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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


氷晶の柩

 凍てつく大地にその身を伏して、生命の流れが途絶えたソレは、無言のままそこに留まる。
 月の冷光を反射し、静寂に覆われた空(くう)を舞う氷晶(ひょうしょう)だけがさらさらと囁いてはソレに語り続けていた。


「若月を探し出して下さい……」
 遠野誠一と名乗るその青年は、そうして興信所のソファに身体を沈ませ、伏し目がちに呟いた。深い憂いに翳る琥珀色の瞳。
「常軌を逸していることは重々承知しております。俄かには信じられない。でも、事実なんです……」
 陽に当たったことがないかのように思われる程透けた白皙の肌。その頬を縁取る、闇を溶かした真黒(しんく)の髪。膝の上で組まれた指は折れそうなほどに細かった。
 テーブルを挟んで向かい合いながら、草間は何かを見定めるように彼を注視する。
「……つまり、一連の事件は全てその同僚に起因するものだと、そう言いたいわけだな?」
 草間の視線を受けながら、遠野はゆっくりと肯定の頷きを返した。
 初夏の東京で氷柱と化した死体が発見された。それもこの一ヶ月のうちに立て続けに3件。
 陽光の元に曝され、地面に押しつけられる様にして倒れ付した犠牲者たちからは血液が全て抜き取られていたという。
「……彼が調査のために出向いた先で『何か』があった。何か分からないその出来事が若月を変容させてしまった……そう思います」 
 そして、マスコミによって報じられた以外にも、公表されなかった犠牲者がいたのだと目の前の青年は告げる。彼らは遠野と同じ大学で民俗学の研究を行っていたらしい。
「醜聞を嫌う大学側は内々にこれを処理したいという思惑があった。けれど、若月は逃走し、そしてこの有様です……」
 苦しげに切なげに、俯いたまま遠野は言葉を紡いでいく。
 草間は胸ポケットから取り出したタバコに火をつけ、燻る紫煙をじっと見つめた。
 僅かの間、訪れる沈黙。
 そして、
「いいだろう。その依頼、引き受ける」
 灰皿に短くなったタバコを押し付け、草間は俯く遠野を真正面から見据える。
「ただし、少々厄介なことになりそうだ。念のためこちらで助っ人を募っても構わないな?」
 草間の問いに、遠野は視線を合わさないままにゆっくりと頷きを返した。

