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満月影
●序
空に、ぽっかりと穴が空いている。光が、そこから溢れている。光……そう、それは光。それなのに、どうしてこんなにも不安になるのだろう?それはきっと、空に空いている穴の所為。あの穴は、全てを飲み込もうとしているから……。
草間興信所に、一人の女性が訪れた。大越・美鶴(おおごし みつる)、大学生の20歳。彼女は毎晩、少しずつ住んでいるアパートの一室に何者かが近寄ってきているのだという。
「絶対に、気のせいとかじゃないんです。……もう昨晩は玄関の一歩前までいたわ」
「どうしてそれが分かるんです?」
草間はそう言って、煙草を一本口にくわえた。美鶴は溜息をついて、デジタルカメラを取り出す。そこには、はっきりと足跡が映っていた。
「それしか、映ってないでしょう?その足跡だけが残ってるんです」
「ここに至るまでの足跡と、それから何処かに行ったという足跡が無いという訳か」
「ここが私の部屋です」
美鶴はそう言ってデジカメに映っているドアを指差す。確かに、あと一歩で彼女の玄関に到達するであろう。
「もしかしたら、他の部屋に向かっているんじゃ……」
「最初はそう思ったんですけど、アパートの入り口から真っ直ぐに私のいる部屋に向かってたんです。……もう、どう見たって私のいる部屋を目指してるんですよ」
「それで、何か心当たりは無いんですか?」
草間が尋ねると、一瞬美鶴は口を閉じ、それから苦笑しながら口を開いた。
「実は、将来を見るおまじないをしたんです」
それは、満月の夜に大きな鏡の前に立ち、月の光を手鏡に受けてその光を大きな鏡に反射させるというものだった。月の光に照らされた中に、将来の自分が見えるのだという。
「ただ、その時にやってはいけない事があるんですが……私それをしてしまって」
「何をです?」
「声を出す事、です。声を出すと、将来の自分が現在の自分に気付き、成り代わろうとしてくるんだとか」
「つまり、あなたはこの向かってくる足跡の正体は、将来の自分だと思ってるんだな」
「そうです。……将来の自分は、現在の自分となるために現在の自分を殺してしまうとかいう噂もあるんです。お願いします。将来の自分を追い返して欲しいんです」
(しかし、本当にそれは『将来の自分』なのか?)
草間は小さく考え、溜息を一つついた。
「分かりました。すぐに調査員を向かわせましょう」
そう言うと、草間はライターで煙草に火をつけた。くわえたままで、火をつけるのをうっかり忘れてしまっていたからであった。
●前行動
穴は不安を生み、不安は更なる穴を呼ぶ。もう閉ざしてしまいたい、もう埋めてしまいたい。そう切に願っているのに、穴はそのまま存在している。それが底知れぬ恐怖を呼び、そうしてだんだんと深みへと埋まっていくのだ。
草間興信所に、五人の男女が集まっていた。美鶴の依頼を聞いた調査員達だ。
「そう言う風にして悪魔を呼び出すって言うのならば、聞いた事あるけど」
と、黒髪に青い瞳を持つシュライン・エマ(しゅらいん えま)は言った。美鶴の言う「おまじない」に不思議な感覚を覚えているようだ。
「向こうから来るというのならば、待てばいい。随分とサービスのいい将来だが」
と、金髪に黒い瞳の真名神・慶悟(まながみ けいご)は言った。口にくわえた煙草からは、白い煙が天井へと立ち昇っていっていた。
「よくは判らないですけど……困ってらっしゃるんでしたら、助けてさしあげたいです」
と、青い髪に青い瞳の海原・みなも(うなばら みなも)が言った。やんわりとした口調とは違い、その表情は凛としている。
「依頼人は美女なんだろうな?」
と、緑の髪をかきあげながら黒い瞳の雪ノ下・正風(ゆきのした まさかぜ)は草間に尋ねる。
「ああ、可愛い感じだったな」
「それならば、良し!」
妙に納得し、正風は頷いた。その様子に、隣にいた赤い髪に赤い瞳の藤咲・愛(ふじさき あい)は「ふふ」と妖艶に笑った。
