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<東京怪談ノベル(シングル)>


交差する時間


 波の震えから、呼び声を掴む。
 人魚を呼ぶ合図だ。
 この音が鳴る理由は一つ。
 人魚検定実習の時だけ。
 あたしは海草に触れていた手をとめて、音のする方へ向かった。
 ――今回は何をするのかなぁ……?

 人魚検定実習は、人魚の能力が落ちていないかを調べるためのもの。
 要は、人魚としての訓練をさぼっていないかどうか。
 だから実習はいつも抜き打ちで行われる。
 割とこまめに行われているところを見ると、さぼってる人は多いのかもしれない。
 あたしはちゃんと訓練しているけれど――それでも緊張する。
 実習は危険を伴うもので、死者が出ないようにはされているけど、重傷者は毎回出ている。
 訓練は怠っていないとは言え、気が抜けない。
 ――もっとも、気を抜くって言葉は元々好きじゃない。
 何に対しても、まっすぐ受け止めるのが一番。真剣なのが好き。

「今回は、蟹を倒してもらうわ」
 あたしより少し年上の人魚が、教官として実習内容を伝える。
「海底に巣くう巨大蟹よ。ノルマは一人三匹」
 一通りの説明が終わると、装備品を手渡された。
 銀色の細くて長い槍。刃の部分はさざなみを思わせる形をしていて、古代文字のようなものが彫られている。
「柄を眺めてみて」
 そこには水色の宝石が埋め込まれていた。水の飛沫のように輝いている。
 ――綺麗。
「それはマーメイズ・ティアーと呼ばれている石よ。実際、この石は水の中でだけ光るわ。海底に潜れば潜るほど、色は青くなり、私達の力を引き出してくれるわ」
 その名前は聞いたことがあった。
 誰から聞いたかは忘れたけど――『人魚の涙のように綺麗な石がある』という言葉は憶えている。
 ――あたしの涙も、これくらい綺麗なのかなぁ……。
「みんな、鎧をつけてみて」
 教官に促されて、あたしは鎧を着た。
 すごく軽くて、シルクみたいな肌触りだけど、普通の服よりも分厚い。
 胸元のあたりには羽のような紋章が左右に描かれ、中央にはマーメイズ・ティアーがはめ込まれている。
 古代文字のようなものが左腕に書かれ、袖は、波に見立てた緩やかなカーブ。ふわふわしていて、着心地が良い。
「さぁ、お行きなさい」
「はい」
 礼儀正しく頭を下げて、あたしは海底へ向かう。
 相手は巨大蟹三匹。頑張らなきゃね。


 尾びれをしなやかに動かす。
 海底へ海底へ、視界はだんだんと青く青く。
 海はとても深くて青い。
 元々海は好きだったけど、あの頃は海のことなんて殆ど知らなかった。
 こんな風に青い海底も、水の囁きも、優しさも冷たさも。
 もしあたしが人魚じゃなかったら、今頃どんな日々を過ごしているんだろう。
 ――そういえば、昨日学校でクラスの子に誘われたなぁ。
『明日遊ばない? この辺にケーキ専門店が出来たんだよー』
 あたしには人魚の訓練があったから断ったけど――。
 もしあたしが人魚じゃなかったら、今頃ミルフィーユでも食べていたのかも。
 それか、もしかしたらあたしから誘っていたかもしれない。
『明日遊ばない?』
 そう切り出して、ケーキの話を友達とするあたし。
 きっと、来週も再来週も同じように遊びに出かけて、買い物したりご飯を食べたり……それが日常になっているんだと思う。
 ――『日常』かぁ。だったら、今のあたしの生活って何だろう。
 水の流れが変わった。
 上から見て底の方が赤くなっている。
 ――蟹だ。
 槍を握り締める。
 一旦離れてから勢いを付けて突っ込み、蟹の腹部を突いた。
 ズン! ――槍がしなる。
 水を揺らし、もがく蟹の上に乗り、とどめの一撃を刺した。
 蟹は一瞬にして動かなくなった。
 あたしは槍を引き抜くと、肩の力を抜いた。

