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<東京怪談ノベル(シングル)>


懐かしき笑顔

 仕事を終えた俺は、少しでも目立たぬよう裏路地を歩いていた。
 今日の仕事は戦争の手伝いとは違い、この地区を仕切っている者の暗殺。
 もともと治安の悪いこの地区をさらに悪化させようとするそいつを殺すことは、比較的簡単なことだった。何故ならこの地区では、暗殺という行為自体がありふれていたからだ。
 現にそいつを狙っていたのも、俺1人ではないようだった。
 辺りに気を配りながら、薄暗い路地を歩く。
 あとを追われるようなヘマはしていないが、現場から目立たずに素早く遠ざかることは当然必要な行為であった。そうインプットされているから、基本的に逆らうことはできない。
(――ん?)
 向かう路地の先に、人だかりのようなものが見えた。数人の男の背中が、狭い路地を塞いでいる。
「邪魔だ」
 近づいた俺は一言そう告げた。
 男たちは俺の気配に気づいていなかったのか、驚いて振り返る。
 だがその表情は、一瞬にして醜い笑みへと変わった。
「なんだぁ? お前は」
「女の前でいい格好見せようってか?」
「ここがどういう地区なのか、知ってて声かけたんだろうな」
「……何の話だ」
 俺はそう応えてから、その男たちの奥にいる女の存在に気づいた。泣いているため顔はよく見えない。
 何故こんな場所に女――結構幼い――がいるのかなどわからないが、何をされようとしていたのかは一目でわかる状況だった。
(……下らないな)
「邪魔だ」
 最初の言葉を、もう一度くり返した。
 俺を睨む男の額に筋が走る。握りしめられたこぶしがぶるぶると震えていた。
「覚悟はいいようだな……っ」
「オラァァァッ」
 やけにガタイのいい男たちが、一斉に襲い掛かってくる。
 その瞬間に、俺の思考回路は行動を弾き出した。
(暗殺は成功した)
 ここで余計な騒ぎを起こすのは得策ではない。よって――
 3秒。
 それで十分だった。
 倒れたやつらの真ん中から、女に目を移す。
(邪魔だ)
 そう思ったのは同じだった。
 女がゆっくりと立ち上がる。
(もし俺に向かってくるのなら)
 女といえど、容赦しな……
「!」
 女は確かに向かってきた。しかしその足取りはおぼつかず、数歩歩いただけで俺にしがみつくように倒れこんだ。
 思わず受けとめる。
(足が悪いのか?)
 女は俺の腕の中で、俺を見上げて笑った。赤い目をしたまま。
(――なんだ……?)
 その時初めて女の顔をしっかりと捉えた俺は、妙な既視感を覚えた。
 目は女の目から離せず、脳裏にはちらちらといつかの映像が浮かぶ。
 記憶の隅にある……いや、ない? いつの記憶だ。俺の記憶か? なんだこれは……
(フラッシュバック)
 なのだろうか。
 だが記憶にあるようでない映像ばかりが流れる。本当に自分の記憶なのか、わからない。
(――!)
 まさか……遠い昔の――?

  ――パァンっ

「!」
 気がつくと、俺は女に手を引かれ先ほどの場所から移動していた。
 女は俺を支えにして歩いていた。その手を俺が振りほどいていなかったのは、女の顔に混乱していたからだ。

  ――パァンっ

 2度目の銃声が足元で弾けた。狙われているのは俺か女か。弾の角度ですぐにわかった。
(この女も――標的か!)

  ――パァンっ

 3度目。
(当たる!)
 軌道を読んだ俺は、まるで戦場にいる時のように。考えるよりも早く身体が動いていた。
 キャンセラーに弾が弾ける。
 ふと女が前方を指差した。視力を拡大してみると、武装した車輌が見えた。
(こいつを迎えに来たのか)
 女の顔を見る。
 言葉すら交わしていないのに、女は俺の思考を読んだかのように頷いた。
(どこか)
 懐かしい顔で。
「――――――」
 ここで女から離れて、騒ぎを起こさず帰ることも不可能ではなかっただろう。
 けれど俺の行動は、決まっていた。自分でも、何故かわからぬまま。
 女を狙撃しようとする者を逆に狙撃しながら、女を片腕に抱いて走った。
(俺は……何をやっているんだ)
 そう問いかけながら。
 数百メートルを駆け抜け、待っていた車輌に女をおろした。そして最後にその顔を見た時。
(不思議と)
 わかってしまった。さっき女が俺の思考を読んだように。女の考えていることが。
「――ヴォイド――」
 答えを口にした俺に、女は微笑んだ。
 その笑顔が、やはり懐かしい気がした――



 その後帰還した俺には、多少の罰が与えられた。当然だろうとは思ったが、後悔はしなかった。
(ただ――)
 やはり疑問だった。
 俺自身、俺の行動が。
 あの時何故庇ったのだろう。
 女だから? 足が悪かったから?
 どちらも違う気がした。
(そんな理由で人が庇えるのなら)
 俺は殺せないだろう。戦場の死神にもなれない。
 けれど俺は、殺している。ためらいなく殺せる。
(なのに何故――)
 どの感情からとった行動だったのか。
 どうしてその感情を知りたいと思うのか。
 俺の"心"は、揺らぎ始めていた……

     ★

「――さんっ、時雨さん!」
 酷く遠くから、名前を呼ばれているような気がした。
「もうっ。いくら春とはいえ、縁側なんかで寝てたら風邪ひいちゃいますよ〜」
 徐々に思考を取り戻してきて、俺を覗きこんでいる人物を捉える。
 因幡・恵美。世話になっているあやかし荘の管理人だ。
(夢を……見ていたのか)
 悟った俺は、身体を起こした。
「物干しの修理の方はどうですか?」
(そうだ)
 俺は恵美に頼まれて物干しの修理をしていたのだ。それを思い出す。
 恵美は物干しの状況を確認してから、こちらを振り返って笑った。
「なぁんだ、終わってるじゃないですか〜。ならこんな所で寝てなくてもいいのに(笑)」
(!)
 その笑顔が妙に懐かしく思えたのは、さっきまで見ていた夢のせいだろうか。
(ほとんど憶えてはいない)
 けれど胸の中に、不思議な感情が残っていた。
"何故庇ったのだろう"
 それがわからずに、戸惑う気持ち。
「――庇う、か……」
 昇華するように、口に出した。
 俺はもう知っている。
(それがどこからくるのか)
 そんなことは、誰も知らないことを。
 何故ならそれが、"人間"だからだ。
「ん? 今何か言いました?」
 俺の呟きは、柔らかい春風にかき消され恵美には届かなかった。
 俺は首を振り、何でもない振りをする。
 恵美はまた笑った。
(もう)
 俺の心に戸惑いはなかった――。







(了)