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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『白の魔弾』   第一章 白の襲撃者

■来訪。

「草間武彦、だな」
 草間の眉間へ無造作に銃口をポイントしたまま、その「少女」は淡々と口を開いた。
 冷や汗が伝う。
 少女は、テレビで見るローマ法王のような、カーテンを頭からかぶってでもいるみたいなゆったりとした衣装に身を包み、肩にはケープを掛けていた。
 着ているものは、すべて白。生地の縁には、金の糸で丁寧な縫い取りがされている。
 服の外に見えているのは顔と、手首から先と、これまた白い靴を履いている足だけだ。
 肌の色は、明らかに日本人とは違う、透き通るような白。
 白白白。何もかもが白い中で、長く伸ばした髪と射抜くような視線を放つ瞳だけが、彩りを備えていた。
 溶けた琥珀のような色の髪に、翡翠の瞳。
 歳は、たぶん15歳かそこら。
 ここで「違うぞ」とでも言えば、この少女は黙って帰ってくれるのだろうか。
「…表の看板に、そう書いてあったろ」
 返した言葉に、続けて質問が向けられてきた。
「零は、どこだ」
 やっぱりそう来やがったか。
 草間は胸の奥で歯がみした。
 かつて、日本軍が威信をかけて開発した「心霊兵器」だった、零。
 そして、今自分の目の前で、無造作に人殺しの道具を向けている少女。
 通じるものはある。大いなる違いは、片方は今や自分の妹で、もう片方は依然として自分の敵だということだ。
「知らないな」
 答えた瞬間。
 心臓を貫くような銃声が右肩10センチわきの空間を引き裂いた。
 立ち上る硝煙の香りが、草間の鼻孔を刺激する。
 いつの間に、と思う余裕さえ与えてはくれなかった。
 確かに一瞬前までは空手だったはずの少女の左手に、銃口から糸のように細い煙を吐く銃が一丁、握られていた。魔法のように。
 草間に向けられていたものよりは若干小振りで、それでも十分に大きい。
「思い出せ」
 一瞬の躊躇もなく放たれた弾丸は、草間の座っていたすすけた二人がけソファの、その右半分の座面を、見るも無惨に吹き飛ばしていた。
 あんなものが額を突き抜けていったら、それこそ人間の頭なんて腐ったスイカよりもたやすく粉々に吹き飛ぶだろう。
 草間はソファに座ったままで、軽く両手をあげて見せた。
 少女が無言で、左手の銃だけ服の下に仕舞う。
「…分かったよ。案内する」
 言って、草間はソファを立った。
 ここで少女に居座られては、零と鉢合わせする可能性が高くなる。
 草間は先に立って、事務所のドアを開けた。
「おかしいと判断すれば撃つ」
 少女は端的に宣言した。
「…俺を殺したら、零の居場所は分からなくなるぞ」
 この少女なら躊躇なくそれをやってのけるのだろうと思いながら、せめてもの反駁を試みる。
 だが彼女は、何を言っているのだというように片方の眉だけを小さく動かした。
「お前の肩から先が無事かどうかと、お前の口が無事かどうかには、何の関連もない」
 何だよこのヤロウ。可愛い顔して、気の利いたセリフが言えるじゃないか。
「腕はやめてくれ。煙草が吸いにくくなる」
「無用の心配だ。片腕が無くなるまでに、お前は必ず必要なことをしゃべる」
 言って、少女は先に立つようにとドアの方を視線で示した。
「残った方で、吸え」
 上等だ。
 喉の奥で毒づいて、草間はドアを抜ける。少女が後をついてくる。
 すぐ後ろを歩いている少女の足音を感じながら路地を折れた、その直後。
「あ、草間さん。お出かけですか?」
 草間にあらゆる神を呪わせるタイミングで、後ろから聞き慣れた声がかけられた。
 少女とともに振り向いたその視線の先で、カートンを両手で抱えた零が、いつもの笑顔で自分を見ている。
 その姿を、視界に収めた次の一瞬。
 少女は服の下からあの白い銃を引き抜いた。
 草間は自分に背を向けて銃を構えようとする少女に向かって、右手を振り上げた。
 零は二人の反応に、カートンを持つ手にほんの少し力を入れた。
 そして。
 少女が引き金を引き絞るのと、草間の拳が後ろから少女のこめかみを直撃するのは、ほぼ同時だった。
 低い銃声。鈍い衝撃音。
 少女の放った弾丸が零の右肩を貫く。
 緋色の花が咲くように。血飛沫がはじけ、抱えていたカートンが落ちた。
 零の右腕と、一緒に。
 渾身の力を込めた拳を受けた少女も、無事ではいられなかった。不意を打たれて大きく殴り飛ばされ、狭い路地のブロック塀へ打ち付けられる。
 弾かれたように、草間は走った。
 我を失ったように立ちつくす零を抱きかかえ、反対の手で、吹き飛ばされて道路に転がる零の右腕をつかむ。
 腕が三本ありゃ、あのカートンも――――
 ちらりとそんな視線を血染めになったマルボロに向けてから、後はただ、前だけを向いた。
 路地を走り抜けながら、零の右肩に拾った右腕を押しつける。
 生臭いにおいがまとわりついた後、右腕は何事もなかったかのように零の右肩と融合――――するはずだった。
 だが、明らかにおかしい。熟れた果肉がはぜたような右肩と右腕の創傷面の細胞が、期待したように結合していかない。
 零が、自分の妹が人外の存在である証の、『超回復』の異能力。
 それが、正常に機能していない。
 草間の口から、思わず舌打ちがもれた。他に手だてなどなく、とにかく闇雲に右肩へ右腕を押しつける。
 しかし、状態が改善する様子はない。
 ダメか。
 思った瞬間、草間はイチかバチかのかけに出た。
 結合を拒む、傷口の肉のかたまりを――――噛みちぎった。
 ピクピクと口の中でのたうつそれを道ばたに吐き捨て、それから再び、零の右肩に右腕を近づける。
 今度こそ、零の体細胞が猛烈な勢いで再生を開始した。
 ぴくりと右腕が動き、次いで、そっと兄の上腕に回される。
「草間さん…」
 零が呼びかけてきた。
「…下ろしてください。走れます」
 言われて初めて、草間は自分が片腕で零の腰を抱え上げたまま走っているのに気がついた。
 気がついたとたんに、
「うわっ!」
「きゃあっ!」
 バランスを崩して倒れ込む。
「草間さん…」
 先に立ち上がった零が歩み寄ってきて、草間を立たせてくれた。
「あの、さっきの人は…」
「ああ…」
 草間はため息とも相づちともつかない声を返した。
 ジャケットのポケットからマルボロを出して、一息吸う。
「とにかく、ここを離れる。
 説明は道々するよ」
 そう言って、商店街を抜けたところにある駅の方へと零を促した。
 説明といったところで、分かっていることはほとんど無い。
「…応援も、頼まにゃな」


 少女は叩き付けられたブロック塀から身を起こした。
 零に銃口を向けて引き金を引こうとして、激しいめまいに襲われた。
 脳震盪。
 少女は自分の状況をそう判断した。
 どうやら、草間武彦が零の危機に際して発揮する凶暴性と反社会性についての予測値が、現実よりも低かったようだ。
 少女はやむなく、銃を服の下に戻すと、ゆっくり身体の向きを変えて、ブロック塀に寄りかかった。
 自分は一回目の機会をつかむことに失敗したと、少女は認めた。
 だが、だからといって任務全体が失敗に終わったわけではない。草間と零が行きそうな場所の手がかりなど、彼の事務所の中にいくらでもあるはずだ。何らかの理由で事務所に戻ってくる可能性もある。
 少女は、少なくとも今日一日は草間の事務所で待つことを決めると、後はただじっとして身体機能の回復を待った。
 深く呼吸をすると、ズキリと頭が痛んだ。
 『教官』の一人が教えてくれたことがよみがえってくる。
 「感情は、時として人間を強くする――――」
「…なるほど。理解した」
 少女は確認するように、小さく呟いた。


