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<東京怪談ノベル(シングル)>


inseparable companion


「…助けて、麗香…店に…」
留守番電話に録音されていたのは、その一言。
 中途半端に、プツ、と途切れた通話に果たして湖影華那の身に如何なる事態が及んだかは想像がつかない。
 月刊アトラス編集部、編集長の肩書きを背負って碇麗香はキッと顔を上げると、その店の門を見上げた。
 装飾的に蔦の這ったアーチの上部、飾り文字に掲げられる店名『pearly gates』。
 意味する所は『天国の門』
 華那が勤める…会員制高級SMクラブである。
「高級スーパーマーケットの略、じゃないわよねぇ」
勿論、そんなワケがない。
 サディズムとマゾヒズム、どちらも人間独自の快楽嗜好を精神病学者クラフト・エヴィングが命名したものだ。
 フランスの作家、マルキ・ド・サドの名に由来し、他者を精神的・肉体的に虐げる事によって快楽を得る者をサディストと呼び、反対に他者から与えられる身体的・精神的な虐待・苦痛で充足する者はオーストリア作家、ザッヘル・マゾッホからとってマゾヒストと呼ぶ。
 両者間のみで需要と供給が一致している、ある意味無難な嗜好か。
「三下君は後者ね」
ついでにこの場に居ない部下を扱き下ろして、カツ、とヒールの踵を高く鳴らし、麗香は単身、その門を潜る。
 路石に従って進むに門から程なく、品の良いエントランスに行き着くに、重厚な樫造りの扉を開いた。
「いらっしゃいませ」
臙脂の絨毯が引かれ、壁やテーブルなどは同じ色合いの木で纏められてシックに落ち着いた店内、ウェイターが三人全く同じ角度に頭を下げて慇懃に麗香を迎えるに、気負っていた分、拍子抜ける。
「華那は居るかしら?」
そんな事はお首にも出さず、麗香は手前の青年に問うに、営業用スマイルが向けられた。
「承知致しております、碇麗香様ですね」
言い、受付のカウンターに置かれたベルをリン、と鳴らすと「こちらへ…」と奥へと誘う。
「私は客じゃないの…華那に何があったの?答えなさい」
高圧口調に、ウェイターはクスリと笑う。
「理想的ですね…カナはこちらに居ます。どうぞご自身の目で確かめて下さい」
ウェイターは扉の一つを示し、胸に手を当てると深く頭を下げた。
「ここは天国の門…潜るも堕ちるも貴方次第でございます」
 麗香は無言でその真鍮のノブに手をかけ開く…途端、内から伸びた複数の腕に室内に引き込まれるに悲鳴すらなく…パタリ、と扉は静かに閉まった。


