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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


あした


*
「三下君」
 陽気の中、心地よく襲ってきた眠気と必死で闘っていた三下は、突然耳もとで静かに響いた碇の声に心臓が口からはみ出るかと思うくらいに驚いた。
「へ、編集長…」
 今の一声ですっかり目が覚めた様子の三下を見ると、碇は構わずに話を続けた。
「安倉小学校、という所で奇妙な事が起こっているらしいの」
「奇妙、ですか」
「生徒数の減少に伴ってこの春から廃校になった小学校なんだけど、深夜に教室から物音が聞こえるという噂が立ちはじめたのよ」
「はあ」
「近所の中高生がいかにも怪しいこの噂に飛びついて、こっそり忍び込んだらしいわ。まあ、彼等にとっては母校なんだけど、勇気あるわよね。で、忍び込んだ彼等は二階の教室から起こる例の物音を聞いて、その教室の扉を開けたのだけど……そこで一体何を見たと思う?」
「…」
「その教室では処分されないまま教室に残された机と椅子が全て、床に倒れていたそうよ。勿論、他の教室では何ごともなかったのに」
 三下は唾を飲み込んだ。
「それじゃあ、物音って…」
「倒れている机を呆然と見つめる彼等の目の前で、再び机が一斉に起きあがり、また倒れては起きあがり、倒れては起きあがり…」
「ひいいいい」
 三下は目を瞑ると両手で己の耳を塞いだ。そんな三下の様子に碇はやれやれ、と首をふると小学校の地図が書かれたメモを取り出した。
「不思議でしょ?じゃあ、そういう訳だから調査頼んだわね」
 

--------------

安倉小学校

地図:(省略)

備考:
校舎は木造2階建て
物音がするとされる教室は2階 5−1教室
10年前にその教室で女生徒が一人死亡している。
町田・奈緒(まちだ・なお)当時10才
急性心不全による

--------------



* +

 始業開始から…時にはその前日、いや遥か遠い日から、終業あるいは脱稿まで。ここ、白王社月刊アトラス編集部には喧噪が耐えることがない。フロアを行き交う足音、ページを慌ただしく捲る音、様々な情報を寄せる電話の呼び出し音。
 そして――
「…三下君!ちょっと…」
 …そして。時に編集長、碇麗香の怒鳴り声。

「お茶です」
 来客用のテーブルで三下を待っていた4人に、アルバイトらしき女の子が、慎重な手付きでゆっくりとお茶を配って行く。
 その背後、碇のデスクからは書類で机を打つ音、訳のわからない悲鳴やらが聞こえて来たが、バイトの彼女を含め、その場にいる誰もが特に関心を払ったりはしなかった。
 …先程のやり取りが日常茶飯事だという証拠である。

「まあ、三下君は置いておいて、っと。…とりあえず、これが小学校の位置を記した地図。それから目撃者の情報と、町田奈緒さんの情報ね」
 シュラインは、調査にあたり、あらかじめ編集部から預かった何枚かの資料を取り出した。その中から水無瀬・麟凰(みなせ・りんおう)は目撃者である中高生の証言が書かれたメモを手に取ってみる。
「どうした?」
 メモを手に、少し眉根を寄せた麟凰の手元を覗き込むように紫宮・桐流(しみや・とおる)が声を掛けた。
 麟凰は桐流に軽く首を振ってみせた。
「いえ…。目撃証言と言っても曖昧なんだなって…思ったんです」
「流石に、気が動転していたでしょうからね」
 麟凰の言葉に九尾・桐伯(きゅうび・とうはく)がゆっくりとうなづきながら目を細めた。
「そうですね。まずは目撃者からもう少し詳しい証言と、奈緒さんについての詳しい情報。それから当時の学校の様子…」
 メモを見渡した桐伯は、調査が必要だと思われることを列挙する。
「奈緒さんの同級生や先生にも話を聞いてみたいし」
 シュラインもお茶を手に、うなづいた。
「俺は…それと、昼間の学校にも一度行ってみたいです」
 言って麟凰は桐流をちらりと横目で見た。視線に気付いた桐流は一つ、うなづいて返す。
「結局、どの資料も調査の足掛かりでしかないのね…」
 預かった資料を眺めてシュラインが息を吐いた。
「それを詳しく調査するのが、多分、俺達の役目でしょうね」
「その通りですね」
 桐伯は微笑み、麟凰に同意すると、資料を人数分に仕分けしていった。
「もし、この奈緒さんが関わっているとすれば…。我々に何か出来る事があれば良いですが」
 苦しみの中で、今回の現象が起こっているとしたら。
 三下からの連絡を受け、桐伯の頭に最初に浮かんだのは『鎮魂』の二文字だった。死者である彼女に何か出来る事があるならばと、ここへ居るのだ。
「何事にも仕掛けは重要…。足掛かりがあるからこそ、我々が動ける」
 分けられた資料を手にすると桐流は静かに立ち上がった。それを合図に桐伯も同じく立ち上がる。
「行きましょうか」
 言った桐伯の背に三下が絞られているのが見える。
「三下さんは…?」
 麟凰が少し心配そうに三下を見遣った。
「4人も居れば十分かしらね?」
 麗香の目配せに苦笑し、軽く手を振って応えると、シュラインは皆を促した。




