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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


復讐の人魚姫

*オープニング*

 それはいつになくまともな――――極々普通の興信所に来るような依頼の内容だった。
 電話帳でこの興信所を知ったという依頼人は、通された応接室で興信所の所長である草間武彦の向かい側に腰掛けて、雫が先ほど置いていったコーヒーを飲んでまずは自分を落ち着かせようとしているようだった。だが、コーヒーカップを持つ右手が微かに震えていることに草間は気付いていた。
「私、結城千尋といいます。お願いしたいのは、私の婚約者のボディガードなんです」
「詳しく事情をお聞かせいただけますか?」
 草間がそう言うと、千尋は小さく頷いて、訥々と語りだした。

 千尋には、来春には結婚を予定している婚約者がいる。
 婚約者の名前は常盤和馬。スタジオミュージシャンとしては多少名の知れたピアニストである。
 その和馬の身の回りで最近、彼を狙っているような事故が多発していた。
 ある時は彼の足元に工事現場の上から角材が落ちてきたり、ある時は電車のホームから突き落とされたり――――

「一歩間違えば今ごろは命だって……それなのに、彼は全然そんなこと気にしてないようでただの偶然だろうって言うだけで―――もう私心配で。しかも、先日こんな手紙を偶然彼の部屋で見つけたんです」
 千尋が差し出した水色の便箋はどうやらしわくちゃになっていた物を丹念に延ばした跡がみられた。その便箋はワープロで、
『人魚ノ 復讐ハ マダ始マッタバカリダ Sirene』
とだけ書かれている。
「Sirene……」
と、草間は呟いた。
「その手紙を私が見たことは知らないので、彼には何も聞いていません。……本当のことを聞くのが怖いのかもしれません、私―――」
 自分の知らない婚約者の姿を知ってしまうのが怖いのだと、顔を覆った彼女の左の薬指の輝きがまるで彼女の瞳から流れた涙のよう見えた。

「零、何人かこの一件の依頼に適当な人間を呼び出してくれ」
 千尋が帰りカップを片付けに来た零に草間はそう言った。彼の手元には封筒に入った手付金が置かれていた。

*シュライン・エマ*

 その時もいつものようにシュラインは事務所であれこれと雑用をこなしていた。とりあえず零が今来ているお客様にコーヒーを持って行ったので、その手伝いをした後は机で最近の依頼調査結果をファイリングしていた。
 なにやら、思いつめたような表情の女性だったなと、草間と奥で話している依頼者の姿を思い出していたところに、1人の男性が事務所を訪れた。
 ケーナズに気付いた雫が、
「今ちょっと接客中なんです」
と言うのを聞いて、
「ありがとう」
と彼は微笑んだ。
 金糸の髪に薄いブルーの瞳。
 まるで絵画から抜け出してきたような整った顔の青年だった。たしかドイツ貴族の末裔だと草間が言っていたのを思い出す。何度か彼が草間を尋ねてきた時に、見かけた事はあったので軽く目礼をされてシュラインも小さく頭を下げた。
 シュラインが整理の終わったファイルを棚に戻していると、応接室のドアが開き中から先ほどの女性が俯きながら出て来てシュライン、ケーナズ、零の3人に軽く頭を下げて出て行った。それに続いて、草間が出てくる。
「やぁ」
 ケーナズの姿を見て、何か身構えるように一瞬顔を強張らせた理由がわからず、シュラインは小首を傾げたが、それよりも先ほどの女性の依頼が気になった。
 内容を聞くよりも前に、ケーナズは調査に参加することをほのめかせている。
「どんな依頼だったの、武彦さん? 私、今は関わってる調査もないから」
 シュラインは珍しくその時関わっている調査もなかったので、そう言いながら草間とケーナズが腰掛けた中央のソファに入った。
 シュラインがきたところで、草間は依頼主から預かったらしい紙を広げた。
「さっきの女性の婚約者のボディーガードだ。婚約者には気付かれないようにな」
 そこに、
「こんにちはぁ。何かお仕事入ったんですかぁ」
という声とともにセーラー服の少女が現れた。
 何度も調査で一緒になっている海原みなもだった。
 シュラインは既に、その紙の文面、
『人魚ノ 復讐ハ マダ始マッタバカリダ Sirene』
という一文を目にしていたのであまりのタイミングの良さに少し驚いた。
 なぜなら、みなもが南洋系の人魚の末裔であると知っていたからだ。彼女の性格から考えて仮にも同族の名前が出てくれば黙っているはずがないだろう事は予想できていた。
 案の定みなもはその1文に目を通すなりに、
「人魚の復讐!?」
と、大きく反応していた。事情を知っている草間、零、シュラインにとっては予想通りの反応であったがどうやら初対面らしいケーナズはその反応に少し驚いたような顔をしている。
「さっき階段で女性とすれ違ったんですけど、それってその人の依頼ですか?」
「あぁ」
 みなもは草間の肯定を聞いて、
「あたしにその依頼お手伝いさせて下さい」
と身を乗り出した。
 これで調査員は3人が揃ったことになった。

