|
トランクの中の手
<オープニング>
右手に吸いかけの煙草を。左手に大根とオクラと納豆の入ったビニール袋を持った草間武彦は、興信所から最寄のスーパーまでのたった1.5キロ程度の道のりを、昨今言われている『歩き煙草禁止』という風潮にあわせ、立ち止まり立ち止まり、帰るところだった。
―― ん…?
道路脇のガードレールに腰掛けて、ふと目を上げた先。草間は眉をひそめる。
まだ小学校にも上がっていないような少年がコンビニ前に止まった車のトランクを薄く開け、布にくるまれた包みを持ってよじ登ろうとしていた。悪戯か? そう思った草間はだが、腰を上げようともせず、ただ、眼鏡の奥で視線だけは鋭く様子を見る。
少年は包みをトランクの隙間から押し込み、それから草間の視線に気付いてはっと振り返った。
怯えたような目とかち合ってから漸く、草間は大きく一服吸い込んで立ち上がった…その時。
「何をしてるんだ! 車の中で大人しくしていろと、あれほど言っただろう、潔!」
コンビニから出てきたまだ若い男が、いきなり子供の頭を殴った。
「ご…ごめんなさい……パパ」
動物のように首を掴まれ、子供は薄くトランクが開いたままのシビックに押し込まれた。
捨てかけた煙草をもう一度口元に戻し、草間は傍を走りぬける車を眺めた。
運転をする茶髪の男は楽しげに、助手席に座った金髪の女子高生と話をしていた。少年の姉だろうか、よく似ている。
そして、後部席の少年は、すれ違いざま、すがるような目つきで草間を見上げた……。
「お兄様、お客様です」
大根味噌汁と納豆の朝食をとっている草間の元に、彼の暫定妹が客の来訪を伝えに来たのはまだ彼の目が覚め切ってもいない朝早くのことだった。
渋りながら興信所に降りて行った草間の前に、男が一人。
―― 偶然と言うのはあるもんだな。
昨日の男だった。少年はいない。
男は名を木島崇(キジマ・タカシ)と名乗り、テーブルの上に包みを放った。重く鈍い音がした。
「この悪戯をしたやつを、突き止めてくれ」
包みから出てきたのは、まだ幼い少女の手だった。少女と見たのは、小さな爪にピンクのペンで色が塗られていたから。
「…リアルにできていますね」
「勿論本物なんかじゃないさ!」
だが目をそらす男の声は僅かに震えている。「このボロ探偵事務所でも。この手がどっから来たか位突き止められるだろ」
「…ええ、勿論このボロ探偵事務所でも簡単なことですよ。―― 警察じゃなくてね」
草間零からの伝言:この時お兄様は、その手を推定5.6歳の少女と見たそうです。皮膚の皺までよく再現されたシリコン製でした。
ACT.1
煙草をふかす草間の表情が、見るからに不機嫌なのは気のせいではないだろうと、正午を少し過ぎた興信所に呼び出された4人はこっそりお互い目を見交わした。
初夏。東京の街のよどんだ空気は汗ばむほどに暑い。
「ま、警察行かないでンなトコ来るってのは、それ相応の訳があるって事よね」
くたびれたソファの肘掛に、斜に腰を下ろした朧月桜夜(オボロヅキ・サクヤ)がしれっと言った。出かけてくる直前に塗ったマニュキアが剥がれかけているのを気にして、草間の話を聞きながらも赤い瞳をずっと指先に集中させていた。
「『ンなトコ』は余計だ」
苦虫を噛み潰したような顔で草間は言い、だがその通りだ、桜夜の意見に頷く。
本日の彼はどうやら朝早くから邪魔された事、依頼人の態度が悪かった事に立腹している様で、集められた4人の顔ぶれと彼の表情を見比べ、草間零はため息をついた。
「思い当たる後ろ暗い事を持った依頼人って事よね」
そんな零のため息の訳を今回のメンバーの中では唯一分かってくれそうな女性、シュライン・エマが、額に落ちた一房の黒髪を耳元に掻きあげながら言った。時折草間興信所で事務整理のバイトをしている彼女なら、そう、この興信所の出納も分かってくれているはず。
「おっさんが見た、布に包まれた腕らしいのをトランクに放り込んだっていうその子供を探すのが一番手っ取り早そうだ、って俺は思うけど」
