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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


カラミティ・ルージュ

■オープニング

『この世のものならぬ美を求める貴女へ――』

 某大手ネットオークションサイトに出品された、その一本の口紅には、ただ一言、そんなコメントがついていた。
 添付されていた商品画像を見る限り、見た目は飾り気も高級感もない、今時、百円ショップにだって並んでいるような黒一色のスティック型ケース。しかし、その先端からのぞいた口紅の色は――。

「まるで、魔性の紅ね」
 碇麗香は画面を見ながら、まるで熱にうかされたように、そう呟いた。
 ネット上の画像からでも、その口紅の『紅』は鮮烈だった。ただ鮮やかに紅いだけではない。彩度や明度や輝きといった、色を構成するそういう要素とは、まるで違う『何か』がそこには宿っていた。そしてその何かこそ、女と言わず、男をも……見る者全てに戦慄と、そして畏怖にも似た羨望を抱かせる所以となっていたのかもしれない。
「だからこそ、この落札価格、か」
 0が6つもつくようなそんな単位の金額を目の当たりにしても、麗香は驚きも呆れもしなかった。
 ただ、こんな口紅を落札し、そしておそらくその色を唇に纏わせるであろう、落札者の身の行く末を哀れんだ。
 この世ならぬ美とは、決まってこの世ならぬ災いを招き寄せるものなのだ。

 ……数日後。
 麗香は自らが編集長を務める『月刊アトラス』のスタッフを呼んで、あの口紅と、その落札者についての取材を命じた。

■#1 依頼

 ……忘れることはできない、と男は呟いた。
 この憎しみを忘れることなどできない、と。
 彼にとっては最も大切な、守るべきものだった白い花。
 ――由佳。
 その愛らしい微笑みも。無残に踏みにじられ、奪われた。
 だから。
 これは復讐なのだ、と男は自らに言い聞かせた。
 たとえ憎しみにまみれた惨めな悪鬼に身を落とそうと、俺はあの父娘を呪うだろう。
 呪って、呪って、呪いぬいてやる。
 この憎しみで、奴らの人生の全てを、絶望の色に塗りつぶすまで。

         ※         ※         ※

 世界は、男の抱いた『夜』のイメージをそのまま具現化したようだった。
 薄闇に甘い影を落とす店内の淡い照明も、そこに流れるオールド・ジャズのレコードも、壁一面に並べられたウイスキーのボトルも。全てがその世界にとって欠かせないパーツなのだと、店に一度訪れた客たちは皆すぐに理解する。
 今宵、仕事の為に訪れた碇麗香もまた、そうだった。
「たかが口紅一本に、四百万ねえ……」
 手渡された資料に目を通して、カウンターの中にいるその男はフン、と鼻で笑った。
 肩まで届くほどの少し黒の混じった赤い髪。右頬から黒い上衣の襟元まで延びる、龍を模した刺青。燃える炎を思わせる、鋭い眼光。男を近寄りがたく感じさせるそれらの要素を除けば、男の顔立ちはまだ少年のようにさえ見える。
 男の名は、黒月焔(くろつき ほむら)。この小さなバーのマスターであると同時に、裏でオカルト関係の仕事や情報を扱う仕事をしている。
「どうして女ってのは、こう自分を飾るものに惹かれるんだろうな。魔性の赤、と言ってもワインの赤に勝るものはないと思うが」
「貴方も女に生まれればわかるわ」
 麗香は、その怜悧な美貌に、からかうような微笑を浮かべた。
「でも、この世ならぬ美を……なんて、ちょっとおもろそうな話ですよね」
 麗香と同行してこのバーにやって来た青年――今野篤旗(いまの あつき)が言った。
 朴訥としたまじめそうな顔つきに、すらりとした長身。カウンターの向こうにいる焔とは対照的に、一見どこにでもいるありふれた風貌だが、その瞳の奥には、穏やかでありながら芯の強さを感じさせる光が宿っている。
「……それで? この口紅とやらがどうしたというんだ」
 ぶっきらぼうな口調でそう問う焔に、麗香は水割りのグラスを傾けつつ、語った。
「その口紅がインターネット上の大手オークションサイトに出品されたのがニ週間前。出品時の設定価格は1円からのスタートだった。ところが、そこに落札者が殺到して、三日後の落札終了時には四百万円の落札額になっていた」
「この景気の悪い時期に、うらやましい話だ。金なんて、あるところにはあるって事か」
「それだけじゃないわ。モニター越しの画像からでも伝わってきた、あの紅の美しさ、鮮烈さ……それが評判を呼び、落札者たちを魅了したのは確かね」
 カラン、とグラスの中の氷が琥珀色の液体の中で、澄んだ音を立てた。
「災いを呼ぶ美しさ、というものがあるわ。『ホープのダイヤ』の話はご存知?」
「ああ、9世紀にインドで農民の手によって土に埋もれていたのを発見されて以来、持ち主に次々と災いと死をもたらしたってバカでかいダイヤの話だな。ダイヤの最後の持ち主だったNYの宝石商ハリー・ウィンストンは、交通事故に4回遭い、事業にも失敗した。たまりかねたウィンストンはそのダイヤを寄付という形でスミソニアン博物館に押しつけた。あれほどの高価な品を、ただの郵便小包で送りつけてな」
「流石は事情通ね」
「この程度は常識だ。……それで、この口紅とやらにもそれと似た不幸話があるのか」
「それはわからないわ。ただ、これにも『ホープのダイヤ』と同じような匂いがするの。落札者の身にはきっと何かが起こるわ。それを貴方たちに調べてほしいのよ。うちのスタッフにも一週間ほど前からいろいろ調べさせてるんだけど、一向に何も掴めないみたいでね」
 何かが起こることがわかっていても、止めろ、とは言わないところが麗香らしい。彼女にとっては、何か起こってくれたほうがいい記事になるのだ。
 気難しい焔が彼女の依頼を無碍にしないのは、そういう彼女のビジネスに徹した面がどこか気に入ったからかもしれなかった。
「……いいだろう。出来る限り調べてやる。だが、ネットオークションってのは、俺にはよくわからん」
「だから、今野君を呼んだの。今野君なら、そういったことに多少の知識もあるでしょう? それに『何かが起こっても』、彼ならそういうのに対処できる」
 麗香の意味深な言葉に、今野は苦笑いを浮かべた。
「……まあ、僕もその口紅、実物見てみたい気もするし……取材、参加させてもらいますわ。ほんまに災いを呼ぶような品やったら、どうしてそんなもんがオークションに流れてきよったんかも気になりますしね」

