コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


蒼き星船・天の沃野

■オープニング――蒼き星船

 いつのころからだろう、と少女は呟いた。

 エルティスの風舞う、切ないほどに短い、春の季節。
 どこまでも続く澄んだ青空。彼方に浮かぶ、緑の惑星。
 広大な青を見上げながら、リタは木陰に身を休めていた。
 リタは十六歳。
 彼女の生まれ育った辺境の村では、はじめて成人となる歳であった。

「リタよ。お前の未来を、神に誓うのだ」
 村長であり、長老であり、祭司でもある彼女の祖父が、
 成人の儀の祭りのあの日、祭壇の前に伏した孫娘の額に祝福の印を授け、そしてそう問いかけた。
「私の……」
 リタは顔をあげて、周囲を見回した。
 答えるのはどれも、村人たちの、真剣な眼差し。
 また一人、新たに成人となる者の、その未来への想いを、しかと確かめんとする、厳しい眼差し。
 逃げだすことはできない。いくつもの目が語っていた。
 子供のままではいられない、自分の力で選び、決断しなくてはならない。

 村にいろよ、と、一足先に成人を迎えていたロッドが言った。
 リタならきっと、いい村長になれるさ。
 それに俺、お前が成人したら、お前と、一緒に……。

 いなさいよ、と、メルも言った。
 ロッドがあんたばかり追いかけ回すのは気に入らないけど、あんたがいないと、この村なんて火が消えたようなものよ。

 君の人生だ、好きにするべきだ、とアレクが言った。
 でも、できれば、ここにいてほしい……正直に言えばね。

 たくさんの目が告げていた。ここに残れ、と。
 村にいれば、村長の孫娘、としての約束された未来がある。
 別れに胸を痛めることもない。
 伴侶を得て、それなりに幸せな暮らしを営むこともできるだろう、と。
 でも……。
 ここには、ルウはいないんだ。

 いつのころからだろう。ルウの背中ばかり追いかけるようになったのは。

「見てくれよ、リタ」
 精悍な、しかしまだあどけなさの残る少年の笑顔が、少女を迎えた。
「え……どうしたの、ルウ」
「これさ! 爺さんの書物倉から見つけたんだ」
 少年、ルウは学者の家の息子だった。敬虔なる知識の探求者たる一族においては、異端児とも呼べるほどに、開放的で陽気で、恐いもの知らずな少年だった。
 そのルウが差し出してみせた、一冊の古文書。
「なによ、これ」
「みりゃわかるだろ。大昔の記録を印した古文書さ。
 これには、俺たち人間がどこからやってきたか、とかってことが書かれてるんだ」
「なぁんだ。馬鹿馬鹿しい」
 リタは呆れ声で言って、歩き出す。
「なぁんだ、とは何だ。お前にはわかんないかなあ。
 俺たちがどうしてここにこうしているのか。その前には何があったのか。
 考えるだけでわくわくしてこないか」
「しないわよ」
 慌てて追いかけてきたルウに、無愛想にそう答えて、リタはそっぽを向いた。
 本当は、それほど興味のない話でもなかった。
 幼い頃からルウといつも一緒にいるせいで、彼の影響を否応無しに受けてきたのだ。
 彼の喜ぶような話に、彼女が興味を示さないはずはなかった。
 ただ、気に入らなかったのだ。
 自分以外のものに目を輝かせているルウが許せなくて、無意識のうちに、困らせてやりたい、という衝動が胸を覆ったのだ。
「まあ聞けってば。
 これによると俺たちは、どうもこの星から自然に生まれてきたものじゃないらしいんだ。それどころか、この星の生きとし生けるもの全てが、どこかこの星とは別なところから遠い昔にやってきたものらしいぜ」
「……信じらんない、そんなホラ話」
「ホラじゃないよ。真実なんだ」
「じゃあ、一体どこから、どうやって、私たちの祖先はやってきたっていうの?」
「どこから、って聞かれても……」
「ほら、答えられないでしょ。だからホラだっていうのよ」
 まさしく好きな相手をいじめる子供の心境で、リタはほくそ笑んだ。
「いや、でも、どうやって来たかってことはわかるぜ」
 ルウは反撃の笑みを浮かべて、少女に古文書を見せた。