「月……ねぇ。あたしは太陽よりも大好きよ。妖しく輝く月光には得体の知れない魔力があるもの」
「そうね。月と鏡を使ったおまじないって、色々なバリエーションがあるものね」
シュラインが頷きながら愛に賛同する。愛は頷き、言葉を続ける。
「あの光を見ていると吸い込まれそうになってしまうわ」
「それはそうと、急がないといけないんじゃないかい?足跡は、今晩にも彼女の元にやってくるんだろう?」
正風の言葉に、一同は頷く。
「逆をやってみたらどうかしら?今回のおまじないの、全くの逆」
シュラインが言うと、みなもがそれに賛同する。
「あたしもそれを考えました。その為には、大越さんに詳しくそのおまじないの方法を聞こうと思って」
「……彼女の身代わり作り、それで一時をしのぐ事ならば出来るが」
ぼそり、と慶悟が懐からなにやら出しながら言った。それは人型をした紙。それで彼女の形代を作ろうとしているのだ。
「なんなら、あたしが囮になってもいいし」
ふふ、と愛が笑う。ポケットに入れてある、鞭をぎゅっと握りながら。
「じゃあ、ともかく彼女に会いに行こうじゃないか!対処はそれからの方がいいと思うが」
妙にうきうきしながら正風が言った。一同は正風の様子に一抹の不安を抱えつつも、頷く。
「あ、ちょっと待ってね」
シュラインは草間興信所を出ていく前に、鏡を手にする。
「予備に持っていっておくわ。武彦さん、いいわよね?」
「そりゃあいいが……」
有無を言わせぬシュラインの言葉に、ただただ草間はうなずく事しか出来なかった。
「あ。あたしもこれ、借りますね」
みなもはそう言ってぽつんと置いてあったノートパソコンを手に取る。こちらも有無を言わせない言い方だ。
「頼むから、二人とも壊すなよ」
草間はとりあえずそれだけ言った。否、それだけしか言えなかったのであった。
●時間経過
ぽつりと空いた、空虚な穴。それを埋めんが如く、光が集まっていく。ああ、それは不安を呼び起こすだけなのに。光を集めたからといって、不安がなくなるわけではないのに。それでも穴は、光を集める。……否、光が穴に集まっているのかもしれない。
美鶴の家は、何処にでもありふれているアパートであった。
「あ、これじゃない?」
愛が地面を指差し、皆に言う。愛の指差した方向には、うっすらと足跡が残されていたのだ。デジカメの写真と同じ位置にある、足跡。
「変ですよね」
ぽつり、とみなもが呟いた。その呟きに、皆がみなもに注目する。
「将来の自分が入れ替わりに来ていたとして。その将来の自分は見えなくて、足跡だけと言うのはちょっと変ですよね」
「何が変だと言うんだい?」
正風が尋ねると、みなもは口元に手をあてながら後を続けた。
「将来は見えなくて、足跡……つまり将来の過去だけ見えているというのはなんか納得できませんよ」
一同は、小さく考える。確かに、と呟きながら。
「しかし、これは現実に起きている事だ。納得出来るか、出来ないかではなく」
慶悟が言うと、みなもは「そうですね」とだけ答えた。未だに納得は為されていない。
「それも含めて、彼女に聞いてみればいいじゃないか」
言うが早いか、正風はチャイムを押す。ピンポン、という軽快な音の後にドアが開いた。
「草間興信所の調査員の方ですね。どうぞ」
中から出てきた美鶴は、少し青ざめていた。疲れているのかもしれない。
「ええと、まずおまじないの事なんですけど」
部屋に案内され、座ると同時にみなもが口を開いた。
「詳しく、教えて貰えませんか?」
「詳しく……と言っても」
戸惑う美鶴に、みなもは微笑む。
「詳しいやり方とか、何処で知ったかとか」
「知ったのは、友達から聞いたんです。満月の夜に大きな鏡の前に立って……ああ、この鏡なんですけど」
美鶴は部屋に置いてある姿身の鏡を指差し、続ける。
「それで、月の光を手鏡……これに受けてその光を大きな鏡に反射させるんです。月の光に照らされた中に、将来の自分が見えるからって」
