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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


トランクの中の手
<オープニング>
 右手に吸いかけの煙草を。左手に大根とオクラと納豆の入ったビニール袋を持った草間武彦は、興信所から最寄のスーパーまでのたった1.5キロ程度の道のりを、昨今言われている『歩き煙草禁止』という風潮にあわせ、立ち止まり立ち止まり、帰るところだった。
―― ん…?
 道路脇のガードレールに腰掛けて、ふと目を上げた先。草間は眉をひそめる。
 まだ小学校にも上がっていないような少年がコンビニ前に止まった車のトランクを薄く開け、布にくるまれた包みを持ってよじ登ろうとしていた。悪戯か? そう思った草間はだが、腰を上げようともせず、ただ、眼鏡の奥で視線だけは鋭く様子を見る。
 少年は包みをトランクの隙間から押し込み、それから草間の視線に気付いてはっと振り返った。
 怯えたような目とかち合ってから漸く、草間は大きく一服吸い込んで立ち上がった…その時。
「何をしてるんだ! 車の中で大人しくしていろと、あれほど言っただろう、潔!」
 コンビニから出てきたまだ若い男が、いきなり子供の頭を殴った。
「ご…ごめんなさい……パパ」
 動物のように首を掴まれ、子供は薄くトランクが開いたままのシビックに押し込まれた。
 捨てかけた煙草をもう一度口元に戻し、草間は傍を走りぬける車を眺めた。
 運転をする茶髪の男は楽しげに、助手席に座った金髪の女子高生と話をしていた。少年の姉だろうか、よく似ている。
 そして、後部席の少年は、すれ違いざま、すがるような目つきで草間を見上げた……。

「お兄様、お客様です」
 大根味噌汁と納豆の朝食をとっている草間の元に、彼の暫定妹が客の来訪を伝えに来たのはまだ彼の目が覚め切ってもいない朝早くのことだった。
 渋りながら興信所に降りて行った草間の前に、男が一人。
―― 偶然と言うのはあるもんだな。
 昨日の男だった。少年はいない。
 男は名を木島崇(キジマ・タカシ)と名乗り、テーブルの上に包みを放った。重く鈍い音がした。
「この悪戯をしたやつを、突き止めてくれ」
 包みから出てきたのは、まだ幼い少女の手だった。少女と見たのは、小さな爪にピンクのペンで色が塗られていたから。
「…リアルにできていますね」
「勿論本物なんかじゃないさ!」
だが目をそらす男の声は僅かに震えている。「このボロ探偵事務所でも。この手がどっから来たか位突き止められるだろ」
「…ええ、勿論このボロ探偵事務所でも簡単なことですよ。―― 警察じゃなくてね」

