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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


紫の落とし子

■序■

 東京は晴れた。3日間続いた大雨が上がったのだ。

 雨上がりのかんかん照りの中、草間興信所に転がりこんできた男は、芥沢と名乗った。サングラスに長髪、無精ヒゲの三十代半ば。服は派手だ。まともな職にはついていないらしいが、それほど不潔そうでもなかった。ただ、大汗はかいていたが。
「妙なやつらに追いかけ回されてるんだ。言葉が通じないのか何なのかわかんねエが、訊いても何にも答えちゃくれない。助けてほしいんだ、あんた探偵だろ?」
「……警察に行ってくれ」
 焦っているせいなのかそれとも素なのか、芥沢の中の探偵像はおかしなことになっている。身柄の保護を求めるならば、草間が蹴ったように警察に行くべきだ。
 だが――
「頼むよ! オレ、いろいろあってサツとは仲悪いんだよー!」
 なるほどそういうことか。ひょっとすると、ハードボイルドな展開も望めるかもしれない。自分が望んでいたような依頼が来たのか。草間は少しだけ期待した。
 しかしその後芥沢が続けた事情を聞いて、草間は内心がくりと肩を落としたのだった。

 芥沢は3日前の雷雨の中で、紫色の雷に打たれたのだという。気絶はしたが病院に行くまでもない軽傷ですんだ。
 だが目を覚ましたその直後から、ターミネーターばりに執拗な黒服の追跡者たちに追われるはめになった。追跡者たちは日の元には現れない。しかもどこか、人間離れした「気」をまとっているようで……とにかく、不気味なのだ。不気味なものからは誰でもとりあえず逃げる。

 芥沢のアタマが(たとえ落雷を実際浴びたとしても)おかしくなったとは思えない。その話には妙な信憑性があった。
 芥沢の腕や首筋に、紫色の蚯蚓腫れが出来ている。まるで目立ちたがりの血管か――稲妻のようだ。
 これは自分の手に余る。草間の直感がそう告げた。
「……仕方ない。信じてやるけど、応援を呼ぶぞ」
「恩に着るよ! 金ならいくらでも頭金で出すからさ!」
 芥沢はぱちんと手を合わせて、草間を拝んだ。

 そういった経緯があり、今こうして、4人の男女が草間興信所に集まったのだ。4人が対面した護るべき男は、草間興信所のソファーでぐうぐうと呑気に眠りこけていた。


■生き延びた証■

 芥沢竜二は草間興信所のソファーで眠っていた。

 眠っているのが、護るべきいたいけな少女であれば微笑ましく感じることも出来ただろう。そっとしておいて目覚めを待つのもいい。
 だがしかし、今回4人が――龍堂玲於奈、海原みその、黒月焔、ルゥリィ・ハウゼン――が護るべき人間は、訳有りの中年男だった。寝顔はどこかふてぶてしく、どうも苛立ちを誘う。
「ちょっと、あんた! 来てやったよ!」
 まず玲於奈が口火を切った……と言うよりは、爆発した。4人のうちの3人は女性だったが、玲於奈以外の女性ときたら、沈着冷静でどこか浮世離れしており、芥沢の寝面にも全く動じていなかったのだ。
 玲於奈の雷鳴のような怒鳴り声に、芥沢は弾んだ。さながら、バネ仕掛けかゴム仕掛けの安い玩具のようだった。
「寝る余裕があるってんなら心配なさそうだな」
 焔はむっつりとそう言い放った。しかし、サングラスの奥の瞳は、しっかり芥沢を観察していた。
 やはり目をひくのは噂の紫色の蚯蚓腫れだ。着ている派手なアロハシャツはそれをすべて隠すには寸法が足りない。それは焔の刺青とは違い、稲妻を模しているようでいて、わずかに盛り上がっていた。本当に、蚯蚓腫れなのだ。むず痒いらしく、芥沢は首筋や腕をボリボリ掻きながら起き上がった。
「悪い、寝てなかったもんでさ」
「昼も夜も逃げ回ってたのか」
「そんなとこだ」
 どうも芥沢は『逃げる』という行為に何ら引け目を感じない性分のようだ。焔が呆れてみせても笑っていた。芥沢は改めて、自分の護衛を引き受けてくれた4人を見回した。
「やあ、こりゃ嬉しいね。『鉄枷のレオン』か」
 玲於奈に一言。
「オレの知り合い、あんたの店によく行ってるらしいぞ」
 焔に一言。
「……日本語わかる?」
 ルゥリィに一言。
「……またこりゃ可愛いボディガードだな」
 みそのに一言。
「ま、ともかく、草間の旦那が一目置いてる方々なら安心だ。よろしく頼むよ。オレは痛いのも死ぬのも嫌なもんでさ。これ頭金。やつらを追い返してくれたら後でまた出す」
 芥沢はバッグの中から封筒を取り出して、中から札束を取り出すと、4人に公平に分けて手渡してきた。けして少なくはない金額だった。表情や素振りからは読み取れないが、彼は本当に死と追跡を恐れている。
 言われるままに金を受け取って、4人は思わず黙りこんだ。ことの重大さは、金が教えてくれたのだ。