美鶴の手にしている手鏡は、可愛いキャラクターの描かれたものだった。一応の情報を得たみなもは、持ってきたノートパソコンを起動させ、ネットで調べ始めた。
「ちょっと、やってみて貰えるかしら?」
シュラインが言うと、美鶴は立ち上がってその時の様子を再現する。姿身の鏡の前に立ち、手鏡を持った左手を伸ばして窓の方に斜めに向ける。光を姿身の鏡に反射できるように。
「合わせ鏡にはなっていないのね」
その様子を見て、愛が呟いた。
「悪いが……髪の毛を一本もらえるか?」
慶悟が突如美鶴に言う。美鶴が不思議そうに首を傾げながらも髪の毛を渡すと、慶悟は懐から例の人型を取り出す。
「汝は汝……彼の者は是に……此処に在り」
念を込め、そう唱える。それで形代は完成する。
「これで、とりあえずは大丈夫だろう」
「そうですか?」
不安そうに尋ねる美鶴に、愛はにっこりと笑ってみせる。華がこぼれんばかりの優しい笑みで。
「美鶴ちゃん、お姉さんに任せなさい!絶対あなたを殺させたりしないわ」
「は、はい」
愛の言葉に、多少は勇気付けられたようだった。
「ああ、そうそう。美鶴ちゃん、将来はどんな風に見えたの?」
「将来……見えなかったんです。うっすらと自分の輪郭が現われて、それからゆっくりとこちらに向かってきそうになっていたので……つい」
「声をあげちゃったのね」
美鶴はこくりと頷いた。不安そうな顔のまま。その様子をじっと見ていた正風は、にっこり笑って美鶴の手を取る。
「おそらくあなたを狙っているのは将来のあなたではなく邪悪な妖魔です。俺が、それを退治してみせますよ!」
自身満々に言う正風に、一同が首を傾げる。
「ねぇ、本当に妖魔なの?」
シュラインが尋ねると、やはり自信たっぷりに正風は頷く。
「間違いないね。邪悪な妖魔だよ」
「そりゃあ、邪悪は邪悪でしょうけど」
愛が苦笑する。
「……ありました、月と鏡を使ったおまじない」
ずっとノートパソコンを見つめていたみなもが、不意に口を開いた。一同はそれを覗き込む。
「違った自分を発見できるおまじないとして、ここには掲載されてますね」
「違った自分、だと?」
眉間に皺を寄せ、慶悟が問い返す。みなもはこくりと頷き、先を続ける。
「共通点がありまして。決して何を見ても声を出してはいけないんだそうです。違った自分の一面を見るだけのつもりだったのが、それがメインの人格となってしまうからだそうです」
「……どうでも良かったのかしら?」
シュラインがぽつりと呟く。
「どうでも、とは?」
正風が尋ね返すと、シュラインは少し戸惑いながら先を続けた。
「あくまで、仮定の話なんだけど。鏡に映るのは、美鶴さんだと将来の自分で、ネットだと違った自分の一面でしょう?だから、今現在の自分でないものならば、どうでも良かったんじゃないかなって」
「そして、いずれにしろ声を出す事によって成り代わられてしまう……か」
慶悟が続けた。それを聞いていた美鶴が、更に不安そうに一同を見回した。
「美鶴さん、大丈夫ですよ!この俺が……」
「大丈夫。絶対に、何とかするから」
正風の言葉を遮り、愛が言った。小さくむっとする正風に、愛は悪戯っぽくウインクするのだった。
●無くさぬもの
集まっていく光達、集められている光達。どちらも穴に集結しているのだ。理由など、どうだっていいと言わんばかりに。理由など、いらないのだと。集まっていようが、集められていようが、それらが光達には変わりが無く、それらが穴に集結していると言う事にも変わりは無いのだから。
夜。空はどんよりと曇り、月の影は見えない。暦から言うと、月は半月となっているはずなのだが。
アパートの周りに、こっそりと息を潜める集団がいた。シュライン、みなも、慶悟の三人だ。ひっそりとしゃがみ込み、あたりを窺っている。
「……そろそろ、設置しておこうかしら?」
シュラインが唐突に口を開いた。
「設置?」
「ええ。……逆の事をする為に、鏡を設置しておこうかと思って」
不思議そうに尋ねてきた美鶴に答えながら、シュラインは立ち上がる。
「あ、あたしも手伝います」