 
 その日、草間の呼びかけに応じ、調査の名乗りを上げたのは橋掛惇、水上巧、海原みそのの3名だった。
 だが各人の思惑は必ずしも一致するわけではない。
 純粋に人助けを考えるもの。ビジネスとして引き受けるもの。そして、それら一切の枠を超え、『運命』として関わろうとするもの。
 応接間をかり、初対面である彼らは互いに簡単な自己紹介と挨拶を交わす。
 都内にタトゥのスタジオを構える彫師。インターネットと露天にて活動するジュエリーデザイナー。そして、深淵に座す神に仕える巫女。
 いわゆる『普通』からは遠い『調査員』たちを前に、遠野は一瞬面食らったようだが、自身の為すべきことを思い出すと、深々と頭を下げ、そしてひとつの条件を提示した。
「こんなお願いをする立場ではないのですが、調査に当たっては出来る限り内々に行動していただけますでしょうか?」
 探偵事務所を通している以上、調査員には守秘義務が発生する。それを承知している上で、遠野は言う。
「大学側は一切関与しない方針です。それを踏まえたうえで、公にせず、極秘に調査する分には好きにしろと、そう条件を出されております」
 伏し目がちの青年は、そうしてどこか不安定で危うげな表情で三人を見る。
「遠野と言ったか。俺たちは草間の兄さんを通してあんたの依頼を引き受けた。だが、調査を開始するにはある程度の情報提供を必要としている。若月とやらが何の研究をしていたのか、どんな異変があったのか知らないことには動きようもないんだがな?」
 威圧的な外見に似合わぬ、ゴールデン・レトリバーを思わせる穏やかな彫師の瞳が、遠野に注がれる。
「ええ、はい。そうですよね……」
 逡巡する素振りを経て、彼は頷きを返した。
「では、まずは皆さんを大学の研究室へご案内いたします。詳しいお話はその時に」
 そうして彼らの足が興信所のドアに向けられようとしたその時、
「あ、待って下さい。その前に私から皆さんへお渡ししたいものがあります」
 それまでただ静かに話を聞いているだけだった水上が、立ち上がり、露店販売用に持ち歩いているトランクをテーブルの上に広げた。
「これは?」
 そこには、彼の手掛けたシルバーアクセサリーが、整然と、かつ視覚的効果を十分に配慮した形で収まっている。
「オカルト系の危険から身を守る、いわば護符ですよ」
 草間から連絡を受けた時点で、水上にはひとつの疑念が生まれていた。
「クリスタルには魔除の力がありますが、この場合、リングとして身に付けることでより高い効果を狙うことが出来るのです」
 水上は目を細め、遠野の右中指に7号の指輪を嵌める。
 シルバーに水晶を嵌めこんだそれは、何の反応も示さない。
「貴方は若月さんと近しい関係です。同じ研究室から2名もの犠牲者が出ている以上、用心に越したことはありません」
 それを確認すると、水上は僅かに表情を和らげる。
「あえて危険と判断される場所へのご同行を願う可能性もあります。依頼人の安全を確保することも大切な仕事ですから」
 本心を隠した穏やかな笑みで、水上はそっと遠野から視線をはずした。
「お二人にもこれを。」
「ああ…有難く頂いておく」
「まあ、有難うございます」
 橋掛、みそのの為にはペンダントタイプのアミュレットを手渡した。だが、
「あの、水上様……」
 彼女の指が触れた瞬間、アミュレットは小さく火花を散らすと、闇に飲まれるようにして跡形もなく消滅した。後には、みそのと水上の指を絡めて繋ぐネックレスのチェーンとそのジョイント用リングだけが残される。
「海原さん…あなたは一体……」
「あの方はこれを不要と感じたようですわ……でも、折角ご用意頂きましたものを申し訳ございません」
 深々と頭を下げ、そうして、漆黒の巫女装束を纏う少女は静かな微笑を浮かべる。だが、彼女の紅い唇はそれ以上の一切を語らなかった。
 
***

 闇の中。小さな石の匣を抱えたまま蹲り、男は思考の波間を漂う。
 自分自身が侵蝕されていくのを感じながら、途切れ途切れの記憶を再生する。
 暖かいものに触れたい。
 凍えてしまう。
 暖かい生命に触れたい。流れるものにこの身を浸してしまいたい。
 会いたい………

***

 日の傾いたキャンパスに人影はまばらである。
 外聞を気にする大学側の意向に配慮してだろう。一行は遠野の車で裏口から人目を避けるように構内へと案内された。ただし、橋掛を除いて。
「悪いが、俺は遠慮させてもらおう。こんななりで入ったんじゃ、目立って仕方がないからな」
 自身の外見を認識しているが故に、彼は軽い苦笑とともに車での待機を自ら申し出た。
 標準を超えた身長にがっしりと筋肉質な体躯はそれだけで視線を集めるものだが、橋掛の場合、特筆に価すべきはそれだけに留まらない。
 黒かった髪は綺麗に剃られてスキンヘッドとなり、服の端から伸びた上腕から前腕に掛けては、鋭利な刃物を思わせるトライバル・タトゥが施されている。
 これでは、出来る限り内々に行動してもらいたいという依頼人の希望には添えそうもない。
 水上とみそのの両名が大学で必要な情報を得、次の目的地に移動するまでの間、橋掛は、遠野から手渡された若月のレポートに目を通すことにした。
 助手席のシートに背を預け、茶封筒に詰め込まれた資料の束から、最近の物をいくつか取りだし、読みすすめていく。
 『山間部集落における民間信仰とその出自 ―氷魔が生まれた土地―』
 『異形としての日本』
 『祭りと神性 ―民俗伝承における怪異の視点―』
 彼の研究対象はごく限られた地方に伝わる『氷の魔物』に関するものだったらしい。北海道から九州まで、ダイヤモンドダストや樹氷の発生条件などの自然現象と対比させながら、その関連性についての検証が行われていた。
 次のページを繰る時、はらりと何かがその隙間から滑り落ちた。
「ああと……ん…?」
 運転席の方へと身を屈め、拾い上げたそれは、けして上手いとはいえない文字が並ぶ覚え書きらしきものだった。
 『おこおり様:北海道の道北地方。摂氏マイナス30度以下の日に、子供がひとりで出歩くと「おこおり様」に山の木に変えられてしまうとのこと。(樹氷?)
 氷雪の悪魔:東北地方のある山間部の集落には『氷魔の石櫃』と呼ばれる、石の匣が現存している。氷雪を操り、腐臭を撒き散らしながら、人を襲う魔物が封印されているらしい』
 それはまさに現在起きている怪異を示唆するものだ。
「…………これか…」
 眉根を寄せて、胸ポケットに収められたシガレットケースを取り出す。本日6本目のタバコに火がともる。
 深く吸い込まれた煙は、肺にゆっくりと行き渡り、そして、溜息の代わりに吐き出された。
 橋掛は紙面から顔を上げると、何気ない仕草で、大学の校舎を窓ガラス越しに見上げた。
 先程、レポート受け渡しの際に遠野と交わされた台詞に思考を移す。

