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<東京怪談・PCゲームノベル>


時の果てで貴方を想う

++ 思い出の時計 ++
 張り詰めた空気――もっともそれは草間興信所を訪れた老紳士に対して、皆がどう対応したものかと思案すると同時に、彼の出方を伺っていることから生ずるものなのだろうとシュライン・エマ(―)は思う。
 だがしかし、いくら相手の目的も素性も知れないからといって、いつまでも事務所の外に待たせておくことなどシュラインには出来なかった。皆が見守る中でドアへと歩み寄り、来客用のソファを勧めた。
 そしてお茶を淹れるべく給湯室に向かった足を、シュラインはふと何かを思い出したかのように止めた。そして小さく首をかしげた末に、くるりと振り返る――見つめた先は、相変わらず草間の机の上に陣取っている凪の姿だ。
「お客さんって言ったわよね、さっき」
「なになに、もしかしてお茶出してくれる気になった? ホラ見なさいよこれが大人ってもんよ見習え見習え」
 草間の方を勝ち誇ったようにして振り返る凪。対する草間は苦虫を噛み潰したような顔で――そしてシュラインは、極上の笑みでもってさらに言葉を続ける。
「調査料は凪さん持ちね――さっき自分でお客さって言っていたし」
「嫌だわ今更お客扱いだなんて、私たち友達でしょ」
 凪のあまりといえばあまりな変わり身の早さに、草間が顔をしかめる。だがしかし、今回ばかりはシュラインの方が一枚上手であったようだ。
「友達だからこそ、こういうことはきっちりさせておかないとね――それに凪さんだって興味があるでしょう?」
 問いかけは、囁くほどに小さなものだった。老紳士に聞こえないようにとの配慮からだろう。
「そりゃ興味はあるわよ――仕方ないわね……」
 凪は自分の現在の貯金残高を思い出すように虚空に視線を向けた末に、苦々しい顔で頷いた。


