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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


僕は何者ですか?

------<オープニング>--------------------------------------

 ガタンと電車が大きく揺れる。
 腕組みしながらうつらうつらしていた名壁智也は前につんのめりそうになり、ガバッと置き上がった。
 車内は先ほどの揺れなど何でも無いことのように静まり返っている。智也は瞬きして目をこすり、それから慌てて立ち上がった。
 ここは、何処だ?
 智也は慌てて窓にとりつく。しかし電車は駅と駅の間を走っているところらしく、線路に寄り添うようにして建っている背の低い家々しか見えない。
 電車は突然トンネルに入る。智也の行動範囲に、トンネルを通る場所など無かったはずなのだ。
 鼓膜が痛くなり、智也は呆然と窓の外を睨みつづける。
 鏡のようになった窓には、見覚えの無い青年が写っていた。
 酷く地味な青年だった。シャツにジーンズ、中肉中背。年のころは智也と同じだろうが、見覚えは全く無い。
 しかしその青年が、驚いた顔をしてガラスに写っているのだ。
 ガラスに向かって手を押しつける。地味な青年も、同じように手を押し付け返してくる。
 どういう、ことだ。
 智也は頬や腕を叩いてみる。電車の両脇に座っていた婦人が、智也から離れようと身体を捻っている。
 もう一度顔を確認しようと思った時、電車はトンネルを抜けた。
 窓の外は明るく、もう智也の姿を写してはくれない。
 JR新宿駅に到着した電車から、智也はふらふらと降りた。
 ポケットの中にサイフが入っている。サイフには家の物らしい鍵がくっついていた。それから、携帯電話。プロフィール画面を見てみるが、携帯電話の番号とEメールアドレスが表示されるだけだ。名前は判らない。
 Eメールの履歴を見る。見知らぬ人の名前が延々と連なっている。送信履歴もまた。一つのメールを開いてみたが、この携帯電話の持ち主の名前は判らない。
 サイフの中には定期も免許証も入っていない。カードのところにはイオカードタイプのスイカと、キャッシュカードが二枚入っているだけだ。キャッシュカードに書かれた名前はイワイヨシノリ。
 そんな名前の人間は知らない。
 智也はトイレの中で自分の所持品を全て出してみた。サイフ、鍵、携帯電話。それしかない。
 イワイヨシノリと智也の関係を示すようなものは何も無い。トイレの鏡に写るのは、智也がどう頑張ってもお友達にはならない類の地味で根暗そうな顔。
 違う。自分はこんな顔ではない。自分はもっと……
 もっと?
 智也は愕然として、鏡の前に立ち尽くした。
 思いだせない。何も。何もだ。
 自分の顔も、何もかも。自分が、名壁智也という名前であると言うこと以外、何も。
 智也はふらふらとトイレを出た。幸いスイカイオカードの遣い方は判っていて、改札は問題なく通ることが出来た。
 新宿東口から人ごみを避けて歩き、階段を上って外へ出る。見なれたALTA前には人がごった返しており、大きなオーロラビジョンでは丁度今日の天気と明日の天気を放送している。
 日が、暮れようとしていた。
 
