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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


時空図書館《お茶会編》

●オープニング
 事務所に来た郵便物の束の中から、一通の、切手の貼られていない封書を手に取り、草間は、わずかに眉をひそめる。表にはただ、「草間武彦さま」とだけ。裏返してみたが、差出人の名前はない。
 それでも、一応中を明かりに透かして見て、刃物などが入っていないことを確認すると、草間は封を開けた。中には一枚のカードが入っていた。
『草間武彦さま
 花の美しい季節になりました。明日、午後3時よりお茶会を開きたいと思います。おいしいお茶とお菓子を用意してお待ちしていますので、ぜひおいで下さい。もちろん、零さんや、お友達の方々もご一緒でよろしいですよ。賑やかな方が楽しいので。
 では、お待ちしています』
 カードには、そんな文章が綴られ、最後に「時空図書館管理人 3月うさぎ」の署名がある。
 それを見やって、草間は、小さくこめかみを掻いた。どうやら差出人は、以前、零を通して知り合った、世界中のどこからでも通じていて、世界中の本が集まっているという不思議な図書館、「時空図書館」の主かららしい。前に行った時に出された極上のお茶とお菓子の味を思い出し、悪くない誘いだと考える。
 零にその招待状を見せると、「行く!」と即答が返って来た。
「じゃ、そっちはいいとして……他に一緒に行きたい奴はいるかな」
草間は小さく苦笑しつつ、呟いた。

●庭園
 エレベーターに乗った時のような、軽い浮遊感とめまいの後、目の前に広がった光景に、天薙撫子は、小さく目をしばたたいた。
 彼女は、たった今まで草間興信所にいたはずだった。だのに今、目の前に広がっているのは、したたるような緑と色とりどりの花々に囲まれた庭園の一画だった。
 もっとも、彼女は1人ではなかった。傍には草間と零、それにシュライン・エマの3人がいる。
 草間と零はいつもどおりのラフなかっこうだが、シュラインは涼しげなブルーのパンツスーツに身を包み、片手にバスケットを下げている。撫子自身は、若草色の地に紫の桔梗をあしらった着物姿だった。手には着物と同じ柄の風呂敷包みを抱えていた。
 だが、あと3人、草間の事務所に共にいたはずの人間たちがいない。
 お茶会に招かれはしたものの、どこから時空図書館へ行くのかは、カードには書かれていなかった。ただ、以前零を探しに行った時には、本がその扉となっていたとかで、案外、カードが入り口かもしれないと草間が言い出し、彼女たちは約束の3時より少し早い時間に、草間の事務所に集まった。そこで時計の針を見詰めるうちに、ふいに浮遊感とめまいに襲われたのだ。
 撫子は、めまいが完全におさまると、姿の見えない3人――真名神慶悟と無我司録、海原みなもの姿を探すように、あたりを見回した。他の者たちも、同じことに気づいたのだろう。やはりあたりを見回している。だが、どこにも彼らの姿はない。
 その時、彼女たちの前に、1人の青年が現われた。一見すれば、25、6歳ぐらいだろうか。ほっそりとした体には、白い中国風のゆったりとした衣服をまとっている。薄紅色の髪の間から耳が覗いていたが、それは途中から羽根と化し、飾りのようにも見える。彫りの深い整った顔立ちをしており、目は、髪と同じ薄紅色だった。
「管理人さん!」
青年を目にして、零が声を上げた。そのまま、躊躇なく駆け寄る。
「お久しぶりですね、零さん。元気にしていましたか?」
青年は、穏やかな笑みを浮かべて零に声をかけた。彼が、時空図書館の管理人《3月うさぎ》だった。
「ええ、とっても元気です。今日は、お招きありがとうございます」
零はうなずき、ぺこりと頭を下げる。
 それへ微笑みかけて、《3月うさぎ》は撫子たちの方をふり返った。
