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<東京怪談ノベル(シングル)>


玉露

 ガラガラ、と玄関の開く音が家中に響いた。守崎・北斗(もりさき ほくと)はぼんやりと読んでいた漫画から目を離し、部屋から出て玄関を覗く。茶髪から覗く青の目はまっすぐに玄関へと向けられた。
「お帰り」
「ただいま」
 帰って来たのは双子の兄だった。靴を脱ぎ、それから小さく溜息をついた。心なしか、兄の緑の目は心配そうな色を見せている。北斗は首を傾げながら兄に尋ねる。
「何かあったのか?」
 北斗の問いに、兄は少しだけ迷い、それから口を開いた。
「好きだと言われたから、俺も、と答えたら何故だか不機嫌になってしまったんだ」
「……話が見えないんだけど?」
 北斗は漫画を放り投げ、改めて兄の前に立つ。それを機に、兄は口を開く。兄の話を要約すると、幼馴染の少女から「好きだ」と言われたので、嬉しく思ったのと何故改めて分かりきった事を言うのだろうか、と疑問に思いつつ「俺も好きだよ。大事な妹分だ」と答えたら、急に不機嫌になってしまったのだという。
(それって……告白ってやつじゃないのか?)
 北斗は一瞬言葉を失う。
「何だか、泣きそうだったんだけど……一人にして欲しいって言われたから」
(そりゃそうだろうよ)
 不思議そうな顔をする兄に、北斗は大きく溜息をついた。報われない幼馴染の事を思って。
「そうだ、北斗。様子を見てきてくれないか?」
「何故俺が」
(兄貴のせいなんだから、兄貴が行った方がいいのかもしんないし)
 そんな北斗の考えは、兄には届かない。兄は至極真面目に言う。
「俺には言えない悩みがあるのかもしれない」
(それは違うだろ)
「何だか、泣きそうだった」
(泣きたいだろうな。と言うか、泣いてるだろうな)
 俺だってある意味泣きたい、と北斗は真面目に考える。だが、兄の顔も負けないくらい真面目なのだ。北斗は諦めて幼馴染の家に向かおうとする。
「北斗」
 兄が何かを投げて寄越した。それをひょいと取って見ると、それは玉露の缶だった。幼馴染の好きなお茶だ。
(こんなのを用意するぐらいなら、自分で行けばいいのに)
 そうも行かないだろう事は、重々承知だ。兄の真面目さは、いつか身を滅ぼしてしまうのではないか、と北斗は真剣に考えるのだった。

 ピンポン、と北斗は幼馴染の家のインタフォンを押した。が、誰も出ない。耳を澄ましてみれば、家の中から小さな啜り泣きが聞こえてくる。
(泣いてるのか……)
 溜息を一つつき、北斗は家の中に入る。勝手知ったる他人の家。中に入ると、幼馴染の姿があった。目の前にどーんとホールケーキを置き、フォークを手に持ち、何となく困ったような顔をしている幼馴染が。
「……北ちゃん……」
 涙目のまま、幼馴染は顔をあげた。
「……何やってんだ?」
 北斗は三分の一程しか食べられていないケーキと幼馴染を見比べ、怪訝そうに尋ねた。
「やけ食いなの」
「何で?」
「失恋、しちゃったの!」
(つまり……やけ食いしようとホールケーキを買ってみたものの、三分の一くらいしか食べられなくて困ってたんだな)
 北斗は妙に納得し、「ははーん」と呟く。その態度に幼馴染は小さくむっとした。
(全く、元々そんなに食べられる方じゃ無いくせに……)
 北斗はにっこりと笑って見せる。幼馴染にこれ以上哀しませないように。
「そっかそっか」
 それだけ言うと、北斗は幼馴染の目の前にどかっと座った。机に置いてあったフォークを手にする。
「……なあに?」
 もくもくとケーキを食べ始めた北斗に、きょとんとして幼馴染は尋ねた。北斗は小さく笑い、頬にクリームをつけたまま口を開く。
「食べたいから食べてるんだよ。……駄目だったか?」
 幼馴染は慌てて首を横に振った。食べて貰えるのならば、それに越した事は無いと思ったのだろう。
(兄貴はどっか間違った所があるからなぁ)
 ケーキを口に運びながら、北斗はふと考える。
(特に冗談言えなかったり)
 兄が冗談を言っていたら、それはそれで怖いような気がした。だが、真面目すぎるのも考えものだ。
(人の好意を恋愛と取らず、すぐに親愛と取る所とか)
 目の前の幼馴染で、それは実証済みだった。兄は恋愛という感情に対し、酷く鈍い。鈍感、という言葉を素で行っているのだ。ある意味貴重な存在だ、と北斗は思っている。
(と言うか、自分で無意識に振った女が泣いてるからって俺に行かせるか普通?)
 無意識程、恐ろしい者は無い。そして、兄には悪気と言うものは全くもって存在してはいないのだ。
(誰が何で泣いてるか気付いて無いくせに、悪気は無くてもそりゃねぇよな……)
 考えながらもくもくと口にケーキを運ぶ北斗を、幼馴染の大きな緑の目がじっと見つめている事に気付き、北斗は顔をあげる。
「何だ?」
 北斗が尋ねると、幼馴染は小さく考えてから指で頬をさした。
「……クリーム、ついてるよ」
 おっと、と呟きながら北斗は頬についたクリームを手にすくって舐めた。幼馴染は小さく笑い、再びフォークを手にした。北斗に加勢するかのように。
(少しだけ、元気になったようだな)
 未だに、幼馴染の目は赤い。だが、ほんの少しだけでも元気にはなったようだ。
「北ちゃん、お茶いる?」
 ふと、幼馴染が尋ねてきた。その言葉で、北斗は持ってきた玉露を思い出す。
(そうだ、玉露があった……。でも、自分が無意識に振った女の好きな玉露を持っていかせるってどうよ?)
 北斗は持ってきた玉露を手に取り、真剣に考える。その様子に、幼馴染が怪訝そうに尋ねる。
「北ちゃん?」
「ん?あ、ああ。これ、持ってきたんだ」
 玉露を手渡すと、幼馴染は小さく微笑んだ。慈しむように玉露を見つめながら。
(きっと、誰が持っていくように計らったかが分かってるんだろうな)
 北斗から渡された玉露を手にし、台所へとお茶を入れに行った幼馴染の後姿をぼんやりと見ながら、北斗は考える。
(兄貴らしいと言えば、兄貴らしいか)
 北斗は苦笑し、フォークでケーキをつつくのを再開する。台所から、くすんくすん、というすすり泣く声が聞こえてきた。玉露の缶を見つめ、告白の時のことを思い出したのであろう。
(……全く)
 北斗は一瞬台所に向かおうかと迷い、フォークを一旦置いて立ち上がろうとしたが、再びまた座る。
(今は……一人にしておいてやった方がいいのかもしんねぇな)
 玉露を抱きしめ、幼馴染は泣いているのであろう。赤くなってしまった目を、とろかせるかのごとく。
(兄貴め)
 北斗は大きく溜息をついた。台所のすすり泣きは、当分の間止みそうも無かった。

