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<東京怪談ノベル(シングル)>


玩具都市

 びゅう、と風が吹いた。それに乗じて茶色の短い髪がふわりと揺れ、その風の意外なほどの冷たさに青い目をふっと細める。
「……戯れに」
 高層ビルのジャングルの中で、メイドが一人、誰にも聞こえないほどの呟きを漏らした。エリス・シュナイダー(えりす しゅないだぁ)の声は、誰の耳にも届いてはいない。この高層ビルのジャングルでは、他人の動向をいちいち気にする事は無い。悪く言えば無関心、よく言えば個人の確立。そんな中で、エリスはただ小さく微笑みながら呟いた。
「ええ、戯れに。決して、悪意などは無いのです」
 にっこりと、微笑む。満面の笑み。その直後、高層ビルのジャングルは一瞬にして消えうせた。否、ただのミニチュアと化したのだ。エリスはそれを満足そうに拾い上げるのだった。

●都市境にいた男
「一体何が起きた?」
 ぽつり、とサラリーマンが呟いた。
(これから会議があるというのに……)
 彼は、自身の身に何が起きたのかを必死に思い出す。40歳前半の、働き盛り。運良く会社に残り、それなりに仕事を任されている。頭の回転は、鈍ってはいない。が、そんな彼でも自分は今、頭がおかしくなってしまったのではないかと懸念していた。
(女が、いた。……そうだ、メイドの女がいたんだ。えらく背の高い)
 絶え間なく流れる通りにいた、紺のミニ丈エプロンドレスを着ていたメイドがいた。彼女が彼の印象に残っていたのは、今時珍しい「メイド」の服装を身に纏っていた事。そして、何よりその身長の高さからであった。遠くからでも直ぐに分かるのではないかとも思われるほど高い、その身長。それでいて、万全のプロポーションに思わず目を奪われてしまったりもしていた。
(何かを呟いていた。……その直後だった)
 彼は自覚していた。自分がいかに異常な状況に置かれているかを。一見何も変わっていないかのように見える世界。だが、明らかに何かが変わっていた。一言で言うならば、サイズ。先ほどまで歩いていた界隈はそのままの大きさだが、他はとんでもない大きさになっていた。遠くに見えていた自社のビルは、見えるどころかそれよりも前に建っていた一階建ての店によって隠れている。隠れている、というか見えない、というか。一階建ての店など、小さいものだと考えていたが、とてつもなく大きな建物に形を変えていた。道路を挟んだ向こう側にあった信号は、首が痛くなるほど上を見なければ見る事は出来ない。
(……世界が大きくなった?いや、もしかして自分が……?)
――小さくなった?
(まさか)
 彼は一笑した。どちらもありえるはずが無いと。現実に起こる筈も無い、夢のような出来事。
(ああ、きっとこれは夢なのだな)
 彼は納得する。そして次の瞬間それは打ち砕かれる。
「こんにちは、皆さん」
 全身に響くような声が、彼を貫いた。ふと周りを見れば、そこにいた誰もが同じようにぽかんと口を開けて声のした方を見ていたのだ。先ほどまで、泣き叫んだり狂ったように吼えていたりした人間達が。彼は思わず頬をつねる。痛かった。これは、夢などではないのだ。
「あなた方は、玩具ですわ」
 にっこりと笑う、綺麗な女。
(あの時の女だ)
 彼は背筋が凍りつくのを感じた。まずは小さくなってしまったらしい身の危険を。次に最初に見た時以上に、大きい体の彼女に。そして自分達を玩具と断言する、美しいメイドを。

 紺のスカートからすらりと伸びた黒のタイツを履いた足を折り曲げ、エリスはミニチュア化した高層ビル群を拾い上げる。そして次に拾い損ねた米粒のような人間達を。
「すいません、取り損ねてしまいましたわね」
 にっこり、と微笑む。ざわついているのが、エリスにも分かった。小さくなった自分達の身を案じ、そして大きなエリスに対して恐怖を覚えている。
「落ち着いてくださいませ。決して、私は悪意がある訳ではありませんわ」
 皆を落ち着かせるように微笑み、しんとなったのを見計らってから言い放つ。
「みんな、私の玩具……」
(何をして遊ぼうかしら?)
 エリスの青の目が、無邪気に光った。