 シュラインが皆にお茶を配って回ると、村上・涼(むらかみ・りょう)はそれを受け取って一口口をつけた。そして『時計ねぇ……』と胡乱げに呟く。
 彼女の視線は、自分の持ち物であるらしい古い懐中時計を掌の上にのせて、蓋を開いたり閉じたりを繰り返している今野・篤旗(いまの・あつき)へと注がれていた。そんな涼の視線が、微妙に物欲しそうであるのはシュラインの気のせいではないだろう。
「時計ねぇ……この話、あの女が知ったら、なにがなんでも懐中時計手に入れようと躍起になったでしょーね……あ、でも手に入れようにも元手がないか。また携帯止められたみたいだし……どこで野垂れ死んでんのかしら……」
 涼はつい先ほど、知人にこの老紳士のことを教えてやろうと携帯で連絡を取ったのだ。だが相手のそれは当然のように不通となっていた。これがごくごく普通の相手であれば、料金の払い忘れだろうかで済むのだが、彼女となると話はかなり違ってくる。なにせ本気でどこかで野垂れ死んでいてもおかしくは無い。
 余談だが、涼の物言いからシュラインが連想した人物もまた同一人物である。もっともこの時点で二人はそれを互いに確認し合う術を持ってはいないのだが。
 かちゃかちゃと音を立てて、時計の蓋を繰り返し開け閉めしていた篤旗が、涼の物言いにふと顔をしかめる。何だかよくは分からないが、凄まじいことをさらりと口にしている気がする。
「さらっとえらく不吉なことを言ってるんやな――ところで、その手は何や?」
 人なつっこそうな篤旗の青い瞳が、自分の腕を――それも懐中時計を手にしている方の腕をしっかりと握り締めている二人に向けられた。二人は――涼と凪は、篤旗の腕を握り締めているだけでは飽き足らず、至近距離でぎりりとにらみ合っている。ぶつかり合う視線からは今にも火花が散りそうな勢いだ。
 だが篤旗の問いかけに、二人は揃ってわざとらしい笑みを浮かべた。
 そして耳元に囁く。
「それ、売ってみない?」
 わくわくと目を輝かせる涼の背後で、シュラインが深く溜息をついて額をおさえた。すると凪がすかさず横から口を挟む。
「私が交渉したげるから手数料よこすといいわよ――オトモダチに調査料取られそうだから働かないと、私も」
「なっ、ズルイわよ凪さん! それは私が売るってついさっき決めたんだから……!」
 どうやら涼も凪も、売るべき懐中時計を持ってはいないのだろう。だからといって他者のものを売らせようとするのはどうかと思うが、涼も凪も何故か非常に憎めないタイプの人間であるので篤旗は腹を立てたりすることはなかった。それどころか、あの二人のやりとりは姉妹の冗談めいた諍いを見ているようで楽しくある。
「コレ売ったら爺さんにしかられるわ」
「えー、高値で売ったら同じの買えるわよきっと」
 拗ねたようにソファに座り込む涼が不服そうに答える。シュラインは子供のような涼の姿に、くすくすと笑みを漏らしながら好奇心のままに問いかけた。彼女は一体幾らで時計を売るつもりなのだろう?
「ちなみに幾らくらいで売るつもりなの?」
 小さく、涼の耳元で尋ねるが篤旗も興味津々――といった様子である。
「二億円くらい」
 さらりととんでもない金額を耳にした篤旗は、一瞬押し黙ったが自分の顔の前でぱたぱたと手を振った。
「幾らなんでもあんまりやろ……それは」
「出してくれたら儲けモノとか――そんなこと考えているのねきっと」
 老紳士に聞こえないように、こそこそと篤旗とシュラインがそんなことを言い合う。
「生活力有り余ってそーやな。溢れんばかりに」
 感心したような口調の篤旗に、涼はふふふん、と得意げに、けれどあまり自慢にならぬことを答えた。
「溢れちゃったから就職決まんないのよ――」
「涼にとっては目下最大の問題ね、それが」
 もはや問題の時計から次第に離れていくばかりの話題に、あからさまに溜息をついたのは瀬水月・隼(せみづき・はやぶさ)という名の男だった。呆れたような光を瞳に浮かべた彼の視線に物怖じすることなく、涼は今度は隼にとてとてと歩み寄る。
 彼女の視線が、隼の持っている時計であることに気づいたシュラインが、再び深い溜息をつく。すると篤旗はシュラインへ同情するような眼差しを送った。
「大変やな……」
「……もう慣れたわ」
 呆れる二人をよそに、涼は物怖じすることなく隼を見上げた。
「ねえ、それでふっかけてみない。二億円くらい」
「二億ってな、正気か?」
「――そうよね……折半するとしても二人だから一人一億ぽっちだものね」
「利率低いからな今。優雅に利子で生活ってワケにもいかねぇだろ、その金額じゃ」
「んじゃもうちょっと上乗せしとく?」
「そもそも売るつもりねぇし、そういう問題でもねぇだろ」
「じゃあ何が問題なのよ。凪さんの歳なんて知らないわよ私も」
 年齢の話題が涼の口から発せられた途端、ぎろりと凪が凄まじい表情で隼たちのほうを睨みつけた。背中ごしにもそれが感じられたのか、涼はわざとらしく鼻歌なぞを歌いながら渋々ソファへと戻っていく。あらぬ疑いをかけられた隼は、肩をすくめ、凪を制するように片手を挙げた。
「金だけでカタつけられるモンでもねーしな、コレは。なあ、じーさん――なんでアンタ懐中時計にそう執着するんだよ? 時計を集めても時を集められるワケじゃねぇ。せめて時計を集める理由を教えてくれよ――」
 老紳士の座るソファの肘掛に片手をつき、覗き込むようにして問いかける。
 老紳士はシュラインのいれた紅茶を飲み終えると、白いカップをゆっくりとした動作でテーブルの上へと置いた。
「置いてきた物がある。そして探しているものが――」
 言葉の中に見え隠れするのは、哀しみなのだろうか?
 シュラインはそんな思いを否定するかの如く、無言で首を横に振った。彼の口から漏れる言葉の端々に感じられるもの――それは哀しみといった単純な、一言で口にできる類のものではない。否――あってはならない。
「探しているのは、時計やな」
 おそるおそる、といった様子で発せられた篤旗の問いに、ソファの背にゆっくりともたれた老紳士が頷く。
「そう――かつては私のものだった、時計だ」


