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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


遊びは、終わりだ

■オープニング■

 いつも通りの月刊アトラス編集部。
 そこに妙に垢抜けたお軽い雰囲気の、大学生くらいの男が入ってきた。
「碇編集長〜、今月分の原稿、上がったんで持ってきました」
 彼――陰陽師兼売れっ子霊能ライターこと空五倍子(うつぶし)はにこりと笑い、いつものように原稿の束が入った茶封筒を麗香に渡す。麗香はその中身を取り出し、ぱらぱらと目を通した。
 そして満足そうに嫣然と笑む。
「御苦労様。空五倍子君」
「ど致しまして、っと。…じゃ、今日はこれにて失礼」
「あら、早いわね?」
 …空五倍子は編集部に来るといつも、用も無いのに茶を啜り、暫く駄弁ってから帰る。
 その彼が用件が終わるなりすぐ帰る、とは。
「いや…ね、なぁんか嫌な予感がするんすよ。朝から妙〜にダルくって、あんま人の沢山居るトコロに長居しない方がよさそうで…」
 言葉尻が消えるように小さくなる。
 そして室内の温度が一気に下がったような、気配。
 何か、変だ。
「…空五倍子君?」
『…誰を呼んでいる、女?』
「…え!?」
 次に彼の口から聞こえてきたのは、明らかに彼のものとは違う声。
『久しいなァ、この感触。我に手がある、足がある。目が見える。話す事も出来るなんて――なァ』
 ゆらりと頭を巡らせ、麗香を見遣る血のような赤い瞳――空五倍子の瞳は、本来ただの黒。
 視線が合うなり空五倍子――否、空五倍子の身体を使っている『何か』は、衝撃波で麗香を跳ね飛ばした。
「きゃっ!?」
「編集長っ」
「なんだ!?」
『――みんな何かにつかまって伏せてっ!』
「美都(みと)!?」
『空五倍子さんに何か憑いてますっ! 危険ですっ!』
「は!?」
『なんか凄い怨霊みたい…嫌、気持ち悪…っ』
 美都が訴える間にも、空五倍子を中心として、異様な空気は膨れ上がっている。
 ガタガタと揺れる机。室内に吹き荒れる嵐の如き暴風。書類も原稿も飛び交い、禍禍しい霊気が荒れ狂っている。
 はっきり言ってそんじょそこらの奴らに解決出来る事態では無い。出来そうなのは――時折ここを訪れる、強力な異能者の面子くらい、だろう。
「ったく…仕方無いわね…誰かに頼むしかないか…ただ、殺されちゃ困るんだけどね…ウチの看板ライターなんだから」
 …この凄まじい状況で気にするところはそこですか碇麗香編集長。


