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<PCシナリオノベル(シングル)>


罪が支払う報酬

「よぉ、朔羅にーちゃん♪」
遠く闇の帳の向こうから、名を呼んで微かに届く声を、十桐朔羅は違いなく己へ向けられた物だと認識出来なかった。
 名に続く尊称が、あまりに身に覚えのない呼称であった為だ。
 声、というものはある程度の指向性を持つ。
 例えば、ざわめく群衆の中でも知人との会話が聞き取れるように、視線と意識とを向けるに認識が易くなる。
 だが、深夜のオフィス街で呼び掛けられるような人影が彼だけであっても、頭に明確な固有名詞がついていても、男の声で呼ばれるにはあまりに馴染みが薄すぎる。
「朔羅にーちゃんってばー♪」
朔羅は一人ッ子だ…ついでに言えば、分家とはいえいずれ能の一流派を任される身でもある。
 知人にも居る年少の少女からならまぁそう声をかけられなくもなかったが、直接名前で呼ばれる他は次代やご主人様、そんなもので、肉親的な親しみを想起させて呼ばわれる事など稀である。
 有り得ないという思いこみ…というよりも耳が認識を拒否して聞き流していたが、更に近付いて名と呼称をもう一度重ねられるに、漸く闇の向こうに目を凝らそうとした…が、それは不要だった。
 蛇行にタイヤが上げる高い擦過音に眼前を黒い風が行き過ぎる…等間隔の街灯の領域に、一瞬照らされた…無灯火にスピードも緩める事なく走り行く、黒い外車のボンネットに膝をついたまま片手を上げてにこやかに挨拶する青年が、声の主と知れた。
「……ピュン・フ−?」
名が脳裏に浮かぶと同時に口をついて出たが、その時には既に青年…一瞬の視認でも過たぬ程に印象の変わらぬ黒尽くめなピュン・フーの姿は視界から消え去って遥か前方に移動している。
 呆然とまた闇に紛れたベンツの後ろ姿を見送りかけ…バックライトが赤く点灯した途端、急な方向転換に逆走して戻ってきた。
 それがまた眼前を行き過ぎるを…見守るしかない朔羅の眼前で、炎が弾けた。
「うぁちちちちッ!」
その爆発に弾かれる…より先に跳躍したが、炎の広がりから逃れるまでは到らなかったピュン・フーが顔を庇った腕に赤い残滓をまとわりつかせ朔羅の前に下り立った。
 腕を払う、大きな動きに纏い付く炎を呆気なく散じさせ、横顔で片笑む。
「よ、朔羅。今幸せ?」
派手な動きにも頑固に顔に乗ったままのサングラス、真円のそれの合間から赤い瞳が覗いて挨拶がわりの問いに、朔羅は我に返った。
「ピュン・フー、怪我は……」
眉を上げ、ピュン・フーは駆け寄る朔羅を軽く広げた両手で迎えた。
「へーき、へーき。流石にーちゃん、可愛いおとーとの身を案じてくれるんだね♪」
「……ピュン・フー、熱は?」
着物の袂を手で押さえ、思わず朔羅はピュン・フーの額に手をあてる。
「いや、熱はねーけど」
その言の通り…というよりも、ひやりとした冷たさが掌に伝わるのに、朔羅は愁眉を寄せた。
「寒くはないのか?」
「こん位のが調子いーぜ?」
言っている間に、ばらついた足音が闇の向こうから響いた。
「動くな裏切り者!」
「たまには違う事言ってみよーぜ、オイ……」
げんなりと天を仰ぐピュン・フーに向けられた銃口は二つ。
 まるで揃えたように…黒尽くめの男が二人、街灯の灯りの領域に踏み込んだ。
「大人しく『虚無の境界』の情報を寄越せ」
一人がこれみよがしに、銀色のアタッシュケースを足下に置く。
「そうすれば、ほんの少しだろうが命を長らえられるよう…検体として、『IO2』に連れ帰ってやる」
唐突な状況に、朔羅は説明を求めてピュン・フーを見た。
 視線に込められた意を汲み、ピュン・フーは軽く肩を竦めると、朔羅を庇うかのように一歩を踏み出す。
「アイツ等が持ってる薬がねェと、死ぬんだよ、俺」
あまりに軽く言われた不吉な言…それを冗談と流してしまうには、向けられる殺意に緊張して張り詰める空気が許さなかった。


 どちらかが動けば間違いなく戦端が開かれる、その緊張のまま膠着した空気を朔羅は静かな声音で解いた。
