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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・名も無き霧の街 MIST>


みちてしたたるつき

------<オープニング>--------------------------------------

 ヒルベルト・カーライルは白い手袋に包まれた繊細な手に似合わない動きをした。握り潰した手紙へ視線を落とし、口の端を持ち上げる。狐狩り直前のような表情に、すっと冷静さが戻った。
「美術館に人を−−−それから、外の人間にも協力を仰げ」
「は?」
 執務室のドアの側に立っていた、背の高い女性が返す。ヒルベルトと同じガーディアンの制服を纏っているが、胸にある勲章の数が少ない。
「ゲストですか?」
「さしもの怪盗紳士も外の人間には慣れていないだろう。そうに違いない。今回こそ牢に叩き込んでやる」
 外の異能力者か、と女性は頷いた。彼等は街の住人とは異なった思考回路や能力を有している。捕り物のカンフル剤になるかもしれない。多くの場合、怪盗紳士の洗練された盗みっぷりを見学しようと物見高い民間人が現場へやってくる。彼等の目の前で取り逃がす失態など、これ以上演じるわけにはいかない。
 女性隊員はしわくちゃになった予告状を受け取り、隊長の部屋から出た。
 大衆の面前で恥をかかされているせいか、ヒルベルトは紳士を嫌う。犬猿の仲。砂糖と塩。魚心有れば水心−−−これは違うか。
 破かないように予告状を開く。壁に押し付けてまっすぐに直してみるが、元通りにはならない。花をモチーフにした美しいラインの上に、詩人を思わせる流れるような字が並んでいる。
「麗しき月の姫君をお迎えに参ります……怪盗紳士」
 隊員は壁にあるガス灯に自分の掌を向けた。重い両刃剣を振りまわす彼女の手はタコが硬くなって、皮膚も厚い。ごつごつと節くれだった指先を眺めてから、拳を握った。
「ウィミイ何をしてるんですか?」
 銀のワゴンを押しながら、同僚が声をかけた。利発そうな瞳に羽根のような耳が特徴的の少年だ。
「外注の手続きをとってくれ。担当はお前だろう?」
 差し出された手紙に、少年は鼻を動かす。怪盗紳士は独特の香水を手紙にたらすのが好きなのだ。手紙の一文を頷きながら読む。
「アーセナル美術館の月滴の指輪のこと……かな」
「ヒルベルト様もそう読んでおられた」
 水をその内に宿したなまめかしい水晶球を中心として、高名な細工技師が作り上げた指輪。歴史的価値はもちろんのこと、国外から王室に嫁入りしてきた姫君が入国から式を挙げるまでの間、純真なる乙女の証明として指を飾る国宝だ。普段は宝物庫に収められているが、来月皇太子のお相手がやってくるので、短い期間だけ美術館に展示されている。
「僕も見に行ったけど、本当にきれいでしたよ」
「私たちには不似合いのものだ」
 ふっと笑い、ウィミイは隊員の詰所に向かった。少年はワゴンに乗せておいたティーカップの中身が心配になり、慌ててキッチンへ戻った。
 まずいお茶をヒルベルトに出したら、叱られてしまう。