静かな口調で一息に言い、御崎月斗(ミサキ・ツキト)はコーヒーを一口。この小柄な少年の傍らには私立小学校指定カバンが置かれた居たがその中にまで小学生向きの教科書が入っている訳では無いことを草間は知っていた。「…と、その辺は依頼人に聞いた方が早いか」
「そう、例の子供は依頼人の息子だって事らしいからな。草間の目と耳がまだ確かなら」
御崎の言葉を受け、頷いたこちらは真名神慶悟(マナガミ・ケイゴ)。いつも人を茶化すような言葉が飛び出す口元には、今日も紫煙が揺らいでおり、暑さの為か、黒いスーツの下のネクタイは実に気安く緩められている。
零が知るかぎり、この内シュラインを除く3名は、陰陽を生業とする陰陽師。その血縁や自らの業、または行をなす事により式神を使役し呪占を扱う事のできるようになったある一握りの人々である。
めいめいカップを手早く片付けて、依頼人の家に向かうため狭い部屋を出て行く4人の背中を見送りながら零は、唯一常識人である「筈」のシュラインが、どうにか被害を食い止めてくれる事を切に願っていた。
ACT.2
電車に乗り継ぎ下りた街は、日曜日の人出でなお一層暑さを増している。
「さて…これからどうするか」
日差しの強さにとうとう上着を脱ぎ、左手にかけると真名神は額に手をかざした。
「2手に分かれたほうがいいんじゃないかしら」
この暑さに汗一つ見せないシュラインは3人を見回して言った。「依頼人と接触する方と腕の出所を探す方と。私はとりあえず、腕のほうが気になってるわ」
「俺は子供のほうだな」
落ち着いた黒い瞳に幾分興味の色を浮かべて、御崎は言い、言葉を継ぐように真名神が頷く。
「俺も同行しよう。草間には『念の為自宅に調査員を向かわせる』と言うように伝えておいたからな」
「で、依頼人からの許可は出たの?」
「……ま、何にせよついさっきの話だ」
シュラインの鋭いツッコミに真名神がよそを向く。そんな二人を一瞥すると、御崎は黒い帽子の鍔をキュと目深に傾け、一人さっさと歩き出した。
「オイ待て。チビ坊主」
真名神の台詞に、御崎の大きな耳がぴくりと動いたような気もしたが、歩みのほうは止まらなかった。
「チビとかって言わないほうがいいみたいよ」
同じような知人を知っている桜夜が可笑しげに笑って真名神に釘を刺し、シュラインを振り返った。
「って事になると。あたしはフェイクの腕探しって訳か。改めて宜しくシュラインさん」
「そう言えばマトモな依頼でご一緒するのはこれが初めてね。お手並み拝見と行きましょうか」
こちらも笑いを含んでシュラインは言った。この二人、幾度か顔を合わせてはいるが悉く「マトモ」とは言い切れぬ依頼ばかりだったのだ。
「さぁて……じゃあまずどこへ行きましょうかね」
〜 真名神慶悟 ・ 御崎月斗 〜
「オイ、チビ。……そこのチビ。そろそろ止まる気は無いか」
すたすたすた。立ち止まる気配無く淀みなくさり気なく歩く御崎。真名神は足を止めて煙草を深く一息吸うと、一言。「ここが依頼者の家らしいんだけどな」
ちょいと煙草をはさんだ指で一軒の門を指し示した。大きな耳と一房長く伸ばした金の髪がぴくりと動き、立ち止まる。
「漸く止まってくれたか。お兄さんは嬉しいぞ。で、これからどうするかなんだが、まず俺が木島氏に会って事件の詳細を聞くから……」
「いい」
数歩先からUターンしてきた御崎は、真名神とすれ違いざま真顔で言った。「俺が行く」
「オイ…俺が、って」
「アンタみたいな格好したのが行ったって入れて貰える訳ないだろ。その点俺なら。不本意だけど見た目小学生だからな。上手くいくだろう」
言うが早いかチャイムを押して、真名神に向かい『隠れていろ』と門の影を指し示す。何てぶっきら棒な小学生だ、俺の小さかった頃なんぞ……と真名神は愚痴りかけ、大体同じようなもんだったかな、と思い直した。
薄く玄関扉が開く。木島氏の細い人影が辺りをうかがうように見え、御崎の姿を認めると声をかけてきた。御崎は連絡網がどうのこうのと小学生らしい言い訳を並べ立て、スイと家の中に入って行った。木島氏の疑うような目付きには気付かぬフリをして。
―― なかなかやるじゃないか。御崎とかいったか?