「二度目の登場も意表を突かれたな……」
嘆息に似てしみじみと…現況に述べる感想としては些か的はずれな。
「お前は?」
黒服の銃口が、短い問いに答えを求めて動かされる。
「こないだ一緒にお茶した仲♪こんな可愛いのナンパに成功したんだ、いーだろー♪」
……どうやら緊張しているのは、黒服達ばかりのよう。
 すかさず答えたピュン・フーは、「黙れ」と一言吐き捨てられ、軽く肩を竦める。
 黒服は、朔羅に向かって顎をしゃくった。
「なら、さっさと行け。他言しなければ今後の生活に支障はない」
「てか、支障のありそな名称ほろほろ口に出してんのはお前等じゃん。新人教育、ちゃんと受けたのか?」
そして朔羅に口を挟む間を与えず、どう見ても彼より年長な男二人にさくっとピュン・フーは突っ込む。
「そう何度も抑制剤を奪わせるか…こちらが何の準備もしていないと思うのか?」
妙に自信に満ちた黒服に、こちらも楽しげにピュン・フーが受ける。
「珍しくやる気じゃん♪ま、最近ワンパタで俺も厭きてたしなー…お手並み、拝見させてもらおーか♪」
言いつつ、ピュン・フーは自分の眼前にすいと片手を翳し、無形の何かを握る形に五指の関節を折り曲げた爪が、不意に伸びた。
 厚みを増して、白みに金属質の光を帯びた鉱質の感触は十分な殺傷力を感じさせる。
 そしてふと、ピュン・フーは朔羅を振り返った。
「んでもまぁ、あっちもああ言ってるこったし。朔羅は帰った方がいいかもな?」
 素材は違えど、同色に統一された姿、そして共通して通じる風な会話の流れは元よりは知り合いで…そして今は敵対する関係なのだと判じるに容易だ。
「経緯を知らぬ私が混じっては事を拗れさせるだけだが、見知った顔を黙過も出来ぬ」
「何、朔羅。手伝ってくれんの?」
口笛でも吹きそうに楽しげに、感心するピュン・フーが後顧するのに息を吐く。
「ましてや、『死ぬ』などと零されては尚更……」
意思表示に、黒服の一人がピュン・フーの肩越しに見える朔羅に銃口をポイントした。
「なら、お前も敵対する勢力として認識する」
事務的な口調での宣告を、陽気な声がかき消した。
「流石にーちゃん♪やっさしー♪」
 何処までも緊張に欠けるピュン・フーに、朔羅は苦笑する。が、相手はそうも行かず、紛れない更なる敵意が向けられた。
「……私の力は軽微なものだ」
朔羅は自分の喉に手を添えた。
 目を閉じる。
 母音を吐く、形に開かれた唇はそのまま動かない…その意図に疑念を感じる間と。
「な……ッ!?」
行動を問う必要はなく、黒服達に反応は顕著に現れた。
 銃を支えきれずに取り落とした手が頭を抱え、堪えきれずに踞るように膝を折る。
 音なき音、声なき声。
 無音の波動は鼓膜を振るわせ、脳髄にノイズの形で振動を与えて思考と行動を麻痺させる。
「少々の時間稼ぎにしかならぬが、その間に薬を……」
黒服の声すらもないのにもう充分かと判じ、朔羅はピュン・フーに行動を促しながら目を開き…言葉を切った。
 否、失った。
 人事不省に地面に伸びる、ピュン・フーの姿を発見した為である。


「うぅ……頭がわんわんする……」
「すまなかった。よもやそんなに響くとは……」
場は、近隣の公園に移る。
 のびてしまったピュン・フーと黒服達の持っていたアタッシュケースを抱えて、朔羅はどうにか場を逃れた。
 朔羅は懐に常備している手拭いを水に浸し、ベンチにぐてりとへたばるピュン・フーの額に乗せてやる。
「イヤ、いーんだけどよ…薬は確保出来たワケだし」
額に乗せられた手拭いを、自分で目元の位置までずらして押さえ、首を上げようとしてまた呻く。 
 命がかかっている…というにしては些かぞんざいな扱いで、ピュン・フーはアタッシュケースを軽く蹴ると、爪先で器用に留め金を外した…開けば、緩衝剤の中に並ぶ小さな筒状の注射器は、赤く透明な薬剤の色に紅玉を並べたようだ。
「お、あるある」
ひとつを摘み上げ、目を瞬かせる…薬剤と同色の紅さに、誂えたような薬だと胸中に感想を抱く。
「効くといいな」
「んー、まぁ効かなかった事ねぇし」
ピュン・フーは注射器を軽く放ってまた空中で受け止めようと…するがまだ戻らぬ平衡感覚に取り落としかけるのを朔羅が慌てて掌に受けた。
