コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシナリオノベル(シングル)>


夜の呼び声
 板張りの床が、啼く。
 みしみしと。
 一〇〇年の怨嗟を奏でるように。
「‥‥ったく‥‥何やってんだ俺は‥‥」
 左手に懐中電灯をもった青年が呟く。
 巫灰慈。
 ここ、霧里学院の臨時講師だ。
 赴任したのは一週間ほど前。以来、ずっとこの旧校舎が気になっていた。
 なにか論理的でない、影のようなものを感じるのだ。
 とはいえ、馬鹿げた話ではある。
 巫はあくまで非常勤の講師に過ぎず、学校の運営や方針に口を挟むことなどできない。
 それ以上に興味もないはずであった。
 たとえ、学校内で行方不明事件がおころうとも。
 それがまるで猟奇殺人の様相を呈そうとも。
 彼は警察官でも探偵でもない。
 短期間で転属を繰り返す臨時教師だ。
 にもかかわらず、深夜の旧校舎に忍び込んでいる。
「我ながら、馬鹿なことしてるぜ」
 猫科の猛獣を思わせるような精悍な顔を、苦笑が飾る。
「だったら、こんなことやめればいいのに」
 不意に背後から声がかかった。
 女の声だ。
 やや慌てて振り返る巫。
 紅い瞳から放たれる視線に晒されて立っていたのは、同僚の女教師だった。
 佐伯紫。担当は体育で、空手部の顧問なども務めているアクティブ派だ。
 赴任してきたばかりの巫に、何かと世話を焼いてくれてもいる。
「ゆかり先生? なんだってこんなところに?」
「それはこっちの台詞よ。巫くん」
「えっと俺は‥‥」
 青年が言いよどむ。
 女教師が苦笑を浮かべた。
「ここは立入禁止よ。判ってるでしょう?」
「判ってるけど、なんか気になるんだ」
「あのねぇ」
 なんだか駄々っ子みたいだ。
「ホントに、ちょっと見て回るだけだから。見逃してくれ。このとおり」
 両手を合わせて拝んでみせる。
 なかなかに情けない構図である。
 むろん、紫としては巫に拝まれても嬉しくもなんともない。
「もう‥‥私も一緒に行くからね」
 それでも、溜息とともに承諾したのは、あるいは彼女も旧校舎に興味を持っていたからからかもしれない。
 それとも、他に理由があったのだろうか。
「多謝多謝」
 などと喜んでいる巫には、想像もできぬことであろうが。
 陰鬱な廊下を、二つの影が進む。


 それは、突然だった。
 懐中電灯の黄色っぽい光が、何かを照らす。
「なっ!?」
 驚く暇もあればこそ。
 醜悪で巨大な蜘蛛が、二人に襲いかかった。
 初手を回避することができたのは、巫も紫も反射神経に恵まれていたからだろう。
 二転三転と廊下を転がり、ふたたび蜘蛛と正対する。
「ゆかり先生‥‥この学校はずいぶん変なものを飼ってるな‥‥」
「ホント‥‥悪趣味よね‥‥」
 かすれた声で軽口を叩き合う。
 非現実感の極致だった。
 人間より二回りは大きい蜘蛛など、存在するはずがない。
 はずがないのだが、こうして目の前に居座って威嚇するように足と触覚を動かしている。
 じりじりと後退する巫と紫。
「‥‥どうする?」
「どうするもこうするも‥‥」
「やっぱり、檀将軍の故事にならうしかねぇよな‥‥」
「大賛成よ!」
 言うがはやいか、一八〇度方向転換して駆け出す二人。
 ようするに逃げを打ったのだ。
 ちなみに檀将軍とは、中国の南斉時代の武人である。
 無類の逃げ上手で、「三十六計逃げるにしかず」という言葉のモデルになった人物だ。
 檀公三十六策走是上計。
 というわけである。
 まあ、逃げるに際してこんなことを言っているあたり、さすがの教師根性というべきであろう。
 しかし、その余裕も長くは続かなかった。
 あっという間に巨大蜘蛛が追いすがってきたからである。
「くっ‥‥!」
 無念の臍をかむ巫。
 短距離走に関していえば、人間は地上で最も鈍足な生物の一つだ。
 もしも蜘蛛が普通の大きさなら話は別であるが、これでは逃げ切れるはずもない。
 もちろん、普通の大きさの蜘蛛から逃げる必要などどこにもないだろうが。
「仕方ねぇ」
 覚悟を決めて、青年が振り返る。
 勝算など薄紙一枚分もないが、背後から襲いかかられるてはひとたまりもないのだ。
 それに、
「ゆかり先生! 逃げてくれ! 俺が時間を稼ぐ!」
 同僚を巻き込むわけにはいかない。
 自分が囮になっている間に女教師を落ち延びさせるつもりだった。
 だが、紫の行動は巫の期待を裏切った。
「破っ!!」
 女教師が跳ぶ。
 大蜘蛛へと向かって。
「逃げてっ! 巫くんっ!!」
 跳び蹴りから、着地しての後回し蹴り。裏拳。正拳突き。
 息もつかせぬ連続攻撃。
 人間相手ならば、五、六回はダウンを奪っているだろう。
 さすが空手部顧問。黒帯は伊達ではないというところだ。
 たまらず大蜘蛛が後退する。
 チャンスだった。
 追撃ではなく逃走の。
 相手は人間ではなく化け物なのだ。深追いなどできるものではない。
 踵を返して走り出す。
 が、その足がもつれる。
「きゃっ!?」
 悲鳴を発して倒れる紫。
 足首には、ねとねととした糸が絡みついていた。
「ゆかり先生!!」
 巫が駆け寄る。
「バカ! 逃げて!!」
「んなことできるかっ!!」
 必死で手を伸ばすが、二人の相対距離は縮まらなかった。
 紫が蜘蛛に引き寄せられているのだ。
 やがて、彼女の身体は大蜘蛛に抱きかかえられるような恰好になった。
「くっ!」
 不安定な体勢から女教師が肘打ちを繰り出すが、ほとんど効果はなかった。
 嘲弄するような鳴き声をあげて、蜘蛛が後退してゆく。
「待ちやがれ!!」
 間髪を入れずに巫が追う。
 誰もいない旧校舎に、奇妙な追走劇が展開された。