「ようこそ。お久しぶりですね、草間さん、シュラインさん。初めまして、天薙撫子さん」
「どうして、わたくしの名をご存知なんですか?」
挨拶と共に名前を呼ばれて、撫子は驚き、問うた。
「この時空図書館に入る方々の名前は、自動的に私にはわかるシステムになっているんですよ」
《3月うさぎ》が答えた。
 それへ、草間が声をかける。
「一応、お招きありがとう、と言っておくか。しかし、3人ほど行方不明なんだがな」
「真名神さんと無我さん、海原みなもさんですね? 今回は、差し上げたカードから直接ここへ道をつないだので、大丈夫だと思ったんですが……セキュリティに引っかかって、どこかへ飛ばされてしまったようですね」
承知しているというようにうなずいて、《3月うさぎ》は少しだけ困ったように言った。
「無我さんはともかく……慶悟とみなもちゃんは、普通の人間だと思うけど?」
シュラインが、小さく首をかしげて問う。
 《3月うさぎ》は薄く笑った。
「見えていることだけが、真実とは限りませんからね。……真名神さんは人でないものを身に帯び、みなもさんは、その血の内に人でないものを持っている。ここのセキュリティはおそらく、それに反応したのでしょう」
言って、小さく肩をすくめた。
「心配いりません。あの方々なら、ちゃんとこの庭園へたどり着けるでしょう。本当に迷っているようならば、私がなんとかします。さあ、ではこちらへどうぞ」
彼に促され、撫子たちは顔を見合わせた。
「まあ、たしかに奴の言うとおり、そう簡単にどうにかなるような連中じゃないからな」
草間が、小さく肩をすくめた。そして、心配そうに見上げて来る零の肩に手をやると、《3月うさぎ》の後を追って歩き出す。
「私たちも、行きましょ」
「はい」
シュラインに声をかけられて、撫子はうなずいた。

●四阿にて
 撫子たちが案内されたのは、庭園の中の、噴水のある花園を見下ろすように建てられた瀟洒な四阿(あずまや)だった。白い大理石で造られており、中央には大きな丸テーブルが据えられていた。その周囲に、人数分椅子が並べられている。テーブルの上には、切り立てのバラを飾った花瓶が置かれ、瑠璃色の髪と目をした女性が2人、お茶の用意をしていた。
 勧められて席に着くと、シュラインが、さっそく持参して来たバスケットをテーブルに置いた。人間以外のものはセキュリティに弾かれると言っていたが、その中にはこうした食べ物などは入っていないようだ。
「今日は、お招きいただき、ありがとうございました。お礼代わりに、お菓子を持って来たんだけど、どうかしら」
改めて礼を言って、ふたを開ける。
 中に入っていたのは、羊羹だった。小豆と淡雪、水の3種類が一口大にカットされ、小豆と淡雪は色違いの和紙風ラッピングペーパーに、水はレース模様の描かれたビニールの巾着にそれぞれ包まれていた。
「まあ、可愛い……」
撫子は、小さく吐息のような声を上げる。紅茶に羊羹とは不思議な発想だったが、それを思うより先に、その外観の愛らしさに惹きつけられた。傍で草間も目を見張っている。
「おやおや、かえって気を遣わせてしまいましたね。でも、うれしいですよ。ありがとうございます」
《3月うさぎ》が、やわらかく微笑んで礼を言う。それへ、零が言った。
「私も一緒に作ったんです」
「ラッピングは、零ちゃんのアイディアよ」
シュラインが付け加える。
「ああ……ずいぶんと、可愛くできていますね」
《3月うさぎ》は、微笑んで、またうなずいた。零が、うれしそうに笑い返す。
 「わたくしのも、開けてよろしいですか?」
それへ、撫子は声をかけた。
「ええ、どうぞ。あなたも、何か持って来て下さったんですか?」
「はい。お手製の、カステラです」
うなずいて撫子は、風呂敷包みをテーブルに乗せ、開いた。中からは、これも和紙風のラッピングペーパーに包まれた長方形のものが出て来た。彼女がそのラッピングを解くと、中からは甘い香りと共に、ふんわりと金色をしたカステラが現われた。