■とどのつまりは暴走中■

「何なんですかいきなりこれは…」
 ふと呟く和服の美少女。
 彼女は騒ぎの起きる前から編集部内に居たひとり。
「ちょっと危ないわよ天薙(あまなぎ)さん!」
「大丈夫です。放っては置けませんし…わたくしがどうにか致しましょう」
「…あんただけでこれがどうにか出来ンのか? …心配だな。俺もやるぜ。周囲の信心を集めるいい機会だ」
 つい先程までは天薙――天薙撫子(なでしこ)の手土産、芋きんつばを頬張っていたオッドアイの高校生――相模牡丹(さがみ・ぼたん)がぺろりと指先を舐めながら言う。
 右目は黒で左目は赤。髪は茶色。ついでにその口調の乱暴さからして…一見、ちょっと斜に構えた不良っぽい若者かと思われるが、この少年はそんじょそこらの柔な不良とは比べ物にならない。
 日本三大荒行のひとつにも数えられる、日蓮宗加行所での厳しい修行を出行してのけた正式な修法師である。
 即ち、そこらの同年代と比べ、精神力からして桁違い。撫子に続いた頼もしい言葉に偽りはない。
「相模くんも!」
「ったく凄い怨霊、か。いったいどこで拾ってきたんだか…。いーからそのまま伏せて隠れてろよ編集長に守護霊さんよ。…危ねぇからな。っつか取り敢えずな、あいつの持って来た原稿の内容訊いていいか」
「え?」
「その辺に原因があるかも知れねえだろ」
「そうね…原稿…か」
 編集長は口篭もる。
『…渋ってる場合ですか編集長! 別に相模さんに言ったからって別のトコにスクープ取られる訳じゃないんですから気にしなくったって!』
 半透明な美都が言う。
 彼女に限っては元々幽霊なので、物理的な被害はない。が…怨念と言うか圧倒的なその「気」に押されて、どことなく不調のようだ。
「…無理すんな? あんたみたいなのは、こういうのダイレクトに来るからな」
 ぽつりと美都に言う牡丹。
『あ…有難う御座います』
「…じゃあ言うわ。原稿の内容はね、港区にある愛宕神社近くでこのところ続いてた不審火。…不審火は不審火でも、有り得ない場所からの自然発火、の話」
「…愛宕神社に自然発火だ? ってまんまじゃねえか。火産霊神(ほむすびのかみ)しか連想できねえだろそれは…祭祀に何か綻びでもあったのか? …っておいおい、そりゃ下手な霊よりヤベえぞ!?」
「…その不審火、五日程前からぱったり無くなったとわたくしは伺っていましたが…ひょっとして空五倍子様が抑えられたんですか」
「多分その筈よ。別の筋から依頼されてたって聞いたから。…それが解決したから今回原稿になってるんでしょうし」
 編集長が言う間にも、≪空五倍子≫本人の気配からして徐々に変わって行く――と、言うか、部内に禍禍しい霊気どころか異様な熱の気が渦巻き始めた。暴風に撫でられ煽られた書類が、それだけでちりっ…と発火する。
「…当たりだな。火産霊神だ。いや、その眷属神か? とにかくその辺だな。火神には間違いない…で、あの男が不審火を抑えたって? …つーとまさか自分の中に招いたのかあの男は!?」
 神を。
 ――鎮める為に?
 それも、あの火産霊神を?
 無茶だ。
 …この神は自分で自分の力が制御出来ない。その上に元々の神威の高さに加え、攻撃的な力を増す事に繋がるその『怨念』は如何ばかりかと考えたら。
 下手に霊力の高い依巫に下ろしては、暴走――ところ構わず火を点けまくるだけだ。火伏せの神どころの話ではない、とんだ荒魂。
 ざざざ、と燃え上がる書類を目にして、誰かの悲鳴が上がる。
 そんな中、何か動きがあるたび、ひぃぃぃぃぃぃ、と叫んでいながらも、その片手にがっちりと何かを掴んだままの、背広姿の編集員らしい男――三下が少し離れた場所に居た。
 何やら口をぱくぱくとさせながら床にへたり込んでいるが、その目は取り敢えず何かを訴えたいよう。
 それも、碇麗香編集長に。
「何やってるの三下!」
「あ、あ、あ、あの…雪ノ下(ゆきのした)くんが…編集長にっ…替われ、と」
 彼が片手にがっちりと掴んでいたのは、電話の受話器。
 …この惨状の中電話を受けていたのか三下。いつの間にそこまで強かに。
「え? ちょっと雪ノ下から電話? 替わりなさい三下っ」
「っはいっ」
 慌てて麗香の電話に内線を切り替える三下。
 まともに電話が使用できるか否かすらいまいち不明だったが――繋がった。
「雪ノ下!? 聞こえる!?」
(…何だか大騒ぎみたいですね。空五倍子くんが何かに憑かれてるとか今三下さんが)
「そうなのよ! ってよく三下が今の間にそんな要領良く話せたわね…じゃなくって、あんた確か道士の系統だったわよね! 良かったらこっち来て助けてくれない!?」
 空五倍子は確か表向き陰陽師と名乗ってはいるが術のベースは道家だと聞いた事がある。
 ひょっとすると雪ノ下の方が、天薙の巫女な撫子や日蓮宗修法師な牡丹より色々と適任な部分もあるかもしれない。
 そんな相手とたまたま繋ぎが取れていたとなれば――これも縁。
(無論です。編集長には恩がありますから)
「本当!?」
(さっき近くのホテルで新作のインタビューだったんですぐ行けますから! 待っててやって下さいっ)
「頼むわよ雪ノ下!」
 編集長の声を聞いてから、がちゃりと通話を切る音が受話器から。
 麗香は受話器を元に戻した。
 …このままの惨状では、次に電話が掛かってきていたとしても通話可能かどうかわからない。