「なるほど‥‥な」
 巫が呟く。
 旧校舎四階。時計塔の内部である。
 ここが巨大蜘蛛の根拠地らしい。
 張り巡らされた糸。各所に散らばるかつては人間だったものの一部。
 こみ上げる嘔吐感をねじ伏せつつ観察する。
 学園で相次いだ行方不明事件の犯人は、この巨大蜘蛛だったということだ。
 捕まらない道理である。
 まさか人外のものが介在しているなど、誰も思うまい。
「ゆかり先生を返してもらうぜ‥‥」
 むろん、解答など期待していない。
 ルビーのように紅い瞳で蜘蛛を射通す。
 人間の持つ力で最も強いのは、瞳だ。
 気圧されたら、そこで負けなのだ。
 挑発するように、怪物が足を振る。
「へっ‥‥歓迎の準備はおっけーってか‥‥」
 巫の唇が歪んだ。
 瞬間!
 掻き消える青年の身体。
 跳んだのだ。横へ。
 一挙動で壁際に取り付き、時計補修用の巨大なスパナを握る。
 追いかけるように伸びた糸を、次々に叩き落とす。
「どぉうりゃ!!!」
 気合いとともに投擲されたスパナが、直線の虹を描いて飛び、蜘蛛の左目に突き刺さる。
 響き渡る蜘蛛の絶叫。
「へへっ‥‥道具はまだまだあるぜ‥‥」
 呟く青年の手には、巨大なバールがあった。
 なにも馬鹿正直に素手で戦う必要も理由もない。
 ここは蜘蛛のホームグラウンドなのだ。
「人類が発生当時に肉体だけで戦ってたら、とっくに絶滅してたさ」
 嘯く。
 獅子の爪も、狼の牙も、象の巨体も持たぬ無毛の猿が地球の覇者になれたのか。
 それは、智恵の力だ。
 罠を作り、道具を活用する智恵。
 それあらばこそ、獅子も狼も象も、人間には勝てなかったのだ。
 もちろん、蜘蛛も同じだ。
 巨大蜘蛛が奸智をそなえていることは、追跡の途中で気が付いた。
 わざわざ案内するように本拠地まで「ゆっくり」逃走したこと。
 あの場で巫に手を出さなかったこと。
 さらには、紫の攻撃に怯んだ「ふり」をしたこと。
 すべては計算の上なのだろう。
 住処に誘い込んで嬲り殺しにするための。
 だからこそ、巫はその誘いにわざと乗った。
 戦いとは、つねに相対的なものだ。
 絶対的に強い必要などない。ようするに相手を一枚上回れば良いだけである。
「俺が誘い込まれた。そう思いこんだ時点で、てめぇの負けは確定してんだよっ!!」
 咆吼し、接近格闘を挑む巫。
 狂ったように振り回される足を巧みに回避しながら。
 つい先刻までなら、それは不可能ともいえる難事業だっただろう。
 だが、片目の潰れた蜘蛛の攻撃は、正確さと速度に欠ける。
 そこまで計算してスパナを投げつけたのだ。
「へっ! 人間様をなめんじゃねぇぜ!」
 振りおろされたバールが、蜘蛛の足の一本を叩き潰す。
 苦悶の声をあげてのけぞる大蜘蛛。
「そういう事よ!!」
 上体がそれたことで半ば自由を取り戻した紫が、正確極まる手刀で大蜘蛛の腹を貫く。
 このチャンスを、ひたすらに待っていたのだ。
 ふたたび絶叫をあげる怪物。
 足を拘束する糸を引きちぎり、巫と合流する女教師。
「ファファニールドラゴンと倒したジーフリードは、ただの人間だったぜ」
「ヒュドラを倒したヘラクレスも、やっぱり人間よ」
 交互に告げる。
 そう。
 怪物は人間に負けるのだ。
 空手の技とバールが、巨大蜘蛛を叩きのめしてゆく。
 どれほど強大な力を持とうと、どれほど魔的な存在であろうと。
「いまは、人間の世の中だっ!」
「アンタらの出る幕じゃないのよっ!」
 二人の声が闇を裂き、
 怪物の断末魔がそれに重なった。