真名神は薄く笑って携帯灰皿に煙草を捨てた。そして口に含んだままだった最後の一服を細く長く吐き出す。
「ナマクサルバタタギヤ、テイビヤ……」
続く真言は唇の奥、喉の隙間に納められ、煙は目を閉じた真名神の前からゆるゆると車庫のほうへ向かった。草間が見たというトランクの中の包み。もうそこには無いだろうが念の為確認してみたかった。煙はトランクの鍵穴から滑り込み、真名神の精神は四方の隅を嗅ぎ回る。
―― やはり無いか……ん?
何か残像が見えた。小さくてむっちりとした子供の手が、煙を呼んでいる。罠か? この事件には、聞いたそのときから何か怪しげな気配がした。でなければ草間が陰陽師を三人も呼ぶ理由は無い。そう思いつつも真名神は、呼ばれるままに鍵穴をするりと抜け出し手の呼ぶ方へと漂った。
一方御崎は、どこと無く薄暗い廊下を、依頼人である木島崇の後について歩きながら、後ろ手に、梵字の書かれた何枚かの符をゆっくりと引き出していた。前を行く木島に悟られぬように。
「子・巳・酉…」
彼は十二神将を操る陰陽師であり、またこの年齢で神将クラスが扱えるというのは彼の血筋の中でも異例の事だった。呪符から呼び出した3体は抜け出るや否や手に各々三鈷、鉾、独鈷を持った武将の姿に変化したが、それらにぴたりと附かれた木島本人はまったく気付かない。御崎は何事も無かったかのように目を伏せた。
「潔、客だぞ」
そんな名前だったのか、と初めて知った。やはり窓を締め切られた室内に一歩足を踏み入れると、すえた匂いが充満しており、つい眉をしかめた。
「……友達?」
小学校低学年。にしても頼りない肉のつき方。一目で栄養が足らないと分かるその姿に、怒りが湧く。
「友達じゃないのか?」
怪しむような木島の声に、御崎は更に一歩少年の傍に足を踏み出し、偉そうな態度で声をかけた。
「学校に来ないから班長の顔も忘れちまうんだぞ。俺だよ、俺」
視線を合わせ、どうかこいつが鈍いガキじゃありませんようにと願う。
「あ…うん。分かる…忘れてないよ…」
「だろ?」
わざと子供らしく振舞い、背負っていた荷物を床に投げる。後ろで木島崇が舌打つ音が聞こえたが、荷を降ろした相手に出て行けというのは難しい事だ。
「君……だれ?」
親の背が扉の向こうに消えるや否や、心細げに尋ねてきた少年に、黙るように仕草して見せてから、神将を使い木島が本当にドアを離れたかどうか確認すると、彼は体から少し力を抜いた。
「誰かなんてどうだっていい。ただお前が気になって来ただけだからな」
それからすっと手を伸ばし、丁度彼の弟達にするように冬人の汚れた頬をぬぐうと、自然な仕草でその髪の中にも手を差し入れ、整えた。そんな御崎の顔には先ほどまでと同じく微笑みの欠片も無かったが、少年が彼を信じるには、たった二つのその動作だけで十分だった。
「まずは、そうだな……俺に教えてくれねぇか? お前が車のトランクに手を入れたそのワケを」
その頃真名神は、腕の気配に引き寄せられるように木島家の中を探っていた。
唇から抜け出た彼の式神は玄関をすり抜け、居間、廊下……ニ階へと過ぎ去る中で、御崎と少年が上手く接触できた事も感知できたが、先に進む。とそこにはもう一人誰かが住んでいる気配があった。
―― 女の部屋か。
式の目を通して見回すと、端に化粧台が置かれている。母親のものかと思ったが、鏡台の隅に幾枚も張られた写真には金髪の女子高生が写っており、使われて居なさそうな教科書に『数U』と書かれていたことから姉の部屋なのだと判断した。
そして、部屋に似つかわしくない一式の材料と、この暑いのに仕舞われていないストーブ。
手が製作された場所がどこか、誰が作ったのかはこれでわかった。だがしかし、作られたはずの手の気配は無い。
廊下に出て階下に戻ると居間のソファに木島崇が寝転んでいるのが見えた。この近くに呪の香りがする。
鳥の目を通して居間に滑り込んだ。付け放しのテレビの脇をすり抜け台所に向かうと気配はもっと強まり、真名神は気を凝らしてそれを追う。