■#2 黒い娘

 白昼の、人で賑わう渋谷のセンター街に、その姿は明らかに奇異なものに映った。
 それは一人の女だった。いや、まだ少女といってもいい。
 しかしその若さにそぐわぬ妖艶な美貌と大人びた表情。ふくよかな長身を包むのは、闇を染めぬいたかのような色のチャイナドレス。そのロングのスカートの、股下からのスリットからのぞく白い脚と、袖のない肩口から伸びた細い両の腕は、驚くほどに白い。夜の海を思わせる、長く艶やかな黒髪が腰のところで揺れていた。左手には銀のスーツケースを引いている。
 その姿は、嫌がおうにも道行く人々の目を引いた。普段ならば、一人歩きの若い娘に声をかける若者たちも多いはずだが、あまりに常識離れしたその雰囲気と美しさは、かえってそういった者たちも退ける効果があるものらしい。
 ちょうどその時、アーケードの一角にあるカラオケ店から、数人の女子高生たちがはしゃぎながら出て来た。淡い紺色のブレザーは、都内の有名な私立高校のものだ。
 その中のひとりに、探し求めていた面影を見出したか、黒い娘は彼女たちのもとへとゆるやかに近づいていく。
 その姿をみとめて、少女たちはぴたりと言葉を交わすのをやめた。
「片桐茜さん、ですね」
 水底から響いたような静かな声が、少女たちの輪の中心にいる、とりわけ目立つ長い髪の娘に向けて投げかけられた。
「そ、そうだけど……あんた、誰よ」
「わたくしは、海原みそのと申します」
 そう名乗って、黒い娘は淡い微笑を浮かべた。その美しさは、男なら陶酔し、女であれば同時に羨望の念を抱き、嫉妬するだろう。
 そして茜という名のその少女もまた、そうだった。どこか警戒心と、女としての敵意の混じった目で、みそのを睨んだ。表情だけは変わらずに。
「何の用なの、私に」
「先週、あなたが『ねっとおーくしょん』で手にいれられた、口紅のことで、お話があって参りました」
 茜の顔色が変わった。
「な……なによ。あれはもう私のものよ」
「ええ。ですから、譲っていただけないものかと思い、お願いに伺ったのです」
「何の冗談? あの口紅、すごく高かったのよ。あなたなんかに買えるような額じゃないわ」
 ふん、と勝ち誇った笑みを浮かべて、茜は尋ねた。
「四百万よ、四百万。あなたにそれだけの額が用意できて?」
「それがどのくらいの値打ちなのかは、わたくしにはわからないのですが……」
 みそのはその場にかがみこむと、携えてきたスーツケースを地面の上に開いた。
 その中には、今の時代のものではない金貨や宝石などが無造作に詰め込まれていた。
 素人目にも、それが全て本物であれば一千万どころの騒ぎではない額がつくことはすぐにわかるだけの代物だ。
「……沈没船の埋蔵金の一部を用意してみたのですが、これぐらいあれば、足りますでしょうか?」
 唐突に晒された眼前の財宝に、目を丸くする少女たち。何事かとそのやりとりを見ていた周囲の通行人たちも、ざわざわと騒ぎはじめた。
 茜もまた、一瞬その輝きに言葉を失ったものの、また元の傲然とした態度で、みそのを嘲笑した。
「バッカじゃない、そんな偽物で騙されると思ってんの? どっちにしても、あんたにあの口紅を渡すなんてお断り。とっとと消えて頂戴」
 そしてみそのをその場に残し、スタスタと歩きだす。
「――ちょ、ちょっと茜、待ってよォ!」
 周りにいた少女たちも、困惑しながらその後を追いかける。
 彼女たちの背中を、みそのの黒い瞳はただ静かに見つめていた。

