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<東京怪談ノベル(シングル)>


姫様と語らう午後
●原因を作りし者
 今日も今日とて草間興信所。その日は朝から訪れる者もなく、くわえ煙草の草間武彦は黙々と溜まった調査報告書を書いていた。
 外はいつ雨が降り出してもおかしくない灰色の曇り空。まあこんな日は、部屋の中でおとなしく書類整理をしている方がかしこいのかもしれない。
 草間は灰皿で煙草を揉み消すと、新たな煙草を取り出そうとした。が、箱の中にはもう1本も残っていなかった。
「買い置きがあったはずだな」
 そうつぶやくと、草間は机の引き出しを開けてコンビニの袋を取り出した。中にはいつもの煙草が1箱だけ入っていた。
「これだけか」
 買い置きの煙草の残り少なさに、小さく溜息を吐く草間。それでもなかったよりはましだと思い、煙草を手に取って封を切った。
 煙草のフィルムをコンビニの袋の中に放り込み、草間は袋を丸めてゴミ箱目掛けて放り投げた。しかし、惜しい。袋はゴミ箱の縁をなめると、外側に滑るように落ちてしまった。
「……ま、いいか」
 小さく舌打ちをした後、しょうがないといった風につぶやく草間。煙草に火をつけて作業に戻った後、そのことはすっかりと忘れてしまっていた。

●そして、結果が生じる
 午後になり、草間は細かく窓を叩く音に気付いてふと振り返った。見れば、とうとう降り出した雨粒がぽつぽつと窓を叩いていたのである。
「案の定、降り出したか。よくここまで持ったもんだ」
 などと草間が言っている間に、雨粒の勢いは激しさを増してゆき、瞬く間に土砂降りになってしまった。遠くの方で、雷が鳴ったような気がした。
「梅雨も近い、か」
 時期的に、気象台からそんな発表が出てもおかしくないだろう。仕事の手を止めて、草間はしばし窓の外を見やっていた。
 と、外の方から勢いよく階段を駆け上がってくる音が聞こえた。直後、バタンと玄関の扉が開かれた。
「ぎりぎりせーふだったのぉ〜☆」
 事務所に明るい声が響き渡った。振り向く草間。そこには可愛らしくふわふわの金髪を持つ女の子、小日向星弥の姿があった。
「星弥か。雨は大丈夫だったのか?」
 草間は星弥を頭の先から爪先まで見てみた。雨に濡れた感じはない。星弥の言う通り、本当にタッチの差だったのだろう。
「せーやがここの下に入ってすぐに、どーんって降り出したの〜」
 扉を閉めながら、星弥はにこーっと微笑んで答えた。
「あそぼ〜、武彦ぉ♪」
 星弥がパタパタと草間の方に駆けてこようとした。それに対し、草間はすまなさそうに言った。
「悪い。まだ仕事中で……」
「あっ」
 その時だ。不意に草間の視界から、短い驚きの声とともに星弥の姿が消え失せた。一瞬の出来事だった。
「星弥っ?」
 驚く草間の視界に、ある物が下から上へとふわりと舞い上がってゆく姿が見えた。それはコンビニの袋。
(あ!)
 はっとする草間。忘れていた。先程ゴミ箱から外れてしまった袋が、そのままになっていたことを。
 ということは、星弥は放置されていた袋でバナナの皮よろしく足を滑らせて……後ろに転んでしまった?
 草間は慌てて立ち上がり、床に目をやった。そこには仰向けに倒れ、硬直してしまっている星弥の姿があった。
「悪いっ! 星弥、大丈夫かっ!」
 星弥の元に駆け寄る草間。急いで星弥を抱え起こそうとするが、その瞬間星弥の緑の瞳の奥が金色に光ったように感じた。
「……気安く我に触れるでない」
 草間の耳に、不機嫌そうな声が聞こえてきた。その口調は草間がよく知っている星弥の物ではない。まるで別人だ。
 一瞬戸惑いの表情を浮かべる草間。だがすぐに苦笑し、何事が起こったのか把握していた。
「そうか。……『そっち』の方なんだな」
 草間がすっと星弥から手を放した。星弥の背後に、うっすらと金の巻き毛の少女の幻影が見える。
 星弥は1人でゆっくりと起き上がると、衣服についた埃を払い落としてから草間の方に向き直った。
「……久しいな、草間」
 そう言う星弥の顔付きは、先程までのほやーっとした物とは違い、きりっと引き締まっていた。
 そう、草間の目の前に今居るのは星弥であって星弥ではない。普段は星弥の内に眠り、時折顕現するもう1人の星弥、天狐の姫が覚醒した瞬間だった。
 外で激しく雷鳴が轟いた――。