* + *

 ――郊外。
 少し開けた平野になだらかな丘陵、青く茂る森。安倉小学校はこじんまりとした丘の上に有った。
 丘からは眼下に青田や畑、そしてぽつりぽつりと家屋の屋根が見える。
 人は居るのだろうが、子供が少なくなっているのだろう。人員削減を目論んでか統廃合され、残された木造の小学校は静かに佇んでいた。
 何とは無しに、ふと首を上げた桐伯の目には、木々に視界を遮られながらも、ぽかりと高く青い空が映った。

 遠目には小さく見えた丘も実際に足を踏み入れると意外に広い。小綺麗に整備された通学路には背の高い木々が落とす木漏れ日が不規則に模様を作っていた。桐流は懐から取り出したハンカチで、うっすらと額に滲んだ汗を拭った。
 木々のトンネルをくぐると、白く光に照らされた校庭に木造校舎の影が僅かにかかっているのが見えた。鉄棒、木で作られた平均台、ウンテイ等がこじんまりとした校庭周りに配置され、さらにその周囲を森が覆っている。人の少ない町からもさらに離れたここは妙に静かで、耳に聞こえるのはどこか遠くで鳥が鳴く声、風が木々の間を渡っていく音だけだった。
 校庭には用は無い。それでもシュラインは今は住む者のいない飼育小屋に手を置きながら、どこか懐かしいこの風景にしばし見入った。

 
 正面玄関の扉は、もちろん管理者の手によって施錠されていた。さらに御丁寧にも、引き手を重々しい鎖と南京錠で二重に封じている。L字型の校舎だが、先程通った生徒用昇降口も同じような感じであった。
 無理に窓を破る訳にも行かない。ぐるりと辺りを見回し、桐伯はふとある事に思いあたった。
「例の中高生は、どこから校内に侵入したのでしょうか?」
「待ってね…、んっと麟凰君?」
 レポート用紙を捲りながら、シュラインが校舎の壁に並んだ窓を見る。麟凰と桐流の中高生への聞き込みで侵入経路は分かっている。
「右から五つ目…でしたね、ひとつ、ふたつ…」
 麟凰はゆっくりと右手を上げると、右から順に数え上げ、桐流のうなづくのを確認すると、窓へと駆け出した。
 窓には皆、螺子を差し込むタイプの鍵がつけられていたが、その『入り口』の鍵は外されていた。麟凰は、軽く白い手袋のはめられた右手を振って皆に合図すると、早速窓へと手を掛けた。
 キキ、と、木製の窓枠が軋みをあげながら開かれる。
 ちらりと背後を振り返り、皆がこちらへ歩いてくるのを確認すると、麟凰は開けられた窓枠に手を掛け、ひらりと中へ飛び込んだ。
 シュラインは木造校舎の柱へと手を伸べ、そっと触れてみる。木独特のひんやりとした感触が心地よい。
「お邪魔します…。今までご苦労様」
 