草間零からの伝言:この時お兄様は、その手を推定5.6歳の少女と見たそうです。皮膚の皺までよく再現されたシリコン製でした。

ACT.1
 煙草をふかす草間の表情が、見るからに不機嫌なのは気のせいではないだろうと、正午を少し過ぎた興信所に呼び出された4人はこっそりお互い目を見交わした。
 初夏。東京の街のよどんだ空気は汗ばむほどに暑い。
「ま、警察行かないでンなトコ来るってのは、それ相応の訳があるって事よね」
 くたびれたソファの肘掛に、斜に腰を下ろした朧月桜夜(オボロヅキ・サクヤ)がしれっと言った。出かけてくる直前に塗ったマニュキアが剥がれかけているのを気にして、草間の話を聞きながらも赤い瞳をずっと指先に集中させていた。
「『ンなトコ』は余計だ」
 苦虫を噛み潰したような顔で草間は言い、だがその通りだ、桜夜の意見に頷く。
 本日の彼はどうやら朝早くから邪魔された事、依頼人の態度が悪かった事に立腹している様で、集められた4人の顔ぶれと彼の表情を見比べ、草間零はため息をついた。
「思い当たる後ろ暗い事を持った依頼人って事よね」
 そんな零のため息の訳を今回のメンバーの中では唯一分かってくれそうな女性、シュライン・エマが、額に落ちた一房の黒髪を耳元に掻きあげながら言った。時折草間興信所で事務整理のバイトをしている彼女なら、そう、この興信所の出納も分かってくれているはず。
「おっさんが見た、布に包まれた腕らしいのをトランクに放り込んだっていうその子供を探すのが一番手っ取り早そうだ、って俺は思うけど」
静かな口調で一息に言い、御崎月斗(ミサキ・ツキト)はコーヒーを一口。この小柄な少年の傍らには私立小学校指定カバンが置かれた居たがその中にまで小学生向きの教科書が入っている訳では無いことを草間は知っていた。「…と、その辺は依頼人に聞いた方が早いか」
「そう、例の子供は依頼人の息子だって事らしいからな。草間の目と耳がまだ確かなら」
 御崎の言葉を受け、頷いたこちらは真名神慶悟(マナガミ・ケイゴ)。いつも人を茶化すような言葉が飛び出す口元には、今日も紫煙が揺らいでおり、暑さの為か、黒いスーツの下のネクタイは実に気安く緩められている。
 零が知るかぎり、この内シュラインを除く3名は、陰陽を生業とする陰陽師。その血縁や自らの業、または行をなす事により式神を使役し呪占を扱う事のできるようになったある一握りの人々である。
 めいめいカップを手早く片付けて、依頼人の家に向かうため狭い部屋を出て行く4人の背中を見送りながら零は、唯一常識人である「筈」のシュラインが、どうにか被害を食い止めてくれる事を切に願っていた。


ACT.2
 電車に乗り継ぎ下りた街は、日曜日の人出でなお一層暑さを増している。
「さて…これからどうするか」
 日差しの強さにとうとう上着を脱ぎ、左手にかけると真名神は額に手をかざした。
「2手に分かれたほうがいいんじゃないかしら」
この暑さに汗一つ見せないシュラインは3人を見回して言った。「依頼人と接触する方と腕の出所を探す方と。私はとりあえず、腕のほうが気になってるわ」
「俺は子供のほうだな」
 落ち着いた黒い瞳に幾分興味の色を浮かべて、御崎は言い、言葉を継ぐように真名神が頷く。
「俺も同行しよう。草間には『念の為自宅に調査員を向かわせる』と言うように伝えておいたからな」
「で、依頼人からの許可は出たの?」
「……ま、何にせよついさっきの話だ」
 シュラインの鋭いツッコミに真名神がよそを向く。そんな二人を一瞥すると、御崎は黒い帽子の鍔をキュと目深に傾け、一人さっさと歩き出した。
「オイ待て。チビ坊主」
 真名神の台詞に、御崎の大きな耳がぴくりと動いたような気もしたが、歩みのほうは止まらなかった。
「チビとかって言わないほうがいいみたいよ」
 同じような知人を知っている桜夜が可笑しげに笑って真名神に釘を刺し、シュラインを振り返った。
「って事になると。あたしはフェイクの腕探しって訳か。改めて宜しくシュラインさん」
「そう言えばマトモな依頼でご一緒するのはこれが初めてね。お手並み拝見と行きましょうか」
 こちらも笑いを含んでシュラインは言った。この二人、幾度か顔を合わせてはいるが悉く「マトモ」とは言い切れぬ依頼ばかりだったのだ。
「さぁて……じゃあまずどこへ行きましょうかね」