■草間の招集。

 だん。と、鈍い音がほの暗い喫茶店の中に響き渡った。
 会社帰りなのだろうか、スーツ姿の客数人が、何事かとちらりと視線を向けてくる。
 音の主は、六巻・雪。
 もっと言えば、彼がガラステーブルに打ち付けた拳だった。
「なんなんすか、ソイツ」
 口調はどうにか抑えられていたが、海軍式の、ホック止めの学生服に包んだ肩が震えている。
 雪は溶鉱炉から引き抜いた鋼の地金のような少年だった。表面は醒めているように見えて、身体の線も細い方だ。が、打ち付ければ火花をふくような熱量を、その内側に秘めている。
 草間から一通りの話を聞き、抑えきれなかった感情がテーブルにぶつけられていた。
 そんな、彼を。
「落ち着きなさい、六巻君」
 その隣に座っている宮小路・皇騎が、静かにいさめた。
 漆を流したようにつややかで長い黒髪の、怜悧な美青年。容姿と仕草の一つ一つに神秘的な空気があり、それこそ京人形が生きて動いているかのような雰囲気があった。
 ちょっとムッとした顔を皇騎に向ける雪と、涼しい表情でカップに口をつける皇騎に代わって、
「しかし…草間さん、その人に何か見覚えや心当たりはないんですか?」
今度は風野・時音が口を開く。
 彼もまた、皇騎と並んで遜色のない美青年だったが、身にまとう空気には大きな差があった。
 皇騎が陰なら、時音は陽。
 神秘的な印象よりも、いるだけで親しみを抱く、一種の暖かさがある。
「いいや…初めて見る顔だったよ」
 草間は時音の言葉に、首を横に振って答えた。
 「零さんもですか」と水を向けられ、草間の隣に座った零も、こくりとうなずく。
 銃弾が貫いていった肩を隠すため、彼女は草間のジャケットを羽織っていた。
「正体不明、ですか」
「目的だけははっきりしているようですけれどもね」
 時音の言葉を引き取って、皇騎が続けた。
 草間が、新しい煙草に火を付ける。零は兄の横顔をちらりと見上げた。
「んで、どうすんだよ」
 雪がふてくされたような声を年上の美青年二人に向ける。
 思わせぶりに雪を見る、皇騎。
「君はどうしたらいいと思いますか?」
「決まってんだろ」
 雪はぐっと拳を握ってみせた。
「その凶暴なガキんちょを、足止めするんだよ」
「どうやって」
「それを決めに、集まったんだろ。
 草間さん、そのガキ、どこに行ったか分かりますか」
 問いかけてくる雪に、草間はゆっくりと紫煙を吐きながら、
「いや。その前に、ちょっといいか」
背中を預けていたソファの背もたれから、上体を起こした。
「まず、だ。
 探偵としての経験から言って、たぶんあの…襲撃者は、零と俺の行動範囲を完璧に把握してしまったと思った方がいいだろう」
「つまり、私たちのことも、その白装束の暗殺者はみんな知ってしまった、ということですね」
 さしたる感慨も示さずに、皇騎がまとめる。
「…すまんな」
 視線を落とす草間に、「続けてください」と時音。
「それからもう一つは、向こうの能力だ。
 あー…気を悪くするなよ。たぶん、あいつは、この中の誰も体験したことのない種類の相手だ」
 草間は言って、視線を零の方へ走らせた。
 皆の目が、伏し目がちに膝の上へ両手を載せた零に向けられる。
 注視を受けて、零は少しとまどったように口を開いた。
「彼女に撃たれたとき、とても…不思議な感覚でした。
 銃弾もそうなんですが、それだけじゃない「波」みたいなものが…」
「波、ですか?」
 オウム返しに、時音が言葉を向ける。
「…ごめんなさい、上手く言えないです。
 でも、今までに出会ったことのない種類の力でした」
 うつむいた零の顔を、長い黒髪がカーテンのようにおおった。
「心配いらねぇって」
 雪が口をはさんだ。
「俺がアスファルトで煙幕を作ってやるよ。そのガキが大砲でも持ってこない限り、タマは防げる」
「間に合えば、ね」
 請け合うようなその言葉を、皇騎は淡々と切って捨てる。
 そして噛みつこうとする雪に先んじて、
「いざというときは君が頼りだね。
 全周防御ができるのは、今のところ君の能力だけでしょう」
穏やかな微笑みとともに続けた。
 怒りの矛先を外されて。
「…ちぇ。分かってるって」
 雪は少し乱暴に、ソファへ背を投げた。
 と。
 喫茶店のドアに付けられたカウベルが、重たげにカラコロと音を立てた。
 戸口に立つ人影に目を向けて、
「よう」
草間が声を上げる。
「草間様」
 と、ドアを開けた少女――――海原・みそのは、顔なじみの探偵の姿を見留め、にっこりと微笑んだ。
「遅くなってしまいました。すみません」
 言いながら、ぱたぱたと草間達のテーブルに近づいてくる。
 満月の浮かぶ、夜の海の潮のような。
 白磁の肌に長い黒髪をなだらかにたなびかせるその姿は、濡れたような神秘性を醸していた。
 の、だが。
「…あー…みその?
 どうしたんだ、その恰好」
 草間は穏やかな微笑みを浮かべてテーブルのわきに立った少女に、何とも言い難い表情を浮かべた。
 蠱惑的な身体の、あくまでも白い肌を包むのは、どこのキャバレーから脱走してきたんだと思うようなバニーガール衣装。
 挑発的に切り落とされた背中のラインや胸の谷間が目に飛び込んできて、雪はあわてて視線をそらした。
「なにかおかしいでしょうか」
 犯罪的にのどかな表情で胸元へ手をあて、首をかしげるみその。
「いえ。よく似合っていますよ。少々…刺激的ですが」
 いかにも優男然とした微笑みを返しながらも、皇騎も少し言葉を選んだ。
「ええ…みそのさんは、何を着ても似合いますから」
 褒めているのかどうか微妙な表現で、時音。
 それでもみそのはにっこりと笑顔を浮かべ、
「ありがとうございます。
 殿方を「ぎんぎん」にする装いだと、教えていただきましたもので」
「その擬音、やめろ」
「あら。「ぎんぎん」はよろしくないのですか?
 男性を鼓舞することだと伺ったのですけど」
「…とりあえず、座ってくれ」
 彼女が立ったままでは、草間達のテーブルだけピンク喫茶のようになってしまう。
 草間はいったん立って場所を譲ると、みそのを零の隣に座らせた。
 皇騎が苦笑いで自分のスプリングコートを差しだしてきた。
 目線だけで会釈しながらそれを受け取り、みそののむき出しの肩にかけてやる、草間。
 「ありがとうございます」と邪気のない笑顔を向けてくるみそのに応える代わりに、草間はまた新しい煙草に火を付けた。


「そうですの…」
 自分が来るまでの間の話を時音と皇騎からかいつまんで聞き、みそのはコートの裾を握る手に、少し力を込めた。
「今のところ分かっているのは、暗殺者の目的が零さんの殺害であることと、彼女には神速の早撃ちがあるという、その二つだけです」
 締めくくった時音に、みそのは無言でうなずく。
 それから、
「零様。傷を見せていただいてよろしいですか?」
隣に座る零の方へ身体ごと向き直った。
「え…うん」
 少しとまどいながら、零は羽織っていた草間のジャケットをゆっくりと外した。
 喫茶店の控えめな照明の中に、零の白い肌が浮かび上がる。
 彼女の服の右肩は、完全に吹き飛ばされていた。
 その下の肌にも、火傷のような痕がうっすらと残っている。
 みそのはそっと零の肩に手を触れ、何かを確かめるようにゆるく目を閉じていてから――――静かに息を吐いた。
「…やっかいなことに、なりそうですね…」
 かすかな呟きがもれる。
 みそのは零の肩から手を離すと、元通りジャケットを掛け直した。
「やっかいなこと…?」
 のぞき込むようにして問い返す、零。
 みそのは彼女に小さく微笑んでから、皇騎達の方へ顔を戻した。
「いったん、出ましょう。零様の手当もしたいですし」
「そうですね。車をまわしますよ」
 みそのの言葉にうなずいて、席を立つ皇騎。
 「これを…」と、掛けられたコートを返そうとする彼女に、皇騎は微笑んだ。
「かけておいてください。「ぎんぎん」は、ちょっと困りますから。
 な」
 言って、ポンと雪の肩を叩く。
「…うっせーよ」
 自分でも耳が熱を持つのを感じながら、雪はぶすったれた。


■手配と準備。

 草間と零と、そしてその呼びかけに応じて集まった四人が喫茶店を出てから、三十分ほど後のこと。
「とりあえず、ここで態勢を整えましょう」
 一行は都内にある皇騎のマンションに入った。
「あー、皇騎。
 その、言いにくいんだが…」
「分かってます。ここも『白の襲撃者』に知られてるんですよね」
「…住所録に入ってるんでな」
 彼にしては申し訳なさそうに。
 軽く頭をかき、草間は視線をそらすようにしてうなずいてから、
「ところで、『白の襲撃者』ってな、なんだ?」
ちらりと皇騎を見て問い返した。
「呼び名ですよ。
 暗殺者とか白装束とか、みんなが好きずきに呼んでいたら分かりにくいですからね」
 皇騎は軽く笑いながら、答える。
「なるほど」
 草間は軽く肩をすくめ、
「キザな名前だな〜」
雪はさっきの仕返しとばかり、揶揄するような口調を向けた。
 その後ろを、バニーガール姿のみそのが零の手を引き、すたすた横切っていった。
「宮小路様。寝室をお借りしてよろしいでしょうか?」
「どうぞ。そっちの奥のドアですから」
 感謝の意を深い笑顔で表して、みそのは零を伴って寝室に入っていく。
「で、僕らは何をしましょうか」
 ぱたん。とドアの閉まる音を背に、時音がリビングに残った男連中を見渡した。
「本家に手配を頼むことにします。人気が少なくて、少々派手なことをしても問題のないような場所に、こちらから罠を仕掛けましょう」
「アスファルトやコンクリのあるところにしてくれよ。
 防弾壁がないと、ヤバいんだろ」
 注文を付ける雪に、皇騎は受話器を耳に当てたまま、うなずきを返す。
 ややあって電話口に相手が出たらしく、皇騎が話し始めると、
「すまん、俺はちょっと出かけさせてもらう。
 他に待たせてるヤツらがいるんだ」
時音と雪に、草間が告げた。
「他に?」
「ああ。どうにも、『白の襲撃者』はただの暗殺者じゃない気がしててな」
「…ってことは、他になんかあるってコトすか」
 雪の言葉に、草間はいつになく重い表情でうなずいた。
「中ノ鳥島の話は、知ってるか」
 中ノ鳥島。幻の島と呼ばれ、旧大日本帝国軍が心霊兵器の開発にあたっていた島だ。
 そこで起こった一連の事件については、雪も草間興信所に出入りするようになった頃に、誰かから聞かされたことがあった。
 その島に「怨霊機」という、一種のゾンビ製造器があったこと。
 草間の妹の草間零も、もともとはその島を守るために作られた「霊鬼兵」という人造兵器であること。
 そして、その中ノ鳥島の事件は、草間達が「解決した」と言うよりも、もっと大きな力を持つ何かに「解決させられた」と表現する方が正しいことなどを。
「一応、聞いたことはあります」
 神妙に、首を縦に振る雪。
「…『白の襲撃者』は、中ノ鳥島の一件と、どこかで繋がっているような気がする。
 ただの勘なんだがな。だから、それを探ってもらえそうなヤツらにも、声をかけてあるんだ」
「そうですか…」
 うめくような声とともに、時音がうなずいた。
「ああ。だから、零を頼むぞ」
「草間さんはどうするんすか」
「俺は一人でも平気だよ。『白の襲撃者』のターゲットは、とりあえず俺じゃないみたいだしな。
 明日には、またみんなに合流できる」
 苦笑いで、草間は答える。
 そして、
「危ないっすよ。俺も一緒に」
まくし立てようとした雪を、はっきりした口調で押しとどめた。
「雪。俺は平気だ。
 …零を、守ってやってくれ」
 言い切ると、それ以上有無を言わせないままきびすを返し、皇騎の部屋を出て行った。