■■■

 数分後。
 電話での宣言通り雪ノ下が白王社のビル内部、アトラス編集部の前までやってきた。
 そして廊下、編集部の部屋の入り口から中を見て。
 雪ノ下は思わず叫んだ。
「うわっ、本当に憑依されてるよ空五倍子くん!」
『…何者だ?』
 ゆらりと首を巡らせ、≪空五倍子≫は現れた雪ノ下を見遣る。また騒がしいのが現れたとでも言いたげな表情。
 雪ノ下は編集部内に足を踏み込もうとする――が。
「お待ち下さい!」
「む」
 撫子の制止の声とほぼ同時、雪ノ下は霊視で編集部内に密かに張られている結界に気が付き、立ち止まる。
 どうやら対象者――この場合何者かが憑いている空五倍子――の力を削ぐ形に、普通とは異なる『鋼』の糸で編んである結界だ。外から不用意に入れば、折角の結界、壊してしまう事にもなり兼ねない。
 と、どう出るべきか考えて、止まったところで。
「何やら騒がしいようですが――」
 その雪ノ下の後ろから現れたのは長い長い黒髪の、年の頃にしては大人っぽい体型の、娘。
 何故か大きな発砲スチロールのケースを胸の前に抱えて持っている――その中からはじゃらじゃらと氷の音。
「――いったい何事ですか? …って、まあ、貴方様は火之迦倶槌神(ほのかぐつちのかみ)様でいらっしゃいますか!?」
 発砲スチロールのケースを抱えた少女は≪空五倍子≫の姿を見、迷いもせずにそう問うた。
 ついでにこの少女、嬉しそうな顔をしているのは気のせいだろうか。
『…お前は、何だ』
「これは大変失礼を致しました。お初にお目に掛かります。わたくしは海原(うなばら)みそのと申します人魚の裔で御座います」
『人魚…?』
 みそのの挨拶に、考えるような顔をする≪空五倍子≫。
 次にはじっとみそのの瞳を見据えた。
『…汝(うぬ)は深き闇の底に坐する巫女か』
「まあ、わたくしの“神”様の事を御存知なのですね! 光栄ですわ!」
 この場合、『闇』は山に対する暗き低地――谷を表し――延いては海の底を表す。
 そしてみそのは深海の底で封印されている『名も忘れられた海の神』に仕える深淵の巫女。
 …当たっている。
 それを見て撫子がみそのに問おうと声を張り上げた。
「…あの海原様、この御方は…お知り合い…と言ってしまうのも語弊があるようですが…この御方の事を、御存知なのですか?」
「荒れ狂う原初の炎の神様ですわ。わたくしは火之迦倶槌神様と記憶しておりますが…色々な呼び名が御座います」
「それはわかっておりますが…はい。本職の巫女である海原様がそう仰るのなら、火之迦倶槌神――港区の愛宕神社でしたら火産霊神――様だと…相模様の仰っていた通り、それで間違いないと考えて宜しいのですね」
 撫子はそう確認すると≪空五倍子≫に向き直り、丁寧に頭を下げる。
「わたくしも、知らぬ事とは言え大変失礼を致しました。どうぞお許し下さいませ。
 わたくしは天薙の巫女をしております、天薙撫子と申します」
『天薙…』
 ぽつりと呟き、≪空五倍子≫は黙り込む。
 何かを考えて居るのか居ないのか、随分と虚ろな瞳だ。
『ああ、汝も巫女か。…不思議なところだな、ここは』
 くく、と喉を鳴らし、小さく笑う。
 と。
 編集部の部屋の前でいつの間にか正座していたみそのが、前に置いた発砲スチロールの箱の蓋を開け、中身をざっ、と取り出し、捧げ持つ。
 その手にあったのは――生カツオ一本。
 先程からじゃらじゃらと鳴っていたのは保冷の氷だったらしい。
「…」
 彼女の隣で思わず絶句する雪ノ下。
 この場でいきなりカツオが出てくるとは誰も思うまい。
 そんな雪ノ下には一切構わず、みそのは≪空五倍子≫にそれを差し出した。
「申し訳ありませんが、手持ちがこれしか御座いません。本来でしたらもっと良いものが必要なのかも知れませんが、わたくしがお酒を持ってくる訳にも参りませんから。宜しければどうぞお納め下さいませ」
『…』
≪空五倍子≫はみそのの差し出した生カツオを一瞥する。
 と。
 みそのから差し出された生カツオは、突如巻き上がった炎で綺麗に炙られた。
 ――これは撫子の張った結界もあまり、効いていない。…否、呪封じの結界で力が抑えられた状態で、これなのか。
 ならば、元が強過ぎる。
『………………もらっておこうか?』
 しかも≪空五倍子≫にすれば特に、害意は無いようで。ただ、見ただけで、意識を向けただけで炎を起こす。少しでも邪魔と思われれば、それだけで先程の編集長のように、衝撃波で飛ばされる。
≪空五倍子≫はゆっくりと足を進めた。編集部の外を見て、みそのの居る方向へ。
 撫子の結界に区切られたそこで、意識的にか無意識でか、≪空五倍子≫は足を止める。
 そして、手を伸ばした。
 が。