●拾い上げられた女子高生
「何よ、あの女……」
 突如現れた巨大な女の手の上で、女子高生は呟いた。手の下に広がる世界は、とてつもなく遠い。落ちたら……落とされたらまず即死だろう。
(怖い……なんなのよ?あたし、死にたくなんてないわよ?)
 遠い遠い地面をちらりと見、彼女はぶるっと身震いした。
(学校、サボるんじゃなかった!何であたしがこんな事になってる訳?サイテ―最悪!)
 たまたまサボった学校を、サボるんじゃなかったと今日ほど後悔した日は無かったであろう。いつだって自分が一番強い生き物なのだと思っていたし、実際そうだった。どれだけ大きな態度を取ろうとも、誰も何も文句を言ってこなかったし、言ってきてもちょっと反論すればすぐに引き下がっていったのだ。それなのに。
「何なのよ?!」
 自分の力の及ばない現象が起きている。この場での主導権は相手に握られている。
「何か?」
 にっこりと、巨大な女が返事を返した。恐怖を共にしながら、彼女はそれでも叫ぶ。
「一体何だって言うのよ?どうしてこんな事するわけ?信じらんない!」
「そうですねぇ……理由など特には無いのですが」
(え?)
「戯れに、遊んでみたくなっただけです」
 綺麗に微笑む女。
(頭おかしいんじゃないの?!)
 彼女の心に芽生える、完全なる恐怖。戯れで異常現象を引き起こした女、それに対して綺麗に微笑んでみせる女。
「ちょっ……早く戻しなさいよ!」
 必死の思いで叫ぶ。そしてそれを皮切りに、彼女と同じく小さくされてしまった皆が叫び始めた。自分達を戻せ、と。最初は小さかったその叫びだが、次第に大きく響いていく。何しろ、あの女によって小さくなってしまったのはその場にいた幾万人という人たちなのだ。大都市一つ、丸ごと彼女の手に収まるサイズになってしまっている。
「……お静かに」
 女が静かに言う。だが、体の大きさが違う為に、その呟きは何倍にも増幅されて町じゅうに響いていく。しん、と静まる。
「先ほど申し上げました通りです。みんな私の玩具なのです。玩具は……遊ぶ為に存在するのです」
(何よ、こいつ!)
「大人しく、遊ばれてくださいませ」
 女子高生の反論は許されぬまま、再び女はにっこりと微笑むのだった。

「ああ、いけない。そろそろお屋敷に戻らないと」
 エリスは慌てたようにそう呟き、ミニチュア化した高層ビル群と、米粒と化していた人々を地にそっと降ろした。彼女によって「遊ばれた」それらは、心なしかぐったりと疲労の色を見せている。
「では、ごきげんよう。私の玩具さん達……」
 エリスは綺麗にお辞儀をし、それからミニチュアと人々を元の大きさに戻した。遊び終わったら片付けるのが常識というものだ。エリスはちゃんと戻し終わった事を確認し、クレーバー家に急ぐ。予定よりも、遊びすぎたかもしれないとぼんやり考えながら。
「それでも……楽しかったですわ。たまには、玩具で遊ぶのも悪くないかもしれないですね」
 ふふ、とエリスは笑った。手作りの玩具で遊ぶのも、中々にして楽しいものだ……と思いながら。

●語り部の老人
「……それは一時の夢のようじゃった。否、実際夢じゃったのかもしれぬ」
 白い髭をさすりながら、老人は孫に話した。孫は「何で?」と無邪気に尋ねる。
「夢にしたかったのかもしれぬな。世の中の不思議は、時として残酷をもたらすからのう」
 微笑みながら言う老人に、孫は「わかんない」と頬を膨らませた。老人は孫を撫でながら小さく笑った。孫はちょっと考えてから、「遊びに行く!」と言って駆けて出ようとした。老人は慌ててその背中に声をかける。
「背の高いメイドには気をつけるんじゃぞ!」
 老人はそう言ってから、心からそう思っている自分に苦笑する。
「遊ぶのはいいが、遊ばれんようになぁ……」
 そう呟き、老人は立ち上がった。孫に、件のメイドが会ってしまわないように見守る為に。

<メイド注意報を出されつつ・了>