 一瞬。
 外との明暗の差に、思わず目を閉じる。そうして、ゆっくりと開かれた視界には高い天井が映った。仄暗い視界、それとも天井の高さのせいだろうか。室内は妙にひんやりと心地よかった。
「どうかしましたか?」
 ぼんやりと中空を見つめる麟凰の肩を、桐伯は軽く叩いた。
「あ、いいえ」
 桐伯の声に驚いた麟凰が振り返ると、いつの間にか他の皆も窓枠を越えて教室への侵入を果たしていた。
「教室に土足なんて、変な感じね」
 並ぶ学童机と自分の足下を見遣ると、シュラインが笑った。
「悪い事をしている気がしますね」
 桐伯も思わず足下に目を遣った。
 
「そろそろ動こうか?」
 麟凰は桐流の声にうなづくと皆を促した。目的の教室は2階にあるのである。
 
 しっかりとした造りの階段を登ると、廊下に教室のプレートが見えた。手前から6−1、5−1、そして会議室、とあった。
「確か、5−1でしたね」
 1クラスでも1組と言うのですね。――桐伯は先を歩くシュラインに話し掛けながらそう思った。
「ええ」
 桐伯にうなづき、一つ唾を飲むと、5−1の扉の前に立ったシュラインは引き手に手を掛けた。
「昼間は、何も起こらないのですよね?」
 麟凰は皆を見渡すと確認する。
「何か起こるとか言う話は無かった筈ですね」
「こちらも」
 桐伯と桐流は目をあわせると首を振った。
「じゃあ、開けるわね」
「あ、手伝います」
 麟凰とシュラインが力を込めると、滑りが悪いのかそれ自体が重いのか、扉は濁った音を立てて、ごくゆっくりと開いていった。
 広がる隙間から覗ける教室は、先程潜り込んだ教室とほとんど違わなかった。如いて違いを挙げるなら、窓から見える景色が教室1つ分だけ高いというくらいである。
 静かに息を吸い込み、シュラインは教室へと一歩を踏み出した。
「……」 
 足を踏み入れたシュラインは静かに首を教室の全域に巡らせた。特に変わった物も無いように思える。北向きの教室で、直接陽の光が目に入ることは無い。それでもカーテンの取り払われた教室は外からの光で十分に明るかった。時折壁にテープの跡が残っている所を見ると、掲示物は整理されたのだろう。黒板と机、椅子がまだここへ残されていた。
 シュラインの後から教室へ入った面々も取り敢えずぐるりと教室を見渡すと黙り込んだ。3月まで、ここで学んでいた生徒がいたのだ。際立っておかしい点を嗅ぎとることもできない。少々殺風景な、ただの教室に見えた。
 少し視線を落とし、シュラインは周囲から聞こえる音に集中してみたが、特におかしな感じもない。顔を上げ、桐伯と目が合うと、シュラインはゆっくり首を振った。その表情に、桐伯は首を軽く傾げ笑ってみせた。
「昼間になにかあったという証言もなかったですしね」
 桐伯の言葉にシュラインは軽くうなづいた。
 不審な物音を聞いたという時間帯は夜に集中している。街から少し外れているといっても、完全に隔てられている訳でも無い。現にここに机椅子が残っているということは、学校自体の整理が済んでいない証拠でも在る。昼間に人の出入りも多少あるだろう。
「ここは彼等に任せて、私は図書室へ調べ物をしに行こうと思いますが…」
「そうね、付き合うわ」
 物に宿った記憶を読む能力者。彼ならば何か手掛かりを掴んでくれるだろう。
 黙って天井を見上げる麟凰に付き添うようにして佇む桐流にその旨を伝えると、シュラインと桐伯は階下の図書室へと向かうことにした。




