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眠る歌
■序■
今宵この闇の中 強く抱きしめたら
眠れ 我の腕の中で
黄の大地の果て 蒼い海原に浮かぶ島国の向こうから
真白い陽が昇るまで。
赤い歌鳥は お前のために唄っているよ
ちりり、くるる、ころころと。
月刊アトラス編集部に匿名で届いた封書の中には、CD‐Rが1枚、便箋が1枚入っていた。
『 はじめまして 毎月アトラスを楽しみにしているものです
つい最近の怖い体験というか 不思議な話とCDを送ります
このCDは、わたしが通販であるアルバムを買ったら
一緒に届いたものです
でも変なんです
同じ歌だけが13曲も入っているんです
わたしが買ったCDのアーティストとは何の関係もないと思います
聴いたことのない歌声です
同じ曲を何回も聴いていたら飽きるし
何だか最後まで聴いたら良くないことが起きるような気がして
わたしは3曲目までしか通して聴いていません
気味が悪いです 』
今宵この闇の中 強く抱きしめたら
眠れ 我の腕の中で
黄の光は沈み 豊かなこの日も近くに終わるのだから
豊かな明日が来るのを夢見て
蒼い歌鳥は すべてのために唄っているよ
ちりり、くるる、ころころと。
「この差出人の懸念通り、良くないことは起きたわ」
碇麗香はCDと手紙を前にして、ビシとひとつのデスクを指した。
空席。
隣では三下が必死になって原稿を書いている。否、書き直している。
「三下くんの隣は安西くんっていううちの記者なんだけど、このCDを最初から最後まで聴いたの。このCDの記事を書くためにね。……で、次の日に車で事故。死んじゃいないわ。……昏睡状態だけど」
碇麗香の表情はいつもと変わらなかったが、その言葉と言葉の『間』には少しばかりの自責の念、そして不安のようなものが隠されているようだった。
「安西くんの事故がこのCDのせいなのか、このCDがそもそも何なのか。調べてほしいんだけど引き受けてくれるかしら? 三下くんに頼むのは最終手段にしておくつもりなの」
それは三下がCDの魔力の影響を受けると困るからなのか、ただ単に三下の原稿がまだ上がらないからなのか、三下の実力には勿体無いネタだと踏んだからなのか。
いずれにせよ、麗香はこのCDが持ち得る危険を問題にしないような人物を呼び寄せたつもりだったのは確かだ。
麗香の前にあるCD-Rは安価でよくまとめ売りされているタイプのものだ。黄金のレーベル面には何も書かれていない。
CDは少なくともこの場では、何も語ろうとはしなかった。
■ヴォルヴィックの眠り■
「うう、暑ィ、今日も暑ィ」
バチリとキャップを開け、ミネラルウォーターのボトルを傾ける。500mlのペットボトルの中身は一気に半分まで減った。
彼は武田隆之であり、カメラマンであり、だらしない35歳であり、流行りのバツイチであり、汗っかきだ。
ボトルから口を離し、ふいィ、という呼気とともに額の汗を拭う。今日の東京は春日よりで、それほど暑くはないのだが……隆之はだいぶ汗をかいていた。先が思いやられる。まだ忌々しい梅雨も始まっていないし、まして夏も来てはいない。だというのに、この、汗! そして今日引き受けてしまった、厄介かつ恐ろしい仕事!
