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<PCシナリオノベル(シングル)>


その名はレギオン

「見つけたわよこの痴漢!」
朧月桜夜が発したその大音声が視線を集めなかった理由は、ひとえに其処に人の姿がなかったから、に他ならない。
 平日の昼近く、付近の憩いの場である広大な敷地を有する都営の公園に、人っ子一人、存在しないのもまた奇異である。
 …否、人、と呼んで差し支えなければ桜夜以外にはただ一人、敷地内に立つ者が居た。
 黒革のコートを纏った見慣れて黒い姿、その、赤い瞳を晒して横顔を見せる青年。
「ピュン・フー、今日という今日は…ッ!」
桜夜は声の勢いのまま、一人立つ青年の名を呼びながら猛進した。
 だが、これでもかという存在感を、ピュン・フーは全くに意に介さない…今までにない、無反応に桜夜は訝しげに足を止めた。
 感じた違和感は、トレードマークの如くいつでも頑固に顔に乗る円いサングラスの不在、それだけではない。
 晒された瞳の真紅にも口許にも、常に楽しげで…そし物問いたげな微笑みの欠落した、完全な無表情。
「ピュン……」
もう一度名を呼んで、足を踏み出しかけた桜夜を遮る形で水平に伸ばされた白い杖。
「何、居たのアンタ」
甚だ無礼な桜夜の言を意に介した風もなく、瞼を閉じたまま、金髪碧眼の神父は静かな笑みで肩越しに振り返った。
「その声は……桜夜さん、と仰いましたか」
言い、盲目を示して白い杖先を芝生の緑に突き立てた杖の前…桜夜の前に立ちはだかる、位置に移動する。
 穏やかな微笑みのまま阻むヒュー・エリクソンに、桜夜は端的に要求のみを告げた。
「どいて」
「……どうなさるつもりですか?あぁ、お別れならばまだ間に合うかも知れませんね。アレに、意識がまだ残っているだろう今のうちなら」
ヒューの変わらぬ笑みに、桜夜は柳眉を顰めた。
「起きたまま夢見てんじゃないわよ……って、何アレ」
桜夜の語尾だけを受けて、ヒューは答える。
「ピュン・フーですよ、桜夜さん……まだ」
 神父の背後に、人の、ピュン・フーの形をしてただひたすらな…暗黒。
 風景を存在感を切り落として、無造作に配したような空虚でありながら、桜夜の感覚に圧力すら感じさせる闇の濃密さは…今までにない、焦燥めいた危機感で肌を粟立たせる。
「まだ?」
訝しく、その語尾のみを鸚鵡返しに問いとした桜夜に神父は答えた。
 笑みも口調も変えないままで、事も無げに。
「その名をレギオンと呼ばれる事となりますが」


「何ソレ。サイッテーのネーミングセンス」
鼻の頭に皺を寄せて、すっぱりと桜夜が切り返すのに、ヒューは忍耐強い教師が聞き分けのない子供のどう道理を含めるか考え込む、そんな風に見えぬ眼差しに閉じた瞳を伏し目がちにした。
「貴方がこの場に居合わせたのも主の御心によるものでしょう……」
ヒューは胸の前で十字を切る。
「主だのなんだのからのホットラインじゃなくて、『IO2』からの情報よ。もうとっくにここは封鎖されてるケド、とっとと逃げればァ?」
桜夜は立てた親指を勢いよく下に向ける。
「ご心配には及びません」
そう、微笑む神父に「誰も心配なんかしてないっての」と毒突いた桜夜の言を、かろやかに無視するヒュー。
「情報を流したのは『虚無の境界』ですから。試用に際して人目が邪魔だったんです。時には『IO2』も便利ですね」
「アタシだって使えるモノはなんだって使うわよ……でも、彼がいいようにされるのは我慢がならないわ」
「彼、ですか」
 ヒューの言い方に含みを感じて桜夜は鼻の頭に皺を寄せた。
「霊鬼兵、というものは」
一旦、ヒューは其処で言葉を切り、桜夜から制止がかからないと見て続ける。
「人と機械……場合によっては動物、とを繋ぎ合わせて作られるそうですが、制御の為に核には人間の部品が必要だと聞きます」
「ふーん……それが、何だっての?」
気のない風で、桜夜は鼻から声を発した。
「御託は関係ないの。アレ放っといたらどうなるっての?つーか、アンタ達はああなっちゃったアレをどうするつもりなの?」
苛烈な怒りが、その眼差しを更に鮮やかな火色で満たす。
「レギオンとは、六千人からなる軍の単位です。魂は別として吸血鬼は……こと、銀と陽光にまで耐性を持つジーン・キャリアは素体として素晴らしいですね。アレの心臓を核とする怨霊機で一時的に実体化させるのではなく、怨霊に血肉を…免疫抑制剤を断ち限りなく吸血鬼の不死に近づけたアレを苗床に、実体を与えて放てば、導き手を見失って久しい我々の贖いがどれだけ具現する事でしょう」
ヒューの言う贖い…現世での恐怖と苦痛、それによってこそ生を重ねるに知らず汚れた魂が救われる、その盲信的な思想。
「御託はいいって言ってるでショ?話が長いのよ……アタシは焦らすのは大好きでも、焦らされるのは大っ嫌いなの!」
ふうわりと、桜夜の髪が風を受けたかのように浮かび上がる…霊力の淡い光に縁取られながら。
 それに漸く気付いてか…ピュン・フーがゆるりとした動作でピュン・フーが桜夜に顔を向けた。
 夢から覚めきらない、そんな風で幾度も瞬く真紅の瞳に、桜夜は同色の眼差しを据えたまま端的に、神父に言い放った。
「そこ、どいて」
要求に応じなければ実力を行使する、それを言下に示してゆっくりと足を踏み出す桜夜に、ヒューは見えぬ碧眼を眩しそうに細め、道を譲る形で身体の位置をずらす。
「かつて神の子は、六千の悪霊に憑かれて苦しむ男に救いを与えられました…貴方にもそれが可能でしょうか?桜夜さん」
「救う…か。要するに怨霊機を止めればいいのね?止めたら…ピュン・フーは助かる訳?」
神父は変わらぬ…いっそ慈愛にさえ満ちた微笑みで、すれ違う桜夜に小さく十字を切った。
「それが天なる父の御心に適うのであれば」
見えないと知って居ながら、桜夜はヒューの台詞に思い切り舌を突き出した。