×


 アーセナル美術館の磨きこまれた大理石の床に、一塊の影が映りこんでいた。白と金を基調にした制服を着、整列している姿は白いナチス軍を連想させる。四十人ほどのミスト・ガーディアンは緊張した面持ちでガラスケースに飾られた一つの指輪を見つめている。ケースの隣に立っていたヒルベルトは、小さく咳払いをした。丈の短いマントを右肩につるし、腰に装飾の施された細身のレイピアを下げている。
「これは好機である。今日こそ憎き怪盗紳士を捕まえ、神の面前に引きずり出し、断罪するのだ!」
 相当頭に来ているらしい。ヒルベルトの演説は長く熱っぽい。月見里千里は途中で飽きてしまい、欠伸をした。隣に立っていた黒いライダースーツ姿の岬鏡花を肘でつつく。彼女もつまらなそうに耳元の髪のを指で弄んでいた。
「もっと近くで見たいね。指輪」
 大きな瞳を期待に輝かせ、千里は軽く足踏みをする。
「童話の世界よねー嫁入り前のお姫様なんてさ」
「睨まれてる」
 鏡花たちに月斗は呟く。二人は慌てて口を結び、ヒルベルトへ顔を動かした。
「学年集会みたいでめんどくせぇ……」
 北波大吾たちはガーディアンの一団から離れ、広間全体を見下ろせる吹き抜けの二階にいた。一階は大理石だがこちらは赤い絨毯が敷き詰められ、壁際には立派な額縁に入った油絵が並んでいる。催し物の主役が飾られるこの部屋は警備上の理由からか、美術館の建物と別区画にあった。部屋入り口は一つだけで、ガードマンが固め、出入りする人間を確認する。本棟とは渡り廊下で続いており、渡り廊下からは噴水のある中庭に出られるらしい。美術館全体は高い壁に囲まれているので、関門は二つというところか。
「ドロボウに入りやすそうだよな。俺らのとこと違って赤外線とかなさそうだし、防犯カメラもないんだろ」
 持っていたオペラグラスで大吾は部屋を見回す。一階の窓はただのステンドグラスだ、鉄格子もない。天井はドーム型で、鉄骨とガラスを組み合わせたデザインになっている。午後二時ごろの太陽が天井のガラス越しに大吾の瞳を貫いた。
「うっわ……」
 慌てて目を押える。
「ガラスなんて割っちゃえばいいんだもんね」
 千里の言葉に月斗は首を振った。
「無粋だろ」
 頼まれて盗みをやめるほどの人間なら、無理矢理な盗み方をするとは考えられない。
「ドロボウに粋も何もねェだろ。所詮窃盗じゃねェか」
「終わったみたい☆」
 ガーディアンがそれぞれ移動をはじめている。ヒルベルトが下から手招きをしたので、四人は一階へ降りた。
「私はこれから記者会見へ行く。奴は時刻までは指定していない、いつ襲われてもいいようにしておいてほしい。戻るまでは副長のウィミイに指揮を任せている。奴は霧を恐れない。夜も気を抜くな」
 ウィミイと呼ばれた長身の女性が頭を下げた。四人へそれぞれ美術館の見取り図を手渡す。
「それには警備隊の巡回ルートが書いてあります。貴方方はそれを見て、ご自分で紳士を阻止する方法をお考えください」
「任せてもらっていいの?」
「我々と紳士は常にいたちごっこを繰り返しています。相手は我々の行動パターンを見抜いていると言っていいでしょう。でも貴方方は違う。我々にない発想で指輪をお守りください。他の隊員にも全力で協力するよう伝えてあります」
「ふ〜ん……では早速☆」
 スキップするように千里は指輪に近づいた。床材と同じ大理石の台座に、強化ガラスのケースが被せてある。台座にはたおやかな女性の手の石像があり、その薬指には艶かしい輝きを放つ水晶の指輪があった。台座の下から当てられている照明を浴び自分の体内で光を増幅させ放つ。水晶特有の冷たい輝きではなく、匂い立つような色気があるのは、内部に満ちている水のせいだろう。貞操を硬く守りつつも、その内から溢れる成熟した魅力を隠すことは出来ない、そんな女性を連想させる。石を支えるリングのデザインは繊細だが、角度が計算されているらしくつけた指先をほっそりと見せてくれる。
「綺麗〜!」
 女性二人の唇から溜息が漏れる。
「盗みたい……」
「おいおい……」
「冗談よ」
 本気でやりそうだ、この女。大吾は心の中で呟いた。
「これ開けてもらえる?」
 千里の申し出に逆らわずウィミイは指輪を取り出す。小さな手の中に指輪を握り締め、千里はコケティッシュに微笑んだ。手を開くと、ころん、と三つ指輪が転がる。
「え?!」
 四人の言葉が重なった。
「お前もしかして怪盗紳士が変装した−−−」
「そんなわけないじゃん。あたしは何でも作れるんだから」
 瓜三つの指輪をつまみ、月斗はじっくり見比べる。手触り、質感、まったく同じだ。
「すごいな……ここまで似ているとどれが本物だか」
「本物はこれ」
 右手の掌に乗せられた指輪を指す。それから千里は眉根を寄せた。
「こっちかな」
 左手の掌の、右端の指輪を選ぶ。
「そっくりすぎる……」
 額に手を当てウィミイはうめいた。貧血を起こしたのか、ふらりとその場に座り込んだ。
「がっくりしないでよ! 時間が経てば偽物は消えちゃうんだから。ね?」
 力なく頷く。わざと場を盛り上げるために千里は明るく続けた。
「一つはあたし、もう一つは鏡花ちゃん。手袋もつけようね」
「白い絹であれば、学術員の控え室にあると思います」
 腹を決めたのだろう。ウィミイはやっと立ち上がった。
「くれぐれも、よろしくお願いしますよ」
「あとの一つは? 俺は入らないぞ」
 大吾と月斗を見比べ、
「そうだなぁ……」
「怪盗紳士だ!!」
 部屋中に男の低い声が響き渡る。五人は身構えた。