 ばちり

 ――結界の境で、衝撃が。
 手を伸ばした≪空五倍子≫は一度、そのままの姿で止まる。
 何が起きたのか要領を得ない様子で、ゆっくりと首を傾げた。
 その間にもじりじりと灼けるように火花が散っている。
 やがて≪空五倍子≫は振り返り、撫子を見つめた。
 これが誰の為した結界か、気付いている。
『…抜け目のない女子(おなご)よの』
 言葉の、直後。
 見つめられた撫子の着物に、ちりちりと、火が。
「天薙様!」
 みそのの叫びと共に空気が動く。火産霊神が齎したと思われる熱気が、ふと退いた。
 撫子が≪空五倍子≫に向け張っていた呪封じの結界の外では、みそのが撫子に向け手を差し出している。空気を――酸素を操り退かせ、火を消した。
 その時既に呪封じの結界は、在って無きが如し。
「…お鎮まり下さいませ、火之迦倶槌神様。そのような行動、本意ではない筈」
 みそのが切に告げる。
 と、その時。
「…ちょっと待ってくれお嬢さん」
 雪ノ下が鋭く口を挟んだ。
「…何ですの?」
 きょとんと問い返すみその。
「変だ。――違う」
「何がです?」
 違う、とは?
 雪ノ下の発言に疑問を抱いたか、撫子も彼に問いかける。
「これは神威は強いが――『神』じゃない。火産霊神じゃ、ないよ」
「え!?」
「神様にしちゃ虚ろ過ぎる…それも火神なんて言ったら、古今東西荒々しいもんだろう! それが霊視して『虚ろ』に視える事が、あると思うか!?」
「そうは仰いましても、この神気は火之迦倶槌神様のものとしか…」
「わたくしにもこの御方は火神にしか思えません! 違うと仰るのならば、いったい何だと!?」
「それは…」
 口篭もる雪ノ下。
 違うとは看破出来ても、何がどう違うとまでは、上手く言えない。雪ノ下の知る理(ことわり)とは違う理の存在だから。
 と、そこに。
「…修陀羅婆底 仏駄波羶祢 薩婆陀羅尼阿婆多尼 薩婆婆沙阿婆多尼――」
 牡丹の朗々たる普賢呪が響いた。
「――修阿婆多尼 僧伽婆履叉尼 僧伽涅伽陀尼 阿僧祇 僧伽波伽地…」

 カァン

 牡丹はいつの間に取り出していたのか、桃の枝で作られた神祟り用の木剣と数珠を合わせて打つ。
「妙、法、蓮、華――」
 打ち鳴らしながら、九字の祈祷肝文を唱え。
「――経、序、品、第、一」

 じゃらり

 数珠を鳴らし、合掌。
「南無妙法蓮華経、鎮まり給え…有難うよ雪ノ下とやら。あんたのおかげで正体が視えた」
「そうか! ええと、あんたは…」
「相模牡丹。日蓮宗の修法師だ」
「で、何と見た!?」
「火産霊神で間違いはねえよ。ただ…本体じゃ、ない。『残滓』だ。…神威と、思念。きっと、それらをまとめる本体は収まるところに収まってるんだろ。そうじゃなきゃまた別の場所でもっと大騒ぎになってらァ。これはな、言わばさっき編集長が言ってた不審火――自然発火の現場に残された『痕跡』、即ち『力』だけ暴走してるようなもんだ。…っておいおい、どうやらこの霊媒――空五倍子とはやらは火属性を打ち消す方の体質じゃねえか? そこに憑いててこの惨状かよ。…凄えな」
 右目を閉じ、霊眼である左目だけでじっと≪空五倍子≫を見据えながら言う。
「ま、そちらの巫女さん方は神サン専門が故に気付けなかった訳だな。『神を疑ったら巫女として失格』だろ?」
 ――疑ったなら、降ろせない。
 ――仕える事も、許されない。
 だから。
『…ほう』
 感情のこもらぬ声で≪空五倍子≫が言う。
 撫子の編んだ呪封じの結界に加え、牡丹の木剣加持で更に力が抑えられ、その力の発現――熱気が幾らか緩んで来ているのに、≪空五倍子≫の態度は何も変わらない。
 否、むしろ…。
『我は、我ではないと言うか』
 くくく、とまた笑う。
 心底楽しそうに、身体を折って。
『望まずも母を殺し、即座に父に殺され、生きる暇(いとま)も無く邪神として封ぜられた我のこの想念――偽りと言うか』
 ははは、と狂ったように。
 血を吐くような、低く抑えられた声。
 …抑えた筈の熱気が、再びじわじわと戻ってくる。
『――またも我を滅すると言うか――ならば相応の礼を致そう』
 俯いたまま見上げられた血のように赤い両眼が、ぎらりと光を帯びた。