 一方、その様子を人ごみにまぎれて見ていた、二人の人物がいた。
「何なんだ、あの女?」
 サングラス越しにみそのを見つめて、呟く焔。
「僕ら以外にも、あの口紅を探しとった人がいたっちゅうことでしょうね」
 今野がそれに答えた。そして、その瞳を細める。
「……妙やな」
「どうした?」
「いや……あの人、なんか、妙に……」
「ん?」
「いや、多分、僕の気のせいですわ」
 今野は言いよどんだ。
 ――妙に、体温が低く見える。
 今野には、特殊な能力があった。対象に熱を与え、また奪う能力。そしてその能力の副産物とも言える、対象の温度を『見る』能力。
 今野には一目見ただけで、みそのの体温が常人より遥かに低いことがわかったのだ。だからといって、その感覚を鵜呑みにもできない。
「とりあえず、あの娘を見失うわけにはいかねえ。後を追うぞ」
「あっちの、彼女の方はどうしはりますのん?」
 みそのもトランクを閉じ、その場から立ち去ろうとしている。
 ふと見ると、遠巻きにその姿をじろじろと見ている、柄の悪い男たちの姿があった。お互いに目配せして、歩き出したみそのの後を追いかけていく。
「ありゃ、ほっといたら、やばい事になりそうやな……」
「知ったことか。俺たちには関係ねえ。それより早くいかねえと、あのガキども見失っちまうぞ」
「せやけど……」
 今野は一瞬躊躇して、みそのを追いかけることに決めた。
「僕、ちょっと行ってきますわ。後で合流しますよって、あっちの女の子の方はお願いします!」
「なっ……おい、待てって!」
 駆け出していくその姿を見送りながら、焔は肩をすくめた。
(まったく、どいつもこいつも……)

 人気のない路地に入ると、日中だというのにそこは薄暗い。
 ほんの数メートル先の喧騒とは、そこはまるで別世界だった。
 みそのはふと、眼前に立ちふさがる人影に気づいた。
「どこへ行くんだい、姉ちゃん」
 からかうような粗野な声が響いた。
 男がいた。眼前に二人。ふと見ると、すぐ背後にも一人。
 どれも、着崩した派手な色のジャケットとズボン。その面相も含めて、性質のよくない男たちなのは一目瞭然だった。
「あんまりこの街のことをよーく知らねぇんだろうなあ。どうだい姉ちゃん、俺たちが案内してやってもいいんだぜ」
 男たちは、獲物を見つけた獣の目をしていた。
 嫌悪感さえ抱かせる粗野な笑みを前にしても、みそのはひるむどころか、悠然と微笑を湛えたまま答えた。
「本当ですか。わたくし、こちらの世界にはまだあまり慣れていないもので……。案内していただけると、すごく助かります」
 予想外の反応に、一瞬顔を見合わせる男たち。
 頭の悪い娘なら、それはそれで好都合と、凶暴なその顔に下卑た笑いを浮かべて、娘との距離を狭めていく。男たちの視線は彼女の足元のスーツケースと、扇情的なスリットからのぞく白い脚に注がれていた。
「――おいッ!」
 不意に響き渡った新たな声に、男たちの動きが止まった。
 みそのを追いかけてきた、今野篤旗だった。
「……まったく、こんなとこにおったんかいな、君は!」
 怒ったような顔で、つかつかとみそのに歩み寄る。
「ずいぶんと探したで。あれだけ一人でうろついたらあかん言うたやろ、ほんまにもう!」
 そして、きょとんとしているみそのの白い手を強引に掴んで、周りの男たちに愛想笑いを浮かべる。
「僕の連れが面倒かけてすんません。ほな、僕らはこれで」
「待ちな、兄ちゃん」
 そそくさとみそのを連れて立ち去ろうとする今野の前に、男たちが立ちふさがった。
「その姉ちゃんの道案内は俺らがするって決まったんだよ。怪我したくなかったらとっとと消えな、ああん?」
 今野の胸倉を掴んで顔を近づけると、ドスの効いた声で威嚇する。
 今野は、うんざりしたような、深い溜息をついた。
「こういうの、あんまり好きじゃないんやけどなあ……」
 そして男の太い腕を掴むと、そこから男の体熱を奪っていく。
「う……あ……あぐっ……!」
 体が内側から凍りついていくような感覚に、男は苦鳴をあげて、その場にくずおれる。
「なっ……何しやがった!?」
「この野郎!」
 男の仲間が血相を変えた。
 ろくでもない連中だが、殺すわけにはいかない。こうなったら、ほんの少しの間、体が動かせなくなる程度に熱を奪うしかない。
 覚悟を決めて、今野が身構えた刹那――。
 背後にいた男の一人が、鈍い打撃音とともに倒れこんだ。
「なっ――!」
 そちらを振り向いたもう一人の男の首筋に、見事な軌跡を描いて蹴りが決まった。
 どう、とだらしなく地に伏せた男たちを忌々しげに見下ろしながら、黒月焔は赤い髪を面倒くさそうに掻きあげた。
「……まったく、手間のかかる奴らだぜ」

