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<PCシナリオノベル(シングル)>


求めよ、然からば与えられん

 直弘榎真はどうにか睡魔を払拭しようと、傍目を気にせぬ喉の奥まで見えそうな大欠伸で、めいっぱいに肺に酸素を送り込んだ。
 それでも執拗に頑固な眠気は瞼の上に重くのしかかり、このままでは家具屋か寝具屋のベッドに潜り込みかねない…榎真にとって街中はそんな常人に有り得ない危険が転がっている。
「うぅ、眠い……」
酩酊の如く蛇行する榎真を、通行人が避けてくれる為に未だ難事はないが、懐内を涼しくしてやろうという大きなお世話な親切心を抱く人々から見れば、きっといちゃもんつけたい放題の鴨だろう。
 ほとんど半眼に周囲が見えているのかいないのか、疑問な榎真の歩みはとうとう黒い壁にぶち当たって止まった。
「……あれ?」
壁にしてはなんだか感触がソフトで、首を傾げる…が、眠気に目は開かぬまま、榎真はとりあえずぺたぺたとその壁に触ってみた。
「……それ以上、下にさがってくれんなよ?」
上からかかる声に首の後ろを引くように見上げれば、街路樹とビルとの間に挟まれた曖昧な空色。
「そっちはもーちょい下」
後頭部を指で軽く押されて調整されて…漸く自分がぶつかった物を認識する。
 明るさを増し始めた日差しの下で、細身の輪郭を強調する黒革のロングコートを筆頭に見事に黒々しく、十指全てに嵌められた指輪やサングラス、全体的に色彩に乏しい青年。
 触りまくってしまったのが男の胸と腹、だというのを認識するのに、榎真の眠気は一気に金星あたりまでぶっ飛んだ。
「ごごゴご、ゴめ…ッ!!」
どもった上に訛ってしまった榎真に、黒尽くめな青年は、気にしてない、という風に軽く肩を上げて笑って見せた。
「あんた今幸せ?」
そして唐突な問いかけ。
 混乱から抜け出せていない頭は質問の意味が理解出来ず、榎真はたっぷり1分間、止まっていた。
「えーと……新手の新興宗教?」
脳裏に閃いた答えにぽんと手を打つ。
「ていうか何で宗教で●マちゃん支援寄付とかするんだよ、関係ねーだろ、絶対。大体よー電波なんて布で防げるワケないじゃ……」
微妙に季節外れな時事ネタに走る榎真…人、それを逃避という。
「や、アレはなんか研究者なんじゃねぇの?自称でも」
律儀に付き合いながら青年は、眼差しを隠して…それでも楽しげな表情は隠しきらない、サングラスを取り去った。
 円い遮光グラスの下から現れた、まるで不吉な月を思わせる赤い瞳に榎真の意識は現実に復帰した。
 体色素の濃い東洋人に有り得ない、榎真と同じ色。
「奢るからさ、時間あんならちょっと茶でもしばかねぇ?俺、今暇なんだよ」
「は?ナンパ?」
驚きは続く言葉に粉砕されて、あっさり忘却の彼方の飛ぶ。
 シューキョーでもナンパでも男に声をかけられて嬉しいものじゃない…当然、触ってもちっともさっぱり楽しくない。
 青年は些か強引に、榎真の返答を待たずに手を取った。
「あんた、かなり普通じゃねぇよな?興味あンだよ。そういう人の、」
そして否、と断言出来ずに言葉に詰まる、こちらの心内を透かしたような台詞に…僅かな細さに鋭いようでいて、笑う目の色に邪気はない。
「生きてる理由みたいなのがさ」
 そして続けて榎真が口を開くより先。
「ヤだっつったら『このヒト痴漢ですッ』て叫ぶ♪」
掴んだ手を万歳よろしく上げかけられるのに、満員電車で謂われのない誤解を受けた気分を味わった榎真であった。


「ピュン・フーって響き良いな、なんか言った感じがさ」
通り名、と前置かれた青年の名乗りを榎真が評するに、言われた当の本人は目を細めて小さく笑った。
「そりゃ光栄?」
「あ、信じてねーな」
「そーでもねーぜ」
ピュン・フーが目についた喫茶店の硝子扉を開いて示すに遠慮なく、榎真は店内に一歩足を踏み入れて二歩戻った。
「おっとどしたよ」
榎真の背を胸で受けるピュン・フー
 ピンクを基調にした店内には所々に星のオブジェが並び、どこか夜店のとりとめない賑やかさを感じさせ、かつ乙女チックだ。
 女同士、もしくはカップルで入るならば問題なかろう…が、男同士なら居心地の悪さに入るに躊躇いを覚えるファンシーさだ。
「……ここ、入るの恥ずかしくね?」