●短き語らい
「久しいな、草間」
 星弥――いや、姫は再び同じ言葉を繰り返した。口調はまだ不機嫌さが残っていた。
「ああ。いつ振りだったかな」
 草間が答える。さて、最後に会ったのは果たしていつのことだったろう。何しろ滅多に会うことはないのだから。もっとも、そう頻繁に出てこられても、それはそれで大変だったりするのだが。
「そのような些細なこと、我は覚えておらぬ」
 そう言ったかと思うと、姫はソファの方へ歩いて行き、深く腰を降ろした。
「さて……草間」
 じろっと草間を見る姫。草間は姫の次の言葉を待った。
「せっかく我が居るのだ。知りたいことはないか」
「どういう意味だ」
「我が我でいる時は短い。我のことに限らず、天上のこと、知りたいことがあるなら今のうち。そう申しておる」
 確かに――姫に疑問を投げかけたら、的確に答えてはくれるだろう。もし同じ疑問を星弥にぶつけたとすれば、恐らく要領の得ない答えが返ってくるに違いないのだから。
「そなたであれば、何を答えたとしても母上も見逃して下さるであろう。何せ、そなたは『星弥』のお気に入りなのだから」
 ニッ……と不敵に笑う姫。その視線はどこかしら、草間を値踏みしているようにも見えた。
「何でもいいのか」
「無論」
 草間の言葉に、きっぱりと答える姫。草間は少し思案してから、こう言った。
「楽しいか?」
「?」
 姫は草間の言葉に眉をひそめた。言葉足らずで、質問の意味がよく飲み込めない。
「東京での生活は楽しいか? 俺が知りたいのはそれだけだ」
 しばし無言になる2人。姫が不意に吹き出した。
「ふっ……ふふふっ、ふふふふっ。草間、そなたも欲のない者だ。よい、その疑問に答えよう」
 姫は楽し気に言った。
「楽しくない訳がなかろう。そうでなければ『星弥』がこの地に留まっておるはずもない。そのことは……そなたがよく分かっておるのではないか?」
 くすりと微笑む姫。草間は静かに小さく頷いた。
「ああ。そうだな」
 ふっと笑みを浮かべ、安堵する草間。と、不意に姫の身体が揺れた。
「む……いかん。そろそろ我は戻らねばならぬようだ……『星弥』が目覚めようとしておるのでな」
 目元を押さえる姫。どうやら時間がきてしまったらしい。
「そうか。じゃあ……まただな」
「……また、いずれ会おうぞ」
 淡々と別れの挨拶を交わす草間と姫。次の瞬間、姫の頭ががくんと下がった。

●いつもの星弥
「…………」
 無言で姫を見守る草間。頭がまた、ゆっくりと上がってきた。
「むぅ〜……? 武彦ぉ?」
 姫――いや、星弥はとても眠た気な目で草間を見ていた。
(戻ったか)
 姫が星弥の内に戻ったことを確信する草間。星弥はごしごしと眠た気な目を擦っていた。
「うにゅ〜。せーや、とってもおねむなの……あふ……」
 と言い、ごろんとソファで横になる星弥。すぐに寝息が聞こえてきていた。こうなってしまっては、丸1日は起きはしないだろう。覚醒の反動だ。
「全く、呑気なもんだ」
 草間は苦笑すると、毛布を持ってきて星弥の身体にかけてあげた。
 窓の外では雨がいつの間にか止んでおり、灰色の空の隙間から太陽の光が漏れていた。

【了】