コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


赫の呪歌

 ■バフォメットの聖母は歌う■

「何か、私が狙われてたみたいでして……」
 その人物は「昨日のおかずは魚でした」ぐらいの気軽さで云った。
 煙草をくゆらせながら、草間は溜息を吐く。こいつの言うことを聞いていると、気が遠くなりそうだ。
「………命を狙われてる割には、呑気だなあんた」
 とは言え、ユリウスのそれは、決して無能さゆえの呑気さではない。依神・隼瀬は至極冷静に評価した。浮付いたり、怯えたりせず、この状況で冷静な判断を下している事に関し、さすが上に立つ者だけはあると感心していた。
「ユリウス伯爵にはいつも飄々といていただかないと」
 ニコリと笑ったセーラー服の少女は海原みなも。一同は「何で伯爵なんだろう」とおもったが、深く追求しなかった。
「ユリウス猊下にはお初にお目にかかります。私、ルーンティアリ・フォン・ハウゼンと申します。ルゥリィ・ハウゼンとお呼びください」
 穏やかな笑みを見せた女性にユリウスも同じように応える。
「エストラントの実戦テストを兼ねて協力させていただきます」
「それは一体……?」
「ヴァチカンも無縁でないある国際組織からの協力と説明すれば察していただけますかと」
 それを聞いて、ユリウスは意味ありげに微笑んだ。
「そのような組織が?」
「よくご存知でしょう」
「ふふふ……さぁ? ああ、主よ。世の中物騒です……」
 云ってはいるが、口元の笑みが見事にその言葉を裏切っていた。
 どこか嬉しげな瞳をルゥリィに向けた。このような師匠は見たことが無い。ふと、ヨハネは不安に駆られた。二人のやり取りに、ツキンッとした感覚が胸に走る。じりじりと罠に追い込まれ嬲りまわされる鼠になったような気分になった。
 先日、教皇庁で起きた事件は全て能力者が狙われているという、当庁ではAランクの事件だったはず。よく、こうも呑気になれるものだと、草間のほうは呆れていた。
「ユリウス……お前なあ……」
「はい?」
「……いい……」
 草間は優雅な笑みのままの友人を見た。
 ふと草間は今しがた思い付いた疑問を口にする。教皇庁の異能者が殺され、黒い蝶が描かれたカードが置かれていた、その事件はまだ解決されていたわけではない。
「お前……また敵さんは狙ってくるんじゃないのか?」
「えぇ……今朝、呪符と一緒にこれが送られてきました」
 そう云って差し出したのは、まだ濃度の高い妖気を放っている呪符と例のカード。そして、同じ大きさくらいの鉄プレートらしき物だ。
「これは……」
 宮小路・皇騎は云って、符をユリウスから預かる。
「クッ……」
 触れた瞬間、皇騎の肺腑に鉛を呑み込んだような感覚が走る。派手な色彩の符は、複雑な呪を二重三重に閉じ込めたものだ。霊視すれば呪蟲が付与されている。皇騎は呪蟲ごと握り締め、不動真言を唱える。握られた手が炎を纏い、呪蟲は鋭い悲鳴を上げて燃え尽きた。
 それを確認すると、ユリウスはヨハネに向き直る。
「今回はお休みしませんか?」
「え?」
 弟子のヨハネを見る瞳は真剣そのもので、思わず眉をひそめる。普段なら、そのようなことを云わない師匠が「休め」とは、一体どういうことか。
「行きます……ついていきます!」
「ヨハネ君」
「この先に何があっても。たとえ、そこが地獄より酷い所だって……」
 置いていこうとした師匠を睨みながら「僕はそれでも、師匠について行くって決めたんです!」と言い切った。ユリウスは頷くと笑う。
「仕方ありませんね……では、これを付けて下さい」
「??」
 ユリウスに手渡された耳栓をヨハネは付ける。何の必要があるのだろうか。
そして、プレートの端で点滅している個所をユリウスは撫でた。途端、マリア像が浮かび上がる。同時にオルガンの調べと一緒に歌が流れてきた。歌詞は装飾を施した文字で宙を舞う。

