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<東京怪談ノベル(シングル)>


静動



 人魚になってから時折、自分でも把握できない感情の波が来るときがある。
 ソレは痛みを持っていて、熱を持っていて――快楽になる。
 あたしは戸惑ってばかりで、何が何だかよくわからなくなって――引きずりこまれていく。
 記憶を失う程に、上りつめるまで。


 その依頼が来たのは、今月のはじめのことだった。
「妙な海草が生えているの。というか、化け物ね。魚を食べてしまうの」
 その海草を引き抜いてきてくれ、という内容だった。
 あたしは二つ返事で引き受けたのだけれど、相手は心配そうだった。
「黒い色をしているから目立ちそうなものなのに、いざ退治しようとすると見当たらないのよ。でも魚の被害は止まないの。妙な話よね」
 ――擬態が出来るのかな?
(とりあえず見てみないとわからないけど……)
「気をつけます」
 あたしは海に身体を委ねた。

 青、青、青――視界に入ってくるのはそればかり。
(いない……)
 確かに、黒い海草なんて見当たらない。
(隠れているの?)
 あたしに見つからないため?
 それで今頃、ひたすらに身を隠しているのか――
(ううん違う)
 身体に、視線が這う感覚がある。
 ――誰かがあたしのことを見ている……。
(どこ?)
 あたしは辺りを見回す。
(どこから見ているの?)
 辺りには何もない。小さな魚が泳いでいるだけ。
 ――だけど、いる。
 影が身体に張り付いているような――感覚が、感触に変わっていく。
(嫌な感じ……)
 少し――怖い。
 心臓が高鳴り始めた。気が抜けない。
(探さなきゃ……)
 視線を気にしながら、あたしは砂の上に身体を乗せた。
(どこにいるの?)
 あたしは上を凝視して、視線を下に向け――
 ――ドクン。
 胸の鼓動が強く響く。
 砂の中から、黒ものが見えた。
 細く、長いそれは、だんだんと下から姿を現してくる。
 ――まるで糸のような――
(ううん、糸じゃない――)
 海草――そう判った時には既に遅く、海草は完全に姿を現していた。
 黒い海草が腕に巻きつく。
 動く泥のような感触。ぬるく、ぬるく――離れない。
 そのまま下へ引きずられる。
(嫌――……)
 腕が砂中に入り込んでいく。
(嫌!!)
 反射的に――あたしは水の流れを変えさせていた。
 水が海草を腕から引き剥がす。
(嫌!!)
 海草の感触が嫌で、汚された気がした。
 触れられる怖さ。感情が黒く、濁っていく。
(やめて!!)
 ――身体の血が変わり始める。
 冷たく凍り付き、震えて、熱くなり――痛む。
(何が起きたの――)
 わからないまま、痛みは胸から全身に広がっていった。
 痛みは、なぞるように鈍く――鋭くあたしの身体を締め付けていく。
 だけど、
(嫌じゃない――)
 さっきの海草とは全然違う。
 ――むしろ望んでいる?
(どうして?)
 わからない。でも、受け入れている。
 痛みは、緩やかなスピードで、鈍くなったり鋭くなったりを繰り返していた。
 それでいて痛みは、少しずつあたしの全身に回っていく。
 胸から首へ、腕へ腿へ――一定のリズムを持って覆っていく。
(あたしの体内のリズムに合わせたみたいに)
 痛みよりも、ぬくもりが灯り――落ちていく。
(このままでいい)
 甘受ではなく、自ら受け入れた時――尾びれに異変を感じた。
(冷めていく)
 冷たい塊が、あたしを押え付けている。
 今までの緩やかなものが、だんだんと乱暴な冷たさに変わっていく。
(氷――じゃない。まるで石みたいに――)
 そのとき、既に尾びれは石化していた。
(一体何が起きたの――)
 ――そんなこと、どうでもいい――。
 時が止められていく感覚に支配されていく。
 あたしは磔にあったように、動けないまま、強い力に掴まれ――それは急激なスピードで、あたしの身体を奪おうとする。
 腕の中――細胞の一つ一つを押え付けて反抗を許さない程に。
 腿、腰、胸、首。
 さっきとは別の順序で、冷気が熱を磔にしていく。
 心地よくて、あたしはもう――
(呑まれる)
 身体全てを石化された瞬間、脳裏に映像が映し出された。
 あたしがかくれんぼをしている記憶――隠れている間の、禁じられているような、胸の高まり。
 呑まれる瞬間の感情は、それによく似ていた。

「大丈夫?」
 声のする方向へ、あたしは目を開けた。
「あの、海草は……」
「海草なら退治したから心配しないで。それよりあなたの方はどうなの? あなた、人魚の血を暴走させたでしょう? それで他の人魚が、沈静化のためにあなたを石化したのよ」
「え……」
 あたしは自分の身体を確かめた。
 もう、さっきの熱も、冷たさも残ってはいない。
(あれが……)
「余程、嫌なことがあったの?」
 相手は心配そうに聞いてくる。
「何があったの?」
「いえ、あの……海草に触れられたショックで」
 言葉に詰まる。この後のことなんて、
(言える訳……ない……)
 何か言おうと焦ったせいで、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
 顔に触らなくても、熱くなっているのが想像出来る。
「あの……大丈夫です……」
 その後の記憶は曖昧だ。
 憶えているのは、あたしはずっとうつむいて、相手の顔が直視出来なかったことだけ。



 終。