 ×
 
 シェルは青くなってあたりを見まわしていた。
 掴んでいた風船の一つが、何処かに飛んでいってしまったのである。
 死に神であるマザー・ムシュのところにシェルが拾われてきたのはもう随分と昔になる。マザー・ムシュは死に神だが、天使の仕事の代行のようなことをやっていた。シェルはなんでも意識が育った直後に死んでしまった胎児の幽霊だということで、マザー・ムシュは出来かけの意識を持った幽霊を消去してしまうのが突然寂しいことのように思えて、生かしてくれた。死に神の娘にしてくれたのである。
 そんな死に神の娘は少なくなかった。マザー・ムシュは幼くして死んだ魂や、不幸なことに自分の死に気付かない幽霊などを時折哀れんでは、仲間に引き入れるのだ。
 マザー・ムシュの仕事は、人々の最後の息を引き取りに行くことである。本来ならば天使の役目なのだが、シェルたちが仕事をしているこの国は人が本当に複雑に沢山死んでいる。逃げたり迷ったりするので、捕まえるのが一苦労なのだ。天使は他にもたくさんの仕事があるし、マザー・ムシュには娘が多い。そのため、マザー・ムシュは娘たちを遣って最後の息を集めて天使に渡すと言う仕事をしているのだ。そのついでに、死ぬべき者の枕元に立ったりする。
 本業と副業が逆転してしまったような忙しさなのだ。
 シェルは今日初めて、仕事を言い遣った。一番最近に娘になったシェルはまだ一度もマザー・ムシュの手伝いをしておらず、姉たちのようにマザー・ムシュの仕事を手伝う日を心待ちにしていたのだ。
 そして、失敗した。風船に詰めた最後の息の一つを、逃してしまったのだ。
 探しに行かねばならない。
 彼はまだ、自分が死んでしまったことに気付いていないのだろうから。
 
 ×
 
 自分は誰だ。誰だ。誰なんだろう。
 そう思いながら新宿を徘徊し、智也はやけになって酒を飲んだ。自動販売機で買った缶ビールでは味気ないと思い、何だか親近感を感じた大型チェーンの居酒屋に入り、飲み放題にしてひたすら飲んだ。
 結果、酔った。
 酒を飲んでいる間だけは、「何故」「何が」を繰り返さずに済む。そう思って飲んでいたら、したたかに酔った。
 このまま泥酔して、目が覚めたら何もかも平穏ならいい。
 そう思い、新宿の町をふらふらと歩いた。
 夏のはじめにある新宿は、何処もかしこも生ごみの腐ったような気持ちの悪い匂いがしていた。そして、智也の中に「新宿の夏はいつもこうだ」という思いがある。
 こういうことは判るのに、自分のことが思いだせない。不思議なことだった。
 歩きつかれて、智也はあるビルの前に座りこんだ。
 腰を下ろすと、もう眠気に勝てなかった、まぶたが重く全身が倦怠感に包まれている。
「おい」
 乱暴な声が掛けられたのはその時だった。
 煙草をくわえた男が、不機嫌な顔で智也を見下ろしていた。
 智也が緩慢な動きで見上げると、顎をしゃくる。
「ここはオレのビルなんでね。酔っ払いに座りこまれて汚されると困るんだ」
 つっけんどんに言い放つ。智也は壁に背中をこすり付けるようにして立ちあがった。
 二階の窓が奥から光っており、窓に張りつけられた「草間興信所」の文字が見える。
 智也は興信所の文字に衝撃を浮け、男を見た。
「倒れるなら隣のビルにしてくれ。遠くにいってくれりゃ、遠いほどいい」
 男は口を動かして、そう言う。煙草をつまみ、とんと弾いて灰を地面に落とした。
「あの」
 智也は救いを求めるような眼差しで男を見つめた。
「探偵さん、なんですね? 僕のことを、僕は何か……」
 智也は男に向かって一歩踏みだす。
「僕は、何者なんですか?」
 ろれつの回らない声でそう言う。男が、気味悪そうに顔をしかめた。
 智也の意識がもったのは、そこまでである。
 男の困ったような顔を目に焼き付けて、智也はばったりと道に倒れた。


 淡く光る精神体が、天薙撫子の目許を掠めて飛んだ。
 撫子は驚いて足を止める。以前から、突然現れた弱い霊体に驚かされることはよくある。他の人が、突然目の前に虫が飛んできて驚くのと頻度はそう変わらない。
 ナデシコは目を凝らし、精神体の軌跡を追った。
 ふわふわと頼りなく飛び回る精神体は、浮遊霊に似ている。しかし、全く何の執着も感じず、ただ極端に弱いだけの浮遊霊というものを、撫子は殆ど見たことがなかった。成仏寸前の霊体ならばこんなにもはかなく澄みきった印象なのかもしれないが、そこまで浄化された存在がこうして動いていると言うことも不思議だ。
 羽虫のように弱々しいのに、光は確固たる意志を持って動いているようだった。時折、撫子の目からも捉えられなくなるほど弱くなるかと思うと、ふと少女の姿が透けて見えるほどに強くなったりする。
 撫子は手に持っていた芋きんつばの包みを見下ろす。とても美味しい和菓子店を見つけたので、知り合いの事務所に持っていこうと思ったのだ。事務所までは歩いて5分ほど。あらかじめ連絡を入れているわけではないし、寄り道くらいしてもいいだろう。
 JR新宿駅前の雑踏をふらふらと飛び回る光を、撫子はゆっくりと追いかけた。
 