 三次元階層映像……ホログラムだった。

…赫き処女は天の月 呼べよ、冥府を 懐かしき闇
 獣 歌う星 乙女が誘よう森
 蝶の王 黒き羽の守人を消そう
 愛しき蝶の王を…

「何だこれは……えぇっと、何……赫き処女は天の月?」
「ダメです、武彦さん!!」
 ユリウスが叫んだときには草間は倒れる。すかさず、ユリウスが支えた。詠むだけでも昏倒する歌が良い歌な筈が無い。ユリウスは無言でホログラムを消した。
「段々手が込んできてまして、危険ですけど。ご協力願えますか?」
 そういって調査員を見つめたユリウスの瞳は厳しい光を放っていた。


「さて」
 赤い影が摩天楼に立ち尽くす。
「どうでしょうね……」
 その窓の外、赤き異形が見つめていたことも知らず、草間興信所の夜は過ぎ行く。


 ■鬼姫の長い夜■

「如何、動くのかしら?」
 燃えるような赤い髪の異形人は言った。
 草間から連絡があり、教皇庁の要人と聞いて興味を持ったまでは良かった。しかし、こうしてビルの屋上で気配を消し、草間興信所のユリウス達に見つからないよう、様子見をしていたがどうも気に入らない。のほほんと歓談する姿だけ見ると自分のお眼鏡に適うとは思えなかった。700年という時を駆け抜け、裏社会に生きるダークハンター。その自分が全力で守る相手に相応しいとは思えない。
 これ以上観察しても無理だろう。半ば諦めかけ、ふと振り返った。
「……あら……」
 前方には妖。朧だが確実に存在(あ)ると実感できる。赤き異形の姫は跳躍のエネルギーを一点に集中する。
 地を蹴る寸前、それは形を成した。
 濃紺の闇を纏った姿は、黒衣の女。それもすこぶるつきの。長めの前髪から覗く面は繁殖意欲旺盛な男どもをさぞかしそそるだろう。残念だが自分は女だ。その顔を率直に美しいと感じても、それ以上では無い。
 ダークハンターたる自分の背後を捕った女は優雅に会釈した。
「紅蓮の鬼姫…雷歌さまでいらっしゃいますね?」
「それが?」
 どうだと云うのだ。もし、この女が邪魔者なら屠るだけの事。
「仮にシュバルツと申しておきましょうか」
「あら、貴女……まぁ、事件の張本人が私に何用?」
「御力を……お貸し下さいませ」
 クッと喉の奥で笑った。
 これは面白い申し入れだ。悪い誘いに心が踊るのは年頃の娘だけではないようだ。雷歌は嗤った。
「協力したとして、私に何のメリットがあるというの」
「この世の在り様を変えて見たいとは思いませんか? 科学も発達し、飢饉に困ることもなければ、伝え病も減って、人口は増える一方……軟弱な若者。自殺したがる大人たち。適当に快楽を貪るこの世界をもっと面白くするための……闘い」
 そして、女はまだ続ける。
「貴女様には、あの枢機卿を差し上げましょう。あれで中々に曲者ですの。闘いという快楽を十分に下さると思いまずわ……700年という時を生きた貴女の心を躍らせるような戦も出来る方です」
「そう……楽しませてくれるなら、その話に乗ってもいいわ……でも」
「でも?」
「決めるのは私。今までそうだった。これからもそう。誰の指図は受けないわ……つまらないと感じたら寝返るでしょうけど」
 鬼姫は笑った。さも嬉しそうに「そうなったら止められて?」と云い、また嗤う。
 女も笑った。薄い唇の朱が目に焼き付く。
「えぇ……こちらは構いませんわ……私、強いですから」
 それだけ云うと女の姿は掻き消えた。
 虚空に消えた女の姿を見つけること適わず、溜息を吐くと鬼姫は瞠目した。再び開かれた瞳には、さも嬉しそうな色が宿る。そして、悲しみに似た光を湛えた。誰も聞くことの無い呟きは闇に消える。

―― 世界ヲ消シタイワケジャナイ……

 その姿を半ば隠した月だけが見ている。
 応えるものは居ない。
 ポタリと落ちた雫を鬼姫はつま先でにじり消す。
「貴女を敵にしたほうが良かったかしらね……」
 そして、鬼姫の呟きも彼女も闇夜に消えた。