 桜夜は、何気ない風でピュン・フーの前に立ち、その名を呼んだ。
「ピュン・フー、」
「……桜夜、じゃん」
呼び掛けを遮る形で、乾きに掠れた声が桜夜を呼ぶ…常にはただ黒いばかりの姿形に相反して、動きの大きさに示す気性の明るさすら、ない。
「どしたんだよ……なんかまた、すげぇカワイイじゃん」
眠そうに、重そうに目を二、三度瞬かせる青年の微かに笑みを含んだ言に、桜夜は内心の安堵に息を吐いた。
「そりゃそうよ。ピュン・フーがここに居るって聞いて来たから、大急ぎでおしゃれしたの。ど?似合うわよね」
そう、くるりとその場で回ってみせる。
 ワンピースの白い光沢のある生地はすらりとした桜夜の肢体に添い、腰の切り替えに多く取られた生地は自然なドレープに優美に流れて、背には図案化した十字架を負う。
 当然の如く、メイクも爪と髪の手入れも完璧だ。
 問いでありながら肯定を求める桜夜に、ピュン・フーは今度は明確な笑いに肩を揺らした。
「ん、相変わらずイイ女……」
「ピュン・フーは相変わらずヒトの話聞いてないのね……それにナニ。随分みっともない格好じゃないの」
立ち位置をずらして身体の正面を桜夜に向け、ピュン・フーは緩慢に両腕を上げた。
「……似合わねぇ?」
「そういうプレイが好きだってんなら止めないけど。いつものとスタイルが違うんじゃない?」
その両の手首を戒める、手錠。
 その身を縛る、その意味で即物的に、そして象徴的に。
 不意に、ピュン・フーがきつく眉を寄せて目を閉じた。
「何度も逃げろって言ってんに…聞き分けねぇなぁ」
会話の流れに関係のない唐突な言、洩らした溜息に痛みが混じる、意味を問う、その間もなく。
 目の前で、ピュン・フーの膝が落ちた。
 咄嗟、差し延べようとした手は他ならぬピュン・フーの手によって払われる。
「行け……って」
 眼前でベキバキと、急激に成長する骨格が嫌な音を立てて、弾けるように…まるで何かが羽化、するように黒革のコートの背を迫り上げ破り、拡がる一対の皮翼。
 だが、常の倍はあろうそれは、飛ぶ目的のそれではない…実際にピュン・フーはその重さに抗するがやっとか、堪える息に声さえも許されず、シャツの胸元の生地を強く掴む手が白くなるほどに力を込める。
 左の胸、心臓の位置から赤黒い靄、のような物が立ち上るのを、桜夜の目は捉える…死してその自我を失い、ただ血を欲するのみに汚れた魂が纏うのと、よく似た。
 そしてその皮翼。
 骨の間に滑らかな天鵞絨を思わせる質感の皮膜が、禍めいて形を変え続ける模様に波打つ…それは、現世に届かぬ怨嗟を叫び続ける、死霊。
『何故死ンダ何故生キテイルソノ生ガ恨メシイソノ命ガ欲しイ欲シいホしイホシイィ…!』
 生きとし生ける、全てに対するその怨念は、眼前にただ一人…生きる者である、桜夜に向かって叩き付けられる。
「そりゃ容姿端麗、眉目秀麗、ぴっちぴちにいつでも旬!なアタシが美味しそうなのは仕方ないケド。あっちにちっとも行かないのはどーゆーワケ?」 
あっち、と距離を置く神父を指差す。
「私には神のご加護がありますから……」
胸の前に十字を切って、天に感謝の祈りを捧げるヒューに「あっそ」と半眼に声を投げ、桜夜はまるで彼女に祈りを捧げるかのように膝をつき頭を垂れ…痛みを堪える、ピュン・フーを見下ろした。
「情けないなァ、怨霊ごときに食われるの?男ならもうちょい根性見せなさいってのよ」
答えはない…答え、られないのか。
 変化は続いている。
 胸元を掴んだままの指の爪が金属の鋭利さで伸び、皮膚を抉って血を滴らせて尚止まる気配はなく傷を広げるのに、生地を裂いて地に叩き付ける拳で痛みと転倒とを堪えるに両の手首を戒める鎖が金属音を立てて張った。