《航海日誌 23・33・621・4438》
 デアとサテラの重力圏を越えた。
 市街区の方での騒ぎもようやく納まったようだ。治安クルーたちにしばらく休暇をとらせることにする。
 船が微震するたびに暴動では、彼らも心休まる暇がない。
 『マザー』によると、アルザー炉の調子がどうもよくないようだ。
 重力圏脱出の際にも、最大出力が従来より20%近くもダウンしていた。
 恒久機関が聞いて呆れる。
 最も、三百年前の開発者たちに文句を言ってもはじまらんが。
 目的地をコード3−B84に修正する。この星系では珍しい、生命の生存可能な双惑星である。
 我々人類、そして共に旅してきた数え切れぬ程の生命にとっての新天地となってくれることを祈ろう。

「……なにこれ」
「航海日誌さ。古代語で書いてある」
「航海って……船で来たって言うの?」
「そうさ」
「バカね。人間だけじゃなくて、他の生きものも乗って来たっていうんでしょ? だったら、そんじょそこらの大きさの船じゃ無理よ」
「そうだな。でも……」
 呟いて、少年は空を見上げた。
 太陽の光を遮るように、途方もなく巨大な影が彼方の山々の頭上に浮かんでいた。
 それは百年に一度、彼方から現れ、空をその巨大な影で覆い尽くしたあと、彼方へと去っていく、不気味な存在であった。
「あれなら、できる。そう思わないか」
 城塞などよりはるかに巨大な、空に浮かぶ蒼い建造物。
 辺境の古老たちは、それを、畏怖をこめてこう呼んだ。
「『蒼き星船』……!」
 初めて、少年の言わんとすることを理解して、少女は絶句した。

 その夜、リタの部屋の窓を叩くルウの姿があった。
「リタ、お別れを言いにきた」
 あまりにも突然のことに、何が何だかわからないでいるリタに、ルウが旅支度の装備を見せて言った。
「俺、今夜、村を出るんだ」
「出る……って、どうして!?」
「しっ……夜中だぞ、声が大きい。もう、親父とおふくろには話したんだ。許しももらった。俺ももう成人したし、好きなようにしろってさ」
「で、でも……何故、村をでていくなんて……ロッドに、何か言われたの?」
 リタに夢中のロッドが、ルウを快く思っていないのは、村中の誰もが知っていた。
 今まで表立って諍いにならなかったのは、ルウの方が適当にあしらっていたからだ。
 今度もロッドのせいだとしたら、あいつめ、今度こそとっちめてやるんだから、とリタは心に誓っていた。
 ……しかし、ルウは首を振った。
「俺、あの『蒼き星船』を、追いかけていってみようと思うんだ。あれ、ずっと飛び続けているみたいだけど、仮に何らかの動力で動いているなら、必ず、いつかどこかで大地に降りてくるに違いない。あの中に、人間がどこからやってきたか、その秘密があると思うんだ。俺は、それを解き明かしたい」
 語るルウの瞳は、その澄んだ輝きの中に果てしない憧れを宿していた。
 そうだ、この瞳に惹かれたんだ。
 リタにはわかっていた。ルウを引き止めることはできない、と。
 彼女が初めて好きになったルウという若者は、そういう少年であったから。
 それでも、わがままを言わずにはいられなかった。
「行かないで」
「今を逃したら、もう俺が生きてる間には、二度とあいつには出会えない。これは最初で最後のチャンスなんだ。だから、俺は行く。後悔したくないんだ」
「だったら、あたしも行く」
「駄目だよ。リタ、君はまだ十五だ。成人を迎えてない。子供は、村から出ることは許されない。ましてや君は、村長の孫娘だ」
「行くわ」
「わかってくれ、リタ。危険な旅なんだ。あいつが現れてから、このあたりには得体の知れない魔物たちが現れるようになった。あいつを追いかけてれば、否応なしでも危険は降りかかってくる。君には剣を操ることもできないし、俺のように魔法も使えない。
それじゃあ、足手纏いなんだ。君まで守ってやれる自信がない。……わかるだろ?」
 ルウの言うとおりだった。村長の孫娘として、何不自由なく育てられてきたリタは、いかにそのお転婆さをもってしても、村の外に出て魔物たちから自らの身を守るすべを持たなかった。
 今、無理についていっても、彼の役に立たないばかりか、村の掟を破ったことで村長とルウの両親は非難されるだろう。
 そこまでわかっていても、認めることはできなかった。
「……わかんないわよ!」
「リタ……」
「だって私、ずっとルウはこの村にいるんだって……ずっと、ずっと、どこにもいかないんだって、そう思ってたのに……」
「ごめん……」
「謝らないでよ。そんなに、すまなさそうに……私、だって……」
 責める声は嗚咽になっていた。
 その身体が、窓の向こうから抱き寄せられた。
「約束するよ。必ず、帰ってくるから」
 そして、しばらく戸惑った後で、頬に優しい感触。
 そっとリタの頬から唇を話し、ルウは荷物を抱えた。
「……必ず、帰ってくるから」
 夜闇の中でもその顔が赤くなっているのがわかった。慌ててマントを纏い、少女に背を向けると、走り出す。
 遠ざかっていくその背中を見つめながら、リタは頬の感触を指でなぞっていた。