店内は女の子ばかり、健全な男子高校生らしい思考から榎真は頬を朱に染め、別の店にしないかと遠回しに提案する。
「何言ってんだよ、未成年者お断りでもあるまいし」
が、ピュン・フーにとっては遠回し過ぎたらしい。
 がっしと両肩掴まれて店内に押され、足を踏ん張って抗しようとも踵と床が摩擦するばかりであっと言う間に窓際の席につかされる。
「男だっけで入る店じゃねーじゃん、何で平気なんだよ〜」
「テーブルと椅子があって食い物が出てくりゃ、充分だろ」
正論であるが、満たされすぎて余ってるのが問題の焦点でなかろうか。
「……変なだけかと思ってたけど、ピュンたん不思議趣味だな!」
せんでいい抵抗に耳目を集めてしまった榎真は、羞恥にテーブルにつっぷした。
 軽食と飲み物だけを供する茶店でそんな事をすれば、あっという間にテーブルは一杯になる。
 上で何やらピュン・フーが「いーからいーから」とか誰かと話しながら…絶妙なバランスで榎真の後頭部に丸くて固い…多分、お冷やの入ったコップを置いた。
「退けて……」
にっちもさっちも行かなくなってしまった榎真の要求に、ピュン・フーが答える。
「ピュン君やフーちゃん、ましてやピュンたんは不可。合わせてひとつの名だからただピュン・フーとだけ呼ぶよーにOK?」
「……OK」
何やら深い拘りを了承するに、ひょいとコップは除けられ、二の轍は踏むまいと榎真はしぶしぶと顔を上げた。
 年若い女性が大半の店内、なにやらちらちらとこちらを見ては「カワイー♪」とか聞こえよがしな声もあり、榎真はボッと顔を火照らせた。
「まぁ、遠慮なく食え」
それを察してかは知らないが、ピュン・フーが榎真の顔の前に視界を覆う=周囲から顔が見えぬようメニューを掲げるのをそのまま受け取り…しばしの沈黙。
 広げたメニュー、天の川を思わせて斜めに紺色の川に散らばるメニューは表記は「流☆の宴」やら「ダイヤモンド・スター☆」やら…特に注釈がつくわけでなく、その名のみでは如何なる料理が出てくるのか全く予測がつかない。
「ピュン・フーは?」
「もう頼んだ」
何時の間に…と口惜しく思ってもそれはきっと榎真がコップに足蹴にされてた時だろう。
「おきまりですかー?」
視界一杯に広がる星に途方に暮れる榎真をウェイトレスの声が追い立てる。
「えーと……この、☆の巡り合わせひとつ……」
「お飲物はホットになさいますか、アイスになさいますか?」
「アイスで……」
「かしこまりました」
言い、ウェイトレスと榎真の手からメニューを引き抜いて行ってしまった。
 メニューを未練がましく見送ってしまう榎真に、ピュン・フーは楽しげに肩を揺らした。
「榎真、面白ェなぁ」
何処か小馬鹿にしているとも取れる物言いだが、本気で楽しげな様子にそんな疑いも削がれる。
「何かピュンた……フーのが、楽しそうじゃん」
すかさず、ピュン・フーの手がコップを持つのに慌てて呼び直す。
「そりゃー、榎真に会えたから?」
同性に言われても嬉しいような悲しいような何やら複雑な心境になる。
「……言っとくけど、俺、犬と猫とフェレット養ってるから、金ないよ?」
今更ながらな警戒に、ピュン・フーは「大家族だな」と笑ってひらひらと手を振った。
「心配しねーでも、俺が売れるのは身体ぐらいしかねぇよ」
「や、俺そーゆーヒトじゃないし……」
「や、売ってねぇし」
何やら噛み合っているやらないやらな会話の上から、「お待たせしましたー♪」とウェイトレスがオーダーした品を置いた。
 榎真の前にアイスティとナポレオン・パイ。
 ピュン・フーの前に氷白玉。
「こちら☆の巡り合わせと、ミルキーウェイ☆アステロイドとなります」
早速とばかりにざくざくと氷にスプーンを入れるピュン・フーを榎真が凝視する。
「食うか?」
ふるふると顔を横に振って辞退する…暑くなってきた昨今だが、空調の効いた店内で氷を食べたい程に暑くはない、筈。
 と、其処まで考えて榎真ははっと手を打った。
「ピュン・フー、そんなの着込んでるから暑いんじゃん」
そんなの、とはロングコートを指す。
「昔の職場の服務規程がこんなでなー。長い事居たもんだからすっかり身に沁みて癖になっちゃってて……」
どんな職場さ。と思いもしたが相手はどうやら社会人…税金とか保険とか年金とか、そんな社会の機微や苦労を未だ知らない自分が職場の兼ね合いとかなんとかをどうこう言えもしないか、と勝手に納得して、榎真はナポレオン・パイを倒してフォークを入れた。