 乱暴な足音が近づいてくる。大吾は腰に下げていた霊紋刀を抜いた。硬質の輝きが天井から降ってくる光を跳ね、部屋に光が走る。
「楽勝じゃねェか!」
 部屋に飛びこんで来た小さな影を迎える大吾。
「やめてください−−−!」
 女性の悲痛な叫び。耳は届いたが振り下ろした手はそのまま影に。
「っ!」
 手に痺れが走る。大吾の目の前で巨大な牛が鼻を鳴らした。牛は首を屈めてショックを受け流し、大吾の刃を角で受け止めていた。
「どっから……!」
「俺の式だよ」
 背後に立っていた月斗がぶっきらぼうに答える。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
 叫びの主らしき少女が、影が来たドアから入ってきた。牛の足元にいた猫を抱き上げる。グレーと茶のコントラストが愛らしいアメリカンショートヘアだ。
「キャリーバッグから出てしまって……」
 少女の後ろから複数のガーディアンが追いかけて来た。全員がレイピアを抜き身で持っており、臨戦体勢。
「何? 何?」
 状況を把握できない千里。と、ぽんと手を打った。
「最後のお姫様☆」
 指をうやうやしく少女の指に捧げた。あつらえたように月滴の指輪は収まる。
「怪盗紳士の変装だったらどうするんですか!」
 ウィミイが少女に近づくと、抱いていたアメリカンショートヘアが激しく威嚇する。
「大丈夫だよー鏡花ちゃんのが本物」
「そうなのかぁ? どーでもいいけど敵確認してからエモノ出せよな。動物は大切に」
「イヤなガキだなお前っ」
 少女は澄んだ翡翠色の瞳で指輪を見つめ、顔を上げた。
「あの……何がなんだか……」
「それはこっちもよ、お嬢さん。ブタ箱にぶち込んでやろうかしら」
 引き攣った笑顔でウィミイが呟く。
「貴様等はとっとと持ち場へ戻りなさい。このお嬢さんは外の方でしょう、お任せしますよ。わたくしは隊員の監督に」
 足を踏み鳴らしてウィミイは部屋から出て行った。乱暴に扉が閉まる。
「説明、したほうがいいんじゃないの?」
「泰山鳴動猫一匹ってか」
「むかつく……このガキ……」
「あたしは月見里千里よろしくね☆」
「御崎月斗。こっちのおっさんは御手洗団子」
「北波大吾!!」
「はぁ……」
 少女は戸惑いつつも微笑んだ。