 ×
 
 草間興信所には、現在野田桃子という女子大生のアルバイトが一人いるきりである。
 彼女が採用されるまでは、草間興信所というのはとにかく行き辛い場所だった。中学生が踏みこむにはちょっと気が引ける、新宿の奥まった場所にあるというだけではない。事務所はいつも所長の草間武彦が吸う煙草の煙で満ちており、小一時間も中に居れば全身に煙草の匂いが移ってしまうのだ。
 海原みなものような、ごく普通の人間とは若干異なる存在にとって、草間興信所は特別な場所だ。とにかく妙なものが、人や物や事象を問わず集まりやすく、それに馴らされた草間は恐らく東京で一番、妙なものに対する偏見を持たない大人だろう。特別興味も持たず、どんなことでもあるがままに受け入れる。
 そう言ってしまうと誉めすぎかもしれないが、草間武彦という人間自体はやや特別なところがある。学校帰りや仕事帰りに、みなものように立ち寄るものも居てちょっとしたコミュニティを形成しているようなのだ。
 女性のアルバイトが入って、煙草の臭いと薄汚さが減少して明るくなると、みなもはこの事務所に入りやすくなった。
 そうして今日も、学校の帰りにふらりと事務所を訪れたのである。
 学校の鞄を膝の上に載せて、野田桃子の出してくれた紅茶を飲んでいたみなもは、奥から出てきた青年に目を止めた。どうやら事務所の仕事を手伝っているようだが、見ない顔だったのだ。
 新しいアルバイトか何かだろうか。草間興信所にやってくる者はどこかしら変わっている者が多いから、青年も特別な何かがあったりするのだろうかとみなもは興味を持つ。
 草間が煙草をふかすのに忙しいのを見て、みなもは桃子の側に近寄った。キャビネットの中身を整理していた桃子が、眼鏡の奥の目をくるくるさせてみなもを見下ろす。
「あの人は、新しいアルバイトですか?」
 囁くように問う。桃子はすぐに首を振った。
 キャビネットを整理する手を止めず、彼が昨日興信所の下で倒れたことを説明する。捨て置くのも哀れで、所長が拾ってきたこと、どうやら記憶喪失らしいが、自分の覚えている自分の身体と今の身体が違うこと、などを教えてくれた。
「何だか、可哀想な感じがしますね」
 みなもは青年を見やってそう言う。青年は、名壁智也といった。
 自分のことを忘れてしまって、自分とは違う身体に入ったらどんな気分がするだろう。違うということだけが判る状況は、とても辛い気がした。
「そうなんですよねえ。でも、本当に何も判らないみたいで。とりあえず所長がご飯は食べさせてあげるから働けって言って、朝からこき遣われてるんです」
「こき遣うとは言葉が悪い」
 所長席に座してふんぞりかえっていた草間がそう言う。桃子はキャビネットの中に事件簿を押しこみ、大股でデスクに近付く。がらりと窓を開いた。
 煙草の煙が、五月の風に吹かれて抜けていく。桃子はそのまま下を見下ろし、
「所長、撫子ちゃんですよ」
 と下を指差した。
 
