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ここが好きだから
どこの高校でもそうであるとは限らないが、二年生の終わりから三年生のはじめにかけて、進路指導というものがおこなわれる。
大学や専門学校へ進学するのか、それとも就職するのか。
そのあたりをはっきりさせて、それに合わせた勉強の仕方をするのだ。
とくに後者の場合には、教師がコネクションを使ったりとか企業に挨拶に行ったりとか、いろいろと厄介なことがある。
不景気な昨今、生徒も教師も大変だ。
「ったくぅ‥‥タルいなぁ」
廊下を進みながら巫聖羅が呟く。
「そうだろうよ‥‥俺はもっとダルいけどな‥‥」
疲れた口調で皮肉を漏らしたのは巫灰慈である。
姓が同じなのは兄妹だからだ。
望んで血縁なわけでない、とは、双方の言い分であろう。
むろん、ただの憎まれ口だ。
「だいたいよぅ。なんで聖羅の三者面談に俺が来なきゃいけねぇんだ?」
いまさらのように愚痴る紅い瞳の兄。
「しゃーないやん。親父もお袋も遠いんだから」
さも当然といった風情で応える同色の瞳をもった妹。
たしかにそれは嘘ではない。
だが、ほとんど札幌の恋人宅に入り浸っている灰慈が、はたして両親より近い距離にいるか、かなり微妙なラインである。
まあ、ようするに両親より、兄の方が理解があると判断されたわけだ。
あながち間違ってはいないが、見込まれた灰慈としては迷惑な話だった。
せっかく恋人と小旅行でもと企んでいたのに、いきなり電話で東京まで呼び戻されれば、彼でなくとも不機嫌になる。
が、それでも灰慈が妹の頼みを引き受けたのは、彼自身にも憶えがあるからだ。
親の希望する進路と、子供が志望する進路が異なることなど、べつに珍しい話でもない。
たとえば報道記者になりたいといっても、認めてもらえないのだ。
それが巫家である。
伝統と格式は、けっこう重い鎖なのだ。
桎梏を逃れるには、かなりの勇気と思い切りが必要になる。
灰慈がやったように。
あるいは、聖羅が家を出て一人暮らしをしているように。
現在、彼女は親からの仕送りを受けていない。
学費はおろか、生活費すら自分で稼いでいる。
一七歳の少女に、そんなことが可能なのかという話もあるが、特殊能力のおかげでなんとかやっていける。
反魂屋。
それが、聖羅のもう一つの顔である。
属性としては、兄の浄化と対局だ。
「で、真面目な話、聖羅はどうしたいんだ? これから」
灰慈が問う。
「んと‥‥」
口ごもる聖羅。
話しづらいのだろう。
すなわち、両親の期待に添って家を継ぐ、ということではないのだ。
やがて、二人の前に進路指導室のドアプレートが姿を見せた。
無個性なパイプ椅子と、没個性なテーブル。
壁に設えられた書棚には、進学関係の書類が並んでいる。
なんか懐かしいな‥‥。
ふと、灰慈がそんなことを考えた。
かつては自分もこんな場所で相談したものだ。あのとき、奨学金制度について教えてくれたり、悩みを聞いてくれた教師は息災でいるだろうか。
「お兄さん、ですか」
「はい。両親は遠くに住んでおりますうえに多忙でして」
担任教師の声で現実の地平に立ち戻った灰慈が、表情を改めて返答する。
さすがにこんな場所では、普段のくだけた口調は使えない。
もちろんそれは、教師の側でも同じだろう。
ギャップに、ひっそりと笑う聖羅。
だが、その彼女もすぐに表舞台に引き出されることになる。
「じつは、まだ巫くんの進路希望は提出されてないんです」
「うぐ‥‥」
本題を切り出した教師に、聖羅がうめく。
「そうなのか?」
「だって‥‥」
闊達な彼女らしくもない。
なにか思い屈しているのだろうか。
「あたし‥‥進学したいかだよね‥‥」
ややあって、ついに聖羅が重い口を開いた。
べつに志望としてはおかしなものではない。むしろ、今の時世、ごく普通のものであろう。
「巫くんの成績なら、六大学を充分に狙えると思います」
教師がフォローする。
あるいは、聖羅の志望を知っていたのかもしれない。
「ふむ‥‥」
腕を組む灰慈。
本人が希望する以上、彼に否やはない。
むしろ、応援してやりたいと思う。
だが問題は、
「親父とお袋だよね‥‥」
考え込んだ兄に向かい、聖羅が言った。
そうなのだ。
灰慈の進学にすら渋面を作った両親が、女子である聖羅の大学進学を容易く承認するだろうか。
地元に帰って、家業の神社を継げというに決まっている。
まあ、入ってしまえばこっちのものだ、という考え方もあるが、高校と違って大学の学費は高額だ。
聖羅一人の収入で賄えるか、はなはだ疑問であろう。
やはり、出資者としての親の存在は無視できない。
このあたり、彼は自分の学生時代を思い起こさずにはいられなかった。
「巫くんは、ずいぶん頑張っていましたから」
教師が言葉を紡ぐ。
なんだか照れたようにそっぽを向く聖羅。
努力を褒められるというのは、随分と恥ずかしいものだ。
「一応訊いとくけど、なんだって大学にいきてぇんだ? 聖羅は」
「‥‥あたしは、東京にきて、いろんなことを勉強できたような気がする‥‥そりゃすっごい哀しいこととかもあったけど‥‥」
「ふむ‥‥」
「たぶん田舎に引っ込んでたら、こんな哀しさとも無縁だったんだろうけど。でも、あたしは世の中のことをもっと知りたいんだ‥‥」
そのために大学に進み、四年間という時間で自分をもっと成長させたい。
就職という道は、この際は選べない。
高卒者、とくに女子は、親元近くに飛ばされるのが日本企業の伝統的な体質だから。
「ふむ‥‥」
「兄貴‥‥」
「判った。親父とお袋は、俺が説得してみよう。それで駄目なときは‥‥」
「ダメだったら‥‥」
諦めるしかないだろうか。
目を伏せる少女。
「そのときは、俺が学費を出してやる」
きっぱりと言った。
灰慈は、けっして裕福ではない。それどころか貧乏の部類に入る。
だが、それでも妹の思いは叶えてやりたかった。
こつこつ貯めてきた結婚資金が、ゼロになってしまったとしても。
「兄貴‥‥」
「んな顔すんな」
なんだか泣きそうな顔の妹の頭を、がしがしと撫でる灰慈。
こういうシーンは苦手だ。
「奨学金制度もありますから」
教師がパンフレットをさしだした。
穏やかな午後。
遠くから、生徒たちの笑い声が聞こえていた。
エピローグ
「ごめんね‥‥兄貴」
「ま、気にすんな」
「普通は気にするよぅ」
「親を説得できれば問題ないんだからよ」
「うん‥‥」
「大丈夫だって」
「‥‥‥‥」
「なんだよ?」
「綾さんに怒られるかも‥‥」
「できれば国立に進学してくれや。そしたら俺のなけなし貯金も、大ダメージを受けずに済む」
「うん‥‥そうだね」
「ま、頑張れや」
妹の肩に手を置く兄。
「頑張るよ」
妹が微笑する。
夕映え。
太陽は大きく西に傾き。
たおやかな夜の姫が、眷属たちを引き連れて天上の舞台にのぼろうとしていた。
無音の祝歌を奏でながら。
終わり
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