* + * +


 1階には1年から4年までの教室、それに職員室と幾つかの小部屋、そして図書室が置かれていた。先程窓から侵入を果たした教室は3年の教室のようだった。桐伯の目的の場所は図書室である。
 通りがかったついでに、とシュラインが職員室の扉を引くと、さほどの抵抗も無く開いた。
「無防備ね」
 隙間から覗いた室内には職員用のデスクが殺風景に並んでいるだけだった。
「外からの入り口はしっかりと施錠されていますからね。本来なら今ここを訪れることが出来るのは関係者だけでしょう」
 侵入者であるはずのシュラインの言葉に、桐伯は思わず苦笑した。
「しかし…」
 片付けられたデスクを見、桐伯の頭にある懸念が浮かぶ。
「いえ、とりあえず図書室へ行きましょう」
「そうね」
 シュラインはうなづくと扉を元通りに閉じた。

 図書室は廊下の突き当たりにあった。やはりここも同じく扉は施錠されてはいない。そもそも盗難や不法侵入を想定していないのか、そのような仕掛け自体施されていなかった。
 桐伯が扉を引くと、室内に木製の背の低い棚が並んでいるのが見えた。少し奥には壁面に沿って背の高い棚も並んでいる。
「やはり…」
 桐伯は並んだ棚を見遣ると、軽く息を吐いた。室内に棚は残されていたが、書籍はきれいに整理された後だったのだ。先程職員室を覗いた桐伯は、きれいに整理された室内にその事を案じたのだ。
「何を調べるつもりだったの?」
 動きを止め、茫洋と立つ桐伯にシュラインは首を傾げ声をかける。
「アルバムと、校史を少し…。ですが、これでは仕方ありませんね」
 桐伯はゆるゆると首を振った。
「そんなことないかもよ?」
 シュラインはきゅっと口元を上げ、人さし指を立てた。
「え?」
 カウンタの奥、シュラインが指差す方向にいくつか大振りの段ボール箱が見えた。そして、箱の側面には油性マジックで書かれた『アルバム』の文字。まだ、運び出す途中のようだった。
「あの中から目的の物を捜すのが大変そうだけれど」
「いえ。労を惜しんではいけません」
 嬉しそうに笑む桐伯に、シュラインもつられて笑顔を浮かべた。

 こんな用件でなければね…。
 桐伯を手伝い、いくつか段ボール箱を開けながら、本好きのシュラインは誘惑と必死で戦った。『図書館行き』と記されている箱には美しい装丁の児童文学の数々。
 それらを思わず手に取りながら、駄目駄目、と首を振り、桐伯の作業を手伝っていった。 




* + * + *


 1階の教室で陽が暮れるのを待ちながら、4人はそれぞれに準備した夕飯を食べた。準備したと言っても、実際には男性3人が準備した軽食に、シュラインの準備したお重をつつく、という形であったが。
 そうして食べながら、4人各々で調べた事を交換しあうことになった。桐伯と修羅員は奈緒の同級生へ、麟凰と桐流は目撃者である中高生へとそれぞれ話を聞いた後、学校前で落ち合ったのだ。
「奈緒さんは、やはり体育祭の当日に亡くなられていますね」
 ぽつり、と話し出した桐伯に、皆が耳を傾ける。しんと静まった校内に穏やかな声が通った。
「昼間に私達が話を聞いた奈緒さんの同級生、森田さんの話では体育祭で1種目だけ、参加したようなのです」
「それが発作の引き金になったのかは、分からないのだけど」
 桐伯の後をシュラインが続ける。
「間も悪かったのね。発作が起こった時には、体育祭もその後のHRが終了していて。教室には奈緒さんを含む数人の生徒が残っていただけで…。もし、大人がその場に居て、あと少し処置が早かったら、助かったかもしれなかったらしいわ」
 シュラインの話に、麟凰はいつの間にか咀嚼を止めていた。
「麟凰?」
 桐流に肩を叩かれ、慌てて口の中の物を喉に追いやった。ペットボトルのお茶を少し口に含み、喉に流すと麟凰はぽつりと呟いた。
「まだ、って聞こえたんです…」
「え?」
 話し出した麟凰に桐伯が聞き返す。
「俺…教室を視ました。その時にほんの一瞬、奈緒さんを捕まえることが出来たんです。生憎、途中までしかその声を聞けなかったんですけど…途切れる間際…、まだ、あしたにって」
「…馬鹿者」
 もう少し視る事ができれば。暗にそう言う麟凰に、彼にだけ聞こえるように桐流はそう呟いた。
 おそらく、あの時桐流が留めていなければ、麟凰はその精神に大きな傷を負っただろう。麟凰の能力はその純粋さ故か、あまりにも鋭敏すぎるのだ。強力である反面、使い方を一歩間違うと確実に己に反動が返ってくる。普段、手袋を嵌めているのもその為だ。
 強い能力も使い方次第、なのだ。