「遠野……あんたにひとつ確認させてもらいたんだが、いいか?」
「あ、はい。なんでしょうか?」
 みそのと水上が大学の裏口に歩いていくのに気をとられたらしい遠野は、不意の呼び掛けに一瞬小さく肩が跳ねた。
 車のウィンドゥ越しに、橋掛は彼を見据える。
「俺たちは、若月を探すだけか?本当にそれだけでいいのか?」
 調査依頼はそのものは『人捜し』であっても、それにかかわり派生している事件は陰惨極まりない。
 そんな状況下で、もう一段階上の依頼があったとしてもおかしくはない。むしろ探すだけで済むとは思えなかった。
「大学側は……おそらく、現状維持、もしくは完全なる『事実の隠蔽』を望んでいるかと思います。……彼らの死も、若月の失踪も、今起きている事件も、大学とそれらを繋ぐ糸は存在してはいけないんです……」
 それは実に分かりやすい図式であり、容易に想像のつく思考回路だった。賛同できるか否かは別として。
「ですが……僕はなかったことにはしたくない……あいつに会って…出来るなら話をしたいです」
 そうして彼は俯き、口を閉ざした。

 運転席に重ねられた茶封筒には、一枚の写真が乗っている。
 探すべき対象の顔を知らなければ話にならないという要望から、遠野が用意してくれたものだった。
 切り取られた枠の中では、自身の書いたレポートや参考資料などを手に、白衣の青年たちが無邪気に笑いあっていた。
 あの青年は、本当はどこまで察しているのだろうか。



 みそのは遠野とともに、研究室から資料室へと場所を移していた。
 ここには、かつて封じられていたものが溢れ出し、細く長く、闇へと連なる歪な流れがまとわりつく様に存在し続けている。
「海原さん。こちらへどうぞ」
 部屋の奥まったところに位置する作業机へ案内される。
 そこには、若月が研究のために持ち帰ってきた発掘品が並び、郷土資料館から貸し出された文献、彼の所持品と思しきものが積み重ねられていた。
「若月様が変わられたと思われる場所に関連した物は、こちらにございますか?」
 歪みを辿るように、みそのは意識を周囲にめぐらせる。
 目の不自由なみそののために読み聞かせるための資料を机に向かって揃えていた遠野が、手を止め、背中越しに振り返る。
「ああ…それなら、多分これで間違いないはずです」
 遠野が陳列棚より差し出したのは、象形文字の刻まれた石のひとかけだった。匣のカタチで持ち帰られたのだが、今ここに残っているのは僅か2センチ四方の小さな破片のみである。
「あの朝……上村の死体の傍に落ちていたものです……」
 みそのの白い指先が、流れを読むようにその破片に触れる。
 瞬間。
 闇に閉ざされた彼女の視界一面に、雪の結晶よりなお細かい氷の粒が舞い上がった。
 それは、地に落ちてはまた腐臭の混じる異質な波動に飲み込まれ、新たな結晶を生み出す。
 蹲り、淀み、流れては、またわだかまる。粘り気を帯びた、とりとめもない永久機関。
 その中心に、一人の青年が囚われていた。
 かつて鉛に封じられた石の匣を抱き、氷雪にまかれるもの。
 求めるように伸ばされた腕すらも取り込んで、足から這い上がり、腰を、背を、胸を、肩を、喉を、氷魔の腐敗した触手が覆い尽くし、そうして彼の輪郭は次第に失われていくのだ。
 彼を侵食するのは、悪臭と冷気を発し、むせ返る、禍々しき存在。
 薄闇の向こう側に息づくものの名を、みそのは識っている。
 それは彼女が仕える神の世界に通じるもの。
 青年が自身の核として抱くのは、誰かに向けられた想い。純水で出来た美しい光……
 だがそれが飲み込まれるのも時間の問題だろう。
 なぜなら―――いままさに、おぞましき氷魔の爪先が、彼が残していた人としての最後のヒトカケに食い込まれようとしているのが見えるのだから………

