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<東京怪談ノベル(シングル)>


seek the future

 月の光の注ぐ春の庭を、気の早い虫の音が震わせている。
 世に美少年占い師と知られる『月読丸』こと、夜籐丸月姫は薄い水色の水干姿のまま、空を見上げてその愁眉を寄せた。
 月夜には、日本庭園に設えられた自宅の庭を散策する。
 生業とする占いと趣味に嗜む居合い、共に修行中のそれに必要な集中力を高める為の月光浴が月姫の習慣である。
 清けき銀、遍く夜に沈む全てを暴くでなくただ静かに照らすその光は水のように衣に染み、その身を肌を流れて斎なる巫女たる彼女の魂の形を清める。
 けれど今日、見上げる満月は鈍い光に赤く染まり、全ての輪郭をぼんやりと滲ませる。
 不吉さ。
 いつもに増して濃い赤は、直前の占の結果を思い出させて月姫の気持ちを沈ませていた。
『月姫様』
本日の予定を消化し、一息つこうとした時に護役を務める青年が、控えの間から声をかけた。
 訝しく名を呼ぶに、簾の向こうに顔を見せぬまま背を正して座る影のみが僅かに頭を下げたのが見える。
『分を過ぎた申し出とは承知致しておりますが…』
占示を賜りたいと。
 常に月姫の影となり、護り役の任に公私を違える事のない従者の珍しい申し出を、月姫は二つ返事で引き受けた。
 自分を主と立てて忠実に護衛を務める彼が、護られるばかりの身に何かを求めるなど滅多となく、占い師としてよりも役に立てる嬉しさの先に立った中学生らしい感情に、その場で依頼を引き受けた。
 知りたいのは、最近青年の姉に縁の深い者が居るかどうか。
 そしてその者に、どうすれば会う事が出来るか。
 自分が主でない、青年らしい依頼に微笑みながら、月姫は愛用の水晶球を覗き込んだ…彼女の金の瞳はその内に、未来の影を見出す。
 月姫はしばしの沈黙の後、淡々とした口調で青年に駅の名を告げ、明日其処で待っていれば望みは適うだろうと告げ…水晶を胸に抱き上げると、御簾から出ると畏まる青年に問うた。
「その者は、ヒトなのですか?」
見出した影は暗い紅に染まって…常に見るそれと違いすぎる。
 分からない、と青年は主の問いに答えた…それも見定めねばなりますまい、と占に対する礼を述べ青年と年下の少女に律儀に頭を下げた。
 月姫はもう一度、吐息をつく。
 占じた結果は、明日の件は青年自身に害が及ぶような事はないと告げている。が、月の赤さと影に見た紅の印象が重なるのに、それ以上の何かが行く先に待つ気がして胸騒ぎは強くなるばかり。
 どちらも不吉の卦、その符号が心にひっかかってざわめくに落ち着かない。
 青年もその姉も月姫の分家の血の者、親しく近しい血を持つ二人の身に…何かが訪れようとしている、それだけは確かか。
 月姫は高く結い上げて背に流した長い髪に、簪のかわりに挿した小柄を抜き取った。
 占いの為に特注に、玉鋼のみで打ち上げた薄い刃を、月光を透かすように天空に翳す。
 掲げ持ったその乱れない刃に目を凝らす…だが、未来を探す占者の瞳に、小柄は常のように澄んだ光を返す事なくまるで血曇りに輝きを逸したようで、何も捉えられない。
 まるで、見るなとでも言うかのように。
 月姫は無言にパチリ、と音を立てて小柄を鞘に収めた。
 漆の黒に艶やか蒔絵、月と、蝶と、散らされた金箔。
 それは青年の姉が考じた図案を写した物だ。三日月は自分、螺鈿の羽を持つ蝶は彼女、星のような鱗粉のような金箔は青年と、連なる血以上の親しさで寄せる心が共に、月姫を護る一助となるようにと。
 その笑顔を思い出す…全ての感情を呑み込んで、鮮やかに微笑むその強さを。
 月姫はゆっくりと目を閉じ、小柄をそっと胸に抱いた。
「どうか、皆様を然るべき場所へお導きくださりませ」
複雑に絡まり合う縁の糸の行き先は、まだ彼女の目にも見通す事は出来ない。
 未来を見通す姫巫女といえど…否、人の運命を見定める者であるからこそに、逃れるを適わぬ運命の流れに祈るしか出来ない。
 その、静かな願いが、切なる祈りが。
 果たしてそれが運命を導く者に届いたかどうか…月は何も答えずにただ、天空に座している。