■■■

 刹那。
 編集部内にでたらめに衝撃波が巻き起こる。強大な力を持つ何者かの手に押し潰されるような形でひしゃげるデスク。椅子が飛ばされ、壁にぶつかり、凄まじい音が響く。陥没する。衝撃にガラスが割れ、ドアが捻じ曲げられる。飛び交う編集員たちの悲鳴。
 渦巻く瘴気染みた熱気の中、≪空五倍子≫は悠然と佇んでいた。
『…さァ、楽しませてもらおうか?』
 牡丹を見、ゆらりと足を運ぶ。
 それだけで熱気が揺らめく。≪空五倍子≫が近付くその場。紙が、布が各所で発火し、即座に炭化する。
「害を為そうと言うのなら――」
 牡丹は紅の霊眼のみで真っ直ぐ≪空五倍子≫を見据えた。
 そして跳ね上げるように木剣の切っ先を向ける。
「――残滓相手だ。容赦はしねえぜ?」
 と。
「――失礼致します」
 撫子の声が響き渡る――と同時に、煌く細い糸が縦横無尽に放たれた。撫子の『妖斬鋼糸』。雪ノ下の見越した通り『普通とは異なる鋼』――神鉄製の鋼の糸。
 妖などの捕縛や結界を張る為など、様々な形で使える、術具。
 それが≪空五倍子≫の腕や足に絡み付き、動きを止めた。
「ナイスタイミング」
 撫子をちら、と見て、牡丹。
 返ったのは小さな微笑みだった。
 が。
≪空五倍子≫がその『妖斬鋼糸』を自分の身体の自由になるほんの一部分、指先一本でぴん、と弾く。
 するとその糸を伝い――炎が滑って行く。
 熱は炎は、火産霊神の領分。
 撫子が為した呪力封じを兼ねた糸縛りでさえ、主導権が奪われる――。
 ぎこちなくだが、≪空五倍子≫の身体が動き出す。
 それを見て。
「相模くんに天薙さんだったな! 後は任せてくれっ!」
 雪ノ下は腰を落とし構え、体内から勁力を呼び起こす。
 そして。
 目にも留まらぬ速さで、未だ動きの鈍い≪空五倍子≫に肉迫した。正拳、掌底、蹴撃。残像が出来る程の早さ。何度も突き入れ、叩き込む。彼の為したのは軽功の技。勁力を利用し、本来の自分よりも軽い動きを実現する。その状態で、間断無く武術の技を繰り出している。
 打たれるまま身体を折り、後退して行く≪空五倍子≫。
「リィィィヤァッ!」
 雪ノ下は仕上げのように最後、その身体を蹴り飛ばす。
 けれど壁にぶつかり崩れ落ちた木偶のようなその身体は、大したダメージも受けていないように、顔を上げた。
 確かめるようにどっかりと床に手を突き、立ち上がろうとする。
 雪ノ下の息が荒い。
 そんな中、右の掌に改めて勁力を集中させる。
 今までとは違う、何か、大きな力の守護を受けた。
「本体では無い、とは言えね…それでもやっぱり、生半可な術じゃ無理なようだ――」
 一旦言葉を切り、溜める。
 そして。
 勁力を凝縮した掌底を、空五倍子に向け、叩き込むように。
 打ち出す。
「――黄龍轟天破っ!」
 放たれたのは咆哮する眩い光。
 守護龍の力でその威力が増幅された、雪ノ下の、奥義。
 有態に言えば、相当強力な、外気発勁。

 どくん

 雪ノ下の気の奥義をもろに受け、立ち上がり切らないところを糸が切れたようにがくりとよろめく空五倍子。だが完全に倒れる前に踏み止まり、デスクのひとつに手を置き、支えた。

