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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・名も無き霧の街 MIST>


みちてしたたるつき

------<オープニング>--------------------------------------

 ヒルベルト・カーライルは白い手袋に包まれた繊細な手に似合わない動きをした。握り潰した手紙へ視線を落とし、口の端を持ち上げる。狐狩り直前のような表情に、すっと冷静さが戻った。
「美術館に人を−−−それから、外の人間にも協力を仰げ」
「は?」
 執務室のドアの側に立っていた、背の高い女性が返す。ヒルベルトと同じガーディアンの制服を纏っているが、胸にある勲章の数が少ない。
「ゲストですか?」
「さしもの怪盗紳士も外の人間には慣れていないだろう。そうに違いない。今回こそ牢に叩き込んでやる」
 外の異能力者か、と女性は頷いた。彼等は街の住人とは異なった思考回路や能力を有している。捕り物のカンフル剤になるかもしれない。多くの場合、怪盗紳士の洗練された盗みっぷりを見学しようと物見高い民間人が現場へやってくる。彼等の目の前で取り逃がす失態など、これ以上演じるわけにはいかない。
 女性隊員はしわくちゃになった予告状を受け取り、隊長の部屋から出た。
 大衆の面前で恥をかかされているせいか、ヒルベルトは紳士を嫌う。犬猿の仲。砂糖と塩。魚心有れば水心−−−これは違うか。
 破かないように予告状を開く。壁に押し付けてまっすぐに直してみるが、元通りにはならない。花をモチーフにした美しいラインの上に、詩人を思わせる流れるような字が並んでいる。
「麗しき月の姫君をお迎えに参ります……怪盗紳士」
 隊員は壁にあるガス灯に自分の掌を向けた。重い両刃剣を振りまわす彼女の手はタコが硬くなって、皮膚も厚い。ごつごつと節くれだった指先を眺めてから、拳を握った。
「ウィミイ何をしてるんですか?」
 銀のワゴンを押しながら、同僚が声をかけた。利発そうな瞳に羽根のような耳が特徴的の少年だ。
「外注の手続きをとってくれ。担当はお前だろう?」
 差し出された手紙に、少年は鼻を動かす。怪盗紳士は独特の香水を手紙にたらすのが好きなのだ。手紙の一文を頷きながら読む。
「アーセナル美術館の月滴の指輪のこと……かな」
「ヒルベルト様もそう読んでおられた」
 水をその内に宿したなまめかしい水晶球を中心として、高名な細工技師が作り上げた指輪。歴史的価値はもちろんのこと、国外から王室に嫁入りしてきた姫君が入国から式を挙げるまでの間、純真なる乙女の証明として指を飾る国宝だ。普段は宝物庫に収められているが、来月皇太子のお相手がやってくるので、短い期間だけ美術館に展示されている。
「僕も見に行ったけど、本当にきれいでしたよ」
「私たちには不似合いのものだ」
 ふっと笑い、ウィミイは隊員の詰所に向かった。少年はワゴンに乗せておいたティーカップの中身が心配になり、慌ててキッチンへ戻った。
 まずいお茶をヒルベルトに出したら、叱られてしまう。


×


 チケットセンターでチケットを購入し、白里焔寿は深々と頭を下げた。たおやかな物腰と澄んだ翡翠色の瞳に見つめられ、係員も深々と頭を下げる。焔寿が長い髪を揺らせながらアーセナル美術館へ入っていくのを、数人の観光客が溜息交じりに眺めていた。
 すっきりとした清潔感のあるファッションセンスは主張をしない。けれど持ち前の美しさと不思議な魅力が彼らの視線を放さなかった。奥ゆかしい、もっと知りたい、と思わせる静かな佇まい。眺めていた老紳士は、水辺で鳥と戯れる一枚の水彩画を連想した。アーセナルの三階に飾られている少女だ。
 そうだ。今日はあの絵の少女に会おう−−−。
 老紳士はステッキを握り焔寿の後を追った。