 ――これがあたしの『日常』?
 そのことが幸か不幸かわからないけど――。
 きっと今、クラスの子は大勢で遊びながら笑っているんだろうなぁ……。
 そう思うと、少し寂しい。
 あたしは改めて槍を眺めた。
 銀色をした、さざなみのような槍。
 さっき見た時よりも、マーメイズ・ティアーは青い光を放っている。
 光は、柄を握るあたしの指先から身体全身までも、青く染め上げている。
 ――日常のことを考えるより、今は蟹を倒す方が先決。
 目の前にいる蟹は、丁度二匹。
 あたしは槍を強く握って力を溜めると、他の蟹に向かって突進した。
 かわす間もなく、蟹の体を槍が貫通する。
 そのまま、蟹はあたしの上に倒れてきた。
 あたしは急いで避けて、視線を前に戻すと――もう一匹の蟹が待ち構えていた。
 あたしの身体くらいある鋏が、水を切る。
 反射的にあたしは槍を前突き出した。
 ズン! ――瞼の奥で青い光が散り、腕に衝撃が走った。
 瞑っていた目を開けると、あたしの突き出した槍が蟹の体を貫通していた。
 近距離で刺したせいか、腕の衝撃が凄かった。今も少しビリビリする。
 傷があるのではと自分の身体を観察してみたけど、無傷だった。
 ――槍の方がリーチはあるけど、先にしかけてきた鋏を食らわないなんて、変……。
 そう思って倒れた蟹を眺めてみると、鋏が折れている。
 ――あれ? あたしを攻撃した時は確かに付いていたのに。誰が鋏を折ってくれたんだろう。
 思い出せば、視界が青くなった瞬間があった。
 マーメイズ・ティアーが守ってくれたのだろうか。
 手を開いて、柄を見つめる。
 マーメイズ・ティアーは変わった様子もなく、青い光をたたえている。
 ――その光は綺麗だけど、不思議な雰囲気を持っている。
 幻想的って言うのかな、心を包み込むような感じ――人魚の涙と呼ばれる所以はここにあるのかもしれない。
「終わったみたいね」
 上から教官が泳いできた。ずっとあたしを見張っていたのだ。
「もう帰っていいわ」
 許しが出たので、あたしは鎧を脱ぎ槍を置いた。借りた物は返さないと。
 でも、教官は首を振って、
「装備品はあげるわ。それは人魚の証だから、持っていて損はないと思うの」
 槍をあたしの手に握らせた。
 ――人魚の証、かぁ。
「わかりました」
 あたしは鎧も拾って抱きかかえた。
「それから、あれもあげる」
 教官は倒れているあたしの倍以上ある蟹を指差して笑った。
「お土産よ。食べてね」
「え……」
 あたしは言葉に詰まった。
 蟹は美味しいし好きだけど――。
 これを陸に運ぶのは、時間が掛かりそう。


 三十分後。
 ようやく三匹全部陸に上げることが出来た。
 でも、どう考えてもこんなに食べきれない。
 考えた結果、友達を大勢呼んで食べることにした。
「蟹がたくさんあるんだけど、皆で食べに来ない?」
 向こうから、キャーキャー言う声が聞こえる。
「食べたいなー」
「じゃあ、今が三時だから……七時にね」
 あっさり約束出来た。
 これなら食べきれそう。
 でも友人は少し考えた様子で、
「どうしてそんなに蟹が余ってるの? しかも今は春だし……」
 もっともな質問を浴びせてきた。
 ――巨大蟹を倒したから、なんて言っても信じてもらえないだろうなぁ。
 あたしが友達の側でも、不思議に思うだろう。
 だって、自分が買い物したりご飯食べたりしている時に――友達は海底で泳いだり蟹を倒していたりする姿なんて、想像し難い。
「ねぇ、何で?」
 携帯の向こうで、友人は素直な言葉を投げかけている。本当に不思議そうな声。
 あたしは何だかおかしくなって、笑ってしまった。
「本当、不思議だよね」
 自分でも不思議だと思う。蟹を倒すことも、海底の水のざわめきを感じることも、人魚でいること自体も。
 ――でもそれは紛れもなく、あたしの日常なんだなぁ。
 友人をよそに笑うあたしの手元には、マーメイズ・ティアーがあった。
 人魚の象徴の石は、陸では決して光らないけれど――太陽の光を浴びて、幻想的なきらめきを静かに残している。

終。