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<東京怪談ノベル(シングル)>


メイド志願 起承扁

 ……。
 …………。
 ……一体、何がどうなったのか。
 どうして、私の身体は横倒しになっていて、しかも誰かの膝枕に伏しているのだろうか。
 ……そうだ。
 駅前で、ポケットティッシュを貰おうとして、それで――

「あ、気がついたんですね?」
「……ついたな」

 この娘さんに、体の良い水平チョップを食らったんだっけな……
 まだ若かった頃に白黒のテレビで見た、力道山のそれを思い出した程だ。
 脳天に火花が飛ぶとは、ああいった状態のことを指すんだろう。

「あ、あの……すいません」

 顔を伏せる娘さんに気を使って、私は彼女の膝からすっくと首を上げた。
 まだ、少々、ふらふらする。
 周りの風景を見渡す。
 何てことのない、日曜日の昼下がり……駅前の公園だった。
 少々、私と娘さんを見ていた視線が幾多かあったらしく、慌ててこちらから目を背ける者、数名。
 確かに、端から見ればおかしな二人なのかもしれない。
 片や、くたびれたスーツ姿の六〇歳のじじい、片や――

「娘さん……中学生だね」
「あ……」

 ばつが悪そうに、せっかく上がっていた顔をまた伏せる娘さん。
 背が高く、体つきも大人のそれには追いつかないものの、それでも一六、七八と言ってしまえばその年齢になってしまう……それ程に大人びている。
 不可解なのは、この細腕のどこに、私を気絶せしめたあの剛力が眠っているのかということだが……まあ、当たりどころが良すぎたのだろう。私自身が老い先短い、というのもあるかもしれない。

「わかっちゃう、ものですか……?」
「いや、分からない」
「えっ?」
「普通の者にしてみれば、ということさ」
「と、言いますと……」

 今時珍しい、礼儀正しい娘さんだ。
 そう思いつつ、私は続けた。

「この年まで、色々な人を見て来た、というのが理由になるかな。まあ、自然と養われた感覚、言ってしまえば、勘みたいなものかもしれんな」
「へぇ……」
「ついでに言わせて頂くならば……娘さん」
「はい」
「生活に困っていないのに、幼い自分でバイトをしているには……やはり理由があるんだろう?」

 私の言葉に、娘さんの表情がはっとなる。
 心の内を見透かされたような、そんな顔つきで私のことを見た。

「そう驚くことは無い。本当にお金が必要ならば、もっと割のいい、極端に言えば"危ない"仕事を選ぶ。それが窮している人間というものだからね」
「へぇ……凄いですね。ぱっと見ただけで、そこまで考えてしまうなんて」
「そういう仕事でもあったからね」

 いつの間にか、世間話になってしまっている。
 奇妙なことだと思ったが、こういうことは決して珍しいというわけでもない。
 私が、人とその仕事を扱う立場にかつていた、というのもあるかもしれなかった。

「どんな仕事をなさっていたんですか?」
「お手伝いさんの紹介と派遣、と言えば分かりやすいかな」
「お手伝いさん……それって、休日も出来ますか? 時給高いですか?」
「一応そういう部門もある。時給も高いね。一時間二五〇〇円で、八時間労働だ」

 金額を出した瞬間、娘さんの目が爛々と輝いた。

「に、日給二万円……」

 そして、唾を飲みこむ仕草に――このあたりは極めて人間らしい――心中で思わず苦笑した。

「でも、本来ならば三〇ヶ月の研修を経て行う業務を、短い期間で簡略化して教え込む。その分、負担も大きいし、実際続いた例は、あまり多くはないね」
「でも、高いんですよね」
「ああ、高い――まさか、やりたいなんて思っているんじゃなかろうね」

 こくりとこうべを垂れる娘さん。

「まだ高校にも上がっていないんだろう? それに、きつい仕事だとも言った。正直言ってしまえば、そこらの風俗街の方が楽に、しかも高く稼げるだろう。どうしてそんなにお金がいるのかね?」
「それは……」

 言葉を渋る娘さん。
 予想出来ていたリアクションに、しかし私はお決まりの言葉を返した

「まあ、私にそれを聞く権利もないが――」
「強くなりたいんです」

 ……強く?

「経験的に、という意味かね?」
「世の中には、あたしの知らないことが多過ぎるんです」
「相当に負けず嫌いだな」
「そうかもしれません……まあ、それだけでもないんですけども」

 年相応の苦笑を浮かべる娘さん。
 何をして、そんなにお金を手にいれたいのか。
 それは私の預かり知ることではないが、生半可な気持ちでその目標に望んでいるのではない……それだけは、私にも分かった。

「しかしだね……私が異国の人さらいとかだったら、どうするのかね?」
「その時は泳いで逃げます」
「ほほぅ」
「それに、そんなこともないと思います」
「どうしてそういうことが言える?」
「私にだって、人を見る目はあるつもりですから」
「そんな、勘みたいなものを信じられると?」
「おじさまだって、さっき、勘っておっしゃったじゃないですか」
「……そんなこと言ったか? 最近物忘れが――」
「と、とぼけないで下さいっ」

 娘さんににやと笑うと、困り顔がふくれ面に変わった。
 案外、感情豊かな子なのだろう。

「高くて大変な仕事はたくさんあるが……どうしてやりたいと思ったのかね?」
「だって、お手伝いさんって、綺麗な制服じゃないですか〜!」

 自分の言葉に目を輝かす娘さん。
 やはりこのあたりはいくつでも女性、ということだろうか。

「何か勘違いしているんじゃないかね?」
「え?」
「君が何を考えているのかは知らないが、私がいた会社は昔から続く、厳格なところだよ? それでもいいのかね?」

 一瞬の間を置いて、娘さんの口から出た言葉は――

「……いいです。出来るなら、やらせて下さい」

 しばし見つめあう、老人と娘さん。
 先に折れたのは――私の方だった。

「これも何かの縁だろう」
「縁……?」
「我ら――と言っても私はもう定年退職したんだがね――サヴァンツユニオンは人の縁を大事にする、非営利の使用人斡旋企業だ。さしあたって君が守らなければならないのはただ一つ」
「……ただ、一つ?」
「他のバイトと同じように、年齢をごまかしなさい。ばれてもとがめる人間は少ない。そこに君がいるという意味の方に、そこに君がいるという必然性の方に、重きを置く会社だからね」
「…………」
「ただ、書類は国や海外の目にも触れる可能性があるから、ごまかすこと」
「やった!」

 私はベンチから腰を上げ、姿勢を正した。
 娘さんも私にならって、同じように背を伸ばす。高い。

「履歴書は後程書いて頂きます。私は元サヴァンツユニオン資料部長、小竹(こたけ)と申します」
「……う、海原みなも、です。学生――です」
「最後に一つだけ確認しておきます」
「はい」

 まあ、綺麗な制服とも言えるしな……
 少々の逡巡を含みつつ、しかし私ははっきりと口にした

「一九世紀末から伝わる使用人の服装に抵抗はあるかね?」
「……それって、どんな感じなんですか」
「……ひらひらが多い。カチューシャとエプロンドレス着用の――」
「それって!」
「な、何かね?」
「メイド服、ってやつですかっ?」

 彼女の嬉しそうな表情を見て、私は確信した。
 ……問題、無し、と。