「チャーム、静かにしていてね」
 キャリーバックを床に置き、焔寿はささやく。透明なカバーの向こう側で、アメリカンショートヘアのチャームが細く鳴いた。わかってるわ、とでも言うように。アーモンド形の瞳をくるくると動かし焔寿の顔を写している。少しだけカバーを開きチャームの頭をなでた。柔らかく密度の高い毛皮は指先に心地よい。
 受付で貰った三つ折りのパンフレットを熟読する。ペットの持ち込み禁止、とは書いていなかったが、大丈夫だろうか。キャリーケースの中で大人しくしてもらえば……焔寿は思案顔のまま歩き出した。当の本猫は優雅に毛繕いをしながら喉を鳴らしている。
「自動演奏機……」
 広広とした一角で足を止める。焔寿は巨大なピアノのようなものの前に立っていた。サイズはピアノの三倍ぐらいだろうか。木で作られた四角い箱の様々な場所からラッパを連想させる金属やチューブが生えており、裏側は両開きに開いてある。装置の内部は人間のようにパイプや管が張り巡らされ、ネジ同士を繋いでいた。柵で守られているので近づくことは出来ないが、説明の札が置いてあった。
「オーケストラをどこでも楽しめるように貴族が開発。一つの箱の中に全ての楽器の音が閉じ込められている……ネジを回すとポンプが管楽器に空気を送り、それに合わせて弦を叩く装置も備え……その音まさに芸術也」
 どんな音がするのだろう。
 部屋全体に流れている静寂と、閲覧者のざわめきを背景に焔寿は今は眠っている巨大な楽器の音色を思い描いた。
「あら、三時から動かしてくれるみたい。聞きにこようか?」
 楽器から離れ、二階へ続く階段に足をかけると、壁に案内が出ていた。

 特別開催・王室肖像と月滴の指輪展
 特設会場→
 
 踏み出していた足を一階へ戻す。矢印の指し示す方向へ視線を滑らせる。
 廊下の続きには大きな扉があった。押し開くと太陽が差し込み、目が痛い。気にならなかったが、美術館内はかなり照明が落としてあったようだ。チャームのように瞳孔の収縮が得意なら眩しくないのだろうか。強い初夏の日差しのせいで、現れた緑の木々が白っぽく輪郭をなくしていた。特設会場は違う棟にあるらしく、一旦外に出されたようだ。白い石が敷き詰められた道があり、左右は中庭と繋がっているらしい。風が拭くとひんやりと水気がある、近くに噴水があるのだろう。水滴同士がぶつかり合う優しい音が聞こえる。
「なにかしら」
 廊下の先に男が二人立っている。両手を後ろに組み足は肩幅に開き、パリっとした制服を身につけている。ガードマンかな、と焔寿は思ったが、ガードマンは白と金のデザインの制服だっただろうか。受付の側に居た人は違った気がする。男の腰に下がった剣が物々しい。
「申し訳ありませんが、レディ、この先は関係者以外立ち入り禁止となっております。お引き取りください」
 右側の男が有無を言わせぬ強い口調で言う。
 残念だが戻るしないようだ。
 がくん、とキャリーバックが軽くなった。
「チャーム!?」
 ペットとはいえ流石に獣。チャームは銀色の稲妻のように男たちの足の下を通りぬけ、奥へと走り去った。ロックが甘かったのだろう。
「ごめんなさい。失礼します!」
 界鏡線で訪れるような遠い場所だ。はぐれてしまったら帰ってこられないだろう。焔寿は男たちの制止を無視して特別会場へ走った。
「止まりなさい!」
 スカートを揺らしながら遠ざかる少女に、男たちは追いすがる。
「怪盗紳士だ!」
 自分にかけられた疑いが何か、焔寿は気づいていなかった。