「遠野様」
 幻視の世界から視線を上げ、みそのは彼の名を呼んだ。
「はい、なんでしょう?」
「………若月様は、ヒトの領域を越えられましたわ……」
 全てを見透かした少女の瞳は、かすかな憂いを含んで問いかける。
「もうこの世界にはお戻りになれないかと存じます……それでも、遠野様はお会いになりたいのでしょうか?」
 それは残酷な覚悟を促すもの。
「………それでも、僕は会いたいと思います…」
 遠野は彼女の言わんとしている事を察しながらも、なお、はっきりと告げる。
 彼が持つその感情の名を、みそのは知らない。だが、取るべき行動は知っている。
「では、急いだ方がよろしいですわ……橋掛様と水上様にもすぐにお声を掛けましょう。」
 資料の上をすべるみそのの指が、遠野の白衣の袖を捉えた。
「もう、時間がありませんの」



 月の冷光が降り注ぐ真夜中の公園を、躓き、バランスを崩しながらも懸命に駆け抜ける影がひとつ。
 熱気を含んだ空気の中で、吐息だけが白くわだかまる。
 地を蹴り、草を踏みつけ、逃れようとする。――――彼は狩られるべき標的であった。
 背後に迫る狩猟者の影。それは闇の中で幾条にも細く細かくほどけて行き、優越者の笑みを浮かべ一斉に襲い掛かる。
 獲物の四肢を捕らえ、首に絡み、地面に押し潰す。
 断末魔の悲鳴が、無数に枝分かれしたモノに呑み込まれていく。
 


 遠野から若月に関する説明を聞き終えた後、水上はひとり、大学校内で起きた事件現場に向かって歩いていた。
 水上の不安定な霊能力が、何事かを告げようとしている。
 捕らえどころのない、手を伸ばせば簡単に霧散する微かな気配のようなもの。
 だが、確かに呼んでいる。
 不吉な空気は、それと知らぬうちに蟠り、ヒトの心に伝染していくものらしい。
 大学側の徹底した情報管理により、陰惨な事件は秘密裏に処理され、大半のものは一切の事情を知らぬままに過ごしているはずだ。
 にもかかわらず、事件現場といわれる部屋はおろか、その付近にすら人の姿はない。
 これは、部外者である水上にとっても、また、事実を隠蔽しておきたい大学にとっても好都合な状況であった。
 そして、時折すれ違う生徒や教諭と思しきものたちは誰も、彼を見咎め、呼び止めようとするものもいない。
 ロシア人のクォーターであるという点を除けば、彼は確かに違和感なく大学内に溶け込める風貌であったのだ。GパンにTシャツという組み合わせはごく一般的であったし、後ろで一本にまとめられた黒髪も、みそののように自身を包む繭ほどには伸びていない。
「遠野さんは潔白…なら、アプローチは別の方向から行った方がよさそうですね……」
 遠野が若月と同じ研究室の一員である以上、彼がまったく事件に関与していないとは思えなかった。遠野が事件の主犯であり、若月に濡れ衣を着せている可能性も充分に考えられる。
 だから、退魔効果を強化したあの指輪で遠野を試したのだ。
 遠野の立ち位置を確認するために。
 危機と疑惑に繋がる糸は早目に断ち切っておくに限る。
 消去法で選択肢を減らすことが出来れば、調査の流れはずっとスムーズになるだろう。

 迷路と化した狭い通路を幾度も折れ曲がり、目的の場所にようやくたどり着く。
 重く閉ざされた扉を押し開けば、半分消えかかった蛍光灯の元、それは静かに蹲っていた。
 遠く、低く、半ば言語を崩壊させながらも、断片を持って語り続ける記憶。