 数時間後零が揃えた今回の依頼に協力してもらうメンバーが決定した。海原みなも、シュライン・エマ、ササキビ・クミノ、ケーナズ・ルクセンブルクの4名だ。
 揃えたとは言っても、実際に電話を掛けたのはササキビ・クミノのみであとの3人は依頼者が来たときに事務所に居合わせたメンバーだったのだが。
 クミノは彼女の特異能力である障壁の存在もあり、基本的にネットカフェの2階にある自宅でこちらからの情報を元に調査の方を重点的に依頼した。クミノが実際に護衛につくかどうかは調査が終了した段階で検討することになったため、まずは実際に護衛に付くみなも、シュライン、ケーナズの3人で今後の対策を打ち合わせることになった。
 草間はまず千尋から聞いた和馬の当面のスケジュールを表にした物を渡す。
「常盤和馬は明後日レコーディング先のNYから帰国する。帰国後から直接護衛について貰うことになるが、とりあえずそれまでにある程度犯人を絞り込むために下調べからかかるか」
 そう言う草間の口調がどこか嬉しそうなのは、今行なわれた会話がいかにも「ごく普通の興信所」のようであったからだろうか。
 誰もがそう思ったが、とりあえず、あえてそれは口には出さなかった。
「人魚と言いながらSireneと名乗っていると言うことは女性ということだろうね」とケーナズはそう言って例の脅迫文をひらひらと目の前にかざす。
 Sirene―――セイレーンとはギリシャ神話やホロメスの抒情詩「オディッセイア」に登場している。その美しい歌声と容姿によって船乗りを誘惑し船を座礁、難破させる海の精霊で、最初は半人半鳥として伝えられていたその姿は、16世紀後半ごろから誘惑する美しい女性という要素が人魚のイメージと重なったためが、セイレーン=人魚として定着したのだと言われている。
 ケーナズのその説明を聞いて草間の顔が少し曇った。そんな話が出てきて折角の「ごく普通の興信所」気分が台無しになったからだろう。
 ただし、ケーナズの言葉にシュラインが、
「犯人は婚約者である常盤和馬氏の周囲にいる歌のうまい女性。彼の職業を考えると彼と仕事上付き合いのあった女性ボーカリストという可能性が高いわよね」
と続けフォローと、また微妙に嬉しそうな顔に戻ったのだが。
 そんな草間を尻目に、
「やっぱり、王子様に捨てられた人魚姫の復讐ということなんでしょうか……」
とみなもは沈んだ声で呟く。
「童話『人魚姫』のように彼の心を手に入れることが出来なかった女の復讐。その線が強いだろうね、彼が千尋さんとの婚約したばかりということを考えても」
 常盤和馬の職業に近い女性で、彼に対して何らかの私怨を抱いている人物。しかも女性。それだけ限定すれば犯人をある程度絞ることは出来る。犯人を絞れればそれだけ護衛もやりやすくなるというものだ。
「和馬さんに直接心当たりを聞きませんか? 彼だって婚約者の千尋さんが心配しているって聞けばきっと協力してくれると思うんです」
「それはダメだ」
 いつになく草間がはっきりした口調でそう言った。
「千尋さんが望んでいるのはあくまで彼に気付かれないようにしての護衛だ。確かに、直接話しを聞ければそれにこしたことはないが――――」
「依頼主の千尋さんがそれを望んでないんだもの。とりあえず、仕事仲間や友人関係から当たってみましょう」
 シュラインはそう言ってみなもを宥める。
 みなもはシュラインの声に小さく頷いた。