++ 旅の軌跡 ++
 隼たちはその後、時計屋を探しに行くと数人の仲間を連れ立って草間興信所を後にした。
 その場に残ったのは、シュラインと涼、そして篤旗と問題の老紳士。さらには草間武彦と凪の六人である。
(噂の時計屋と繋がりでもあると思ったんだけど……)
 どうやらそういった事実はないようだった。シュラインは首から下げていた懐中時計をするりと手の中におさめる。するとデスクで頬杖をついていた草間が顔を上げた。
「売るのか?」
「まさか」
 軽く答える。そういえば、昔草間とこの時計について話をしたことがあったのをシュラインは思い出した。時計のことは詳しくはないが、その時計は好きだと、そう言われた時には、何故か自分自身を褒められているようで嬉しかったのを覚えている。
「理由を、教えて下さい」
 一呼吸おいてから、シュラインはさらに続けた。
「これは私のものだけれど、もしもこれが貴方の探しているものならば差し上げても構いません。そのかわり、教えてもらえませんか――何故、懐中時計を集め続けるのか、その理由を」
「話したところで、おそらく誰も信じはしまい。私にすら分からない――果たしてこれが現実なのか、それとも夢なのか――」
 だが、篤旗はその後にぽつりと漏らされた老紳士の呟きを聞き逃しはしなかった。そして涼もまた。
「出来れば、夢であって欲しい――」
 疲れたような、苦悩するかのような呟きに、篤旗が小さく顔をしかめた。彼はまるで自分たちには想像もつかないような重い『何か』を背負っているように思えてならない。
 重苦しい空気に耐えかねたように涼が明るく言った。
「大丈夫よ。大抵のヘンな出来事には慣れてるわ。ここにいる人たちはみんな」
「涼も含めてね」
 すかさずシュラインが言うと、がーんと涼が振り返る。
「嘘! 類友もしかして!?」
「完璧すぎるほどに類友や。良かったな」
 ぽんぽん、と涼の肩を叩く篤旗の顔は、慰めているというよりは面白がっているようにしか見えず、涼はじろりと篤旗を睨みあげた。
 シュラインたちのやりとりを、しばし優しげな目で見つめていた老紳士は小さく笑みを漏らす。まるで遠い過去を懐かしむかのように――。
「私にも、かつてそんな時があった。無邪気に毎日を過ごし、共に笑い合える――そんな友もいた。そう、かつては」
「その友人たちは、今は?」
 シュラインが問いかけると、老紳士が目を閉じた。
「全てを話そう。何度も何度も、本当はたった一つの時計を求め続けた旅の軌跡を、誰かに話しておくのも悪くは無い――」
、両手を組み、ソファの背もたれにゆっくりともたれた老紳士は、優しく、そしてゆっくりと語り出した。
 そう、彼の旅の軌跡を――。