「あっはははは!似合うわよ麗香。違和感ないわっ」
腹を抱えて転げ回る華那に、麗香は怒りか羞恥からか頬を赤らめて窓際のカーテンで身体を隠すに首だけを覗かせた。
「華那!スーツを返しなさい!」
「ダ・ア・メ〜♪」
華那は麗香の手の届かない位置にあるスーツ…だけでなく、シャツ、下着までの一式をぱたくたと畳んだ。
「これ、クリーニングに出しておくわね♪」
「ちょっと華那!」
慌てた麗香が手を伸ばす…に視線を隠すカーテンが元に戻り…その身体のラインを強調するどころか、紐と布だけで構成されてかなり際どい所だけを隠したような黒のボンテージ。
「………………くッ!」
顔を背けて笑いを堪える華那に、麗香の怒りが沸騰する。
「華・那?」
顔は笑顔。だから余計怖い。
 目尻に浮いてしまった涙を、メイクが崩れないように器用に拭い取りながら、華那は笑みを向けた。
「ここんとこ、タチの悪い風邪が流行ってるでしょ?それで店の子が病欠してるのよ、急な事だからオフの子も捕まらないし。で、ここは一つ碇麗香女史の力を借りようと召喚してみれば…」
大成功!とまた笑い転げる華那に、麗香の青筋は切れる寸前だ。
「今後、貴方との付き合いは考えさせて貰うわ…」
「あ、でも困ってるのはホントのハナシ。大丈夫、軽めの客しかまわさないし」
軽めってどう軽いのか。
「常連の代議士さんが、新卒の秘書を3人連れて来るのよ。だからどうしても人がまわらなくって」
「ちょっと待って、それって素人って言うんじゃ…?」
内心冷や汗ものな麗香に、華那はケラケラと笑って手を振る。
「だーいじょーぶよ。この世界の入る人って上の人に連れられて初めてってのが多いんですもん。なんでも最近の若いコは挨拶もろくに出来ないし、基本の礼儀もなってない上、仕事の場以外じゃ口も聞かないってゆーから、親睦を深める為とゆーか…同類を嗅ぎ分ける鼻ってよく効くものじゃない?ほら、いつも三下相手にやってるようにすればいいのよ」
…それは採用の規定に、その素質の有無が問われているという事だろうか。
「一人で五人相手にしろって言うの?」
「バイト料もはずむし、酒おごるからさ」
拝むように手を合わせてまで来た華那に、麗香はひとつ深く息を吐いた。
「いつもと変わらないじゃないの…」
華那に誘われて飲みに行く場合は、いつでも勘定は相手持ちなのである。
「じゃ、麗香の好きそうな情報提供なんて…どう?霊なんてそこら中で見てるしね」
更に報酬が加えられるに、麗香の眉がぴくりと動く。
「言っておくけど、私が好きなわけじゃないわよ。読者のニーズに応えてるだけ…でも、提供だけじゃねぇ」
「当然、捜査もして来るわよ?」
うふん、と男ならイチコロの艶美な眼差しを向けるが、麗香に効きはしない。
「生半可なネタなら要らないわよ?…いいわ、その五人、一気に片付けてあげようじゃない?」
対する麗香の微笑も自信に満ちながら嫣然と、見る者の心を縛るような…最も華那に効く筈もないが。
「予約まで時間はある?ないとしても私のやり方に従って貰うわ…勿論、貴方も手伝うのよ、華那?」
華那は麗香の了承に笑顔で頷いた。
 もしその遣り取りを見る者が居れば…竜虎の対決のようであったと、断じたであろう、天国の門の内側での一幕である。