「やれやれ……」
 北斗がホールケーキにギブアップを宣告しようとすると、幼馴染は泣き疲れたのかテーブルに突っ伏して眠っていた。北斗は優しく幼馴染の頭をぽんぽんと叩いてやる。
「元気、出せよ」
 北斗の囁きは、眠っている幼馴染の耳には入らなかったかもしれない。だが、呪文のように言わずにはいられなかった。北斗は残ったケーキを手にし、幼馴染の家を後にした。
「さてと」
 手にしているホールケーキの残骸をどうしようかと、ぼんやりと考える。北斗も必死に頑張ったのだが、結局あと四分の一ほど残ってしまったのだ。そこで、ふと思いつく。
「兄貴に罰として食べさせるか」
 洋菓子の全く食べられない兄を思い、北斗は小さく苦笑した。きっと兄はこれを見せたら、渋い顔をするだろう。だが、どうしてこのようなものを持ち帰ったかを説明したら、心の奥底から困った顔をするのだろう。いくら鈍感を地で行く兄だとしても、流石に気付く筈だ。そして自分が食べなければならないという義務感と、洋菓子は食べられないというジレンマに悩むのであろう。至極、真面目に。
「いつも兄貴は人を困らせてるんだから……たまには困ってもいい筈だな」
 冗談を言う人に対して真剣に受け止めて困らせる。好意を恋愛感情ではなく親愛感情なのだとして受け止めて困らせる。兄が真面目な故に、真面目すぎるが故に招いている人々の困惑の数々。それらの被害は決して少なくは無い。
「たまには、な」
 ケーキを前に兄は困惑し、真剣な眼差しでこのホールケーキの残骸と見詰め合い続ける事だろう。
(面白い光景だろうな)
 想像し、北斗は小さく笑った。だが、そこには「面白い」という言葉では済ませられない感情が押し込まれている事だろう。恐らく自分が強く言わなくても、兄は悟る筈だ。勿論、自分が強く言ってやりたいような気もしている。幼馴染がそれを望んでいないとしても。
「しゃーねーな」
 北斗は小さく呟く。真面目すぎて他の人が困っても、冗談を真剣にしか受け止められなくても、好意を恋愛としてみる事が出来なくても……だからこそ兄なのだから。
「全く……しゃーねーよな……」
 北斗は再び呟いた。そして、至極真面目な顔をして上を向く。
「でも、絶対食ってもらうからな」
(兄貴のせいなんだからな)
 幼馴染がどんな思いでこれを泣きながら食べていたのか、遂には泣きつかれて寝てしまったかを分かって貰う為にも。
 北斗は家の玄関をガラガラ、と開けた。家はしんと静まり返っていた。恐らく兄は自分の帰りを静かに待っているのであろう。様子のおかしかった幼馴染の事を、聞くために。じっと、その時を待っているのであろう。
「さて、と」
 小さく呟き、北斗はケーキを手に兄の待っているであろう部屋へと向かうのだった。

<ケーキの残骸を手にしたまま・了>