×


「本当に可愛いわ」
 蒼いリボンを首に巻いた猫を撫で、岬鏡花と名乗った女性が笑う。
「なんで女って猫好きなんだ? 俺は犬のほうが……」
「猫と女性を愛せたら大人ってこと」
「女の子は好きだぜ?」
 大吾は鏡花の側にで猫を抱いている焔寿を眺める。
「かぁいいじゃん」
 指輪の台座の周りを何度か巡っていた月斗は、満足そうに手を叩いた。
「じゃ俺はこれで」
「ねーねー! 美術館の外すごい人だかりだよ☆」
 息を弾ませながら千里が戻ってきた。離れの外を見回りに行っていたのだ。きちんと両手に白い手袋がはまっている。
「へぇ? どんな感じ?」
「露店とかも出ててねーほら!」
 ポケットからブロマイドを取り出す。何故かびしっとポーズを決めた燕尾服にシルクハットの男が写っている。セピア色の写真の背景は、高い塔だが、どう見ても薄っぺらいセットのようだ。
「怪盗紳士さん?」
「生写真だって♪ 本人かな?」
 盛り上がっている女子三人から、大吾は一歩離れ、ああ猫よりやっぱ女の子だよ。としみじみ噛み締める。
「月……」
 同意を得ようと月斗に話し掛けた。が、側に居たはずの少年は雲のように掻き消えていた。
「協調性ねェなぁ」
 外へ続くドアがノックされた。失礼します、と出入り口の警備を固めていたガーディアンが入ってくる。その後ろにはヴェール付きの帽子を被った少女が居た。
「ごきげんよう、皆様」
「この御方は未来の我が王妃様にございます。粗相のないようお願いします」
「ってことはお姫様本人?!」
 早速粗相をしている千里。焔寿がきちんと頭を下げたので、鏡花も同じように会釈をする。
「そう硬くならず。楽にして頂いて結構ですわ。貴方は下がりなさい」
「はっ」
 ガーディアンはかちんこちんになり、右足と右手を同時に出しながら去って行った。
「指輪は守っていただけているかしら」
 月斗と大して変らない背丈−−−いいところ十三歳か。お忍びなのか目立たない黒いドレスを着ている。バッスルをつけているのか、背後へ長く布地が広がって腰が細く見える。
「ちゃんとここに」
 鏡花たちは白い手袋をかざす。
「今は事情があって三つになっちゃってますけど……」
「そう」
 口元に当てていた羽扇子を閉じる。
「では三つとも見せて頂戴。それがなければ嫁入りが出来ませんの、確かめておきたくて」
 焔寿は困ったように鏡花の表情を確認する。
「変装でも身長は小さく出来ないだろうし、本物かな」
「渡さないと失礼にあたりますし……」
「盗まれても取り返せばいいじゃん」
 三人はうん、と頷いて手袋を取った。三つの指輪をレースの手袋で飾られた小さな手に渡す。体も小さいが、手は印象に残るほど小さい。まだ子供なんだ、と千里は思った。
 首を傾け、姫君はじっと黙り込んだ。ヴェールに阻まれて表情は見えない、結婚生活に思いを馳せているのだろうか。初々しい甘いときめきがこちらにまで伝わってきそうで、鏡花はくすぐったくなった。
「紳士だー!!」
「またぁ?!」
 一気に現実に引き戻された。鏡花は舌打ちをし、走り出す。驚かした分お手伝いしなければ、と焔寿も急ぐ。
「大吾ちゃんはお姫様をおねが……」
 千里の横を素晴らしい勢いで大吾は駆け抜けていった。千切れるほど乱暴にドアを開いて出て行く。
「い……」
 外では何やら人が走り回る音や怒号、なぜか拍手も聞こえる。
「あー気になるっ!」
「行ってくださって構いませんことよ」
「でもお姫様も心配だもん」
「見くびらないでください。護身術の心得はあります」
 子供らしくぷっと頬を膨らませているような感じだ。わがままを言うように対抗する。
「指輪も盗まれちゃうかもしれないし、ね?」
「そうですわね」
 未来の王妃はぎゅっと手を握った。小さな手が震えている。
「安心して。大丈夫だから」
 恐怖を取り除いてやろうと、千里は出来るだけ優しく笑って見せた。