 それから、成人の儀までの六ヵ月。
 リタは剣と魔法の修業に明け暮れた。
 外界の魔物たちから自らの身を守るすべを手に入れるため。
 自分の力で生きていく力を手に入れるため。
 ルウと共に生きる未来を手に入れるため。

「どうした、リタよ、誓うのだ」
 祖父の声が、リタの意識を回想から呼び戻した。
 そうだ。迷ってなんかいられない。
 私は、今日の日のために、頑張ってきたんだから。
 リタは意を決して、居並ぶ眼差しに、高らかと宣言した。
「私の、未来は……」

 山々を渡る妖精エルティスの名を冠した、優しい風が、リタの頬を撫で、頭上の枝をさわさわと震わせた。
 あとどれだけ歩いたら、追いつけるんだろう……
 あの人に。『蒼き星船』に。
 傍らに転がる長剣を掴んで、リタは立ち上がった。
 不意に、山々の影から、ゆらりと巨大な影が姿を現しはじめたのだ。
「あれだわ……」
 蒼い、想像を絶する大きさの空を飛ぶ船。
 今まで大地にその身を横たえていたのだろうか、ゆっくりと、再び空へと舞い上がっていく。
 あのそばに……いや、もしかしたらあの中に、あの人が……。
 リタは走り出した。

 ……この時、少女はまだ、自らが世界を賭けた冒険にまきこまれることになろうとは、夢にも思ってはいなかった……

■風の精に、言葉を託して

 ――ねェ、ルウ。
 私の声が聞こえる?
 私、あなたがいなくなって、あれから、たくさんたくさん勉強したんだよ。
 村の外の世界のこと。魔物に襲われた時の身の守り方。それに、魔法も。
 この声もそう。エルティスの力を借りて、あなたの元へと伝えてもらってる。
 あなたがどこにいるのかわからないけれど、届いてるよね? きっと。

 ルウ。
 あなたに会えたら、話したいことがたくさんあるんだ。
 村を出て、あなたの足跡を追いかけて、もうどれくらい経ったのかな。
 たくさんの村や町を通って、ここまでやってきた。
 その度に、たくさんの人達と出会って、たくさんのいろんな出来事があって……
 旅の途中でね、お友達もできたんだ。
 みなもちゃんって言うの。私よりも年下みたいだけど、海みたいな青い瞳と、青い髪がすごく綺麗でね。しかも、あんなに可愛らしいのに、槍を使わせたらあたしなんかよりずっと強くて、すっごく力持ちなの。
 でも、あの子と出会った時は、ほんとびっくりしたなあ。あの時、私は魔物たちに取り囲まれて絶体絶命だったから、彼女がどこからともなく現れて加勢してくれなかったら、こうしてあなたに声を送ってることもなかったね、きっと。
 今は、みなもちゃんと一緒に、あなたを……あの星船を追いかけてる。
 他にも、嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと、大変だったこと……いっぱいあったんだよ。

 でもね、ルウ。この旅に出たこと、後悔したことなんて一度もなかった。
 あなたにどうしても伝えたいことが――ずっと昔から、ずっと伝えたかったことが、あったから。
 ずっと胸の奥にしまいこんだまま、怖くて口に出せずにいたこと。
 そのことに向き合うといつも、心の中の柔らかい部分が、きゅっと締め付けられるように苦しくなって……どうしても貴方にそれを伝えたかったのに、それを言葉にしてしまったら、取り返しのつかないことになりそうで、怖かった。
 あなたと一緒にいたときの私って、本当に子供だったんだね。
 強がりで、いくじなしで、意地っ張りで、わがままで。自分では何一つできない、何も知らなかった子供。
 ……本当は、今も大して変わってないのかもしれない。
 自分から生きる道を選んで、何もかもを自分で決めて旅立ったあなたに比べたら、貴方の背中を追いかけているだけの私は、相変わらず、子供のままなのかも。