 サイレンの音が近づいてくる。
 闇の中、紅蓮の炎をあげて旧校舎が燃えていた。
「これで一件落着かしらね‥‥」
 紫が呟いた。
「行方不明になった生徒たちの遺骨が発見されたら、家族は哀しむだろうな‥‥」
 巫が言った。
 動かなくなった蜘蛛にガソリンをかけ火をつけたのは、この二人である。
 たしかに死んだと自信がもてなかったので、そうするしかなかったのだ。
 時計塔にあった遺体は、回収できなかった。
 それを責めるのは酷というものだろう。
 巫も紫も超能力者ではなく、死んでしまった者を生き返らせることなどできない。
 蜘蛛に食い殺された死体など持ち帰っても、それこそ家族を哀しませるだけだ。
「それに‥‥」
「ああ、あんなもんの存在を公表するわけにいかねぇからな」
 人知を越えた怪物など、いまの日本には必要ない。
 一介の教師である彼らにだって、そのくらいのことは判る。
「事実はすべて、闇と炎のなかさ」
「ええ」
「それにしても、放火犯かぁ」
「‥‥バレたら、懲戒免職じゃ済まないわね‥‥」
「ま、いつもの事さ」
「え? いつものこと?」
 巫の言葉に首をかしげる紫。
 臨時教師が放火の常習犯のはずはない。
「あれ? なんで俺、いつものことだなんて思ったんだ?」
「私に言われても知らないわよ」
「ま、いいや。さっさと逃げちまおうぜ」
「そうね。そろそろ人が集まってくるから」
 言った二人は音もなく移動し、闇に溶けていった。
 旧校舎が、忌まわしい記憶とともに燃え崩れてゆく。
 業火のように。


  エピローグ

 巫の転任が決まったのは、火災から三日後のことである。
 結局、旧校舎の火事は不審火ということで片が付きそうだった。
 したがって、彼の転勤は火災とは関係がない。
「それにしても急な話ね」
「仕方ねぇさ。これも臨教の宿命ってやつだ」
 校門まで見送ってくれた紫に、巫が笑顔をむける。
 交わされる握手。
「格好良かったわよ。巫くん」
「アンタもな。ゆかり先生」
 風が吹き抜け、やがて巫が歩き出す。
「また一緒に仕事できたらいいわね」
 後ろ姿に声をかける紫。
 軽く右手を挙げる巫。
 初夏の日差しが、暖かく包み込んでいた。

「ご苦労さん。灰慈」
 しばらくして、通りを歩く巫に気安く声をかける姿があった。
 男女二人。
 黒い髪の男と茶色い髪の女。
「だれだ? アンタらは?」
 不審そうな顔をする青年。
 当然だ。見覚えのない顔にいきなり名前を呼ばれたら誰だってそうなる。
 と、女の方がすっと巫の前に立つ。
 黒曜石のような瞳が印象的だ。
 まるで吸い込まれるような‥‥。
「ハイジ。あなたはもう、わたしから目がはなせない‥‥」
「ああ‥‥はなせない‥‥」
 それは、瞬間催眠という技術。
「わたしが指を鳴らしたら、ハイジは元に戻るわ」
 女の声に、操り人形のように頷く。
 そして、意識野のどこかで鳴る音。
「よう。綾に武さん。なんとか片づいたぜ」
 巫の唇から紡ぎ出される言葉。
「おめでとう」
 そう言った綾が、腕にしがみついてきた。
「浮気してなかったでしょうねぇ〜?」
「‥‥大丈夫だ」
「うわぁ。なんかその間があやしい〜」
 いつも通りの巫と、いつも通りの綾だ。
「やれやれ‥‥」
 嘆息した草間が煙草に火をつける。
 紫煙がゆっくりと立ちのぼり、大気に溶けてゆく。
 もう、夏はすぐそこにまできていた。








                         終わり