 ×
 
 小さな小さな霊体は、正確には霊ではなく死神なのだと説明した。
 ようやく光に追いつき、コンタクトを取れた撫子は感心する。死神なんて概念の中だけで存在する者だと思っていたのだ。世界は撫子が思っているよりも、もっと細かくシステムが存在しているようだった。
 とにかく弱い霊体なので、近い場所で最も磁場が強い場所を探した。新宿駅の東口から西口へと向かう、大ガード下。そこが、一番強い磁場だった。
 昼間でも薄暗さを感じさせるオレンジ色の街灯の下で、撫子はシェルという名の死神のたまごと会話をしていた。
 真っ黒な、修道女を思わせる服。そして、大きなストローを抱いて白いポシェットを下げている。死神というイメージには程遠かった。
 彼女が、昨日の夕方頃「最期の息」を失い、今もまだその迷える魂が見つかっていないことを知る。魂自体は弱いもので、見つけるのは一苦労であるらしかった。撫子は困り果てたシェルを、草間興信所に連れていくことを決意する。
 あそこには、変わったものが集まりやすい。者であれ、人であれ、霊体であれ、情報であれ。
 何か手がかりくらいはあるのではないかと、撫子は少女に提案した。
 少女の同意を得て、ガード下を出る。オレンジ色の光の下から出ると、シェルはまた元の光に戻ってしまう。
 何とも儚い、死神だった。
 
 ×
 
 桃子の入れた煎茶と、撫子の持参した芋きんつば、そして草間のマイルドセブンがテーブルの上に置かれている。
 草間が真っ先に芋きんつばに手を伸ばし、美味そうに咀嚼してから大きく頷いた。
「美味い!」
「美味い、じゃなくて、所長」
 桃子が素早く突っ込みを入れる。
 みなもは、話を終えた天薙撫子をそっと見やった。
 彼女は、その死神「シェル」がこの場にいると言っているが、みなもにはその気配は全く感じられない。霊に体する感知能力がゼロというわけではないが、決して強くも無い。死神という言葉とは裏腹に、やはり相当に力の弱い存在なのだろう。
 撫子の話を、名壁は黙って静かに聞いていた。膝の上に置かれた拳が、微かに震えている他は、特に身じろぎすらしていない。
 みなもは突然、彼が可哀想になった。
 気付いたら自分とは違う身体の中にいて、散々戸惑った挙句に酔い潰れ、運良く草間に拾われてようやく自分探しが出来るようになったと思ったら。
 急に、死神が現れて「貴方が生きているのはこっちのミスでした、無かったことにしてもう一回死んでください」とは。
 それは、あんまりではないだろうか。
 彼が死んだことは必然だとしても、彼がここにこうしている事は、運命かもしれない。
「ここが、変わったものの溜まり場だなんて認識は、やめてもらいたいな」
 草間が大袈裟に顔を顰めてそう言う。
 ちらりと桃子とみなもを見て、軽く目配せした。
「でもま、こうやって美味いお菓子を持ってきてもらうのは大歓迎だ。集まってくるのが可愛い女の子や美味い食べ物だけならいいんだけどな」
「草間さん、真剣に話を聞いて下さい」
 撫子が唇を尖らせる。
「彼女は、彼……名壁さんが、無くした魂に違いないと言っています。何とかしてあげて下さいな」
 おっとりとした綺麗な声でそう言う。草間が椅子の上にふんぞり返って溜息をついた。
「なんとかって」
 困ったように言う。
 みなもは名壁を見つめる。
「死んでくれ、って言うか、逃げろって言うかしかないだろ。おい名壁、お前はどうしたい」
「ぼ、僕は」
 名壁が顔をあげる。
 みなもと目が合った。
 みなもは力を込めて名壁を見つめる。彼が嫌だと言ったら、何とかしてやろうと思った。
 人はやはり、生きたいものだろうから。
「選ぶ権利は、ないと……彼女は言っていますよ」
 撫子がひっそりとそう言う。そう言う彼女の瞳にも迷いがある。
 名壁が目を瞑る。
「拾った命にしがみついて、逃げるもよし。自然の摂理に従って楽になるもよし。ここは新宿だ、お前が若い男である限り、その気になれば生きていける場所だ」
 草間は淡々とそう言う。
「ただ、生きるって事は楽じゃない。お前は、誰かの身体を間違いで分捕ってる。お前が生きることを選んだら、そいつの人生を横取りするってことだ」
 みなもは軽く頭を叩かれたような気持ちになる。
 名壁の身体は、名壁のものではないのだ。
 本当の持ち主が、名壁の魂に追いやられて身体の隅に隠れている。
 でも。
 みなもは、目の前で喋る彼に、死ねとはやはり言えない。
「選べよ」
 草間が言う。名壁がすがるような瞳をみなもに、桃子に、撫子に向ける。
「選んだほうに協力してやる。袖擦りあうも他生の縁てな、死神の一人くらい、今更敵に回してもオレは何とも思わない」
「僕は……」
 名壁が逡巡するように顔を伏せる。撫子がさっと手を挙げた。もしかしたら、死神を止めたのかもしれなかった。
「僕は、生きたいです」
 名壁が立ち上がる。
「彼女だってッ」
 撫子も立ち上がる。
 みなもは手を伸ばし、テーブルの上の湯のみを掴む。
 ぬるいお茶を、撫子の方へかける。
「名壁さん、逃げて!」
 叫んだ。
 名壁が椅子を蹴り、事務所のドアに向かう。
「聞いて、名壁さん! 彼女は、貴方が戻らないとっ」
 生温い茶を浴びたのにも関わらず、撫子が名壁を追おうとする。
 みなもはもう一杯の茶を空中に振りまく。水なら多少、操れる。
 霧になれ!
 軽く命じるだけで、ぬるい茶はさっと蒸発し、撫子の目許にだけ濃密な霧を発生させる。
 みなもは名壁を追って、ドアに向かった。
 ドアのすぐ向こうに広がる階段を、名壁が駆け降りていく。
 みなもも階段を駆け降りる。すぐに撫子が追ってくる。
 階段を降り切り、名壁の姿を探す。左手に、名壁の背中が見える。大通りへ出ようと思っているのだろう。
 名壁を追い、逃げきるまでサポートするか。撫子を足留めするか。
 一瞬迷い、みなもは名壁を追うことにする。
 走りだした。
 