■ターゲット■

 雨上がりの爽やかな空気さえ吹き飛ばす、その波動と異質な力。
 芥沢その人からは何も感じ取れない。彼はただ日本の警察(いや、おそらくは世界中の警察)と折り合いが悪いだけで、性格にも特に問題はないし、彼自身はオカルト系の能力を何ひとつ持っていないようだ。
 芥沢の中では何かが「その時」を待っている。
 龍堂玲於奈は霊感や妖力といったものを持ち合わせてはいなかったが、それを芥沢から感じ取ることが出来た。おそらく、勘や慣れのお陰なのだろう。この街で幾多の修羅場をくぐり抜けてきた結果、本人が自覚することなくその身に刻まれたものだ。
「あんた、あたしの通り名を知ってたね」
「ああ、『掃除屋』だろ。俺ァあんたに月までぶっ飛ばされるほどの大物じゃないが、俺の知り合いにはあんたを怖がってるやつが多い」
 ボリボリと蚯蚓腫れを掻きながら、芥沢は苦笑している。玲於奈はからりと笑った。とりあえず、誉められたのは確かなのだ。嫌な気分はしない。
「あんた運がいいよ。そのあたしが味方として駆けつけたンだから」
「充分安心させてもらってるよ」
「わかってンなら、あたしにぶっ飛ばされる恐れのある仕事からは足洗ったらどうだい?」
「……うう、それは」
 芥沢は言葉を濁し、苦笑いを浮かべたまま首筋をバリバリ掻いた。こまったから掻いたのか、蚯蚓腫れが痒いから掻いたのか、この状況では判断しかねる。
「ちょっと、あんまり掻くんじゃないよ」
 玲於奈は無骨な腕輪が嵌まった腕を伸ばして、芥沢の手を掴んだ。芥沢はきょとんとしたような驚いたような顔で硬直した。
「か、痒いんだよ」
「そうだな、彼女の言う通りだ。掻くな。命令ついでに――ちょっと見せてみろ」
 横合いから口と顔を出してきたのは、黒月焔。
 彼が顔を出せば、もれなく龍も顔を出す。顔に彫りこまれた龍とともに、焔はまだ硬直している芥沢の腕と首筋をねめつける。親切なことに、玲於奈は芥沢の腕を掴んで持ち上げたままの体勢でいた。
 焔にはある程度のオカルト知識がある。芥沢に降り注いだ災厄――紫の雷、残された爪痕――蚯蚓腫れ。超自然的なものが絡んでいる可能性は高い。であれば、焔の浅く広い知識の網に引っ掛かるものであるのではないか。
 しかし、サングラスの奥の赤い瞳は途方に暮れて、玲於奈の赤い瞳を見上げただけだった。
「こいつはちょっと、見たことも聞いたこともないな。でも……」
 ふつふつと肌を逆撫でる、雨上がりの爽快感さえ吹き飛ばす、不穏な影と異質な力。それは焔にも勿論伝わっている。感じ取っていないのは、芥沢本人ばかり也。
「只事じゃない。人間じゃない何かが関わってる」
「コワイこといわないでくれよ、兄ちゃ」
「はッ、関わってンのが鬼だろうが悪魔だろうが、まとめてぶん殴っちまえば済むことさ」
 ようやく玲於奈が手を離す。芥沢の腕がバタリと落ちた。腕はソファーの肘掛けに激突し、芥沢は小さく悲鳴を上げた。