〜 シュライン・エマ、朧月桜夜 〜
『お薦めマニュキュア特集! チェリーカラーで夏遊び色!』 『やっぱりパール? それともラメ?』
「うーん、今年はやっぱりラメで行こうかなぁ……て、痛い痛い!!」
 クーラーのついた涼しいコンビニ店内。マガジンラックの前で立ち読みに没頭していた桜夜の耳を、彼女の背後に立ったシュラインがつまみ上げた。
「私が店員と地図を見てる間に、あんたは聞き込みって言う話だったんじゃない?」
 シュラインが提案したのは、草間が依頼人とその息子と思われる少年に出会ったコンビニ付近から、マネキンが廃棄されているような場所が無いかどうか探してみるというものであった。材料、また腕そのものに注目しての事である。
「だ、だってぇ…こっちのほうが涼しくて」
 てへ、と首をかしげる桜夜は見た目には可愛らしかったが、同性のシュラインには通じなかったようだ。更に耳を引っ張られてコンビニを出る。
「ひ…ひどい〜。耳がダンボになったらどうするのっ」
「ダンボでも布袋さまにでもなっちゃいなさい」
 先ほどから続く桜夜のマイペースな言動に、シュラインは肩をすくめ、しかし真顔に戻ると、再び暑い日差しの下に出た。そしてコピーされた数枚の地図を広げ、片端を桜夜に持たせると手短に説明をはじめた。
「店員と私で調べた所では、この辺でマネキンを扱ってるのは一件だけ」
そして地図の一点を指し示した。「結構近いわね。それに依頼人の自宅からもそう遠くないわ。丁度中間点ってところかしら」
 桜夜は漸く離された耳たぶをさすりながら同じく地図に目を落とし、言った。
「へぇ…マネキン工房ねぇ。どっかの誰かが作ってるんだろうなとは思ってたけど、ホントにあるもんなんだ」
 歩きながら地図を畳み、二人は道行く人に、マネキン工房について、また依頼者である木島が持ってきた腕のスナップ写真を見せて、見覚えや噂など聞いたことが無いかとなどの聞き込みをしながら歩いた。
 だが残念ながら、さしたる情報を得る事は出来なかった。
「ンにしても穏やかじゃないわよね、作り物とはいえ人間の手なんてさ」
日焼けを気にして日陰を歩く桜夜が、シュラインに言った。「タダの悪戯にしては手が込んでるし、なんかやっぱり、ヤバイことしたんじゃないのその父親」
 ヤバい事、の内容を彼女なりに推測しつつ、シュラインは草間が撮った写真にもう一度目を通しながら頷いた。
「そうね。この手、年齢的には草間さんの言う男の子と同じくらいの年頃かしら。そう言えば……本物は木島氏が持って帰ってしまったから詳しい鑑定もしてない。男の子の手か女の子の手か、それさえも分からないんだわ」
「え? マニュキュア塗ってるのに?」
「性差が出ない年頃なのよ。……あ、ほら着いたわよ」
 シュラインは足を止め、その背中にぶつかりかけながら桜夜も前を見上げた。マネキン工房の看板が出ており、二人は真顔でお互いの顔を見合わせた。

 薄暗い室内には、溶けた化学溶液の匂いが充満している。シュラインの一応本業である作家の顔で入れてもらった工房に、助手という名目で入った桜夜はその匂いに眉をしかめた。
「ホコリを立てないように締め切ってあるんです」
 一通りめぐった後で工場長が指し示した完成型のマネキンは、だが二人が期待していたものとは違った。透明プラスチックで出来ていたからだ。シュラインがそれについて尋ねると、「シリコン製? 昔風ですね。今は廃棄処分に回され始めていますよ。ウチでもほら、裏のゴミ箱行きで」
 丁度階段の踊り場に差し掛かった所だった。促されて覗いた窓の下には金網で仕切られたゴミ捨て場があり、確かにマネキンが捨てられ山になっていた。
 その時、上から二人と工場長が覗いている事に気付かぬのか、セーラー服を着た少女が辺りを見回しながら金網に近づいてきた。そしてそのままマネキン山を物色し始める。
「あっ! コラァ、君っ!!」
 桜夜とシュラインは耳元で怒鳴られて思わず窓辺で身をすくめた。だが一番驚いたのは勿論怒鳴られた少女の方である。「君だな、最近マネキンを勝手に持っていくのは!」
 工場長の言葉が終わるより早く、彼女は背中を向けて逃げ出していた。そして。
「今のって…金髪だったわよね」と桜夜。
「怪しいわね。確か草間さんが見た車の助手席には、そんな感じの子が居たはずだわ」とシュライン。
 目を見交わすや否や、二人は窓枠を乗り越えていた。
「ちょ、ちょっとアンタ方、ここは二階っ!」
「心配御無用っ、はっ!」
「お邪魔させていただいて有難うございました。このお礼はまたの機会に」
 工場長の眼の前で、二人はゴミ置き場の屋根に飛び降り、そのまま走り出した。
「なんて人達だ……」
 後には呆然とした体の工場長だけが残された。

