騒音で日中の眠りが妨げられるに迷惑を被っていたその次は行方不明事件、特に朏は噂が出る度に感じる…胸に靄つく感情に気も漫ろなのが実情だ。
 落ち着かない空気に早くいつもの生活に戻ってくれればと…。
「いつもの?」
朏は自分の思考を愕然と動きを止めた。
 想い出せない夢が湧き出す意識の深部から、強い否定の響きがとりとめのない考えを破った感覚。
「…棗クン、大丈夫?」
伸びのまま動きを止めた朏を案じて、梨花が見上げてくるに、苦笑する。
「なんでもねー。部活でも行ってくっかな」
実力もねーくせ顔ばっかでかい先輩共どつき回して泣き入れさせてやる…教室の後方に立てかける、竹刀の入った袱紗を取る朏に、梨花は重い息を吐いた。
「棗クンせっかく線の細い美少年なんだから、その言葉遣いをもう少し丁寧に…」
全体的に線が細く、薄い茶の髪と瞳が華奢な…儚げな印象を与える美少年だというのに、第一印象の夢を破って荒くたすぎる言動のギャップに、ついて行けていない者も多い。
 梨花の言を、朏はケッとせせら笑う。
「俺は女にもてるよか、難癖つけらんねー方がいいな。コレで丁寧な言葉遣いなんざしてみろ、カンチガイしたヤローがオカマだのなんだの…」
何やらえらく実体験に基づきそうに具体的な反論に、梨花は返せる言葉がない。
「でも、委員長は別に気になんねーんだろ?だったらいーや」
一瞬、ん?首を傾げてしまう…女心にひどく嬉しいような言を吐かれるも、梨花は不屈の委員長魂で同級生の他意のない言葉を他意のないまま聞き流した。
「それは光栄な、とでも言っておきましょうか?」
「うわ、委員長淡白…昨今、物騒な噂を聞き及びますに、女性の一人歩きは危ないですよ。女子寮までお送りしましょう、蒼さん」
態度と口調と声音まで変えて、物腰『丁寧』な朏に、梨花はぞぞぞと鳥肌を立てた。
「私が悪かったわ…」
朏が平謝る梨花に満足げに笑ったその時。
 階下からの悲鳴が、学校中に響き渡った。


 朏と梨花は教室から飛び出し、声がしたと思しき階下へと階段を駆け下りた。
「どうしたのッ!?」
真下の職員室前にへたり込む女生徒に梨花が問うと、女生徒は震える手ですがりついてきた。
「あれ…あれぇ…ッ!」
定まらない指先で室内を示す、先に。
 ぽとん、と造作のない風に、手首が落ちていた。
「なんだ、石膏じゃねぇか。誰かのイタズ…」
宥める口調で苦笑した朏は口元を押さえた。
 その精巧な作り物めいた白さの…指の肉を僅かに窪ませて、きちりと嵌る赤い石の指輪。
 行方不明者が、失踪当時に身につけていたという、物であるのは校内の誰もが知ってる。
「棗クン、アレ、本物の…?」
その反応に血の気を引いた梨花だが、問いを最後まで言葉に出来ない。
 その時。
 ゴォン、ゴオォォン…と、旧校舎の、とうに死んだ筈の大時計が見当違いな時を告げるに、三人共がビクリと肩を震わせた。
「…旧校舎へ?」
朏は呟く…それは心の何処か、掴み切れぬ深い場所から、いつか聞いた会話を思い出したかのように、彼ではない声が告げた断片。
 旧校舎に何があるか知らないが、奇妙に胸を支配する義務…否、使命感に、朏は強く心臓の位置に押さえた。
「俺…旧校舎、行かなきゃ」
誰ともなく告げ、そのまま歩き出す朏に梨花は慌てる。
「ちょ、ちょっと棗ク…!」
けれど女生徒も放っておけず、梨花が進退窮まっている所に漸く教師が姿を見せた。
「先生、申し訳ありませんが彼女をお願いします!」
泣きじゃくる女生徒を教師に預けると、梨花は遠くに見える朏の背に向かって長い三つ編みを揺らして駆け出した。


 気まずい沈黙に靴音だけが響く。
 夕暮れ近い薄暗さが、半ばまで進められた取り壊し工事に、木造の校舎の奥…廊下の突き当たりに夕陽が見える、何処かシュールな風景である。
「どうしてついて来たんだよ」
「なんでこんな所に来るのよ」