「私が、過去からやってきた人間だと言ったら信じるかね?」
 老人は視線を虚空へと投げかけながら問う。唐突なその問いに、シュラインたちは互いに顔を見合わせた。
「言葉で『信じる』っていうんは簡単やけど、そうして欲しい訳やないんやろ?」
「とても信じられないような話だ」
「でも、話してくれるんでしょ?」
 いつの間にかソファの背後に回りこんだ涼が、老紳士の顔を背後から覗きこむ。穏やかに笑みを返すと彼は小さく頷いて見せた。
「私は、過去からやってきた人間だ。私には病床の妻がおり、父から譲り受けたとある懐中時計を質に入れて、妻の治療費を捻出するために自宅を出た――あれは冬の寒い日の出来事だったが。その日に全てが始まったのだ。そう、気の遠くなるような、長い旅が」
 気がつけば、手に握られていた懐中時計は消えており、彼は知らない町に放り出されていたのだという。彼は、時間を越えたのだ。
 何が原因で時間を越えてしまったのか、彼は考え続けた。何故なら彼は戻らねばならなかった――病に苦しむ妻の元に、彼女の待つ時代に、彼は一刻も早く戻らなければならない。
 焦りの中、彼はとある可能性を思いつく。彼が手にしていた懐中時計が消えていたということ。もしかして、あの時計に秘密があるのではないだろうか、と。
 そして彼は見知らぬ町で、消えてしまった時計を探し続けた。いつか妻のいたあの時代に帰れることを信じて――。
「それを、今も探しているのね」
 ようやく納得できた、といった様子のシュラインは念のため、と自分の時計を差し出す。老紳士はその時計の蓋をぱかりと開き丹念に調べた末に、時計をシュラインへと返した。
「これも違ったようだ。どうやら、私の旅はまだ終わらないらしい」
 彼はこれからもたった一人で旅を続けるのだろう。
 いつ終わるのかすら分からない旅を。
 これからも続くであろう長い道のりを思い、篤旗がふと視線を自分の足元に落とす――彼の背負っているものは自分には想像すらできない重さだ。この時代で、彼に協力することはできるだろう。だが、彼の哀しみを理解することは、きっと誰にも出来ない。そして彼も理解されることなど望んではいない。
 自分に出来ることは、彼のために時計を探してやることだけなのだ――篤旗が老紳士のために時計を探そう、と決意を新たにしたその時だった。彼の視界の隅に映っていた草間興信所のドアがノックされた。シュラインがそれに答えるよりも早く、ドアが開かれる。
 ドアの向こうに立っていたのは、一人の男。黒いスーツを身に纏い、片眼鏡をかけた男はアルミ製らしきアタッシュケースを手にしている。
 この草間興信所を訪れる人は、大きく分けて二つに分類される。一つは何事かに悩み、それを解決するための力を借りようとした人々――そしてもう一つは、そういった事件解決の手助けを草間から頼まれた人々。
 現れた青年はそのどちらでもないようだった。人を食ったような笑みは悩みを抱えている人特有の影など微塵も感じられなかったし、草間が協力を求めた相手ならば、シュラインとて顔くらいは見たことはある筈だ。だが青年の顔は、いくら記憶を手繰ってみてもシュラインに思い当たるものはない。
 問いかけるようにして振り返る――その視線の先は草間へ。だが彼も面識はないらしく、答える変わりに軽く肩をすくめて見せるだけだ。
「――どちらさま?」
「『時計屋』と申します。お客さまのご紹介を頂いたようなので――」
 男が名乗った途端、皆が弾かれたように顔を上げ、訪れた青年に視線を向けた。
 皆の視線に晒されても、時計屋は接客業よろしく笑みを崩しはしない。ゆったりとした足取りでシュラインの隣を擦りぬけ、来客用のソファに腰掛けていた老紳士の前に立つ。
「本当に、時計屋なんか?」
 おそるおそる問いかける篤旗に、時計屋はアタッシュケースをテーブルの上に置いて頷いて見せる。
「無論ですとも。想像とは違われましたか?」
「なんてゆーか、もっと歳のいった人じゃないかって想像してたんや。意外に若いんやな」
「それはそれは――ですが、仕事に関しましては評判を信用して頂いて結構ですよ。今日は在庫の中でも『とっておき』を持ってまいりましたのでね――」
 開かれたアタッシュケースの中身は、涼が立っている位置からは見えなかった。好奇心が抑えきれず、思わず時計屋の背後に回りこみ、中身を一目見ようとひょっこりと覗き込む。
 そこに納められていたのは、鈍い金色をした懐中時計。
「随分と、古いもののようね」
 丁重な、まるで宝石を扱うかのような手つきで取り出された時計には指紋一つない。一見したところで年代物であろうことが分かるが、同時にその時計がとても大切に保管されてきたこともまたシュラインは悟る。
 時計屋はそれをシュラインへと差し出した。
「こちらを、岸本様に――」
 さりげなく差し出されたそれを受け取ってしまってから、シュラインが不思議そうに時計屋を見上げた。
 そして篤旗と涼も驚いたように目を丸くして、互いに顔を見合わせる。
「岸本って?」
「察するに――」
 涼の問いに、篤旗が老紳士の背中を視線だけで指し示しながら言葉を続ける。
「あの人の名前なんやろな」
「でもなんで名前知ってるのよ?」
 涼の疑問はもっともだった。老紳士から話を聞いていた涼たちすら、彼の名前は知らない。そもそも彼の話に名前など一度も出てこなかったのだ。
 それを、何故時計屋が知っているのだろう?
「私の名が、好事家の間で噂されるように、一つの時計にまつわる噂が、私どもの業界でも流れているということです。過去に帰るために、自分の名が刻まれた時計を探し続ける男の話が――この時計を持っている者の前に現れるという老紳士――いつか、会う日が来るとは思っておりましたが」
「タダでいいの?」
 時計から目を離した涼に、時計屋が小声で囁く。
「一つだけ、岸本様に約束するようにとお伝え下さい。もしも無事に過去に帰還なされた暁には、時計の蓋に刻まれたご自分の名前を削り取ってくださるように、と」
「名前を削るって、何でや? 名前が刻まれているのが嫌なら、自分で削ってしまったらええやん」
「それでは意味がないのですよ」
「意味が無い? どういうことや?」
 篤旗が問いかけると、時計屋はアタッシュケースを閉じながら答える。
「私が欲しいのは、岸本様が元の時代に戻ったという『確証』です。私は時計屋ですから、いつかまたその懐中時計を手に入れることでしょう。その時、時計の蓋を見れば私は知ることができる――岸本様が無事に元の時代に戻られたのかどうかを」
「結果を知りたいと、そういうことね」
 ぱちりと懐中時計の蓋を閉じたシュラインに、時計屋は深く頷いた。
「伝えていただけますか? 約束を――」
「ええ」
 頷くシュラインに、時計屋は満足げだ。彼は深く頭を下げ、テーブルの上に置いたままのアタッシュケースを手にすると、興信所のドアに向けて歩き出した。そしてドアに手をかけたところで、ふと振り返る。
「それでは、お買い上げありがとうございました――」