■敵は黒服■

 日が沈んだ。
「さあ、出かけようじゃないかい!」
 芥沢の腕を引っ張り、玲於奈は大の大人を引きずった。芥沢はわずかに抵抗しようとしていたが、相手が誰なのかをよく心得ているためにすぐ大人しくなった。
「腕が抜ける! てめェで歩くって!」
「面倒だな、まったく」
 夜を待つのも充分面倒だったがと、焔はため息混じりに立ち上がる。
「戦闘に適した広い処への誘導をお願いします」
 ずんずんと先を行く玲於奈(と芥沢)に小走りで近づき、ルゥリィは言った。
「せ、戦闘ってオイ?! 嬢ちゃん、キレイな顔して何言っ」
「おうよ、あたしもそのつもりさ」
「うう……コワイのとイタイのは嫌だって……」
「お願いします。わたくしは、準備をして参りますので」
「お待ちしておりますわ」
 みそのの微笑みに、ルゥリィは微笑みで返した。
 一行に背を向けたルゥリィの表情は、一変して厳しいものになっていた。

「夜に来る。おまけにしつこい。何も言わない。ゾンビにゃよくあるタイプだな」
 焔はサングラスを外して、服の裾でレンズを軽く磨き、ジャケットのポケットに収めた。
「ぅおお、勘弁してくれよ。バイオじゃねェっての!」
 芥沢は餌として玲於奈に引きずり回され、最終的には小さな公園に辿りついていた。住宅街の合間にある、質素で古びた公園だ。広いとは言えないが、草間興信所から行ける範囲内で人目にそれほど触れることなく暴れ回るには適当な場所と言えた。
 恐怖の時間だ。芥沢にとっては悪夢だろう。雇った護衛に対する信頼を、恐怖は軽く上回っている。焔がゾンビなどという現実離れした名詞を口にしても、それをすんなりと受け止めてしまえるほどに、彼は何かを恐れている。
 黙って芥沢を見つめていたみそのが漆黒の目を細めた。
 欠けた月はほぼ中天。
「ふふ、来たかい! オッサン、あんたはそこに居な!」
 玲於奈は芥沢をタコ型滑り台の空洞に押しこみ、『鉄枷』を外した。鉄の戒めはどすんと鈍い音を立てて地面にめり込む。
「で、お嬢さん、何か頼もしい特技は?」
 芥沢を見つめたまま動かないみそのに、焔は声をかけた。みそのははっと我に返ったような素振りで焔を見上げる。焔は思わず彼女の顔を龍眼で真っ向から見つめ返してしまったが、少しばかり安堵した。みそのはほとんど目が見えていない。その大きな漆黒の目以外の何かで、この世を見ている……焔はすぐにそれに気がついた。龍眼の影響もないだろう。
「わたくしは、皆様のお手伝いを。この服に相応しい働きを致しましょう」
「そうか。……やつらは俺たちに任せて、きみは芥沢のオッサンを見ててくれないか」
 みそのは笑顔で頷くと、タコ型滑り台へと走った。平坦な地面で彼女は何かに蹴躓いてよろめいたが、危ういところでバランスを保った。
「ちょっと危なっかしい子だねえ」
「オッサンよりは遥かに役に立つさ。……もうひとりのお嬢さんも、スタンバイOKってとこだろうな」
 焔の紅い瞳は、公園の隣に聳え立つマンションを捉えた。マンションの4階、非常階段の踊り場に、白い女が待機している。
 黒服は、10人余り。
 まるで黒ミサを行うが如くに、かれらは黒いローブのようなフード付きのコートを纏っている。確かにあの風貌の者に追われては、誰でもひとまず逃げるだろう。
 公園の入り口は南側・北側に一つずつ、計二つ。そのいずれからも、ぞろぞろと無言でかれらは現れた。動作はつめたく、滑らかだ。
「北を!」
「任せな!」
 焔と玲於奈は、お互い真逆の方向へと走り出した。