 両の手のひらで掲げられる石の匣を、角度を変えながら眺め続ける、青年の背中。アレがおそらく若月だ。
 同僚だろうか。彼の肩に気安く手を掛け、話しかける別の青年。
 呼びかけに振り向いた彼の表情は、その瞬間、別のものへと成り代わる。
 彼らの日常は一瞬にして凍結し、そして脆くも崩れ去った。
 音にならない悲鳴が空気を引き裂く。
 石の匣は、開けられてしまったのだ。

 この場所に焼き付いてしまった映像が、世界を二重写しに変える。
 全神経を集中させ、それを見つめる水上の意識に、突然鳴り響いた携帯の着信音が現実の世界から割り込んできた。



あいたい。さむい。あいたい。あいたい。せめてひとめでいいから。あいたい。どこにいるんだ。さむい。あいたい。



 橋掛には、異形の流れを読むことも、また、死者の囁きを聞くことも出来ない。
 腕に彫りこまれた黒の紋様に、視線を落とす。
 自分のなすべきことは、調査によって導き出された答えから、必要な戦力を提供することだ。
 9本目のタバコを灰皿に押し潰すと、橋掛はダッシュボードに置かれた別のファイルに手を伸ばす。
 だが、唐突に鳴り響く携帯電話の着信音が、彼の動きを止めた。
「橋掛さん!」
 受話器の向こう側から、焦燥を含んで何事かを語ろうとする遠野の声が響いてくる。
 次の瞬間、橋掛は携帯電話を手にしたまま、夜の駐車場に走り出していた。



さむい。さむい。あいたい。ちを。さむい。あたたかいちを。ほしい。あたためて。さむい。



 湿度をもとない肌に絡みつく熱気の中に、異質なものが混じりこんでいる。
 橋掛は、思うように走れず、躓き、遅れをとるみそのの身体を両腕に抱え上げた上で、遠野とともに走っていた。
「こっちでいいんだな、嬢ちゃん?」
「流れの中心に位置する方が何者かを、私は存じております。お任せくださいませ」
「OKだ。頼りにしてる」
 そうして橋掛は、みそのからひとつの提案を告げられる。これから対峙するものへの情報とも策とも呼べるものだ。
「勝算はあるか?」
「わたくし達に討ち取る力はございません……ですが、別の位相へお引取り頂くことは可能ですわ」
「水上はどうした?」
「水上様には、『けいたい』とか言うもので、お願い事をしておりますの」
「僕が取りに行くより、早そうなのでお願いしたんです」
 それまでの会話が唐突に断ち切られた。
 大学から程近い、森林公園の三人が駆けつけたとき、そこには既に事切れた氷柱がヒトリ、ただ無言で地にうつ伏せていた。
 世界が一時停止する。
 橋掛は抱いていたみそのを地に降ろすと、ゆっくりと歩み寄る。足元では、この時期に立つはずのない霜柱が、踏みつけられる度にぱきぱきと音を立てて壊れていく。
「遅かったか……」
 屈みこみ、死体の状況を確認した橋掛は、苦い表情で絶望的な声音で呟く。
 薄手のジャケットを恐怖に歪むその青年に覆い被せると、後ろに言葉もなく佇む二人へ振り返る。
「……嬢ちゃん…あいつはまだ近くにいるか?」
 みそのは静かに頷き、ゆっくりと右手を上げると、腐臭の中心を指し示した。
「あちらの方へ」
 三人は病んだ空気が淀む闇の向こう側へと踏み出す。
 虫の声も鳥のさえずりも、そして車の廃棄音すらもそこには存在しない。ただ、地を踏む足音と互いの息遣いだけが、静寂を埋める。
「俺は…今日会ってから、あんたに随分といろいろな質問をしてきたんだがな、ここらでまたひとつ聞いてもいいだろうか?」
 何気ない調子で、橋掛はすぐうしろをみそのと歩く遠野にそう切り出した。
「はい…僕に答えられることでしたら」
「どうにも不思議でならない。俺は最初、あんたが草間の兄さんのところへ来たのは命が惜しいからだと思った。同僚が殺され、次は自分の番かもしれない。そんな恐怖心から逃れるために依頼したんだとな」
 言いながら、橋掛を自身の首にかかるペンダントに指を引っ掛け、
「水上はどうやらこの手の護符で身を守る術をもっているようだし、あの嬢ちゃんも俺も……まあ、程度こそあれ、なんとか人外とも渡り合う力は持っている。だが、あんたは…」
 だが、遠野は…一般人なのだ。
 みそのによれば、今回相手にすべきものはヒトの範疇を越えたもの。けして自分たちの力では討ち取ることのかなわない存在。
 たとえ自分たちが守ると約束したとして、そこに戸惑いや恐怖が見て取れないのはなぜなのか。 彼は、危険と知りながらなお、その中心へあえて向かおうとさえしている。
 橋掛にとってそれは、奇妙な歪みだった。
「……僕は……」
 風が止む。不自然なほどに静かな時間。空気がぱきぱきと音を立て、腐臭の混じる冷気の針が、肌に刺さり始める。世界が淀みながら凍りついていく。
 もしも静寂に耳を澄ませたならば、氷晶が互いにぶつかり合い、さらさらと微かな囁きを発する音が聞けただろう。

