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<東京怪談ノベル(シングル)>


ホール・ケーキ

「あ」
 突如そう呟き、石和・夏菜(いさわ かな)は足を止めた。さらりと流れる黒髪から除く緑の目は、きらきらと輝きながら一点に集中している。そこにあるのは、様々なケーキ。チョコレート、苺のショート、フルーツタルト、チーズケーキ……。どのケーキも、彩りも豊かに並べられている。光を受けたケーキ達は、夏菜の目と同じくきらきらと輝いている。店内にはにこにこと笑いながらケーキを選んでいく女の子達の姿もあった。
(そういえば)
 夏菜はケーキを眺めながら、ふと思い出す。
(半年前、だったかなぁ)
 ホールのケーキを買ったことがある。まさに今見ている、このケーキ屋で。夏菜は小さな縁を感じ、ふふ、と笑った。今だから少し、笑えるのだから。

 心臓の音が、どくんどくんと全身を脈打った。周りの音も聞こえてこない。静寂の世界の中で、今は二人だけが存在しているかのように。
「あ、のね」
 夏菜はそっと口を開く。目の前にいる幼馴染の、茶色の髪から覗く緑の目は優しく自分を見つめていた。次に出てくる言葉を、温かく待っているかのように。
(優しい、優しいその眼差し)
 心臓の音が早まり、次第に大きくなる。言葉を発するという事が、こんなにも困難だったであろうかと、夏菜は頭の中で困惑する。
「……なの」
 ぽつり、と呟くかのように夏菜は言った。言われた幼馴染は、緑の目を不思議そうに夏菜に向けたまま、優しく「何?」と聞き返した。
(ばかばか!ちゃんと聞き取ってよ!一回しか、言いたくないのに)
 夏菜は顔を真っ赤に染め、俯く。それから、一度大きく深呼吸をし、まっすぐに幼馴染の目を見つめた。真剣な顔で、真剣な眼差しで。頬の赤みは取れないままで。
「大好きなの!」
 ざあ、と風が吹いた。
(言った……夏菜はちゃんと言えたの!)
 夏菜は、じっと幼馴染を見つめた。視線と視線がぶつかる。一瞬きょとんとしていた幼馴染だが、それからふっと小さく笑った。
「俺も……俺も夏菜が好きだよ」
(嘘……!)
 予想もしない相手の言葉に、夏菜は両手で口を塞ぐ。
(嘘みたい、夢みたい!)
 思わず涙を流しそうになりながらもぐっとこらえ、幼馴染に駆け寄ろうとしたその瞬間。幼馴染は口を開いた。続きを言う為に。
「大事な、妹分だ」
「……え?」
(妹?)
 夏菜の全ての動きが止まった。相手の言葉を、心の中で何度も反芻しながら。
(妹分って、どういう事?夏菜の好きとは、違うって事?)
 認めたくない事実が、夏菜の頭を支配する。
(夏菜の好きっていうのと、絶対に違う好き、だよね?)
 幼馴染は、相変わらずにこにこと笑っている。絶対に、夏菜の言葉をちゃんと理解してはいない。
「……どうしたんだ?具合でも悪いのか?」
 全くの動きを止めている夏菜を心配し、幼馴染が覗き込んでくる。夏菜は俯いたまま、大きく首を横に振った。その事で、ほっと安心したような表情を見せる。
「あのね……用事を思い出したの」
 やっとの事で、夏菜は声を出した。
「用事?付き合うよ」
 優しげな幼馴染の声に、夏菜は大きく首を振った。
「一人で、行くの!」
 そう言ってから、夏菜ははっと口を抑えた。思わず大きな声で言ってしまった自分に、明らかな拒否の声を出してしまった自分に。恐る恐る夏菜は顔を上げる。そこには微笑みながら見守る幼馴染の、優しい緑の双方の目があった。
「あ……ごめん、ね?」
「いや?別に気にしてないよ」
(優しい……)
 幼馴染はにっこり笑って去って行った。一人取り残された夏菜は、幼馴染が去っていった方をじっと見つめた。だんだん小さくなるその姿に、何となく夏菜は溜息をつく。
「ばか……」
 再び風が、びゅう、と吹いた。その風に、夏菜の長い黒髪が揺れる。切ない気持ちと一緒に。
「失恋しちゃったのかな……」
 ぽつり、と呟く。自然と涙が出てきた。夏菜はそれを振り切るようにぐっと握りこぶしを作り、仁王立ちをしながら口を開く。
「という事は、やけ食いなの!」
 自然と、夏菜は走り出した。流れ出した涙は止まってはいない。
(もうこうなったら、食べて食べて食べまくってやるの!)
 足は自然に、いつも通る道へと向かう。
(ずっとずっと憧れていたんだもん!今日、決行なの!)
 いつも通る道の、いつも前を通る店。いつもショーウィンドウを見ていたケーキ屋。
(今日はやけ食いなの!だから、カットされたケーキを買ったりしないの!)
「いらっしゃいませー」
 自動ドアが開き、店員が夏菜に声をかける。夏菜はショーウィンドウを暫く眺めた後、一つの大きなケーキを指さす。
「これを……」
「はい」
「ホールで!」
「……はい」
 夏菜の勢いに押されつつも、店員はにこやかに応対した。店員から大きなケーキの箱を渡され、夏菜は涙をぐしっと拭う。
(これをしたら、少しでも元気になるかもしれないの!)
「有難うございました」
 自動ドアを抜け、夏菜は再び走り出していた。ただただ自然に、足が走っていたのだった。