「そっちへ逃げたぞ!」
 数人のガーディアンが向かい側からやって来た。中庭の茂みを走ったのか、髪や服に木の葉がついている。
「!」
 焔寿の足元に黒い影が躍る。頭上へ視線を動かすと、黒いマントを翼のようにはためかせた男が通り過ぎていく。人間離れした跳躍力だ。驚いている間に男は中庭を奥のほうへ行ってしまう。
「叩き落してやる!」
 破邪の紋が刻まれた日本刀を持ち、大吾が叫ぶ。
「風・招・令・・・。吹け、駆け抜けるものよ!!」
 どんっと強い力に背中を叩かれ焔寿は前のめりになる。慌ててバランスを取りながらスカートを押えた。大吾の生み出した突風が飛翔している怪盗紳士らしき男の背にぶつかった。バランスを崩したらしく、ぐらついて離れの反対側に消えた。
「落ちたのですか……?」
「わかんねェ!」
 方向を変えて裏手に走る。
「貴方達は外を固めて退路を断つ!」
「はい!」
 鏡花がびしっと指示する。上官に命令されたようにガーディアン達は敬礼をした。
 右側から建物に回りこんだ瞬間、強い風を受けて大吾は自分の体をかばうように両手を出した。
「げっ……」
 右手の甲から二の腕にかけてのシャツがばっさりと切れた。皮膚までは達していないが、至近距離だったら危ないかもしれない。
「出番みたいね」
 前へ出ようとする大吾を手で押え、鏡花が笑う。鏡花は両手を前に突き出し、拳を作りながら胸元まで引いた。体の大きさは変わっていないのに、氣の膨れ上がりで鏡花が大きく感じられた。胸元の紅い珠は光彩陸離し、圧倒され肌があわ立つ。焔寿は自分の手を思わず握った。
 熱い!
 強烈な熱を感じた。初めて装甲を身につけたときのように、激しい異物感と高揚が体中を駆け抜ける。全身に万能感が宿る。霧のある時に発動すると訪れる不快感ではない。もっと別の、興奮するような。
 紅い光が鏡花の全身を覆っていく。鎧というよりは有機的な装甲が、光の下から現れ始める。なめらかな表面から光が剥がれ落ち、鏡花が大地を蹴った。
 紳士が鎌鼬を数本投げ付ける。襲いかかる衝撃を拳で叩き落した。
「マジかよ」
 強靭な装甲に比べ、自分の着ているものの脆弱さ−−−大吾は愕然とする。
「なんなんだ、貴方は」
 真っ直ぐに進んでくる鏡花に紳士はうめく。周りの樹木がなぎ倒されるほどの強風にも、彼女の速度は落ちない。正面対決を諦めた紳士は足元に風を巻き起こし、空へ昇る。ギリギリの距離で避けた鏡花の一撃。
「この距離で……」
 形の良い鼻が潰れ血が飛び散る。沈みはじめた夕日より紅い光が、胸元から迸り続けている。
「風・招・令・・・。吹け、駆け抜けるものよ!」
「くそっ!」
 無防備な紳士の体を大吾の風が横殴りにする。紳士はドームの頂上まで吹っ飛んだ。
 戦いが長引けば傷が増えるだけ。誰にだって痛い思いはさせたくない、焔寿は決定的戦力さで押しきることを決めた。
「終わりにしましょう」
 澄んだ翡翠色の瞳の虹彩が猫のように広がる。燕尾服から炎が溢れ出した。柔らかい布地を舐めまわし、あっという間に紳士は火達磨に変わる。
「落ちるぞ!」
 強化ガラスで飾られたドームへ火塊が墜落する。激しい破壊音。ガラスは一瞬へこみ、直ぐに破裂した。


「何?!」
 千里は頭上でものすごい音を聞いた。反射的に見上げると、頭上のガラスが細かい破片になってキラキラと降り注いでくる。何百もの刃が、光を零しながら千里と姫の頭上に降りてくる。柔らかい肌にそれらが突き刺さればハリネズミが二つ出来あがりだ。
 守らなくちゃ−−−。
 姫の体を庇うため、ぎゅっと抱き締めた。落ちてくる時間がひどくゆっくりと感じられる。破片がぶつかり合う、チンチンという澄んだ音までが一つ一つ聞き分けられる。何か守るものを創り出さなければ、と思うのに自分の動きも同じように遅い。
「ラーサー!!」
 腕の中から姫が飛び出した。
「あぶな……!」
 ガラスを受けとめるように小さな両手を空へ伸ばす。
 違う。
 破片の中に人影があった。
「屈め!」
 混乱していた千里の頭に、幼くけれど落ちついた声が飛びこんでくる。落ちつきも混乱と同じ、伝染する。千里は急に冷静になった。クッションを足元に創る? それでは受けとめようとしている姫の腕を折ってしまう。あの人とガラス片両方を何とかする方法は−−−。
 意識が重なった気がした。
 指輪の台のすぐ近くに、指先で印を結んだ月斗が立っている。何故か月斗が何をしようとしているのか、瞬間的に理解が出来た。サッカーの選手が土壇場で、合図もナシに仲間が送ってくるボールを読み取ることがある。あの時と似ているかもしれない。
 千里の右手首を中心に九つの宝珠が現れる。スーパーボールほどのそれは回転しながら一直線に人影へ飛んだ。円陣を組み、中心に落ちてきた人を置く。宝珠同士は連携し、真中に雷が走る。稲妻は一つ一つ組み合わさり巨大なクッションを編み上げた。無理無く受けとめる。宝珠は素晴らしい早さで姫の側へ舞い降りた。