 鋭く強い呼気とともに繰り出した玲於奈の一撃は、黒服に命中した。
 が、大気圏外までふっ飛ばすことは適わなかった。
「?!」
 玲於奈の一撃を食らった途端、黒服はばさりと崩れ落ちたのだ。
「……空だってのかい!」
 黒服たちはまったく無抵抗だった。玲於奈には目もくれず、ただひたすらに芥沢のみを目指して突き進んでいく。玲於奈は拍子抜けしたが、自分を無視して突き進む黒服のひとりに手を伸ばし、荒々しくその肩を掴んだ。黒服はまたもや無言で崩れ落ちた。
 まるで影が黒衣を纏っていたかのよう。地面に落ちているのは黒い布だけだった。
「まったく、当てが外れたね」
 玲於奈は笑った。もっと歯応えのある相手だと思っていたが、この程度か。
 彼女は走り、滑り台に向かう黒服の全てに掴みかかった。玲於奈の力はあっさりと黒服の姿を崩し、彼女が通った後には、もとより存在していなかった中身を失ったコートが、だらしなくのびていくばかりだった。


 呆気なく依頼は達成できた。しかし呆気なさすぎて逆に安心できない。玲於奈と焔は場数を踏んでいる。まだ何かあるはずだ。
「『鉄枷』、暴れ足りないだろ」
「当ったり前さ! まったく!」
 口ではそう毒づいていても、その目は油断していない。玲於奈はまだ鉄輪を外したままだ。焔も予想通りの返答に笑うこともなく、手にした黒衣の燃え残りを玲於奈に見せた。
「幻影だ。誰かのパシリってとこかな。人間を殺すほどの力は出せない。出来ることと言ったら、オッサンをどこかに運ぶくらいだな」
「わざわざ幻を使って誘拐かい」
「顔を見られたくないか、……オッサンに触りたくなかったとか」
「うわ! あたしはばっちりあの腕を掴んじまったよ!」
「俺も軽く触ったよ」
 ふたりはまじまじと自分の手を見つめた。だが、彼らの手には何の変化もない。
 代わりに彼らは周囲の変かに気がついた。
「……急に寒くなってきたね」
「……ああ」
 その手に水滴がついた。
 焔と玲於奈は、空を見た。今まで晴れ渡っていた空はいつの間にか黒雲で覆われていた。月も、無い。