++ 時の果てで貴方を想う ++
 時計屋が興信所を立ち去った後、シュラインは自分の手の中に残された懐中時計を握り締めた。確かに感じられる金属の感触が、時計屋との邂逅が嘘や夢などではなかった証のように思える。
「渡すんでしょ?」
 涼が小首を傾げながら口を開くと、シュラインはそれに頷いて老紳士の方へと歩き出した。
「――時計屋の言葉を、お聞きになりましたね?」
 確認するかの言葉を投げかけながら、シュラインが時計屋から受け取った懐中時計を老紳士の掌にそっと置いた。皺の目立つ指先が、なぞるようにして金色の蓋をこする。そこに刻まれたアルファベット――老紳士の名が確かに刻まれていることを何度も何度も確かめるように。
 その指先は、僅かに震えているように篤旗には思えた。
 彼は帰れるのだろうか。元いた時間に。長い長い孤独な旅は、いつ終わるのだろうか?
 篤旗の真摯な眼差しに、老紳士は彼の胸中を悟ったのだろう。老紳士はまず篤旗の姿を記憶に焼き付けるようにしてじっと見つめた後に、ゆっくりと周囲の人々を見渡した。
「『時計屋』に伝えて欲しい。約束は必ず果たすと」
 いつもいつも、孤独だった気の遠くなるような長い旅。
 だが、今時計を手にした彼は笑っていた。
「見送るわ――たまには、こんなのがあってもいいでしょ。こんな旅が――」
 彼の孤独を癒す。涼はそんなことは考えてはいなかった。ただ、せめて見送るくらいは許されるだろうと思う。いつか老紳士がふと過去を懐かしむように、こんな旅もあったと微笑むことが出来るような――そんな旅もあってもいいだろう、と。
「感謝する――いつか、時の果てで約束は果たそう」
 手にした懐中時計の蓋を、音を立てて開く。かちかちと、秒針が動く音――シュラインにだけ聞こえていた規則正しいその音が、少しずつ少しずつ、歪んでいく。
 そして何十秒かを数えた末に、不意に秒針の音が止まり事務所内が静寂に包まれる。時計の文字盤に視線を落とした老紳士の優しげな顔が、何故かシュラインの印象に残った。