 みそのが零を伴って寝室から出てきたとき。
 ちょうど皇騎も電話を終え、「ふぅ」と軽く息をつきながら受話器を戻して、テーブルの方を振り向いた。
 常に神秘的な光を失わないその黒い瞳で皆をくるりと見回してから、
「それでは」
口を開く。
「誰から報告を始めましょうか?」
 わたくしから、と、口火を切ったのはみそのだった。
 零の手を軽く引いて一足歩み出し、リビングに残った皇騎、時音、雪を順番に見据えて、
「わたくしたち、最悪の敵と戦うことになるかも知れませんわ」
いつになく厳しい口調でそう告げる。
「というと?」
「『白の襲撃者』の銃弾には、異能力を阻害する力があると思われますの」
「異能力を…」
「…阻害?」
 時音と雪が、それぞれに呟いた。
「なるほど…」
 皇騎だけが、妙に合点のいったような表情で、うなずく。
「だから、零さんの『超回復』の能力も阻害された、と」
「ええ。わたくしはそう思います。
 寝室をお借りして、零様のお身体を調べさせていただきました。
 喫茶店で見させていただいたときから、傷の周りだけ霊力の流れ滞っていたので、おかしいとは思っていたのですけれど」
「傷口に残る毒薬ですね、まるで」
「その通りですわ」
 やれやれといった風情で呟いた皇騎に、うなずきを返すみその。
「これは本当に、戦い方を考えないといけないね」
 皇騎は腕組みをしながら、確かめるように口にした。
「そのための電話だったんだろ。
 良さそうな場所、見つかったんすか」
 皇騎に顔を向ける、雪。
 陰陽道を操る財閥御曹司は一つ大きく息を吸って、
「候補はいくつかあるんだが…時音さん」
「なんですか」
「『白の襲撃者』、銃を使わせたら危険度は飛躍的に増しますね」
「ええ」
「接近戦なら、どう思います」
 皇騎の言葉に、時音は少し不敵な笑みを浮かべた。
「僕も同じことを考えてましたよ。
 遮蔽物の多い、廃ビルみたいな場所が理想でしょうね」
「建築中のビルの、地下駐車場があるんです。
 でも、現在突貫工事中でね。次の休工日は、四日後なんです」
「四日間は、何とかしのがなきゃならないってことですか…」
「迷ってても、はじまらない」
 雪は自分の手のひらに拳を打ち付け、青年二人を見据えた。
「四日間、守り抜く。それだけだろ」
 その言葉に。
 少し困ったような、だが満足げ微笑みを浮かべる、時音と皇騎。
 みそのも、零を力づけるように、そっとその肩を抱いた。
「さぁ。そうと決まれば、後は草間さんの動きを待つだけだね。
 六巻君、草間さんはどこに行ったんだって?」
 皇騎の問いかけに、雪は草間の語った懸念を話して聞かせた。
 『白の襲撃者』が、中ノ鳥島の一件に繋がりのある者かも知れない。
 そのくだりで、零の肩が小さく震えた。


■行動開始。

 来なかったな。
 少女は草間興信所のデスクの陰からゆっくりと身を起こすと、声に出さずに呟いた。
 草間武彦の事務所を突き止めたものの、零を「処分」する最初の機会を逃してしまったのが、昨日のこと。
 その後半日を使って、草間興信所に残された草間零と草間武彦の情報を収集・整理しながら、草間か零のどちらかが事務所に戻ってくるのを待っていた。
 が、結局のところ今に至るまで、草間武彦も草間零も、そしてその他の誰も、このうらぶれた事務所には姿を現していなかった。
「それでもいい」
 今度は、呟きが声になった。
 昨日のうちに、少女は必要な情報の全てを記憶し終えていた。
 分析も終わっている。
 任務遂行のためのプロセスは、もう見えていた。


■潜伏の四日間。

 零と草間を保護して二日目の午後。
 別動チームの方へ出向いていた草間が、無事に皇騎のマンションへ姿を現した。
「草間さん…!」
 くわえ煙草でのそりと戻ってきた兄に、思わず駆け寄る零。
「何もなかったか?」
 妹と、リビングに集まっている皇騎達とを見回して、草間が尋ねた。
「今のところは」
 うなずきで応える、皇騎。
「向こうはどうでしたか?」
「ああ…まあ、手探りだけどな。動いてもらってる」
 時音の問いに苦笑いを浮かべて答え、
「だけどな、こっちもそろそろ…」
「草間様をお待ちしていたのですよ」
 移動した方がいいのではないか。そう匂わせた草間に、みそのが言葉を返す。
「あまり零様に気をもませては、罪作りというものですわ」
 あえて取り澄ました表情で続けるみそのに、草間は少し困ったような顔を浮かべた。
「ああ…まあ、悪かった」
 誰にとなく、謝る。
「それじゃあ」
 と、皇騎は小さく笑いながら立ち上がった。
「動きましょうか。あと三日間は、ホテル暮らしです」

 三日目。
 煙草を吸わない皇騎達に一応気を遣って、草間はマルボロを片手にロビーへ降りていた。
 「喫煙席」のテトラカードが出ているガラステーブルを見つけ、ソファに腰を落とす。
 マルボロに火を付けてゆっくりと一服したが、はき出す紫煙が肺の奥から重たい空気を連れ出してくれることはなかった。
 晴れない気分を抱えたまま、手持ちぶさたにロビーを見渡す。
 ゆったりとした空間に、あまり人の姿はない。
 二つ向こうの同じようなガラステーブルに、小柄な人影が一つ、こちらに背中を向けて座っていた。
 その足下には、金管楽器を入れるような長い黒革の楽器ケース。
 黒い外套を羽織り、大きめのベレー帽をかぶっていた。草間のところから見えるのは、背もたれ越しの肩から上だけ。
 大きな帽子に隠れていて、髪は見えない。だから、男か女かも分からなかった。
 天才オーケストラ少年――もしくは少女。
 そんなフレーズが頭の中に浮かび、草間はそのうなじから目をそらした。
 あまり、芸術を愛でる天上人を見ていたい気分ではない。
 やがて。
 草間がマルボロ三本分のニコチンを補給して、部屋に戻ろうとしたときも、楽器ケースの人影はまだそこにあった。

 四日目。
 皇騎は『白の襲撃者』との勝負の舞台とする、ビル工事現場の前に立っていた。
 昼夜ぶっ通しの工事の音が、皇騎のいるところまで聞こえてきている。
 皇騎は唇の端で小さく笑うと、持ってきたアタッシュケースを開けた。
 中に納められているのは、手のひらに載るくらいの五体の小さな人形。
 白の狩衣をまとい、それぞれに色違いの烏帽子をかぶって、顔には全て表情の違う鬼の面を着けている。
 五行童子。
 陰陽師の使役神である「式神」だ。
「今度の相手は、ずいぶんと物騒なようですからね」
 一人呟いてから、皇騎は小さく呪を唱える。
 五行童子の面が淡い蛍光を放ち、アタッシュケースの中でぴょこんと身を起こした。
「さぁ、お仕事です」
 皇騎がそう命じると、五行童子はゼロハリを飛び出して、工事現場の中に散っていった。
 満足げにうなずいてから、ホテルに戻るべく駅に向かう。
 いくら皇騎が優れた術者であったとしても。
 その途中ですれ違った人々の中の、黒い外套を羽織って黒い楽器ケースを携えた少女の姿に、「風景」以外の何かを見いだすことはできなかった。