「あら、そっちも美味しそう」
シュラインが、小さく声を上げる。
「ありがとうございます。さっそく、切り分けさせましょう」
《3月うさぎ》が言って、茶器と紅茶のポット、お菓子の皿などが載ったワゴンを押して来た2人の女性をふり返る。ただそれだけだったが、女性たちはカステラと、羊羹の入ったバスケットを受け取った。やがてカステラは切り分けられて、陶器の皿に盛られてテーブルの中央に置かれ、羊羹もバスケットから銀の盆へと並べ変えられ、カステラの皿の隣に置かれる。その間に、それぞれの前には、いい香りを放つ紅茶のカップが並べられ、更に、スコーンを盛った皿とレモンパイの乗った皿がカステラと羊羹の傍に置かれた。
 あたりに、紅茶の香りと菓子類の甘い香りが漂い、撫子は思わず小さく吐息をついた。
「さあどうぞ。遠慮なく召し上がれ」
《3月うさぎ》が、やわらかい声で勧める。彼女は本当に遠慮なくカップを手に取った。香りを楽しんだ後、ゆっくりと口をつける。なんとも芳醇な味と香りが口の中に広がる。ダージリンだった。
(ああ……なんて味わいなのかしら……)
思わず胸の内に深い吐息をつく。
 彼女は、自他共に認めるお茶好きだ。草間もそれを知っていて誘ってくれたのだろう。いったいどんなお茶が飲めるかと、昨日からわくわくしていたのだが、それは想像以上に極上の品だった。
「お菓子は、お好みのものをどうぞ。言って下されば、お手元に取り分けさせますので」
《3月うさぎ》が言った。
 撫子は、それではとさっそく、パイとシュラインが持って来た羊羹の中から小豆と淡雪を取ってもらった。羊羹は、ほんのりとした甘さが紅茶のほのかな渋みとよく合って、噛み砕くと、口の中でまろやかにとろけて行くようだ。
(たしかに、羊羹と紅茶って合うんですね。今度、わたくしも真似してみましょう)
胸に呟き、取ってもらった羊羹を平らげると、今度はパイを口にする。こちらも、レモンの酸味がよく効いて、紅茶にぴったりだった。
(ああ……なんだか幸せ)
紅茶を飲み下して、彼女はほうっと一つ吐息をついた。
 他の者たちも、すっかり紅茶と菓子を堪能することに集中している。
 シュラインは、撫子が持って来たカステラとスコーンを取ってもらっていた。零はシュラインと同じく、カステラとスコーンを、草間はカステラと羊羹を食べた後、更にパイを切り分けてもらっている最中だった。
「管理人さん、私とシュラインさんの作った羊羹の味、どうですか?」
「なかなか、美味しいですよ。和菓子なのに、意外と紅茶に合うんですね」
零に問われて、《3月うさぎ》は笑って答える。もっとも、彼が菓子を口にしているところを、誰も目にしていなかった。ただ、食べかすの乗った皿が彼の前にあるだけだ。
「撫子さんのカステラも、素晴らしい味でしたし。なんだか、私の方がもてなしていただいたような気分ですよ」
《3月うさぎ》は、撫子をふり返り言う。
「そう言っていただけると、うれしいです」
 彼女は、はにかんで笑いながら礼を言った。
「わたくし、お茶好きなものですから、草間さんからお話を伺った時、とても楽しみだったんですが、本当に素晴らしいお茶ですね」
正直に告げてから、彼女は問う。
「……ところで、少し質問させていただいてよろしいでしょうか?」
「ええ。答えられる範囲のことならば」
笑みを絶やさず、《3月うさぎ》がうなずく。つまり、答えられないこともあるということか。撫子は、小さく首をかしげた。が、すぐに口を開く。
「《3月うさぎ》様は、ここで普段はどのようなことをされているんですか? 毎日の、管理人としてのお仕事とか……」
 時空図書館については、彼女も噂で聞いたことがあった。草間の誘いを受けたのは、むろん無類のお茶好きだったせいだが、そこへの興味も多少はあった。ましてや、そこの管理人に会えるとなれば、訊いてみたいことの一つや二つはある。