 ■若き獅子たちの闘い■

 翌日、『JMK』と『天のメキド協会』には一応今回も調べを入れてみたものの、必要な情報にHITしない。その他の調査は教皇庁の友人の伝を辿ったが、機械に呪歌を施したものは『作品』と呼ばれることがわかった。しかし、それを作る者はこの世には存在しないのだという。この世に存在せず、無論、召還は可能。つまり、そう云う存在だということになろうか。
 『JMK』。『天のメキド協会』。この両者に関わる呪歌の情報は無かったが、機械のほうに関しては多少、手に入った。だが、直接の関係は無い。
 ヨハネは溜息をついた。
「主よ、何をどうしたらいいのかわかりません……」
 呟いたその時、こんこんと扉を叩く音が聞こえた。
「ヨハネさん、いらっしゃいます?」
「あ、はい。……どうぞ」
 扉を開けると、そこにはみなもが立っていた。
「これなんですけど……」
「え?」
 見ると手には、天蓋にをバックに赤いマリア像が描かれたポストカードを持っていた。
「これは?」
「はい。さっき、歌に『赫き処女は天の月』という言葉があったものですから」
「え、歌?」
「あ……ヨハネさんは聞いていらっしゃらなかったんですよね。さっきのホログラムは歌付だったんです。えっと歌詞は……赫き処女は天の月 呼べよ、冥府を 懐かしき闇……」
 歌詞を聞くとヨハネは不意に込み上げる嘔吐感に眩暈がした。
「み……みなもさん…待っ……」
「どうしたんですか?」
 真っ青になったヨハネの顔にみなもは驚く。どうやら彼には歌詞すら聞かせてはいけないようだと感じ、みなもは説明だけした。
「赤き処女なら素直にホロにもあったマリアさまかなとおもって。天蓋のある教会とか博物館とか探したんですけど、赤いマリア様って無くて。そうしたら、カフェでこのポストカードを見つけたんです」
 どうやら展覧会の宣伝用カードらしく、場所もここから遠くない。今は七時。月も登っている。試しに行ってみるのも悪くない。
「行ってみましょう」
 みなもがそう云うと、ヨハネはしっかりと頷いた。

 曲がりくねった道の先、小さなビルの一階にその展覧会会場はあった。…といっても会場というほど大きな敷地でもない。せいぜい、寂れたカフェを改造した程度のものだ。
 二人は中を覗いてみたが、誰も居ない。どう見ても普通のギャラリーのようだ。例の絵もここからでは見えない。宛てが外れたのだろうか。
「関係なかったのかしら?」
「さぁ……」
 入り込むには道具も無く、雰囲気は平穏すぎて入り込む必要性も感じなかった。
 仕方なく、二人は公園を通って帰ることにした。
 スロープに沿って続く花壇の道を半月に照らされて二人は歩く。闇に息衝く木々の影は暖かな夜気に揺れていた。平和そのものの夜道の影に、ふとヨハネは何かを見た。木々の葉陰に赤いものを見出したからだ。
「ん?」
「どうなさったんですか?」
「誰かいる……」
 サアッと鳴った風に紛れ、気配を失ったヨハネは不意に現れた人影を目視するのに半瞬を要した。木々の陰から覗いた…深紅の長い髪
 みなもは目を見張った。
「赤い乙女…?」
 それは何処か憂いを秘めていたが、二人を睨み据えると、濃い木々の闇に跳躍して消えた。

 ■退魔工房■

 急いで草間興信所を出た依神は、愛車のコルベットを銀座へと向かわせる。警視庁からの協力で、退魔に必要な鉱石類を扱っている店があると聞いたからだ。場所は銀座『和光』の一階。担当者はホール責任者。警視庁のほうから連絡をしておくということだった。東京は銀座の一等地にこのような取引があるとは、誰も気が付かないだろう。
交差点の手前に車を止めると降り、依神はドアを開けた。店内は閉店準備に追われる店員が忙しく、立ち動いている。
 目指すは責任者。姿は初老の男。それらしき人物を発見するや、依神は歩み寄った。男は依神を見ると頭を下げる。
「お待ち申し上げておりました。例のものはこちらに用意して御座います」
 そう云い、革張りのトランクを開けた。中には依神のために用意された銀製の銃弾が入っている。
「それと……これを」
 渡された化粧ポーチほどの大きさのケースを見せた。依神がそれを開けると、中にはダイヤモンドをはめ込んだ銃弾があった。
「これは?」
「オプションで御座います。ここ最近、大仕事が御座いませんで、当工房も退屈しておりました……久しぶりのことに、不謹慎ながら、大変楽しみにしておりましてね」
「やれ……もの好きな連中だ」
 依神は笑って云うとそれを受け取り、礼を言った。