「『まだ』、ね」
 シュラインは首を捻った。
「何か心残りがあるからこそ、そんな現象が起こるのでしょうが…」
 桐伯も右手をそっと頬に当てると考え込んだ。校史や森田の話にも、奈緒の言う『あした』に特に何かあったということは無かった筈だ。あれば記憶に残っている。
「本当に、奈緒の仕業だろうか?」
 桐流の声に三人はハッと顔を上げた。
「ともかく、怪現象を起こしているのがその少女だと決った訳ではない。余計な先入観は禁物だな」
 実際、あの教室に奈緒は居る。視てきた桐流にはそれが分かっていたが、しかし、彼女が机を倒している当人だという証拠はないのだ。一方向だけから物事を捉えていては足元を掬われる。
「そうだ、麟凰君」
 桐伯が思い出したように声をあげる
「なんでしょう?」
「頼んでおいたこと、…机の倒れ方なんですが」
「あ、はい。聞けました。机は間隔も規則正しく、一斉に床に打ち付けられていたそうです」
「そう、ですか」
 麟凰の答を聞き、桐伯は再び考え込んだ。シュラインはそんな桐伯の顔を覗き込み、声をかける。
「どうかした?」
「いいえ。少し考えていた事があったのですが…どうやら違うようですね」
「あと、…それから、音が聞かれるようになったのは、最近のようでした」
「引き金はやはり廃校」
 桐伯に麟凰がうなづく。
「ええ、おそらく」
「…そう。…ねえ、私も気になったんだけど、今、『打ち付ける』って表現があったわね?」
 今度はシュラインが麟凰に尋ねる番だった。
「え?…はい。それは…目撃した彼等が…」

 打ち付ける。

 碇からはただ机椅子が倒れる、とだけ聞いていた。だが。
 倒れると打ち付けるでは意味が違ってくる。

 何のために、打ち付けているのだろうか?
 音?
 音を出す為に打ち付けているのか、それとも打ち付けるから音が出るのか。
 そもそもそれは奈緒の仕業なのか?
 奈緒の仕業だとしてやはり何の為に?
 それから、廃校は何故この現象の引き金になっているのか。

 考えてみても、答はここにはない。ぐるぐると何度も循環するシュラインの思考を、頭上から聞こえた音が遮った。
 


 ――ドン。



 遠く頭上で響く鈍い音。
 校舎全体を震わせるような、重い、重い音。

 4人は素早く身構えると、シュラインの手にする簡易ランタンの灯りを頼りに階上へと向った。




* + * + * +


 その音は2階へ上がるとますます大きく聞こえた。耳の良いシュラインなどはランタンを持つ反対側の手で片耳を覆っている。
 音は規則正しく、重く響いている。また、大きな音に気を取られて気付きにくいが、2階の床板全体が振動しているようだった。
 開いた扉から、月明かりに何か動いているのが見えた。
「い、…行くわね」
 小さくそう皆に声を掛けたシュラインの右手からランタンを取り、桐伯が首を振った。
「私が先頭に立ちましょう」
「…ありがとう」
「いえ」
 軽く微笑み返すと、桐伯はきびきびとした足取りで先を進んだ。