―― 見つけた。
それは、冷蔵庫の中にあった。くるまれた布越しに作り物とは思えぬ生々しい気配を放ちながら。
<合流>
マネキン工場での調査を終えたシュラインと桜夜が、真名神と合流した時、真名神は木島家の中を探索させてい式を散らして、一人門柱の前に俯き加減で立っていた。
「あれ、あの子は?」
まず桜夜が尋ねると、真名神は僅かに顔を傾け、煙草に火をつけながら答えた。
「御崎ならまんまと家に入り込んでそのまま中だ。多分まだ息子と話をしているだろう。所でその娘はもしかして」
二人の傍には、セーラー服の少女が一人、青い顔をして立っていた。
「こちらは木島秋さん。依頼人の娘さんよ。あの手を作ったのはこの子なの。マネキン工場から盗んだ廃品を使ってね」
だが作ったはずの手は消えてしまった。そこでもう一度、材料集めからという訳でマネキン工場へ出向いたところ、この二人に捕まってしまった、というわけだ。
「でもおかしいの。この子が言うには、手はそんなにリアルに作ってなかったそうよ」
「その件は後だ」
真名神はゆっくり煙草をふかすと、秋を見た。「お前が作ったとか言う手、今は冷蔵庫の中に居るぞ」
「ある」ではなく「居る」。その言葉を聞いた瞬間、桜夜の背中にぞくりと怖気が走り、彼女は思い切り振り返った。視線の先が、真名神の視線と重なる。
そこには、夕暮れの迫ってきた空を背景に木島家がひっそりと立っていた。
「……何か居る」
じわりと圧迫してくるような気配は、自分の式でもなく、家の中に居るのが感じられる御崎の式でもない。逢魔ヶ刻。これからの数十分は気の抜けぬものになりそうだった。
「お前も感じるか」
尋ねられたシュラインは黙って首を振り、秋の傍に寄り添った。
「式を使って手を捜した。元は確かにまがい物だっただろうが、今は念の篭った型代になってしまっている」
「聞いてもいいかしら……誰の念?」
真名神は一息置いて、シュラインの問いに答えた。
「それは……」
―― 動き始めてる。
御崎は狭い部屋の中、潔の肩に手を置き、片膝をついて辺りを油断無く見回した。その『何か』はどうやら階下に居るようだった。自分達が来た事で刺激したのかもしれない。
「お兄ちゃん。僕、怖い」
「大丈夫だ。俺が何とかしてやる」
すがり付いてくる少年の手には、ひどい痣があった。シャツを上げさせれば、腹にも、背中にも。それを見、それがどうして作られたか聞いた時、御崎は腸が煮えくり返るような気がした。だが……。
『お兄ちゃん、あの手、どこまでも追いかけて来るんだよ』
『何度追い払っても、もうやめてってお願いしても、来るんだよ』
『僕ね、知ってるんだ。あれは、春子の手……』
木島氏には女子高生の娘・秋、小学生の息子・潔、そして末の娘・春子がいた。だが昨年木島氏の暴力に耐えかね母親が出て行ってからというもの、その暴力の矛先はまだ抵抗できない末の息子と娘に向けられ、一番弱い末娘が死んだ。事故死という事になった。
そして一月ほど前から、『手』は現れるようになったのだと言う。潔が見つける度、手は自動車のブレーキの下に居たり、寝室で父親の首を絞めようとしたりしていた。
妹の『オバケ』が父親をあの世に連れて行こうとしているんだ、と潔が言った。
「春子、怒ってると思う? 僕があんまり邪魔したから、もう許さないかな?」
少年は、これほど辛い目に合わされても父親を守ろうとしていた。御崎は潔の肩にかけた手に、強く力を込めた。
「いいか、妹はお前を怒ったりなんかしてねえ。それだけはしっかり覚えとけ」
「でも……」
その時二人の前に一羽の赤い鳥がすっと姿を現した。そして鳥は真名神の声でこう言った。
『これから手を捕縛する。式はこのまま少年の守りに入る。お前は階下に下りて来い』
「……命令しやがって」
ち、と舌打って御崎は立ち上がった。「手の正体が何か分かってんだろうな」
そしてチラ、と少年を見る。
「お前も行くか?」