 ■鬼神楽■

 皇騎は相手が『呪歌』使いである事を考慮し、今回の予告を考え合わせつつ作戦を練った。考えられるのは呪歌を物体に込めて「ばら撒いてくる」か、もしくは「一点狙い」で来ると考えられる。だとしたら、完璧とはいえないが有効な方法があった。絶大な効果は期待できないが『お神楽』で呪歌の相殺すればいいことだ。
「舞台にはホールを1つ借り切り「春祭り」を題した和楽の演奏会を仕立てようと思っているのですが……」
 皇騎は忙しく書類に目を通しながらユリウスに云った。当のユリウスは買い込んできた限定販売のチーズケーキをワンクラウン分も平らげている。片手には缶の紅茶。弟子のヨハネはそんな師匠の姿に耐えられないのか、何処ぞに視線を泳がせていた。
 舞台を借りきって決戦の地とするには準備が必要だ。皇騎は能舞台の排気口の確認をし、何処に呪符を施していくかを検討していた。これだけは家のものには任せられない。常に礼節を重んじる神々を降ろすとなると、徹底的に磁場管理にも気を使わなくてはならない。そうでなければ神々(特に日本の神)が降りてくる事は無いからだ。
「ここを対戦の地にするには勿体無いような気がします」
 尼僧姿のルゥリィは惜しいと云って、能舞台を見上げた。この服は星月と云う名の尼僧から借り受けたものだ。中には退魔用パワードスーツを着けていた。異能力者にしばしば見られる遺伝子『D(Drache=龍)因子』の持ち主であり、研究者である彼女しか着る事はできない。
 磨かれた柱がライトを弾き返して、その丁寧な職人の技術の粋を見せている。質素ながらにも美しい佇まいだ。
「お神楽なら神に対する奉納の意がありますから、忌まわしきものは手が出せません。相手にも有利になりかねませんが、周囲から隔離してこちらも気にせずに思い切った事が出来ますし」
「そうですね……こちらもエストラントの使用時は映画撮影を偽装しますから。それではこちらも協力いたしますので、何なりとお申し付けください」
 ルゥリィは笑って応えた。
「いえ、舞台セッティングは実家を通して任せていますので、これといってやってもらうことはありません。そちらの準備は大丈夫ですか?」
「はい、こちらで舞台準備していただいてますし、隠蔽工作の必要もありませんから」
「それは好都合でしたね……しかし、ご自身も準備をされていないように見受けられますが。スタッフの方もいらっしゃらないようですし」
 笑ってルゥリィは尼僧服を脱いだ。突然のことに皆は驚いたが、見ると尼僧服の下には薄いボディーアーマーのような物を着ていた。
「うお、すっげー!! アヤ○ミみてー!!」
 ぎゃははと喜んで依神は云った。
「え? 何ですかそれ」
 ルゥリィは首を傾げる。
「漫画だよ漫画。うほー、今回は燃えるゥ!」
 戦いの前だというのに、奇声を上げて悦ぶ依神をヨハネは愁眉を寄せ見つめた。そんなヨハネの真面目一直線な姿を、先程から黙ってみていた塔乃院は薄く微笑む。
 更に、じっとそんな塔乃院を見つめていたユリウスは手にある缶を投げつけてやろうかとそれ握り締めた。そっと、音も無く席から立つ。
 それを察したのかどうなのか、こちらもふり向かず、塔乃院がユリウスに言葉を投げかけた。
「さほど背が違うわけではないのにな……」
「は?」
 いきなりのことにユリウスは目を丸くする。
「何でも小さいほうが可愛いっていうだろうに」
 あいつのことだと、クイッと親指でヨハネを指す。その隣には皇騎の姿。どうやら、二人の差についての話らしい。
「あぁ……精神的な問題でしょう」
 笑って云う塔乃院に、ユリウスはいぶかしげな表情を向ける。
「ふむ……貴方にそのような趣味があるとは存じ上げておりましたが、本当だったようですね」
「調査書に嘘を書いてどうするんだ」
 塔乃院は近づくとユリウスの顎を掴んで引き寄せ、腰を抱き、囁く。
「つれないな……」
 ユリウスはあからさまに嫌そうな顔をし、こう返した。
「私、そういうコトにキョーミ無いんですよね。貴方にも感心が御座いませんし」
「奇遇だな、俺もお前に興味は無い。弟子のほうに興味はあるが……」
「だったら、耳元で囁くの止めていただけません? こういうのは戒律違反ですから。それに、うちのヨハネ君にオイタしたら許しませんからね」
 ことのほか優しく相手の耳元で囁いてから、塔乃院の顔を片手でグイと押しやった。おまけに手にあった缶を塔乃院のおでこにガンッ!と打ち付けた。
「……ッぁ!」
「私にオイタした罰です。ヨハネ君に何かしたら、もっと酷いことしますからね」
「ったく……これが神父のすることか?」
「目には目を……ですよ」
 そう云うとユリウスは歓談する依神達の方へ去っていった。
 それを目で追う。
「つれないな……」
 ニタリと塔乃院は笑った。