■敵は紫■

 雨が降り始めた。
 そして、芥沢は絶叫していた。紫の蚯蚓腫れを掻き毟り、彼はあまりに痛ましい悲鳴を上げ始める。
「ぅあっ! ああああああぁああ、痛ェ!! 痛ェよ、ちくしょう!!」
 雨脚は弱くはなかった。昼間の茹だるような熱気もどこへやら、鳥肌が立ちそうなくらいに肌寒い。そんな中で雨に打たれても、芥沢の身体からはしゅうしゅうと湯気が上がり始めていた。身体に当たった雨粒が、蒸発していっているかのようだ。
「……こ、こりゃあ……?! ちょっと、しっかりしな!」
 玲於奈が手を伸ばすのを、焔は止めることが出来なかった。間に合わなかった。降れるべきではないような気がしたのだ。
 芥沢の肩に玲於奈の手が触れた途端、紫色の稲妻が弾けた。その眩しさに、焔とルゥリィは目を背ける。盲目に近いみそのまで、軽く目を細めたほどだ。
 玲於奈はその場に倒れたが、次の瞬間には悪態をつきながら立ち上がっていた。
「大丈夫ですか?!」
「ああ、雷に打たれたっていうから念のためにインナーをね」
 玲於奈の服はところどころが焦げ落ち、下に着ているゴム製のインナーが顔を出していた。
「やってくれるじゃないか、まったく!」
「頑丈だな」
 焔が軽口を叩く程度で済んだのが幸いだ。玲於奈の用意の良さが彼女自身を救った。焔は反射的に玲於奈の身体を見つめていた。芥沢は紫の雷を受けて、今は七転八倒の苦痛に喘いでいる。……だが、玲於奈の身体にはあの刻印がない。
「『流れ』が……」
 みそのは一歩前に出て、呆然と呟いた。もう一歩踏み出す。さらにもう一歩。ほとんど無意識に、芥沢へと吸い寄せられていく。ルゥリィはそんなみそのの肩を掴み、寸でのところで引き止めた。
「『流れ』? 何のことですか?」
「芥沢様を糧にしていたもの……もう、必要ないと……時が満ちたと――来ますわ」
 みそののその一言に、残る3人は目を細めて身構えた。
 芥沢の断末魔が、雷鳴にかき消される。
 ばしゃん、
彼の身体の蚯蚓腫れが破裂した。あの湿った「ばしゃん」は破裂音だったのか、それとも雷鳴だったのか? どちらにせよ、芥沢の皮膚は雷を吐きながら弾けた。周囲は一瞬にして血塗られた。洗い流すには力不足の雨脚が憎らしい。
3人は目を細める準備が出来ていた。芥沢の血、眩い紫の閃光から目を守ることが出来た。警鐘を鳴らしたみその本人だけが、その漆黒の瞳をはっきりと開いていた。
みそのは手を伸ばす。
あれは、神か。
時の流れ、命の流れを凌駕した存在が、芥沢の身体から飛び出してきた。
「お引き渡すべきでしたか」
 みそのの言葉は、けして紫のものに向けられているわけではない。ルゥリィを振り解かんばかりに、みそのは後悔の念に苛まれている。
「あの方々は、この天の神を止めるために……!」
 芥沢を貪り、飛び出してきた紫の閃光は、人とも獣ともつかぬ形を取り、パチパチと囀っていた。心地よさそうに雨を浴び、無貌ながらも4人を見つめる。
 そして、はっきりと嘲笑った。
「野郎!」
 嘲笑を受け取った焔と玲於奈は動いた。ルゥリィも、呪文じみたドイツ語で己の中の因子を解放しようとした。

 だが、異形の神は襲ってはこなかった。襲う気にならなかったのだろう。襲う必要もなかったに違いない。

 紫の閃光は、再び吼えた。その咆哮は雷鳴だった。芥沢の血が焦げ、不愉快な匂いが立ち込める。あまりの眩しさに、掴みかかりかけていた玲於奈と焔とルゥリィも、足を止めて顔を背けざるを得なかった。
 みそのだけが閃光の行方を見ることが出来た。