「なんで引き受けちまったかねエ」
水の次は煙草だ。ぷかぷかと煙を楽しみながら、隆之は受け取ったCDを裏返したりまた裏返したりして、まじまじと見つめた。
人脈はあるので、調査はスムーズに進みそうだ。すでに何人かの音楽関係者と連絡を取った。持つべきものはコネ也。
「ん」
じわり、
これは冷や汗だ。
「なんだ」
じわりじわり、
ああ、背筋が寒くてたまらない。
……気がついてしまった。
CDの裏面を電灯の下で見ると、データが書き込まれているか否かがわかる。データ量のおおよその見当をつけることも可能だ。
しかし件のCDは、そのデータの足跡を見出すことが出来なかった。一瞬隆之は、麗香が間違えて生CD‐Rを渡してきたのではないかと勘ぐってしまった。麗香がそんな大それたミスを犯すはずもないが、確かにCDにデータは入っていなかった。データという形を持ったデータは、だ。
それでもこのCDは聴くことが出来る。
パソコンのCDドライブに入れても、CDプレイヤーに入れても、問題なく再生出来るのだ。
「だァから嫌だったんだよ、まったく。勘弁してくれよ、ホントに」
気味が悪い。
13回も聴けばおかしくもなるさ。
しかし引き受けてしまった仕事はプロとして果たさなくてはならない。
信用を失えばおしまいだ。特に隆之はフリーランスであるから、得意先をひとつ失うのも結構な痛手になる。
こんな薄気味悪い仕事を受けることになったのも、『ムー』系統の雑誌『月刊アトラス』が得意先のひとつであるせいなのだが。まったく、薄気味悪い写真を引き取ってくれるのは大歓迎だが、薄気味悪いものを押しつけてくるのは勘弁してほしい。
このCDは異常だ。テープに録音して聴くことにした。
今宵この闇の中 強く抱きしめたら
眠れ 我の腕の中で
黄の大地の果て 蒼い海原に浮かぶ島国の向こうから
真白い陽が昇るまで。
赤い歌鳥は お前のために唄っているよ
ちりり、くるる、ころころと。
流れてくるのは、心地良くも空恐ろしくもあるバラードだった。曲調はかなり独特なもので、異国の歌を思わせる。唄っているのは女だ。
13回も聴くつもりはなかったが、自然と隆之は何度も聴いてしまっていた。買ったばかりのデジカメと奮闘していたからだ。意識はハイテク機器と格闘していたが、脳はあの歌を聴き続けていた。お陰で、歌の魔力を身を以って知ることになった。
「全く、眠くなるって……キヤノンもどうしてこんな……面倒臭いほど機能つけるかねえ……やっぱりカメラはアナログに限るな……」
ゴトン。
パチリ。
「ぅおっち!」
どうやら一瞬、本気で眠ってしまったようだ。ついでデジカメは初めての1枚を収めた。なんたることだ、記念すべき1枚は東京の夕暮れにするつもりだったのに!
「ああくそ!」
なかったことにしようと、取扱説明書を慌ただしくめくり、隆之は初めての1枚を削除するべくプレビューボタンを押した。映っていたのは、いやになるほど雑然とした(しかし、不思議とどこに何が置いてあるのか覚えているものだ)自分の作業台。
ん。
じわり、
またしても、冷や汗だ。水を飲む必要はない。ヴォルヴィックよ、今日ばかりはお前の出る幕はこれ以上なさそうだ。
じわり、
こわごわと隆之は現実の作業台に目を戻した。もう一度、プレビュー画面に注目。作業台。画面。作業台。画面。
思わず椅子ごと作業台から離れた。ついでに、歌い続けるカセットも止める。
写っていなかった。
あの黄金のCDは作業台の上に置いてあるのに、デジカメはその姿を憶えていない。プレビュー画面のどこにも、件のCDが写っていなかった。
「まただよ、全く……」
一体いつになったら、こういう写真に慣れることが出来るのだろう。
そして、どうしてくれよう? 初のデジカメ写真が、このテの写真になってしまったとは。
■遠いその歌も近くに終わる■
どうやら必ずしもCDである必要はないらしい。隆之はそう考えた。あの眠気はデジカメがもたらしたものなのか、歌がもたらしたものなのか……この状況だと、どうしても推測の比重は後者に傾く。
やれやれと頭を悩ませる隆之に、救いの手が差し伸べられた。
携帯電話が鳴り響く。さきに連絡を取り、この眠る歌を聴かせた音楽関係者からだった。ぞっとしない内容の情報が隆之のもとに転がりこんできた。
「もうその歌を聴くな。絶対に聴くな」
唄っているのはメジャーデビューを間近に控えた東京の歌い手。
今はもういない。
CDがどこぞの月刊アトラス読者の手元に届いた数日前に、交通事故で死んでいる。事故現場は、都内某所。CDを送りつけてきた人物の住まいの近くだったのだろう。消印は事故現場付近の郵便局だった。