 気配で言えば、その教室から禍々しいものは感じられない。
 だが一体何を目的でこのような事が起こっているのか。
 ただその不可解さが小さくも恐れを生むのだ。


 教室には昼間に有った物しかなかった。机と、椅子である。10程ある机と椅子が一斉に床に、そう、打ち付けられていた。机が跳ねる度に足元には大きな振動が走る。教室に入ってみると、より一層の音と振動が感じられた。
「?」
 轟音の中、桐流の姿が見当たらないのに気付いた麟凰が首を巡らせた。
 どこへ?
 そう考えたその時だった。
「奈緒さん」
 シュラインの声に弾かれたように麟凰が首をあげると、教室の中央、中空にぼんやりと少女が浮かんでいた。10歳だということだったが、想像していたよりもずっとその身体は小さい。痩せて骨ばった手足が年令よりも余計に身体を小さく見せているのかもしれなかった。

「奈緒さん、ですね?」
 浮かんだ少女へ、桐伯が声をかけた。人影はその言葉に反応し、ゆっくりと振り返った。
「声が聞こえる?」
 麟凰の問いかけに少女は小さくうなづき、ゆっくりと口を開いた。
「声が、聞こえる?」
 鸚鵡返しに同じ問いを返され、思わず微笑んだ麟凰は何度もうなづいた。
「机を動かしていたのはあなた?」
「幸宏君に、賞状を返さないと駄目なの」
「賞状?」
 シュラインの問いに奈緒は微かにうなづいた。
「私、死んじゃったから返しそびれちゃってるの」
 自分の死は自覚しているようだ。
「…その賞状はどこに?」
「この真下。校長室の額の裏に。幸宏君は見つけられなかったみたい。でもね、いつか誰かが見つけてくれると思って、待ってたの」
「いつか」
 桐伯が呟くと奈緒は一つ、うなづいた。
「それなのに人が来なくなってしまって…」
 成程、とシュラインは二度うなづいた。それで廃校がきっかけだったのだ。
「時々、人が来るから、額を落としてしまえば見つけてくれると思ったの」
「それで、机を?」
「良く、ここで走りまわると下に響くでしょって、男の子達が叱られてたから」
 微かに、奈緒が笑った気がした。机を床に打ち付ける振動で、額を落とす気だったらしい。
 シュラインは一応、と確認する。
「昼間に動かさないのは、どうして?」
「怖がって、誰も来てくれなくなったら困るから」
「この間は失敗だったのね?」
 この間、とは中高生が潜りこんだ出来事を指している。
「うん。でも気付いてくれる人が来てくれて、良かった」
「だけど…、机を動かせるくらいなら」
 直接額を落としてしまえなかったのだろうか?麟凰の言葉の先を察して、桐流が口を開いた。
「彼女は、地に縛られてしまっている」
 奈緒は桐流を見て、哀しそうに笑うとうなづく。
「この教室から動けないのね?」
 シュラインの問いに桐流は、首を縦に動かした。

 


* + * + * + *


 次の日。賞状の捜索は昼間に行われた。5−1教室の真下は資料室兼校長室になっている。再び窓から入った4人はまっすぐに目的の部屋へと向かった。
 プレートと2階との位置関係を確認し、扉を開けて桐伯が足を踏み入れると床に積もった上からの埃が静かに舞い上がった。
「あれですね」
 麟凰の指差した先、何かの賞状が収まった額の後ろ側に少しはみ出すようにしてもう一枚、白い物が見えた。奈緒の隠した賞状だろう。
 背の高い桐伯がそっと額に触れると、途端に支えていたピンが外れ、額は床へと落ちた。
「あと少しだったのね」
 シュラインは額を見下ろすと微笑んだ。桐伯は床に落ちたB5大の賞状を手に取り、埃を吹き払った。おそらく真白だった紙は薄く縁からクリーム色に変色している。
「『優秀賞・赤組応援団長 5年 岡田 幸宏』…」
 小さい賞状にはお決まりの文句が並んでいる。穏やかな笑顔を浮かべて、桐伯がふいと裏返すとそこには薄く鉛筆で小さな文字が書かれていた。