 文字盤から、光があふれ出す。


 その先に、光の中に蜃気楼の如く見え隠れするのは灰色のビル郡。そこが、彼――老紳士が次に旅する場所なのだろうか?
 穏やかな光が事務所内を満たした。それは眩しい、というほどに強烈なものではなく、包み込むような優しい光。そして、その光が消えるのと同時に、その場にいた老人は、まるで宙に溶け込んでしまったかのようにして消失していた。
 そう、まるで光とともに消えてしまったかのように――。
 篤旗がソファに歩み寄る。
 夢かと思った。老紳士との出会い、そして時計屋の協力。そういった全てのものが夢なのではないかと。
 だが、そんな彼の思いを否定するのは、老紳士が飲んでいた紅茶のカップ――それが、紛れもなく老紳士がこの場所にいた証だった。
「夢やなかったんやな――」
 篤旗の呟きに、シュラインが頷く。
 老紳士は、消えてしまった。
 光に包まれて――そして、自分の名が刻まれた懐中時計とともに。
 まるで夢のように消えてしまった。けれどそれが現実であることを、シュラインたちは知っているのだ――確かに。


  その事件以降、時計を集める老紳士の噂はぱたりと聞かれなくなった。
 そして、数日後時計屋からは白い封筒が送られてきた。その中には、蓋の隅――表面を一部だけ削り取った懐中時計。
 シュラインは僅かに瞳を閉じる。


 通り未来か、あるいは過去か。


 あの老紳士が、自分の元いた世界で時計の蓋に刻んだ名前を削り取る。
 とても、幸せそうな、満ち足りた顔で。
 そんな光景が、何故かシュラインの脳裏に浮かんだ。

―End―

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0072 / 瀬水月・隼 / 男 / 15 / 高校生(陰でデジタルジャンク屋)】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【0527 / 今野・篤旗 / 男 / 18 / 大学生】

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■         ライター通信          ■
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 毎度ありがとうございます。久我忍です。最近あまりに体重が減らないのでムキになってフィットネスに連日通い詰めているのですがやはり減りません。瘤取り爺さんじゃありませんが、贅肉を人に投げつけたら、投げつけられた相手にその分の肉がくっつく、とかだったらダイエットも楽でいいなぁとかくだらないことを考える毎日です。でもそんなことが現実だったらかなり本気で身近な方々と喧嘩しそうな予感もします。


 今回は久我お得意(?)のリリカルチックで攻めてみました。ですがあくまで私にとってのリリカルなので、プレイヤーの皆さんにとってリリカルに見えるのかはとっても謎なのでドキドキであります。「全然リリカル違う!」「まさにリリカル!」などご意見ご感想などお待ちしております。
 それでは、また機会がありましたらどうぞよろしくお願い致します。