 先を行く少女は細い体に似合わぬ持久力で、徐々にシュラインと桜夜を引き離す。
「このままじゃ逃げられちゃうわ」
 シュラインの言葉に桜夜が頷き、無言で懐からなにやら白い紙を取り出し、叫んだ。
「朧月の名においてその動き、禁ずる!」
 翻った桜夜の手から白符が飛んだ。符はシュラインの目に一瞬、その姿を白鳥に変えた様に見えたが、少女の背に飛び張り付いた次の瞬間には元に戻り、少女はまるで気を失ったようにその場に倒れ付した。
「まぁ……」
 シュラインは目を丸くした。どうやら彼女が陰陽師だというのは嘘では無かったらしい。
 捕らえられた少女は初め名前も、マネキン工房に忍び込んだ理由も話そうとはしなかった。だがシュラインが、例の手の写真を差し出すと、驚いたような顔をして二人を見た。
「どうしてあんた達がこの手の写真、持ってるわけ?」
 彼女の名前は木島秋。依頼人・木島崇の実の娘であった。二人が草間興信所から派遣された調査員である事、事件のあらましなど伝えると、彼女は少し考えるようなそぶりを見せてから、漸く話し出した。
「そう、手を作ったのはアタシ。…ちょっとさ、オヤジを脅してやろうと思って」
「脅し?」
 不穏な言葉に、シュラインが眉を潜める。だが秋は理由を話さず独り言のように先を続ける。
「でも無くしちゃったからさ、また材料取りに来たって事。でもあんた達は潔がアレをトランクに入れる所見たって言う。何であの子が……?」
綺麗に塗った爪を噛みながら彼女は呟いたが、ふと手に持った写真に視線を落とし、突然、ガタガタと震えだした。
「ちょっとあんた……、どうしたの?」
 桜夜は身をかがめ、秋の顔を覗き込む。札の効力が効き過ぎたのだろうか。
 だがしかし、秋はゆっくりと顔をあげ、桜夜の腕をぐっと掴んで言った。
「これホントにオヤジがアンタ達の所に持ってったワケ? アタシ、こんなの作ってない。こんな、皺だとか、ホクロだとか、アタシはつけてない。このホクロ、これってまるで本当にあの子の……」
 言いかけて、口をつぐんだ秋を見て、桜夜とシュラインは顔を見合わせた。どうやらこの事件、まだもう少し何かがありそうだった。