 だけど、ルウ。これだけは胸を張って言える。
 あの頃よりちょっとだけ、私には勇気があるの。
 あなたに会って、この胸の奥にある、この気持ちを伝えられる勇気。
 今はまだ、言わないでおくけど。
 誤解しないでね。怖いからじゃないの。
 あなたにちゃんと会って、あなたの瞳を見て、伝えたい。
 だから待っててね。必ず、必ず追いつくから!

■二人の旅人

 目覚めると、頬に柔らかな羽毛の肌触りがあった。
 そこは、薄暗い宿の一室。
(……ここは……)
 海原みなもは、瞼をこすりながらゆっくりとベッドから身を起こした。
 バルコニーに通じる両開きの扉は開け放たれていて、その向こうからわずかに潮の香りを含んだ涼やかな秋の夜風が流れ込んでくる。
 そしてバルコニーの彼方、夜空に輝く満天の星々と月の光が、部屋の中を淡く照らしていた。
「ごめんね、起こしちゃったかな。扉開けっ放しだったから……寒かった?」
 バルコニーで夜空を眺めていたリタが、みなもの傍らへとやってきた。
(……そっ、か。あたし、またここに来ちゃったんだっけ……)
 みなもは心の中でそう呟いてから、リタに向かってにっこりと笑った。
「ううん、平気です。リタさんこそ、ずっと夜風にあたってたら風邪ひいてしまいますよ」
「うん……でも今夜は、なんだか眠れなくて」
「ルウさんのこと……ですか?」
 みなもがそう問うと、リタはしばらく黙してから、小さくうなずいた。
「今夜も、『風伝(かぜづて)』をやってみたの」
「ルウさんからの返事は?」
「ないわ……これまでにも、数え切れないくらいルウに言葉を送っているのに……彼からは何の返事も来ない……」
 風の精霊エルティスに言葉を伝えさせる『風伝』の魔法は、もともとルウが最も得意としていたものだ。
 それなのに、彼が返事を返してこないということは。
 そんなことを考えていたのだろう、月明かりに照らされたリタの表情は曇っていた。
「大丈夫ですよ」
 みなもはリタの不安を打ち消すように、にっこりと笑った。
「これまでにもあちこちの村で、ルウさんの姿を見たって人がいたじゃないですか。ルウさんはきっと元気です」
 そして、ルウと星船の噂をたどってきた二人は、ようやく海を臨むこの村へとたどりついたのだ。
「うん……でもね、私、怖いの」
「怖い?」
「本当はルウにとっては、私なんか……。こうやって彼を追いかけてきた事だって、本当は彼にとっては迷惑なことだったんじゃないかって」
「リタさん、ルウさんの為にがんばってここまで来たじゃないですか。その想いは必ずルウさんにも届いてるはずです。大事なのは、諦めないことです」
「みなもちゃん……」
 リタは、ベッドの上、みなもの隣に腰を下ろすと、みなもの小さな肩にそっとよりかかった。
「不思議ね。なんかみなもちゃんのほうが、私なんかよりずっと年上みたい。出会ってからずっと、みなもちゃんに守られてばかりだし」
「そんなこと……」
「考えたら私、みなもちゃんのこと、あんまり知らないね。みなもちゃんって、この国の人じゃなさそうだけど……どこから来たの? どうして私と一緒にきてくれるの?」
「それは……」
 みなもがそう口にしかけた時、不意にバルコニーから差し込んでいた月明かりが途切れた。
 突如訪れた完全な闇に、二人の少女が戸惑いの表情を浮かべた次の瞬間。