 五日目。
 部屋を引き払うため、片づけをしていたときのこと。
 『白の襲撃者』がどう襲ってくるのか予測する皆の話を聞きながら、零は兄の横顔をそっと見上げた。
 私が、一人で戦えば…
 そんな思いが浮かぶ。
 私が一人で戦えば、みんなを危険にさらすことはなくなる。
 勝つにせよ負けるにせよ、狙いはきっと、自分一人なのだから。
 と。
「零様」
 横からそっと肩を抱かれた。
「悲しいお考えは、おやめくださいね」
 ささやきかける、穏やかで優しい声。みそのだった。
「みそのちゃん…」
「零様がいなくなられたら、みんな悲しみますわ。
 大切な物を守るためには、危険を厭うべきでないときもあります」
「…うん」
 どうして分かったのだろう、と思う一方で、みそのちゃんには見抜かれて不思議はないとも思う。
 うなずきを返すと、みそのが緩やかに微笑んだ。
「みそのさん、零さん。
 出発しましょう」
 時音が声をかけてくる。
 振り向くと、皇騎と雪はすでにドアを出ていた。
「タクシーに乗るまでは、俺が警戒するよ。
 皇騎サン達の能力は、防衛向きじゃないからな」
 雪がそんなことを言っているのが聞こえてくる。
「さあ、零様」
「…うん」
 みそのに促されて、零はもう一度うなずいた。
 部屋のドアを抜け、草間達が待つ廊下に出る。
「平気か?」
 歩き始めながら、気を遣ってくれる兄に、零は小さく顎を引いた。
「はい…」
 草間が抱いていたという疑念が、再び思い起こされてきた。
 中ノ鳥島。
 旧大日本帝国軍。
 心霊兵器。
 霊鬼兵。
 そして、それら全てと自分とのつながり。
 その対極に、同じつながりを持った『白の襲撃者』がいるのかも知れない。
「…みそのちゃん」
 ロビーに向かう廊下の途中で、零は口を開いた。
「はい」
「…『白の襲撃者』には、こういう風な、大切な人たちはいないのかな」
 答えのある問いかけでないことは、分かっている。
 だが、そう考えずにはいられなかった。
 少し足をゆるめ、零を振り返るみその。
「…わたくしには、本当のことは分かりませんけれども」
 言葉を選びながら、答えを返す。
「もしいるのであれば、きっとその人達も、『白の襲撃者』が傷つかないよう、何かしているはずですわ」
「…そうだね」
 零には、うなずくより他、なかった。


■襲撃。

 雪は最初にホテルを出た。
 回転ドアを抜けると、一気に街の喧噪が近くなる。
 数十万人の人、数万台の自動車が生み出す、無秩序な音と熱気。
「…この中から俺らを見つけられたら、マジで化けモンだな」
 呟きながら、幅5メートルくらいの広い歩道をタクシーへと駆け寄った。軽く手を挙げて合図をすると、運転手が降りてきてミニバンのスライドドアを開けてくれる。
 その戸口に手をかけて、雪は回転ドアのところで待っている草間達を振り返った。
「オッケーっすよ」
 声をかける。
 草間達が歩き始めた、そのとたん。
 零がふらりとよろめいた。
 雪は最初、何かにつまづいたのだと思った。
 その状況に。
 誰よりも機敏に反応したのは時音だった。
 よろめいた零を支えた草間をかばうようにして、一瞬の躊躇もなく『光刃』を現出させる。
「走って!」
 時音が叫んだ。
 零の両脇を支えながら、彼女を半分引きずるようにして走ってくる、草間と皇騎。
 雪の脳裏で、それがいつかニュースで見た要人暗殺のシーンとダブった。
 草間と皇騎が零を支えるようにして、タクシーに飛び込んでくる。衝撃でタクシーの車体が大きく揺れた。
 走り慣れないみそのは二歩目で足をもつれさせ、とっさに受け止めた雪の胸元へ。
 思いのほか豊満な身体に、雪は少しバランスを崩してタクシーに背を預けた。
 リアシートの草間達の様子が、ちらりと見えた。
 細い首筋を押さえる零の指の間から、血の色が見えていた。
 顔をホテルの方へ戻す。歩道に残されたのは、時音一人。
「時音さん!」
 みそのを押し上げるようにしてタクシーへ乗せながら、声を張り上げる雪。
 『光刃』の構えを解かないままに、時音が駆け寄ってくる。
 ああ。と、雪はその瞬間にようやく実感した。
 俺たちは襲撃された。
「野郎!」
 噴き出した雪の怒声に呼応するように、歩道のアスファルトが時音とタクシーを結ぶラインだけ残し、粉塵になって跳ね上がる。
 布地が一気に風をはらんだような音とともに。
 突然の騒ぎにこちらへ向けられていた通行人達の顔が、灰色い煙の向こうに消えた。
 パニックの悲鳴だけが雪に届いた。
 『光刃』を消し、時音がタクシーにすべり込む。
 しんがりで乗り込もうとした雪の目に、歩道際にへたり込んだ運転手の姿が映った。
 無理もない。突然のこの騒ぎだ。
「僕が」
 車内で皇騎の声がした。振り向くと、運転席へ移り、ベルトを締めたところだった。
「お借りしますよ」
 皇騎が窓から顔を出して道ばたの運転手に言うのを聞きながら、雪はリアシートに飛び乗って叩き付けるようにドアを閉めた。
 六人を乗せたミニバンは、破砕された歩道と放心した運転手だけを後に残して、一気に加速していった。
 

 ホテル前を離れ、皇騎の運転で幹線道路を快走する車の中で、
「零さん」
雪の呼びかけに、零はいちばん後ろの座席から「大丈夫」と微笑みを返した。
 強がりではない。零が首筋に受けたはずの傷は、『超回復』によって跡形もなく治癒していた。
 襲撃から3分も経っていない。
「一体、なんだったんだ…?」
「狙撃されたようですわ」
 雪の呟きに答えて、みそのが何か差しだしてきた。
 受け取ると、ずしりと重い鉛の塊――――銃弾だった。
「これが…?」
 横合いから問いかける草間に、うなずくみその。
「だけど、白い服や金髪のガキなんて、いなかったぜ」
 銃弾を握りしめて、雪は言い返した。
「確かに…銃を構えているような人間もいませんでしたし、だいいち射撃音がしませんでしたよ」
「…いや。世の中にはサイレンサーってものがある。銃弾の威力がそがれるが、音はほとんどしなくなるってやつだ」
 時音の言葉に、苦い顔で告げる草間。
「でも何故、今回に限って普通の弾丸ですの…?」
 みそのの言葉の通り、今回の銃撃では、零の異能力は阻害されていない。
「とにかく」
 と、皇騎は切り替えた声で口を開く。
「確認できたことが二つあります。
 『白の襲撃者』がどんな相手にせよ、彼女はとてつもなく危険な存在だ。
 そしてどんな方法であるにせよ、僕たちのことを完璧に捕捉している」
「…急ぎましょう、皇騎さん」
 時音の言葉にうなずきで応え、皇騎はアクセルを踏み込んだ。
 向かう先は、あのビル工事現場。
「ゲリラ戦を許していたら、今度こそ致命傷になります」
 時音がうめくようにもらすとおり。
 罠を張った決戦の舞台へ、『白の襲撃者』を引き込む必要があった。


■激闘。

 皇騎は工事現場のフェンスにタクシーを横付けすると、
「行きましょう」
振り返って車内にそれだけ告げ、車を降りた。
 ビルの中を通って地下駐車場への階段を下り、「非常口」と書かれた鉄扉を抜ける。
 世界の底に着いたのかと思うような暗闇が、その向こうに待っていた。
 素早く呪を唱える皇騎。
 塗りつぶしたような闇だった地下駐車場へ、一斉に蛍光灯の光がともった。
 無機質な白い光に、雑然と工事機材や資材が積まれている、打ち放しのコンクリートの空間が照らし出される。
「この建物の電気系統は、全て僕の手の内にあります」
 質問を受ける前に、皇騎が答えた。
 五行童子を昨日のうちに潜ませておいたのは、一つにはこのためだ。
 草間達は粉っぽい匂いのする地下駐車場に踏み入り、奥まった一角に取り急ぎ陣を敷いた。
 車座になって、積み上げられた資材やコンクリートの壁に背を預ける一同を見渡して、皇騎が口を開く。
「この地下駐車場は、僕の五行童子で完全なコントロール下にあります。
 まず、五行のうち「火」を使った攻撃は、威力がかなり減殺されることになります」
「銃火器は使えなくなるってことすか」
 雪の言葉に、皇騎は首を横に振る。
「あくまで威力の減殺だ。
 だから、君の対火器防御は依然として生命線になる」
 そこまで言って、顔を正面に戻した。
「それから、僕と五行童子の間には「縁」があります。
 五行童子はこの地下駐車場の四隅と中点にいて、僕にそれぞれが感知した情報を送ってくる。
 簡易レーダーだと思ってください。とりあえず僕には、誰がどこにいるのかが把握できます」
 草間や零が神妙にうなずく中、
「よぉし」
細い身体から獰猛な呟きをもらし、雪は寄りかかっていたコンクリ壁から身体を起こした。
「やってやろうぜ」