■#3 呪われた口紅

「それで、あんたもあの口紅を狙ってるのか」
 運ばれてきたコーヒーに口をつけて、焔は尋ねた。
 みそのは小さく頷き、
「あの口紅ならば、『あの方』に気に入っていただけるかと思ったもので……。それで服装も、口紅に合うように、こういう感じに……」
「ま、あんたの事情は知ったことじゃねえが、街中でそういう格好で歩くのはやめたほうがいい。大金を詰め込んだスーツケースを片手に持ち歩いて、街の中で開くような真似もな。この街にゃああいうハイエナみたいなクズは大勢いるんだ」
「でも、道案内してくださるとおっしゃっていましたよ。いい人たちではないのですか?」
 その言葉に呆れる焔、頭を抱える今野。
(どーすんだよ、こんなの拾っちまって)
(いや、どうする言われても……せや、この人にも協力してもろうたらどうでしょう? 僕ら的には、あの口紅が誰の手に渡ろうと、その経緯だけ取材できれば問題ないわけやし……)
(ま、そりゃそうだがな……)
 そして二人は、みそのに向き直った。
「とりあえず、俺たちもあんたに協力するよ。あんたが俺たちの調査に手を貸してくれるなら、口紅をあんたに譲ってもらえるよう交渉してもいい。ただし、口紅をつけた後で、何が起こってもいいって覚悟はできてんだな」
 こくり、と頷くみその。
「……もう一度、これまでの調査結果を整理してみましょう」

 麗香からの依頼を受けて、まず今野はネットオークションのサイトを運営している企業に問い合わせた。
 通常、ネットオークションは、出品される品がその会社の手に渡り審査を受けることはない。
 出品者がサイトに商品の写真と情報を載せ、そのサイトを見た他の客が提示金額よりも大きな額を入札する。
 そして出品期間中にもっとも高い値段を入札した者が落札者となり、そこから先は出品者と落札者の間での取引となる。
 企業側は、オークション参加者の個人情報を明かすことは出来ない、と情報を出すことを渋ったが、落札者に関しては、金銭でのやりとりにおいてトラブルが発生する事を防ぐためにある程度の個人情報はオープンになっていた。
 そこから得た個人情報を元に、焔が情報屋を通じて、落札者の正確な本名・住所などを割り出した。
 ……それが、片桐茜だった。
 茜の父は片桐東洋紡績という一部上場の会社を経営しており、茜は裕福な家庭で何不自由なく育てられた娘だった。父親は娘に対して特に甘く、頼まれればどんなわがままでも叶えた。それがたとえ、四百万もする口紅を買ってやることであっても。
 それから二人は、茜の行動を影ながら監視しつづけてきたのだった。