 音響設備の仕掛けを終了したスタッフから連絡を受け、皇騎はユリウスに声をかけた。
「こちらの準備は終了しました。そちらはどうですか?」
「こっちも大丈夫ですよ」
 そんな二人のやり取りを見ていた依神は笑みが零れるのを隠し切れない。
「たまんないね……」
「楽しいですか?」
「血気盛んなのは、若さの特権だよ」
 潔斎を終え、白い袖なしのスーツに勾玉のネックレスという姿になった依神は笑って応える。見れば、みなもは2リットルのペットボトルを用意している。霊波を感じ、ユリウスはそれが霊水であることを知った。こちらも準備OKなようだ。
 ヨハネはユリウスの言いつけ通りに耳栓をしている。
 しかし、準備が整うまで、何故敵は現れないのか。それが気になって仕方ない。それは一同にとっても同じだった。何度でも襲うことはできただろうに。
「師匠……」
「ん?」
 呼ばれ顔を上げると、そこにはヨハネとみなもが立っていた。
「どうかしましたか?」
「あの……ユリウス伯爵」
 伯爵と呼ばれ、まだこの子は何か勘違いしているのだなと思い、微笑んでしまった。
「なんですか、みなもさん」
「赤い処女についてなんですけれど……昨日、見たんです」
「はぁ??」
 ユリウスは思わず二人を見つめた。
「どうして、そう云う大事なコトを早く言わないんですかッ! 怪我しなかったでしょうね? あぁ……ヨハネ君。君はみなもさんと一緒だったんでしょうに。何故、無理をさせるんですか」
 ユリウスは頭を抱えた。
「年頃のお嬢さんなんですよ!?」
「……す、みませ……」
「あたしが行こうって言ったんです」
「え?」
 意外な答えにユリウスはみなもを見た。
「……睨んで…でも何か……辛そうに見えました」
「辛そう……」
 ユリウスは思案したが答えは出ない。こうなったら本人が出てこない限りは正確の答えは見つからないだろう。
「ご報告ありがとうございました」
「いいえ……」
 みなもは微笑んで返す。
 ユリウスもそれにつられて微笑み返したが、ふと視線の端に映ったもののほうに意識がいった。なにやらスタッフの声が聞こえる。どうやら、スタッフの一人が差し入れに来たらしい。
 憩う人々の表情にホッと溜息をつく。もうじき戦いが始まる。ささやかな休憩は皆には必要だ。
「ん?」
 ふと見えた赤い物にユリウスは目がいった。
 薄蒼い絣の着物に濃梅色の袴の女性の後ろ姿。
 そして……目に焼き付きそうな程、鮮烈な赤い髪。
「まさか……」
 ユリウスの声に振り返った女の口角がゆっくりと上がる。どきんと鳴った胸の鼓動が耳の奥に遠く響く。その振動がより鮮明に感じ、世界は無声映画のように過ぎていった。
 誰かが叫んだ声の余波が体に響く。弾け飛んだ血の色がモノクロの能楽堂に強烈な色彩を施す。その瞬間、わぁと言う奇声。音の洪水がワンワンと鳴り響き、この場所の色彩を現実色に染め上げた。
 裂かれた人の……かつて人間だったモノはゆらりと音無く倒れる。
 吹き上がった鮮血が赤い髪を更に濃く染める。
 女の手にあった重箱から符が巻き上がり宙に飛ぶ。皇騎が異変に気が付き振り返った時には、子鬼の姿となって飛び出した。三段重ねの重箱にぎっちりとしまわれた符は、おそらく1000枚を越すだろうか。
 無数の紙ふぶきとなって皆を襲った。
「クッ……」
 皇騎は能舞台を見たが、舞師は硬直したまま動かない。そこに飛びついた子鬼が舞師の喉下を食い千切った。絶命の叫びは血とともに宙に散る。
「弓を鳴らしなさい! 音響、スイッチをONに!」
 皇騎の指示に陰陽師であろうスタッフは和弓を掴んで弦を弾く。その音を恐れて怯んだ隙にあらかじめ録音しておいたテープをかけた。
「あっちいってください! 手加減の仕方がわからないから……」
 鬼に向かって、みなもは叫んだ。
 みなもは襲い掛かる子鬼を手に鉤爪のように天然水を纏わせた刃で攻撃した。水の単分子を高密度で構成した刃は薄く、切り裂かれた子鬼は四散した。
「ンだよッ!……阿呆みたいに数だけ多けりゃいいってモンじゃない!」
 破魔弾で攻撃していた依神は数の多さに閉口した。一旦、攻撃を止め、集まってきた鬼をを纏めてM16で打った。人に当たる恐れがあるため、できればこんなことはやりたくない。舌打ちしてスピーカーの真下まで下がる。すでにスピーカーに退避していたヨハネはピアノ線で鬼たちを裂いた。