 少女は静かに工事現場に足を踏み入れると、人気のないビルの中に入っていく。
 ビルの入り口を抜けたところで、手にしていた楽器ケースをおいた。
 留め金を外して、蓋を開ける。
 赤いビロードの引かれたケースの中には、しかし、楽器など納められてはいない。
 一振りの剣、二丁の拳銃、そしていくつかの装備品。
 少女はまず、身にまとっていた黒い外套と帽子を外した。
 溶けた琥珀のような色の髪が、白いケープに包まれた肩に流れ落ちる。
 それを楽器ケースの蓋に放り投げ、まずは拳銃を両手に取った。
 ともにつや消しの黒のオートマチック。安全装置を外し、法衣のような白い服の下でガンベルトに差した。
 続いて、剣を手に取る。
 刃渡りが少女の指先から肘ぐらいまでの、諸刃の鍛造刀だった。
 具合を確かめるように二・三度素振りしてから、軽く脇の下にはさむ。
 最後は装備品へ。
 いくつかの選択肢のうちから、赤外線暗視スコープだけを選び出した。手のひらに収まるサイズのそれを、ガンベルトのマルチホルダーに固定する。
 それから、脱いだ外套と帽子を丁寧に楽器ケースの中にしまい、蓋を閉じた。
 ケースを資材の隙間に立てかけて、一つ深呼吸をする。
 準備は全て整った。
 少女はためらいのない足取りで、歩き始めた。


「来ました」
 皇騎の声に、時音が鋭く反応した。
「どこですか」
「僕たちが降りてきたのと同じ非常階段です。
 今、ドアを開けました」
 五行童子との「縁」を強めるため、目を軽く閉じて意識を集中させたまま、囁くように答える皇騎。
 時音の右手に『光刃』の光が宿った。
「まずは、実力を計らせてもらいましょう」
 鼓舞するように呟いて、資材の陰を抜ける。
 雪が静かにそのあとに付き従った。
「一人だけいいかっこはさせないっすよ」
 うなずきを返す、時音。
「行きましょう」
「おい」
 呼び止めたのは、草間だった。
「言えた義理じゃないが…気を付けてくれよ」
 心苦しそうな言葉に、
「余裕っすよ」
雪が笑顔で応えて、二人は『白の襲撃者』が侵入した非常口に向けて歩き出した。


 ふわりと。
 白い鳥が舞い降りてきたのかと思うような軽やかさで、『白の襲撃者』が時音達の前に姿を現した。
 小柄な身体をゆったりとした法衣で包み、肩にかけたケープに流れ落ちる髪は、溶けた琥珀のよう。
 右手に剣。左手に、黒い銃。
 その、翡翠色の瞳が、時音と雪を静かに捉えた。
 彼我の距離は、10メートルほど。
 雪の中で、火花が弾ける。
「食らえ!」
 気合いの声とともに、わきに積み上げられたセメントの袋が次々に破裂した。
 細かい粉塵が意志のある靄のように、『白の襲撃者』を取りこもうとする。
 『白の襲撃者』が床を蹴った。
 矢のような鋭さで巻上がる靄の下を抜け、一気に距離を詰める。
 雪に操られて上から覆い被さってくるセメントの靄をかわすため、『白の襲撃者』は駆け抜けながら上体をねじった。
 腰を軸にしてきりもみするように、もう一度床を蹴る。
 ふわり。
 小柄な身体が宙を舞った。
 新体操のスローモーションを見ているかのように。
 しなやかに伸ばされた両足が天井を向き、靄の影響がない床すれすれに顔が来た。
 琥珀の髪が、コンクリートをなでる。
 その手の中の銃が、地を舐めるような低い射線から雪を狙った。
 動きを追った雪の目に、銃口が暗い黒の点に映った。その奥に潜む弾丸まで、まっすぐの線が開いたのが分かる。
 無感情に自分を捉えた、翡翠の瞳。
 雪は弾かれたように上半身をよじって、射線から身をかわした。
 撃発音。
 その波紋が巻き上げたセメントの靄さえ揺らしたように感じた。
 赤いものが視界を吹き散っていくのを見た。
 視界が傾き、正面に天井の蛍光灯が見えてくる。
 やがて。
 雪の背中は堅いコンクリートの床にぶつかった。


 空薬莢がコンクリートの床に跳ねて「キン」と無機質な音を立てるより速く。
 時音は右手で雪を突き飛ばし、残る左手で『光刃』を揮った。
 『白の襲撃者』の見せた、体操選手かと思うほどのアクロバットな一撃。
 よもやそんな動きを見せるとは思っていなかったせいで、時音のフォローもコンマ以下数秒の単位で遅れていた。
 血飛沫が舞ったのは分かった。たぶん、銃弾を受けたのは雪の左腕だろう。
 『白の襲撃者』までは、あと5メートルほど。
 普通の剣が届く距離ではないが、あいにく『光刃』は普通の剣などではない。
 横一文字になぎ払われた『光刃』から、蜘蛛の糸のように細い光の筋が散っていく。
 それは周囲に散置されたガラ袋や一斗缶や工事機材に巻き付き、鞭のようにしなって一気に持ち上げた。
「これでどうだ!」
 気合い一閃、持ち上げられた無数の機材が『白の襲撃者』めがけて投げつけられる。
 鋭利なものは一つもないが、同時多方向からの圧倒的な質量攻撃。
 地に足が着いてない『白の襲撃者』には、かわす術はない。
 はず、が。
 『白の襲撃者』はためらいなく銃を捨て、あいた左手を床につく。
 片腕倒立からの旋風脚。
 その行動を一言で表現すれば、それだった。
 飛び来るクズ石材の詰まった袋を、機械油の一斗缶を、工事機材を、一つたりとも重心点を外すことなく蹴り戻す。
 打ち落とされた数十キログラムの質量が、コンクリートの床に跳ねて威圧的な音を立てた。
 彼女に直線的な攻撃は届かない。
 当たり前のような動きでその全てをはじき返す『白の襲撃者』の姿に、時音は瞬時にそう悟った。
 『光刃』で、剣技で勝負をかけるしかない。
 光の糸になって散らばっていた『光刃』を、再び一本の剣に戻す。
 『白の襲撃者』が側転の要領で両足を地に付けた。
 そして、翡翠の瞳が時音を捉えた瞬間。
 彼女の足下のコンクリートが、盛大に弾けた。


 雪は顔を上げた。『白の襲撃者』が宙を舞っているのが見える。
 彼女が床に降り立った瞬間。
 雪はその足下のコンクリートを、全力で噴き上げさせた。
 竜巻の中の木の葉のように。
 『白の襲撃者』の小柄な身体が、無数の石つぶてと化した破砕コンクリートの嵐に弾き飛ばされる。
 雪は身体を起こした。
 現実が一気に戻ってきた。
「六巻君!」
「野郎!」
 怒声とともに、一撃目をいなした『白の襲撃者』を追って、二回三回とコンクリートを破砕する。
 見えない巨人が、巨大なハンマーで床下からぶっ叩いてくるかのように。
 コンマ数秒前に『白の襲撃者』がいた空間の真下で、コンクリートが弾け飛んでいく。
 地雷原をはね回っているかのようだった、が。
 ちくしょう、速すぎる。当たらねぇ。
 『白の襲撃者』を直撃しできたのは、奇襲になった一撃目だけ。しかもダメージらしいダメージを受けてないと来た。
 歯がみする雪の腕を、時音が引いた。
「六巻君、いったん退く!」
「ええ!? なんで!」
 思わず言い返すと、時音にぐっと強く左腕をつかまれた。
 神経に熱湯を注がれたような痛みが駆け上がってくる。
「痛ってぇ!」
「撃たれたんだよ! みそのさんの治療が必要だ!」
 反射的に悲鳴を上げた雪を引きずるようにして、時音は走り始めた。
 『白の襲撃者』の姿は、破砕されたコンクリートの舞い上げる粉塵の向こうに消えていた。
「くそっ…!」
 毒づきながらも冷静さを取り戻し、大人しく時音に従う雪。
「…ヤバイっすね、あいつ」
 自然とそんな言葉が口をついていた。
 時音は無言だった。