少年は逡巡した後に深く頷いた。
秋に鍵を開けて貰い、リヴィングに入ると、ソファに寝転んでいた木島崇が振り返りもせず言った。
「飯は?」
どうやら秋がこの家の家事をすべてこなしているようだった。
「お食事の時間にはまだ少し早いんじゃないかしら?」
シュラインの声に、木島はゆっくりと体を起こしきょとんとした顔で3人の顔を眺めた。
「あんた方は?」
「草間興信所から来たのよ。例の手の件でね」
言った桜夜をまじまじと見つめる。信じられないのも無理は無いかもしれない。桜夜は秋とさほど変わらぬ年だし、真名神はスーツを着崩した若造に見えるし、シュラインはやり手の秘書のようだし。
「おっと、俺のことも忘れないでくれよ」
廊下から声がして、御崎が立っていた。隣に自分の息子を連れ、ずかずかと入ってくる少年を眺め、木島の喉から思わず笑いが漏れる。
「冗談だろう?」
「残念ながら冗談じゃない。例の手のことは一通り調査させてもらった。後はアンタに話を聞くだけだ」
「アンタって。こっちは金を払ってるんだぞ。どういう教育をされてるんだ」
「いーから黙って質問に答えればいいの。そうねまず…この手に見覚えが無いか」
桜夜は木島に近づき、写真を眼の前に突きつけた。
「無いね」
木島は目をそらす。「で? 出所は分かった訳か?」
「ええ。でも話はそれだけでは終わらないわよ。きっと」
思わせぶりなシュラインの台詞に木島が首をかしげると、御崎が二人の間に割り込むように彼の前に立ち、彼を斜に見上げた。
「じゃあ二つ目だ。こいつの体の痣の事、アンタ身に覚えが無いか?」
「大人に向かってなんて口の利き方なんだ」
「話をそらすなよ。疚しい事がないなら答えられる筈だろう。それとも何か? ……まさか虐待、なんてことねぇだろうな」
やや早口の挑発するような御崎の言葉は、木島を焦らせた。たかが小学生に追い詰められた木島はついに叫んだ。
「こいつがどうなっていようが俺には関係ない、もう帰ってくれ!」
それを合図に。
”バンッ!!”
内側から蹴破る勢いで、冷蔵庫の扉がはじけ開いた。
「来るぞ!」
真名神の短い警告が飛ぶ。3人の陰陽師は身構え、シュラインはぼんやりと立っている秋を連れソファの影に伏せる。
「なっ、何なんだ! 悪戯にもほどが…」
「悪戯なんかじゃないわ。グダグダ言うと助けてやんないわよ」
「大体筋違いだしな。依頼は手の出所を探す事で、手を始末する事じゃない」
「そういう訳。じゃ、帰ろっか?」
桜夜と真名神の掛け合いに、自分めがけて飛んできた手をかろうじて避けた木島はへっぴり腰でシュラインの傍に逃げ込みながら言った。
「分かった! それも依頼する。助けてくれ!」
本当は既に御崎の神将が彼を守って居るのだが。
「依頼料上乗せね」
シュラインはつぶやき、頭の中でそろばんを弾いた。だが、事態は彼らの掛け合いとは裏腹に激しさを増していた。
陰陽師たちが次々と印を切り、向かってくる手を弾くたび、天井に、壁に大きく皹が入り家が軋む。小さな少女の腕なのに纏う力は巨大で、攻撃の間が無い。
否。彼らには攻撃の意思は無かった。彼らはただ手の力を受け流し、消耗させる事にのみ力を使っていたのだ。ただ消し去るだけならばもっと簡単だろう事を、こうして加減する事は難しく、彼らの額には汗が浮かぶ。
そして手の力が弱まり、3人の意思が丁度3方向から腕を絡め取った瞬間、この攻防の中でも、真名神の式に守られ無傷であった少年が、もたれていた壁に背をずるりと滑らせるように、崩れ倒れた。
術を掛け眠らせられた木島崇は床の上に、ソファの上には潔少年が意識を失って横たわっている。家はほぼ半壊といった所で、もし代金を請求されたら足が出るかも知れなかった。
「手を操っていたのは、この子だったのね」
眠る少年の額に手を当て、具合を見ながらシュラインが言った。
「無意識だったんだろうけどな」
御崎は眉根を寄せて少年を見下ろした。「父親の事は嫌いになれない。でもやっぱり許せない。それに、自分の存在も認めて欲しい。そんなところだろうな」