<合流>
 マネキン工場での調査を終えたシュラインと桜夜が、真名神と合流した時、真名神は木島家の中を探索させてい式を散らして、一人門柱の前に俯き加減で立っていた。
「あれ、あの子は?」
 まず桜夜が尋ねると、真名神は僅かに顔を傾け、煙草に火をつけながら答えた。
「御崎ならまんまと家に入り込んでそのまま中だ。多分まだ息子と話をしているだろう。所でその娘はもしかして」
 二人の傍には、セーラー服の少女が一人、青い顔をして立っていた。
「こちらは木島秋さん。依頼人の娘さんよ。あの手を作ったのはこの子なの。マネキン工場から盗んだ廃品を使ってね」
 だが作ったはずの手は消えてしまった。そこでもう一度、材料集めからという訳でマネキン工場へ出向いたところ、この二人に捕まってしまった、というわけだ。
「でもおかしいの。この子が言うには、手はそんなにリアルに作ってなかったそうよ」
「その件は後だ」
真名神はゆっくり煙草をふかすと、秋を見た。「お前が作ったとか言う手、今は冷蔵庫の中に居るぞ」
 「ある」ではなく「居る」。その言葉を聞いた瞬間、桜夜の背中にぞくりと怖気が走り、彼女は思い切り振り返った。視線の先が、真名神の視線と重なる。
 そこには、夕暮れの迫ってきた空を背景に木島家がひっそりと立っていた。
「……何か居る」
 じわりと圧迫してくるような気配は、自分の式でもなく、家の中に居るのが感じられる御崎の式でもない。逢魔ヶ刻。これからの数十分は気の抜けぬものになりそうだった。
「お前も感じるか」
 尋ねられたシュラインは黙って首を振り、秋の傍に寄り添った。
「式を使って手を捜した。元は確かにまがい物だっただろうが、今は念の篭った型代になってしまっている」
「聞いてもいいかしら……誰の念?」
 真名神は一息置いて、シュラインの問いに答えた。
「それは……」


―― 動き始めてる。
 御崎は狭い部屋の中、潔の肩に手を置き、片膝をついて辺りを油断無く見回した。その『何か』はどうやら階下に居るようだった。自分達が来た事で刺激したのかもしれない。
「お兄ちゃん。僕、怖い」
「大丈夫だ。俺が何とかしてやる」
 すがり付いてくる少年の手には、ひどい痣があった。シャツを上げさせれば、腹にも、背中にも。それを見、それがどうして作られたか聞いた時、御崎は腸が煮えくり返るような気がした。だが……。
『お兄ちゃん、あの手、どこまでも追いかけて来るんだよ』
『何度追い払っても、もうやめてってお願いしても、来るんだよ』
『僕ね、知ってるんだ。あれは、春子の手……』
 木島氏には女子高生の娘・秋、小学生の息子・潔、そして末の娘・春子がいた。だが昨年木島氏の暴力に耐えかね母親が出て行ってからというもの、その暴力の矛先はまだ抵抗できない末の息子と娘に向けられ、一番弱い末娘が死んだ。事故死という事になった。
 そして一月ほど前から、『手』は現れるようになったのだと言う。潔が見つける度、手は自動車のブレーキの下に居たり、寝室で父親の首を絞めようとしたりしていた。
 妹の『オバケ』が父親をあの世に連れて行こうとしているんだ、と潔が言った。
「春子、怒ってると思う? 僕があんまり邪魔したから、もう許さないかな?」
 少年は、これほど辛い目に合わされても父親を守ろうとしていた。御崎は潔の肩にかけた手に、強く力を込めた。
「いいか、妹はお前を怒ったりなんかしてねえ。それだけはしっかり覚えとけ」
「でも……」
 その時二人の前に一羽の赤い鳥がすっと姿を現した。そして鳥は真名神の声でこう言った。
『これから手を捕縛する。式はこのまま少年の守りに入る。お前は階下に下りて来い』
「……命令しやがって」
ち、と舌打って御崎は立ち上がった。「手の正体が何か分かってんだろうな」
 そしてチラ、と少年を見る。
「お前も行くか?」
 少年は逡巡した後に深く頷いた。