「―――――来たな」

 外灯を背に現れたもの。逆光になって判然としないが、それは、石の匣を両腕で抱いた一人の男だった。
「………あんたが、若月か?」
 問いに対する答えは、人であって人でないものの空虚な笑みで語られる。口元に剥く紅い亀裂のような笑み。
 致死量の毒を含み自身の内部を溶かしながらもなお、微笑み佇むかのような異様な存在。
「若月……」
 引き寄せられるように、遠野が彼に向けて一歩を踏み出す、その瞬間、
「やめろ、遠野!」
 影は唐突にそのカタチを崩した。
 幾条にも細く細くほどけ、それは、獲物目掛け一斉に襲い掛かる。体内を巡る温かな生命の流れを奪うために。
 遠野の身体を突き飛ばし、橋掛は腕を顔の前で交差させる。衝撃に押され、身体が一瞬地を離れる。
 肌を裂く凍傷(やけど)の痛み。
 アミュレットは砕け散り、鮮血の飛沫が撒かれる。畳み掛けるように、狩猟者の無数の腕が橋掛を狙う。
「橋掛さん!」
 だが、それと同時に突如出現した黒い刃が空を一閃。無尽蔵に叩き付ける触手を一瞬で薙ぎ払う。
「あいにく、俺は、お前にくれてやるような血液の持ち合わせはいないんだ」
 口元を歪め、橋掛は笑う。視線は狩猟者を見据えたまま動かない。
 肌を伝い滴り落ちる熱を帯びた生命の流れは、腕に施された黒いタトゥから溢れていた。
「こいよ。相手になってやる。」
 白銀と鮮赤の色彩が霧氷となって、漆黒の刃が切り裂く宙を舞い、月光に美しくきらめく。
 漆黒の髪をまいて、吹き上がる疾風。
 みそのの操る大気の壁が、橋掛の壁となり、死角を埋める。

 獲物はしぶとかった。捕らえようと触手を伸ばせば、絡めた端から食われてしまう。
 足を狙えば、そいつは地を蹴って反転する。体勢を整えれば、再び向かってくる。食われた力は、獲物の腕を抜けて黒い刃に変じ、この身を引き裂く。
 温かな流れが欲しい。標的の変更。