*Sirene*

 帰国当日。ケーナズはシュラインと2人で空港まで来ていた。
 休日ということもあり、空港には多くの人の出入りがあった。
 ケーナズは黒のキャップを深めに被り、少し色のついた眼鏡をかけてシャツにジーンズといういつになくラフな服装をしている。シュラインはというと、カラーコンタクトを入れて瞳の色を黒にしていた。2人が並んでいる姿はぱっと見た感じお忍び芸能人とその有能なマネージャーという雰囲気だった。
 ただ街中にいれば逆に目立つのではないかというこの姿も国際線の空港ロビーという特殊な場所だと割合すんなりと受け入れられるようだ。
 和馬の帰国を待ちながらシュラインは、クミノからの調査報告を思い出していた。

 常盤和馬の周囲を探ったところ犯人―――もしくは犯人が復讐を行なおうとした原因になったのではないかという件がすぐに浮かび上がってきた。
 それは和馬が今のように有名になる以前に同じ店でアルバイトをしていたことがあるという人物から聞きだした話だった。
 和馬がまだアマチュアだった頃、アルバイトをしていたバーの歌手―――勝山壱香という女性がいたという。正確なところはわからないが、和馬と壱香はかなり深い仲で半同棲状態だというのがその店の従業員の一部に噂になっていたという。
 それがある日、客としてきていた音楽プロデューサーが壱香を見初めて、彼女にプロデビューの話が持ち上がったというのだ。その際に、壱香の紹介で和馬もスタジオミュージシャンとして仕事を紹介してもらえるようになったという。
 しかし、これからという時に、壱香はプロデビューを目前にして自らその命を絶った。
 ナイフで胸を突いて――――
 遺書にはただ一言、『もう疲れてしまいした』と記されていたという。デビューへ向けた厳しいレッスンの日々、プロトして本当にやっていけるのかという不安とプレッシャーが原因ではないかということで周囲の意見は一致していた。
 その死に様が童話の『人魚姫』を髣髴とさせる。
 また、壱香が人魚といわれている女性ではないのかと目された理由は他にもあった。彼女がデビューする予定だった曲のタイトルが『人魚の森』という曲だったというのだ。
 差出人のSereneと文中の『人魚』が同一人物を指すのかはわからないが、少なくとも『人魚』という言葉が指すのは勝山壱香で間違いはないだろう。
「それにしても、自殺の方法も『人魚姫』さながらだな。噂がどの程度真実だったのかはわからないが、もしかしたら本当に童話の『人魚姫』のように王子の心が離れていったが為に自殺したというのかな」
 ケーナズも同じくその調査報告を思い出していたらしく、不意にそう切り出した。
 『人魚姫』という童話は他の色々な童話と違い、幼い頃に聞かされたお姫様の話の中では唯一悲恋モノで、女の子にとってみれば誰でも大なり小なりなにか心に残っている話しではないだろうか。
「物語では人魚姫は王子のことを恨んではいなかった。恨めなかったから殺せなくて、自らその命を断ったのよ。王子を恨んでいたのはむしろ人魚姫の姉達よね。自分達の髪と引き換えに人魚姫に足を与えた魔女から王子の命を奪えば人魚姫が人魚に戻れるナイフをもらい人魚姫に届けたのだから」
「だとしたら、人魚姫自身の復讐ではなく姉の人魚達の復讐ということか?」
 だが、調査では彼女には1人も身寄りが居ないということだった。両親共に天涯孤独の上、その両親も幼い頃に交通事故で死亡。壱香は中学卒業まで児童養護施設に居たという。
 そして、中学卒業を機に上京。アルバイトを幾つも掛け持ちしながら夜間の高校を卒業し独学で学んだ歌をきっかけにそのバーで専属歌手をしていたのだった。
 毎日アルバイトに終われていた彼女に特に親しかった友人もいなかったという。
 相談できる相手がいないという、その孤独さが更に彼女の自殺説を認める理由にもなっていった。
 壱香が既にこの世にいない以上、壱香と和馬の関係を知るものは当事者の和馬のみで、和馬が否定をしてしまえば本当にそれが真実なのかどうかを確かめる術はなかった。
「……千尋さんが悲しむ結果にならなければいいんだけど」
 そういってシュラインが深々とため息をついたとき、出入国ゲートがにわかに騒がしくなった。
 次々と降りてくる乗客。
「来たようだね」
と、ケーナズは1人の男の姿を認めてそう言った。
 常盤和馬の数メートル後ろをケーナズとシュラインの2人は細心の注意を払いながら尾行していた。
 シュラインの常人離れした聴力とケーナズの透視の能力、そのために草間はこの2人を尾行に当てたのだった。まさに尾行兼ボディガードに最適な2人だったのだ。
 当の和馬本人はというと、尾行には全く気付いていない様子で、手荷物のみの姿で予定通りそのままスタジオへと向かっているようだった。
 和馬は成田空港から成田エクスプレスに乗りそこからタクシーを拾った。タクシーへ乗り込む際にスタジオのある地名を告げたのを確認してシュラインは素早くその後ろのタクシーを止めて、
「すみません、前のタクシーと同じ場所なんですけど」
と、運転手に告げた。
 幸い和馬の乗ったタクシーはターミナルを出てすぐの信号に引っ掛かっていた為に二人の乗ったタクシーは首尾よくそのすぐ後ろにつけることが出来た。
「……ねぇ、和馬さんの様子なんだけどどう思う?」
 尾行してすぐに思った疑問をシュラインはケーナズに問い掛けた。
「全く警戒らしい警戒をしていないようだね、彼は」
 でなければいくらシュラインとケーナズの2人が特殊な能力を持っているとはいえこんなにすんなりと尾行できるものではないのではないだろうか。
 空港では馴染んでいるように思えたが、案の定タクシーに乗るまでの間に何度か通り過ぎる人に振り返られていることにシュラインは気付いていた。
「何かがおかしい……そんな気がしないかい?」
 シュラインが感じた疑問をケーナズも同様に感じたようだった。
 ずっとつけてくるような足音はなかった。他にも特に不審なことを感じ取ることが出来なかった。それは、偶然なのかそれとも……。
 予想していたよりもあまりにも何もなさ過ぎて、安心すればよいのだが、逆にそれが不安に思えて仕方がなかった。
「そうね。本当は千尋さんのマリッジブルーから来る単なる勘違いならそれでいいんだけど……」
 そんなことを話している間に、シュラインはスタジオ近くまできていることに気が付いた。
「とりあえず、もうすぐ着くってみなもちゃんたちに連絡を入れておくわ」
と、バックの中から携帯電話を取り出してメールを打ち出した。