 この星、この空、お前たち。
 私は気に入ったぞ、覚えたぞ。

「……我が神とは、対なる御方」
 みそのは微笑まなかった。


■雨上がりの目撃者■

 芥沢はぴくりとも動かない。生々しい裂傷は傷口が焦げていた。彼の身体に宿っていたものは、かなりの勢いで飛び出したようで――ルゥリィが着ている『エストラント』は純白であるがゆえに、紅い飛沫の痕は目立っていた。
 紫の雷が去ったあと、雨は嘘か冗談のように止んでしまった。今では月の光さえ地上に届いている。ルゥリィは雨混じりの血潮を拭い取った。
「……護りきることが出来ませんでしたね」
「黒服からは、護ったさ。俺たちは一応、『約束』は守った」
 焔は言ったあとに唇を噛んだ。玲於奈も後ろで暗い顔をしている。
 名誉が傷ついたことはどうでもいい。だが、自分たちは助けを求めてきた人間を――
「お待ち下さい、まだ芥沢様は……」
「い、生きてるよ」
 みそのの言葉を遮って、無残な姿の芥沢が身じろぎした。同時に呻きもしたのだ。
 みそのの他の者は一瞬呆気に取られ、それからばたばたと芥沢のそばに跪いた。
「なんだ、生きてるなら早く言えよ!」
「ホントにさ!」
「この出血と裂傷で生きているなんて……」
「何なんだよ、だったら死ねばよかったな、畜生がっ!」
 興奮したからか、芥沢の焦げた傷口からはどくどくと血が流れ出した。だと言うのに、彼は跳び上がるような勢いで立ち上がったのだ。しかも髪の先や傷口から、パチパチ放電さえしていた。詰寄っていた焔と玲於奈は思わず一歩退く。
「おそらく、お身体が宿っていた方の影響を受けたのでしょう」
 だくだくと全身から出血している芥沢を見上げ、みそのはにこにことそう言った。芥沢は言われて初めて自分の身体のとんでもない変化に気がついたようだ。血みどろで、且つ放電している己の手を呆然と見つめた。
「人外への転生おめでとう」
 焔はにこりともせずに言い放った。ここで普通ならば肩でも叩いていただろうが、先の玲於奈のようになるのはご免だ。自分はゴムのインナーを着ていないし、先ほどの雨で濡れ鼠。
「はあっ! まあともかく仕事は終わりだね! 金は要らないから何か食わせな!」
「あ、わたくしも是非。ルゥリィ様と焔様は如何なさいますか?」
 芥沢の返事も聞かぬうちに、翌日の一行の予定は決まってしまった。ぴんぴんしているとは言え、芥沢はとりあえず病院に行くべき傷なのだが。
――しかし、あの黒服……結構な腕前の術者が絡んでたんだろうが……顔を出しては、こないか。
 公園を後にする前に、焔は周囲を睥睨した。視線を感じる。
 みそのもまたそれを感じとっていたようだが、何も言わなかった。振り向いて、焔を微笑で促している。
 焔はそれに微笑で答え、サングラスをかけた。


「まったく、間に合わなかったな。余計なことをしてくれた」
 公園を見下ろせるマンションの一室で、壮年の男が毒づいた。漆黒の髪に漆黒の瞳。言葉はフランス訛りの英語。
「あの組織の女とコンタクトでも取るか? 白い戦闘用スーツの」
 『エストラント』を身につけたルゥリィを指差し、その男は傍らで佇む若い男に訊いた。尋ねられた若い男は、しばらく考え込んでいたようだったが――首を横に振った。
「雷を殺すことは出来ませんでしたが、大きな被害も出なかった。それ以上でも以下でもありません」
「やつはこの星のことを覚えたぞ。また来る」
「そのときは、彼らと手を組むのもいいかもしれませんね」
 若い男は、カーテンを閉めた。


 東京は次の日もまた次の日も、晴れた。
 夏はまだ先だと言うのに、暑い。
 芥沢は中華料理の他に、冷たいものも奢るはめになった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0599/黒月・焔/男/27/バーのマスター】
【0669/龍堂・玲於奈/女/26/探偵】
【1388/海原・みその/女/13/深淵の巫女】
【1425/ルゥリィ・ハウゼン/女/20/大学生】

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■         ライター通信          ■
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 モロクっちです。
 お待たせしました! 『紫の落とし子』をお届けします。
先に、一言お詫びを。依頼文章がヘンなところで改行されていましたね。こちらのミスです。読みづらかったかと思います、申し訳ありませんでした。
 スプラッタという名目ながら、書いてみたらあんまり血が出ない展開となりました。黒服に芥沢を引き渡すプレイングが強ければ、謎の組織(笑)に近づくことも出来ました。今回は皆様のプレイングの結果、組織はチラッと顔見せ程度に留まりましたが……。機会があれば、彼らが前面に出てくるお話も書きたいと思っています。ご興味があれば、参加していただけると嬉しいです。
 芥沢のオッサンも無事生き残りましたので、頑丈な身体と放電能力を武器にまた出てくるかもしれません。

 お楽しみ頂けたのならば幸い、ライター名利に尽きるというものでございます。
 それでは、またご縁があればお会い致しましょう!


■龍堂玲於奈さま

 はじめまして。ご参加有難うございました!
 今回は女性PCの参加が多かったのですが、玲於奈さんは何だか男性のノリで書いてしまった気がします。そしてこの玲於奈さまを娶った旦那さまも気になります(笑)。今度は幽霊がらみの依頼で書かせていただきたいですね。
 ゴム製のインナーはせっかく着用されていたので、活用させていただきました。
 それでは、またよろしくお願いします。