 そしてまた、ゆらりと面を上げる。

「――…どーも。大変ご迷惑お掛け致しました」

 その口から発されたのはいつも通りののほほんとした科白。
 空五倍子の瞳の色はもう、元通り、黒かった。
 ――黄龍轟天破が弾き飛ばしたのは、彼に憑いていたその『神の残滓』のみ。
 それらは悉く――四散した。


■戦い、済んで…■

『空五倍子さんっ』
「空五倍子くんっ」
 空五倍子に駆け寄る雪ノ下と美都。
「大丈夫か! ちょっと無茶してしまったが!」
「…そう言えば身体の節々が痛いっすね。ま、仕方無いでしょうが…」
 考えるように空五倍子はその場をじっくりと、ゆっくりと見渡す。そして自分の腕を見、少し動かしてから口を開く。
「案外、覚えてるもんですね。憑かれてる間の事も」
『す、凄く怖かったんですよぉぉぉっ! どうなっちゃうかと思いましたっ』
「ごめんねえ。美都ちゃん幽霊だから余計怖かったでしょ。それに、身に覚えがあるから余所様相手でも怨念と言うか霊威のレベルは予測付くもんね。見たとこ…大した怪我人は出てないようなのが唯一の救いかな…。俺タンキー向きじゃなかった筈なんですけどねえ…皆様ホントにスミマセンでした」
 タンキー。それは道教の系統の、『巫覡』――『シャーマン』の事。
 ――タンキーは、術者が神を自らに下ろす。
 空五倍子は本来、どちらかと言うと方士の類だ。特に道を極めたい訳でも無いので厳密には道士とも言えず、結局は現世利益の方術、中心。
「…あー、この騒ぎの弁償か…痛いなあ」
「このくらいの弁償、軽いでしょ。知ってるわよ。貴方は結構溜め込んでるってね。空五倍子?」
 冷ややかに編集長。
「いや、ちっとも軽かないんですが。単純にここから見渡した感じで…定額貯金幾つか崩さなきゃ間に合いそうもないですから…」
 嘆息しつつ、頭の中で計算。
「机や椅子は全部ダメそうで…書類や原稿なんかも大抵ぱあですね…窓やらドアも…いやあ風通し良くなっちゃって…う。すみません…あー、壁あの辺破れてるな…あ、陥没してもいる…ああ床が熔けてる…ここもあそこも…はい。
 全部弁償しますから…この件は皆様、口噤んでやって下さい。お願いします」
 へこりと心底申し訳なさそうに頭を下げる空五倍子。
 …これが表沙汰になったら、はっきり言って今後の仕事に差し障る。彼にすれば死活問題だ。
「じゃあ、ここにあった焼いちゃった原稿の分の弁償としては…今ここで全部書けってのはさすがに物理的に無理だからね…半年タダ働きで許してあげるわ」
 少し考え、ぽろりと編集長。
「………………了解」
 そんな無茶な要求も、渋い顔をしたまま、素直に受け入れた。
「ん。今後とも宜しくね?」
 潔い空五倍子の答えに満足したか、編集長からは艶やかな笑み。

■■■

「ところで」
 こほん、と一度咳払いをし、空五倍子はこんがり炙られたもう生とは言い切れないカツオを指す。
「…どうしましょうそれ。…件の愛宕神社にでも奉納してきた方がいいんでしょうかね?」
 みそのが火産霊神に手渡そうとしたこのカツオは何となく、ちょうど良い具合にカツオのタタキになっているような気がする。
「…って、いくら神社とは言えいきなりカツオ一本は…持ち込まれた方が困りそうな気がするけど」
 取り敢えず。
 …カツオ一本と来れば、結構デカい。
 ついでにちょっと炙られたとは言えまだ生物は生物。
 物凄く単純に処理に困る。…生物は保存が利かない。
 そしてみその曰く見事に生のままのカツオ一本も編集長にと別口であるらしい。
 …碇麗香はひとり暮らしなのだが…。
 ここにあるのはカツオが合計二本。
 それらを見て面倒臭そうにぽつりと牡丹。
「…今ここで刺身にしちまうのが一番無難じゃねえか? ちょうどヒトがたくさん居る事だし、現在進行形でどんどこヒト来るし、茶菓子っつうにゃ変だが、一番無駄にならねえンじゃねえの?」
「三下」
「…は、はい?」
 急に話を振られて気弱な編集員がびくりと反応する。
 と。
「あやかし荘の皆さんにも分けるから持って行きなさい」
「へ、えっ?」
 予想外に普通の科白が。
「あんたみたいなののお世話してくれてる大事な人たちでしょう」
 いつも世話になってるんだから、たまにはこのくらいしてやったって、バチは当たらないでしょ。
「あ、ま、ま、まあそう…ですけど…少なくとも管理人さんにはそうです…」
「じゃあそれで決まり、ですか?」