 1時間後。夏菜は溜息を一つついていた。ケーキを目の前にし、ホールをカットせずにそのままフォークで食べるという贅沢な食べ方を実行しながら。夏菜は大きく溜息をついていた。
「むー……」
 無くなったケーキは、約三分の一。夏菜は元々そんなに食べられる方ではない。いくら大好きなケーキであったとしても、その事実は変わらなかった。しかも、胸焼けを起こしそうにもなっていた。
(失敗なの……)
 目の前のケーキはなくならない。かと言って、カットせずにそのままフォークで食べた為に、他の人におすそ分けも出来ない。
(困ったの……)
 困ったのと、また思い出してきたのとで何となく泣きたくなってきた。充分過ぎるほど、泣いていたような気がしていたのだが、また再び涙が出てくる。
「夏菜?」
 その時だった。夏菜のもう一人の幼馴染が顔を出したのだ。緑の目の幼馴染ではなく、青い目の幼馴染。
「……何やってんだ?」
 赤い目の夏菜と三分の一程しか食べられていないケーキを見比べ、幼馴染は怪訝そうに尋ねる。
「やけ食いなの」
「何で?」
「失恋、しちゃったの!」
 夏菜の言葉に、幼馴染は「ははーん」と呟いた。その態度に夏菜は小さくむっとする。だが、それすらも見越したように幼馴染はにっこりと笑って見せた。
「そっかそっか」
 それだけ言うと、夏菜の目の前にどかっと座る。手にはフォークを持って。
「……なあに?」
 もくもくとケーキを食べ始めた幼馴染に、きょとんとして夏菜は尋ねた。幼馴染は小さく笑い、頬にクリームをつけたまま口を開く。
「食べたいから食べてるんだよ。……駄目だったか?」
 夏菜は慌てて首を横に振った。食べて貰えるのならば、それに越した事は無い。
(夏菜がそんなに食べられないの、知ってるから)
 もくもくと口にケーキを食べている幼馴染を見て、夏菜は小さく微笑んだ。じっと見つめる夏菜に気付き、幼馴染が顔をあげた。
「何だ?」
「……クリーム、ついてるよ」
 おっと、と呟きながら幼馴染は頬についたクリームを手にすくって舐めた。夏菜は再び微笑んでから、もう一度フォークを手に取るのだった。

(嬉しかったんだよね)
 夏菜はケーキのショーウィンドウを見ながら、くすくすと笑った。
「夏菜、映画遅れるぞ」
 聞き覚えのある声に、夏菜は振り向く。一緒にケーキを食べてくれた、青い目の幼馴染がそこに立っていた。
「お前……またその店のケーキか?」
 ショーウィンドウを必死になって見ていた夏菜に、幼馴染は呆れたように口を開く。
「食えないくせに」
 ちょっと頬を膨らませる夏菜を小さく笑いながら、幼馴染は夏菜の手を引っ張って歩き始める。
「……そうだ、夏菜」
「なあに?」
 幼馴染は、にっと悪戯っぽく笑う。
「また振られたら一緒に食ってやるよ。ケーキ」
 一瞬の沈黙。夏菜の頬が再び膨らんだ。
「……またって、何?」
「あ、やべ。走るぞ、夏菜!」
 幼馴染が、夏菜の言葉を遮るように手を強く引っ張った。夏菜は慌てて歩を早める。膨らんでいた頬は、次第に薄れていき、ついには口元を綻ばせる。走っていく夏菜の目に、ちらりとあの日食べたホールケーキが映るのだった。

<ホールケーキの思い出に浸りつつ・了>