       ***

 ケーナズとシュラインは、シュラインが草間興信所に出入りしている芸能関係者から入手していた偽造のパスを使って和馬が確かにスタジオ内に入っていくのを確認してからビルの裏、非常階段の踊り場でみなもとクミノの2人と落ち合った。
 スタジオ内は、スタッフが大勢いるため特に心配はないと判断してのことだった。もちろん、そのスタッフも事前に調査済みで特に不審な人物は居なかったということは確認済みだ。
「どうだった?」
 クミノの問いにシュラインは大きく首を横に振った。
「もしかすると、無駄骨かもしれないわね。ここまで尾行したけど、まったく不審なことはなかったわ」
「それに、本人も本当に全く気に掛けた風でもなかったしね」
と、ケーナズは肩を竦めてみせた。
 彼は全く気にする様子もなく成田空港から公共交通機関やタクシーを乗り継いでここまで来たという。
「少しでも気にしているんなら空港からタクシーを使ってもおかしくないだろうに」
 いくら近いとはいえなくても、命とここまでのタクシー代を考えれば答えは当然タクシーに傾くだろうにと、理解しがたい様子でケーナズは頭を横に振る。
 実際、シュラインはなるべく彼の周囲の音に気をつけていたし、ケーナズも少し後方からではあったが気を配っていたが全く千尋が言っていたような異変の気配すらなかった。
「本当に、本人は前日の件は偶然だと思っているのか……それとも――――」
「それとも?」
「狙われていること自体を知らないのか」
 クミノの言葉に、3人とも黙り込んだ瞬間だった。
 シュラインの耳に微かに人の声が届いた。
「何か、聞こえた」
「え、何ですか?」
 しっ……と、シュラインはじっと耳を澄ます。
 それは微かだったが上の方……屋上から聞こえる。
 低い、うめくような……
「男性の声だわ」
シュラインのその言葉を聞いて、ケーナズが常階段で下の階まで足早に駆け下りた。
 そして、戻ってくるなりにこう叫んだ。
「常盤和馬がスタジオに居ない!」
 4人が屋上に着いた時に目にしたのはフェンスを背にした和馬の姿。彼は驚きを隠せない顔でナイフを手にした人物を見ている。