「多分本人は何も覚えちゃ居ないだろうが……」
「……苦しかっただろうね」
桜夜のつぶやきに重なるように、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。通報したのはシュラインだった。完全に児童虐待に当たる。末娘の件については、改めて取調べがあるであろうし、少年も何らかの形で保護されるだろう。
「行きましょう」
パトカーが家の前に止まった。シュラインが秋の手を引くと、彼女はその手を振り解いた。
「イヤよ。ヤだったら。何でアタシが行かなきゃなんないの? アタシ関係ないでしょ」
瞬間、その頬に桜夜の平手が飛んだ。
「何が関係ないのよ。あんたの家族の事でしょ。あんたの弟や妹のことでしょ。弟さんが助けを求めてたことに気付かなかったなんて言わせないんだからね!」
結局、彼は家族である姉にそれを見出せず、通りがかりの……まったくの他人である草間にすがったのだ。何てことだろう。
「だっ…て…あの子を庇ったら今度叩かれるのはアタシじゃない。アタシは……別に見捨てて逃げようって思ったわけじゃないんだよ。お金さえ貰えれば、あの子の事も一緒に連れて逃げれるってそう思って…」
「莫迦ね、あんた」
ぽつり、つぶやいたのはシュラインだった。「殺された子の事はどうでもいいの? 人を殺したお父さんの事は? この先だけがどうにか成ればそれで満足? だったらそれは人間の生き方じゃないわ。動物。ううん、それ以下よ」
「そ…そんな言い方無いじゃない……」
泣き出し、その場にへたり込んだ少女の手を無言で取り、桜夜と二人がかりで立ち上がらせる。手ひどく叩かれた頬を押さえて、少女は漸く、歩き出した。
真名神は咥え煙草のままぐったりとした木島崇を肩に担ぎ、御崎は少年を背に負ぶった。
ひどく、軽い体だった。
後日、ただ一つだけ、4人の下に伝えられた事がある。手の爪に塗られた色のことだ。
末娘の春子は、死亡当時小学校1学年だった。その指に長女の秋は良くマニュキュアもどきの色をつけてやっていたのだという。そして偽の手を作る際に、秋はそれを思い出したのだ。
少なくとも、支えあうとまでは行かなくとも、仲の良い姉弟であった事だけは確かで。
それだけが、唯一の救いになった今回の事件であった。
<終わり>
■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
整理番号 PC名 性別/年齢 職業
0444 朧月・桜夜(オボロヅキ・サクヤ) 女/16 陰陽師
0086 シュライン・エマ 女/26 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
0389 真名神・慶悟(マナガミ・ケイゴ) 男/20 陰陽師
0778 御崎・月斗(ミサキ・ツキト) 男/12 陰陽師
※申し込み順に並べさせていただきました。
■ライター通信
「トランクの中の手」いかがでしたでしょうか。
朧月さん、シュラインさん、真名神さん、いつも有難うございます。そして御崎さん、初めまして、蒼太と申します。
推理シナリオにも関わらず、今回はオープニングに事件解決のための糸口が少なすぎたというのが反省点です。ですがそれでも皆さんからは色々な推理が手元に届きました。ううん、なるほどこう来たか、と唸る中、大変惜しい所まで迫ったお客様が一名様、いらっしゃいました。
オープニングで考えていた犯人が変わってしまったりというのは流石にまずいですが(推理の元も子も無くなってしまいますものね)、ストーリー自体は皆さんのプレイングによっていくらでも変化する。これが東京怪談の面白さだと思います。
今回は残念ながら暗い終わり方になりましたが、どうぞこれにめげず、またご縁がありましたなら、一緒にお話を作って行きましょう!
依頼参加、有難うございました! では、また! 蒼太より
|
|
|