 三人は離れの中へ戻ってきた。
 床の至るところに細かいガラスが散乱している。焔寿は転んだら大変だ、と思った。
「まぁ……!」
 中心に巨大な白い蛇がとぐろを巻いていた。天井のなくなった広間は直接夕日が落ちてきている。夕日は蛇の硬い鱗に幾重にも落ちている、破片を輝かせていた。光に覆われた姿は、あの指輪を連想させる。
「ごくろーさん」
 月斗の声がして、白蛇が姿を消した。とぐろを巻いていたその中に、千里たちがぽかん、と座っている。月斗は別段感想もないらしく、隣で洋服についた埃をはたいていた。
「式神ありがとう……助かっちゃった」
「どういたしまして」
 無表情に答え、月斗は側に倒れていた男性に近づく。洋服は燃えているが、火傷はほとんどない。煤のついた腕は、しっかりと姫君と繋がっている。二人は気を失っていたが、繋いだ手は離れそうになかった。
 大吾は右端の壁の近くでしゃがんだ。姫君が大切そうに持っていた指輪はどれも、打ち捨てられていた。


×


 外ではウィミイの激が飛んでいるらしい。ざわつき混乱した様子が固く閉じられたドアの向こうか伝わってくる。
「取り逃がしたと言って正解だったみたいね」
 装甲を解いた鏡花が溜息をつく。
「ご迷惑をおかけしました」
 帽子を脱ぐとより幼さが際だつ、姫君は五人に頭を下げた。隣には怪盗紳士が大吾の上着を借りて立っている。燃えるような赤い髪が目を引く、二十歳ほどの青年は姫君の前に膝をつく。
「私の、力が及ばず……」
「庇ってやったんだから説明してもらおうか?」
 月斗が面倒そうに言う。先刻から紳士は姫君に謝りっぱなしで、姫君は五人に謝りっぱなしなのだ。
「てめェ大変なときにどこ行ってやがった」
「ずっとここいたさ。ホットスワップ役に立っただろ?」
「居なかっただろ」
「陰形の術で姿を消してただけ。気づかなかったのか? 馬鹿か」
「ケンカは止めましょうよ、ね?」
 おろおろしながらも、睨み合う大吾と月斗をなだめる焔寿。
「指輪を盗み出す計画を立てたのはわたくしです。怪盗紳士の名を借りれば……盗まれてもわたくしにまで類は及ばないと考えました」
「諌められなかった私の責任です」
「お二人はどういうご関係?」
 首を傾げる千里に、青年は失礼しました、と答える。
「近衛騎士のラーサーと申します」
「……彼はわたくしが正式に王室に入るまで、身を守ってくれるために国元から同行した誇り高い騎士……そんな方に盗人の片棒を担がせるなんて……ごめんなさい」
 姫は顔をくしゃくしゃにして泣き出した。年相応の泣き顔は、とても花嫁と呼べるものではないと鏡花は思う。
「我が姫はまだ恋も知りません。見知らぬ男に嫁ぐ不安で潰されそうなところ、私が今回の計画を申し上げました。悪意があったわけではありません」
「違います! ラーサーが悪いんじゃない。姫だって、姫だって恋ぐらい知っています!」
 顔を真っ赤にして姫は叫ぶ。小さな全身で叫ぶ。
「ラーサーと離れたくなかったの!」
「姫……」
 ラーサーはドレスの裾にそっと口付けをする。苦しそうな横顔に、焔寿は胸が痛いんだ。
「でも結婚拒んだら国同士の争いになっちゃったりするんでしょう……?」
 言いたくないが言わなければならない。鏡花は声を殺して問う。
 ラーサーは姫をじっと見詰め、やがて立ち上がった。
「騎士として訪れた国ですが……私は一人の男として去る事にします……恋は、一人では出来ないものですから」
「ラーサー!」
 手を掴んで追いすがる姫。悲しそうに微笑み、それを振り払った。
「行かないでラーサー! お願い!」
 横を通りすぎるラーサーを、大吾は睨んだ。
「ほんとにそれでいいのか?」
「この程度の男です」
 カッと頭に血が上って首根っこを引っ掴んだ。
「好きな人泣かせたまんまで?!」
「行っちゃやだ……やだぁ……!」
 その場に座りこんで泣き続ける姫を置いて、騎士は去っていった。