みなもはそう言って、立ち上がる。事前に外に出しておいて姿見を玄関に向けるように、物陰に隠しながら設置する。二人の手には、手鏡。
「……これで、逆さ方法大作戦はばっちりですね」
「そういう作戦だったのか」
慶悟が思わず突っ込む。シュラインはくすくす笑い、それから顔つきが変わる。
「……月が」
その言葉に、慶悟とみなもも空を見上げる。月が、どんよりとした雲の中から出てきたのだ。満月ではなく、半月。今から新月へと変わっていく途中の、半分の形。
「来る。……注意しろ」
何かを感じ取った慶悟が、そう警告する。それとほぼ同時に慶悟は結界を張り、他人からは見えないように、またやって来た相手に逃げられないようにする。
やってきたのは、ぼんやりとしか見えぬものの、女の姿だった。その輪郭から、美鶴の姿を模写しているのであろうと言う事がわかる。その女は、手をすうっとあげてドアをノックした。勿論、中からの返事は無い。それを見越したように女はドアを開けた。が、開けた途端女の体は硬直した。中にいたのは、美鶴では無かったからだ。部屋の中から、愛と正風が出てくる。
「残念だったわねぇ。美鶴ちゃんはここにはいないのよぉ?」
ビン、と愛は鞭を張りながら言った。サディスティックな笑みだ。それが月の光に照らされ、なんとも言えず妖艶な雰囲気をかもし出していた。
「美鶴さんはあんたとは会いたくないってさ」
そう言いながら、正風は大きく拳を振りかざした。ひらり、と女は避けるが、その避けた場所がボコ、と穴があく。女は逃げようとして後ろを振り返るが、そこには見えない壁のようなものがあり、動く事が許されなかった。
「……縛止だ。下手に動こうとしない事だ」
手に印を結びながら、慶悟が言った。女は慶悟の忠告も聞かず、動こうとしてもがく。そこに、水が女の周りを囲み、更なる壁を作る。
「止めてくださいね。あなたが何者かは知りませんが、大越さんに害を加えるようなら容赦しませんよ」
ペットボトルを手にしたみなもが、対面しながら女に言い放った。
「そういう事。……悪いけど、出てきた所に帰ってもらえるかしら?」
手鏡を手にして、シュラインが言い放つ。その時、女が突如にい、と笑った。皆が突然の出来事に思わず身構えた。
「将来……不安はない?」
(どういう事?)
そう思った瞬間だった。女から光が迸り、あたりが光に……否、気付けば闇に包まれていたのだ。自分以外には何も無い、無の世界。
「何かしら?ここ」
シュラインは手鏡を持ったまま、そう呟いた。得も知れぬ恐怖が湧きあがってくる。
「もう一度聞く……将来に、不安はないのか?」
声が響いた。それをきっかけにして、徐々にあたりは光を帯びてきた。そうしてそれはやがて何かの輪郭を模り、シュラインの前に姿を現した。
「え……?」
シュラインは絶句する。そこに現われたのは、自分であったからだ。ぼんやりとした輪郭の、自分。その自分はにっこりとシュラインに向かって笑いかける。
「知ってるのよ、あなたの将来」
「そう言われてもねぇ。知られても困る将来じゃないし」
「事務所に新しい冷房が来る事?違うでしょう?」
そう言って、もう一人の自分が苦笑する。何もかも見透かしたような笑みで。
「た……」
「きゃあ!」
もう一人の自分が何も言わないうちから、シュラインは大声を出してそれを遮った。
「いやね、改めて言わないで欲しいわ」
手をぱたぱたさせながら、シュラインは言う。心なしか、頬が赤い。
「それ、本当に叶うのかしらねぇ?」
「……判ってるわよ」
「判ってないわ。心の何処かで、期待してるでしょう?」
もう一人の自分がそう言って微笑む。いやに綺麗な笑みだ。まるでシュラインを憐れむかのような。
「不安なんでしょう?怖いんでしょう?」
「……消えなさい」
「え?なぁに?」
シュラインはすう、と息を吸ってもう一度「消えなさい」とはっきりと言い放つ。この闇を形成している空間に問い掛けるように。
「不安でも、怖くても……逃げたりなんてしないわ」