 ……轟音が、世界を揺るがした。

「あれは……」
 慌ててバルコニーに出た二人が目の当たりにした、星空を覆うように浮かぶ、巨大なその影は――。
「……蒼き、星船!」

■破滅の光

 天地を震わせるかのような轟音をあげて、二人のはるか頭上に浮かんでいる巨大な建造物。
 それは船というよりは、無骨な鉄の塊を無造作に積み重ねて造られた巨大な城郭のようであった。
 初めて間近で見るその威容に、みなもはおろかリタさえもが、思わず息を飲んだ。
「いつの間に……!」
 これほどの巨大なものが、二人の気づかぬうちに何処から現れたというのか。
「――ルウ!!」
 リタは、頭上の星船に向かって、力の限り叫んだ。
「その中にいるんでしょう!? 私の声が聞こえてるんでしょう!? 答えて!! お願いだから、返事してよ!!」
「リタさん……」
「私の呼びかけを聞いて、来てくれたんでしょう!? 私、ずっと待ってた! 貴方ともう一度会いたくて、ずっと旅を続けて来たの!」
 しかしその声は、星船の上げる悲鳴のような轟音に、儚くのみこまれ、かき消されてゆく。
 そしてそれに応える代わりに、星船の尖塔と思われる部分の先端から、紅い光が閃いた。
「あれは……!?」
「だめ、隠れて!!」
 不吉な予感に、みなもはリタの手を引くと、バルコニーから室内へと飛びこんだ。
(あの光を浴びてはだめ!)
 床に倒れこんだリタ。みなもがバルコニーへの扉を閉ざした次の瞬間、星船より放たれた紅い光が世界を満たした!

 ……それは、ほんの数秒のことだったかもしれない。
 紅い光が消え、気がつくと星船から響いていたまがまがしい轟音も消え――。
 おそるおそる、みなもがバルコニーへの扉を開くと、ほのかな月明かりが差し込んできた。
 星船の姿は消え、世界は夜にふさわしい穏やかな空気と静寂を取り戻していた。まるで最初から何事もなかったかのように。
「今のは……一体……」
 なんだったの、とリタが口にするよりも早く。
 村の家々から、眠りについていたはずの村人たちが次々と姿を現した。
 ほのかな月明かりの下ですらわかるほどの、人ならざる、異形の魔物の姿となって。
 四肢が捻じ曲がり蟲のように這いずる者。体躯が膨張し、巨人のように変化した者。肌がただれ、身体から触手が生え出した者。すでに人の原型をとどめなくなった者。
 それはまさしく、悪夢のような光景であった。
 その時、あの紅い光の正体が何であったかを悟って、二人の身体に戦慄が走った。
「星船の現れるところに、魔物もまた現れる……。星船が……人を魔物に変えていたなんて……」
 そして自分は何も知らずに、これまでに数多の魔物達と戦い、葬り去ってきた。
「止めなくちゃ……あの星船を」
 リタは唇を噛むと、ベッドの脇にかけられた愛剣に手をかけた。
「その前に」
 みなもも、旅の荷物とともに床に並べられていた、槍を手に取った。
「あたし達と同じように、あの光を浴びずに済んだ人たちがいるかもしれません。探して助けてあげないと……!」
「そうね。それに――」
 宿の廊下に通じる木製の扉が、激しい打撃音とともにきしんだ。その向こうから、獣のような低い唸り声が聞こえてくる。それも、複数。
 二人は、各々の武器を手に、身構えた。

■決意

 魔物達の正体が姿を変えられた人間だとわかった以上、彼らを傷つけたくない。そうリタは言った。
 可能な限り魔物達を避け、二人は家々を回った。
 星船の光を浴びずに済んだわずかな村人達を助け出し、辛うじて魔物達の蠢く村から脱出した時、すでに夜は明け、そしてリタは右脇腹に深い傷を負っていた。
 応急処置は施したものの、彼女の傷は自力では歩けなくなるほど深刻なものだった。魔物達相手に剣を振るうことに戸惑った、その一瞬の隙を突かれたのだ。

「ごめん……ね、みなもちゃん」
 助け出した村人の一人に背負われながら、リタは力のない声で、そうみなもに言った。
「ううん、謝ることなんてない」
 みなもはそう言って、リタを見つめた。
(やっぱり、こうなることは、止められなかった)
 みなもは知っていた。こうやってリタが傷つき、そしてルウと再会する夢も叶わぬまま、その物語が終わってしまうことを。
(あたしがいても……この物語の結末は、変えられないというの?)