■一段落/雪ノ下正風■

 一段楽して暫し後。
「まったくもって不覚。本当にお手数掛けましたね雪ノ下さん」
「びっくりしたよ。まさか君が憑かれるなんてねえ。それも…取材でだって?」
「…ええまあ。別件の依頼をそのまま取材にしちゃったようなもんなんですが。
 俺は元々火は打ち消す方の相性だったもんで自分自身はあまりガードしなかったんですよ。周りばっか見てまして。…少し先の見通しが甘かったみたいです」
「そうは言ってもね。ま、だからこそあまり豪快に各所を破壊せずに済んだんじゃないか?」
 火産霊神と言えば、和魂であれば火伏せの神だが、荒魂であるなら邪神とさえ見られる荒々しい神。本格的に暴走するならそう簡単には制御不能。
 …今回のように残滓程度であっても、抑えのまるっきり無い暴走状態だったら白王社のビルくらい軽く大火事にしそうな気がする。
 それを考えると一応、憑いた相手が空五倍子だったと言うのは…幸運だった感もある。
 霊媒が逆の属性だったから、その時点である程度力は抑えられている。だからこそ、それ程大した事が無くて済んだのだ。
「ひょっとして火産霊神様御大のぎりぎりの理性だったんでしょうか。依代が『俺』だったってのは」
「さぁねえ。それこそ『神のみぞ知る』じゃないのかな?」
「ごもっともです」
 と。
 空五倍子が肯定したところで、編集長が口を挟む。
「…取り敢えず、来月号用に穴埋めで使えそうな原稿頼めないかしら。ふたりとも。…ああ、雪ノ下には無理にとは言わないけど。例の『魔女っ子ノエル』、大ヒットなんですって? おめでとう。忙しいところに悪かったわね」
「いえ。たまたま近くまで来てましたしね。電話でも言いましたが、こちらには恩がありますし。気になさらず」
「そう? なら良かったけど。ついでに、ちょっとでも何か使えそうな原稿くれたら嬉しいけどね?」
「考えておきますよ。暇が出来そうだったら、ページ一枚分くらいは」
 雪ノ下は苦笑しながらカツオの刺身を一切れ口に入れた。

■■■

「ところで空五倍子くん」
「はい?」
「今回のこの騒ぎを小説にしても構わないかな? いや、無論実名は出さないし、それなりに脚色もする。あくまで小説と言う形でだ。どうだろう?」
「…しょ、小説ですか…。うーん…アトラス経由で事実がバレそうで怖いんですけど」
 と、言うよりアトラスには戒厳令出しといて、雪ノ下の小説のネタには許可を出したとなると…違う意味でも後が怖い。
「そうか…残念だなあ」
 嘆息しつつも雪ノ下は日本茶を啜る空五倍子の様子をじーっと観察している。
 …本当に諦めたのだろうか?

【了】


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 ■整理番号■PC名(よみがな)■
 性別/年齢/職業

 ■1388■海原・みその(うなばら・みその)■
 女/13歳/深淵の巫女

 ■0328■天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)■
 女/18歳/大学生(巫女)

 ■0788■相模・牡丹(さがみ・ぼたん)■
 男/17歳/高校生修法師

 ■0391■雪ノ下・正風(ゆきのした・まさかぜ)■
 男/22歳/オカルト作家

 ※表記は発注の順番になってます

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■         ライター通信          ■
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 ※オフィシャルメイン以外のNPC紹介

 ■空五倍子に憑いていた怨霊もとい神(能力の一部+思念のみ)■火産霊神(ほむすびのかみ)■
 ?/?歳/火神・鍛冶神

 ■不覚にも憑かれていた某霊能ライター■空五倍子・唯継(うつぶし・ただつぐ)■
 男/20歳/大学生兼マスコミメディア対応陰陽師兼霊能ライター

 ■困っていた常駐幽霊■幻・美都(まほろば・みと)■
 女/(享年)11歳/幽霊・月刊アトラス編集部でお手伝い

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 さてさて。
 深海残月です。
 相模様、雪ノ下様、はじめまして。
 そして海原家の皆様に天薙様には、いつもお世話になっております。
 このたびは御参加有難う御座いました。

 まずは取り敢えずタイトルにツッコミが入らなくて安堵してます(何の話)
 …某「酒好きで尻尾から剣が出る多頭大蛇」と思い至られたらどうしようかと思ってました(はい?)

