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<東京怪談ノベル(シングル)>


残骸

 卓袱台の上で手を組み、守崎・啓斗(もりさき けいと)はじっと弟の帰りを待っていた。開けている窓から風がびゅう、と入り、啓斗の茶色の髪を揺らした。思わず啓斗は緑の目を細める。
(遅い……)
 様子のおかしかった幼馴染の家に、弟に様子を見に行って貰った。幼馴染の様子を教えて貰おうとじっと待っているのだが、肝心の弟が中々帰ってこないのだ。
(何か、あったんだろうか?)
 様子を見に行ってから、かなりの時間が経過していた。
(俺も、様子を見に行った方がいいんだろうか)
 啓斗はそう考えて立ち上がろうとしたが、すぐにまた座ってしまう。弟がいるのだから余り心配することは無いのかもしれない、と思い直したのだ。気にならないと言えば、嘘になってしまうが。
「……家は隣なのに」
 啓斗は小さく呟き、幼馴染の様子を思い返す。最初は元気だった。いつもの幼馴染。だが、気付くと幼馴染は泣きそうな顔をしていた。いつもではない幼馴染……。
 その時、ガラガラ、と玄関の戸が開く音がした。啓斗ははっとして顔をあげた。
「お帰り」
 声をかけると、弟は何も言わずに卓袱台の上にどん、と何かを置いた。真っ白な、四角い箱。
「食え」
 弟はただそれだけ言い、啓斗を青い目でじっと見つめてきた。啓斗は首を傾げながら、卓袱台の上に置かれた箱を開いた。
「え?」
 中身はケーキだった。しかも、ホールケーキをそのままつついて食べただろう跡の残る、食べかけ。大きさからして、全体の四分の一ほどであろうか。
「……俺は、洋菓子は食えない」
 啓斗は、放心状態になったかのようにぼそ、と呟くように言う。
「食え」
 そんな啓斗にはお構いなしに、ただ一言弟は言い放つ。
「生クリームが駄目なの、知っているだろう?」
 暫くの沈黙が流れた。弟は大きく溜息をついて口を開いた。
「それ、あいつの食べかけ」
「え?」
 啓斗は眉を顰めた。
(甘いもの……苦手じゃ無かったか?)
 幼馴染の顔が思い浮かぶ。呆然としている啓斗に、弟は更に口を開く。
「あいつ、泣きながらそれを食ってたんだ」
 弟は話し始めた。幼馴染の家に行くと、ホールケーキを泣きながら食べていた事を。そして、その理由を「失恋」と言った事を。
「失恋……?」
「分からないとは言わせねぇぞ?」
 啓斗は弟にそう言われ、はっとして口を抑えた。呆然とする啓斗の姿に、弟は再び大きな溜息をつく。
「……そういう事だから」
 責める訳でもなく、怒る訳でもなく。弟はただそれだけ言い残して部屋を去って行った。一人残された啓斗は、ただ呆然としながらケーキを見つめる。ただただ、呆然として。

「あ、のね」
 突如、幼馴染は口を開いた。啓斗はなんだろうと思いながら、じっと幼馴染の次の言葉を待っていた。
「……なの」
 上手く聞き取る事が出来ず、啓斗は不思議そうな顔で幼馴染を見つめた。
「何?」
 聞き返すと、幼馴染は一瞬顔を真っ赤に染め、それからまっすぐに啓斗の目を見つめてきた。大きく澄んだ、緑の目で。
「大好きなの!」
 ざあ、と風が吹いた。啓斗は微笑む。幼い頃、両親に先立たれてしまった啓斗にとって、妹のように思っている幼馴染に「好き」だと言われるのは心の底から嬉しかった。
「俺も……」
 啓斗は嬉しく思う心に任せ、口を開く。
「俺も、好きだよ。大事な妹分だ」
 啓斗にとっての、最上級の愛情であった。いわゆる、家族に向ける親愛。だが、それを言った瞬間に幼馴染の様子が一変したのだ。全くの動きを静止させ、呆然として自分を見ていた。赤く染まっていた頬も、心なしか青ざめてしまっていた。
「どうしたんだ?具合でも悪いのか?」
 啓斗は心配そうに幼馴染を覗き込んだ。幼馴染は俯き、そのままの状態で大きく首を横に振ったのだ。
「あのね……用事を思い出したの」
「用事?付き合うよ」
(具合の悪そうなのに、放っては置けないから)
 啓斗は微笑み、そう言った。だが、幼馴染は大きく首を振って叫んだ。
「一人で、行くの!」
 そう言ってから、幼馴染は後悔したようだった。大声を出してしまって。啓斗はじっと幼馴染を見つめた。どうも様子のおかしい幼馴染を。
「あ……ごめん、ね?」
 気まずそうな幼馴染に、啓斗は優しく微笑んでみせる。気にさせないように。
「いや?別に気にしてないよ」
(きっと、一人にして欲しいんだな)
 啓斗はそう判断し、幼馴染を一人残してその場を後にした。幼馴染の様子を、絶えず気にしながら。