 能舞台では赫髪の女がユリウスと対峙している。
「赤き処女って貴女なんですか? 例のカードも……」
「そんな答えなんか意味がないわ……私は紅蓮の鬼姫、雷歌。死に逝く貴方には名乗る必要なかったわね」
 云って嗤う。
 徐々に爪が伸び、筋肉の硬度は増してゆく。異形化が始まった雷歌を見、ユリウスは目を見張った。
「本当に……いたんですね、東洋のダークハンター……鬼姫」
 呟きに耳を貸さず、雷歌は間合いを詰めて胸に飛び込む。喉を狙った爪はかわされ、宙を裂いた。ユリウスは指を鳴らしながら五芒星に切り、呪法を完成させる。
「チッ! 詠唱無し!?」
 二ッとユリウスは笑った。
 光の本流が目を焼き、襲い掛かる。転がり、雷歌は辛うじて避けた。
「巨大な霊波を発見…新たな敵……出現!!」
 云い様、ルゥリィはエストラントのD因子増幅システムをオンし、体を包む白い龍人霊体を発動した。細い背に纏いつくように優雅な曲線を持つ龍人の霊体が現れた。
 開いた扉を目視した瞬間、それは飛び込んできた。
 一陣の風は宛ら黒い龍。長い黒髪を空に散らして、そこから覗く赤い唇は妖姫のもの。美しい牝龍がルゥリィに、エストラントに襲い掛かる。
「誰!」
「我が名は……シュバルツ」
 その声に一同は振り返った。
 行動を起こしたのは塔乃院だった。44マグナムの引き金を容赦無く引く。2メートルを欠けるほど長身な彼にとってそれは容易い事だった。
 轟音を放った弾も女はかわした。勿論、エストラントも。
 ルゥリィはヘルメットの戦術サポート情報システムに感謝した。無ければ死んでいただろう。ルゥリィは抗議する。
「何するんですか!」
「避けられないぐらいなら、死ね!」
 無表情に塔乃院は叫んだ。
「こいつは俺が殺す!……紫祁音、覚悟はできてるか?」
「貴方こそ、どうなの?……」
 紫祁音(しきね)と呼ばれた女は二ッと笑い、指を鳴らすと子鬼は銀盤に変わる。地に落ちたその瞬間あの歌が流れた。皆は目を剥き、耳を押さえた。零れ聞こえる音が精神を揺さぶる。塔乃院も膝を折った。
「くぁあ!!」
 ユリウスは身を捩って、それから逃れようともがいた。
「師匠!」
 叫んで駆け寄ろうとしたヨハネにユリウスは何事かを云ったが、耳栓のせいで聞こえない。
「何ですか、師匠……」
 ヨハネは耳栓を外そうと手を掛けた。
「え!? チッ…聞こえない!」
 ユリウスは更に叫んだ。何事かを云う。必死の形相にヨハネは疑問を持ったにもかかわらず、耳栓を外した。
「うあああああああああああああああ!!」
 狂気の音が耳に入り込むや、ヨハネを蝕んだ。細胞が暴れだす苦しさに喉を掻き毟る。吐けるだけ吐き出すように。何もかもから逃げ出すように。ヨハネは叫んだ。
「……よ…ヨハネ……君」
 ユリウスは這って近くに行き、ヨハネを胸に抱きこみ、耳を塞いだ。絶対音感を持ったものには、この音は魂を切り裂く凶器でしかない。すでにヨハネは床に吐いていた。吐寫物を気にも求めず、音から隠すようにユリウスは抱き締める。
 皇騎は自由が利かなくなりつつあった体を支え、音響設備および電子機器をまえもって操作しておいた仕掛けを作動させた。
 実家に所蔵の竜笛に口をつけると吹いた。それは増幅効果を併用した音響と倍音変化による守護結界発動させるきっかけとなる。
 同時に呪返しも兼ねるのか、効力が切れ始めると、倒れた者はのろのろと体を起こした。
「でやあああああああああああ!」
 ルゥリィは女に突進する。そこに雷歌が邪魔に入る。塔乃院は銃を終い、符を投げつける。それは白い鳥となって女を襲った。
「紫祁音! 何故、離反した!」
「貴方には関係ない!」
「馬鹿野郎がッ!」
 塔乃院から繰り出される拳を辛うじて避け、女は後ろに跳び退る。至近距離の乱戦になり、避けるのに精一杯になる。塔乃院は余裕でかわしているものの、攻撃の一手にはならない。
 そこへ依神が重い体を引きずって歩いてきた。
 手には榊。
 あれほどの攻撃を受けたというのに、瞳には何処か暖かな色が踊っている。手にもった榊を振ると涼やかな葉音が響く。