   見つかったね
   1日だけ借りました ありがとう

                  奈緒


 『学校のどこかに隠したからね』
 奈緒が幸宏へ伝える筈だった言葉は伝わらないまま、賞状はここで10年。誰かに見つけられるのを待っていたのだろうか。

「これ、持ち主に返すんですよね?」
 麟凰が桐伯を見つめると、そう聞いた。
「奈緒さんの望みでしたからね。随分長く借りていた事になってしまいましたが」
「アルバムの住所からなんとか辿ってみるわ」
 シュラインがそう言うと、麟凰は安心したように目を閉じた。
「幸宏君、この事、憶えているといいな…」
 口の中で麟凰が小さく呟くと、桐流は大きくうなづいた。




* + * + * + * +


 シュラインと桐伯が訪ねて行くと、アパートの扉を開けて一人の青年が顔を出した。見覚えのある顔に、桐伯は思わず笑みを漏らした。
 表札のプレートには『岡田』の文字。そう、岡田幸宏は現在では都内の大学に通う大学生だった。現在はアパートに一人暮らしをしている。
「ええと、電話くれた人…ですよね?」
「ええ、忙しい所ごめんなさいね」
「いいえ。とりあえず、上がって下さい」
 通された部屋は少し狭めの部屋だったが、シュラインの見るところなかなか綺麗に整理されているようだった。尤も事前に来訪を伝えていた為かもしれないが。
「これはあなたの物でしたね?」
 お茶を出し、座った幸宏に早速桐伯は学校から持ち出して来た賞状を見せた。
「あ」
 目を見開き、言葉を無くした幸宏をシュラインは黙って見つめた。
 賞状を手に取り、穴が開く程見つめた後で、ようやく幸宏は口を開いた。
「これはどこに?」
「安倉小学校に。奈緒さんが隠していたのです」
「そうですか…」
 桐伯と話ながらも賞状から目を上げず、幸宏は続けた。
「少しだけ見せてね、とせがまれて貸してあげたんです。賞状なんて貰ったことないから、って言ってました。…あれから、ずっと見つからなかったから、僕は奈緒ちゃんがそのまま持って行ったのだと思っていました」
「ちょっとしたいたずらで賞状を隠して、次の日には貴方に探してもらうつもりだったみたい」
 シュラインの言葉に幸宏は顔を上げた。
「…どうしてそれを?」
「え、あ、あの…、裏、そうそう、裏にそう書いてあるでしょ?」
 まさか本人に聞いたとは言えない。シュラインが慌てて説明する横で桐伯は苦笑した。

 二人が幸宏の部屋を出る頃にはもう、空が赤く染まっていた。シュライン手には書類ケース。中にはあの賞状が入っていた。奈緒へ贈りたい、と幸宏に頼まれたからである。
「お家に届けた方がいいかしら、それともお墓、学校?うーん」
「まあ、店でゆっくり考えましょう。どうですか?」
「いいわね。少し甘くてほろ苦いカクテルなんか気分よね」
 そう言うシュラインに微笑み返し、桐伯が空を仰ぐと茜の空には一番星が光っていた。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【0086 シュライン・エマ 女 26
      翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0322 九尾・桐伯    男 27   バーテンダー】
【1144 紫宮・桐流    男 32      陰陽師】
【1147 水無瀬・麟凰   男 14       無職】

※整理番号順に並べさせていただきました。

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■         ライター通信          ■
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 たいへんお待たせいたしました。

 PC名で失礼いたします。
 紫宮さん、水無瀬さん初めまして。
 九尾さん、再びお目にかかれて嬉しく思います。
 シュラインさん、いつもご参加ありがとうございます。
 皆様この度はご参加ありがとうございました。

 設定や画像、他の方の依頼等参考に
 勝手に想像を膨らませた所が多々あると思います。
 違和感や、イメージではないなどの御意見、
 また御感想などありましたらよろしくお願いします。

 それでは、またお逢いできますことを祈って。

                 トキノ