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<東京怪談ノベル(シングル)>


find one's white knight

 月、天心に到り。
 春の月光が遍く全てを柔らかく朧に包み込むに、盛りを過ぎて朽ち行くを由とせぬ花が、光を含んで散りかかる。
 けれど、暴く強さを持たぬ月であるからこそに、それが作り出す影は深く濃く、優しい。
 その静けさに沈むように、沙倉唯為は立っていた。
 黒のスーツのスーツに含んだ暗く重い赤は、黒という色、ただそれだけでは表しきれない翳りを…穢れに染まった彼の姿を影よりも濃い闇とする。
 右手に下げた抜き身の刀身だけが、白々とした月光の如くに光を纏う。
 白銀の刃はまるで汚れを知らぬよう、けれど血の臭気の如くに漂う妖気はその刀『緋櫻』から発せられ、それは飛花を惑わせて唯為…否、『唯為』に触れさせない。
「……満足したか?」
薄い微笑みに『緋櫻』を上げ、握る手に唇を寄せる。
 妖刀はその動きに合わせて、水の如くに区から刃へ映した月影を滑らせて切っ先で月光を真円に弾いた。
「そうか」
くつ、と喉の奥に笑い、眩しげに細める瞳は金。
「…だがそろそろ返してやるか」
『緋櫻』を片手で青眼に構え、その棟を上から下へ、刀印でなぞる。
「おやすみ」
その声に明らかな変化で『緋櫻』が刃の明度を落とすに応じて、妖気が風に散るかのように消え去るに、『唯為』は次いで眠りに似た吐息に瞼を落とし…もう一度、開くその瞳は銀、へと変じていた。
 自分の意思に依らない意識の覚醒…過去の記憶と現在の状況との齟齬感が与える眩暈に、唯為、は片手で強く掴むように目元を覆った指の間に周囲を伺い…細く息を吐く。
 眼前には固く閉ざされた門…重厚な日本建築に相応しい門構えから左右に伸びる白壁は高く、敷地の内を覗かせはしない。
 其処に掲げられる、『十桐』の名。
「何を今更…慰めが必要な歳でもないだろうに…」
血にまみれた自分の情けない姿を見下ろし、自嘲が口許に苦い笑いを刻む。
 鬼と化した山神が見せた幻影、燃え上がる桜。
 焔の記憶は、抗いの適わぬ狂気に容易く自我を呑み込んで血を欲する。
 その間の行動は記憶していないのが大半だが、自分の手が幾つの命を屠ったか、は手が、その独特の感覚を覚えている…そして、その高揚も。
 血は芳しく、苦痛の声は心地よく、生きた命が動かなくなるのが楽しく、快楽の甘さに酔う、そんな自分を持て余した。
 飽きるほどに血を浴びて、漸く正気に戻る毎に足を向けた屋敷…『唯為』がわざわざここで唯為に戻したのに腹黒い含みを感じる。
 月の位置から見るに夜も深いのだろう。
 邸内はひっそりと眠りの気配に静まり、見上げる目線に樹齢も知れぬ桜の大樹が、力強さに花の盛りと誇ると同時に、静かな潔よさで、花弁を散らす。
 闇の虚空に光を含んで舞い、舞いと思いの及ばぬ動きに飛花は夜天に冷えた空気に仄かな温もりを錯覚させるに、思わず掌で受け止めようとするが、花弁はそれを厭うてかふうわりと肌を滑って地に落ちる。
「俺の所為で、もう…白い桜を緋に染めてはいかんからな…」
視線を落とした掌に、変色しかけて、肌にこびり付く血の色。
 もう鼻は麻痺してしまったのか、独特に鉄錆めいた匂いを匂いとして認識せず、かわって桜の…淡すぎて芳とさえ捉えられないはずの瑞々しいように清しい甘さが周囲を漂う。
 それだけに、穢れを負う己がこの場でどれ程に異質かが知れる。
 それでも、あのぬばたまと、幻惑の如きに色を変える瞳が己の姿を認め、その深く静かな声で名を呼ぶにようやく、戻れたのだという現実に実感を求めて…己が、唯為である確証を欲して、訪わずに居られなかった。
 そしていつ如何なる時でも、唯為がどんな姿でも、厭わずに受け容れてくれたのは、数多の時と人とを見つめ続けてきたこの大樹と同じ名を持つ青年のみで。
 冷え切って感覚の遠い手が、意に添わずに微かに震えるのは、果たして寒さだけの為か。
 唯為は花弁を受け取りそこねた手を拳に握ると、門に背を向けた。
 踏み出せば濃い疲労に足が重く、水底を進むような鈍重な抵抗を感じる…が、無理矢理に歩を進めて来た道を引き返す、背に。
 軋んで擦り合う鈍い音に、声が重なった。
「…唯為か…?」
…名を呼ぶ声は、己を認められぬ弱さを埋める為でなく、確かな強さを自分の物とする為に、望むだけ何度でも与えられる…奥底深く潜む影も、精神を蝕む紅蓮も凌駕して、何処までも強く清冽な純白の救い。
 咄嗟、振り返る視界に映るのは、大きく月光を含む桜の大樹と、そして…。