「 高天原に神留り坐す、神漏岐神漏美之命以ちて、皇御祖神伊邪那岐之命、筑紫日向の橘の小門之阿波岐原に、身滌祓ひ給ふ時に、生坐る祓戸之大神等、諸々禍事罪穢を、祓へ給ひ清め給へと白す事の由を、天津神国津神八百万神等共に、天の斑駒の耳振立て、所聞食と畏み畏みも白す 」

 柔らかな笑みを浮かべると、金色の光が降り注いだ。呪歌によって汚され澱んだ空気を一掃する。みなもはペットボトルの霊水を撒いた。
 飛んだ雫が依神に掛かり、弾けて輝く。清浄な空気が辺りを満たした。
「チッ!」
 紫祁音は舌打ちし、跳躍すると、ライトを落としたドアの向こう側の闇に消えた。

 残されたのは切り裂かれ絶命した人々と戦い疲れた者。
 塔乃院は不機嫌に煙草に火を点けると何も話さなくなった。依神は急に神降ろしをしたために気を失っている。みなもは依神の面倒を見ている間に寝てしまったらしい。隣で蹲っている。
 雷歌も何も云わない。ユリウスも追及しなかった。
 もう……どうでもいいことだった。
 ルゥリィは髪を掻き揚げると、D因子増幅の反動から来る疲労困憊に耐え、記録したデータを暗号化して組織に送信するため音声コマンドを入力する。それに集中していたためか、この能舞台が宮小路家の管轄であることを忘れていた。ここでは、ありとあらゆるデータは全て管理者を通される。それは管理者の能力ゆえ、逃れることはできない。
 管理者はニコリと微笑んだ。
 ルゥリィ本人は気がつかぬまま……

 戦いは過酷だ。今日も明日も何も無い。始まったら誰もが掻き立てられる。血も内臓も栄光のために捧げられる供物。傷は証。
 それが怪我人であろうと。

 限りない明日のために、皆は立ち上がり、歩を進めた。
 つかの間の休息のために。

 手には愛しいものを抱いたまま……

 ■END■

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 1252  /海原・みなも / 女 / 13歳 / 中学生

 0493 / 依神・隼瀬 / 女 / 21歳 / C.D.S.

 1428 /紅蓮の鬼姫・雷歌/ 女 / 700歳 /ダークハンター

 0461/ 宮小路・皇騎 / 男 / 20歳 /大学生(財閥御曹司・陰陽師)

 1286/ヨハネ・ミケーレ/ 男 / 19歳 /教皇庁公認エクソシスト(神父)

 1425 / ルゥリィ・ハウゼン/女/20歳/大学生・『D因子』保有者

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 こんにちわ、朧月幻尉です。
 大変遅くなりまして、申し訳ありません。

 黒い蝶シリーズ第二段をお届けいたします。
お久しぶりです、お元気ですか?みなもさんの初戦闘。如何でしたか?
 お気に召したら幸いですvv

 感想・苦情等御座いましたら、気軽にお申し付けください。ぜひとも、改善させていただきます。

 では、またお会いできることを願って。