 裂けたシャツの下、心臓の位置に醜く走る手術痕は目に見えて大きく脈動し、内からじわりと皮膚を爛れさせて行く。
「そんなんじゃいい女にもぺぺいっと捨てられちゃうぞ?」
 軽口に淡い微笑みを彩るのは、哀れみでなく、哀しみ。
「……そ、りゃ…………困……」
息を継ぐも困難であろう…が、切れ切れな答えはまだ、ピュン・フーの意識が壊残しきっていない証拠だ。
「ね、ピュン・フー……アタシね、実家神奈川の方なんだけど……自分の身体とか運命とか、生まれてからこっち叶わないと思い知らされるような事ばっかり押しつけられてさ。正直、ヤんなってたの。イロイロ。けど、自分の意思でこっちに出て来て……凄く、人にね。いっぱい出会えて形のあるなしじゃない、色んなモノ貰って……あぁ、なんだか上手く言えないケド。アタシの好きな人に、返してあげたいの、そんなモノを」
 言いながら桜夜はふわりと…前面に深いスリットの入っていたスカートを広げてその場に膝を折った。
「可能不可能あるけれど、望みがあるなら……全力で叶えてあげる」
 芝生の緑に、白く…布地は光沢にするりと円に拡がる。
「……さあ、どうして欲しい?」
スリットから覗く白い膝頭に頬杖を突き、桜夜はピュン・フーの顔を覗き込むように、首を傾げた。
 きつく閉じられたままの、眼が開く…その真紅は眼窩が血で満たされたようにただ一色に染まって、眼差しを失わせる。
「………桜、夜……」
名を綴る口許に白く、犬歯が伸びかけているのが見えた。
「苦……し……」
ギリ、と途中で強く唇が噛み締められた。尖った牙が裂いた口の端にまた新たなる鮮血が伝うに、ゴボリと、上部で異音がした。
 皮翼が主の意思に関係のない、それどころか筋肉や骨を全く無視して好き勝手に狂惑めいた動きで…赤黒い肉の塊を吐き出した。
 重力に従って落ちる、かに見えたそれはだが中空で止まり、ぐるりと一回りすると血にまみれた人の首、となった。
 黒目の存在しない白い眼窩に獣めいて並ぶ短い歯の鋭さをガチリと噛み鳴らす。
 それだけではない。
 手が、首が皮翼の内から抜け出そうとする滑稽な動きでその宿りとしている皮膜を裂き、傷つけ、血を流す。
 あまりの苦痛に意識を閉じる事も許されないのか、驟雨の如き自らの血で身体を濡らしただ、ピュン・フーは土を掴むしか、出来ない。
「分かった」
桜夜は小さく頷いた。
 その間に、血肉を得た怨霊は手近な獲物…桜夜へと歓喜に似た叫びに喰らいつこうとする。
「煩いのよ」
だが、その一声だけ…桜夜の纏う光は圧力さえ持って接近を許さなかった。
「静かにしてて……不粋もいいトコよ」
軽く腕を払う。
 動きに併せて走った白光が刃のように、新たな生を受けたそれを両断した。
 それを静かに認めた桜夜の表情はなく、ただ静かに澄んだ紅の瞳。
 桜夜は、血溜まりの内に膝を進めた。
 深く項垂れ、浅く早い呼吸に胸を動かすのみのピュン・フーの首後ろに右手で触れた…体温の低さにひやりとした感触。心臓の脈動に反して、指に感じる生の徴は弱い。
「ピュン・フー?」
名を呼ぶ。耳元で、囁くように。
 ピュン・フーが動こうとした…その首筋の動きが手に取って分かる。
 桜夜は空いた左手をくるりと手首の内側に掬うように回し…霊気を収束させて眩いばかりの光珠をその掌の上に現出させた。
「初めて、ホントの気持ち、聞いた気がする」
 それが残酷な救いを求めるものであれ。
 桜夜の動きは激しいものではなかった…流れるような動作にゆっくりとさえ、感じさせ。

 その掌の光珠を、ピュン・フーの心臓の位置に、撃ち込んだ。