「しかし、あの娘について調べれば調べるほど、胃がむかついてくるぜ」
 吐き捨てるように焔は呟いた。
 表面上は優等生の顔をしつつ、取り巻きを従え、影ではクラスメートへの執拗ないじめやいやがらせを当たり前のように繰り返している。噂では、数ヶ月前に自殺したとある女生徒も、彼女のグループからやはりいじめにあっていたらしい。
「災いを呼ぶ口紅とやらが本当なら、ちょうどいい天罰だ。さっさと塗って欲しいもんだがな」
「……今んとこ、口紅を塗った様子はなさそうです。彼女の手元に出品者から口紅が送られてきたのは間違いないんやけど……」
 出品者がどういう人物なのか、興味を持った今野は、宅配便の送付記録から、口紅を送った人物の住所を割り出した。しかし、実際にその住所を訪ねてみると、まったくの架空の住所、架空の人物名であることがわかった。
「とまあ、俺たちの調べたことはそんなところだ。……あんたはどうやってあの口紅のことを知った? 何故片桐茜の元にあの口紅があると?」
 焔の問いに、みそのはまた、淡い微笑を浮かべた。
「わたくしは、波動をたどってきたのです」
「波動?」
「……はい。わたくしは、あらゆる力の『流れ』を感じ取ることが出来るのです。その代わり、この瞳はほとんど見えませんが……」
 特殊な能力を持たない一般人であったなら、彼女の話を一笑に付すところだろうが、焔も今野も、それぞれが特異の能力を持ち、またこの世ならぬ者とも日常的に接する機会が多い。それ故にさほど驚いた様子も、疑うような様子もない。
「あの口紅のことは、『あの方』から聞かされました。
 遠い昔、己の美貌に固執し、永遠の美を手に入れようと目論んだハンガリーの女貴族が、自らの領土の処女(おとめ)たちをことごとく狩り集め、日夜殺戮の悦びにふけり、その生き血で湯浴みをしていたことがあったそうです」
「ハンガリー……チェイテ城の城主、エリザベート・パートリーの事だな」
「そうです。彼女はまた、ウィーンから呼び寄せた職人たちに、老いを逃れるための新たな化粧具の開発をさせていたそうです。そして職人たちは、処女の生き血を混ぜ込むことでこの世ならぬ美をもたらす口紅を完成させたのです。職人たちは処女たちの怨念を宿したその口紅を、『災厄の紅』と名づけたといいます」
「その後、エリザベートの残虐な行いは国王の知るところとなり、彼女は裁判の後幽閉されてその3年後に死んだ……もしかすると『災厄の紅』の名は伊達じゃなかったのかもしれねえな」
「せやけど、そのエリザベート……なんとかが作らせた口紅って、現代にまだ残ってるもんですのん? 口紅がリップスティックの形になったのだって、つい最近のことやって、前に何かの本で読んだことあるけど」
「もちろん、その当時の『災厄の紅』は、魔術の道具とみなされて、全て焼かれました。でもその製法は、今もまだ密かに受け継がれている……呪詛という形で」
 それはつまり、誰かが誰かを呪う為に、その『災厄の紅』を復活させたということだ。そして口紅を作った者がネットオークションを通じて、その相手が口紅を手に入れるように仕向けたとしたら。
「もう一度、出品者の身元を洗ってみたほうがええかもしれませんね。おそらく出品者は、片桐茜と何らかの接点を持っている」

■#4 復讐(パーティー)の始まり

 港区にある、某巨大高級ホテルの一角。
 腕時計を見ると、時計の針は間もなく7時を差そうとしていた。
「……もう始まってまうな……」
 礼服姿に着替えた今野は、慌しく人が行き交うロビーを見まわしながら、呟いた。
「それにしても、流石は一部上場、大したもんや」
 そこへ、やはり礼服に身を包んだ焔と、こちらは黒のチャイナドレスのまま変わらないみそのが共に現れた。
「よう似合うてはりますよ、黒月さん」
「勘弁してくれ。こういう格好も、こういう場所も俺は苦手だ」
 みそのは何も言わずに、ただ微笑んだだけだった。
 ロビーに面した階段を上がるとすぐ大ホールがあった。そこでまもなく片桐東洋紡績の創立三十周年記念パーティーが開かれる。
 そのパーティーに社長である片桐剛三はもちろんのこと、娘の茜も出席するという情報を掴んだ三人は、焔の裏のコネを通じて招待状を入手し、パーティーに出席することにしたのだった。

 その時、降りてきたエレベーターの中から、スーツ姿の男たちに付き添われて、恰幅のいい初老の男――片桐剛三と、青いパーティードレスを身にまとい、その唇に鮮烈な紅を纏わせた、片桐茜が降りてきた。
 彼女を一目見て、周囲から、おお、という声が波音のようにあがる。片桐茜という少女自身も整った顔立ちはしている。だが主催者の令嬢であることを差し引いても、これほどまでに周囲の目を魅了する所以は、まさしくあの『災厄の紅』が持つ、見るものを惹きつけずにはおかない魔力であった。
 事実、今野はもとより、それまでその値打ちに対して懐疑的であった焔までもが、茜から――正確には、茜の唇から――目をそらすことができずにいた。
 とん、とみそのの手のひらに軽く肩を叩かれて、我に返る焔と今野。
「あれが、『災厄の紅』。確かに、尋常な代物やない……」
「果たして、どのような災いが起こるものか。しっかりと見どけさせてもらうとしよう」

