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チョコレートアイスクリーム
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「ナナシの髪は薄い茶色で、こげ茶色の優しい目をしてるんです。鳥が好きで、公園に散歩にいくと何時間でも座ってるの。身軽で、とても真直ぐに人の目を見ます。チョコ味のアイスクリームが大好きで」
「……ちょっと待って」
ようやく、碇は手を上げて少女を遮った。思いつめたような顔で、向かい合った少女は口を噤む。
「貴方の話だと」
「はい」
「その、ナナシというのは」
犬です、とあゆみは華奢な顎を引いて頷いた。
「一年前に、失踪した、犬なわけね」
「はい」
小さな拳を膝の上で握り締めて、あゆみの黒くて大きな瞳は滲んできた涙で潤んでいる。
中学校の授業の帰り道、教科書のたくさんつまった鞄を抱えて姫川あゆみはやってきた。そして、ぴょこんと頭を下げて言ったのである。
一年前に居なくなったナナシを探してください、と。
「一年経ったら諦めなさいって、おとうさんにもおかあさんにも言われました」
たちまち形のいい眉がへの字になって、あゆみはちょっと乱暴に目を擦った。唇をぎゅっと噛むけれど、堪えきれずに肩が揺れる。
「そうは言っても、ここは探偵事務所じゃないんだけど……」
言いながらも、困り果てた顔で碇は腕を組んだ。いくら敏腕果断な碇でも、子どもの涙には弱いわけだ。
あゆみのしゃくりあげる声をしばらく聞いて、碇は諦めたように振り返った。
「君、雑用は三下君に回していいから。ちょっとこっちへ来て手伝ってちょうだい」
□―――七月十六日:都内公園
「ここが、その公園?」
「うん」
チョコレートアイスクリームを詰め込んだクーラーボックスを片手に、みあおとあゆみは公園の入り口に立っていた。
夏の日差しに照らされた緑がまばゆい。肌が焼け付くような日差しの下だというのに、公園の奥からは子どもたちのはしゃぎ声が流れて来る。
三下たちは居なくなったナナシを探して聞き込みを続けてくれているけど、結果ははかばかしくない。一年も前の話なのだから、それも当然である。
編集室のデスクでみあおを手招きした碇は、宥めるような痛ましげな顔で調べてきたことを教えてくれた。
「親御さんにもお話を伺ってみたんだけどね。あゆみちゃんには言っていないけど、ナナシが失踪した数日後、ナナシによく似た犬が車にはねられて死んでいたらしいのよ」
言外に、ナナシはもう死んでいるのではないか、と言っている。
だからもう諦めなさいとは言われなかったけれど、碇の顔はもうナナシは見つからないだろうと考えている顔だった。
「みあおは、公園の鳥さんに話を聞いてあげるね。あの子たちなら、人間が見てないことだって見てるかもしれないもん」
記憶に残った碇の物言いたげな表情を頭の隅から追い払って、みあおは勤めて明るい声を出す。思いつめた表情で公園を見つめているあゆみがちょっと笑ってくれたので、少しだけ安心した。
「大丈夫だよ」
どうしても必要だったら、「幸運」に頼ろうとみあおは決めていた。体力も心力も消費するけれど、どうにかしてあゆみの助けになってあげたい。
「みあおが倒れちゃったら、あゆみがみあおを運んでね?」
みあおが言うと、あゆみは目を見開いてみあおを見つめる。
「具合悪いの?」
「そうじゃないけど。うん、今日暑いから」
みあおの説明に納得して、あゆみは「夏だね」とぽそりと呟いた。
公園のベンチに腰を下ろして、みあおは早速木の枝でさえずっている小鳥を呼び寄せた。小さな足でみあおの指先につかまって、チチッと啼いてみあおの話を聞いてくれる。
小鳥たちに囲まれてみあおが話すのを、あゆみはじっと黙って聞いていた。動いてしまったら小鳥を驚かせてしまうと思っているのだろう。
鳥たちから話を聞き終えたみあおは首を傾げ、噴水の方に顔を向け、それからもう一度顔を戻して「ほんとう?」と聞いた。あゆみが怪訝そうな顔をしている。
鳥たちが小さな羽音を立てて木の上に戻っていくと、みあおは狐につままれたような顔をしてあゆみを振り返る。
「ナナシは、薄い茶色の髪の毛で、こげ茶色の目をしていて、鳥が大好きなんだよね?」
うん、とあゆみが頷くので、みあおはちょっと迷って噴水の方を振り返った。
小鳥たちが教えてくれた「彼」は、きらきら光る噴水を見つめたまま、確かにそこに立っている。
「小鳥さんたちが、そういう男の子を知ってるっていうの。鳥が大好きで、2、3日前からずーっと公園にいるんだって」
困った顔のまま、あそこだよ、とみあおは噴水の傍を指差した。
緊張した顔のままあゆみはそろそろと顔を向けた。みあおの指差すほうを見て、それからあれ?という顔をする。
噴水の傍には、男の子が立っていた。柔らかそうなうす茶色の髪の毛は、太陽の光に当たって天使のわっかを作っている。あゆみの視線に答えて、みあおは呟く。
「そうなの。小鳥さんたちが言ってるのは、あの男の子なの」
みあおたちの視線に気が付くと、男の子はゆっくりと近づいてきた。
「どうしたの?」
と彼が言う。とても優しいこげ茶色の瞳だった。
「いなくなった犬を探してるの」
「犬?」
「ナナシっていう名前の犬」