開口は同時、相手の答えを待ちつつ窮している事もあって、お互いに口を噤むに空気が重圧を増す。
「何があるか分からないのに、竹刀一本だけなんて危なくない?」
衝動に駆られてここまで来たが…言われてみれば確かに、である。
「悪ィ、頭冷や…」
意識を切り替えようと軽く頭を振って、一階に戻る階段へと身を向けかけ…ざわりと、背筋を這い上がる悪寒に、咄嗟振り向いた。
 夕陽の朱さを負って。
 こちらに向けられる、赤い六つの目…カサカサと音を立てて、廊下一杯の巨体を開口部から潜り込ませる、巨大な蜘蛛、の異形。
「あれは」
梨花に警戒を促す間もなく、冷えた血の気が急速に戻ったような感覚が膝の力を抜き、崩れた均衡に竹刀を取り落とした手を床に着く。
「棗クン!?」
梨花の声が遠い…否、認識出来ない。
 視界が真っ赤に染まり、もどかしさを押し流して溢れ出す…記憶に息が荒く、心臓の位置を強く掴んで歯を食いしばる。
 家族のぬくもり、失う哀しみ、人の、時代の、生命の生滅、慟哭、激情、成し遂げた虚無、身を抉る傷の痛み、誇りを踏みにじって心を貫く侮蔑の笑み、血に染まる腕、手の中で折れる刀の感触、限りない孤独…そして差し延べられた、手。名前を呼ぶ、声。心地よく優しく、向けられるだけで涙が出そうに嬉しくなる笑顔を。
「憶い、出した」
封じに堰き止められていた圧倒的な情報が、現在に辿り着く。
『これは非常に危険な賭けといっていい』
草間興信所で、持ちかけられた依頼。
 霧里学院高校の改築工事の際、地中から掘り出された石碑に封じられていた土蜘蛛の類が目覚めたのだと。
『相手は異能を感知する結界を引いた。異能の匂いが一滴でもしたが最後、結界に引っかかり生気を奪われ食い殺される』
同時に、敷地内の生徒や職員達は夢に非現実を見る感覚で蜘蛛の存在に何の疑問も抱かず…否、見えぬモノとして認識を植え付けられ、一人、また一人と狩られて生き餌とされる。
『だから、今回の作戦を敢行する。お前さんの異能を封じ、異能に関する記憶を封じる。問題は、結界を突破した後、如何にして能力と記憶を取り戻す…後はお前に任せる!気を付けてな!』
そんなお気楽な!と思いはしたが、現況、無事に記憶は戻ったと…言えなくはない。
 が、朏の生きてきた7世紀強の年月が一息に戻る負荷までは、考えが及ばなかったようだ。ついでに思い出したくもない記憶までも追体験して疲弊している。
「…足、立たねー…」
ぎちり、と胸元を強く掴んで強張った手が自らの鼓動伝えるに、ふ、と息を吐き出し、朏はがくがくと震える膝を叱咤して立ち上がると、顎の先から伝う汗を手の甲で拭い取った。
 梨花と蜘蛛の姿は共になく…遮光を銀に弾いて糸が誘うように空を漂い階段へと続く。
 廊下に転がる竹刀を取り上げ、朏は階段へ向かって歩き出した。


 1階から3階までは教室、4階は棟の中心に時計塔があるのみ。
「うげ…しっかり巣を張ってやがる」
進むに従って、壁に、天上にと膜の如く編まれた糸がへばりつき、迂闊に触れれば身が絡みそうだ。
 踊り場を過ぎると上部に歪んで開いた木製の扉が見え、軋んでひどくゆっくりとした機械音が、目的の場所であるのだと知らせる。
 朏はふむ、と竹刀で軽く肩を叩くと、いっそ気軽な風でその闇に四角い空間を覗き込んだ。
「おじゃましまーす」
途端、闇に無数の赤い点がこちらを見た。
「…盛大なお出迎えで」
拳ほどの大きさの小蜘蛛が幾百と。
 そして…
「棗クン?」
細い声が問うた。
「よ、まだ生きてたか委員長」
「こんな事で死んでたら、ご先祖様に向ける顔がないわよ!」
気丈に声を張るが蜘蛛の糸に縛り上げられ、夕陽に透かして見える時計の文字盤を背に一際大きく張られた放射状の巣にかけられた顔は恐怖に青白い。
「ついでにこんな化け物に組み敷かれてたんじゃ、親に向ける顔がないじゃない!」