 立場と権力には価値を認めても、単なるオジサンにしか見えない雇用主。
 最高学府を出たとはいっても、社会人としては新人な彼等にはショボいような仕事しか回されない。
 理想と現実のギャップに自分を見失いがちな所に、いい店があるから、と連れてこられたここで、彼等は当惑に顔を見合わせた。
 通された部屋は、勤めるオフィスの一画、パーテーションで区切られて隔離されたように並ぶ、自分たちに宛われたと同じ机の配置と内装だが、上座に更に続く先輩達の机はなく、こちらに向いて二つのデスクが並ぶ。
「なぁ、ここ何するトコ?」
何気なく、自分の席についてしまった彼等、エントランスと部屋との格差に戸惑いを隠せない。
「先輩にそーゆートコに連れてって貰えるって聞ーて楽しみにしてたんだけどなー」
ガムをくちゃくちゃと噛みながら、ギシつく椅子の背もたれにめいっぱい体重を預ける。
「今頃、センセーはお楽しみかぁ」
流れる空気がなんだかたるい。これぞまさしく五月病。
 そんな中、カチャリ、と小さな金属音に扉が開いた。
 その先にはタイプの違う二人の美女…理知的にグレイのスーツに身を包んだ麗香と、ダークレッドに胸元の谷間が強調されるドレスシャツにロングスカートとを合わせた華那である。
 ガムを噛みながら、のけぞるように入室者を見上げた最も手前の青年は、逆さな世界にノーフレームの眼鏡越しに己を見下す怜悧な美貌を認めると同時、ガツリとした衝撃に椅子ごと転けて後頭部と床とが激しく接触した。
「上司が出勤したというのに、挨拶もないなんていいご身分ね…それとも貴方、いつからそんなに偉くなったの?」
椅子を蹴込んで倒した麗香を下のアングルから見上げるに、呆然とする青年、同僚達は半ば腰を浮かして事態に対応出来ない。
「気を付け!」
それに対して叱責に似た声が飛ぶに咄嗟身体が反応し、彼等は全く同じ角度、同じタイミングに、
「「「おはようございます!」」」
見事にハモった。
 対して麗香は、
「いいわね。おはよう」
と、返して上座に足を向ける…に続いた華那が、途中でぴたりと足を止めた。
「ちょっと貴方…」
目線を据えられた一人が状況が掴めないまま、自分を指差してあわあわとする。
「ネクタイの結び方がなってないわね…貸して御覧なさい?」
美女の申し出に黒いマニキュアに整えられた爪がついと顎のラインをなぞるに鼻の下を伸ばす…華那は微笑みにそのネクタイに手をかけ…思い切り、締め上げた。
「ゲホ…ッ何す…!」
青年の咳き込みながらの当然の苦情に、華那は笑みを返す。
「職場こそが男の戦場…身嗜みに気をかけないのは裸で其処に居るも同然よ?」
「だからってアンタ…!」
ピシィッ!と高く机が鳴った。
 甲高く空気を裂いたは華那の手による鞭…深いスリットの腿にくくりつけられていた愛用のそれ。
「先輩に対してなんて口の聞きよう?」
一体いつから誰が上司で先輩さ。
 そんな疑問を口にするも憚れる程に、彼女等は彼等は圧倒されていた。
「私をあんた呼ばわりしようなんて1億年早いのよアンタ!」
笑みにもう一度鞭が高くなるに、脅えて壁際に後ずさる。
「返事は?」
麗香が問うに、「はいぃ…」と力の無い涙声に、もう一度檄が飛ぶ。
「返事は短くはっきりと!もう一度!返事は!?」
「「「はいッ!」」」
満足げに頷いた麗香がそのまま業務に、華那が本日の予定連絡やスケジューリングの秘書業に移るに済し崩し、彼等も机上に揃えられた書類に向き合う。
 当然、合間に麗香の檄と華那の鞭とに社会人としてのノウハウを文字通り叩き込まれながら。
「そこの君!」
何故か鳴る電話を取った青年が、麗香の声にビクリと反応した。
「今、3コール以内に取ったわね…」
「はい!」
呼ばれれば即座上司の元へ、正面に立って気を付けの姿勢で指示を待つ。
「とてもいいわ…ご褒美をあげようかしら、何がいい?」
組んだ手に顎を乗せた麗香の問い掛けに、青年ははっきりと明瞭に意見を述べた。
「踏んで下さい!」
「アラ、おかしな子ね…私はご褒美を上げるって言っているのよ?」
微笑む麗香が念を押すにも答えは変わらない。
「そのヒールの踵で、踏んづけて頂きたいのです!」
主語を明確に、要求は簡潔に。
「いいわよ」
麗香は立ち上がり、その場に土下座のごとく床につけた青年の頭に足を乗せる。
「コレでいいかしら?」
「もっと…もっと強く力の限りにお願いします!」
ぐりぐりと10pのヒールが穴を穿たん勢いに、「最高です…!もういつ死んでもいいです…!」と、感激の声が上がるに残された者も色めき立つ。
「カナ先輩、書類の記入でミスしてしまいましたぁ!」
「あら、悪い子にはお仕置きが必要ね」
「自分、センセイの裏帳簿のより安全な隠し場所を思いつきましたぁ!」
「いいわね、話して御覧なさい?」
「靴に埃が…磨かせて下さい!」
「うふふ、気がつく子は可愛いわ」
我も我もと…最早、お仕置きとご褒美の境のない状況に、青年達は酔いしれる。
 真、同類を見分ける鼻は良く効くと言う事か。
「編集長と呼びなさい?」
「女王様でもよくってよ?」
スーツの下に着込んでいたボンテージ姿で、麗香と華那は見得を切る。
「文句があるならアトラスへいらっしゃい!」
ヒールと鞭とが音高く机を打つに、青年達はへへーッと畏まって頭を地面にすりつけた。


 以降。
 初心者向けに始められた「社会人養成講座」が『pearly gates』で秘かな人気を呼んでいるが、受講者の強い要望にも関わらず、「編集長」が再び講座に姿を現す事はなかったという。