「―――なんで」
 みなもがそう呟くのが聞こえた。
 ナイフを手にしたまま振り向いた千尋の顔は暗い情念を宿したような表情で、まるで先日事務所で見たときとは別人のように見えた。
 一瞬、千尋は4人に目をやったが、再びナイフを手に和馬に襲い掛かった。
「駄目よ、千尋さん!」
 シュラインは走り出し彼女にそう叫んだが、間に合いそうにもない。
「っ!」
 ケーナズがPK−MT(動いているものへの影響)で千尋の動きを止める。
 その時、4人の足元にどこからともない衝撃が与えられた。その余波で突風が吹き破片が4人に襲い掛かる。クミノがとっさに3人の前に出て障壁で石礫から3人を守った。
 そしてどこからともなく、黒髪に体にぴったりとした光沢のあるマーメイドラインのワンピース風のドレスを身に纏っている女性が姿を表した。
「邪魔はしないでもらおうかしら」
 そう言って毒々しいほどに赤い唇で妖艶な笑みを送る。
「あなた……何者なの」
 クミノの言葉に、彼女は小さく笑いを漏らしたかと思うと、その声はどんどん高笑いへと変わっていった。
「私は聖野悪弥香。世界を退廃させる為、『やおい』や『耽美』という文化を助長させ世の中にはびこらせる邪神とでも言えばいいのかしら」
「その『邪神』とやらが何故出張って来たのかしら」
「それは当然、妖しげな曲を作らせるためにもあの男の力が必要だからよ。あと少しであの男を私の手元へと陥れることができるというのにねぇ」
 そう言って、悪弥香は千尋を振り返った。
 千尋はふらふらと数歩おぼつかない足取りでこちらに歩み寄る。その途中でナイフが力なく足元に落ちた。
「千尋さんなんでですか!?」
問い詰めようとしたみなもを再び悪弥香の衝撃波が襲った。
 再度クミノがみなもの前に立ったが、その衝撃波はいわゆる精神波の一種でクミノの障壁でも塞ぎきれずにクミノの肩の辺りにまともに当たり、担いでいた鞄がみなもとシュラインの足元に落ちる。
「クミノさん!」
「おどきなさいな。貴方では適いませんわ」
 そう言って睨め回した悪弥香の視線がケーナズのところで止まる。
「貴方、その力、人間しにておくのは勿体無いわ。我が配下に加わらないか?」
 今度は先ほどの攻撃な精神波とは違いじわじわとケーナズの中へ中へと侵食させるような精神波を送ったが、ケーナズはテレパスの能力を解放しその精神波を撥ね付けた。
「遠慮しておきますよ。確かに私は同性も異性も同じように愛することは出来ますが、貴方のようにそれを押し付けられるのはあまり好みではないのでね」
そう軽口のように言ったものの、邪神というだけあり悪弥香の精神波を撥ね付けるにはケーナズも相当の力を消耗したようでうっすらと額に汗が浮かんでいる。
 悪弥香はそれには不満そうな顔をして眉根を寄せる。
「まぁ、いいわ。とりあえず、あの男は頂いていくわよ」
 すっかり蚊帳の外に置かれて呆然としていた男が悪弥香がそう言ったとたんに突然凍りの彫像のような姿に変えられた。悪弥香が和馬に歩み寄り彼の肩を抱いたその時を見計らって、みなもが大きな聖水の塊を悪弥香にぶつけた。
 聖水をまともに浴びた悪弥香から白い蒸気のような煙が立ち昇る。
「覚えてなさいよ」
 そう捨て台詞を残して悪弥香はそのまま煙に包まれるようにして姿を消した。