シュラインはそう言って微笑んだ。何かを達観したかのような笑みだった。それを皮切りに、周りの闇は徐々に晴れていった。もう一人の自分が目を見開いてシュラインを見ていた。意外だと言わないばかりに。
「私はね、逃げたりなんてしないのよ」
●祈り
どちらが正しいのだろう。穴と思っているのは、実は入り口なのかもしれない。そこはいつまでも落ちていく出口なのではなく、逆に何処かに行く為の入り口なのかもしれない。実際にはどちらかは分からない。だから、確かめなければ。不安を抱え、恐怖を抱き、見ているだけでは結局の所判る筈もないのだから。
女が、ぐっと歯軋りをした。
「よく、見抜いたな」
その視線は、まっすぐに慶悟の方へと向けられていた。
「悪意を悪意と言って、何が悪い?」
慶悟はそのような視線もものともせず、煙草の煙を吐き出す。
「でも……残念だったな」
女はそう言って「うおお」と吼えた。すると、慶悟とみなもの作っていた結界が解いてしまったのだ。
「いるんだろう?大越美鶴」
女が植え込みのあたりを指差すと、何かに惹かれるかのように美鶴が姿を現した。
「出てきたら駄目!」
愛が叫ぶが、美鶴は何かにとり付かれたかのように、ただただ虚ろな目をしたまま女を見つめている。
「お前が望んだ事だ。今の自分に満足していないから、将来を見たかったのだろう?」
――不安が、恐怖が。
「そんな事は無いわ!……誰だって、将来は気になるものだもの」
シュラインが言うが、女は無視する。
「お前は、今の自分を変えたかった」
――悪意を呼び起こし。
「変えたいと思っても、変えてもらいたいとは思っていない筈です!」
みなもが叫ぶが、やはり女は無視する。
「望んだ結果が、今ここにある」
――全てを巻き込み。
「惑わされるな。あんたの心に付け入っているんだ」
慶悟が美鶴に向かって言う。戒めるかのように。
「将来とは名ばかりの、別の人生を求めている」
――今の事態の原因を。
「それだっていいじゃないか。大した事じゃない」
事も無げに、正風が言ってのける。少しでも罪悪感を持たせぬように。
「さあ、求めろ!今の自分でない自分を」
――引き起こしたのは……自分!
「今の自分でない自分なんて、おかしいわよ?絶対に、おかしいわ!」
愛がきっぱりと言い放つ。だが、美鶴は虚ろな目のまま女に近付いていく。皆が一斉に動いた。が、遅い……!女は獣のように長い爪をし、美鶴に向かって振り下ろした。美鶴は吹っ飛ばされ、倒れこんでしまった。女の高笑いがその場に響く。……が、その高笑いも長くは続かなかった。暫くして、気付いたのだ。慶悟のもつ形代が、破れただけの事だと。
「……残念だったな。人の想いにつけ込む悪意は悪障以外の何モノでもない。汝が滅びを以て、悔いと為せ。……尤も、悔いる事が出来るほど高尚なものだとは思わんが」
慶悟はそう言って、にやりと笑って見せた。逆上した女は、再び美鶴に飛びかかろうとした。だが、その腕は振りかざされる事は無かった。愛の鞭がそれを制しているのだ。
「オイタは駄目よぉ?子猫ちゃん」
「奥義……鬼哭破裏拳っ!」
腕を封じられている隙に、正風はそう言って拳を振りかざした。女の体が、醜く歪む。それを狙って慶悟は符を取り出す。五行の中でも、火と風の符だ。
「待って、真名神君!あまり手ひどくすると、美鶴さんにまで影響が……」
シュラインがそう言って慶悟を制した。慶悟は暫く考え、符をしまう。最終的な手段として取っておく為に。
「シュラインさん!」
みなもが姿身の鏡の所まで走り、女に向かって設置した。それを見たシュラインは月の光を当て、姿身の鏡に反射させた。反射した光は、まっすぐに女を映す。
「戻りなさい!あなたの世界に」
光が、あたりに満ちた。月の光を一身に受けた女は、「ぐっ」という短い声を残し、その場から消えてしまった。なんとも呆気ない、幕切れ。
「終わったか」
慶悟はそれだけ言い、使わなかった符を思う。
「あ……」
美鶴が目を覚ました。もう虚ろな目はしていない。
「大丈夫?」