 村から離れた海岸ぞいの森に、村人たちとリタ、みなもはその姿を隠した。
 一夜にして村と家族、大切なものを失い、村人たちもまた疲労していたが、自分たちを助けるために傷ついたリタに対して、彼らは心遣いを惜しまなかった。
 しかし、森で摘んできた、傷に効くという薬草を用いても、リタの苦痛をわずかに癒すことさえできなかった。
「熱がひどいな……」
 リタの容態を見ていた村人が、悔しそうに言った。
「治癒の術に長けたものさえいれば……!」

 薬草が効いているのか、リタは柔らかな草葉を用いて村人達が作ってくれた寝床の上で、静かに寝息を立てていた。
 熱のせいで紅く染まったその頬に触れて、みなもは悲しげな表情を浮かべた。
「あたしに、もっと力があれば……あなたを助けてあげられるのに……!」
 南洋系列の人魚の末裔である彼女は、水や海水を操る能力を生まれながらに持っていた。そして彼女と同じ種族の者の中には、血液の流れに働きかけることで、人が持つ治癒力を加速させ、傷を癒す術を操る者もいる。
「……あたしね」
 眠るリタの髪をなでながら、誰に聞かせるでもなく、みなもは呟いた。
「本を買ったの。気まぐれに、学校の帰りに見つけた古本屋さんで」

 みなもが手にしたその本は、店頭のワゴンに並べられていた、古びた文庫本の中の一冊だった。
 前の持ち主に何度も読みかえされていたらしく、ぼろぼろになった表紙。それを包むはずだったカバーもなくなっていて、中の紙もすっかり黄ばんでいた。
 ほんの暇つぶしのつもりで買ったその本に、みなもはいつしか引きこまれ、そこに記された物語を夢中になって読んだ。
 そして、物語の結末を知ったとき、みなもは落胆すると同時に、夢想した。
 もし自分が、この物語の中にいたら。
 愛しい人に再び巡りあうことなく、旅の途中で倒れ、死んでいくこの少女の物語を、変えることができたら。

「だから、あたしはここに来たの」
 言いながら、気がつくとみなもはぽろぽろと涙を流していた。
「この世界が、他愛もない夢でもいい。幻でもいいの。あたしは自分がいることで、何かを変えたかった。変えられるって信じたかった。誰かに……あなたに、違う未来をあげられたら、幸せな結末をあげられたら、って思ったの」
 その時、リタの手のひらが、みなもの頬に触れた。
「泣か……ないで。みなもちゃん……」
 眠っていたはずのリタが、かすかに微笑んで、みなもを見つめていた。
「私、一人だったらきっと、不安や、絶望に……押しつぶされて……ダメになってた。みなもちゃんがいてくれたから……ここまで来れたのよ」
 そして、リタの手のひらが、みなもの手のひらを包んだ。
「今度だって……大丈夫だから……ね?」

 その夜。
 みなもはリタを村人達に任せて、一人海岸へと向かった。
(治癒の魔法……ルウさんなら、きっと……!)
 その手に、槍のみを携えて。
(待ってて、リタさん……必ず、ルウさんを連れて戻ります!)

■水底に眠るもの

  天より墜ちたる罪のかけら、
  蒼き骸となりて、
  より深き蒼の水底にその身を沈めたり。
  かの地『天の沃野(フィアネル)』、
  忌まれし神の褥となりて
  災いの御手より人の子らを護らん。

 旅の途中、みなもとリタが手に入れた文献には、そんな言葉が記されていた。
 フィアネル海と呼ばれるその海が、みなもの目の前に広がっていた。
(やはり……潮の流れがおかしいわ)
 打ち寄せる波が手のひらに触れただけで、みなもはその海に起こっている異変を見抜いていた。
 この大地の重力を歪め、潮の流れさえも変動させるような、巨大な『何か』――それは間違いなく、この海の底に潜んでいる。
(求めるものが海の中ならば、そこはあたしの本来の世界。必ずたどりついてみせる)
 みなもはためらうことなく、浜辺から、広大な海の世界へと、踏み込んでいった。
(さあ、母なる海よ……あたしを受け入れて!)
 そして彼女は、『本来の姿』へと、化身した。