梨花に覆い被さるように、その柔らかな首筋に毒牙を立てようとしていた蜘蛛は、ギギ、と威嚇に顎を鳴らして朏に向き直った。
「多分コイツ雌なんじゃねー?子沢山な事で」
周囲を囲んで退路を断つ、連携の取れた動きに…小蜘蛛が群がっていた、そこに内臓をごっそりと失った人の…骸を見る。
「柔らかいトコは子供にやるのか…やっさしーお母さんだな」
だが、餌に誉められても特に感慨は抱かないようで、大蜘蛛は糸を鋭く朏に向かって吐き出した、それを。
 朏が手にした竹刀で払う…に、糸の固まりは両断されて千々に解けて空に散り、竹刀、から日本刀へと…刃に柔らかく真珠色に光を含む『ヒノデ』へと姿を変えた。
「夢から醒ましてやる。この下らない、趣味の悪ィ夢からな!」
厭うべき異能が近付かぬ、近付けぬよう、念入りに結界を巡らした筈の餌場に、居る筈のない狩る者の存在に、本能的な動揺が群を乱しかけるが、それを統率する大蜘蛛がギチギチと顎を鳴らすに、子蜘蛛達は囲んだ中心に向かって一斉に炎を吐き出した。
 一匹、一匹の炎はさほどでもないだろうが、幾百というそれが依り、中央にぶつかり合うに高熱が空気を揺るがせる…が、其処には既に朏の姿はなく、高い跳躍に空中に攻撃を逃れた朏は、開いた五指の関節毎に力を込めた。
 薄茶の髪は銀に、瞳は至高の紫へ…そして額の両脇に伸びる角が、青白い火花を先からパリ、と走らせた。
 同時、朏の身から視界を灼く白光が、雷が小蜘蛛の群を一匹残らず雷撃に焼き尽くした。
 だが大蜘蛛はそれに怯む事なく、自然落下に朏が床に足を着く寸前、払うも逃れるも危うい一瞬を狙ってもう一度、吐いた糸にその細い身体を捉えるに成功した。
 大蜘蛛は、いつものように神経を麻痺させて意識を残したままゆっくりと餌にするでなく、強靱な顎で噛み砕こうと、反撃に移られるより先に今度は糸を吸い込んだ。
 が。
「…ちった頭使えよ」
朏は寸前まで引き寄せられてそして唐突に…止まった大蜘蛛に嘲りですら艶やかな笑みを向けた。
 その手、水平に突き出された『ヒノデ』が、大蜘蛛の額に柄近くまで吸い込まれている。
「ばーか」
その手から『ヒノデ』へ…『ヒノデ』から大蜘蛛の体内へ。
 放たれた雷は大蜘蛛の内側で弾けた。


「委員長、無事か?」
黒こげになった大蜘蛛の脇を抜け、手早く糸を切りながらの朏の問いに、気丈な少女は深い息を吐いた。
「棗クン、目、覚めるの遅いわよ」
「いっつもお寝坊さんなんで…で、アンタもしかして興信所関係者?初顔だよな」
制服の汚れを払おう…にも、叩こうとした手が粘着質に糸を引くに梨花は眉を顰めた。
「ただの一般人よ。貴方の力を封印したはいいけれど…鬼なんですって?封じの領域が強すぎて広すぎて、自力で戻れないかも知れないからって、フォローに引っ張り出されたのよ。幸いにして蜘蛛の結界にひっかかるような特殊技能に持ち合わせがないし」
幸い、の部分に力を込めて梨花は苦笑した。
「とはいえ、足引っ張りになっただけだったわね。悪かったわ」
力の及ばぬに素直に謝罪する、潔い少女に朏は笑う。
「何?」
「いや、なんか懐かしいような性格だな、と思って」
朏の笑いの意味に、梨花は僅かに首を傾げたが、追求するつもりはないようで斜陽に逆に透ける文字盤を見上げた。
「そろそろ、依頼主が後片付けに来るかしらね…貴方が寝坊なせいで、一週間も学校休んじゃったわ…わりと、楽しかったけど」
貴方は?
 見上げる梨花の視線に、朏はうん、と伸びをした。
「学生ってのも悪くなかったけどな。でも…」
くわぁ、と猫めいて大きな欠伸。
「やっぱり日当たりのいい縁側で眠る幸せに、勝るものはないなぁ」
陽のぬくもりと、心地よい香りと空気を保つあの家で、名を呼んでの眠りから心地よく自分を引き戻してくれる相棒の傍らで。
「呆れた。まだ寝るつもりなの?」
梨花が腰に手をあてて憤然とするに、朏は極上の笑顔を向けた。