 妹の影響もあってか、榎真は甘い物がそう苦手ではない。
 店構えのわりに美味しいなと考えてる間に、あっという間に氷を平らげていたピュン・フーは、ごく自然な動作で榎真のアイスティに手を伸ばした。
「一口くれ」
一応の断りは入ったが、こちらの意向を伺うものではなく、言った次の瞬間にグラスは奪われていた。
「あーッ!」
止める間もなかった榎真の反応に、ピュン・フーは軽く眉を上げたのみで「サンキュ」とテーブルの上のグラスを押し返す。
 氷の音も軽やかに、表面に汗をかくグラスの琥珀。
 同じ位に、榎真も内心に汗をかいているが。
「仲良しだね、いいなー」
とか聞こえなくてもいい声が聞こえてきたりして。
 初対面の青年に触りまくってしまうわ、お茶に誘われるわ、あまつさえカップルのように飲み物を分け合ってしまうわ…こうも立て続けて体験するとは思ってもみなかった人生経験である。
 父さん母さん妹犬猫フェレット…今日、貴方達の息子でありおにいちゃんであった僕は別れた時と違う僕になっているかも知れません…くだらない思考に脱線している榎真を現実に戻したのは、またピュン・フーの言だった。
「やっぱ普通と違うってのはしんどいモン?」
 榎真が遠くなっている間に何やら話かけていたようで、問いかけに答えを促す沈黙が続く。
 多分、その普通の意がかかる場所は、真正の意味で『普通』でない者にしか察する事は出来ないだろう。
 榎真は人でない。
 否、嘗ては人であったのだが…魂を礎に違う存在へと作り替えられた。
「妙なのに絡まれたりとかはすっけど……仕方、ないってったら仕方ないし」
壊れた物は、もう戻らない。
「ふぅん、それで榎真は今幸せ?」
「幸せかって…幸せだろうな」
何処か同じ匂いで、そして初対面であるからこそ榎真は家族と親しい者にしか明かした事のない、それを話す気になった。
「生きてる…ていうか一度臨死体験してさ、つか実際死んだんだけどアレは当分勘弁」
思い出すだけで背筋を冷たさが走る。
「気持ち悪い冷たさで身の毛弥立つわなんや…まあ、人外でも生きてるあったかさはそれに比べればずっと気持ちいいかんな」
だから、と榎真は赤い瞳を真っ直ぐに、ピュン・フーに向けた。
「ピュンたんもそんな冷たいところにいなくてもよくねぇ?何でそんな…」
続けようとした言葉が胸につかえて眉を顰める。
 それは、何処か既視感に似ていた。
 榎真の身体は一度死んだ、殺された15の歳から欠片の成長も見せない。
 生から切り離されて未来を臨めぬまま、ただ時に添って存在し続ける、果たしてそれが果てなきものなのか、もしくは明日にでも終わってしまうのか。
 先の見えない運命を抱える、そんな同種の気配をピュン・フーの持つ瞳の赤に感じ取る。
 榎真は手を伸ばした。
 避けようとしないピュン・フーの頬に触れると、ひやりとした体温の低さが掌に伝わった。
「榎真はあったかいのが幸せ?」
ピュン・フーは微かに笑う。
「……だから幸せのおすそ分け」
「確かに幸せそうだ」
ぬくもりを伝える榎真の手はそのままに、楽しげに笑みを深めたピュン・フーは、不意に眉を顰めてコートの左胸、内ポケットから振動を繰り返す携帯を取り出した。
「残念……仕事だ」
ウィンドウに着信を確認するのみで出る事はせず、息をつく。
「もーちょい一緒してたかったんだけどな、今日のトコはコレでお開き」
オーダー票を取り、立ち上がったピュン・フーにもう手は届かず、それでも追うように腰を浮かせかけた榎真に、ピュン・フーは不意に顔を寄せて耳元で囁いた。
「あったかい幸せくれるヤツ等を連れて、東京から逃げな」
笑いを含んだような瞳…その癖に、真剣な紅、声に籠もる真摯さ。
 それが楽しげな色にとって変わる。
「そんでももし死にたいようだったらも一回、俺の前に姿を見せればいい。ちゃんと殺してやるから」
身を離したピュン・フーの、まるで不吉な予言のような約束。
 意味を考える間に、レジに向かうピュン・フーを呆然と見送りかけ、榎真ははったと正気に返った。
「こんなトコに置いてくなよッ!」
たとえ連れが女の子でも勘弁して欲しいファンシーな店に、一人きりはゴメンだ。
 榎真は慌てて黒い背を追った。