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<東京怪談ノベル(シングル)>


風薫る刻に

「久し振りだな・・・」
険しい山道を何時間も歩き、たどり着いたその場所を見上げて、御崎 月斗は呟いた。
突き抜けるような蒼天は遥かに高く、自分を取囲む岩肌は恐ろしいほど冷たくあたりを閉ざしている。
人が足を踏み入れることを頑なに拒んだ秘境の谷。
月斗は今そんな場所に立っていた。
何者にも邪魔されることなく、己を磨き上げる修行の為に。

そして、その岩肌を流れ落ちる滝が月斗を迎える。
その水は切り裂くように冷たく清らだ。
しかし、月斗は躊躇わずにその流れへ足をつけ、その身に流れを受ける。
滝の水は触れることも許さぬ厳しさをはらみ、月斗へと降り注ぐ。

「天清浄 地清浄 内外清浄 六根清浄と祓給ふ・・・」

滝の流れに打たれながら、朗々たる声で天地清浄祓を唱える。
瀑布の音と月斗の声が谷間に響く。
神降ろす我が身を清め、共にある式神たちを清め、互いに力を高めるために。


この谷にいるときは御崎 月斗と言う弟思いの少年ではなく、陰陽師の月斗だ。
戦いに身を置き、血に己を洗う陰陽師としての技を高めるためにここへ来た。
式神を降ろし戦うだけが月斗の力ではない。
式神を降ろすこと事態すでに高等技術だが、月斗の目はそれより高みを目指す。
誰に負けることも、許されない。許さない。

戦いを勝ち抜くためだけの術ではない。
己の術を磨き、更なる高みを目指すのだ。

月斗の戦いは血筋によって定められていた。
その戒めは強く、何者にも頼らず生きるには己を高めるしかなかった。
そして、その戒めから逃れようと一族から離れた今、幼い弟たちを養うために己の力を使った。
最初は、生きてゆくための手段だった。
今もそれは変わらないが、月斗にはもっと先が見えてしまった。
陰陽師として、己の中の可能性を見てしまった。
それは戦いに勝ち抜く誉ではなく、勝ち抜くことによって高まる自分自身だ。


身を切るような冷たい滝に打たれても、弱ることはない。
月斗は一通りの祝詞をあげると、その流れからあがった。

「お・・・?」

滝から上がった月斗は、その目線の先に自分以外の命の存在を見つけた。
それは一匹の熊だった。
冬の気配が消え、緩んだ風に目を覚ましてきた熊は、じっと月斗を見つめている。
(アイツを思い出すな・・・)
月斗はその熊を見て、ふと表情を緩める。
自分と同じ名を与えられたツキノワグマ。
時に頼もしい味方となるその存在は弟たちと同様に、月斗に安らぎを与える存在だった。
しかし、全ての熊が同じ訳ではない。
今、月斗の目の前にいるその熊は、明らかに侵入者に対して警戒を濃く見せている。
(どうしたものかな・・・)
月斗には敵対する気持ちはない。
しかし、熊にその言葉は通じない。
熊は低く唸りながら、月斗との距離を見つめている。

(ああ、そうか・・・)

その様を見て、月斗は緊張を解く。
滝に打たれ、高められた霊力は、知らずのうちに緊張を強いていたのだ。
何に逆らうでもなく、自然の流れに己を委ねる。
緊張と言う蓋を取り除いた月斗の中に自然の気が流れ込み、息をするように自然に流れ出てゆく。
そうして、月斗が自然と同化すると、熊もその緊張を解いた。
草木や川の流れ、大地を覆う気配や風の流れは熊の敵対すべき存在ではない。
「悪いな・・・寝てるトコ、起こしちまってよ。」
月斗は自分から目を離し、もと来た道をゆるりと戻ってゆく熊の後姿を静かに見送った。


「さて・・・」
冴え冴えとしていた空が、仄かに茜に染まり始めたのを見て、月斗は肩の力を抜いた。
ぐんとのばした体には、心地よい疲労が感じられる。
「あいつら、腹空かせてるだろうな。」
ふと、弟たちを思い出して微笑む。
修行は終った。
現世から切り離されたこの地での一時は、月斗に充実したモノを与えていた。
この充実を糧に、また明日から月斗は現世の戦いの場へ戻る。
しかし、それを苦とは思わない。
自分には満ち足りた生活があり、それに付随する戦いだ。
守るべき者を守り続けることは、苦難でも苦労でもない。
「早いトコ、帰んねぇとな。」
もう一度、大きくのびをすると、月斗はそういって歩き始めた。
弟たちの待つ、現世へと戻る道を。

その道は、来た時の厳しい顔とは変わって、やわらかな夕焼けに包まれ、月斗を優しく見送るのであった。