 ×
 
「待って!」
 撫子は階段を降り切り、大声を張り上げる。
 名壁とみなもが遠ざかっていく。
 出来ることなら、逃がしてやりたい。撫子だってそう思う。
 撫子の回りを、シェルの光が彷徨う。撫子は丈の長いスカートを翻し、走りだした。
 名壁はどの道、身体から追いだされてしまう運命なのだ。話の途中で草間が芋きんつばに手を伸ばしたために言えなかったが、彼の魂は三日もしないで、元の身体の持ち主に弾きだされる。
 撫子にはそれが判った。彼の魂を追いだして身体を取り戻そうと、持ち主の生命力が高まっているのだ。そして、魂が追いだされたときに側にシェルがいなければ、その魂は迷うだろう。
 行く先があるなら、迷わないほうがいい。
 そして。
 きらきらと光る儚い光が撫子を追ってくる。ただ、母親に命じられたことを全うしようとした弱い存在。
 彼女は、魂を連れて帰れなければ消えてしまうかもしれないのだ。草間興信所に向かう道の途中、そう言っていた。だから彼女は仕事を姉たちに任せ、名壁を探していた。
 両方を、助けたい。
 ならば、名壁に最期まで話を聞いてもらうしかないのだ。
 
 ×
 
 みなもは名壁に追いつき、彼の手を掴んだ。
 骨ばった大きな手は、中学生のみなもが知っている男の子の手とは異なっていた。一瞬緊張したが、みなもは名壁の手をしっかりと握った。
 駅まで、そう離れているわけではない。
 走りだそうとしたみなもの横で、名壁が突然足を留めた。
「聞こえる……」
 小さな声で呟く。みなもは名壁を振りかえり、耳を澄ます。
 遠くを走る車の音と、人々の足音や話し声が聞こえるばかりだ。名壁が「聞こえる」と呟くようなものは何も聞こえてこない。
「名壁さん!」
 撫子の声が響く。みなもは彼女を振りかえった。
 逃げなくては。
 名壁の手を引く。しかし名壁は、くるりと撫子の方を振りかえった。
 みなもは我が目を疑った。
 撫子と自分たちの間に、黒衣を着た女性が立っていたのだ。
 極端に色が白い。雛人形のように真っ白な肌の女性だった。
 シスターが着ているような、襟の詰まった黒い服をまとっている。やはり修道女のように黒い布を髪に巻いており、肌の白さが際立っている。
 細い目をしていて、眉が無かった。
「おやすみなさい、迷える子」
 女性の手の中に、巨大な鎌が出現する。死神が持つに相応しい、見の丈ほどもある巨大な鎌。
 みなもが名壁を突き飛ばすのと、鎌が振るわれるのが同時だった。
 