×


 掌の上で、指輪が三つころころと輝いている。大吾は心に決め、姫君に三つを付きつけた。
「沢山の女が、色々な覚悟でこの指輪をつけたンだろうな…」
 泣き腫らした瞳が、焔寿を見上げる。
「あんたはどんな覚悟を?」
「姫は……」
 無性に苛々していた。嫌なものを見ている気分で、大吾は叫び出したかった。こんな風に終わりになってはいけない、幸せにならなくてはならない。何故かそう思った。何が幸せかはわからないけれど、結婚するのも追いかけるのも、自分で決めなくてはいけない。自分で決めたら、苦しくてもその道を歩いていける。
 あの騎士はもう選んだ。でも姫は違う。ただ迷って泣いていただけ。
「……ん」
 こくり、と小さな顔を動かした。
 大吾の手の中で指輪がひらり、と一つだけになった。
 姫は本物の指輪を取り、ゆっくりと指にはめる。
「ありがとう。私はあの人に守られてばかりだったけど、今あの人の心を守れるのは姫だけなの、きっと……。姫は行きます」
 決意を秘めた瞳で、力強い笑顔で姫は部屋を出て行った。
 迷いのない背中は颯爽としていた。厳しい道行きも真っ直ぐに進めそうなほど。


×


 携帯電話を耳に当てたまま、千里はベッドに飛びこんだ。目を閉じると大好きな人の声に集中できる。全部を捨てて、彼だけの世界。
「お姫様は騎士に追いついたかな?」
「それはわからないけど……何時かは会えるよ。絶対に」
「うん、そうだね……」
 小さな手に覚悟を握り締めて。
「しあわせになれるといいね」
「ちーは」
「え?」
「ちーは僕が幸せにするからね」
 ぼっと顔が赤くなった。
「や、やだ何言ってるの! もー!!」
「ほんとだよ。愛してる」
「やめてよぉ……電話、切っちゃうからね」
 海の向こう側、電話の向こう側で恋人がくすくすと笑う。
「でもありがと。うれしい」
 小声でそっと呟く。相手の耳の側で囁くように。
「今何か言った? うまく聞こえなくて−−−」
「さぁてなんでしょう?」
 わざとおどけで見る。うんうん唸りながら答えを考えている。抱き締めたいな、と素直な気持ちで思った。こんな楽しさもしあわせも暖かさもドキドキも、一人じゃできないんだ、大好きな相手だからなんだ、と千里は噛み締めた。
「あー……幸せ」
「でも、どうして指輪が一つになったんだろうね。ちーの力はもっともつだろ」
「うーん」
 千里はにこっと笑った。
「愛のチカラってやつじゃない?」

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0778 / 御崎・月斗 / 男性 / 12 / 陰陽師
 0165 / 月見里・千里 / 女性 / 16 / 女子高校生
 0852 / 岬・鏡花 / 女性 / 22 / 特殊機関員
 1305 / 白里・焔寿 / 女性 / 17 / 天翼の神子
 1048 / 北波・大吾 / 男性 / 15 / 高校生

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■         ライター通信          ■
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 お久しぶりです、和泉基浦です。
 みちてしたたるつきをお届けに上がりました。
 今回は指輪やお姫様といったちょっと甘めの依頼になっています。
 ご参加ありがとうございます&無事終了お疲れ様でした。
 甘さばかりだとお腹一杯なので戦闘要素も加えてみました。
 いかがでしたでしょうか?
 EDはご希望どうり電話で締めさせて頂きました。
 シュチュエーションノベルは時間が許せば、と思っております;
 最近時間が取れなくて(=w=;)
 感想・苦情等はお気軽にメールしてくださいませ。
 またお会いできることを楽しみにしています。