*エピローグ*

「……と言う訳で、そのあと直ぐに匿名で救急車を呼んだおかげで和馬さんは一命を取り留めたそうよ。とはいってもまだしばらくはICUから出られないらしいけど」
 シュラインから報告を受けた草間は苦虫を噛み潰したような顔をして火をつけたばかりの煙草を直ぐにもみ消した。
「でもみなもちゃんどこにあんなにたくさんの聖水を隠していたの?」
「今回の依頼の話を聞いたときからきっとあたしが来るだろうってクミノさんも用意してくれてたんです」
 クミノがあの時足元に落とした鞄がやけに大きかったのにはどうやらそう言う理由があったらしい。
 千尋は壱香とは同じ施設で育った幼馴染みだった。だが、千尋は小学生の時に今の結城の家の養女になった。壱香との交流がずっと続いていた千尋は彼女が自殺した直後、和馬に対しての恨み言をかいた手紙を留学先で受け取っていたのだという。
 千尋は和馬への復讐を誓い和馬に近付いて、うまく婚約までこぎつけた。そんなときに突然彼女の前に悪弥香が現れたということだった。
「彼女、復讐を躊躇ったんだろうな。でもそのときには既に聖野悪弥香の手を逃れる術はなかった。それを止めて欲しくて草間君のところを尋ねてきたようですよ」
 ケーナズのその言葉に、草間はがっくりと肩を落とした。
「きっと千尋さんいつのまにか本当に和馬さんのことを好きなってしまっていたんでしょうね」
『物語では人魚姫は王子のことを恨んではいなかった。恨めなかったから殺せなくて、自らその命を断ったのよ』
 昼間、ケーナズと交わした会話を思い出す。
 壱香よりもむしろ、千尋こそが『人魚姫』だったのだと――――
 愛情と憎しみは紙一重というが、千尋はまさにその紙一重の間に板ばさみになっていたのだ。それがどんなに苦しいことか、シュラインは同じ女性として、千尋の心の葛藤を考えるととても切ない思いが心に広がるのを止めることが出来なかった。

Fin

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【 1252 / 海原・みなも / 女 / 13歳 / 中学生 】
【 1458 / 聖野・悪弥香 / 女 / 999歳 / やおいと耽美の邪神 】
【 0086 / シュライン・エマ / 女 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト 】
【 1166 / ササキビ・クミノ / 女 / 13歳 / 殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない 】
【 1458 / ケーナズ・ルクセンブルク / 男 / 25歳 / 製薬会社研究員(諜報員) 】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、遠野藍子です。この度はご参加ありがとうございました。
 そして、本当にぎりぎりの納品になってしまい申し訳ありませんでした。
 今回、またしても童話をヒントにして考えた話です。タイトルに捻りなさ過ぎという意見もありそうですが(苦笑)
 ちなみに作中の『人魚の森』という曲は実際にある曲です。かといってBGMだったかというとそうでもなく。>オイオイ 実際は全く別の曲(某アーティストの『海原の人魚』)の入ったCDを延々聞いていたのですが、今回ジャズピアニストということでタイトルのみの登場でした。
 もともと自分で考えていたストーリーと参加していただいた皆さんのプレイングを足したり引いたりしてひねり出した結果こういう話になりましたが如何でしょうか。今後の参考に感想などいただければ幸いです。
 各PL様が少しでも気に入っていただける部分があればと願うばかりです。まだまだ稚拙な上、遅筆ですが、また機会があればよろしくお願いします。

シュライン・エマPL様 こんにちは。いつもお世話になっております。今回は調査そのものよりも尾行等に重点を絞って行動していただきました。また後半はちょっといつになく敵味方のはっきりした展開になったためどちらかというとサポート的な役割が多かったように思います。依頼主が大人の女性ということで、そう言った意味では参加者の中でも年齢的に近いせいか依頼主の心情を1番心配して頂いていたので、ちょっと今回の結末はシュラインさん的にはどうかなと、密かに心配していたり……。
これに懲りずに、ぜひまたお会い出来ることを楽しみにしています。