 草間達が身を潜めている物陰へ、追われるようにして時音と雪が駆け戻ってきた。
「時音さん、六巻君」
「六巻様、お怪我を」
 みそのは雪に駆け寄った。
 歩いても三歩のその距離にまたつまづいて、また雪に抱きとめられるみその。
 あわてて身体を起こして、彼の左腕に手を重ねた。
 血流と新陳代謝を操って、雪の傷口周辺の細胞に、通常の数百倍の活性を与える。
 引っかけられたような傷跡の擦過銃創が、見る間に回復していった。
 その一方で、草間兄妹と皇騎、そして時音は、次の行動を模索していた。
「皇騎さん、『白の襲撃者』は、今どこですか」
「二人が戦っていた場所から、ほとんど動いていませんね」
 背筋を冷たい汗が走るのを感じながら、皇騎。
 銃を使わせれば危険だと判断して接近戦を選んだが、あの体術を見れば、接近戦だからといって危険度が下がったとは思えなかった。
 まして、数日前に零を襲ったもの以外、弾丸は全て通常弾。『白の襲撃者』にどんな思惑があるのか、まるで見えない。
 と、そこまで思い至ったとき。
「…おや」
 皇騎は思わず呟きをもらした。
 五行童子との「縁」を保つことで、彼の脳裏に送り込まれていた『白の襲撃者』の位置情報。
 それが、かき消すように感じ取れなくなった。
「『白の襲撃者』が…消えた?」
「…なんだって?」
 草間が、のぞき込むようにして問いかけてくる。
 皇騎はかぶりを振った。
 そんなはずはない。五行童子の結界の中から、煙のように消え失せるなど、できるはずはない。
「どうしたんだ、皇騎」
 表情を硬くしながら、草間。
 再びかぶりを振る。
「分かりません。『白の襲撃者』が消えました。
 五行童子の結界はまだ生きていますが、その姿が感じ取れなく――」
 そこまで言ったとき。
 皇騎の心臓に激痛が走った。
「――っがは!」
 不覚にも、苦鳴がもれる。
 左胸に手をやる。傷はない。肉体ではなく、魂魄が受けた打撃だった。
 やられた、と悟った。
 心臓――――「火」の五行童子だ。それが、壊された。
 躊躇なく、五行童子との「縁」を切る。
 陰陽師としての修練を積んだ皇騎には、結界を張って弱めていた「火」の力が、元に戻っていくのが分かった。
「…やられました」
 絞り出すような声で、草間達に告げる。
「『白の襲撃者』は、五行童子の結界を見抜きました。
 「火」の五行童子が壊されました。残りも時間の問題でしょう」
「僕たちの有利が、無くなったということですね」
 時音の言葉に、皇騎はうなずくしかなかった。
 五行童子がねらい打ちにあっている以上、「縁」を保てば残りの四体とともに皇騎の魂も切り刻まれてしまう。
 「火」を弱める結界も、『白の襲撃者』の位置を把握する術も、草間達は一気に失った。
 武器召喚で、一振りの刀を呼び出す皇騎。
 天蠅斫劔(あまのはへきりのつるぎ)。
 遙か神代からこの国の歴史とともにあったという霊刀だ。
 皇騎は天蠅斫劔を手に取った。
「皇騎さん」
「仕方ありません。総力戦です」
 時音に応え、皇騎は霊刀を鞘から引き抜いた。


 おそらく、『白の襲撃者』は五行童子全てを壊して回るだろう。
 そう判断した皇騎達は、「火」の五行童子からいちばん離れた位置にある、「水」の五行童子のまわりで待ち伏せを張った。
 地下駐車場の一隅の、あまり資材が積まれていない場所だ。10メートル四方程度の開けた空間のまわりを取り囲むように、地下駐車場を支えるコンクリートの柱と、空なのか中身が入っているのか分からないドラム缶が並んでいる。
 袋小路ではないが、右側が駐車場の壁で左側が柱とドラム缶の壁なので、横への動きは制限されそうだった。
 本人には悪いがこの状況では足手まとい以外の何者でもない草間武彦をドラム缶の裏に待避させ、みそのと零が壁のコーナーを背にして待機。
 時音と皇騎が各々『光刃』と天蠅斫劔を手に最前列に立ち、そのやや後ろ、見通しのきく二人の間に防弾幕要員の雪が控える。
 やがて。
 時音と雪の前に現れたときがそうだったように、『白の襲撃者』は皇騎達の真正面へ、音もなくその姿を現した。
 右手に剣。左手には、またも黒い銃。
 待ち構えた皇騎や時音達を見ても、その表情は動かない。
 『白の襲撃者』が引き金を絞るのと、雪がコンクリートの防護壁を作るのは、ほとんど同時だった。
 床板をはがして持ち上げたようなコンクリートの壁が『白の襲撃者』と時音達の間を遮り、銃弾はむなしくその表面で弾ける。
「六巻君!」
「おうよ!」
 皇騎の声にあわせ、コンクリート壁から力を切り離す。
 ざらっと、砂の壁が崩れるように、構成力を失う防弾壁。
 その、粉になった壁を突き抜けるようにして、同時に『白の襲撃者』へ襲いかかる皇騎と時音。
 少し距離があるが、ほぼ完璧な奇襲。
 『白の襲撃者』に斬撃が届く距離まで、あと三歩。
 『白の襲撃者』が時音を狙ってさらに撃発した。
 射線が見えればそれを受けられない時音ではない。易々と『光刃』で銃弾を受け止める。
 あと二歩。
 『白の襲撃者』が引き金を絞る。吐き出される通常弾が、時音の『光刃』に弾かれ、熱した鉄板に水を落としたような音ともに蒸発した。
 あと一歩。
 間合い侵入。時音は退魔剣術の奥義、『神陰流』の力を一気に叩き付けた。
 万物滅砕。あらゆるものを原子崩壊させるその力が、だが、『白の襲撃者』には届かなかった。
 理解不能の現実にほんのわずか愕然としながら、時音はなおも一歩踏み込んだ。
 剣を振れば届く距離。
 『白の襲撃者』が右手の剣を振りかざす。
 時音と皇騎は、同時に左右から斬撃を見舞った。
 甲高い金属音。
 『白の襲撃者』の剣が首を狙った皇騎の袈裟懸けの一刀を食い止め、時音の『光刃』は――――空を切っていた。
 二度目の衝撃に、目を見開く。
 が、とまどう余裕はなかった。
 左手の銃が時音を狙う。その手首を狙った『光刃』もまた『白の襲撃者』を捉えることはなく、彼女は無慈悲に引き金を絞った。
 やられる。
 思った瞬間、
「甘めぇ!」
雪の怒声とともに、『白の襲撃者』と時音の間にコンクリートの柱が割り込んだ。
 銃弾が弾かれ、軋んだ音を残す。
 皇騎と時音は同時に飛び退って、再び彼女と間合いを取った。
 踏み込みが足りなかったのではない。
 なおも『光刃』を青眼に構えたまま、時音は自問した。
 いやな感覚を覚えていた。
 零が語った、「出会ったことのない力」「波のような感覚」、それが目の前の少女から発されていることを感じる。
 間違いない。
 ほんのわずかな時間の中で、時音は確信した。
 『白の襲撃者』は、異能力を中和する。


「なんてこと…」
 みそのは10メートル向こうで繰り広げられた一連の動きに、下唇をかみしめた。
 空白の中の空白は感知できないが、流れの中の空白は、みそのには暗闇の中の松明のようにはっきりと知覚できた。
 時音と皇騎、そして雪が巻き起こす、強烈な力――――異能力の奔流。
 それが、『白の襲撃者』のまわりだけ、凪のように静まっていた。
 彼女に向けられた異能力は全て、熱風に触れた雪の結晶のようにかき消されていく。
 『白の襲撃者』で警戒しなければいけないのは、その銃弾などではなかった。
 彼女自身に、異能力をかき消してしまう「反異能力」とでも言うべきものが宿っていたのだ。


 『白の襲撃者』の身体にダメージを与えることができなくても、その武器になら。
 時音はそう思い直し、『光刃』で彼女の銃を、剣を狙った。
 しかし、そのどれもが空を斬る。
 捉えたと思う寸前で、『光刃』がかき消すように薄れていく。
 よし、いいだろう。
 数度の挑戦の後、時音は『光刃』が効果を持たないことをすっぱりと認めた。


 愕然としたのは皇騎も同じだった。
 時音の『光刃』が『白の襲撃者』に届かない。当たったと思った光の刃が、朝日に溶ける雪のように消えていく。
 『白の襲撃者』の相手は、事実上皇騎一人がこなしていた。
 北辰一刀流の使い手だ。なまなかな相手にはひけを取ることはない。
 しかし。
 『白の襲撃者』の斬撃は速く、鋭く、そして左手の銃までもが、恐ろしい正確さで皇騎を狙ってきた。
 天蠅斫劔を下段青眼に取り、『白の襲撃者』の正中への突きを受ける。
 胸元で伸びるその一刀に、皇騎はわずかに下がった。
 彼女は鋭く身体を転じ、振り向きざまに斬り上げる一刀が首筋へ。
 下段青眼を崩さず、皇騎は身を沈めてこれをいなした。鋭角を描き、『白の襲撃者』の刃が舞い戻る。
 踏み込む皇騎。
 鍔もとでその一撃を受け、跳ね上げざまに切り落とそうとする天蠅斫劔を、彼女は左手の銃撃で打ち返した。
 予想外の反撃に身体が流れる皇騎の背中へ、肩越しの宙返りで飛び込む『白の襲撃者』。
 跳躍の勢いを借りてなぎ払われる一刀をどうにか背負にした天蠅斫劔で受け流し、振り向きざまに脇構えから叩き付けるような一刀を見舞う。
 腰を袈裟懸けに両断するその剣筋を、『白の襲撃者』は雪に見せたきりもみの空中側転でかわした。
 着地より速く、頭が地面をするようなタイミングで銃を構える『白の襲撃者』。
 撃発の瞬間、雪の防弾幕が皇騎と彼女に割って入った。
 伸び上がるようなコンクリートの幕に、銃弾が逸れる。
「二度も三度も通用するか!」
 毒づく雪の声が、皇騎には頼もしかった。