 秋に鍵を開けて貰い、リヴィングに入ると、ソファに寝転んでいた木島崇が振り返りもせず言った。
「飯は?」
 どうやら秋がこの家の家事をすべてこなしているようだった。
「お食事の時間にはまだ少し早いんじゃないかしら?」
 シュラインの声に、木島はゆっくりと体を起こしきょとんとした顔で3人の顔を眺めた。
「あんた方は?」
「草間興信所から来たのよ。例の手の件でね」
 言った桜夜をまじまじと見つめる。信じられないのも無理は無いかもしれない。桜夜は秋とさほど変わらぬ年だし、真名神はスーツを着崩した若造に見えるし、シュラインはやり手の秘書のようだし。
「おっと、俺のことも忘れないでくれよ」
 廊下から声がして、御崎が立っていた。隣に自分の息子を連れ、ずかずかと入ってくる少年を眺め、木島の喉から思わず笑いが漏れる。
「冗談だろう?」
「残念ながら冗談じゃない。例の手のことは一通り調査させてもらった。後はアンタに話を聞くだけだ」
「アンタって。こっちは金を払ってるんだぞ。どういう教育をされてるんだ」
「いーから黙って質問に答えればいいの。そうねまず…この手に見覚えが無いか」
 桜夜は木島に近づき、写真を眼の前に突きつけた。
「無いね」
木島は目をそらす。「で? 出所は分かった訳か?」
「ええ。でも話はそれだけでは終わらないわよ。きっと」
 思わせぶりなシュラインの台詞に木島が首をかしげると、御崎が二人の間に割り込むように彼の前に立ち、彼を斜に見上げた。
「じゃあ二つ目だ。こいつの体の痣の事、アンタ身に覚えが無いか?」
「大人に向かってなんて口の利き方なんだ」
「話をそらすなよ。疚しい事がないなら答えられる筈だろう。それとも何か? ……まさか虐待、なんてことねぇだろうな」
 やや早口の挑発するような御崎の言葉は、木島を焦らせた。たかが小学生に追い詰められた木島はついに叫んだ。
「こいつがどうなっていようが俺には関係ない、もう帰ってくれ!」
 それを合図に。
”バンッ!!”
 内側から蹴破る勢いで、冷蔵庫の扉がはじけ開いた。
「来るぞ!」
 真名神の短い警告が飛ぶ。3人の陰陽師は身構え、シュラインはぼんやりと立っている秋を連れソファの影に伏せる。
「なっ、何なんだ! 悪戯にもほどが…」
「悪戯なんかじゃないわ。グダグダ言うと助けてやんないわよ」
「大体筋違いだしな。依頼は手の出所を探す事で、手を始末する事じゃない」
「そういう訳。じゃ、帰ろっか?」
 桜夜と真名神の掛け合いに、自分めがけて飛んできた手をかろうじて避けた木島はへっぴり腰でシュラインの傍に逃げ込みながら言った。
「分かった! それも依頼する。助けてくれ!」
 本当は既に御崎の神将が彼を守って居るのだが。
「依頼料上乗せね」
 シュラインはつぶやき、頭の中でそろばんを弾いた。だが、事態は彼らの掛け合いとは裏腹に激しさを増していた。
 陰陽師たちが次々と印を切り、向かってくる手を弾くたび、天井に、壁に大きく皹が入り家が軋む。小さな少女の腕なのに纏う力は巨大で、攻撃の間が無い。
 否。彼らには攻撃の意思は無かった。彼らはただ手の力を受け流し、消耗させる事にのみ力を使っていたのだ。ただ消し去るだけならばもっと簡単だろう事を、こうして加減する事は難しく、彼らの額には汗が浮かぶ。
 そして手の力が弱まり、3人の意思が丁度3方向から腕を絡め取った瞬間、この攻防の中でも、真名神の式に守られ無傷であった少年が、もたれていた壁に背をずるりと滑らせるように、崩れ倒れた。