 瞳を焼くよう激しい光。焔寿は思わず目を閉じる。離れてしまったチャームを追いかけて入った部屋。
「楽勝じゃねェか!」
 誰かの声。
 叫びながら、小さなチャームに誰かが日本刀を振り下ろしていた。
「やめてください−−−!」
 喉を裂くような悲鳴。焔寿は目の前が暗い赤になっていく気がした。
「っ!」
 青年の顔に驚きが走る。大吾の目の前で巨大な牛が鼻を鳴らしていた。牛は首を屈めてショックを受け流し、大吾の刃を角で受け止めている。
「どっから……!」
「俺の式だよ」
 背後に立っていた少年がぶっきらぼうに答える。二人は知り合いらしい。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
 焔寿は安堵で泣きそうになりながら、牛に守られたチャームを抱き上げた。
「キャリーバッグから出てしまって……」
 後ろら先程の男性たちが追いかけて来た。全員がレイピアを抜き身で持っており、臨戦体勢だ。何かとんでもない場所に入ってきてしまったのかもしれない。
「何? 何?」
 綺麗よりは可愛いという形容が似合う、少女が目を丸くしている。少女の後ろには小さな陳列ケースが設置されている。あれが指輪かしら、と焔寿は考える。と、ぽんと手を打った。
「最後のお姫様☆」
 少女が焔寿の指に指輪を捧げた。あつらえたように水晶の指輪は収まる。水晶特有の冷たい輝きではなく、匂い立つような色気があるのは、内部に満ちている水のせいだろう。貞操を硬く守りつつも、その内から溢れる成熟した魅力を隠すことは出来ない、そんな女性を連想させる。石を支えるリングのデザインは繊細だが、角度が計算されているらしくつけた指先をほっそりと見せてくれる。
「怪盗紳士の変装だったらどうするんですか!」
 背の高い、入り口にいた人と同じ制服を着た女性が怒鳴る。取り戻そうと焔寿に近づくと抱いていたチャームが激しく威嚇した。
「大丈夫だよー鏡花ちゃんのが本物」
「そうなのかぁ? どーでもいいけど敵確認してからエモノ出せよな。動物は大切に」
「イヤなガキだなお前っ」
 焔寿は腕を動かし、キラキラと表情を変える鉱石に魅入られていた。はっと顔を上げる。
「あの……何がなんだか……」
「それはこっちもよ、お嬢さん。ブタ箱にぶち込んでやろうかしら」
 引き攣った笑顔で制服の女性が呟く。
「貴様等はとっとと持ち場へ戻りなさい。このお嬢さんは外の方でしょう、お任せしますよ。わたくしは隊員の監督に」
 足を踏み鳴らしてウィミイは部屋から出て行った。乱暴に扉が閉まる。
「説明、したほうがいいんじゃないの?」
 隅の壁に寄りかかっていた、黒いライダースーツの女性が助け船を出してくれる。焔寿は顔が熱くなった。確かに彼女の体は豊満で美しく、人に見せても恥ずかしくない。豊かな乳房やきゅっと締まった腰、適度に脂肪の乗った長い足……それらは黒いにぴったりと抱かれ濡れたような光沢を持っている。裸よりもエロティックだ。
「泰山鳴動猫一匹ってか」
「むかつく……このガキ……」
「あたしは月見里千里よろしくね☆」
「御崎月斗。こっちのおっさんは御手洗団子」
「北波大吾!! おっさんじゃねェ!」
「はぁ……」
 焔寿は戸惑いつつ微笑む。壁際の女性も淡く笑ってくれたのでほっとした。