 時音は『光刃』で直接攻撃をかけるのは諦め、『白の襲撃者』との一回戦で使った『光刃』の応用を活かすことを選んだ。
 積まれたドラム缶の一つを、ワイヤーソーのように細くした幾筋もの『光刃』で裁断する。
 鋭くはないが、細かく波打つ凶暴なエッジを持った、即席の刀だ。
 時音は細くした『光刃』でドラム缶刀を五枚束ね、自在に扱えるようにする。
 時音は刃のついたハリ扇のような、その即席刀を振り回した。
 丸まった刃は、振り回される遠心力で怪物指のように伸び縮みする。
 『白の襲撃者』が、初めてほんの少しとまどうのが分かった。
 皇騎の天蠅斫劔を受け止めたところを狙い、真上から振り下ろすように。
 軋み音を上げながら伸びてくるその五本の鉄の指を、『白の襲撃者』は床を転がってかわした。
 獲物を逸した鉄板がコンクリートを削り、神経をかきむしるような音が響く。
 追いすがろうとする皇騎へ素早く牽制の銃撃を放ち、『白の襲撃者』は一瞬で体勢を立て直した。
 追い打ちをかけるようにドラム缶刀を振りかざす時音。
 『白の襲撃者』は冷静だった。
 あまりに無軌道なその刃に皇騎も自分に近寄れないことを見越して、振り下ろされるドラム缶刀の真下へ、一瞬で潜り込む。
 仰向けに、床と水平になるほど背をそらして。
 『白の襲撃者』は、ドラム缶刀を束ねる『光刃』を右足で蹴り飛ばした。
 結束を失ったドラム缶の刃が、うつろな音を立てながら四散していく。
 その機を逃さず踏み込んだ皇騎が打ち下ろす天蠅斫劔を『白の襲撃者』はそのまま左手の銃で受け止め、あえて勢いを殺さずに背中をコンクリートの床につけた。
 深すぎ、低すぎる位置まで運ばれた一刀に、天蠅斫劔を握る皇騎の手から体重が抜ける。
 荷重が消えた一瞬を狙い、彼女は残していた足をオーバーヘッドキックのように一気に頭の後ろへ振り抜き、刀身の下をすべり抜けて床と刃の間から脱出した。
 「かつん」と天蠅斫劔の切っ先がコンクリートを叩いたその瞬間。
 片膝立ちの『白の襲撃者』が三連続で撃発。
 雪の防弾壁が立ち上がるより、皇騎が体勢を立て直すより一瞬速く。
 一発目が皇騎の左肩を貫く。
 血飛沫が舞う中、二発目と三発目は防弾壁に遮られた。


 みそのは息を飲んだ。
 『白の襲撃者』に対して唯一威力を持っていた天蠅斫劔の使い手が、片腕を負傷した。
 よしんば天蠅斫劔を時音が握って戦ったとして、3対1で押し切れなかった相手を、2対1で倒せる道理はない。
「みそのちゃん」
 不意に、背にかくまった零が声をかけてきた。
「私、行くよ」
 穏やかな、優しい声だった。
 驚きに目を見はり、振り返るみその。
「零様…」
「私、みんなと一緒に戦う」
「そんな…『白の襲撃者』の狙いは、零様なんですのよ」
 普通の相手ならいざ知らず、「反異能力」を発揮する『白の襲撃者』相手に、異能力たる霊力で命をつないでいる零が立ち向かうのは、自殺行為という以外の表現を思いつかなかった。
 なんとか、思いとどまらせる言葉を探そうとするみそのに。
「みそのちゃん」
 零は少しはにかんだように笑った。
「大切なものを守るために、危険を厭うべきじゃないときも、あるんだよね」
「…零様…」
 みそのは、それ以上語るべき言葉がないことを悟った。
 零が、静かにみそのの背から離れた。
 そして、にっこりと微笑みかけてきたあと。
 コンクリートの床を蹴り、零は一気に『白の襲撃者』へ肉薄した。
「…考えなさい、考えなさい、みそのっ!」
 みそのは自分を呪詛するような言葉を吐きながら、この状況を打開する手立てを探し続けた。


 こりゃマジでヤバイ。
 雪は思った。
 白いガキんちょに、唯一脅威を与えていた天蠅斫劔。
 その使い手の、宮小路 皇騎。
 ついにガキんちょは、その牙城を崩しやがった。
 時音さんの『光刃』は、どうやら相性が最悪のようだ。それこそ霧でも斬ろうとしているみたいに、『白の襲撃者』の身体をすり抜けてしまう。
 かくいう雪も、隙あらば弾き飛ばしてやろうと何度かガキんちょの足下に力をかけてみた。
 が、雪の力もまた、時音の『光刃』と同じくかき消されてしまう。
 何でだ。と、思う。
 一回戦では、奇襲だったとはいえ直撃した。
 それが何故、今はダメなんだ。
 あのときと今とで『白の襲撃者』の何が違うのか、雪には分からなかった。
 ニャロウ、今に見てやがれ。
 雪がせわしなく防弾壁や牽制のコンクリ柱を作りながら、胸の奥で吐き捨てたとき。
 疾風のような速度で雪の脇を走りすぎ、零が『白の襲撃者』に挑みかかっていった。


 力が、抜けていく。
 零は『白の襲撃者』と対峙しながら、自分の中から生命力が流れ出ていくのを感じていた。
 卑怯もなにも言っていられない。
 必死で、それこそ相手を殺しかねない力を込めて、皇騎に気を取られている『白の襲撃者』の急所――――顔面へ、回し蹴りを叩き込んだ。
 捉えた、と、思った。
 が。
 『白の襲撃者』は反応した。右手の剣の鍔もとで、零の蹴りを受け止めていた。
 その、零と『白の襲撃者』が触れあった部分から。
 見えない血が流れ出ていくかのように、零の中の生命力が宙に溶けていく。
 零は突き放すように足を引いた。
 触れれば死。触れずとも死。
 端正な白い顔を縁取る琥珀の髪。無感情な翡翠の瞳。
 零に死を現前させる敵が、ゆるりとその瞳に自分を捉えた。
 零は、ぎっと歯を食いしばった。
「はぁぁーっ!」
 裂帛の、気合いとともに。
 反撃を許さない打撃の嵐を、『白の襲撃者』へ叩き付けた。
 突きを上下に散らして『白の襲撃者』の上体を引き気味にさせ、沈み込んで水面蹴りを。
 足を払われながら、『白の襲撃者』は片手を後ろにつき、そのまま両足で着地した。
 休まない。
 零は『白の襲撃者』が身を起こそうとする瞬間を狙って、打ち上げるような側面蹴りを放つ。相手が上体を開いてかわすところを、うち戻す踵で頭部を狙った。
 薪に振り下ろされる斧のように。
 急角度で登頂を狙うその一撃へ、『白の襲撃者』がガードに左腕をかざす。
 触れれば死。
 構わない、と、零は体重をかけて振り抜いた。
 食い止められた踵が、それでも十分な破壊力を持って、『白の襲撃者』の手から銃をたたき落とした。
 一瞬顔をしかめ、すぐさま反撃に出る襲撃者。
 逆手に掴んだ剣が下から振り抜かれる。
 とっさに零は、『白の襲撃者』がやったのと同じことをして見せた。
 身体をきりもみするように、空中で側転。
 滞空時の、時間がゆっくりと流れるような感覚の中、一瞬前まで自分の身体があった空間を切り裂きながら、刃が駆け上がっていくのが見えていた。
 『白の襲撃者』の斬撃が宙を斬るのと、零が着地するのは同時だった。
 零の左拳が、がら空きになった『白の襲撃者』の右胴へ。
 胸の前で交差した相手の左手が、零の拳を寸前で捉えた。
 命の火が燃える炉に水をこぼされたように。零の中から、生命力が消えていく。
 『白の襲撃者』は振り抜いた剣を頭上で順手に持ち替え、振り下ろしてきた。
 拳を引き、肩を入れるように半身になって、背中で刃をやり過ごす。転身の勢いを殺さずに裏拳を。
 『白の襲撃者』はそれにも反応した。
 受け止められ、鈍い衝撃が腕を駆け上がる。
 零は攻撃の手を休めなかった。
 再びなぎ払われる剣の下をかいくぐり、のど笛へ横蹴りを。
 『白の襲撃者』が上体を開いてかわすところを、たたみかけた。