 方向を変えた触手は、みそのの壁すらも抜けて遠野をめがけて跳ね上がる。
「しまった!」
 心臓を抉るはずの牙はしかし、激しい火花をちらすと、寸でのところで弾き返される。右手に嵌められた退魔の石が宿す力の発動。
 反動で、後ろに倒れこむ遠野の身体は、背後に駆けつけた人間の腕に抱きとめられた。
「どうやら間に合ったようですね」
「水上さん」
「お待たせしてすみません。場所が分からず、少々迷ってしまいました」
 謝罪の言葉を口にしながら、水上の意識は臨戦態勢に切り替わる。
 みそのの壁と橋掛の黒刃に翻弄されながら、触手は狩猟者としての本能に従い、新たな標的への攻撃を開始する。
「水上様、お願いします!」
 みそのの声が飛ぶ。
「行きます!!」
 水上の手に掲げられた鈍色のブリキ缶が、勢いを持って投げつけられる。
 反射的に、狩猟者の触手がそれを空で貫き、破壊する。
 ―――――ばしゃ…ん…
 独特の臭気を含んだ液体が弾けとび、みそのの意思を映したそれは、氷点下の世界で凍結することなく狩猟者へ降り注いだ。
「橋掛様、火を!」
「Checkmateだ!」
 自身に絡むものを振り払い、橋掛は点火したライターを投げつけると同時に、反動をつけて後ろへ飛び退る。
 ―――――ごぉぅうっ…っ…
 すさまじい勢いで灼熱の火柱が立ち上がり、闇に慣れた目に炎が突き刺さる。
 獣じみた怒号が、凍りついた夜の森を引き裂き、魂を振るわせ、響き渡った。
 風が、炎を煽る。
 煌々と照らし出される、四人の姿。
 不定形に躍る炎の中心で、人のカタチに影が揺らぐ。
「……セ…イ…イチ…」
 歪な影は風にまかれて消え行く音の中で、それはかすかに言葉を残し、そうして、どさりと身を崩して地に果てた。
 夜の静寂が彼らの世界に戻ってくる。
「嬢ちゃん?」
 橋掛に、みそのはゆるゆると頭を振る。
「あの方の流れは既に、闇の濁流に飲まれ、同化していたのです………」
 濁流が消えてなくなれば、飲み込まれた清流もまた、枯れ果てるしかない。
 もう一度清らかな流れに戻るには、あまりにも時期が遅すぎた。
 遠野は若月だったものを見ていた。瞬きもせずに、全神経を注いで。
 氷点下の冷気に晒されていた頬に涙が一筋伝う。
「皆さん、有難うございました」
 最後の炎が消え、今はもう沈黙している石の匣、そして燃え尽きた黒い灰を前にして、遠野は深々と頭を下げた。
 若月は戻らなかった。
 覚悟はしていた。彼が石の匣を手にしたときから、これは避けられることの出来なかった流れ。
「遠野…」
 掛けるべき言葉を選びかね、橋掛は遠野を見つめる。
「………橋掛さん。先程の問いなんですが……」
 俯き、自らのこぼした雫が地を濡らす様を見つめながら、青年はポツリと呟く。
「ん?」
「……僕は…僕たちは、白衣を羽織った瞬間から研究者なんです」
 そうして顔を上げた遠野は、橋掛がはじめてみる、純水の哀しいほどに澄んだ微笑を浮かべていた。彼の頬に涙の跡は既にない。
「たとえヒトの領域から外れてしまったとしても……僕たちは研究者なんですよ」
 一人の青年が示した答えは、熱を取り戻し始めた世界の中で、深淵に続く業を以って彼らの心に影を落とした。





END


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1503/橋掛・惇(はしかけ・まこと)/男性/37/彫師】
【1501/水上・巧(みなかみ・たくみ)/男性/32/ジュエリーデザイナー】
【1388/海原・みその(うなばら・みその)/女性/13/深淵の巫女】

【NPC/遠野・誠一(とおの・せいいち)/男性/25/大学研究員】

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■         ライター通信          ■
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はじめまして、こんにちは。
このたびは当依頼にご参加いただき、まことに有難うございました。新米ライターの高槻ひかると申します。
作品をお届けするまでにたくさんのお時間を頂いてしまい申し訳ありません。
今回の事件は、皆様感情に走られず冷静で穏やかな方ばかりで、また遠野を連れ歩くプレイングが強かったため、このような結果となりましたが、いかがだったでしょうか?
皆様のPCイメージどおりの、もしくはそれに近い描写は出来ておりますでしょうか?
お待たせしてしまった分も含めて、幻想怪奇的なひと時を少しでも楽しんでいただければ幸いです。

<水上巧PL様
鉱物や宝石に関連するPC様という設定に、心ときめいておりました。
個人的にジュエリー関係に興味を持っておりまして、ひそかに勉強中の身であります。
同じ宝石でもアクセサリーの形態や、身につける場所によって発動する力も違ってくるんですよね。
今回は退魔の指輪のみと登場とさせていただきましたが、もし、再会の機会を得られましたら、今度はいろいろな鉱物・宝石を操る水上様にお会い出来たらと思います。