 ×
 
――マザー・ムシュ。
 突如出現した女性の名を、シェルが呟く。
 死神。
 撫子は足を留める。死神というよりも、マリアのような姿をしていると思った。袖口から伸びる手は白く美しく、骨などではない。
 彼女の手の中に、鎌が出現する。
 撫子が止める間もなく、鎌が振るわれる。
 みなもに突き飛ばされ、名壁が倒れこむ。
 その首筋を、鎌の切っ先が薙いだ。
 撫子は思わず顔を背ける。
 どさ、と道に名壁とみなもが倒れこむ音がした。
 恐る恐る目を開く。
 一瞬、光が撫子の目の前をよぎる。どこかで聞いたことのあるような、切ない気持ちになる子守唄が一瞬耳を掠める。
 シェルの感触が、消滅する。それと同時に、マザー・ムシュの気配も消滅した。
「名壁さあんっ」
 みなもの声で、撫子は我に帰った。
 青い髪をした少女が、名壁の肩を揺さぶっている。その首はちゃんと繋がっており、彼は静かに目を閉じているだけのように見えた。
 二人に近付き、みなものすぐ横に屈みこむ。
 名壁が、目を開いた。
「名壁さん!」
 みなもが歓声を上げる。
 名壁は驚いたような顔で、みなもと撫子を交互に見る。
 そして、
「君たちは?」
 と、名壁とは全く違う声で呟いた。
 
 ×
 
 みなもは、静かに撫子の説明を聞いていた。
 泣きだしてしまったみなもを支えるようにして、撫子は草間興信所へ戻った。
 濡れた服よりも、名壁を守ろうとした拍子に傷つけたらしいみなもの肘の方が気になった。桃子に救急箱を貸してもらい、消毒をしてガーゼを当て、包帯を巻いてやる。
 手当てをされている間、みなもはすすり泣きをしていたが、説明を聞いて少し落ち着いたらしい。
「名壁さん、いっちゃったんですね」
 ぼそりと小声で呟いた。
「自分のことを思い出してから、もう一度死ぬより良かったんじゃないかと、私は思います」
 撫子は同じくらいトーンの低い声でそう言う。
 みなもは小さくうつむき、
「わかりません」
 と首を振った。
 撫子は哀しくなって溜息を吐く。
 目の前に、柔らかそうなタオルが差し出された。
「撫子ちゃんも、髪、拭かないと」
 桃子が心配そうな顔で言う。撫子はにっこり微笑み、タオルを受け取った。
「みなもさん、芋きんつば、美味しいですよ」
 髪を拭いながら、そう言う。
「甘い物を食べると、落ち着きますから。ゆっくりお茶をしませんか」
 微笑みかけると、みなもも顔を上げた。
「いただきます」
 丁寧にそう言う。
 いい子だ。撫子はそう思った。
 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 28 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
 0284 / 荒祇・天禪 / 男性 / 980 / 会社会長
 0328 / 天薙・撫子 / 女性 / 18 / 大学生(巫女)
 1252 / 海原・みなも / 女性 / 13 / 中学生

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■         ライター通信          ■
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 和泉基浦です。こんにちは。
『僕は何者ですか?』をお届けします。
 迷った魂をどうするか、というPC独自の見解が出せていればと思います。
 お楽しみ頂けたら幸いです。
 またご縁がありましたらお会いしましょう。では。