愛が駆け寄り、手を貸す。美鶴は愛の手を借り、立ち上がると深々と礼をした。
「有難うございました」
皆、互いの顔を見合わせて微笑んだ。
「未来に近道無し。己で積み上げていく過程あってこそ、結果に喜びを見出す……というものだ。経過を楽しめ」
慶悟が小さく笑いながら言うと、シュラインも微笑んで言う。
「そうね。まだ若いんだもの。将来まで懸念しなくていいと思うわ」
「でも、20歳という年頃からして将来が気になるのもしょうがないわねぇ」
愛が美鶴に微笑みかけながら言った。美鶴は少し照れくさそうに笑う。
「でも、良かったです。無事に終わって」
みなもがにっこりと微笑みながら言った。美鶴もそれに向かって微笑み返す。その時だった。突如美鶴の前に薔薇の花束が現われた。思わぬ出来事に、思わず美鶴はきょとんとする。
「美鶴さん……あなたの将来、俺と一緒に築いてください」
「何プロポーズしてるの?雪ノ下さん」
苦笑しながらシュラインが言うが、正風は真剣な眼差しで美鶴を見ている。美鶴は暫く考え、首を横に振る。
「私、まだそういうのに実感が湧かなくて……」
「そうですか」
がっくりと正風は肩を落とした。美鶴はその様子に小さく笑い、薔薇の花束を抱えたまま、正風をじっと見つめた。
「だから、お友達から」
その途端、正風はにっこりと笑った。
「いいわねぇ。あたしも負けずにお友達からしましょうよ」
愛が艶やかな笑みを浮かべ、美鶴に言う。美鶴はくすくす笑いながら「ええ」と答える。どうやら、美鶴にとっては同じ「お友達」らしい。
「負けないよ」
愛に小さく正風は囁いた。
「あたしもよ」
何となくそんな正風が面白くて、愛は艶やかな笑みのまま答えた。
「それにしても……本当に悪意って色んな所にいるんですね」
みなもが不意に口にする。
「人間のいる所、悪意と言うものはなくなる事はない」
慶悟がそつなく言う。
「でも、だからと言ってそれに負けてばっかりだとは思わないけどね」
シュラインがにっこりと笑う。
「その通り!……人生において、勝つという事も勿論あり得るんだからな」
正風が美鶴の方を見て言う。妙に意味深に。
「とりあえずは、負けない自分をしっかり作っておきたいわねぇ」
愛がしみじみと言った。皆、それを機に小さく笑う。悪意の塊であったあの女を戻した姿見の鏡は、月の光を優しく反射するのだった。
<月は優しくその場を見守りつつ・了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト 】
【 0389 / 真名神・慶悟 / 男 / 20 / 陰陽師 】
【 0391 / 雪ノ下・正風 / 男 / 22 / オカルト作家 】
【 0830 / 藤咲・愛 / 女 / 26 / 歌舞伎町の女王 】
【 1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生 】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度は「満月影」の参加、本当に有難うございました。如何でしたでしょうか。
今回は「月シリーズ」(勝手に私が命名)の満月でした。月と名のつくものには、深層心理とか、そういうのを織り交ぜようと思ってやっておりますが、どうだったでしょうか?
シュライン・エマさん、いつも有難うございます。そして、冷静な判断と対策、素敵です。何より、今回皆様に答えて貰っていた「将来の夢」。詳しくは語られてはいらっしゃらなかったですけど「きっとこうだろうなぁ」と勝手に想像して書いております。や、私も詳しくは書いてませんが、おおよその目安はついております。
今回も、少ないながらも個別の文章となっております。宜しければ、あわせてお読みくださいませ。
ご意見・ご感想、心よりお待ちしております。それでは、またお会いできるその時迄。
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