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<東京怪談ノベル(シングル)>


抑止ノ腕

 自分の嫉妬深さを知った時、人はどう思うのでしょう。どんな行動に出るのでしょう。
 あの時わたくしには、あの方に抱かれること以外何もできませんでした。
(そうやって忘れる以外に――)
 けれど忘れるどころか、癒され、導かれました。
 これはそんな日の、思い出。



 ――妹が覚醒した――
 その知らせを聞いて、ちょうど手の空いていたわたくしが妹を迎えに行きました。
(本当は)
 その時点で既に、わたくしは気が進みませんでした。
 何故なら想像がついていたからです。深海へ連れてこられた妹が、どうなるのか……。
(笑って「おめでとう」と、言えるかしら)
 わたくしは色んな不安でいっぱいでした。
 人魚としての覚醒は、喜ばしいことなのです。わたくしたちは混血ですから、覚醒して初めて認められ、深海へやってくることを許されます。
 本来人魚の純血種は、力が強く不老不死ですが、性欲はあっても子孫を残そうという本能はありません。そのため子どもの出生率は限りなく0に近いのです。
 ですが、陸(おか)に上がり長く過ごした人魚の中には、人に感化されその本能が揺らぎ、人との間に子を儲ける者も少なくありませんでした。
 そうしてできた子ども――わたくしたちは、人魚としての力は弱くとも、数がそれほど多いわけではないので、純血同様大切に扱われてきました。覚醒したら深海へ……というのも、人魚として受け入れるためなのです。
(ことほぐべき)
 ことなのに……。
 素直に喜ぶことのできないわたくしは、そのままの気持ちで、妹を深海へと連れ帰りました。そして案の定、あの方は妹の味見をなさったのです。
(わたくしが最も、恐れていたこと)
 こうなることがわかっていたからこそ、喜べなかった。不安だった。
(もしかしたら)
 あの方はそんなわたくしの卑しい心を知っていたからこそ、手を伸ばしたのかもしれません。
 すべてが終わるまで、わたくしは1人自分を抱きしめていました。
(今)
 あそこにわたくしの居場所はない。
 心にも、その腕の中にも。
(わたくしはいない)
 どこにも――
 湧き上がる感情を、抑えることができませんでした。だからせめて力で抑えようと、抱きしめていたのです。
 妬み。
 憎しみ。
 妬み。
 憎しみ。
 普段のわたくしからは想像もつかないほど、溢れ出す感情の波はとまりません。
(こんなわたくし……)
 知られたくないのに――
 けれどわたくしの還る場所は、1つしかないのでした。
 妹が地上へ帰った後、抱かれるのはわたくしです。
(忘れたい)
 悟られぬよう、忘れてしまいたい。
 けれどその腕の中で思い出すのは、何かを伝えそうだった妹の瞳でした。
 過剰認識により、あの間の出来事を知らない妹。わたくしが苦しみ続けた時間を、快楽で過ごしたはずの妹。
 その視線の意味を問えなかったのは、わたくしに残されたプライドのせいなのかもしれません。
(何だか……馬鹿みたいだわ……)
 わたくしがどんなに苦しんでも、何一つあの子に伝えることはできないのに。
 こうして抱かれていても、それを思い出すなんて。
(この腕の中ですら)
 わたくしの感情をとめることはできない……?
 突き抜ける痛みと感情に、流す涙はいつものこと。けれどその違いを、あの方は察して教えて下さいました。
 わたくしの様子を心配していた、妹のこと。
(そう)
 妹は気づいていたのです。
 会ったその時から、様子のおかしいわたくしに。わたくしが抑えられない嫉妬に燃えている間も、わたくしを心配していたというのです。
(それを聞いた瞬間)
 わたくしの心にわだかまっていた黒い思いが、浄化してゆくのを感じました。
(なんて愚かなのでしょう)
 たった一度の交わりに、我を忘れるほど嫉妬して。あの子がどんな思いでいたのかなんて、考えられませんでした。自分で精一杯だったのです。
(恥ずかしい……)
 わたくしを心配してくれるあの子を、わたくしは少しも心配してあげられなかったのですから。
 あの方のおかげで嫉妬の海から脱したわたくしを、次に襲ったのは至上の悦楽でした。
 感情から解き放たれた、心地よさ。
(ああ……今やっと)
 わたくしはここへ、還ってきたのです。
 そしてこれから幾度となく、還ってくるのでしょう。
(一度きりではない)
 わたくしに許された時間は、果てしなく永いのですから。
 そうしてわたくしは、楽園へといざなう腕にすべてを委ねたのでした――。






(了)