事故が起きたのは5月13日。
歌は、アラビアの古い子守唄だ。歌手自身が日本語に訳したらしい。
いい歌だ、聴いていると眠くなってくるほどに、いい歌だ……
「『リング』か、貞子か、まったくよ」
歌い手に悪意はないのかもしれない。彼女は純粋だった。純粋すぎて、人に影響を与えるほどに。ついには、大の大人を眠らせるほど心のこもった子守唄を、死後に紡ぎ上げた。
彼女はデビューの日を指折り数えて待っていたのだろうか。広くなったその世界で喉を震わせるその日を待っていたのか。厳しい現実を受け止めてでも、彼女は唄い続けることを願っていたに違いない。そして彼女はきっと成功した。何しろその想いは、現実どころか摂理までも捻じ曲げてしまうほどのものだったのだから。
隆之にも夢はある。
いつか、俺は得意先に媚を売らなくても充分やっていけるカメラマンになってみせる。それより何より、人間の心そのものに焼きつくような写真を写してみせる。そうだな、クロスワード雑誌の「当選者1名様」の景品を当てるってのもいい。ともかく俺には夢がある。あんたは「同じにすんな」と怒るかもだが、夢を持ってるっていう想いだけは同じだろう。大きさが問題なんじゃない、持った時点で誰でも同じなんだ。
夢ってものは。
彼女はその夢を掴みかけていた。
ただ、ささやかに夢を持ち続けている隆之と違い、彼女の夢を追う想いはあまりに強いものだったということ。
あのCDが写真に写らないのは当たり前だ。
あのCDは、彼女の想いそのものなのだから!
「あんたは悪くない。何も悪いことなんかしちゃいない。だから先に謝っとく。……悪く思わないでくれ」
苦しく呟き、隆之は手を伸ばした。
冷や汗を噴いたその手は、作業台のCDを掴む。無骨な手に力が篭もった。彼はこの世界を救う。世界の危機というのものは、まったく、こんな雑然とした家の、雑然とした作業台の上、汗ばんだ無骨な手の中にまであるものだ。
みしっ、
こ こ
こ
今宵
こ
今宵こ
今宵この闇の中
つ
つ つよ つよく 強く抱き締めたら
ねむ
ね
眠れ
眠れわ
わ
我 わ
わ わ わ
「赦してくれ、頼む!」
カセットデッキが、なおも唄おうとしている。「やめてくれ」と言うべきなのか。
CDは隆之の手の中で捻じ曲がった。
わ
わ
わた
わたし
う う
うた
うたって
わたし、うたっていたい
い
い
わ
わた
わたし――
ばきっ!
真っ二つに割れたはずのCDは、さらさらと銀の砂になり――粒子となり――この世から消え失せた。
思わず、わあッと悲鳴を上げながら、隆之はカセットデッキに組みついた。カセットを取り出し、磁気テープを残らず引っ張り出す。
目頭が熱いのは、なぜだろうか。
おそらくこれが何の解決にもなっていないことを、隆之は知っている。あのCDはこの世で1枚なのか。彼女の想いは、たった1枚程度なのか? 魔法にかけられてしまった隆之にはわかるのだ。彼女の力はそんなものではないと言うことを。
だがとりあえず、赦してくれ。
■おはよう■
安西は4日後に目を覚ました。
■唄は回り続ける■
困ったことに隆之のカセットデッキは、それからもまれにあの子守唄を唄うようになった。
置いておくのも買い替えるのも捨てるのも嫌だ。
(了)
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1466/武田・隆之/男/35/カメラマン】
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■ ライター通信 ■
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お待たせ致しました。モロクっちです。問題のCDが1枚しかないというストーリーの都合上、募集は4名様まででしたが完成する作品は個別という形になっております。各作品とのリンクはありません。
さて、武田様、はじめまして! 依頼は初めてでしょうか。東京怪談へようこそです。とは言え、わたくしモロクっちもまだまだ新参者なのですが。
わたしはかなりのオヤジ好きなため、楽しく書かせていただきました。描写等、ご満足いただけたでしょうか。
それとプレイング内の挨拶(笑)ですが、していただけると確かに嬉しいですけれども、プレイング文字数が勿体無いので省いて下さって結構ですよ。
お楽しみいただけたのならば幸いです。
それではまた、ご縁があればお会い致しましょう。
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