コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


緋色の鏡
地下室へと続く薄暗い階段をコツコツと革靴の踵を鳴らしながら1段1段降りていくと、
ひんやりとした風が足下を掠めた。まるで堕ちていく様だわ と口の中で静かに呟く。
氷の様に痛い程冷たい風と、身も凍る様な恐怖と畏怖が敷き詰められた天国と言う名の地獄へ―――……

「呪われた本」と人々が恐れている、未だ開いてもいない本を右脇に抱えながらそんな事を思った。
未だ開いていないと言うより、開く事を恐れているのかも知れないと 思い直してみるが、
勿論そんな事自分に有り得る筈が無い事を1番自分がよく知っているので、
思い直そうとした自分を軽く莫迦にした様に笑った。

読めば死ぬと噂されているその本は、装飾で人の心を操ろうとしているのだろうか、
見るからに綺麗で美しくうっとりさせられて魅入ってしまう程だ。様々な色で織られた刺繍。
「花の微笑み」と言う暖かな赤色で題名が縫いつけられていた。
あァ、こう言う煌びやかな物や人が人の心を掴むのだと哀しそうに暗闇に消えていく階段に視線を落とす。
自分は恐らく煌びやかではないだろう。
…何て事は嫌と言う程解っているし、受け入れているつもりでもいたのだけれど。

ギギィと錆びた金具を大きく軋ませながら地下室の扉を開く。
まるで地獄の門みたいに思えて、少しだけ扉を押す力を緩め、躊躇ってしまった位だ。
その扉の裏側には、アンティーク調にあしらってある鏡が掛けてあった。
大木の様に暖かで、それでいて全てを悟りきってしまい冷めた様な木製の扉を空いている方の手で閉めると当時に、
少しくすんだ鏡に自分の顔が映し出された。


「……不細工よ、貴女。」


何て言葉を鏡の中に居る、自分とそっくりの女へと睨み付ける様にして罵声を浴びせて遣った。
勿論自分が自分へ言い放っている言葉と言う事を知っていながら。

漆黒の闇に溶け入りそうな綺麗な黒髪と、それに相反する様に透き通る様な碧色の瞳。
少しばかり、その碧色を曇らせながらその罵りに対して柔らかくふんわりと微笑んでみせる。
それが何だと言うの?と少しばかり見下した様に 高飛車で高級な愛想笑いを貼り付けて。
その微笑みが余りに上手く出来なかったので思い切り眉間に皺を寄せて、顔を顰めてぷいと鏡から目を背け、
薄暗い地下室の真ん中にある古びた机の上へとぶっきらぼうに本を放り投げた。

特別自分の顔が醜いとも思わないし、自意識過剰ではないけれど端正で綺麗な顔立ちをしているとは思う。
…唯、笑顔が似合わなかった。
理知的な顔と銀縁の眼鏡には花のように微笑むのは禁忌であるかの様に似合わなかったのだ。

ふっと鼻を鳴らして自嘲的に笑い、ガタガタと机と同じ位古びてしまった椅子を引き、すとんと座る。
溜息にも似た軽い深呼吸をして、煌びやかな刺繍をあしらってある表紙を徐に捲った。


「Отмена(解除)」


鋭く放たれた言葉と同時に、ぶわぁっと風が巻き起こり靡く程長くも柔らかくもない闇色の髪をその風に任せる。
そしてそれは自分の封印の力が解放された事を意味していた。
そう、奇しくも私は本を封印すると言う特異的な能力を持ち合わせてしまっている。
勿論それを不幸な事だとは思わないし、まして幸せな事だとも思わないけれど。

左手の手首を右手で血が止まるのではないかと言う程にしっかりと握りしめる。
そうしなげればいけない程の力を持っているのだ、この「花の微笑み」と言う呪われた本は。
そしてそっと少しばかり日に焼けて黄色く変色したページの上へと左手を翳し、更に右手に力を入れる。
片目を細める様にして顔を歪めた。

これは手こずりそうね と心の中で悔しそうに呟いた。
しかし此処で折れてしまえば、本当に地獄へと堕ちていくのは必至であろう。
それも悪くないかも知れないわね 何てそんな事を思ったりしながら、
矢張り本能的に死にたくないと思っているのだろう、
奥歯を噛み締めギリギリと歯軋りが鳴る程に手に力を込めていく。


「Разрядка(放出)」


喉の奥からやっと出たと言う感じの言葉を皮切りに、
分厚い本のページが自然にパラパラと巻き起こっている風と共に捲られていき、
その文字1つ1つから細い蜘蛛の糸の様に透き通る様で、それでいて血の色に似た緋色に染まった糸が出てくる。
その緋色の糸が左手へと吸い込まれて行くのを、未だ顰めた侭の顔で第三者かの様に見ていた。


「Уплотнение(封印)」


カッと見開かれた瞼の間からは夜の海色、闇と一体化してしまいそうな夜の海原の色の様な瞳が覗く。
その封印の言葉が誰かの胸を射抜く様に放たれたか放たれていないかで、
その「呪われた本」はパタンと閉じられた。
そしてそれと同時に本と左手を繋いでいた忌々しい緋色の糸は跡形もなく消え、
少しばかり息を荒げた吐息だけが狭い地下室中へと囁くかの様に響き渡っていた。

ふぅと短い髪を掻き上げる時に緋色に染まった自分の手が視界の中に飛び込んできた。
今回は更に鮮血の様に深い色に染まっている。
もう呪われてはいない本をその侭にして、ガタンと椅子を蹴る様にして立ち上がった。
そしてその拍子に、扉に掛けられたアンティーク調の鏡が視界の端に入る。
その中では少しばかり疲れた様な顔をして、それでいて必死に貼り付けた様な 精一杯微笑もうとする女が居た。


「貴女、私を嘲笑っているの…?」


(ガシャァ――ンッ!!)


左手で自分に酷く似ている女が映っている鏡を容赦なく躊躇いもなく思い切り割る。
ポタポタと緋色の液体が地面へと落ちていくのだけれど、
薄暗いのでそれが赤色だと認識する迄に少し時間が掛かった。
案の定自分には花の様に微笑む事は許されないのね と申し訳なさそうに、
且つ情けなさそうにポツンと落とす様に自嘲の哀しい笑みを零す。

その侭歩を進め、先刻は地獄の門かとさえ思った扉へと手を掛ける。
革靴に踏み潰され、パリンパリンと言う音が哀しい響きを部屋中に轟かしていた。
赤く染まった手は血の色か封印の為に緋色に成ったのか何なのかさえも解らなくなった。
私が笑っているのか笑っていないのかと同じ様に。


「暫くは不自由しそうね。……いつもの事だけど。」


 [ END ]