ふぅん、と答えて、男の子はまぶしそうに笑った。
「ぼくも手伝おうか。今日だけだったら、一緒に探してあげられる」
お互いに顔を見合わせて、みあおたちは男の子の好意に甘えることにした。男の子はこの公園のことを良く知っていて、「ここでは、毎週日曜日におじいさんが鳥にエサをあげにくるんだ」とか、「この水のみ場は、ちょっと栓が緩んでるから動物でも水が飲めるんだよ」とか教えてくれる。
公園に入るとナナシのことを思い出して無口になってしまうあゆみの代わりに、少年はとてもいい案内役になってくれた。
太陽が真上に昇って、はしゃいでいた子どもたちもお昼ご飯を食べに家に帰ってしまうと、彼らは三人で日陰に座り、ナナシの為に持ってきたチョコレートのアイスクリームを食べた。
「お昼なのにアイスクリームしかなくてごめんね」
とあゆみが言うと、男の子はにこにこと笑って
「ぼくはお金を持ってないんだ。何もあげられなくてごめんね、あゆみちゃん」
と言いながら美味しそうにチョコレートのアイスクリームを舐めていた。
セミがジワジワと鳴く一日で一番暑いお昼を日陰で過ごし、三人はもう一度公園を散策したけれど、ナナシを見つけることは出来なかった。
今日が、あゆみが両親と約束した一年目なのだ。
太陽が殆ど沈みかけて、段々夕闇が迫ってくる。泣きそうな顔で無理に笑いながら、あゆみは顔を洗ってくる、と走っていった。たったったった、とあゆみの背中は公園の角を曲がっていく。ちらりと見えた横顔が、くしゃくしゃに歪んでいたのを見てしまって、みあおは哀しくなった。
「もしナナシが死んじゃってたら、みあおの力を使っても無理かなぁ」
泣きたい気持ちになってべそをかくと、男の子は透き通った茶色い瞳でみあおを見た。
「そんなことないよ。それに、その不思議な力は使わなくてもいいと思う」
「どうして?みあおじゃどうにもならないから?」
「きみのおかげで、ぼくがあゆみちゃんに会えたからさ」
きょとんとしているみあおを前に、男の子は優しい目をして笑った。
「ぼくはもう行かなくちゃいけない。チョコレートのアイスクリーム、ありがとう。すごくおいしかった」
腰を屈めて、男の子は鼻先をくっつけるようにしてみあおの頬にキスをした。
「あゆみちゃんに伝えてほしいんだ。ぼくもあゆみちゃんが大好きだったよ。一年前のあの日から、きみを泣かせてばかりでごめんね、って」
言って男の子は空を見上げた。優しい色の夕焼け空に、細い煙が筋を描いて立ち上っている。
細い煙が空にのぼっていく方向に向かって、男の子は行ってしまった。男の子の背中が薄暮に薄れて消えていくのを、みあおはいつまでも眺めていた。
やがてちょっぴり目の端が赤くなったあゆみが戻ってきて、そこにみあおしか居ないのに気が付いて不安そうな顔をする。
「ぼくもあゆみちゃんが大好きだったよって、さっきの男の子が言ってたよ。一年前のあの日から、きみを泣かせてばかりでごめんね、って」
みあおが言うと、あゆみの目にはみるみる涙が溢れて、あゆみは両手で顔を覆った。
「知ってたの」
とか細い声であゆみが言う。
「あたしが名乗っていないのに、あの子はあたしのことをあゆみちゃんって呼んだの。あの子がナナシなんだって、あたし本当はわかってたの」
「ナナシはあたしが落ち込んでいると、いっつもほっぺたにキスをくれたの」
そのキスはとっても優しかったと、帰り道、空っぽになったクーラーボックスを抱えて歩きながら、あゆみはみあおに教えてくれた。
□―――アトラス編集部
編集室でココアをご馳走になりながらみあおが話を終えると、そっか、と碇は椅子に凭れて街に広がる空を見た。
「そう言えば、お盆だったわね」
「お盆?」
「七月十三日が迎え盆。十六日が送り盆。その四日間は、死んだ人が明かりを頼りにこの世に帰ってこれるのよ」
碇に言われて、みあおは編集部の窓を見た。
ナナシを見送った時に見た薄い煙が、今も良く晴れた空に立ち昇っているのが見えた気がした。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 1415/ PC名 海原みあお/ 性別 女/ 年齢 13/ 職業 小学生】
NPC
姫川あゆみ/一年前に居なくなった犬を探して編集部を訪れた少女
ナナシ/薄い茶色の毛をしたゴールデン・レトリバー
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。
依頼を受けていただいてありがとうございます。
まだ一月先だというのにお盆の話でなんともはや…。季節感のない著者ですみません!
お盆というのは、正しくは「盂蘭盆会」と言いまして、元々は先祖やなくなった方が苦しむことなく成仏できるように、供養をする日らしいです(一夜漬け知識)。
地方によって時期は異なりますが、大体十三日に迎え火を焚いて、ご先祖様がその明かりを頼りに家にやってこれるようにし、十六日の夜に、今度は送り火を焚いてお見送りします。
位牌の前に故人の好物なんかをお供えするようですが、チョコレートアイスクリームをお供えするのは…やっぱりきっとめずらしいですよねえ…。
在原飛鳥
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