×


「本当に可愛いわ」
 蒼いリボンを首に巻いた猫を撫で、岬鏡花と名乗った女性が笑う。
「なんで女って猫好きなんだ? 俺は犬のほうが……」
「猫と女性を愛せたら大人ってこと」
「女の子は好きだぜ?」
 大吾は鏡花の側にで猫を抱いている焔寿を眺める。
「かぁいいじゃん」
 指輪の台座の周りを何度か巡っていた月斗は、満足そうに手を叩いた。
「じゃ俺はこれで」
「ねーねー! 美術館の外すごい人だかりだよ☆」
 息を弾ませながら千里が戻ってきた。離れの外を見回りに行っていたのだ。きちんと両手に白い手袋がはまっている。
「へぇ? どんな感じ?」
「露店とかも出ててねーほら!」
 ポケットからブロマイドを取り出す。何故かびしっとポーズを決めた燕尾服にシルクハットの男が写っている。セピア色の写真の背景は、高い塔だが、どう見ても薄っぺらいセットのようだ。
「怪盗紳士さん?」
「生写真だって♪ 本人かな?」
 盛り上がっている女子三人から、大吾は一歩離れ、ああ猫よりやっぱ女の子だよ。としみじみ噛み締める。
「月……」
 同意を得ようと月斗に話し掛けた。が、側に居たはずの少年は雲のように掻き消えていた。
「協調性ねェなぁ」
 外へ続くドアがノックされた。失礼します、と出入り口の警備を固めていたガーディアンが入ってくる。その後ろにはヴェール付きの帽子を被った少女が居た。
「ごきげんよう、皆様」
「この御方は未来の我が王妃様にございます。粗相のないようお願いします」
「ってことはお姫様本人?!」
 早速粗相をしている千里。焔寿がきちんと頭を下げたので、鏡花も同じように会釈をする。
「そう硬くならず。楽にして頂いて結構ですわ。貴方は下がりなさい」
「はっ」
 ガーディアンはかちんこちんになり、右足と右手を同時に出しながら去って行った。
「指輪は守っていただけているかしら」
 月斗と大して変らない背丈−−−いいところ十三歳か。お忍びなのか目立たない黒いドレスを着ている。バッスルをつけているのか、背後へ長く布地が広がって腰が細く見える。
「ちゃんとここに」
 鏡花たちは白い手袋をかざす。
「今は事情があって三つになっちゃってますけど……」
「そう」
 口元に当てていた羽扇子を閉じる。
「では三つとも見せて頂戴。それがなければ嫁入りが出来ませんの、確かめておきたくて」
 焔寿は困ったように鏡花の表情を確認する。
「変装でも身長は小さく出来ないだろうし、本物かな」
「渡さないと失礼にあたりますし……」
「盗まれても取り返せばいいじゃん」
 三人はうん、と頷いて手袋を取った。三つの指輪をレースの手袋で飾られた小さな手に渡す。体も小さいが、手は印象に残るほど小さい。まだ子供なんだ、と千里は思った。
 首を傾け、姫君はじっと黙り込んだ。ヴェールに阻まれて表情は見えない、結婚生活に思いを馳せているのだろうか。初々しい甘いときめきがこちらにまで伝わってきそうで、鏡花はくすぐったくなった。
「紳士だー!!」
「またぁ?!」
 一気に現実に引き戻された。鏡花は舌打ちをし、走り出す。驚かした分お手伝いしなければ、と焔寿も急ぐ。
「大吾ちゃんはお姫様をおねが……」
 千里の横を素晴らしい勢いで大吾は駆け抜けていった。千切れるほど乱暴にドアを開いて出て行く。
「い……」
 外では何やら人が走り回る音や怒号、なぜか拍手も聞こえる。
「あー気になるっ!」
「行ってくださって構いませんことよ」
「でもお姫様も心配だもん」
「見くびらないでください。護身術の心得はあります」
 子供らしくぷっと頬を膨らませているような感じだ。わがままを言うように対抗する。
「指輪も盗まれちゃうかもしれないし、ね?」
「そうですわね」
 未来の王妃はぎゅっと手を握った。小さな手が震えている。
「安心して。大丈夫だから」
 恐怖を取り除いてやろうと、千里は出来るだけ優しく笑って見せた。