 術を掛け眠らせられた木島崇は床の上に、ソファの上には潔少年が意識を失って横たわっている。家はほぼ半壊といった所で、もし代金を請求されたら足が出るかも知れなかった。
「手を操っていたのは、この子だったのね」
 眠る少年の額に手を当て、具合を見ながらシュラインが言った。
「無意識だったんだろうけどな」
御崎は眉根を寄せて少年を見下ろした。「父親の事は嫌いになれない。でもやっぱり許せない。それに、自分の存在も認めて欲しい。そんなところだろうな」
「多分本人は何も覚えちゃ居ないだろうが……」
「……苦しかっただろうね」
 桜夜のつぶやきに重なるように、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。通報したのはシュラインだった。完全に児童虐待に当たる。末娘の件については、改めて取調べがあるであろうし、少年も何らかの形で保護されるだろう。
「行きましょう」
 パトカーが家の前に止まった。シュラインが秋の手を引くと、彼女はその手を振り解いた。
「イヤよ。ヤだったら。何でアタシが行かなきゃなんないの? アタシ関係ないでしょ」
 瞬間、その頬に桜夜の平手が飛んだ。
「何が関係ないのよ。あんたの家族の事でしょ。あんたの弟や妹のことでしょ。弟さんが助けを求めてたことに気付かなかったなんて言わせないんだからね!」
 結局、彼は家族である姉にそれを見出せず、通りがかりの……まったくの他人である草間にすがったのだ。何てことだろう。
「だっ…て…あの子を庇ったら今度叩かれるのはアタシじゃない。アタシは……別に見捨てて逃げようって思ったわけじゃないんだよ。お金さえ貰えれば、あの子の事も一緒に連れて逃げれるってそう思って…」
「莫迦ね、あんた」
ぽつり、つぶやいたのはシュラインだった。「殺された子の事はどうでもいいの? 人を殺したお父さんの事は? この先だけがどうにか成ればそれで満足? だったらそれは人間の生き方じゃないわ。動物。ううん、それ以下よ」
「そ…そんな言い方無いじゃない……」
 泣き出し、その場にへたり込んだ少女の手を無言で取り、桜夜と二人がかりで立ち上がらせる。手ひどく叩かれた頬を押さえて、少女は漸く、歩き出した。
 真名神は咥え煙草のままぐったりとした木島崇を肩に担ぎ、御崎は少年を背に負ぶった。
 ひどく、軽い体だった。


 後日、ただ一つだけ、4人の下に伝えられた事がある。手の爪に塗られた色のことだ。
 末娘の春子は、死亡当時小学校1学年だった。その指に長女の秋は良くマニュキュアもどきの色をつけてやっていたのだという。そして偽の手を作る際に、秋はそれを思い出したのだ。
 少なくとも、支えあうとまでは行かなくとも、仲の良い姉弟であった事だけは確かで。
 それだけが、唯一の救いになった今回の事件であった。

<終わり>


■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)

整理番号  PC名          性別/年齢 職業
 0444   朧月・桜夜(オボロヅキ・サクヤ)  女/16   陰陽師
 0086   シュライン・エマ      女/26   翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
 0389   真名神・慶悟(マナガミ・ケイゴ)  男/20   陰陽師
 0778   御崎・月斗(ミサキ・ツキト)    男/12   陰陽師
※申し込み順に並べさせていただきました。

■ライター通信
「トランクの中の手」いかがでしたでしょうか。
朧月さん、シュラインさん、真名神さん、いつも有難うございます。そして御崎さん、初めまして、蒼太と申します。
推理シナリオにも関わらず、今回はオープニングに事件解決のための糸口が少なすぎたというのが反省点です。ですがそれでも皆さんからは色々な推理が手元に届きました。ううん、なるほどこう来たか、と唸る中、大変惜しい所まで迫ったお客様が一名様、いらっしゃいました。
オープニングで考えていた犯人が変わってしまったりというのは流石にまずいですが(推理の元も子も無くなってしまいますものね)、ストーリー自体は皆さんのプレイングによっていくらでも変化する。これが東京怪談の面白さだと思います。
今回は残念ながら暗い終わり方になりましたが、どうぞこれにめげず、またご縁がありましたなら、一緒にお話を作って行きましょう!
依頼参加、有難うございました! では、また!                   蒼太より