「零さん!」
 駆け寄ろうとした時音に、皇騎が叫んだ。
「時音さん、これを!」
 言葉とともに、天蠅斫劔が差し出される。
「皇騎さん」
「片腕じゃ、満足に使えません。
 時音さん、お願いします」
 時音はうなずいた。
 天蠅斫劔をしっかりと構えてみる。
 『光刃』ほどではないにしろ、手になじむ感触があった。
「行くぞぉぁーっ!」
 時音は気合いの声とともに、『白の襲撃者』へ天蠅斫劔を揮った。
 零の蹴りをかわした瞬間に合わせ、逆胴を狙う。
 右手の剣が、かろうじて時音の一撃を食い止めた。
 体をひねる『白の襲撃者』へ、零の右拳が飛ぶ。
 『白の襲撃者』は跳ね上げた足の裏でそれを弾き飛ばした。
 間髪入れず、皇騎が背後から小柄を振りかざす。『白の襲撃者』はまたしても信じられないようなことをしてのけた。
 残った右足で背面飛び込みのように床を蹴り、皇騎に逆浴びせ蹴りを。
 受け止めた皇騎の腕を支点にして、『白の襲撃者』は身体を振り子のようにスイングさせた。
 その勢いの全てを左足に乗せ、零に足刀を放つ。受け止めはしたものの、零の身体が大きく後ろに跳ね飛ばされた。
 『白の襲撃者』はまだ空中にある。
 時音は天蠅斫劔を顔の横から一気に振り抜いた。
 捉えた、かに思えた瞬間。
 『白の襲撃者』の剣が天蠅斫劔の剣筋に割り込んでくる。
 まるでその霊刀が、棒高跳びのバーかのように。
 『白の襲撃者』は右手の剣でその流れをコントロールしながら、剣筋のわずかに上で身体を泳がせた。
 空を斬った一撃を、だが、時音はあえて振り抜いた。
 『白の襲撃者』が着地し、跳躍で生まれたひねりを殺さぬまま、軸足から打ち出すように鋭く回転背面蹴りを皇騎に叩き付ける。
 槍が飛んできたかのよう。
 皇騎は小柄を握った右手の掌で受けるのが精一杯だった。 
 小柄の間合いから突き放され、二・三歩たたらを踏む皇騎。
 一瞬、『白の襲撃者』のまわりに空白ができた。
 残るは流された一刀をあえて止めず、振り向きざまの一撃を狙った時音のみ。
 竜巻のような勢いで、時音が天蠅斫劔を疾らせた瞬間。
 ガラスが一斉に割れる音とともに、地下駐車場に完全な暗闇が訪れた。
 振り抜かれる天蠅斫劔。
 甲高い金属音。
 乾いた空気の爆ぜる音。
 そして、悲鳴。
 最後に残ったものは、完全な沈黙だった。


 零が身一つで『白の襲撃者』に挑むのを見、そして拳や蹴りが交わされるたびに彼女の身体から生命力が吸い出されていくのを感じて、みそのは決心した。
 みそのにあって『白の襲撃者』にはない、唯一の絶対的優位。
 光に頼る必要があるか否か。
 彼女から光を奪ってしまえば、そこには致命的な隙が生じるはずだった。
 だが同時に、みその以外の仲間も行動不能に陥ることになる。
 地下駐車場から光を奪う以上、みそのだけで決着をつけられなければならなかった。
 みそのはそのために、何を利用するか決めていた。
 電流。
 みそのはひたすら好機を待った。
 零や皇騎や時音が十分に離れ、かつ、『白の襲撃者』の動きが一瞬でも止まる機会を。
 やがてそれは訪れた。
 今まで以上に信じられない体捌きを見せ、『白の襲撃者』が零を蹴り飛ばし、皇騎にたたらを踏ませ、時音が彼女を狙って天蠅斫劔を振りかぶった瞬間。
 一連の動きの中で、『白の襲撃者』は体勢を立て直すのに一瞬の余白を必要とした。
 皇騎と零が跳ね飛ばされ、『白の襲撃者』のまわりに空白も生まれた。
 みそのはためらわなかった。
 「流れ」を操る力を最大出力で解き放ち、過電圧をかけて蛍光灯を一気に弾き飛ばす。
 完全な暗闇が一瞬で地下駐車場を覆う中、みそのにだけは『白の襲撃者』の存在が生み出す空白が「見えて」いた。
 その頭上のケーブルへ、過電流をかける。
 ケーブルが焦げ、導線が弾ける焦げ臭い匂いとともに。
 垂れ下がったケーブルが鞭のようにしなって、『白の襲撃者』に接触した。
 乾いた空気にバチバチと電流の爆ぜる音が闇を引き裂く中で。
「きゃうっ!」
 悲鳴が、響いた。
 高く澄んだ、これが『白の襲撃者』のものだとは信じたくないほど、幼さの残る悲鳴だった。


■激闘の痕。

 ようやく、地下駐車場に薄明かりが戻った。
 一体だけ残った「水」の五行童子に命じて、皇騎が電気系統をいじらせ、どうにか非常灯だけでも点くようにしたのだ。
 まばらな間隔で配置された白熱灯の明かりに、地下駐車場がほの暗く照らし出される。
 誰もが一瞬身構えたが、惨状の残る地下駐車場に、『白の襲撃者』の姿はなかった。
「…逃げたのか?」
 ぼんやりとしたオレンジの光に包まれたコンクリートの空間を見渡して、雪が呟くように問いかける。
「たぶんね」
 皇騎がそれに答えた。
「最後のあれは、みそのさんですか?」
 時音が天蠅斫劔を片手に携えたまま、みそのの方を向いた。
 うなずき、
「蛍光灯を全て粉砕して光を奪ってから、過電流をかけた電線に接触させましたの」
手短に説明する。
 そうですか。と時音は目を手元の剣に落とし、
「僕の一撃は、結局最後まで受け止められてしまいました…」
悔しさをにじませながら、続けた。
「とんでもねぇ相手だったな」
 後に残された、地下駐車場の破壊の跡を見て、雪。
「だった、って言うのは、きっとまだ早いよ」
 皇騎が返す。
「まだ何も終わってない。始まったばかりだ」
 その言葉に、時音達は誰からともなく顔を見合わせた。
「みんな…無事か?」
 ようやくドラム缶の後ろから解放された草間が歩み寄ってくる。
 皇騎は少し疲れた微笑みを浮かべ、
「みそのさん。あとで、治癒の方、よろしくお願いします」
自分の左肩を目線で示した。
「零も…平気か?」
 草間が妹の顔をのぞき込む。
 と。
「…はい」
 答えたとたん、零の身体から力が抜け、草間にもたれかかった。
 ほとんど意識を失いかけていた。
 草間も皆も、これほど消耗した零を見るのは、初めてだった。



                 ――――To Be Continued.


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0461/宮小路・皇騎(みやこうじ・こうき)/男/20/大学生(財閥御曹司・陰陽師)
1308/六巻・雪(ろくまき・ゆき)/男/16/高校生
1388/海原・みその(うなばら・みその)/女/13/深淵の巫女
1219/風野・時音(かぜの・ときね)/男/17/時空跳躍者

 ※受注順に並んでいます。

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■         ライター通信          ■
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 お待たせいたしました。草村悠太です。
 『白の魔弾』第一章 白の襲撃者をお送りいたします。

 えー…長ッ! Σ( ̄□ ̄;
 すみません。ものすごく長いです。
 しかも第一章は何かと伏線をはる章でもあるため、長いくせに何も解決しておりませんし、何も判明しておりません。
 『白の襲撃者』のいろいろと不思議な能力だの変なアクションだのは、回を追っていくごとに意味が判明していくものと思われます。

 それでは、各PCさんのプレイングについてコメント(言い訳ともいう)を付させていただきます。

宮小路 皇騎 さん
 キャラ的に自ずからリーダーシップを発揮しているように描くこととなってしまいましたが、いかがでしょう。
 『白の襲撃者』との戦いにきちんと舞台を準備し罠を仕掛けるというプレイングは、とてもよかったです。
 ただ、『白の襲撃者』が零以外を狙うことは(今のところ)ないので、「引きずり回す」というアクションは難しいです。
 従って、今回のような流れになりました。
 それから、作中に出てくる古流剣術専門用語は、だいたい次のような意味です。
 「背負」…リレーのバトンタッチの受け側ような恰好で、刀の切っ先を上、柄尻を下にして背中に構えることです。
 「脇構え」…そのまんまです。腰の横に刀を構える恰好を指します。
 「鎬」…刀の側面の、いちばん厚い部分です。通常日本刀では、ここで相手の斬撃を受けます。

六巻 雪 さん
 もしかすると、これが東京怪談初参加なのでしょうか。
 いらっしゃいませ。楽しんでいただければ幸いです。
 相手の攻撃を阻害することに徹して今回のミッションを達成するというのは、非常にいいスタンスだと思います。
 作中で上手く描けているかどうか不安ですが、雪さんはかなりいい働きをしております。
 雪さんなしでこの戦い方をしたら、犠牲者がもっと出ていたかも知れません。

海原 みその さん
 癒しです。オアシスです。みそのさん抜きでは、この章はサバクのような代物になっていた可能性アリ。
 今回の物語、いろいろと零の心が揺れ動くことがあるので、それを支えてあげられるキャラクターとして非常に重要でした。
 反面、みそのさんには何かとライターが勝手なことをしゃべらせてしまっていますが、どうかお許しください。
 『白の襲撃者』の能力を相当早い段階で見抜いている+攻撃方法が奇抜なプレイングはすごかったです。
 他の殿方の支援に回るという行動と合わせて、ばっちり今回のミッションに合致していました。
 でも何故にバニガですか? やっぱ「ぎんぎん」ねらい(笑)?

風野 時音 さん
 四方八方物量攻撃のアイディアはよかったと思います。ので、使わせていただきました。
 ですが、作中にもありますように、とにかく『白の襲撃者』と時音さんの能力は相性が最悪です。
 そのため、あまり活躍しているシーンが描けなかったことが残念でした…
 

 以上です。
 今後の章では、この章で広げた大風呂敷を何とかたたんで最終エンディングに持って行くべく頑張ります。
 もちろん皆さんのプレイングで結末が変わる可能性も否定できません。

 次章以降で、または次回作で、お会いできることを祈っております。
 今回はご参加ありがとうございました。
 (第二章 黒の来訪者 のオープニングは、来週末前後の公開を予定しております)


               草村 悠太