 やっぱり戦闘メインにしようとすると前置きが長くなっちゃいますね…。
 そして必然的に本題も長くなり…。
 も少し短くまとまるよう、精進したいです。
 そして依頼文章提示時点では何だかんだと書いていた癖に、結局空五倍子当人の術傾向は殆ど関係無しで終わってしまいました。単に霊力が強い、けれど反属性な無理矢理の依代だった、ってだけで終わってますね。
 …いえ、術傾向までちゃんと含めて書いちゃったら、現時点で充分長いのに、その上に軽くその二、三倍は長引いてしまうだろう事に書いている最中に気付きまして…見通しが甘かったです…。

 えーとですね、白状しますと実は今回、「ホムスビノカミ(ホノカグツチ・カグツチ・ホノヤギハヤオ・ホノカガビコ)」と「ヒルコ(エビス)」と「人物神(将門とか道真とか崇徳院とかの類)」と、どれにしようか着手ぎりぎりまで迷ってまして(ぉぃ)。つまり数パターン構想していた訳なんですが(…無茶な)
 結局ホムスビノカミ統一で収まりました。
 生まれる時はその炎によって母殺し、で、そのせいで激怒した父に殺されるって言う衝撃的で悲劇的な神様ですね。その死の際に色々な神様を生み出してもおります。
 性格的な意味合いでは個性が薄い?+だけどその実かなり恨み持ってそう+そうで無くとも「一番能力が暴走しがち」だな、との独断と偏見から採用させて頂きました。今回、空五倍子に憑いた(降りた)のはその「能力の一部」と「思念」です。…本人(神)じゃありません。
 が、それだけでも並以上の怨霊レベルと言う訳で…。
 …いえ、ひょっとすると大物かもしれない神様、となれば…そう簡単に御大自らを降臨させてはまずかろうとも思い(…だったら初めから神などと言うな自分)

 …ちなみに将門にもかなり惹かれたんですが、「東京」怪談に使っちゃあ似合い過ぎで逆に恐れ多かったりしてやめました。依代やってる空五倍子がそれ程大物とも思えませんし(酷)、将門程ベーシックな存在だったらひょっとするといつかオフィシャルで出る事もありうるかな、とか密かに勝手な事考えまして(笑)

 今回、個人的にかなり悔しかったのが我がパソの日本語入力システムで「タンキー」の字が出せなかった事です(苦)。恐らく某ワープロソフトが一本、98より低いヴァージョンで入れてあるから引き摺られちゃってるんでしょうが…。
 ちなみに『童』と言う字に『音読みで「ケイ」と読む「うらなう」』と言う字の二文字なんですけどね…。
 …空五倍子が女だったならまた別の言い方をするんで…そちらの字だったらちゃんと出てくれたんですが…あれは一応男なので…うう。
 それから火之迦倶槌神の「迦」の字は本当はしんにょうに点が一個足りませんし…。
 その辺の文字が出てくれなかったのが唯一の心残りです…(ああヴァージョンアップさせなければ…)
 …って細か過ぎますかね(笑)。…素直に片仮名で書けばそれでいい? …ごもっともです(滅)

 雪ノ下様。
 オカルト作家で幽玄道士さん直系ですか!? ひょっとすると当NPC空五倍子の設定とかなり近いです。奇遇ですね(笑)。発勁を使われると言う事でしたので…勁功・武術全般使われるのだと理解して書いてしまいました。なんか変だったらすみません…。
 それから…えー、この神様相手の場合…黄龍だと属性(土?)がちょっとアレな気もしたんですが…こちらが予め属性を明示していなかった事もありましたんで、どうぞその辺りは気に掛かったとしても目を瞑ってやって下さいまし♪ 黄龍→黄帝って事で問答無用な強さとしても可かなと(ぉぃ)
 また、空五倍子の事を仲間と呼んで心配して下さって有難う御座いました…。ああ、お忙しいところだったと言うのにわざわざ手をお貸し下さって…。「魔女っ子ノエル」、更なるヒットを期待してます(笑)

 …こんなん出ましたが、楽しんで頂ければ、御満足頂ければ幸いなのですが…。
 気に入って頂けましたなら、今後とも宜しくお願い致しますね。

 そしてまた本文どころかライター通信も長い…(殆ど言い訳か?/汗)

 深海残月 拝