         ※         ※         ※

 もうすぐ、時が来る。
 復讐の成就する瞬間が。

 ……由佳はたった一人の、かけがえのない家族だった。

 記憶のはじまりは、幸福な風景だった。
 暖かい笑い声に満たされた、居心地のいい部屋。
 父がいて、母がいて。その大きな二人の間に、僕がいて。そしてそのうち、その隣に由佳が加わって。
 人は一生のうちに、心から『幸せだった』と思える時間を、どのくらい持つことができるのだろう。
 僕にとって、その記憶の中の風景は、ありふれたものだったけれど、心から幸せで、大切なものだった。

 暖かい部屋の温かい空気が淀み始めたのは、いつのことだったろうか。
 それは次第に確固たる不安へと姿を変え、そして絶望と悲しみにとって変わる。
 まだ子供だった僕には、父と母が笑わなくなった理由がわからなかった。
 父と母が、僕達を抱き寄せてくれなくなった理由がわからなかった。
 父と母が、僕達の食事に毒を混ぜた理由がわからなかった。
 父と母が、スープに顔を浸したまま、冷たい骸となっていった、その理由がわからなかった。

 僕と由佳は、たった二人の家族となった。
 親戚中をたらい回しにされて、時に冷たく扱われた。
『事業に失敗し、無理心中を図った夫婦が、この世に残していった厄介者の兄妹』として。
 それでも、僕達は強くなれた。どんなに辛いときでも、僕と由佳はお互いに支え合って、苦労にも耐え、生き抜いてきた。
 由佳は僕を心から慕ってくれていた。
 そして僕は由佳の優しさ、暖かさに救われていた。
 僕にとって由佳は、あの頃の風景の、たったひとつ残ったかけらのようなものだった。

 絶望は、ある日唐突に訪れた。
 仕事から疲れてアパートに戻ると、台所で由佳は物言わぬ骸となって天井からぶら下がっていた。
 目の前が真っ暗になるような絶望というのは、本当に存在するのだと、僕はその時はじめて理解した。その瞬間はただ涙も流れず、ただ呆然と変わり果てた由佳の姿を見つめ、その名前を呼びつづけることしかできなかった。

 由佳が残した遺書。
 そこには、クラスメート達の執拗ないじめといやがらせで、彼女の心が追い詰められていく様子が、痛々しく書き記されていた。
 最初は、他愛もない悪戯から始まった。靴や教科書を隠され、机に落書きされ、椅子に画鋲がばらまかれ。
 次に言葉の暴力。彼女自身に対する罵詈雑言、根拠のない嘘、そして僕達を残して逝った両親に対する愚弄。
 やがて、それは人目のつかないところで振るわれる暴力へとエスカレートしていった。放課後の教室で、体育館の片隅で、女子トイレの中で。同じ歳の女生徒たちの手によって、幾度も、幾度も、執拗に。

『ごめんなさい』。
 遺書の最後に、薄く消えそうな文字で、そう書いてあった。
 僕はその時、初めて自分の愚かしさを悔いた。
 僕はまた、何も理解できていなかった。
 父のことも、母のことも、由佳のことも。最後の最後まで、わかってやれなかった。

 生きる為の支えの全てを失くして――。
 僕がその時すがりついたのは、『憎しみ』だった。
 由佳の遺書に記された、彼女を虐げつづけたクラスメートの名前。
 ……片桐茜。
 片桐東洋紡績の社長、片桐剛三の娘。
 そして片桐東洋紡績こそ、両親が経営していた工場を卑劣な手段で倒産に追い込んだ会社だった。
 全ての絶望は、あの父娘の手によってもたらされたものなのだ。
 ならば。

 僕は、父の遺した遺品の中から、その古書を紐解いた。
 そこには、生前の父が冗談混じりに話してくれた、呪いの口紅の製法が記されていた。

 そして、僕は、己の憎悪に身を委ねた。
 ……呪って、呪って、呪いぬいてやる。
 この憎しみで、奴らの人生の全てを、絶望の色に塗りつぶすまで。

          ※         ※         ※

《それではただいまより、片桐東洋紡績株式会社、創立三十周年記念パーティーを始めさせていただきます》
 さも晴れがましいと言わんばかりの司会の声が、高らかとホールに響き渡る。
 七色の照明がまばゆく煌く中、片桐茜は『災厄の紅』を唇に纏わせて誇らしげに微笑むのだった。
 未だ、己の身に降りかかるであろう、災いを露とも知らず。