 問われて、《3月うさぎ》は穏やかに答えた。
「毎日ですか? そうですね。蔵書の管理と図書館内の見回りですね。それが、私の主な仕事ですから。この図書館には、毎日かなりの人間が迷い込んで来ます。まあ、人間でないとセキュリティが判断したものは弾かれますが……その迷い込んで来た人間たちを助け出し、当人の目指す書物のある場所か、元いた場所に送り届けるということをしています。蔵書の方は、迷い込んだ人間たちに、勝手に持ち出されないように、厳しく管理していますよ」
「持ち出すって……」
「ここの本って、基本的には、想像の産物だったんじゃないのか?」
シュラインと草間が、思わず声を上げた。
 《3月うさぎ》は、その2人を見やってにこやかに笑う。
「本物も、ちゃんとありますよ。ただ、たいていの方は、自分自身の見たいものしか見ようとされないので、そこにたどり着くことはほとんどありませんが。でも、時おりそれを手にして、ここを出る時に、持って行ってしまおうとする方々がいるんですよ」
言って彼は、ふいに思い出したように手を打った。
「よろしかったら、ご覧になりますか? この庭園は、あなた方のように、私が直接呼んだ方しか入れない場所で、場が固定されていますから、ここから行けば、道に迷うこともないと思いますし」
「よろしいのですか?」
撫子は、顔を輝かせて問い返した。彼女は本好きでもある。せっかく「図書館」と名のつく所へ来たのだから、蔵書を見て帰りたいものだとひそかに考えてもいた。
「ええ、どうぞ。ここから見えるあの小道を真っ直ぐ行けば、ほどなく小館に突き当たります。そこが、本物専用の場所ですよ」
《3月うさぎ》はうなずいて、噴水の向こうに続いている小道を示す。
「じゃあ、行って来ます」
言って立ち上がる撫子に、シュラインも声をかけた。
「私も行くわ。『本当の』時空図書館の蔵書に興味があるもの」
そして、草間と零をふり返る。
「武彦さんと零ちゃんは?」
「私はいいです。前に来た時、見せてもらいましたし、管理人さんとお話したいですから」
零がかぶりをふった。草間も肩をすくめる。
「俺もいいよ。ここで、のんびりしてることにする」
「そう。……じゃ、行って来るわね」
シュラインは言って、撫子の隣に並んだ。2人はそのまま四阿を出て、教えられた小道の方へと歩き出した。

●小館の中
 四阿から小館までの道のりは、ちょっとした散策をするには、ちょうどいい距離だった。
 庭園に咲いているのは、バラが多い。が、他にも桔梗やつつじ、アジサイなど、さまざまな花が、それぞれ群れをなして咲き乱れ、その間を小さなモンシロチョウが飛び回っている姿は、目にも心にも優しいものだった。
 撫子とシュラインは、それらに目を遊ばせながら、たわいのない会話を楽しみつつ、小道を歩いて行く。
 やがて、2人の目の前に、小さなポーチを持った白い小館が現われた。玄関には鍵がかかっておらず、彼女たちはそっと中へと足を踏み入れる。
 ドアを入ってすぐの所は、吹き抜けのエントランスホールになっていた。そして、いかにも図書館らしくドアの傍に案内板が出ている。それによれば、小館の中は、文献や小説、実用書、エッセイなどというふうに、ジャンルによって部屋が分かれているらしい。更に文献や小説は、それぞれ更に細かいジャンル分けがされていた。
「どこへ行ってみましょうか?」
その案内板を見やって、撫子は迷ってシュラインに訊いた。
「そうね……。あんたは、どこか行きたいところある?」
少し考えて、シュラインが問い返して来る。
「わたくしは、神話伝承に関する本を見てみたいのですが……」
撫子は正直に言って、尋ねるようにシュラインを見やった。別に、2人一緒に行動する必要はない。だが、ここでは1人にならない方がいいような気が、彼女はするのだ。もしもシュラインが他に見たい本があるなら、そちらへ一緒に行ってもいいと彼女は考えていた。だが、シュラインはうなずいて言った。