 彼女にとってはとても懐かしい、それでいてどこか異質な、深い蒼の世界。
 人魚の姿となった彼女以外に、その広大な空間に存在するものはない。
 ただひたすらな静寂と虚無。蒼の狭間に揺らぐ、地上からの光と、水底の闇。
 それが皮肉にも、『天の沃野(フィアネル)』の名を冠されたこの海の世界の全てだった。
 その理由は、すぐにわかった。
 それが水底に眠る、『忌まれし神』の意志なのだと。
 深い深い蒼の果てに、『蒼き星船』と呼ばれた、その神の残骸は横たわっていた。

 積み重なった瓦礫の山のような、星船の外壁をしぱらく探索して、内部へと通じる入口を見つけ出したみなもは、慎重に中へと進んでいった。
 そして、その先に閉ざされた鋼鉄の扉を見つけた。
(やっぱり……これは、この世界の技術で作り出されたものじゃない。明らかに、遥かに進んだ文明によって作り出されたもの)
 扉に手のひらを重ねると、そこから微妙な振動が伝わってくるのを感じた。
(これって……水圧の変化で扉が開くんだ)
 水を操れる彼女にとっては、鍵が手元にあるも同然。
 扉が開くと、その向こうには驚くべきことに、空気があった。
 いかなる仕掛けか、外から水が流れ込むようなこともなく、海水に満たされた世界と、空気で満たされた世界がそこで分かたれていた。
(やはり、この中なら、人がいても……ルウさんがいても、おかしくない)
 みなもは再び人に化身した。水から離れた場所では、むしろ彼女は本来の力を失うに等しい。
 この先頼れるものは、携えてきた槍だけだった。

■ルウ

 星船の内部は、まさしく科学技術によって生み出された宇宙船の通路そのものだった。
 グロテスクな程に雑多なもので築きあげられていた外壁部分とは異なり、通路は整然としていて、廃墟と化しているとは思えないほどだ。
 その長い通路の果てに、広大な部屋があった。
(コンピュータールーム? ここはまだ……『生きて』いる)
 みなもが踏み込んだその部屋は、まさしくこの星船の中枢部と思しき場所だった。
 壁一面に埋め込まれたモニターとコンソール(入力装置)。いたるところで七色の燐光を閃かせたそれらは、まるで都市のネオンのようにも見えた。

《異界の人魚よ》
 不意に響いたその声に、みなもは槍をかざして身構えた。
《恐れを知らぬ異界の人魚よ。神の眠りを乱しに来たか》
「――誰!?」
 問い掛けたみなもの声は、広大な室内で幾度も反響して消えた。
《私は、『ルウ』》
「ルウ……さん!?」
 みなもは警戒を解いた。槍を下ろし、姿なく響く声の主に叫ぶ。
「あたし、あなたを探して、リタさんと旅をしてきたんです!」
《私を……探して、だと……》
「リタさんがあなたに会いたがってるんです! お願いです、あたしと一緒に地上に戻ってください!」
《リタ……? 知らぬな》
 その声には、嘲笑の響きがあった。
「そんな……! リタさんには、ルウさんが必要なんです! 今も、ひどい大怪我をしてて……あなたが来てくれなければ、リタさんの命は……!」
《卑小にして脆弱なる人間の命のことなど、私の関知するところではない。この船のシステム維持と侵入者の迎撃、そして『神(マザー)』の意志であるテラフォーミング計画の遂行、それがガーディアン・システムであるこの私に与えられた役目》
「ガーディアン……システム? あなたは、一体……」
 その問いに答えるように、室内中央にそびえ立つ柱が自動照明で照らし出された。
 そこには、全身にプラグを接続された、一人の青年の姿があった。

《……私は、ガーディアン・システム『ルウ』。『神(マザー)』亡き後、その眠りを護るべくこの世に生を受けし者》

 その瞬間、みなもは全てを悟った。
 今ここにいる『ルウ』は、リタが捜し求めてきたルウとは、全く異質の存在へと変貌を遂げてしまっていたことに。

《異界の人魚よ、うぬとの戯れにもそろそろ飽きた。かつてこの海に生きた数多の命と同様、うぬも『天の沃野(フィアネル)』に漂う無数の塵となり果てよ!》

 声に宿った激しい敵意。
 ……もう彼は、かつてのルウではない。
 でも、あのプラグさえ外せば……!