■#5 災厄の紅

 パーティーは、司会進行の元、社長である片桐剛三の挨拶、株主代表からの挨拶、提携企業からの挨拶、と滞りなく進んでゆく。
 事あるごとにホールを七色の照明が飛び交う演出にもいいかげんうんざりしてきてか、贅沢だが下品な光の使い方だ、と焔は眉をしかめた。
 今野は運ばれてきた料理に適度に手をつけつつ、周囲を冷静に見回し、一方みそのの方は剛三と同じ、司会に最も近いテーブルに座る茜を、じっと見つめている。
 一通りの挨拶が済んで、『ご自由にご歓談下さい』と司会の声が告げると、客達はテーブルの呪縛から開放されたかのように席を立ち、ホールの中を行き交いはじめた。
「さて」
 みそのと焔が席を立った。
「参りましょうか」
「まいる……って、どこへ?」
 今野の問いに、サングラスを外しながら焔が答えた。
「決まってんだろう。――取材、だよ」

          ※         ※         ※

「流石、片桐社長の娘さん」
「まだお若いのに、まるで大輪の薔薇のようにお美しい」
「羨ましいものですな」
 茜を取り囲み、賛美する客たちの声はとどまるところを知らなかった。
 最初のうちこそ、周囲の注目が自分に集まることを快感に感じ、優越感に浸っていた茜であったが、次第に父の会社の晴れの席とはいえ、見知らぬ相手に愛想笑いを浮かべ続けねばならないことにうんざりしはじめていた。

(何よこれ。ちっとも面白くない。寄って来るのはおっさんとかばっかりだし。パパは私をほったらかしで仕事の知り合いとばかり話してるし。こんなんだったら美紀や智子達と騒いでるほうがよっぽどマシだった)

「まだ十七歳とは思えませんなあ。大人びて、しっかりしていらっしゃる」
「うちの娘にも見習わせたいものです」

(……私、何故こんなところにいるんだろ。最初は、そう、この口紅の色を、皆に見せつけたかっただけ。でも、なんかもうどうでもよくなってきたわ。これじゃ動物園の猿と変わらないわ、見世物の猿)

「それにしても、お美しい……ついつい見とれてしまいますよ」
「本当に。特に、その口紅の色が鮮やかで……」
「そうそう、こんな綺麗な色は初めて見ましたわ」

(もういいじゃない、そんなこと……。うるさいのよ。見ず知らずのあんたたちに誉められたって、ちっとも嬉しくなんかない)

「やはり片桐社長の娘さん、お父様ゆずりで大変いいセンスをしていらっしゃる」
「そのドレスも、よくお似合いで……」

(うるさい。片桐の娘、社長の娘。だからセンスがいい? パパのあの服装のセンス、最悪よ。あんたたち、何を見て言ってるの? 私の何を見てるっていうのよ?)

「それにしても、美しい口紅の色ですな……」
「四百万円もされたとお伺いしましたが……さすが片桐社長、金の使い方をよく知っていらっしゃる」
「お嬢様はお幸せですなぁ」

(私、こんなところで何をしてるの。この人たちは、何を言ってるの。私のことなんか何も見ていないくせに。この人たちにとって、私は、『片桐の娘』で、『四百万の口紅で飾られた娘』。それだけなんだ。誰も私自身を見てはくれない)

《そう、お前は無価値だ》
 不意に、会場に不気味な声が響き渡った。
 はっとして、ホールを見まわす茜。
 しかし――驚くべきことに、ホールにいる客たちは、誰も驚いた様子も見せず、何の変化もない。
《お前はそれだけの値打ちしかない人間なのだ、片桐茜》
 その声は、茜にしか聞こえていないのだった。
 みるみる、茜の傲然とした表情が、恐怖の色に歪む。
《考えてみたことがあるか。自分がもし、片桐剛三の娘ではなかったら。その口紅のように、自分を飾ってくれるものがなかったら、自分には何があるのか、と》
「う……うるさい……」
 怯えながら、震えながら、ぶつぶつと呟き出す茜。
 そんな表情の変化にも、彼女の美に対する賞賛に夢中になっている周囲の客たちは気づかない。
《そうだ。お前には何もない。お前にもわかっているはずだ。お前をお前たらしめているのは、所詮父親の力に過ぎない。そしてお前の父親は、他人を犠牲にし、踏み台にして富を得てきた。お前たちの世界は、所詮何の値打ちも持たぬ、虚栄に過ぎない》
「……聞きたくない……黙ってよ……」
《そしてお前は、その不安から逃れるために、クラスメートにその憤りをぶつけた。陰湿な嫌がらせと暴力を繰り返し、自分の強さを誇示することで、自分の価値を自覚しようとした。
 ――そして、宮塚由佳を、死に追いやった》
「うるさい、うるさい、うるさいっ……」
《お前は、父親と同じだ。何も変わっちゃいない。他人を犠牲にすることで己を満たす、浅ましい輩》
「私は……。私は……。私はッ……!」
 自分にしか聞こえないその声と、周囲の者たちの虚飾に満ちた賞賛の声。それは混沌と入り混じり、奔流となって、彼女の脳裏に響き渡り、埋め尽くしてゆく。
 そして――茜の中で、何かが弾けた。