「そっちへ逃げたぞ!」
 数人のガーディアンが向かい側からやって来た。中庭の茂みを走ったのか、髪や服に木の葉がついている。
「!」
 焔寿の足元に黒い影が躍る。頭上へ視線を動かすと、黒いマントを翼のようにはためかせた男が通り過ぎていく。人間離れした跳躍力だ。驚いている間に男は中庭を奥のほうへ行ってしまう。
「叩き落してやる!」
 破邪の紋が刻まれた日本刀を持ち、大吾が叫ぶ。
「風・招・令・・・。吹け、駆け抜けるものよ!!」
 どんっと強い力に背中を叩かれ焔寿は前のめりになる。慌ててバランスを取りながらスカートを押えた。大吾の生み出した突風が飛翔している怪盗紳士らしき男の背にぶつかった。バランスを崩したらしく、ぐらついて離れの反対側に消えた。
「落ちたのですか……?」
「わかんねェ!」
 方向を変えて裏手に走る。
「貴方達は外を固めて退路を断つ!」
「はい!」
 鏡花がびしっと指示する。上官に命令されたようにガーディアン達は敬礼をした。
 右側から建物に回りこんだ瞬間、強い風を受けて大吾は自分の体をかばうように両手を出した。
「げっ……」
 右手の甲から二の腕にかけてのシャツがばっさりと切れた。皮膚までは達していないが、至近距離だったら危ないかもしれない。
「出番みたいね」
 前へ出ようとする大吾を手で押え、鏡花が笑う。鏡花は両手を前に突き出し、拳を作りながら胸元まで引いた。体の大きさは変わっていないのに、氣の膨れ上がりで鏡花が大きく感じられた。胸元の紅い珠は光彩陸離し、圧倒され肌があわ立つ。焔寿は自分の手を思わず握った。
 紅い光が鏡花の全身を覆っていく。鎧というよりは有機的な装甲が、光の下から現れ始める。なめらかな表面から光が剥がれ落ち、鏡花が大地を蹴った。
 紳士が鎌鼬を数本投げ付ける。襲いかかる衝撃を拳で叩き落した。
「マジかよ」
 強靭な装甲に比べ、自分の着ているものの脆弱さ−−−大吾は愕然とする。
「なんなんだ、貴方は」
 真っ直ぐに進んでくる鏡花に紳士はうめく。周りの樹木がなぎ倒されるほどの強風にも、彼女の速度は落ちない。正面対決を諦めた紳士は足元に風を巻き起こし、空へ昇る。ギリギリの距離で避けた鏡花の一撃。
「この距離で……」
 形の良い鼻が潰れ血が飛び散る。沈みはじめた夕日より紅い光が、胸元から迸り続けている。
「風・招・令・・・。吹け、駆け抜けるものよ!」
「くそっ!」
 無防備な紳士の体を大吾の風が横殴りにする。紳士はドームの頂上まで吹っ飛んだ。
 戦いが長引けば傷が増えるだけ。誰にだって痛い思いはさせたくない、焔寿は決定的戦力さで押しきることを決めた。
「終わりにしましょう」
 澄んだ翡翠色の瞳の虹彩が猫のように広がる。燕尾服から炎が溢れ出した。柔らかい布地を舐めまわし、あっという間に紳士は火達磨に変わる。
「落ちるぞ!」
 強化ガラスで飾られたドームへ火塊が墜落する。激しい破壊音。ガラスは一瞬へこみ、直ぐに破裂した。


「何?!」
 千里は頭上でものすごい音を聞いた。反射的に見上げると、頭上のガラスが細かい破片になってキラキラと降り注いでくる。何百もの刃が、光を零しながら千里と姫の頭上に降りてくる。柔らかい肌にそれらが突き刺さればハリネズミが二つ出来あがりだ。
 守らなくちゃ−−−。
 姫の体を庇うため、ぎゅっと抱き締めた。落ちてくる時間がひどくゆっくりと感じられる。破片がぶつかり合う、チンチンという澄んだ音までが一つ一つ聞き分けられる。何か守るものを創り出さなければ、と思うのに自分の動きも同じように遅い。
「ラーサー!!」
 腕の中から姫が飛び出した。
「あぶな……!」
 ガラスを受けとめるように小さな両手を空へ伸ばす。
 違う。
 破片の中に人影があった。
「屈め!」
 混乱していた千里の頭に、幼くけれど落ちついた声が飛びこんでくる。落ちつきも混乱と同じ、伝染する。千里は急に冷静になった。クッションを足元に創る? それでは受けとめようとしている姫の腕を折ってしまう。あの人とガラス片両方を何とかする方法は−−−。
 意識が重なった気がした。
 指輪の台のすぐ近くに、指先で印を結んだ月斗が立っている。何故か月斗が何をしようとしているのか、瞬間的に理解が出来た。サッカーの選手が土壇場で、合図もナシに仲間が送ってくるボールを読み取ることがある。あの時と似ているかもしれない。
 千里の右手首を中心に九つの宝珠が現れる。スーパーボールほどのそれは回転しながら一直線に人影へ飛んだ。円陣を組み、中心に落ちてきた人を置く。宝珠同士は連携し、真中に雷が走る。稲妻は一つ一つ組み合わさり巨大なクッションを編み上げた。無理無く受けとめる。宝珠は素晴らしい早さで姫の側へ舞い降りた。