「私も、そこでいいわ。何か、面白いネタが拾えるかもしれないし」
 そこで2人は、案内板に従って、2階西側の、一番奥の部屋へ行くことにした。正面の階段を昇り、途中の踊り場で左右に別れた階段を、右に折れる。
 たどり着いた部屋の中は、整然と本棚が並べられ、そこにはぎっしりと神話伝承に関する本が詰まっていた。それらの中から撫子は、何冊か興味のありそうな本を選んで抜き出す。ここへ来るまでの道すがら、シュラインは以前ここへ来た時のことを話してくれた。その時に聞かされた話では、ここの蔵書の大半は、厳密に言えば訪れた者の想像の産物なのだという。だが、何冊か書棚の本を抜き出して広げてみて、撫子は、ここの本は本物だと確信する。彼女には読めないものや、明らかに興味を惹かないものもあったのだ。
 シュラインも、何冊か手に取って中を見ていたが、いくつかは翻訳家である彼女にも読めないものだったらしく、撫子に問うて来た。
「おそらく、それは古代ゲール語だと思います。そちらは、サンスクリット、そっちのは、古代ヘブライ語ですね、たぶん」
撫子は、小さく首をかしげつつ、教えてやってから、付け加える。
「わたくしも、言語学が専門ではありませんから、あまり詳しくはわかりませんが……大学の図書館で見た写本の文字と似通っていますから」
「つまり、ここの本も、研究者や興味のある人間にとっては、まさに宝の山のようなものだってこと?」
シュラインは、小さく眉をひそめて問う。
「そうかもしれませんね。……でもきっと、そういう人たちは、ここにはたどり着けないような気がします。ここへ来る道すがら、時空図書館の本は訪れる人間の最も見たいもの――つまり、想像の産物だとシュライン様は教えてくれましたよね。だとしたら、そういう人たちは、自分の望みや興味の方が、真実を求める心より勝ってしまいますから……きっと、たどり着けないと思います」
撫子は、考え考え言った。
「それはそうかもしれないわね」
シュラインはうなずく。そして、続けて何か言いかけた。
 だが、撫子は彼女を見ていなかった。まるで周囲の空間が引き歪むような、奇妙な感覚が体を捕えていた。同時に、何かが近づいて来る気配を感じる。
 彼女は唇を引き結び、手にしていた書物を棚に戻すと、そっとシュラインに囁いた。
「シュライン様、気をつけて下さい。何か、妙な気配がします」
「妙な気配?」
シュラインが、問い返して来た。怯えている様子はない。それでも撫子は、自分より背の高い彼女を背後にかばうようにしながら、部屋の隅に近い壁の一画を鋭い目で睨み据えた。気配はそこから来る。撫子は、和服の懐から念のためにと忍ばせて来た「妖斬鋼糸」をつかみ出した。神鉄製の鋼の糸であるそれは、あやかしなどに対しては、武器となる。
 シュラインも、彼女の視線を追うように、同じところを見詰める。
 二つの視線の先で、いつの間にか白かったはずの壁には黒い影のようなシミが現われ、広がり始めていた。それが、部屋の扉と同じぐらいの大きさにまで広がった時、ふいにそこから黒いコートに包まれた腕が現われた。
 撫子が、妖斬鋼糸をそちらへ向けて放つのと、その腕が、同じく黒いコートに包まれた体を伴い、部屋の中にころがり出て来たのとは、ほとんど同時だった。
「無我さん!」
シュラインが、その人物が誰なのかに気づいて、思わず声を上げる。
「え?」
その叫びに、撫子も相手が誰かに気づいた。だが、放った糸はすでに止めるには遅すぎた。
「無我様、よけて下さい!」
彼女もまた、叫ぶ。
 ころがり出て来た無我の体は、そのまま倒れるように床に伏せ、その体を切断しようと襲いかかった鋼の糸は寸前で目に見えない何かに遮られ、その何かが、無我の体の代わりに真っ二つになる。どうにか撫子がその糸の勢いを止め、己の手にたぐり寄せた時、そこには真ん中から二つに切れて床へと舞い落ちる、紙片があった。