「もう少し大切に扱ったらどうだ……長い患いなのか?」
「長いってぇたら長いか…10歳の頃にバケモンの遺伝子を後天的に組み込んで爪生えたり皮翼生えたりすんだけど、定期的にこの薬がねーと吸血鬼遺伝子が身体ん中でおいたを始めるんで命がヤバいワケ…ついでに普通のヤツよか可聴音域広いみたいでさ…さっきのはちょいキツかった……」
ぼやいて、『ジーン・キャリア』っつーの。と、口調は飽くまでも軽いまま続けるピュン・フーを見下ろし、朔羅は沈黙する。
 ピュン・フーは身体の位置をずらして、ベンチの半分を開けると、ぺちぺちと叩いて開いた場所に座るよう促した。
「もう一度会いたいと思っていた」
それに素直に応じ、隣に腰かけると言葉を選ぶ風で、朔羅は口を開く。
「物好きだな朔羅。あ、それとも俺ってばそんなに魅力的?」
笑うピュン・フーが、先の別れ際に残した言葉を覚えていない様子に、朔羅は思い悩んだだけ杞憂だったかと嘆息する。
「それとももう死にたかった?」
実はしっかり覚えていた。
 真っ直ぐにこちらを見る紅い瞳に浮かぶ光は楽しげで…一瞬、肌が粟立つ。
 そう、と答えれば、躊躇なく自分の命を断つだろう、迷いのなさが感じ取れる。
「色々と聞きたい事がある」
まるで己を糧とする獣の前に無防備に身を晒しているように…感じる恐れは、手の内に透明な注射器を見る静かな眼差しに隠して、朔羅は続けた。
「理由も分からぬまま、この地を去る訳にはいかぬからな…。貴方に言う気が無ければ、無理には聞かぬが…」
どう聞けば、どう問えば…はぐらかされずに答えが得られるか、悩む語尾が澱む。
「可愛い朔羅の為なら、スリーサイズから好みのタイプまで慎み隠さず答えるぜ♪」
既にその時点で答える気がない…そう思わせる安請け合いに、朔羅は肩を落とした。
「いや、いい……」
「そう言わねーで♪今ならオドロキの家族構成まで!ピュン・フーのヒミツを一挙大公開♪」
何処までも同じノリで通そうとするピュン・フーに朔羅は苦く笑うと、望む問いを諦め、感じたままを口にした。
「貴方も、大きな何かを胸に抱えているようだな……」
最初、知人に似ていると感じた印象は…髪や好む服の色の所為かと思っていたのだが、言葉を重ねるほど、その裡、踏み込めぬ位置に決して見せようとしない虚、を感じる。
 あまりに深く穿たれた為か血の色までは隠しきないというのに…ただ静かに見守るしか出来ない、痛み。あまりにもよく似すぎた、その香り。
「何故それをッ!」
ギクリと大きな動作で、ピュン・フーが大仰に驚いてみせる。
「実は怨霊機ってぇのが埋めてあんだけど…でもそんなにでっかくねーぜ?心臓よりちょいかさばる位?」
この位、と掌で大きさを示してみせる…よもや、そんな即物的な答えが返ると思わず、朔羅は呆れに声を失った。
「んでまぁ、これ入れる時が死ぬ程痛くってなー。縫い目もでっけーの。あ、見る?」
襟首を指で引っ張るピュン・フーに丁重に辞退し、朔羅は紅い瞳を見返した。左眼の強い黒と裏腹に、右眼が一瞬淡い水色に光を透かす。
「言葉には力がある。力を与えられた言葉は、何かしらの形で必ず貴方に還る。だから……冗談でも『死』などという言葉を軽んじて使うな」
言い含める朔羅の言に、ピュン・フーは何故だか正座になる。
「や、冗談でもねぇんだけど……」
「それなら余計にだ」
断じた朔羅の強い語調に、何故だかピュン・フーは楽しげに笑んだ。
「やー、にーちゃんに叱られるってぇのもまた新鮮でいーなー」
一人納得して頷くピュン・フーに、朔羅は眉を寄せた。
「……先刻から気になっていたんだが、そのにーちゃんとは何だ?」
「え、だって朔羅と俺ってば父と母は違うけどママは一緒じゃん♪」
意味不明な主張に首を傾げる。
「………ママ?誰の……」
事だと問おうとした語尾をピュン・フーが攫う。
「唯為が4つの時の子が朔羅で7つの時の子が俺♪よろしくね、おにーちゃん♪」
何が悲しうて同性の従兄弟を母に知らぬ場所で兄弟の契りを交わさなければならないのか…朔羅は覚えた眩暈に少し気が遠くなった。