 三人は離れの中へ戻ってきた。
 床の至るところに細かいガラスが散乱している。焔寿は転んだら大変だ、と思った。
「まぁ……!」
 中心に巨大な白い蛇がとぐろを巻いていた。天井のなくなった広間は直接夕日が落ちてきている。夕日は蛇の硬い鱗に幾重にも落ちている、破片を輝かせていた。光に覆われた姿は、あの指輪を連想させる。
「ごくろーさん」
 月斗の声がして、白蛇が姿を消した。とぐろを巻いていたその中に、千里たちがぽかん、と座っている。月斗は別段感想もないらしく、隣で洋服についた埃をはたいていた。
「式神ありがとう……助かっちゃった」
「どういたしまして」
 無表情に答え、月斗は側に倒れていた男性に近づく。洋服は燃えているが、火傷はほとんどない。煤のついた腕は、しっかりと姫君と繋がっている。二人は気を失っていたが、繋いだ手は離れそうになかった。
 大吾は右端の壁の近くでしゃがんだ。姫君が大切そうに持っていた指輪はどれも、打ち捨てられていた。


×


 外ではウィミイの激が飛んでいるらしい。ざわつき混乱した様子が固く閉じられたドアの向こうか伝わってくる。
「取り逃がしたと言って正解だったみたいね」
 装甲を解いた鏡花が溜息をつく。
「ご迷惑をおかけしました」
 帽子を脱ぐとより幼さが際だつ、姫君は五人に頭を下げた。隣には怪盗紳士が大吾の上着を借りて立っている。燃えるような赤い髪が目を引く、二十歳ほどの青年は姫君の前に膝をつく。
「私の、力が及ばず……」
「庇ってやったんだから説明してもらおうか?」
 月斗が面倒そうに言う。先刻から紳士は姫君に謝りっぱなしで、姫君は五人に謝りっぱなしなのだ。
「てめェ大変なときにどこ行ってやがった」
「ずっとここいたさ。ホットスワップ役に立っただろ?」
「居なかっただろ」
「陰形の術で姿を消してただけ。気づかなかったのか? 馬鹿か」
「ケンカは止めましょうよ、ね?」
 おろおろしながらも、睨み合う大吾と月斗をなだめる焔寿。
「指輪を盗み出す計画を立てたのはわたくしです。怪盗紳士の名を借りれば……盗まれてもわたくしにまで類は及ばないと考えました」
「諌められなかった私の責任です」
「お二人はどういうご関係?」
 首を傾げる千里に、青年は失礼しました、と答える。
「近衛騎士のラーサーと申します」
「……彼はわたくしが正式に王室に入るまで、身を守ってくれるために国元から同行した誇り高い騎士……そんな方に盗人の片棒を担がせるなんて……ごめんなさい」
 姫は顔をくしゃくしゃにして泣き出した。年相応の泣き顔は、とても花嫁と呼べるものではないと鏡花は思う。
「我が姫はまだ恋も知りません。見知らぬ男に嫁ぐ不安で潰されそうなところ、私が今回の計画を申し上げました。悪意があったわけではありません」
「違います! ラーサーが悪いんじゃない。姫だって、姫だって恋ぐらい知っています!」
 顔を真っ赤にして姫は叫ぶ。小さな全身で叫ぶ。
「ラーサーと離れたくなかったの!」
「姫……」
 ラーサーはドレスの裾にそっと口付けをする。苦しそうな横顔に、焔寿は胸が痛いんだ。
「でも結婚拒んだら国同士の争いになっちゃったりするんでしょう……?」
 言いたくないが言わなければならない。鏡花は声を殺して問う。
 ラーサーは姫をじっと見詰め、やがて立ち上がった。
「騎士として訪れた国ですが……私は一人の男として去る事にします……恋は、一人では出来ないものですから」
「ラーサー!」
 手を掴んで追いすがる姫。悲しそうに微笑み、それを振り払った。
「行かないでラーサー! お願い!」
 横を通りすぎるラーサーを、大吾は睨んだ。
「ほんとにそれでいいのか?」
「この程度の男です」
 カッと頭に血が上って首根っこを引っ掴んだ。
「好きな人泣かせたまんまで?!」
「行っちゃやだ……やだぁ……!」
 その場に座りこんで泣き続ける姫を置いて、騎士は去っていった。


