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<東京怪談ノベル(シングル)>


――― 青の戦慄 ―――

 その部屋に入って最初に目に飛び込んできたのは、痛いほど白い壁と天井。殺風景で冷たい雰囲気の部屋だ。ここまでみあおを連れてきた男たちは、さっさと出て行ってしまった。
 一人取り残されてみあおは慌てて扉を叩いたが、すでに鍵がかけられているらしく、扉は開かなかった。
 叩いて壊れるような扉ではないし、どんなに声をあげても誰も聞いてはくれない。
 ・・・・・・毎日のように続いてることなんだから、いい加減諦めればよいのに。
 心の片隅にそんな思いが浮かんだけれど、認めなかった。一度認めたら、痛い事にも怖い事にも何も感じられなくなってしまうような気がしたから。
 それはみあおが『壊れる』時だ。
 しっかり自覚していたわけではないが、なんとなくそんな気がしていた。
 ぶんぶんと思いきり首を振って、浮かんだ思考を散らせる。また嫌な考えになるまえにと、とりあえず周囲に目を向けた。
 たいして広くもない部屋は、恐怖と不安を募らせ、みあおの精神に強い圧迫感を与えた。
 今までいろいろな実験に付き合わされたが、この部屋に連れてこられたのは初めてだった。
 見たことのない部屋、イコール、今まで経験したことのない事態が起こるということ。
 どんな痛いことがあるのか、どんな怖いことがあるのか・・・・・わからないから、不安になった。
「やだ・・・・ここから出して・・・・・・」
 その願いが叶えられないことは、もう知っている。だけど、このまま黙っていることが耐えられなかった。
 自分で自分を抱きかかえるように両手をまわして、その場にしゃがみ込む。
 今にも泣き出しそうになるのを必死に堪えていた時、ふいに何かの音が響いた。
 甲高く、一定の大きさを保って響く音に、みあおは顔をあげた。
 どこから聞こえてるんだろう・・・・・?
 ほんの少しでも気を晴らすために――音の発生源を探そうと立ちあがった瞬間、青い色が眼の端に留まった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 嫌な、予感がする。
 見てはいけない。
 けど、確かめたい。
 みあおはゆっくりと・・・・・・ひどく緩慢な動作で視点を移動させた。
 そして、青い色の正体を知る――
「っ!!」
 肩のあたりから腕にかけて、青い羽毛で包まれ始めていた。
 ・・・・・・・・・あれは、夢ではなかった。
 初めてここに来た日・・・・・・みあおに起こった出来事・・・。
 夢だと思いこもうとしていたあの変化は・・・現実だった。
 こんなのみあおじゃない!
「やだっ!!」
 恐い・・・・・・。
 自分の体が自分のものではなくなってしまうようで、恐かった。
 ボロボロと涙が零れる。
 思いきり羽根を引き抜いたその下に、また青い色があった。
 何度羽根をちぎっても、鮮やかな青は消えない。
「なんで・・・取れないの・・・」
 床に、何十枚、何百枚もの羽が散らばる。
 それでも腕は青い羽毛で包まれたまま――少しずつ手の方へとその面積を広げて行く。
「・・・ひっ・・・」
 羽根を引きぬこうと上げた手の先に指が見えなくなって、みあおはほとんど声にならないような悲鳴をあげた。
 咄嗟に手を払うが、羽根は抜けない。
 何でもよいから・・・・・・もう・・・。
 ・・・・・・いらない。こんなの、いらないっ!

 バンッ!!

 錯乱状態に陥って振り払った腕が、思いきり壁にぶつかった。
 痛みは・・・・・・なかった。  
 ただ、こんな腕はいらないと、咄嗟にそう思っただけだ。その思いが、あるべき痛みを上回った。
 腕ごと切り離してしまいたい衝動に駆られても、ここにはみあお以外の物は何もない。
 拒否する事すらできない――拒絶しても無理やり滑り込んでくる異物に、吐き気さえ感じた。
 突如、ズキンと体全体に痛みがはしる。
 立っていられなくなって、みあおはその場に倒れ込んだ。
 肩、背中、肘、膝、それから・・・・・・痛みを堪えるために、みあおはギュッと瞳を閉じた。
 イタイと叫ぼうと開いた口からは、悲痛な悲鳴しか出てこなかった。
 動けなくて・・・・・とにかく、早くこの痛みが過ぎるのを待つしかなくて・・・・・・。
「いや、いや、いや、いや――」
 否定の言葉だけを呟きつづける。
 何も、考えられなかった。
 痛みが思考を妨害する。
 止まらない涙を拭うこともできなくて、ただただひたすら、待った。




 ――・・・・・・まるで何時間も経ったような気がした。
 いや。時計はないし正確な時間もわからないから、本当にそれくらいの時間が経っていたのかもしれない。
 ふいに痛みが消えて、みあおはゆっくりと瞳を開いた。
 終わったんだろうか・・・・・?
 そう思いつつも確かめる勇気はなくて、わざと腕は見なかった。
 見たくない物が目に入らないように、慎重にその場に立ちあがる。
「・・・・・・・・・・え?」
 いつもと、視点が違う。
 いつもより高い視点に、みあおは目を丸くした。
 反射的にバッと自らに目を向ける。
「・・・・・・・・・・誰・・・・・・」
 見慣れない、体。
 見慣れた自分の体とは明らかに違う、体。
 身長が違う。体つきが違う。それに腕の翼。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
 ああ、そうか・・・・・・・・・・・・。
 妙に冷静に、思った。
 みあおは、もう、みあおじゃないんだ。
 懐かしいのに思い出せない――帰りたい場所には帰れない。
 心が、妙に凪いでいた。
 まるで、風のない湖面のようだった。
 その奥底にあるいくつもの想いに、みあおは、気付いていなかった。
 何ものも映し出さない瞳。なんの感情の色も浮かばない表情。

 ・・・・・・・・・・・認めてしまえ。
 心も、意思も、想いも、感情も・・・・・全て、捨ててしまえばいい。

 どこかで誰かが呟いた――そんな気がした。