「慶悟?」
シュラインが小さく目をしばたたいて、無我の出て来た壁の黒いシミを見やる。
 と、そこから真名神慶悟が、続いて海原みなもが、歩み出て来た。
「やっとお茶にありつけると思ったのに、これはないんじゃないか?」
「す、すみません!」
冗談めかして言う慶悟に、撫子は慌てて謝る。起き上がり、うっそりと彼らの方へ歩み寄って来た無我にも、同じように彼女は深く頭を垂れて謝った。
「お気遣いは無用ですよ。なんともありませんでしたから……」
無我は、少しも変わらない低くかすれた声で答える。
「本当に、どこもなんともありませんか?」
「ええ……。大丈夫です」
それでも心配して問う撫子に、無我は低く笑ってうなずいた。
 それを見やって、シュラインが怪訝そうに彼らに尋ねた。
「ところで、どうしてこんな所へ?」
「こんな所って、ここはどこなんですか?」
問い返したのは、みなもだ。
 そこで、撫子とシュラインはかわるがわる、ここがまぎれもない「本物」の書物を収めた小館で、自分たちはその中の神話伝承を集めた部屋にいるのだと話した。
「本物の書物……」
話を聞いて、小さく呟き、わずかに目を輝かせたのは慶悟だった。
「何? 何か読みたい本でもあるの?」
シュラインが問う。
「あるといえばあるが……」
言いさして、慶悟は小さく肩をすくめた。
「それよりも、さんざん歩き回って喉が渇いたな」
「そうね……」
シュラインはうなずいて、撫子をふり返る。
「私たちも、そろそろ戻りましょうか」
「そうですね」
撫子も、うなずく。
 撫子とシュラインを先頭に、5人はそのままそこを出た。

●みんなでお茶を
 庭園の四阿へ戻ると、草間と零は行方不明だった3人の姿に目を丸くした。が、《3月うさぎ》にはわかっていたようだ。平然として、挨拶をかわし、彼らにも椅子を勧める。
 すでに、撫子たちが最初に飲んだ時の茶器はかたずけられていた。新たに5人分の紅茶が用意され、それぞれの前に配られる。草間と零もおかわりを頼んだ。
 紅茶が全員に行き渡ると、みなもが、手にしていたバスケットの中から、えびせんとポットに入った天然水を取り出した。
「あたしも、お茶に招いていただいたお礼にと思ってお菓子と天然水を持って来ました」
「それは、気を遣わせてすみませんね」
テーブルの上に広げられた菓子類を目にして言うみなもに、《3月うさぎ》は微笑んで礼を言った。そして、思い出したように付け加える。
「せっかく天然水をいただいたのですから、2杯目はハーブティにしましょう。この庭園で作っているハーブがありますから」
「はい、是非」
みなもは、うれしそうにうなずく。
 やがて、彼女が持って来たえびせんと天然水は、給仕の女性たちの手でそこから運び去られ、えびせんだけが、皿の上に盛り付けられてテーブルの上に運ばれた。
 えびせんは、オキアミのものと芝えびのものがあって、更に、それらを丸く型抜きした残りの生地を油で揚げたものがあった。これまた、紅茶とは意外な組合せだ。が、さっそく2種類とも取り分けてもらった撫子は、それが羊羹同様、紅茶によく合うことを発見する。それに、相性もだが、えびせんそのものがほのかに磯の風味の漂う、なんとも美味なものだった。
 彼女がえびせんを堪能している傍で、シュラインが、声を上げた。
「美味しい!」
それを聞きつけ、みなもがうれしそうな顔をする。
「本当ですか?」
「ええ、なかなか美味しいです。歯触りもいいですし、磯の香りが口の中に広がるのが、なんともいえません」
撫子も、うなずいて言った。
「ありがとうございます」
「がんばって、死守した甲斐があったな」
慶悟が、半分ほどに減ったカップをテーブルに置きながら、礼を言うみなもに声をかける。
「はい」
「死守って?」
うなずくみなもを、シュラインが怪訝な顔で見やった。