×


 掌の上で、指輪が三つころころと輝いている。大吾は心に決め、姫君に三つを付きつけた。
「沢山の女が、色々な覚悟でこの指輪をつけたンだろうな…」
 泣き腫らした瞳が、焔寿を見上げる。
「あんたはどんな覚悟を?」
「姫は……」
 無性に苛々していた。嫌なものを見ている気分で、大吾は叫び出したかった。こんな風に終わりになってはいけない、幸せにならなくてはならない。何故かそう思った。何が幸せかはわからないけれど、結婚するのも追いかけるのも、自分で決めなくてはいけない。自分で決めたら、苦しくてもその道を歩いていける。
 あの騎士はもう選んだ。でも姫は違う。ただ迷って泣いていただけ。
「……ん」
 こくり、と小さな顔を動かした。
 大吾の手の中で指輪がひらり、と一つだけになった。
 姫は本物の指輪を取り、ゆっくりと指にはめる。
「ありがとう。私はあの人に守られてばかりだったけど、今あの人の心を守れるのは姫だけなの、きっと……。姫は行きます」
 決意を秘めた瞳で、力強い笑顔で姫は部屋を出て行った。
 迷いのない背中は颯爽としていた。厳しい道行きも真っ直ぐに進めそうなほど。


×


 物凄い形相でヒルベルトはタブロイド版の新聞を破った。
「何たる体たらく! 恥知らず! 無能!」
「申し訳ございません!」
 磨きこまれた机をヒルベルトは両手で叩く。ウィミイはびくっと体が震えるのを感じた。父親に怒られたときもこれほど恐くなかった。
「指輪も盗まれ、姫君も失踪……奴は彼女の心まで盗んだというのか? 我々は人々の笑い者だぞ! わかっているのか!!」
 ウィミイはひたすらに頭を下げつづけた。頭上の嵐が去っていくまで耐えるしかない。
「しばらく一人にしてくれ!」
「は、はい!」
 助かった、と呟きウィミイは隊長室を飛び出した。ほっと一息つくと、廊下の先に銀色のワゴンを押しながら近づいてくる同僚を見つける。少年はにっこりと笑ってウィミイに挨拶をした。
「おはようございます。良い朝ですね」
「……お前、新聞読んでないのか?」
 羽根耳を動かし、少年は首を傾げる。
「お仕事成功したんじゃないんですか? 外注の方はとっても機嫌が良かったですよ」
「いや……」
 説明する気力がない。
「いけない、お茶が冷めちゃう。僕はこれで」
 ワゴンを押しながら隊長室へ入っていく背中。ウィミイは手を合わせた。
「直下型だな、多分」
「出し過ぎだ! こんなものは茶ではないいれ直して来い!!」
「申し訳ございませんっ!」
 ウィミイは苦笑しながら歩き出した。ヒルベルトの怒鳴り声が遠ざかるにつれ、なくなるなら付けてみれば良かったな、あの指輪を−−−と考えはじめていた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0778 / 御崎・月斗 / 男性 / 12 / 陰陽師
 0165 / 月見里・千里 / 女性 / 16 / 女子高校生
 0852 / 岬・鏡花 / 女性 / 22 / 特殊機関員
 1305 / 白里・焔寿 / 女性 / 17 / 天翼の神子
 1048 / 北波・大吾 / 男性 / 15 / 高校生

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、和泉基浦です。
 みちてしたたるつきをお届けに上がりました。
 今回は指輪やお姫様といったちょっと甘めの依頼になっています。
 ご参加ありがとうございます&無事終了お疲れ様でした。
 甘さばかりだとお腹一杯なので戦闘要素も加えてみました。
 いかがでしたでしょうか?
 楽しんでいただけたら幸いです。
 チャームさんはシルバータービーで書かせていただきましたが、違っていたらすいません;
 感想・苦情等はお気軽にメールしてくださいませ。
 またお会いできることを楽しみにしています。