 みなもは最後の望みをかけて、手にした槍を振りかざした――。

■帰還

 手のひらに集ったその光は、とても優しく、暖かく輝いた。
 まどろみの中で、リタはその感覚をとても懐かしく感じていた。
 ……そう、あれは子供の頃。
 転んで、ひざをすりむいた時。
 樹の上から落ちて、頭を打った時。
 野生のトビネコを捕まえようとして、腕を引っかかれた時。
 傷ついた時はいつでも、彼がそばにいて、癒してくれた。
 身体だけじゃない。心が傷ついた時だって。
 ずっと、その暖かさを感じていたかった。そばにいて欲しかった。
「ル……ウ……」
「なんだい?」
 朦朧とした意識の中、その優しい声は確かに聞こえた。
 そしてリタは感じた。ずっと欲しかった、ずっと求めてきたそのぬくもりが、今そばにあることに。
「私、怖い夢を……見てた……」
「どんな夢だい?」
「あなたがいなくなって……ずっと……世界をさまよう夢……。ずっと、長い……長い間……」
「……そうか……辛かった、かい?」
「怖かった……けど、辛くは……なかったの」
 リタは、幸せそうに笑った。
「大切な友達が……そばに、いてくれたから……」

「行くのかい?」
 去っていこうとするみなもに、紅い衣を纏った青年が声をかけた。
「もう、あたしの役目は、終わりましたから」
 そう言ってみなもは、にっこりと笑った。
「せめて、彼女が目を覚ますまで、待っても……」
「笑ってお別れ言うの、苦手なんです、あたし」
 そう言ったみなもの表情は、微かに揺れていた。
「だから、引きとめないでください」
「……わかった」
 青年は諦めて、優しく微笑んだ。
 青年には、星船の一部であったときの、全ての記憶があった。
 長い旅の果て、追い求めた星船にたどり着き、そのメインコンピューターである、『マザー』に魅入られてしまったこと。
 『マザー』が機能停止した後の補助システムとして、いわば生体コンピューターという形で利用されつづけてきたこと。
 そして、狂った『マザー』の指令に従い、人間達を魔物へと変えつづけてきたこと。
「『蒼き星船』は、本来地球という星からの移民船だった。そして原始生物しかいなかったこの星を、人類の住みやすい環境に変え、生物を地球生命に近く進化させる機能をも持った巨大なテラフォーミング装置でもあったんだよ」
 その説明は、みなもには少し難しかった。ただ、青年はその為に、途方もない命を魔物へと『進化』させ、その罪を一生背負って生きていく。それだけは理解できた。
「君のことは忘れない。僕も、彼女も」
「あたしも、忘れません。……お元気で」
 そして、みなもは歩き出した。
 リタの物語から、自分の物語へと。

※ ※ ※

 目覚めると、頬に柔らかな羽毛の肌触りがあった。
 そこは、薄暗い一室。
(……ここは……)
 カーテンを開けると、優しい朝の光が部屋に差し込んできた。
(……帰ってきたんだ、あたしの部屋。あたしの世界に)
 そしてふと、枕の下敷きになっていた、一冊の文庫本を見つけた。
 寝る前にベッドで読んでいて、そのまま寝てしまったのだろう。
 そっと拾い上げて、大切に本棚へとしまう。
 その本に記された物語の結末は、みなもには決して納得のいくものではなかった。
 しかし彼女は、いずれまたその本を開くだろう。
 もうひとつの結末は、彼女の心の中にあるのだから。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 /  PC名   / 性別 / 年齢 / 職業  】
【 1252  / 海原・みなも / 女  / 13 / 中学生 】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 はじめまして、たおと申します。
 この度は、作品のご発注をどうもありがとうございました!
 海原様は記念すべき第一回目のお客様です。ありがたやありがたや。

 実をいいますとご発注いただいたこの『蒼き星船』は、僕の手違いで草間興信所のサンプルとして載ってしまったやつで(こんなこと書いちゃっていいのかなあ^^;)、本当はあの後、続きを書くつもりなんてまったくなかったんですよね。
 東京怪談という現実世界(?)を舞台にしたシリーズとの整合性の問題もあるし……。
 正直、かなり苦しみましたけど(笑)、出来る限りたくさんの思いをつめこんで全力で書かせていただきました。
 まずは読んで楽しんでいただけて、結果的に何か少しでも、海原様の心に残るような作品となれば幸せです。

 よろしければぜひ、またのご発注をお待ちいたしております。
 もちろん、感想・苦情などもぜひお寄せいただけると嬉しいかぎりです。