『――うるさいのよッ!!』
 茜は、張り裂けんばかりの大声で、絶叫した。
 その瞬間、客たちが一斉に沈黙し、彼女に向き直った。
『うるさい、黙れ、黙れ、黙れェェェェッ!!』
 狂ったように叫びつづけると、手近な席の椅子を両手で抱えあげ、テーブルの上に並べられた料理の上へ、力の限り叩きつける。
 破壊音とともに、悲鳴と怒号がホールに響き渡った。
「――茜!!」
 自慢の娘の失態に、蒼白となる剛三。
『あいつが、勝手に死んだのよ! 私には関係ない! 私のせいじゃないッ!!』
 頭の中の声から逃れようと、必死で絶叫し、周囲のテーブルも、人も、なぎ倒してゆく茜。
 その視線は虚空を漂い、恐怖に引きつり歪んだその表情は、哀れで醜い狂気を孕んでいた。
『私は、パパとは違う!! パパみたいな、人殺しじゃないッ!!』
 たまらず、剛三が絶叫した。
「――誰か、誰か、あの子を連れ出してくれ――ッ!」

          ※         ※         ※

 もはや、パーティーどころではなかった。
 錯乱した茜が連れ出され、客たちが去り、惨澹たる状況のパーティー会場に、三人の姿だけがたたずんでいた。
「災い……か」
 焔がぽつりと呟く。その右頬の、龍を模した刺青が、能力を開放したせいか、少し痛むような気がした。
 あの時、茜の脳裏に響いたあの声は、焔の肌に彫られた刺青――龍の瞳が生み出した幻覚だったのだ。
 今野が、足元に転がっていた口紅を拾い上げた。錯乱した茜が落とした、『災厄の紅』だった。
「みそのさん、これ」
 そう言って手渡す。

 会場に来る前に、彼らはこの口紅を作った一人の男と会っていた。
 男は片桐父娘への復讐の為にこの口紅を作り、茜がよく化粧品を落札するネットオークションのサイトに出品した。彼女が落札するであろうことを、最初から予測して。
 だが。『災厄の紅』の呪詛は、処女の生き血を混ぜ込むことで初めて完成する。
 しかし男には、それができなかった。
 憎しみに我を忘れていても、愛する妹の亡骸から、血を抜き取るような真似はできなかったのだ。

「本物の、『災厄の紅』とは、ちゃいましたけどね」
 それでも、この口紅には、見る者を惹きつけて離さない魔力が備わっていたのは確かだ。そしてそれは呪詛や怨念のもたらす超自然的なものではなく、これを作り出した男の才能故のものであった。
「いえ……きっとこの紅なら、『あの方』もお喜びになられると思います」
 大切そうに白い手のひらに口紅を包み込むと、そう言ってみそのは微笑んだ。
「それでは、わたくしはこれで」
 ホールを出ていくその後ろ姿を見おくりながら、今野はぽつりと呟いた。
「化粧のない、素のまんまの自分を見失ってしまうこと……。
 あの口紅の、ほんまの災厄って……案外、そういうことなんかもしれませんね」
 その言葉に焔は、
「やはり俺には、口紅の赤より、ワインの赤のが魅力的だよ」
 小さく肩をすくめると、サングラスをかけた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/  PC名   / 性別 / 年齢 /   職業    】
【 1388 / 海原・みその / 女性 / 13 / 深遠の巫女   】
【 0599 / 黒月・焔   / 男性 / 27 / バーのマスター 】
【 0527 / 今野・篤旗  / 男性 / 18 / 大学生     】

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■         ライター通信          ■
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 どうも、たおです(++
 のっけからアレですがかなりフラフラです。
 いいんか後書きがこんな脱力モードで。

 物語を書くときはいつも全身全霊を込めて書かせていただいているのですが、その分産みの苦しみっていうのも凄くて、今回は特にハードでした。何度書いても納得のいく形にならなくて。
 後書きでこんな泣き事かいてちゃだめだなあ、とは思うんですけどねー。
 で、必死になって、自分の納得のいく形になったときには、なんかすごいボリュームになっちゃってまして。
 燃え尽きたぜ……真っ白にな……(by 矢吹ジョー)って感じですね。
 ……って何がなにやら。

 とりあえず、こんな私めにご発注下さったことを心からお礼申し上げますと共に、一生懸命魂込めて書きましたので、少しでも気に入っていただけたら嬉しいです。
 また一眠りして回復したら、さらにもっともっと『ぐおーっっっ』ってな感じの話(擬音で表現するな)を書いていきたいと思っておりますので、ぜひ応援してやってください。
 またのご発注、楽しみにお待ち申し上げております。