(あれは……そうだったのか)
 啓斗はやっと悟る。幼馴染が求めていたものと、自分が答えたものは全く別の者であったのだと。途端、啓斗の中に後悔と激しい自己嫌悪がやってきた。
(どうして俺は……)
 泣いていた、と弟は言っていた。泣きながら、食べていたのだと。
(好きでもない、ケーキを)
 どんな思いで、これを口にしていたのだろうか。啓斗はじっとケーキを見つめる。
(全て食べられないと、分かっていただろうに)
 それでも、幼馴染はこのホールケーキを買って食べていたのだ。泣きながら。その原因は、自分にあると啓斗は悟っていた。
(どうして、俺は……俺は)
 啓斗は、フォークを手にとってケーキを一口だけ口に運ぶ。口一杯に、甘さと生クリームの味が広がる。思わず「うっ」と口を抑える。生クリームとブロック肉は、吐くほど嫌いなのだ。だが、それを我慢してぐっと飲み込む。幼馴染だって、食べたのだ。こんな思いをしながら。
(無意識に、ほぼ無意識に振ってしまった)
 妹として好きだと言ってしまった自分の言葉は、明らかに幼馴染に対して家族としての愛情しか持っていないと言ったも同然だった。
(辛かっただろうな)
 最後に見た、泣きそうな青ざめた幼馴染の顔が思い浮かぶ。啓斗は、再びケーキを口に運ぶ。その度に繰り返される、拒否反応。
(だけど、これ以上に辛かったんだ)
 これは、自らの罪の報いだと啓斗は言い聞かせる。自分で蒔いた種なのだと。ぐっと飲み込み、再びケーキを口へと運ぶ。
(これを食べるのは、俺の義務)
 泣きながら食べていた、幼馴染への罪の報い。
(俺は、これを食べなくては)
 泣いていた。自分が泣かせた。
(絶対に、食べきらなくては)
 大事に思っているのに、本当に心から大好きなのに。……それでも、思いは違えていて。啓斗の思いと幼馴染の思いは食い違っていたのに。それに気付かず、無意識のまま傷つけた。幼馴染を傷つける者を、決して許さないと思っていたのに。
(俺じゃないか)
 他でもない、幼馴染を傷つけたのは自分だった。しかも、悪気が無かったのだから余計に性質が悪い。全てを悟った今、全ての事柄が啓斗の中で繋がっていた。
「ごめん……」
 ぽつり、と啓斗は呟いた。
(次に会うときは、どういう顔をすればいいんだろう)
 少しずつ、だが確実になくなっているケーキをぼんやりと見ながら、啓斗は思う。ほぼ機械的に食べているケーキは、いつしかなくなるであろう事は確実だった。他でもない、啓斗が食べればいいだけの話だ。我慢でも何でもして。だが、幼馴染は?自分がつけてしまった傷が必ず癒えるなどどうして言えよう。
(どうしよう)
 生クリームの味が、口一杯占領している。喉の奥が妙に気持ち悪い。それでも、啓斗は食べつづけた。それが唯一の贖罪だと言わんばかりに。

「全部、食べたんだな」
 卓袱台の横で、ごろりと横になっている啓斗を見て、弟が小さく呟いた。啓斗は気持ち悪そうに寝転がったまま、青ざめた顔で口を押さえている。
「大丈夫か?」
 弟の問いに、啓斗は無言で頷いた。
(これが、俺が招いてしまった罪なのだから)
 喉の奥から、気持ち悪さが離れない。口の中も生クリームの味に占領されているままだ。それでも、啓斗は甘んじてそれを受けなければならなかったのだ。他の誰が許しても、啓斗自身が自分を許す事は出来なかったのだから。
「頑張ったな、兄貴」
 ぽつり、と弟が労いの言葉をかけてきた。啓斗はそれに答えず、目を閉じた。普段は食べない甘いものを摂取したせいであろうか、頭の奥がズキンと痛んでいた。
(泣かせてしまった、傷つけてしまった)
 幼馴染の、赤い目が鮮明に思い出される。後になって思えば、あの時大声で泣きたかったであろうと思われてならない。
(俺が、他でもない俺が……)
 啓斗は大きく溜息をついた。弟が持って返ったケーキの残骸は既に箱には残されてはいなかったが、啓斗の体の中に残っているようだった。まるで、体の中をケーキに侵食されてしまったかのように、ずしりと。
(どういう顔で会えばいいんだろう)
 うっすらと目を開ける。その瞬間、啓斗は体を生クリームで埋め尽くされているような感覚に陥るのだった。

<体中が甘いまま・了>