 問われて、みなもはちょっと困ったように慶悟を見やる。が、彼は小さく肩をすくめただけだ。傍から、無我が独特の嗚咽するような笑い声を響かせて、助け船を出した。
「迷っている間に、いろいろありましてね……。ここで話すと、長くなりますし……あまり、聞いて面白い話だとは思えませんので……」
ようするに、3人とも話したくないということだろう。シュラインは、話を聞くのをあきらめたのか、小さく肩をすくめた。
 やがて、全員がカップの紅茶を飲み干すころ、給仕の女性たちが、ハーブティを運んで来た。みなもの持って来た天然水を使ったものだ。
「ローズヒップとハイビスカスをブレンドしたものですよ」
《3月うさぎ》がそう説明する。
「ハイビスカス?」
シュラインが、声を上げた。撫子も驚いて、他の者たちと顔を見合わせる。ハイビスカスは、熱帯の花だ。
「温室がありますからね」
しかし、《3月うさぎ》は涼しい顔で答えた。
 撫子は、それを聞いてちょっと考える。だが、これだけ広い庭園ならば、たしかに温室ぐらいあるだろうと結論づけて、あまり深く考えないことにした。口にしたハーブティは、紅茶同様とても美味しく、茶葉が極上のものであることを教えている。
(なんだか、たった1日……いえ、数時間の間に、こんなに何度も幸せな気持ちを味わえるなんて、思ってもみなかったです……)
彼女は、胸に呟き、再び深い至福の吐息をついた。

●エンディング
 そうして。
 彼らが紅茶とハーブティ、数々のお菓子と庭園の眺めを楽しんで、草間興信所へ戻って来た時には、かなりの時間が過ぎていた。時空図書館のあの庭園では、いつまで経っても日が落ちる気配もなかったが、戻ってみると、すでに外は薄暗くなっている。
 だが、むろん撫子は充分すぎるほど満足していた。彼女が持って行ったカステラも好評で、最後には一切れも残らなかった。シュラインの羊羹も、みなものえびせんも、そしてもちろん、あそこで出されたスコーンやパイも美味しかった。しかし、何より素晴らしかったのは、やはり紅茶とハーブティだった。
(なんだか、しばらくは夢に見てしまいそうです)
他の者たちと別れて、家路に着きながら、彼女は小さく笑いの混じった吐息を落として、胸に呟く。まだ、あの馥郁たる紅茶の香りの余韻がどこかに漂い、ほのかな味が舌に残っているようにさえ感じた。その香りと味をそっと胸に抱きしめて、彼女は足取りも軽く家路をたどり始めた――。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0328/天薙撫子/女性/18歳/大学生(巫女)】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+時々、草間興信所でバイト】
【1252/海原みなも/女性/13歳/中学生】
【0441/無我司録/男性/50歳/自称探偵】
【0389/真名神慶悟/20歳/陰陽師】

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■         ライター通信          ■
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ライターの織人文です。
調査依頼に参加いただき、ありがとうございます。
しばらくの間、私事にてお仕事をしておりませんでしたが、
これからまた、少しずつでもやって行くつもりですので、どうぞ、よろしくお願いします。

●天薙撫子さま
はじめまして。参加いただき、ありがとうございます。
今回は、二手に分けさせていただき、純粋にお茶を楽しむ方へと回っていただきましたが、いかがだったでしょうか。
和服ということで、着物の柄などを考えるのが、とても楽しかったです。
またの機会がありましたら、その時は、よろしくお願いいたします。